記憶 Memory-12

過去の記憶

世の中広しと言えども、裸馬に乗って遊んだ経験の持ち主は多くないだろう。

過去の記憶に書いた三歳の頃に両親が建てた一軒家は、周りに何もない土地を購入して建築したものだったので、すぐ裏に地主さんの家がある以外は辺り一面の田んぼで、夏の暑い日に窓を開けていたらカエルの鳴き声でテレビの音が聞こえないくらいだった。

数百メートル離れたところに一軒の家があり、そこには小学校の同級生が住んでいて稲作と畑作、酪農と、農業の多角化を進めている家庭だった。

小さな頃から畑の中を走り回り、のどが渇いたり腹が減れば生っているトマトを採って食べ、再び遊びに没頭するということを繰り返していた。

春には畑に蝶が飛び交い、育てているキャベツには青虫がモゾモゾしていたし、雨上がりの畑の土にはミミズがニョロニョロしていた。

夏の田んぼにはアメンボが浮かび、秋にはトンボが群がる。

都会であれば昆虫採集も一苦労だろうが、夏の終わりに田んぼを歩き、稲穂に向かって石を投げれば太陽光がさえぎらられて暗くなるほどのトンボの群れが空に舞う。

冬を前に枯れた牧草を刈り取り、サイロと呼ばれる貯蔵庫に運ぶ。

それは、その家で飼われてる馬や牛の冬の餌となる。

刈ったばかりで太陽の匂いがいっぱいの干し草を運び、馬のところに行くと実に美味しそうに食べるので、どんな味がするのか気になって 1-2本ほど口に入れてみるが、それが美味しいはずもなく直後にペッペッと吐き出したりしていた。

その馬は若かりし頃、北海道特有の競馬、ばんえい競走に出ていたほどの実力で、とても大きく力強い体躯をしているが、子供の頃から調教されていたので人懐っこく、何をしても怒らない優しい目をした本当に大人しい馬だった。

地面においた干し草を食べるには頭を下げなければならないが、その体勢になったらこっちのもので、馬のたてがみを握り、首に足をかけ、体をよじ登って背中に乗ろうとしても、その間も馬はじっとしている。

小さな子供の体重とはいえ毛を引っ張られたら少なからず痛いだろうに、それでも友達と自分の二人が背中にまたがるまで動かずにいてくれるような馬だった。

馬の背中は広く大きく、体温でポカポカと温かい。

馬は子供を喜ばせようとでも思っているのか、しばらくするとパカパカと歩き出し、柵で囲われた中を何周も回ってくれたりする。

その揺れがあまりにも気持ち良く、馬の背中で寝てしまったことも一度や二度ではない。

ふと目が覚めると周りが馬糞だらけの場所で立ち止まったりしており、降りるに降りられなくなって必死に馬の尻を蹴ったりして歩かせようとするものの、無視されて途方に暮れたりしたこともあった。

それでも暗くなる前にはパカパカと歩き出して柵の近くに止まり、子供が降りると馬小屋に向かって歩き出すという、まるでそこまで送り届けてくれたような、そして遊んでやったと言わんばかりの雰囲気を漂わせる不思議な存在だった。

抜けるような青空のもと、干し草香る乾いた空気と優しい日差しに包まれながら遊び、疲れ果てて寝るという毎日。

それが、とても贅沢な時間だったと思える。

今の子供達には経験できない貴重な時を過ごしたものである。