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自分解体新書 - 16 -

自分解体新書 ~目次~

■ 腰 その2

疲れるのは歳のせいか。

高齢のかたが腰が痛いだのダルいだのと言うのを聞いて、それは力仕事や農作業が原因なのだろうと思ったりしていたが、加齢とともに足腰への負荷が気になるようになってきた。

今でも可能な限り毎朝の散歩は実施しているし、それ以外の運動、週に一度か二度の柔軟体操も続けているが、最近になって腰のダルさや鈍痛が気になるようになってきている。

脊髄系ではなく、あきらかに腰にある左右の筋が張っていたり痛かったりするので一般的に言われる腰痛とは異なるのかもしれないが、パソコンの前で同じ姿勢のまま長く座っていたり、テレビを見ながらゴロゴロしていた後に立ち上がろうとすると若干の鈍痛を感じてしまう。

祖父母はおろか、父親や母親までも立ち上がるときに
「よいしょ」
とか
「どっこいしょ」
などと言うのを耳にして、どうして黙って立てないのか不思議でならなかったが、今になって理解できるようになったと言うか、ある日ある時、自分も立ち上がるときに
「どっこいしょ」
と声に出していることに気づいて愕然としたものだ。

次なる不安は老化によって腰が曲がってしまうのではないかということだが、こちらに関しては筋力よりも骨の問題で、骨粗しょう症の進行で脊椎が圧迫骨折を繰り返すことによる湾曲らしい。

そうならないためにも魚などをたくさん食べてカルシウムの摂取に努めなければと心に誓ったりしているところだ。

■ 足裏

ずっと痛みが続いている。

そろそろ一年が経過しようとしているが、太ももから足の裏に移った痛みは今でも続いている。

昨年の11月には医者にも診てもらったが、痛みは一向に治まらない。

その時の診断は負荷による筋肉疲労とのことだったが、いくらサポーターをしていようと運動をひかえようと改善の兆候がみられないので、きっと筋肉のトラブルではなく神経系のものではないかと自己診断したりしている。

そのうちに別の病院で診てもらおうとは思っているものの、我慢できないような激痛でもなく、普段の生活、歩行に大きな支障はないのでズルズルと先送りしているのが現状だ。

今月末の通院で医師に相談してみようとは思っているが、内科が専門なので整形外科に行くように言われるのがオチなのだろう。

■ 腕

圧倒的に筋力がおちた。

元々そんなに腕力があるほうではないし、普段の生活ではタブレット端末より重いものを持ったことがないので筋力が落ちて当然かもしれない。

しかし、ここ数年の筋力低下には自分でも情けなくなってしまうほどだ。

今は心臓への負担を軽減させるため、あえて 15-6回しかしていない腕立て伏せも、もし心臓を気にしないでやったとしても 30回もできないのではないだろうか。

子供の頃は河原で石を投げたりして遊んだが、今は遠投などしようとした瞬間に腕から巨人の星の飛雄馬ばりの破滅の音がして二度と使い物にならなくなってしまうのではないかと思われる。

それほど心臓に負担がかからず、効率的に筋力アップを図ることができ、相撲の練習法でもある鉄砲でもすれば良いのかもしれない。

しかし、家に太い柱を立てる訳に行かず、ドスドスする場所が困りものだ。

■ 耳 その2

耳毛が生えるようになった。

ずっと気づいていなかったのだが、少し前に 『お買い物日記』 担当者から指摘され、自分にもビロ~ンと長い耳毛が生えていることを自覚したのである。

本数も少なく、毛も極細なので他人に知られたり不快感をあたえることはなかったと思うが、このまま本数が増えて毛が太くなり、数年前に勝手に文章を追加したの何だのと歌手である森進一氏と激しいバトルを繰り広げ、『おふくろさん問題』として世に知られることになった故川内康範(かわうちこうはん)氏のような耳毛になったらどうしようかと不安を覚えないでもない。

できるだけ放置しないで伸びてきたら抜くなり切るなりしたいところだが、耳の穴はどんなに首をひねろうと眼球を限界まで横に動かそうと自分で見ることはできないのが問題である。

これは定期的に 『お買い物日記』 担当者に確認してもらうしかなさそうだ。

・・・。

ここまで書いてきた腰の痛み、足裏の痛み、腕の筋力、耳毛のすべてが加齢、老化であることは誰の目にも明らかで、こんなことを発表している場合ではないような気もしないではないが、これは確実に衰えていく我が身の記録でもあったりするので今後も解体を続けていこうと思ったりしているところである。

記憶 Memory-16

過去の記憶

夏休みもまだ中盤で、子どもたちは真っ黒になって遊んでいると思いたいところだが、今どきの子供は外で遊ぶことも少ないので日焼けなどしていないかもしれない。

それでも最後の最後になって泣きながら宿題に取り組むのは今も昔も変わらないだろうから、まだまだ余裕で休みを謳歌しているだろう。

昔と違って今は簡単に渡航できるので海外で過ごす家族も多いだろうし、円安の影響から国内旅行を楽しんだり帰省する人も多いに違いない。

自分が小学生の頃は父方の祖父母も健在で、休みのたびに遊びに行っていた。

父親は 7人兄弟で、その末っ子はまだ高校生だったので祖父母の家で暮らしており、自分にとっては叔父にあたるその末っ子と遊ぶのが楽しみだったし、父親にとっては実家でのんびりできるので楽しみにしていたが、母親は色々と気を使うこともあって渋々ながらの帰省だったようだ。

できるだけ長く祖父母宅にいたい父親と自分、一刻も早く帰りたい母親だったが、両親共稼ぎだったので休める期間は限られており、長くても 2-3泊するのが慣例だったように思う。

最初は親と一緒に帰っていた自分だったが、家に戻ってもきょうだいがいる訳ではなく、友だちこそ多かったものの昼は一人で食事をしなければならないし、ちょっと家の中を散らかしたり外で遊んで泥だらけで帰宅するとガミガミと叱られたりする生活だったので祖父母宅にいるほうがずっと楽しかった。

まだ高校生の叔父は色んな遊びを教えてくれるし、野山を駆けまわってどんなに泥だらけになろうが、裏を流れる小川で水浸しになって遊ぼうが祖父母に叱られることもなかったので、子どもにとっては天国のような生活だったのである。

たぶん小学校の 3年生くらいだったと思うが、それまで文句も言わず両親と一緒に帰っていたのに祖父母宅を出る直前になって
「帰りたくない」
と言ったものだから母親は腰を抜かさんばかりに驚き、
「ななな、な、何を言ってるのっ!一緒に帰らなきゃダメでしょっ!」
と怒りで目を三角に吊り上げつつも、祖父母の手前、極めて冷静なふりをして必死に説得を試みたが、自分はまだ叔父と遊びたかったし、何をしても叱られない家で過ごしたかったのに加え、初孫である自分と一緒にいたい祖父母も
「そうだよね~まだ帰りたくないよね~」
などと参戦し、言い争いは泥沼の様相を呈する。

翌日から仕事の父と母はどうしても帰らなければならず、このまま押し問答をくり返しても仕方ないので、帰りたくなったら父親が迎えに来るという条件で合意に達し、一人で祖父母宅に残ることになった。

2-3日もすればホームシックになり、帰りたいと言い出すだろうと母親は高をくくっていたらしいが、待てど暮らせど我が子は自分のもとに戻らず、とうとう夏休みの最終日まで離れ離れの生活をすることになったのである。

それに味をしめた自分は行動が大胆になり、次の冬休みは年末年始の帰省を待たず、電車に揺られて 3-4時間の距離にある祖父母の住む街に一人で行くようになった。

御用納めが終わって両親が来ると、祖父母と一緒になって
「いらっしゃい」
などと言って母親から鬼のような形相で睨まれたりしながらも、すでにすっかり打ち解けた叔父とか祖父の後ろに逃げて影からべ~っと舌など出していたりしていたものだ。

大晦日、正月と実家で暮らし、親の休みが終わりになっても自分は一緒に帰らず、家の前に祖父母と並び、
「またね~」
などと父親の運転する車に手を振って見送った。

そして冬休みの終わりになると電車に揺られて親のもとに帰る。

次の夏休み、また冬休み、そしてまた次の夏休みも同様に、初めから終わりまで祖父母宅で過ごすという生活は小学校を卒業するまで続けた。

最初こそ祖父母と過ごすことを快く思っていなかった母親も、休み中の面倒は見てもらえて食事の心配もしなくてよく、気兼ねなく勤めに出られることを喜んでいたのではないだろうか。

祖父母は孫と一緒に過ごせて嬉しく、自分は小うるさい母親から解放されて伸び伸びと遊んでいられるのだから、それですべてが丸く収まっていたのである。

昆虫大戦争

それは 8月 1日の散歩での出来事。

夏休みで小学生の姿はなく寂しい朝。

静かに時は流れ、遠くから聞こえる鳥の声。

そんな朝の静けさを壊す出来事が我が身に降りかかる。

田舎町では珍しくないことだが、一匹の虫が視界の中をうろついていた。

単に通りすがりの虫だろうと気にもとめていなかったのだが、妙にしつこくまとわりつき、一向にその場を去る気配がない。

何度も手で追い払っているのに逃げないどころか、その動きは少しずつ激しくなり、顔のすぐ近くを飛ぶようになって大きな羽音まで聞こえるようになった。

その黒くブンブンと大きな羽音をたてる虫の正体ハチだ。

それほど大きなハチではないものの、黒くてシャープな体つきは攻撃性の高さを暗示している。

やっといなくなったと思ったら今度は 『お買い物日記』 担当者の周りを飛び始めたので帽子を使って追い払ったが、逃げるどころかさらに接近して目の前を横切ったりとなかなかの根性だ。

しばらくして姿が見えなくなったので、その場を立ち去ろうと一歩、二歩進んだ所で再び目の前に現れた。

たかが一匹のハチくらいなら思い切って叩き落とそうかとも考えはしたが、もしそれが特攻隊長で、仲間を呼び寄せ大群に襲われたらたまったものではない。

ここは穏便に済まそうと、なるべく刺激しないようにゆっくりと手を動かして追い払うものの、そのしつこさは一筋縄ではいかず、『お買い物日記』 担当者と二人、道路にしゃがみ込んで身を低くしたり、その場でくるくる回ったりしていたので横を通る車に乗った人は何事かと思ったことだろう。

その恐怖の時間はとても長く、5分にも 10分にも感じてしまったが、もしかすると 2-3分のことだったかも知れない。

やっとの思いでハチの威嚇攻撃から逃れ、妙な倦怠感や疲労感を覚えながら帰路を進んだ。

帰宅して散歩着から部屋着に着替え、手洗い、うがいを済ませ、いつもと変わらず朝食の準備をしていると、『お買い物日記』 担当者が室内を飛ぶ黒い影を目撃した。

何とそれは今朝のハチではないか。

黒っぽいポロシャツ、黒いジャージ姿で散歩していたので気づかなかったが、どうやら体にとまったハチを家まで連れて帰ってきてしまったらしい。

それにしても襲撃された地点から家までは徒歩 10分くらいの距離があり、途中で立ち止まったり早歩きしたりしたのにハチはじっと張り付いていたのは驚きだ。

いったいどうしてハチに目をつけられ、何の理由で家までついてきたのか。

とりあえず、こちらとしては同居する気などさらさらないので、さっさと退室願いたいものではあるが、相手がハチゆえに説得する訳にもいかず、ここは強硬手段をもってしてでも追い出すしかなさそうである。

殺虫剤を使うことも考えたが、まだ朝食の準備中であり、食器や食材が出されている状態だったため、少なからず毒性を含むものを噴霧するのははばかられる。

こちらとしては出て行ってくれれば良いのであって、殺傷するまでの恨みもない。

それならば捕獲してやろうと帽子をつかってみたが、そんなに簡単に捕まえられるものでもなく、右へ左へと追いかけ回したが体力を消耗するばかりだ。

しばらくして窓際まで追い込み、レースのカーテンでハチをくるむことに成功した。

さて、ここからが問題で、カーテンをぐるぐると巻き、雑巾をしぼるようにして圧死させることも可能だが、先にも述べたように殺生する気はないのでティッシュに包んで外に逃がしてやりたい。

『お買い物日記』 担当者が用意したティッシュを右手に持ち、左手で少しずつレースのカーテンを広げたその瞬間、左手親指に鋭い痛みが走った。

身の危険を感じたハチが最終手段の攻撃に転じたのである。

血管注射をしたような感覚に加え、同時に毒を注入されたものだから単なる刺し傷とは比較にならないほどの痛みに襲われ、思わずカーテンから手を離してしまったが、それが結果オーライで窓ガラスとカーテンの間にハチを追いやることができた。

カーテンの上から窓を開け、しばらく様子を見ているとハチは外へと出て行き、長い長い戦いに終止符が打たれる結果となったのだ。

しかし、終戦処理はこれからで、刺された指を応急手当てしなければならない。

ネットでハチ刺されを検索してくれた『お買い物日記』 担当者が次々に情報をくれる。
「冷水で洗うといいらしいよ」
「・・・もう洗ったよ」
「刺されたところをつまんで毒を出すといいらしいよ」
「・・・もうやったし、口でも吸い出したよ」
目をパチクリさながら 『お買い物日記』 担当者は
「どうして知ってるの?」
と不思議がっていたが、それは昔取った杵柄であり、子どもの頃、だてに野原を駆けまわっていた訳でなく、それなりの対処法、サバイバル術は年上の友達や父親から伝授されている。

最近の子どもや、その親であれば泣きわめいたりオロオロするばかりで病院に駆け込むのがオチであろうが、野生児のように育ち、ハチに刺された経験が二度や三度のことではない自分にとっては慌てるような事態ではない。

応急処置は終えたものの、もし毒性が強く指が腫れ上がっては仕事に支障がでるので、何か効く薬はないものかと物色してみたが、我が家に常備しているものでは効果がないようだし、唯一効能を謳っていたものは大阪時代に購入したものでとっくに使用期限切れとなっていた。

『お買い物日記』 担当者は心配してくれていたが、たかがハチに刺されたくらい放っておいても治るのだろうと何もせずにいたところ、ズキンズキンと指先で鼓動を感じるような痛みは夜まで続いたのであった。

政治参加

政治家は第一に選挙に勝つことしか考えず、自身に一票を投じてくれる有権者のことしか見ておらず、その有権者に耳心地の良いことを並べ立てたものが当人の政策、公約へと昇華すると言っても過言ではないだろう。

つまり、自分に有利な人を相手に政治をしているのであって、役に立たない人の意見など聞く耳を持たないのは言うまでもない。

選挙で当選するため投票率の高い高齢者向けの演説をし、それがやがて政策となり、公約であるかのごとく周知されていく。

したがって国そのものが高齢者を優遇する政策になりがちで、年金、医療改革が進まず、いつまでも若者が老人を支える構図から抜け出すことができない。

これで若者の投票率が高ければ政治家の目が向けられ、意見を無視することができなくなって安心できる年金制度、負担の軽い医療費、医療保険制度が考慮される政策へと変わるだろう。

次に投票率の高い中年層は老人の次に大切であるし、口コミが広がりやすく感情的行動に走りやすい主婦層も無視できないことから、子育て支援、妊娠出産時における女性の持続可能な就業対策、中高年の雇用維持、再雇用支援を念頭に置いた景気対策に焦点が当たる。

新卒の就職率が低下し、職に就けない若者が増え、労働、賃金格差が広がる一方であっても投票率の低い層の声は政治家の耳に届かない。

それは、ある意味において当然であり、まともに投票に行かず政治参加もしない若年層には不平・不満を言う資格はない。

今回の参院選の正確な調査結果はまだ発表されていないが、昨年末の衆院選では 60歳以上が約 63-75%の投票率、40-50代は約 50-60%、30代は約 50%となっている。

そして 20代はというと約 38%であって、年代別で比較すると劇的に低い数値だ。

単なるパーセンテージではなく各年代を構成する人口比率を当てはめた投票数に換算すると、20代と 60歳以上では 3倍以上の差が出るのではないだろうか。

繰り返しになるが、それだけの票差があれば若者に対する政策など二の次、三の次になってしまうことも否めない。

就職格差、賃金格差、年金・医療保険制度、就職・再就職支援などの負担軽減、支援を得られたかったら政治に参加し、選挙に興味を持ち、投票に行くべきであり、それができないのなら世の中に文句を言うべきではないし、不平や不満を政治の責任と転嫁するのも止めるべきだ。

投票に行かない理由でよく聞くのが
「一票を投じたところで何も変わらない」
「選挙の争点に興味がない」
などという意見だが、実のところは何も考えていないものと思われ、聞かれたから慌てて理由付けしただけのことであろう。

実情は
「かったりーし、めんどーだし、そもそも興味ないし」
といったところで、先週の日曜日(21日)が投票日であったことすら知らず、自宅に届いているであろう選挙通知書にすら目を通していないどころか、瞬時にしてゴミ箱に直行したものも少なくないのではないだろうか。

先々週の雑感でなんとか投票率を上げる方法はないものかと考えてみたが、よく考えると自分もこれから高齢者となっていくことであるし、このまま若者が選挙に興味を持たず、政治家が我々世代の意見だけに耳を傾けてくれる方が得なのではないかという気がしてきた。

若者よ、投票になど行くことはない。

これら窮地に追い込まれようが、高負担で低福祉しか受けられなかろうが、どんな苦労をしてでも負担金を捻出し、我々のような高齢者を支えておくれ。

デジタル化の波 Signal-13

デジタル化の波 ~目次~

国民総背番号制、いわゆる共通番号(マイナンバー)法案を問題視する人は相変わらず多く、個人情報がだだ漏れだの何だのと騒いでいるが、そんな法案が通ろうが廃案になろうが大きな問題ではない。

現代社会においては、すでにプライバシーなどというものはなく、常に誰かに監視、管理されている現実をもっと知るべきで、そこから逃れられない以上はマイナンバーによって利便性が高まることを優先し、個人情報など諦めて受け入れるべきだと思う。

もちろんそれぞれの情報はセキュリティで守られているが、SONYやマイクロソフト、YAHOO!、Gooleなどの大手 IT企業や、アメリカ国防省などの機関ですらセキュリティを破られてサーバーへの侵入を許してしまうのだから、完全、完璧に安心できる情報管理など存在しない。

今、この瞬間も情報は流出しているが、多くの企業や組織はそれを認識していないだけのことだと思われる。

情報は流出してしまうものであるという前提に立つならば、すでに個人情報やプライバシーに意味はなく、すべてさらけ出してしまっていると思ったほうが良い。

例えば運転免許証やパスポート、社員証など顔写真付きの身分を証明できるものはすでにコンピュータで管理されているので、正確な住所や生年月日などの情報が得られる。

また、クレジットカードや銀行口座、キャッシュカード、普及が進んでいる電子マネーは偽名で取得するのは困難なので、そこにも正確な住所が登録されているのは間違いない。

それらの情報をハッキングできたら、どこの誰が何月何日に何を買ったか容易に検索可能になるばかりか、年単位で食材や食品の購入履歴を抽出すれば、食生活まで把握できることになる。

そこから健康状態や将来の発病リスクまで予想可能なので、予防のアドバイス、食生活改善の提案もできるし、発病のリスクによって保険の掛け金を変動させることだってできるだろう。

書籍や音楽、レジャー、娯楽用品の履歴から趣味嗜好を知られ、山のようなダイレクトメールが送られてきたり、ネットではそれ関連の広告ばかりが表示されるという事態になるかも知れない。

原則本名の Facebookは別として、ほとんどのサービスが匿名であることからブログや Twitter、2ちゃんねるに好き勝手なことを書き込んでいる人も多いだろうが、会社のパソコンを使うと上層部に筒抜けになっていることも多いので注意が必要だ。

現在、大企業の 70%以上、中小も含めた全体でも約 57%がパソコンの使用状況をモニタリング(監視)しており、その監視システムの性能は向上の一途をたどっているので誰が何をしたか、どんなサイトを閲覧したのかまで把握されてしまっている。

そのパソコンでは何月何日の何時何分に USBメモリーが接続され、どのファイルがコピーされたのか、いつどんなファイルが印刷されたのか、そのパソコンでどんな e-mailが送受信されたのか、ネットでどんなサイトをどれだけの時間閲覧していたのかなど、ありとあらゆる情報が監視され、数カ月、年単位で履歴が保存されていることも少なくない。

もちろん名目は企業の情報流出を避けるための監視だが、私用メール、ブログ、Twitterへの投稿などによるパソコンの私用の度が過ぎると人事評価に影響を及ぼしたりリストラの対象となる事例も出始めているのは確かだ。

個人宅のパソコンだって盤石ではなく、ネットの世界に入るためには必ずプロバイダが必要になり、そこにはネットの接続履歴が年単位というレベルで保存されている。

それを解析すれば年月日、時間、接続先、送受信したファイルから文字情報まで得ることができるので、匿名も何もあったものではない。

企業の監視データと社員名簿、プロバイダの接続履歴と契約者情報をハッキングし、上述したデータと合わせれば、さらに個人の情報はガラス張りのようになる。

そして、犯罪者の検挙にも大きな役割を果たしはじめた防犯カメラ。

都会であれば、家を一歩出た瞬間から目的地に到着するまでに最低でも数十、都心であれば数百から千の単位のカメラに撮影されることになるはずだ。

これからも増える一方で減ることはないであろう、この監視システムも犯罪抑止だけではなくプライバシーを十分に侵害してくれる可能性がある。

前述の運転免許証、パスポートなどは顔写真とともにデータ化されているので、現在では 90%以上の認識率になった顔認証システムと組み合わせれば、外出先での行動がすべて見られているのと同じだ。

マンションの出入り口、駐車場、地下歩道、店先、商店街、ATM、自動販売機、店内、駅構内などはおろか、最近では個人宅にも防犯カメラが設置されていることがあるので、どれにも映らずに行動することは不可能だろう。

氏名年齢、生年月日、現住所の基本情報のみならず、すべての行動、趣味嗜好、食生活まで知られ、e-mailやブログ、Twitterへの書き込みや携帯電話でのやり取りから思考パターンや思想まで解析され、誰が誰を好きで誰が嫌いか、殺意まで抱いている相手はいないのか、それを実行に移すほどの危険人物か。

そして、狙われているのは誰なのか・・・。

膨大な情報の処理能力がある巨大システムがリアルタイムに解析し、その人物を特定して犯罪、犯行を未然に防ぐ。

そんな内容の海外ドラマが 『PERSON of INTEREST 犯罪予知ユニット』 だ。

このドラマを SFだとみるか、明日にも実現可能な技術とみるか。

繰り返しになるが、各情報はセキュリティで守られているので簡単にはハッキングできず、今が情報流出、個人監視の危機にさらされている訳ではない。

ただし、ハッキングは簡単ではないものの、難しくないのが困りものだが・・・。

参院選 2013

7月 4日に公示され、21日に投開票となる参議院選挙だが、各党が何を主張しようと、ねじれ状況をめぐってどんなに舌戦を繰り広げようと自民党の大勝は揺るぎないのではないだろうか。

現在までのところ安倍政権は大きな失敗もなく、民主党政権の停滞、体たらくぶりから比較すると大きな躍進を遂げているかのような好印象を受けやすく、それによって高支持率を維持している状況にある。

閣僚の問題発言とか川口順子氏の解任騒ぎなど多少の波風はあったにせよ、そのたびに社会情勢の大きな変革とか大災害、大事故など世界的ニュースが世間を騒がせるタイミングと重なって、マスコミの総攻撃を回避できるという絶妙なバランスを保っており、その運の良い、ツキのあるリーダーはある意味において何ものにも代えがたい存在であることから今は必要とされている人物、政党だと思わざるを得ない。

順風満帆とまではいかずとも、今のところは逆風らしい逆風が吹いていないのに加え、野党が自滅的な行動や発言で自壊しつつある状況下においてはあまりにも選択肢がなさすぎる。

民主党は与党時代のマイナスイメージが強すぎるので政権を任せる器ではないことは嫌というほど思い知らされているし、日本維新の会は選挙戦目前に迫った段階で橋下共同代表の爆弾・問題発言で国論を二分するかの勢いで騒ぎが大きくなってしまい、多くの層から反発を招いているので国政を任せられるかには大きな疑問符がつく。

生活の党は所詮は小沢党でしかないし、社民党の福島みずほ氏はアドリブでも棒読みでしか話せないという特技の持ち主なので真意も熱意も伝わってこない。

その他の党もそれぞれの主張は分からなくもないが、キレイ事だけで世の中は変えられないし、経済も持ち直さなければ国の借金も返せないし、外交もできないので理想論ばかり聞かされても現実感に乏しく思える。

主義主張に多少は骨があり、現実路線も踏襲していると思えるのは渡辺喜美ちゃん率いるみんなの党くらいなものだが、仮に政権を任せたとしても官僚をコントロールすることができず、民主党政権と同じ道を歩んでしまうのではないかという不安がなくもない。

そうなると結局は自民党しかないという思いが国民の大半を占めるのなら、投票に行っても行かなくても結果は一緒という思いが広がって投票率が大幅に低下し、多くの支持母体を持つ自民党がますます有利になるという結果を招くものと思われる。

ネット選挙が解禁になったとは言え、ネットで投票できる訳ではないので投票率の向上には寄与しないだろう。

以前から何度も主張しているが、投票率を上げるためには投票に行ったことを証明する何かを発行するか、送られてくるハガキに切り取り線をつけて現場で捺印したのち切り離して持ち帰るようにし、その半券がなければ受けられないサービスを各業界が提供すれは良いと思う。

それは単純なことで飲食店では半券を見せたら 10%OFF、コンビニ、スーパーでの買い物は 5%OFF、その他ファッション業界でもなんでも参加して盛り上げたら良いのではないだろうか。

国民として、大人としての義務を果たさないのであれば、半券を持たない社員のボーナスも減額するとか、大学では単位を減らすとかペナルティ的な扱いにする方法だってある。

ここまで偉そうなことを書いている以上、もちろん来週の日曜日は投票場に行くが、今回は支持する候補者が決まっているので、それほど真剣に各党の主張に耳を傾けていないのが現実だ。

そして、これから一週間は選挙カーが通るたびにテレビやラジオの音が聞こえないと文句を言ったりもするだろう。

それでも一応は政治に関心を持ち、責任をもって投票するつもりだ。

進路

先週の雑感で隣のマユちゃんが美容師への道を断念したことを書いた。

また新たな道を模索しなければならないのは確かだが、彼女は英語力を生かしてバイト生活をしており、きっとその道で生計を立てていくことになろうことは容易に想像がつく。

つまり、路頭に迷うことなく新たな道を歩み始めることになった訳だが、それは実にすばらしいことであり、現代の若者にしてはとても頼もしいことだと思う。

かなり以前から大学にも関わらず親による授業参観日があるという驚くべき事実は知っていたが、今は入学前の学校説明会も親に向けて開催されるらしく、親が学校を吟味して子の進路を決定したりする時代らしい。

自分の意志というものがなく、将来は何になりたいのかという子供の頃に持っていた夢は二の次、三の次で偏差値と経済力、親の意向を最大限に尊重した大学に進み、専攻したい学問も明確ではないまま数年を過ごし、自身が何者であるのか自分が何をしたいのか不明確なまま単なる安定志向で就職先を選ぶという、誰のためなのか分からない人生を歩み始めることになる。

そして、信念とか目標がない虚無な人生を人事担当に見透かされるがゆえに就職先が決まらず、次から次へと面接を繰り返し、ついには一社からも内定すらもらえず人生初の挫折を嫌というほど味わうことになるのだろう。

子供の頃から、どんな小さなことでも遊びでも運動でも優劣が明確で勝ち負けを経験してきた者と、温室育ちで競争を避け、親に守られて育ってきた者では目の前の大きな壁への対処法、受ける挫折感への処置法において大きな違いが出るものと思われる。

温室育ちは初めて見る目の前の大きな壁と、底知れぬ深さの挫折感を乗り越えることができずに心折れてしまい、そのまま家に引きこもりニート生活へと移行していく確率が高かろうことも容易に想像できるというものだ。

育て方を間違った親、意思を持たぬ子、その双方の自己責任が相当なものであるはずなのに、就職弱者だの雇用システムの問題だのと社会問題が圧倒的に不利な条件を生み出していると逆切れとも言える責任転嫁で政治に不満を持ったりする。

そのくせ成人になっているにも関わらず選挙の投票には出向かず、政治そのものに無関心という誠に自己中心、利己主義的な奴らばかりで腹が立つ。

最初は親に勧められたのか、自分から始めたいと言い出したのか分からないが、マユちゃんが小さな頃から高校を卒業するまで英語や習字を続けてこられたのはそれが嫌いではなかったからだろう。

逆に好きでなければ中学や高校になってまで塾通いを続けるはずもなく、特に習字などは普通であれば通うのを止めて学習塾に切り替えるか、単に面倒とかウザい、かったるいなどという理由で行かなくなる若者は多いはずだ。

それを街を出ることになるまで続けたのも、大学進学ではなく美容の専門学校に進むことを決めたのも彼女の意思で、どの学校に通うのかも自身で決め、大きな障害でその道を断つことを決めたのも彼女自身である。

ふわふわとして信念を持たず、なかなか就職先が決まらないと周囲に不満を持つことしかできない大学生に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。

かく言う自分も、実は超利己主義で、信念などとは別の次元でワガママに生きてきたので将来を持たない若者に対して余計に苛立ってしまう。

子供の頃から絵を描くのが好きで、ヒマな授業中はノートに、回答する気のないテストでは用紙の裏に絵を描いて叱られていた。

絵の勉強ができる学校に進み、デザイン事務所にでも就職できればラッキーなどと思っていたが、学生の頃にバイトで始めたレンタルビデオ店での仕事が楽しく、ただで映画やミュージックビデオが見られるのも嬉しかったので、そのまま就職することすら考えた。

親の影響で料理にも興味があったので、レストランの厨房でのアルバイトもやり、料理作りが楽しくなってそのまま料理人を目指そうかと思ったこともある。

しかし、結局は絵とかデザインへの興味は薄れることなく、一日に必ず一枚は絵を描いて寝るという習慣は何年も続けた。

そんなことをしている間に世の中にパソコンや家庭用ゲーム機が浸透し始め、ゲーム三昧の日々を過ごしている中、こんなに楽しいゲームと大好きな絵を活かせる職業はコンピュータグラフィックス制作しかないという思いに至り、社員募集などしていないのに勝手に履歴書を送って面接に漕ぎ着け、どうしても働きたいのだと切々と訴えかけてバイトからという条件付きながら無理矢理に働かせてもらったのがコンピューター業界への入り口だ。

つまり、自分の好きなこと、興味のあることしかしておらず、嫌々ながら仕事をしたことがなく、嫌いなことになど最初から手を出さないという実に身勝手な生き方をしている。

もちろん、絵やデザインだけすれば良いというものではなく、事務処理や外部との交渉、他部署との調整役や、やりたくもない管理職の仕事もやってはきたが、好きな業界の中で働いているので多少のストレスはあったものの大きな苦痛は感じずにすんだ。

そして、色々あった挙句、今は再び Web制作というデザイン系の仕事で、コンピュータを使いながら好きな絵を描いたりもできている。

もちろん運が味方してくれた面もあるし、家族に迷惑をかけた面もなくはないが、身勝手なくらい自分で決め、自分の好きな道を歩んできたという自負があるので、ちょっとしたことで路頭に迷ったふりをして困ったふりをしてるヤツが好きになれない。

その点、隣のマユちゃんはまだ高校を卒業したばかりの女の子だというのに、そこらのボンクラなんかよりしっかりとした足取りで、一歩一歩進んでいる姿が眩しいくらいに美しく見える。

マユちゃんの挫折

今年の春、翼を大きく広げて旅立ったマユちゃんの前に大きな試練が立ちはだかった。

美容師になると決め、この春から札幌の専門学校に通っていたマユちゃんは、その実習中に腰の痛みを覚えたらしいのだが我慢して立ち続けていたらしい。

痛みは悪化する一方であり、ついにこらえ切れず病院を訪れたところ疲労骨折していたとのことで、美容師さんの前かがみの姿勢が問題視されてしまったとのことだ。

完治させるためには安静が必要で、負担のかかる姿勢を保たなければならない授業を数カ月間は休まなければならないし、これから先も美容師は無理かもしれないという医師からの宣告を受けてしまった。

労せず入れるはずだった大学への進学をも断ち、祖母の代から続く美容師への道を進むという決断をし、大きな夢や希望をもって歩み始めた矢先の出来事である。

あんなに可愛らしく良くできた娘さんに神は何という試練を与えるのだろう。

母親である隣の妹ちゃんと話し合いをした結果、美容師への道をあきらめ専門学校もやめることにしたのだが、挫折感を味わい、心を痛め、一番つらい思いをしているのは当人であるはずなのに、新生活の準備や学費で大きな出費をさせてしまったのに申し訳ないと親を気遣う優しいマユちゃんだ。

実はゴールデンウイークに帰省し、ニコニコ挨拶してくれていたときも、腰の痛みに耐えて授業を受けていたのかと思うと可哀想で仕方がないが、妹ちゃんも話しを聞いてそれは職業病というか、立ち仕事とはそういうものだと激励していたようなので、よもやこんな事態になろうとは夢にも思っていなかっただろう。

とても切なく、残念なことではあるが、冷静にマユちゃんの将来を考えると、これは運命的に救われた一面もあるのではないかと思われる。

となりの店は絶えずお客さんが来ている繁盛店ではあるものの、将来に一抹の不安を覚えないでもない。

第一には客層が高齢化の一途をたどっている。

北海道に帰ってきてここに住み始めて 6年、来店客の減少は目立つほどではないものの、妹ちゃんと同世代、それより下の客層は伸びず、若い世代のお客さんは皆無に近いものと思われる。

したがって、何年後かにマユちゃんが店に立ったとしても自分と同世代、それ以下の年齢層のお客さんは新規に開拓しなければならないだろう。

これから田舎の町も都会並み、大阪並に美容室が乱立するものと思われ、全国区の低価格チェーン店も続々と進出してきている時代にあっては、技術とかサービス、接客術だけで競争に勝つことは難しいに違いない。

ましてや少子高齢化で若い世代の人口も減る一方であるし、髪型などを気にして自身でお金を使える一番の客候補である 20代はデフレの申し子であり、失われた 20年を生きてきた節約・倹約世代ときては益々低価格化が進んで利益が圧迫されると予想される。

そんな厳しい世界に身を置くより、挫折したのがやり直しのきく若い時で良かったのかも知れず、まだまだ別の可能性を模索できることは幸いだとポジティブに捉えるべきだろう。

現在、マユちゃんは子供の頃から続けてきた英会話の特技を生かし、アルバイトで生計を立てているらしい。

本格的な英語教育が戦後 68年目にしてやっと日本に導入されようとしている今、英語ができる人材は引く手あまただろうし、事実、1-2時間で万の単位の金額になる仕事も多いのだという。

持ち前の明るさとキラキラした笑顔と、しっかりした信念に語学力があれば無敵に違いなく、これからのマユちゃんは前途洋洋であるに違いない。

同じく子供の頃から続け、人に教えられるほどの腕前である習字を外国人相手に教えるという一風変わったビジネスを始めるという手もあるだろう。

大きなビジネスにはならないだろうが、海外は日本、漢字ブームであり、訳の分からない筆文字がプリントされたTシャツも売れているので、一定の需要はあるのではないだろうか。

そんなことは頭の硬くなったオッサンが心配したり考えたりすることではなく、未来はマユちゃんが自らの足で進み、自らの手で切り開いて行くのだろうが。

残念ながら決めた進路を断たれてしまったマユちゃんではあるが、彼女の持っているポテンシャルは人並み以上であるし、彼女の持つ可能性は無限大である。

焦らずゆっくり考えて、また新たな道を歩み始めてほしいと心から願っている。

記憶 Memory-15

過去の記憶

度忘れは胴忘れとも書くが、その【 ど 】の意味は、単にど真ん中、ど根性などと同様に意味を強めるための【 ど 】であって、医学的意味も言語的意味ももたないらしい。

度忘れとは、よく知っているはずの事をふと忘れてしまい、どうしても思いだせないことだが、そんなことは今の自分にとって日常茶飯事であって決して珍しいことでもなく、加齢とともに悪化の一途をたどるのを覚悟しなければならないだろう。

以前から 『独り言』 やこの雑感に何度も書いているように、『お買い物日記』 担当者との日常会話もそれはそれはひどいものであり、まるで数学の虫食い算のように穴だらけの中、前後の文脈から何とか穴を埋めつつ予測変換などしながら答えを導き出して会話が成立する。

ある意味、それだけ頭の体操になったりしているのかもしれないが、答えが出ない時は会話そのものが成り立たないので大変だ。

会話に出てくる副題だったり関連する単語だったりするのなら大きな問題はないが、それが主題だったりするので入り口にたったままドアを開けられず、一歩も先に進めないという恐ろしいことになってしまう。

たとえば芸能人の話しをしようとした場合、その人物の名前を思い出すところから始まり、
「あれ誰だっけ?」
というのが会話のスタートとなる。

「ほら、昔何とかいうドラマに出てた目の大きな女優」
・・・こうなると、もう手がかりは目しかない。

そして、目の大きな芸能人は山ほどいるので手がかりとして何の役にもたたない情報であり、結果、名前を特定できず会話をスタートさせることすらできないのだが、それでも諦めきれずに
「いや、最近は見かけないと思ってさ」
などと言ってはみるものの、年間何百という芸能人が排出され、残るのは一握りの数人である現状を鑑みると対象の候補者は数千から数万の単位となり、特定するのは困難を極めるどころか限りなく不可能に近い状況になってしまう。

それでも、長いこと一緒に暮らしていると不思議に意思の疎通が図れるものであり、互いの穴を埋めあってなんとか会話が成立してしまうのは良いことだとは思うが、それに甘んじていると他の人との会話がまともにできなくなってしまうのではないかという不安がなくもない。

度忘れとは別に、どうしても覚えるのが苦手な人名というものがあるらしい。

自分の場合、大阪に暮らしていた時のご近所さんの名前をどうしても覚えられず、何度も 『お買い物日記』 担当者に聞いて呆れられいたが、それは今でも同じで当時の話しをしていて、その苗字を言おうとするとどうしても思い出せないことが多い。

確かにあまりない名字で耳馴染みがないこともあるが、逆に珍しい苗字であればインパクトが強くて覚えられそうなものなのに、どうしても記憶できないのが不思議だ。

芸能人にも記憶できない人がいるのだが、それは女優の米倉涼子だ。

今、この米倉涼子のことを書こうとしていたのに名前を思い出すのに必死だったくらいで、何度聞いても、何度覚えようとしても、どうしても記憶することができない。

いや、前述のご近所さんだった方の苗字にしても、最終的には思い出すので記憶はしているのだろうが、どうしてもその引き出しが錆び付いていてスムーズに開かないのである。

米倉涼子を思い出そうとすると、涼子はすぐ出てくるのに苗字は出てこず、広末涼子を思い出してしまって頭の中が広末でいっぱいになり、余計に米倉の入り込む余地がなくなるのだろう。

サラリーマン時代、年間の出勤日が 200日として 5年で 1,000日、それを考えると何千という単位で繰り返していたことが思い出せず、とてつもない恐怖に襲われることがあった。

数年に一度のことではあったが、ネクタイの結びかたが分からなくなるのである。

出勤前の着替えでワイシャツを着てスーツのパンツを履き、首の後ろにネクタイを回した所でピタリと動作が止まり、それから先、何をしたら良いのか右手を動かすべきか左手を動かすべきか、どちらの手にあるネクタイを上にすべきか何も思い出せない。

そんな自分が怖くなりつつも必死に結ぼうとするのだが、焦れば焦るほど頭のなかは真っ白になり、このまますべての記憶を失ってしまうのではないかという底知れぬ恐怖感に包まれる。

正確に計測したことなどないが、その度忘れしている時間を長く感じていてもきっと数分間、いや、もしかすると数十秒のことかもしれず、結局は思い出して遅れずに家をでることができるのだが、あのなんとも言えない感覚は二度と味わいたくない。

今はネクタイをすることなど稀になってしまったので、度忘れではなく本当に結び方を忘れてしまう危険性が高くなってはいるのだが。

真性雑感 第五版

真性雑感 ~目次~

■ プロ野球ペナントレース

セ・リーグで応援している阪神タイガースはジャイアンツと首位争いをしているので実に楽しく、以前の雑感に書いた巨人はスタートダッシュの効果は持続しているものの、じわじわと追い上げられ、日替わりで阪神と首位争いをするなど夢にも思わなかったことだろう。

3位以下を 8.5ゲーム差で引き離している(06/15現在)2強状態なので他球団のファンは面白くないだろうが、関西はきっと盛り上がっているものと予想され、シーズン開幕前の 3/27時点で優勝マジック 144を点灯させた尼崎中央商店街は大盛り上がりになっていることだろう。

北海道に帰ってきてからというもの、すっかり阪神タイガースの情報量が減ってしまい、久しぶりに試合を見ると顔を見ただけでは誰なのか分からない選手も多くなってきた。

逆に情報量が半端ではなく、これでもかというくらい溢れているため、とっても詳しくなってパ・リーグで応援する球団となった日本ハムはダントツの最下位だ。

上にはオリックスの姿が見えるものの、ゲーム差は 3と大きく、神風でも吹かない限りクライマックス・シリーズに進むことすら危ぶまれる。

あるテレビ番組で、応援している球団が弱い年でもプロ野球を楽しむ方法を阪神ファンに教わるという企画をやっていた。

すっかり常勝集団となった阪神タイガースのファンにそんなことを聞くのも失礼というものだが、以前まではファンですら自嘲気味にダメ虎だの何だのと言いつつも、どんなに負けが込もうが連敗しようが熱狂的に応援し続けていた、そんな姿勢に学ぼうと企画されたものだと思われる。

たぶん、それほど危機感が強いのだろう。

4/20の雑感に書いたように、道産子は選手を野次ったり怒鳴ったりすることは稀だが飽きやすいという欠点があり、ペナントレースや試合、球団への興味が薄れてくると何も言わずに去っていく危険性が高い。

そんな北海道民を日本ハムファイターズのファンに留めておくためにも必要な企画で、日ハム離れ、プロ野球離れが進むとテレビ局も高視聴率番組を失いかねず、ひいてはテレビ広告費の減少につながってしまうのでつなぎ止めに必死なのだろう。

交流戦の場合、阪神 vs. 日ハムというカードが実現してしまい、そんな時はどちらを応援したら良いものか困ってしまうが、セ、パ両リーグに好きな球団があるというのはなかなか良いもので、どちらかが低迷していても一方の調子が良ければシーズンを楽しむことができる。

今季は日本シリーズで阪神 vs. 日ハムは実現しないだろうが、いつかその日が来るのを楽しみにプロ野球を楽しもうと思う。

■ アベノリスク

その経済効果がすっかり薄れてアベノミクスはアベノリスクになりつつある的な論調が増え、株価下落と円高基調を憂うマスコミばかりだが、株価の下落は日本株が安いうちに買い越していた海外の投資家が高値で売り抜けたのが要因だと思うし、外国人投資家が日本株を売って資金を比較的安全な資産である円買いに回すのだから円安も当然だろう。

安倍政権が発足してまだ半年である。

もう半年と言えなくもないが、この半年間で示したリーダーシップ、行動力は民主党など足元にも及ばないほど力強く迅速であり、過去の自民党政権にも類を見ない。

他国のリーダーがやっているような、経済界の要人を引き連れての外交、製品や技術を紹介し、それらを売り込むトップセールスなど今まで見たことがなく、とても歯がゆい思いをしていたのだが、安倍首相は精力的に訪問団を構成して外交に努めている。

本当にできるのかは別問題として、聖域なき構造改革、規制改革も次々に実行しようとしており、この規制緩和ではなく規制改革という呼称には今までにない意気込み、信念が感じられ、できるところまでやってみなはれというサントリー的精神で見守りたくなろうというものだ。

それらの内容が盛り込まれた政策、いわゆるアベノミクスは株主のご機嫌取りでやっている訳ではない。

即効性があれば文句はないのだろうが、そんなに良く効くカンフル剤、劇薬など存在するはずもなく、基礎体力を回復させた上で手術するなり治療するのが王道であり、それ以外の近道など存在しないのではないだろうか。

したがって、本当にアベノミクスの効果が出始めるのに最低でも数カ月単位、年単位の時間がかかるだろう。

前回の衆議院選挙で自民党を選んだのが正しかったのかは、数年後にならなければ答えが出ないだろうし、短期に利益を得ようとする投資家と呼べないようなトレーダーの行動で上下する株価や為替が、アベノミクスの成否を決定づけるものでは決してないのだけは確かだと思う。