大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

肝っ玉

小心者なのか剛の者 (ごうのもの) なのか、自分のことがよく分からない。

何かを始める前、例えば旅行にしても事前の準備では様々なことが心配になり、すべて怠りなく整っていないと不安になるし、予定の時間などは分単位で気になってしまう。

ところが前日や当日になるとすっかり開き直ってしまい、持ち物などは多少の忘れ物があろうと金さえ忘れなければ必要なときに買えば良いし、金で買うことができない時間にしても何とかなるだろうと予定時刻もさほど気にならなくなる。

仕事も同様で、例えば Webサイトの公開前には不具合がないか、正常に動作するか、設定のし忘れはないかなど様々なことが心配になり、最悪な事態を想定して対処法を準備したりする。

しかし、いざ公開となると例え何か問題が発生したとしてもどうにかなるだろう、何かあっても対処可能で大きなトラブルもなく解決できるだろうと開き直ってしまう。

人からは逆境に強いとか肝っ玉が座っているなどと評されることもあるが、それよりも悩みぬいた挙句に考えたり心配するのが面倒になり、思考停止に近い状態か、完全に開き直って尻を捲ってしまうような、あまり褒められたものではない心理になっているような気がしないでもない。

心配症なのは母親譲りで、実際に事が起こっている訳でもないのにアレコレ心配したり、小さなことが気になったり、些細な事で思い悩んだり心を痛めたりしてしまう。

開き直ったり尻を捲ったりするのは父親譲りだと思われ、良く言えば何事にも動じず、波風が強い中でも飄々と漂うように涼しい顔をして進んでいくように見えるが、実のところ何も考えていないだけだったりすることも少なくない。

かなり以前の雑感にも書いたことがあるが、自分は二重人格、多重人格ではないかと思うことすらあり、なぜあれほど細かいことを気にしていたのか後になって分からないこともあれば、逆になぜそこまで大胆に振る舞えるのか、後になって冷や汗を流すこともある。

きっと人間としての器が小さく、おちょこみたいな小さな中で表面張力も手伝ったギリギリのところまで考えたり悩んだりしても、すぐに溢れだすのと同時に脳もデロリンと溶け出してしまい、思考能力の低下に至るのではないだろうか。

お買い物日記』 担当者が大きな病気をした時も、最初は大きなショックを受けるとともに先行きが不安になったり将来を絶望したりしたが、数日悩んだ挙句、何の根拠もないまま無事に回復し、平穏無事な生活が戻ると確信するに至り、極めて冷静に、そして少し楽しみながら闘病生活を共に送ることができた。

最近、義兄が大腸カメラの検査でポリープが見つかって切除し、今は結果待ちとなっているが、最初に知らされたときはポリープが悪性だったらどうしようとか心配したが、今はきっと何の問題もないだろうと楽観的になっている。

数年前、胃カメラでポリープが見つかって病理検査に回しますと言われたが、それは今回の義兄と同様に悪性か否かを検査する内容だったにも関わらず、自分の場合はそれほど事態を深刻に受け止めるような脳の働きをせず、ぼんやりと話しを聞き、一切の心配をすることなく日々の暮らしを送っていた。

数カ月後の定期通院で内科の医者に
「良かったですね~、検査結果は問題ありませんでしたよ」
と言われ、やっと心配に値する事態だったのだと気づく有り様だ。

つまり、小心者であるかどうかという前に、単に頭が悪いか勘が鈍いのではないかという疑念が生じ、逆境に強い訳でも肝っ玉が座っている訳でもなく、人からは 『おめでたいヤツ』 と冷ややかな目で見られている可能性も決して低くはないような気がしはじめた今日このごろなのである。

外食

昨夜は徒歩数分の距離にある回転寿司に行ってきた。

大阪で暮らした 14年弱の間、外食したのは数えるほどしかない。

仕事関係であれば何度となく外食しているが、『お買い物日記』 担当者と二人で出かけることは極めて少なく、最初は店で食べていたハンバーガーやお好み焼きもテイクアウトするようになったので、年に 1度あるかないかのことだった。

それに比べれば北海道に帰ってきてからは外食の頻度が飛躍的に高まったような気がしていたが、それでも年に数えるほどしかないということに気付かされたのは、昨夜の店で発行してもらったポイントカードによってである。

500円で 1ポイントとなり、それが貯まるとポイント数によって様々なサービスを受けられるが、それは期限付きであるため前回発行してもらったものを提示すると無効だと言われてしまった。

それで今回も新しくカードを発行されたのだが、今のペースで来店した場合、期間内には最低限のサービスしか受けられないものと思われる。

長兄夫妻が来てくれたときは外食するが、二人だけで外食することは今も決して多くはなく、年に一度の焼き肉屋、年に一度のハンバーグ屋、年に 4-5回の回転寿司くらいなものだ。

ちょっと気に入って何度か行ったカレー専門店も物価高による原価削減を敢行したのか、量的に質的にもレベルダウンしたように感じ、さっぱり足が向かなくなってしまった。

ただし、それは晩御飯に限ったことで、昼食は外食やテイクアウトで済ますことは少なくない。

以前は晩ご飯として食べていた大好物のモスバーガーも最近は昼食に充てることが多く、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドなどのファストフードもほとんどが昼に食べるようになった。

若いころとは異なり、高カロリー高たんぱく質食品を夜に摂取しようものなら胃もたれ胸焼けを引き起こす危険性が高く、ただでさえ代謝の衰えが著しいお年ごろにあっては体内に脂肪として蓄積される一方であることは明白であるため遅い時間に食べるのを避けるようになったのである。

たまに無性に食べたくなり、年に一度だけのり弁を買って食べるのも昼、最近になって見つけたカツ丼がとても美味しい店も行くのは昼だ。

そして、これからの寒い時期は亡くなった次兄の大好物だったラーメンの季節で、我が家も月に一度は通おうと思っているが、それも昼食であって夜に行くことはない。

今頃になってロースカツサンドの美味しさを覚え、中毒的に食をそそられるようになった 『お買い物日記』 担当者だが、あまり食べ過ぎるのは良くないと月イチ程度にしようと思っているのも昼食の話しだ。

つまり、今でも夜は外食やテイクアウトとか惣菜などの中食で済ませることは多くなく、内食するのがもっぱらなのである。

以前の雑感にも書いたことだが、外食していても食べ終わるとすぐに帰りたくなるし、しまいには食べている途中から尻がムズムズしてしまい、早く食べて早く帰ろうという気になってしまう。

周りを気にせず食事を楽しめば良いと分かっていても、家族連れを見れば子どもが店内を走り回ったりするのが気になるし、幼児がテーブルの上の何かをこぼさないかも気になるし、他のテーブルの料理が出てくるのが遅ければそれも気になり、店の人が忙しそうにしていれば注文するのすら申し訳ないような気になってしまい、どうにもこうにも落ち着かない。

結果、どんなに美味しいものを食べても精神的な疲労が激しく、やっぱり家で食べるのが一番と思ってしまう。

そんなこんなで、今後も夜の外食が増えることはないものと思われる。

スマホ買い替え考察

この年末、スマホ購入から 2年が経過する。

自分は iPhone、『お買い物日記』 担当者は Android端末だ。

最近は iPhone 5sとか 5cの話題が多く、正直なところ 4sユーザーの自分としては食指が動かないこともないのだが、動作が少し遅いものの最新の iOSは動くし、バッテリーの持ちもさほど低下していないことから積極的に買い換える大きな理由はない。

3シリーズのように最新の iOSが使えないのであれば買い替えも検討するが、どうせ来年の夏になれば 6が登場するものと予想されるし、一段の低価格化が進むのではないかとの期待感もあるので今は買い時ではないと判断している。

『お買い物日記』 担当者のスマホは購入当時に製品知識が不足していたこともあり、何をどう間違えたのか世の中で最低スペックの製品を選んでしまったので、とても動作が遅いのに加えてメモリー容量が極端に乏しく、何かひとつ処理させるにもウンウンと唸り声をあげながら必死に動いてる感がありありであって、見ていて痛々しさすら感じてしまうほどだ。

さらに記憶容量も極めて小さく本体のメモリーはすでにパンパン状態で、もう何のアプリもインストールできないどころか、すでに入れているアプリのアップデートもままならず、あのアプリを最新にしようと思ったら、そっちのアプリを一旦は削除して・・・などと必死にやりくりしなければならない。

楽しく遊んでいるゲームも動作が怪しくなって先に進むことすらできない状態になることが多く、何度も最初からやり直す羽目となっては先に進んでまた使用不能状態に陥るということを繰り返し、とうとう試合放棄を余儀なくされてしまったゲームもある。

そんなこんなで購入から 2年が経過する来月末か 12月には、Android端末だけは機種変更しようと目論んでおり、今は各メーカーの製品を比較検討している段階だ。

技術の進化は日進月歩どころか分進秒歩と言われており、人間の進歩より遥かに早いことから 1年が人の 7年に相当するほど成長の早い犬になぞらえ、技術革新など変化の激しさをドッグイヤーと言うが、あれから 2年が経過したということは単純計算で 14年分ほどの技術革新がなされたということになる。

そして今が 8歳の黒柴リュウくんは人間の年齢に換算すると 56歳ということになり、自分より歳上なのでリュウくんではなくリュウ先輩だったりするのだと唐突に思ったりしているところであるが、話を元に戻せばスマホもかなり進化しているであろうから、今度こそ慎重に吟味して良い製品を手に入れたい。

しかしスマホは戦略商品であり、各社は技術の粋を集めて製品化しているので大きな機能の差や特徴は少なく、どこも似たり寄ったりの仕様と価格になっているのが悩ましいところだ。

1万~2万円の差があるとはいえ、いきなり韓国製を購入するのもためらわれ、ならば国産と思っても世界では負け組の日本勢にあって何とか見劣りしないものを作っているのはソニーとシャープくらいなものである。

ところが我が家、以前からソニー製品とは相性が悪く、購入したものは保証期間が過ぎるのと同時に狙っているのではないかと疑いたくなるほど見事に故障するということが続いており、先に触れた『お買い物日記』 担当者の今のスマホもソニー製であって満足度が低いのも相変わらずだ。

そして、液晶テレビとブルーレイレコーダーでシャープ製品を使用しているが、ソフトウェアの作りこみが粗いというか雑なものだから使用感が良くない。

特にスマホは機械と人との間をとりもつソフトの出来がとても重要であって、OSは世界共通の Androidであってもそこにシャープのインターフェースが乗るのかと思うと若干の不安を感じる。

単純にスペックで比較するとカメラは圧倒的にソニー製が優れており、ブログなどに写真を掲載することの多い 『お買い物日記』 担当者にとっては評価が高くなる部分だ。

しかし、シャープの製品は世界に誇る IGZOディスプレイを搭載しており、バッテリーの持ち時間が圧倒的に長いという強みを持つ。

数カ月に一度の割で検診のため札幌に行く 『お買い物日記』 担当者にとっては長時間使用も魅力の一つとなる。

あれこれ考えていて結論には至っていないが、次なる選択肢は価格だ。

最新機種の場合、どのメーカーのものを選んでも 5万円以上になり、優遇されるのは機種変更ではなく他社からの乗り換えユーザーばかりで、せっかく長く使っているユーザーが得られるメリットは少ない。

それならば我が家も auからドコモやソフトバンクへ乗り換えてやろうかと思わないでもなく、実際に他社からの乗り換えなら本体価格実質 0円などという広告が目立つ。

5万も 6万もする端末が 0円なのであれば決して悪い話しではないが、問題になってくるのはメールアドレスだ。

MNP(携帯電話番号ポータビリティー)によって今は電話番号が変わることはないが、メールアドレスだけは他社に引き継ぐことができない。

自分の場合は宣伝メールしか来ないので大きな問題はないが、『お買い物日記』 担当者には少なからず友人などからメールが届くので、アドレスの変更を周知徹底するのは手間暇かかる。

若い世代であれば携帯キャリアから割り当てられた電話番号もメールアドレスも利用せず、LINEなどのアプリを徹底活用するであろうから、どの会社に乗り換えても大きな問題はないだろう。

そう、前述した長期利用者へのメリットが少ない点と、無料通話アプリの浸透によって電話番号もメールアドレスも必要なくなったことから、今の若い子たちは他社へ他社へと渡り歩き、実質 0円で最新の端末を手に入れてスマホライフを満喫しているのではないだろうか。

しかし、自分は利用していても周りに LINEユーザーの少ない我々の世代は簡単にキャリア変更ができない。

おまけに実質 0円とはいえ、パケットサービスは最高額のつなぎ放題プランで 2年間などいう縛りがあるに決まっているので、1年もすれば 6万円以上の料金を徴収されることになるであろうから我が家のように特殊な使い方をしている場合は決して得にはならないだろう。

ここはやはり auで機種変更することになるだろうから、年末までの約 2カ月間、みっちりスマホ最新機種の勉強をしようと思っているところである。

法事でプチ旅行

今日は法事があったので電車に揺られて一時間程度の町に行ってきた。

JRの駅に着くと駅員さんに乗り換えの接続やら出発時間やら色々と聞くことが多く、時間がかかっている年配の男性がみどりの窓口に。

後ろに人が並んでいるのに気づき、切符の購入は今日ではなく、話を聞きたいだけだからという理由から、窓口を離れて客がいなくなるまで待合室のベンチで待っていた。

気遣いがなく、無遠慮な人であれば、どんなに人が並ぼうと自分の知りたいことを最後まで聞き続けただろう。

人がいなくなり、再び駅員さんと話し始めた男性だったが、また後ろに人が並ぶと窓口を離れる。

実に良い人だと心から感心してしまった。

休日ともあって電車の乗車率は 100%を超えており、探しても空席は見つからなかったが、おっさん一人が荷物を載せて二席を占領している。

通路に立っている人もいるのに、なんと傲慢な奴かと思っていると、車掌さんがやって来て注意され、すごすごと荷物を網棚に上げていた。

その後も荷物は座席に置かぬようと車内アナウンスが流れ、肩身の狭い思いをしたことだろうから、最初から周りに気を遣えば良かったのである。

みどりの窓口で見た男性とは大違いであり、見知らぬ者同士ではあるものの、その男性の爪の垢を煎じて 37杯くらい飲むことを強くお勧めしたい。

座れないのでデッキに立っていると、そこも人であふれ、狭い空間の温度は上昇していく。

そんな中、やけに鼻をグシュグシュさせ、ときおりブーンと鼻をかむ男性がいた。

自分も鼻炎でよく鼻がグシュグシュ状態になるので偉そうなことは言えないが、この狭い空間を風邪ひきさんと共有するのは勘弁願いたい。

帰路であれば帰宅してすぐ手洗いとうがいをすることができるが、法事の寺でうがいするのも、JRの駅のトイレでうがいするのもためらわれる。

ここで風邪などうつされてたまるものかと、なるべくその場の空気吸うのは最小限に控えようと、できるだけ小さく呼吸をして時間を過ごした。

法事のお寺さんは凄くしゃべりの達者な人で、まるで落語家さんのような話に引き込まれる。

坊さんの話しなど退屈なものが多いが、説教ではなく世間話のような実に巧みな話術だったので最後まで興味深く聞くことができた。

その後は会食。

コースで次々に出される料理に満腹感を覚え、昼間から酒を飲んだことも手伝って睡魔に襲われながら会場を後にした。

帰りの電車も混んでいたが、ラッキーな事に 『お買い物日記』 担当者と並んで座ることができ、ゆっくりと目を閉じた瞬間から記憶がなくなって気づいたのは下車する駅の直前だった。

土曜日は何があろうとパスタの日と決めているが、今日は帰宅時間が遅くなったことと、食事の会場で折り詰めを頂いたので、それを晩ご飯に充てて後はのんびりとした夜を過ごしている。

犬のいる風景 2013秋

散歩の途中、様々な犬の姿を見ることができる。

以前まで何度か独り言に書いていた美形な犬に関し、最近は記事にすることが少なくなったが、実はすっかり年老いてしまって美貌も失われてしまっている。

耳が遠くなったのか、足音ではこちらに気づかなくなってしまったし、たまに顔を上げても視線が定まらないようなので視力も落ちているのかもしれない。

毛もバサバサになってしまったし、あのクリっとした目もたれて少し小さくなったような気がする。

最近は寝てばかりいるので特筆すべきことがなく、独り言への登場回数も激減したという訳だ。

遠くに引っ越してしまった隣のワンプには、いつか会いに行こうと思っているものの、なかなかタイミングが合わず行動に移せていない。

飼い主さんの話しだとワンプはすっかりボケてしまっており、綺麗にしてもらおうと美容室に行ってもトリマーさんに噛み付いたりするため、何もできないまま帰されたりしているのだそうだ。

かなり高齢なので何かある前に会っておきたいのだが、我が家のこともすっかり忘れていたら悲しいので少し会うのが怖いような気がしないでもない。

遊歩道に沿って流れる川向うに住む犬は、最近になってやっとこちらの顔なのか匂いなのかを覚えてくれたようだ。

以前までだと手をパンパンと叩いて呼ばなければ気づいてくれなかったが、今では近くまで行くと寝ていてもひょっこり顔を上げてこちらを見てくれるようになった。

最近は雑種と言わずにミックスと呼ぶらしいが、川向うの犬も毛の長い大型犬であんな犬種は見たことがないのでミックスだと思われる。

何だかモサッとした犬なのだが何とも言えない愛嬌がある犬だ。

その遊歩道の終わり近くを毎朝散歩しているご老人とシーズがおり、犬はジルという名前なので、我が家ではそのコンビのことをジイちゃんジルちゃんと呼んでいる。

ジルちゃんは登校中の小学生たちには愛想が良いのに我が家には敵意をむき出しにし、ガルルと唸りながら突進してくるのが困りものだ。

犬好きな我が家としては少し寂しい気分になってしまうが、気に入られないものは仕方がないので妙に擦り寄ったりせず一定以上の距離を保って見守ったりしている。

美形な犬が住む家の隣には、とってもファンキーな犬小屋に住むゴールデンレトリバーがいる。

小屋の壁は黄色と緑が入り混じったマーブル模様というか迷彩柄というか、単にペンキがはげて以前の色が見えているだけなのか分からないアバンギャルドで個性的な雰囲気が漂う。

犬がそれをどう思っているのか不明だが、小屋に入っている姿を見たことがないのは事実だ。

一般的には動物を飼うのを禁止されているアパートで堂々と飼われている柴犬がいる。

以前は散歩中のことが多く、滅多に姿を見ることができなかったのだが、最近は散歩時間が変わったのか我が家の行動が遅くなったのか、アパートの一室の外に置かれた犬小屋の前で寝ていることが多い。

最初の頃はいつも吠えられていたが、見慣れたのか最近はあまり吠えなくなった。

それでも立ち止まって見たりしていると、それが気に入らないのか口を閉じたまま、こもったような声でガフッと鳴いて威嚇してくる。

いつもの公園内を歩くと後ろ足が不自由になったコーギーに会う。

以前まで元気に散歩していたのだが、病気が原因なのか事故にでも遭ったのか、ある日を境に後ろ足が不自由になり、飼い主さんは犬の腰につけたリードを引っ張りあげるようにして後ろ足を浮かしてやりながら散歩させるようになった。

さすがに腕が疲れるのか、最近は犬用車椅子に下半身を載せて散歩するようになり、飼い主さんも犬も元気な頃と変わらないくらい楽しそうにしている。

先週の日曜日に会いに行った看板犬だが、昨日の朝の散歩で公園を歩いていると、実によく似た犬がいた。

目を凝らして見てどうやら間違いなさそうに思えたところにもってきて、飼い主さんを見ると明らかに店主さんだった。

いつも同じような時間に散歩をさせているのだとしたら、店に行かなくても会うことができる訳だ。

実を言うと、その犬が暮らす雑貨店はとても洒落たものが多くて我が家に合うようなインテリアも小物もあまりなく、犬を見たさに足繁く通う店ではないのである。

金曜の第五コースを散歩する際は時間厳守で公園を通過するように心がけようと思う。

いつも独り言に書いているポメラニアン黒柴リュウくんは相変わらず元気だ。

その他にも多くの犬に会えるので、朝の散歩はやめられない。

ノブアキノコト

マサルとともに仲良くしていたノブアキが亡くなって久しい。

九月四日が命日なのでこの時期になると様々なことを思い出す。

そろそろ止め時かとは思いつつも、すでに慣例化していることと、やはり忘れたくないという思いから毎年の命日には必ず花を贈るようにしていた。

昨年、母上が他界されたと聞き、その時も今年が最後かと思いつつ、やはり今年も花を送ったところ、ノブアキの叔父に当たるかたから電話をいただき、父上も高齢となって衰弱し、今は施設で暮らしているという。

ノブアキは一人っ子、父上も母上も自宅にいないとなれば、確かにもう花を贈ることを控えたほうが良いだろう。

送ったところでノブアキの実家には受け取ってくれる人はもういない。

中学生のころは学校で毎日顔を合わせ、休み時間はいつも一緒に過ごしていたし、月に一度はノブアキとマサル、そして自分の三人が集まり、遠く岡山に引っ越してしまった友人に向けて声の便りを作成していた。

中学を卒業すると、それぞれ違う学校、学科に進んだので三人が揃うことは少なくなったが、それでも大晦日の深夜に集まって初詣に出かけ、そのまま寝ずに朝まで遊んだりしていたし、それぞれが町を出て違う場所に住んでからもお盆や年末年始で帰省すると集まって夜遅くまで酒を酌み交わしたりしたものである。

中学までは誰が誰のことを好きで、どんな音楽が好きでどんなテレビ番組を見てどんな深夜ラジオを聞き、どんな芸能人が好きで何に興味があるのかが手に取るように分かっていた。

違う学校、違う職場に進み、違う土地で暮らしても会って話せば意識は昔へと戻り、当時と同じ雰囲気のまま会話はできたが、それぞれの好みや興味が何に向いているかまでは分からない。

たとえ好きな人ができたとしても、それは話したことも見たこともない人であり、二人がお似合いなのか、その女性がノブアキやマサルにふさわしい人なのかも分からない。

昔のことはよく知っていても今に関しては何も知らない。

ノブアキが何を思い、何に苦しんで逝ってしまったのかは分からないままだし、それは永遠に知るすべがないことだろう。

あの日以来、それが悲しかったり悔しかったりしていたが、仮に明日マサルが亡くなれば、仮に自分が亡くなったとしても同じことではないかと思うようになってきた。

今日現在、マサルが誰を好きで何に興味があるのか分からない。

相変わらずプロレスや映画は好きだろうと想像はつくが、新たに何か興味を持ったのか、今は意中の人はいるのか。

もう何年もマサルと会っていないので話しをする機会もなく、まさか自分が海外ドラマにはまって日に何本も観ているとは思っていないだろうし、毎朝の散歩を何年も続けていたり、室内でドタバタ運動をして体力づくりをしているなどとは夢にも思っていないだろう。

ノブアキの最後、その時の思考や感情など計り知れないし、知らなくて当然であり、たとえ知ったところで今さら何ができる訳でもない。

最後の花を送った今年、気持ちの上でも区切りをつけようと思う。

やめてほしいこと

世の中にはやめてほしいことが色々とある。

まずは少し前の雑感にも書いた、アナウンサーのくせに
「◯◯じゃないですかぁ」
とか言うやつ。

NHKでかなりな人気を誇っている女子アナ、橋本奈穂子氏も相当ひどい。

深夜の 30分間のニュース番組で
「東京でのオリンピック開催が決まったじゃないですか」
「消費増税目前じゃないですか」
「明日から連休じゃないですか」
などなどと、10回くらいは使うのではないだろうか。

感化されやすい若者ならいざ知らず、すでに 10年のキャリアがあるアナウンサーが使うのはいかがなものかと思う。

次にやめてほしいのはカバー曲ばかりリリースする音楽業界。

まるで芸能人総カラオケ大会でも開催されているのではないかと疑いたくなるほど、どいつもこいつもカバー曲、カバー曲である。

カバーであっても自分なりに歌い込んでいたり、独特なアレンジが加えられていれば多少は価値もあろうかというものだが、原曲のままのオケにのせて原曲と同じように歌う芸のなさだ。

中には
「完コピしました」
などとぬかす大馬鹿者までおり、だったらモノマネ選手権にでも出場していれば良いのであって、小僧やお嬢ちゃんがモノマネした CDを 2000円も 3000円も出して買うはずがなかろう。

今の時代、CDにしても音楽配信にしても曲を売るのは難しく、好みが多様化しているので大ヒット曲を生み出すのも難しいのは分かる。

だとすれば K-POPのように他国を含めてマーケットを広げ、世界に打って出るくらいの気概をみせたら良さそうなものだが、残念ながらそこまで気合の入ったレコード会社は見当たらない。

さほどのマーケティングや多額の宣伝費をかけなくても、過去に大ヒットした曲を人気アーティストがカバーすれば人にも曲にも知名度があるので一定の収益が得られるという安直なビジネスに頼ってばかりいると、今に国内ですら相手にされなくなるに違いない。

我々が受けてきた意味のない英語教育ではなく、バリバリの教育を受けた世代がターゲット層になった場合、歌詞が日本である必要性は薄れてくるだろう。

そうなったら邦楽も洋楽もなく、同じ土俵で世界中と競争しなければならないのだから、つまらない戦略など捨てて世界で勝負できる作詞家、作曲家を育てるべきではないだろうか。

そしてやめてほしいのは声優の歌手デビュー。

ここ数年、ものすごい勢いで、特にアニメの声優が CDを発売しているが、どいつもこいつも同じ声にしか聞こえない。

アニメの挿入歌を声優が歌ったりオリジナル曲を発売したりと大忙しだが、単に制作費がなくて有名アーティストを起用できないだけなのではないだろうか。

アニメ好きな若者が大人の策略に乗っかってしまって形成されているだけのマーケットに思えてならない。

次にやめてほしいのは肉汁を 『にくじる』 って言うやつ。

果汁は 『かじゅう』 であって決して 『かじる』 とは言わないのと同じであって、聞いていて気持ちが悪いのでお願いだから 『にくじる』 というのをやめてほしい。

『にく』 は音読みであり、『しる』 は訓読みなので、『にくじる』 などと読んではいけないのであり、重箱(じゅう(音)ばこ(訓))を代表とするような特例的に変則読みを許されるには気持ち悪すぎる読み方は控えるべきだ。

次にやめてほしいのはレジで金額を言われてから財布を出すやつ。

これだけテレビのネタにもラジオのネタにもされているのに、いまだに金額を言われてからゴソゴソと財布を探してノロノロと小銭を数えたりするやつがいる。

昔は女性、それも高齢になればなるほど割合が多かったように思うのだが、そこそこ若い男性までも同じような行動をしているのを見て、これは単に性格とか要領、能力の問題であって男女差、年齢差によるものではないことが分かった。

そしてやめてほしいのは、もの凄い匂いを発散させる柔軟剤。

最近の流行りなのは理解できるが、だれもかれもがこぞって様々な香りを発散させると、それが入り混じってとんでもないことになりそうな気がする。

毎朝の散歩ですれ違う子どもたちも、花の香やらなんやらでプンプンしている。

その子どもたちが一堂に会する教室、朝礼の体育館などはとんでもないことになっているのではないだろうか。

実際、香りが強すぎて気分が悪くなる事例なども出始めているので、今に香りの柔軟剤禁止が発令されるのではないかと思ったりしているところだ。

まだまだ世の中にはやめてほしいことがあるが、こう書いているうちにだんだん腹が立ってきたので、血管が切れる前にやめおくことにする。

北方見聞録 2013

遅い遅い夏休み。

もう夏などと呼べぬほど日も短くなり、涼しくなった夏期休暇。

仕事の都合で予定変更し、少し涼しくなってからと思ってはいたものの、こんなに涼しくなるとは思っていなかったので着るもののチョイスが難しく、思わず札幌で秋物を購入してしまった。

しかし、この時期は気候の変動が激しく、翌日は真夏日を記録した地方もあったほどの陽気となり、せっかく購入した服を旅行中に着ることはなかったが。

予定通りのプチ旅行であれば、午前中は 『お買い物日記』 担当者の通院、午後から別行動にして夜に合流というパターンなのだが、8月に通院は終わっているので午前から夜までの時間は自由に使える。

だとすれば朝一番の高速バスに乗って札幌まで来なくても、家でのんびり海外ドラマなどを見て午後からぼちぼち移動すれば良かったと気づいたのはもう日が沈みかけたころだ。

前述したように服を買ったり昼ごはんを食べたりブラブラしているうちにチェックイン可能な時間になったのでホテルで一休みし、例によって例のごとく毎度おなじみの居酒屋に繰り出した。

平日の夜、それも開店したばかりの店には客がおらず、貸切状態で飲み食いしていると、しばらくして近所の会社の 6人グループが来店した。

聞くとはなしに聞こえてくる話しの内容にとても強い違和感を覚える。

久々に聞くとビジネスパーソン、平たく言えばサラリーマンの会話は実に気持ちの悪いもので、自分も勤め人の頃は同じような話しをしていたのかと疑問になるほどだ。

面白くもない上司の話し、同僚の話しに愛想笑いし、取り繕い感満載の席で虚無な時間だけが流れていく。

自分が勤め人だった頃は、こんなにひどい酒の席ではなかったはずだ。

過去の雑感に何度か書いたと思うが、酒の席で仕事の話しはしない。

酒の力を借りなければ言えない話しなどないし、酔った席で正確に話しを伝えられるはずもなく、その内容を正確に聞くやつもおらず、しまいには酔って何も覚えていないことだってあり得る。

おまけに楽しい酒であれば支払いが割り勘でも構わないが、上司や先輩の説教じみた話しを聞かされて金まで取られるのであっては部下や後輩が不憫すぎるので、仕事の話しをしたければ上司や先輩が全額を支払うべきであるというのが信条だ。

で、その 6人組だが、社長夫妻と社員 4人という構成で、その夫妻のする話しに大きくうなずいたり爆笑したりしている。

聞こえてくるのは、さほどためになるとも思えない内容や、面白くも何ともない会話であって、自分であればその酒席が一刻も早くおひらきになることを願っていることだろう。

さして勉強にもならないことに大きくうなずき、つまらない話しにも大爆笑できたなら、勤め人時代にもっと出世できたかもしれないが。

北方見聞録と銘打ちながら、今回のプチ旅行で深く記憶に残ったのはその程度のことであって、翌日からの帰省では、ただひたすらに飲んで食べていた記憶しかない。

ということは、親子喧嘩するでもなく平和な時間が過ぎたのだろう。

過激思想

現実社会では常識的に考えても実現不可能ではあるが、昨今の海外情勢、とくに日本外交に思いを巡らせた場合、あまりの不甲斐なさに呆れるばかりであり、その腹立たしさも手伝ってついつい過激な思想になってしまう自分がいる。

反日感情をあらわにする中国や韓国に対し、なぜニコニコしながら擦り寄らなければならず、首脳会談をもちかけ、けんもほろろに断られ、あたかも日本がすべて悪いような言われ方をされてシュンとしていなければならないのか。

経済界も中国を意識し過ぎであり、ブラジルやベトナム、タイといった途上国に軸足を移し、中国の購買力などあてにしない経営戦略をとるべきで、反日感情が渦巻き暴動で襲ったり略奪したりする品性下劣な国民を相手にすることなどない。

日本人の笑顔など海外から見ると不気味なだけであり、何を考えているのか分からないと言われるだけなのだから中国に対しても笑顔など見せず、擦り寄らず、相手から何を言ってきても当面は無視して放置してみてはどうだろう。

諸外国にとっては北朝鮮より不気味な存在となり、放っておけない存在となり、中国から直接ではないにせよ、アメリカ経由での接触が試みられることになるに違いない。

別に何をする訳でもないが、何となく自衛隊を日本海側に展開し、原発周辺地域に集中配置してみたら中国や韓国が狂ったようにギャーギャー騒ぎ出すに決まっているが、何をしているのかという問い合わせも無視して一切の外交を断ってやれば面白くなる。

すわ一大事とアメリカから特使がすっ飛んできて事情の説明を求められるだろうが、のらりくらりと女子高生ばりの対応で、
「え~、べつにぃ~、わかんなぁい」
とか要領を得ないことでも言って相手にしない。

そうすれば世界各国が戦々恐々となって面白くなると思われる。

つい最近、韓国人である国連総長が公の場で痛烈な日本批判をするという禁じ手をやってのけたが、その国連ですら存在意義が失われつつある昨今において、いつまでも多額の費用を投じてまで常任理事国になりたがっている場合ではないだろう。

ちょうど良い機会でもあるので、国連からの離脱を検討すべきだ。

誰がどう考えても制裁が必要だったりする場合でも決まって中国とロシアが反対票を投じて拒否権行使し、国連の意見がまとまらないことが常態化している。

今回のシリアへの軍事介入は反対意見があって然るべきかもしれないが、核実験するわ人権無視するわとやりたい放題の北朝鮮への経済制裁ですらなかなか賛成しない。

朝鮮戦争では韓国をバックアップするアメリカを敵国として北朝鮮に加担し、ベトナム戦争も影で支えてきた中国とアメリカが同席して平和維持しようというのが無理な話しだ。

そもそも第二次大戦の戦勝国で作った国連に日本が仲間入りしようというのが無理な話しだと思うし、もっと根本的なことを言えば、常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の 5カ国は、すべて核保有国である。

核保有国が集まって何の話しをするのか。

国連の正式名称である国際連合安全保障理事会とは、核の脅威で相手を威嚇しつつギリギリのバランスで互いの安全を保証したいという理想論の上に成り立っているだけのガラス細工のような組織であって、そもそも世界平和を維持する思想など持っていないのではないだろうか。

それなのに日本は多額の国連分担金を負担しているのはどういうことなのか、日本の政治家ではなく常任理事国に問いただしたい。

その額は本当に大きく、アメリカに次ぐ 2番目という規模であり、常任理事国である中国の 2倍、ロシアの 6倍に当たる 26,229,500,000(約260億)円に達する。

なぜそこまでの分担を強いられなければならないか。

この際だから来年度予算から国連分担金を削除し、国連からの離脱を検討し、非核保有国だけで本当の世界平和を目指す組織を設立したらどうだろう。

そして、その組織は核を保有した瞬間に除名、他国との戦闘行為、内戦が始まった瞬間に除名と、単純かつ明確なルールを定めて運営にあたれば良い。

・・・。

などなど、好き勝手なことを思ってはみても、どれも現実味に乏しく実現など到底不可能なことばかりなのは分かっている。

しかし、それでも日本の弱腰外交に辟易していることに変わりはない。

海でキャンプでバーベキュー

数日前、いつも仕事中に聴いているラジオから興味深い話しが流れてきた。

DJを務めているのは、東京在住であるにも関わらず北海道で週に一度のレギュラー番組を持っている女性芸能人なのだが、その彼女が札幌近郊の海岸で見かけたのはテントを張ってバーベキューを楽しむ人々の姿で、その光景にとても驚いたというのである。

それは彼女の常識という訳ではなく、その世代、あるいは北海道以外の人に共通するのかもしれないが、海水浴、キャンプ、バーベキューは個々に独立したものであり、泊りがけで海水浴に行き、海岸にテントを張っておまけにバーベキューまで楽しむとは何たる贅沢で、何とも羨ましく、何と楽しそうなことかという話しの内容だった。

そう言えば関東や関西で海開きというニュースや、海水浴客で混みあったなどというニュースを見ても、海岸にテントが張られているのを見たことがなかったように思う。

北海道の場合、若い男女、親子連れ、親子三代、職場の仲間同士など、ありとあらゆるグループが海岸にテントを張って一泊の海水浴を楽しむのは当たり前の光景であって、珍しいどころかむしろ常識的なことだったりする。

楽しみ方は人それぞれだが、一般的には午後から市内のスーパーなどで食材や炭、酒などを調達し、海についたらまずはテントを張って中で水着に着替えてひと泳ぎし、夕食時には炭に火をおこしてバーベキュー、暗くなったら酒を飲みつつ大人買いした花火をバカスカ上げて盛り上がり、そのまま就寝して翌日は午前中から泳いだり、本当は密漁になるのでいけないのだが素潜りでウニを獲ったりして遊び、昼は湯を沸かしてレトルトカレーやカップ麺で適当に腹を満たし、午後からまた少し遊んで渋滞を避けるために早めに帰路につく。

シーズンともなると浜辺はテントだらけになり、早めに出発しなければ場所がなくなることもあるくらい北海道では海でのキャンプは一般的だ。

誰が決めたわけでもないが、そこには一定の秩序があり、酒に酔って夜の海に入る人も滅多におらず、酔っぱらい同士の喧嘩も少ないし、他のグループに乱入する行為もあまりない。

寝ている人の迷惑にならないよう、あまり遅い時間には花火を打ち上げる人もいないし、大音量で音楽を鳴らす人もいない。

もちろん多くの人が集まるので多少のイザコザはなくもないが、びっくりするくらいマナーが良く、それぞれが他人に干渉せずに自分たちなりに楽しんでいるという印象だ。

以前の雑感にも書いたかもしれないが、自分も若い頃は体力と天気が許す限り、毎週のように海で遊んでいた。

当時は安くて酔えるウイスキーが全盛で、炭で焼いた肉や野菜を肴に夜遅くまで飲んだものだ。

何度も水割りを作るのが面倒になったことと、何度もキャンプをしていた経験からあみだした方法がある。

食器用洗剤でよく洗い、中をきれいにしたクーラーボックスを 2つほど用意し、最初の買い出しでコンビニやスーパーで売られている氷を入れる。

それは袋ごと入れて保存するのではなく、開封して中の氷をバラバラと入れておく。

それから時間が経って酒を飲み始める頃には調度良い具合に氷が解け、水が 7割、氷が 3割くらいになっているので、そこに直接ウイスキーをドボドボとそそいでクーラボックスごと水割りにしてしまうのである。

そこからコップで直接すくえば何もしなくても水割りのできあがりで、誰の手をわずらわすことなく次から次へと飲み続けることができるという実に画期的なシステムではあるが、欠点はついつい飲み過ぎることだ。

ここで北海道の夏の海あるある。

用意した肉は完食するが、野菜は必ず余る。

酔ってパンツ一枚で走り回るヤツを 2-3人は見かける。

バカスカ打ち上げ花火のあと、最後の線香花火は物悲しい。

テントに入らず、酔いつぶれて砂浜で寝ているヤツがゴロゴロいる。

二日酔いで入る海の水は異様に冷たく感じる。

二日酔いで昼近くまで寝ていたテント内は尋常じゃない暑さで嘔吐感が倍増する。

なぜか昼飯を食べると元気が復活する。

帰り道、運転手以外は全員寝る。

運悪く運転手になったヤツは地獄。

帰宅後、ありえない場所から砂がでてくる。

・・・といったところか。

北海道の夏は短い。

今年も砂浜では様々な人がそれぞれに楽しんだことだろう。