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雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

何も思いつかないときは何も思いつかないときは

雑感を書くのにあまり苦労をしたことがなく、何も考えていなくてもパソコンの前に座れば適当な題材が思い浮かび、それを頭の中でまとめもせずキーボードを打ち始めるので、たまに支離滅裂な文章になったり始まりと終わりで内容が変わってしまったりするのはご愛嬌だ。

週一なので年間 50回くらいの更新となり、それを12年以上も続けているので 600本以上のネタを書いたことになる。

たぶん 10本にも満たないと思うが、そのうちの数本はパソコンの前に座っても何も思いつかず、どこかにネタはないかと検索しまくり、余計なことに興味を持ってしまって無駄に時間を消費したりしながら苦労してかいた。

それでも 600本分の数本のことなので、雑感を書くのに苦労はしていないと言っても過言ではないだろう。

そして、しかし、ところが今日である。

今日はパソコンの前に座り、う~むと腕組みしながら思考を凝らしても、ポンっと頭の上で電球が光ることもなく、ネタ探しにネットサーフィンしてみても、興味をそそられるようなニュースがないので何も思いつかぬままとりあえずキーボードを打っているところだ。

今一番の興味はタブレット端末で、アップル社が発売した iPadを皮切りに一気に市場が広がり、各社がこぞって新機種を発売している。

しかし、同じ 4-5万円を支払うのであれば機能を真似た他社製品を購入する必要などなく、やはり iPadを手に入れたい。

数年前に買ったネットブックと呼ばれる超小型のノートパソコンがあるし、今ではスマートフォンも使っているので外出先でもネット接続して様々なことができるのはできるのだが、やはりスマホだと画面が小さすぎて見づらいのと、文字入力にも慣れていないので時間ばかりかかってしまう。

そして、ネットブックは超小型ではあるものの、すでに 5年前の製品であるため小型化、薄型化、軽量化に限度があり、長時間駆動を実現するために大きなバッテリーを搭載しているので意外に重いのに加え、OSが Windows XPで CPUも古いので処理速度が遅い。

そう考えるとタブレット端末の快適な操作性と携帯性は実に魅力的であり、どうしても食指が動いてしまう。

それでもネットブックとスマホでひどく不自由を感じているわけではないので 4万も 5万も出す必要はないだろうと、自分自身に言い聞かせてきた。

しかし、先ごろ Google社から発表された nexus(ネクサス)7は常識をくつがえす 19,800円という価格で、動きを止めていた食指が再び活動を始める結果となってしまったのは言うまでもない。

しかし、しかし、言うなればそれは Android端末でしかなく、『お買い物日記』 担当者の使うスマホが大きくなっただけのことである事実は変わらない。

わざわざそれを購入する必要があるのかは疑問だ。

それでもやっぱりタブレット端末には触れてみたい。

そんな結論の出ないことをつらつらと考えたりしている土曜の午後だ。

今現在の頭の中を書いただけなので、この雑感にオチなどない。

記憶 Memory-12記憶 Memory-12

過去の記憶

世の中広しと言えども、裸馬に乗って遊んだ経験の持ち主は多くないだろう。

過去の記憶に書いた三歳の頃に両親が建てた一軒家は、周りに何もない土地を購入して建築したものだったので、すぐ裏に地主さんの家がある以外は辺り一面の田んぼで、夏の暑い日に窓を開けていたらカエルの鳴き声でテレビの音が聞こえないくらいだった。

数百メートル離れたところに一軒の家があり、そこには小学校の同級生が住んでいて稲作と畑作、酪農と、農業の多角化を進めている家庭だった。

小さな頃から畑の中を走り回り、のどが渇いたり腹が減れば生っているトマトを採って食べ、再び遊びに没頭するということを繰り返していた。

春には畑に蝶が飛び交い、育てているキャベツには青虫がモゾモゾしていたし、雨上がりの畑の土にはミミズがニョロニョロしていた。

夏の田んぼにはアメンボが浮かび、秋にはトンボが群がる。

都会であれば昆虫採集も一苦労だろうが、夏の終わりに田んぼを歩き、稲穂に向かって石を投げれば太陽光がさえぎらられて暗くなるほどのトンボの群れが空に舞う。

冬を前に枯れた牧草を刈り取り、サイロと呼ばれる貯蔵庫に運ぶ。

それは、その家で飼われてる馬や牛の冬の餌となる。

刈ったばかりで太陽の匂いがいっぱいの干し草を運び、馬のところに行くと実に美味しそうに食べるので、どんな味がするのか気になって 1-2本ほど口に入れてみるが、それが美味しいはずもなく直後にペッペッと吐き出したりしていた。

その馬は若かりし頃、北海道特有の競馬、ばんえい競走に出ていたほどの実力で、とても大きく力強い体躯をしているが、子供の頃から調教されていたので人懐っこく、何をしても怒らない優しい目をした本当に大人しい馬だった。

地面においた干し草を食べるには頭を下げなければならないが、その体勢になったらこっちのもので、馬のたてがみを握り、首に足をかけ、体をよじ登って背中に乗ろうとしても、その間も馬はじっとしている。

小さな子供の体重とはいえ毛を引っ張られたら少なからず痛いだろうに、それでも友達と自分の二人が背中にまたがるまで動かずにいてくれるような馬だった。

馬の背中は広く大きく、体温でポカポカと温かい。

馬は子供を喜ばせようとでも思っているのか、しばらくするとパカパカと歩き出し、柵で囲われた中を何周も回ってくれたりする。

その揺れがあまりにも気持ち良く、馬の背中で寝てしまったことも一度や二度ではない。

ふと目が覚めると周りが馬糞だらけの場所で立ち止まったりしており、降りるに降りられなくなって必死に馬の尻を蹴ったりして歩かせようとするものの、無視されて途方に暮れたりしたこともあった。

それでも暗くなる前にはパカパカと歩き出して柵の近くに止まり、子供が降りると馬小屋に向かって歩き出すという、まるでそこまで送り届けてくれたような、そして遊んでやったと言わんばかりの雰囲気を漂わせる不思議な存在だった。

抜けるような青空のもと、干し草香る乾いた空気と優しい日差しに包まれながら遊び、疲れ果てて寝るという毎日。

それが、とても贅沢な時間だったと思える。

今の子供達には経験できない貴重な時を過ごしたものである。

記憶

自分解体新書 - 12 -自分解体新書 - 12 -

自分解体新書 ~目次~

■ 盆の窪(ぼんのくぼ)

それがどこなのか知ったのは20歳を過ぎてからだったと思う。

後頭部で首と頭蓋骨の境目、中央のポコンと出っ張った骨の下にあるへこんだ部分であり、凝りをほぐすツボであって、気功では気の入り口がある所だと考えられ、ここを刺されれば呼吸等の機能を停止させて死に至るという必殺シリーズでもおなじみの急所でもあり、アントニオ猪木が得意とする延髄斬りで狙う場所でもあったりする。

しかし、その重要性も盆の窪という名称も、子どもの時分や若いころには知る必要もないため、肩こりに悩まされるまでは聞くこともなかったか、聞いても記憶する必要がなかった場所だ。

この盆の窪、確かに何らかの重要性を持っているらしく、夏の暑くて仕方がない時に冷やすと全身が涼しく感じるし、寒い時期に温めると全身が温まる。

北海道にしては異常に暑く、数々の気象記録を塗り替えた今年、保冷剤をタオルに巻いて盆の窪を冷やし、涼をとる日がいかに多かったことか。

就寝時にアイスノンを枕に盆の窪を冷やし、快適に眠ることもできた。

これからの寒い時期、マフラー代わりに首に巻いているタオルを厚手のものにして盆の窪を温めて過ごすつもりでいる。

以前の独り言に書いたように、首のタオルは一年中してはいるのだが・・・。

■ 肌 -その 3-

これも以前から何度も書いているが、男のくせに相変わらず肌が弱く、少しの刺激でもかゆみを覚えるため着るものの素材選びは重要だ。

ウール素材などはチクチクして着られたものではなく、高級カシミアか、むしろレーヨンだのポリウレタンとか化学繊維の安物が肌に合う。

そして、それらの素材を選んだとしても襟元に付けられているタグに刺激されて首の後ろが痒くなってしまうので、Tシャツなどのタグは購入と同時に取ってしまうようにしている。

さらに、縫製で使われている糸がチクチクするので、縫い目がある腕とか脇腹なども痒くなってしまうのが困りものだ。

それを回避するため肌に直接触れる下着類などはすべて裏返して着用するようにしたところ、これがかなり具合がよろしい。

俗に言われる敏感肌とまではいかないが、これから寒い時期には余計に痒みが出るのでちょっと憂鬱だったりする。

■ 膝(ひざ)

木曜日の独り言にも書いたが、以前の雑感でも触れた太腿の痛みは完治しつつあるが、痛みが下に移動しているように思う。

今は右足の裏に痛みが集中しているが、足を深く曲げると左膝も痛い。

この家には仏壇があるので毎朝拝んでいるが、その際の正座でダメージを受け、立ち上がると痛みが走るのである。

しかし、それは数秒程度であり、すぐに治まるので重大事とは捉えておらず、病院にも行ってはいない。

これが長引くようだったり痛みがひどくなるようであれば医者に相談しようかと思っているが、結果はどうせ加齢が原因だと言われるに決っているであろう。

太腿の痛みも数カ月という時間の経過とともに軽減され、今は快方に向かっているので膝も足の裏も放っておけば自然治癒するものと期待しているところだ。

自分解体新書

ございますございます

最近になって、また変な日本語を耳にするようになった。

何でもかんでも末尾に 『ございます』 を付けて話す大人が多く、それは大企業の上層部、政治家にまで及び、側近の誰かが注意してもよさそうなものだと思うのだが、ニュースを伝えるアナウンサーもコメンテーターも言及しないところをみると、その使い方に疑問を持たないということであり、そんなことにこだわって耳障りだと思っているのは自分だけなのだろうか。

野田総理が何かの記者会見で配布済みの資料を指して
「お手元にお配りしてございます」
と言っていたが、そんな日本語が本当にあるのだろうか。

まだ資料を配布している最中であれば
「只今お配りしております」
だろうし、配布済みのものであれば
「お手元にお配りしました」
または
「すでにお配りしております」
であって、
「お配りしてございます」
などという言葉、文章などはググってもヒットしない。

大阪維新の会にすり寄り、結果的に日本維新の会への参加を決めた松野頼久衆院議員は、それまで主張してきた政策との違いに関して合意できるのか記者に問われ、
「一致をしてございます」
と応えていたが、それを言うなら
「一致しております」
とか
「一致いたしております」
であり、もう少しなら
「一致を目指しております」
ではないのだろうか。

大企業の社長がリストラに伴う工場閉鎖、組合との折衝に関し、
「鋭意取り組んでございます」
と言っていたが、
「鋭意取り組んでおります」
だと思われる。

株主総会で海外進出の遅れを指摘された経営幹部が、その点に関して
「準備してございます」
・・・それは
「準備しております」
だろう。

着工した道路建設の工事予定を聞かれ、十数年後の日付を答えた上、
「完成を目指してございます」
・・・。
「目指しております」
だ。

政界、経済界などで急激に浸透してきた流行語なのか、最初に言い出した奴はいったい誰なのか、なぜ誰も変だと思わないのか不思議でならない。

この 『ございます』 の使い方があまりにも目立つので、もしかしたらそれが正しく、自分が間違っているのではないかと不安にすらなるが、上述したすべての 『◯◯ございます』 は、どれ一つとして検索結果を得られないので世の中にそのような文章も議事録もないということなのだろう。

ただし、それは同時に、それを指摘する文章も存在しないことを意味する。

では、やはり、そんなことを糾弾する自分が間違っているのだろうか。

慣れ その2慣れ その2

最近になって、やっとメガネに慣れてきた。

いや、視力が低下したという自覚がやっと芽生えたとでも言うべきか。

過去の雑感で何度も触れたように、視力が良いことが唯一の自慢だった。

若い頃からコンピュータ業界に身を置き、朝から晩までディスプレーを見続け、画面の 1ドットを見ながら絵を書いていたにも関わらず中年になっても視力は 2.0を維持しており、揺れる電車の中で本を読み、帰宅してからもテレビゲームで画面を凝視し、布団に入ってからも本を読むという、目に負担のかかることばかりしていたのに視力が衰えないので安心しきっていたのである。

いつの頃からか仕事帰りに外に出ると街灯の明かりや町のネオンがにじんで見えるようになり、疲れ目は意識するようになったが、すぐに回復するので大きな問題だとは捉えていなかった。

しかし、視力の低下は確実かつ、加速度的に襲ってくる。

それでも最初は自分が乱視になりかけているとは思いもせず、少し遠くがぼやけて見えるのは目にゴミが入ったか、目やにのせいか、まつ毛にゴミでも付いているのだろうと思い、頻繁に目をこすっていた。

目の良い期間があまりにも長く続いたために視力低下の自覚が持てず、目をこすらなくなってきたのは最近のことで、頭では分かっているのに、ついつい手が目にいってしまう。

その頻度が徐々に減って、今では視界がぼやけているのは目が悪くなったからだと認められるようになった。

独り言にも何度か書いているように、どうも妙な乱視らしく、一定以上、一定以内の限られた範囲は見づらいが、その範囲外はかなりクリアに見えるのが不思議だ。

4-50センチ離れているパソコン画面は、それ専用のメガネを使って見ているのだが、そのメガネでテレビは見えないし、遠くも見えない。

テレビを見る時に使っているメガネだとパソコン画面は見づらいし、遠くを見るときには必要以上に焦点を合わせようとするらしく目が疲れる。

裸眼ではパソコンが見づらく、テレビは文字がにじんで見えないが、遠くは労せず見ることができるという妙な具合だ。

そんな訳で、パソコンに向かう時、テレビを見る時はそれぞれ違うメガネを使い、爪切りや手元の作業をする時は老眼鏡をかけ、食事をする時、トイレに立つ時、外出するときは裸眼という実に面倒な生活をしている。

そして、常にメガネをしている訳ではないので、装着している自分にもなかなか慣れることができなかった。

ついついメガネをしていることを忘れ、いや、メガネをしている自覚がなく、目が痒かったり少し遠くがぼやけて見える時は目をゴシゴシしようとしてレンズをゴシゴシしてしまったことも一度や二度ではない。

暑さと寒さが微妙な時期は、日に何度も服を着たり脱いだりするが、メガネをしていることを忘れたまま首を通そうとしてズリズリとアゴの下までズレてしまったりすることも日常茶飯事だ。

それが最近になってやっと慣れてきて、目が痒くてレンズをゴシゴシすることもメガネをしたまま着替えることもしなくなってきた。

しかし、まだひとつだけ慣れないことがある。

メガネの位置を直す動作で、レンズとレンズ間の鼻の部分、俗にブリッジと呼ばれる部分に人差し指を当てて位置を補正する方法、簡単に言えば亡くなった横山のやっさんが 「おこるでしかし」 と言いながらメガネをなおす、あの仕草を自然にすることができない。

それをしようとすると左右どちらかのレンズに指紋をつけてしまうのが常で、精神統一してゆっくりと人差し指を眉間に近づけ、慎重にブリッジを捉えなくてはならず、すぐにはズレたメガネの位置を直すことができずにいる。

これも慣れであろうから、いつか無意識に手が勝手に動くようになるだろうとは思っているが、まだすこし時間がかかりそうな気がしないでもない。

慣れ その1慣れ その1

例年よりずっと遅く、北海道にもやっと秋の気配が漂う。

自然界に目をやれば、ナナカマドの実は色づき始め、栗のイガも立派になってきているし、花をつける草木も変わり、空を行く鳥も今までと違う声で鳴いているので確実に秋は近づいているのだろうが、数日前までの異常な暑さで夏の終わりを実感できずにいた。

管理人の独り言に何度も書いているように、今年の北海道は記録的な暑さ、長引く残暑で季節感を失い、いつまで経っても夏が終わらないような感覚に襲われる。

40年ぶり、60年ぶりに気温に関する記録に達したかと思えば、過去 100年の観測史上で類を見ない記録も次々に樹立し、涼を求めて北海道に来た観光客の期待を見事に裏切った今年の夏。

春から夏にかけては 25度を超えると暑く感じるが、夏から秋にかけて 25度台まで気温が下がると肌寒く感じてしまうのが不思議だ。

これは、寒さへの慣れ、暑さへの慣れからくる感覚的なものだろう。

大阪に暮らしていた頃、冷房を使わずにいると室内は 40度に達しようかという程の灼熱地獄になったが、どうしても冷房の空気が好きになれないのでエアコンの除湿運転で乗り切ろうと試みてはみたものの、さすがに 34度を超えると我慢の限界に達して冷房運転に切り替えたりしていた。

そんな生活を続けていると体が順応するらしく、秋になって室温が 30度くらいになると寒く感じ、感覚が麻痺してしまったのではないかと我が身を疑ったものだ。

日本で一番暑い夏、湿気が多くジメジメした夏を十数年ほど味わったのちに北海道に帰ってくると、あまりにも夏が快適すぎて天国のようだと思った。

人からは 5年もすれば慣れて北海道でも夏は暑いと感じるようになると言われたが、あの大阪の記憶があれば決してそんなことはなく、いつまでも快適に過ごせそうな気がしていた。

そして今年が 5度目の夏、確かに記録ずくめの暑い夏ではあったが、確実に暑さに弱くなってしまったような気がする。

連日の暑さもたかが夏日であり、真夏日でも猛暑日でもない。

嫌なジメジメも湿度は 60%前後で、65%になったのは数日のことだ。

大阪では真夏日、猛暑日が日常で 60%以上の湿度は当たり前のことであり、それが約 2カ月ほど続くのだから、たかが数週間程度のことでダメージを受けていては生きていられない。

そんな土地で 10年以上も暮らしていたのに、たった 5年でこの体たらくは何事ぞっ!と、自分を戒めてはみるが、頭では分かっていても皮膚感覚、肌感覚がすっかりこちらの気候に慣れてしまい、自身でのコントロールは不可能だ。

ただし、大阪はもっとひどかったとか、大阪の暑さはこんなものではなかったという記憶は薄れることなく鮮明に残っているので、北海道の夏しか知らない人よりは耐性が強い。

昨日もこの町の最高気温は 27度を超え、北海道内の場所によっては30度を超える真夏日となり、まだまだ残暑厳しいとテレビでは伝えていたが、湿度が 50%以下だったので大阪帰りの身には実に快適で爽快に感じられる。

相変わらずジメジメとした湿気には弱いが、暑さに対してはまだ抵抗力が残っているようだ。

来年、再来年と、月日の経過とともに肌や脳が気候に慣れて耐性が薄れ、いつか北海道の夏ですら暑くて我慢できなくなる日は来るのだろうか。

そうはならないよう、たまに大阪に遊びに行って地獄の夏を経験するのも悪くないかもしれないと、頭のほんの片隅で思わないこともないが、わざわざそんな経験をすることもなかろうという思いのほうが脳の圧倒的部分を支配しているので実行に移すことはないだろう。

北方見聞録 2012-2北方見聞録 2012-2

先週からの続き

翌日はバス時間に余裕があったので、チェックアウト時間をいっぱいに使って部屋を出て、車内で食べる昼ご飯を調達してから実家への土産物などを物色し、北へ向かうバスに乗り込む。

昼ご飯を食べる以外は本を読んだりスマホのゲームをしたりしていたが、その大半は寝て過ごす車内、それでも故郷までこの身を運んでくれる。

現在住んでいる町よりも、札幌よりも故郷は北に位置し、冬は極寒の地で知られる場所であるにも関わらず、その日は信じられないほど異常な暑さで目がくらむ。

実家に着くと室内も異常な暑さだったので、客間の窓を開放したが普段は使わない部屋なので網戸がなく、夜になれば虫の巣窟となって全身刺されまくるのではないかと思われたので、夜の外食の後に蚊取り線香を購入することにした。

家にいても暑いだけなので早々に外出し、日本食レストランに入る。

ここ数年は食べる量を減らしているので外食で出される量が多くて食べるのに必死であり、母親も 『お買い物日記』 担当者も食べきれずに残す中、何とか完食することができたが、後にそれを後悔することに。

店を出てドラッグストアに寄り、蚊取り線香を購入するが、2泊しかしないので最小数量のものを探すとナショナルブランド品ではなく、プライベートブランド品に 10ロールのものがあったのでそれを選択した。

帰宅すると早々に蚊取り線香に火をつけ、寝室の害虫駆除を開始。

酒を飲み始めると肴が山ほど用意されている。

とても一人では、いや、二人だろうと三人だろうと食べきれるはずのない量だったので胃薬を服用しながら必死に食べたが、晩御飯を一人だけ完食してしまったことが災いし、なかなか腹に入って行かない。

長い時間をかけて食べはしたが、やはり食べきれなかったので翌日に持ち越しすることにした。

就寝しようと客間に行くと、安物の蚊取り線香だからか呼吸困難になるほどの煙と臭いで大変なことになっている。

こんな環境では蚊も生きていられるはずはなかろうと火を消して布団に入ったが、強烈な臭いが気になり、酔っているにもかかわらずなかなか寝付けなかった。

翌日、写真館に行って何の記念でもない写真を撮影してもらう。

何の記念でもないが、目的ははっきりしていて、実は前日の夜に家族で話し合い、遺影にするための写真を撮影しておこうということになったのである。

数年前に義兄が亡くなった際、遺影に使えそうなニッコリと笑っている写真がなくて困った経験があり、結果的に緊張した面持ちの証明写真が遺影となってしまったことを、もう老い先短くなっただの葬儀社はここが良いだの最後は葬式をせず家族だけで見送ってほしいだの言い出した母親に言ったところ、実は父親の遺影も同じで、運転免許証の写真を使ったとのことだったので、この際だから全員で遺影に使える写真をスタジオで撮影してもらおうということになった。

そして、三人揃ってアホみたいにニッカニカと笑った写真撮影に成功し、これでいつ誰が死んでも遺影に困ることはないと安堵しつつ、全国的にもスイーツが有名な喫茶店に入って昼食にする。

喫茶店といえばあっても軽食だろうとたかをくくっていたら、やはりでてくる食事の量が多く、再び腹が割れそうになるくらい食べた後、ネットで超有名になったスイーツを購入して帰宅。

そのままダラダラ過ごし、少し腹に余裕ができたところでスイーツを食べ、またゴロゴロしたりシャワーを浴びたりしているうちに日が沈んだ。

母親はその日の夜も外食するつもりでいたが、これ以上の暴食には胃が耐えられないと思われたので、昨日の夜に残した酒の肴と、今夜の分として用意されていた肴をおかずに米だけ炊いて食べることにした。

それでも食べきれる量ではなかったので相当量を残すことになってしまったこともあって、次回から用意するのは半量で良いと母親に伝える。

その後は酒を呑みながら将来について母親と少し話す。

将来といっても互いに歳なので明るい未来について語った訳ではなく、基本的に生活パターンが違いすぎるので今は一緒に暮らせない、暮らしたくないのでギリギリまで一人で頑張れと励まし、いよいよ体が弱ったり足腰が立たなくなったら同居するから心配するなと伝え、それまでは同じ町に暮らす一歳違いの叔母と助けあって暮らすように言い渡して就寝した。

そして翌日、午前中に高速バスに乗って札幌へ。

札幌では駅周辺をウロウロしたが、物欲がないので買いたいものも見ておきたいものもなく、ただただ徘徊するだけの怪しい二人となってしまった。

夕方に高速バスに乗り込み、ただ惰眠を貪っているうちに今住む町に到着した。

この町も夜だというのに暑く、最初から最後まで暑いことだけが深く記憶に残る旅になってしまったことを思い返しながら近所の店で晩御飯を調達して帰宅。

それから先はドッと疲れが出て、何をしていたのか記憶が定かではない。

北方見聞録 2012-1北方見聞録 2012-1

今週は遅めの夏期休暇にして帰省してきた。

帰省といっても例によって 2泊しただけだが、それより長居をすると親子喧嘩が勃発するのは火を見るより明らかなので早めに切り上げるのが互いに平和なのである。

帰省の前に札幌に寄って 『お買い物日記』 担当者が定期検診を受けている間は病院の待合室で本を読んだりスマホのゲームをしたりして時間をつぶしていた。

血液検査にCTスキャン、血圧検査と診察が終わったが、想像以上に血圧が高かったので計測器を購入し、毎日でもチェックすべきだということになったらしい。

なんでも、そろそろそういうことに気を使うべき年頃なのだそうである。

昼になったので宿泊するホテルの近くにある店に入り、蕎麦や親子丼を注文。

その日はひどく暑い日だったので丼ものを注文したことを少し後悔したが、後に別の意味で大きな後悔をすることになる。

出てきた親子丼を口にした瞬間、反射的に
「う、うそだっ!」
という思いと
「こ、こんなはずはない」
「何かの間違いだ」
という思いが次々に頭をよぎる。

何とその親子丼が今まで経験したことがなく、ビックリするくらい、そして信じられないくらい甘い。

いや、甘いなどという生易しいものではなく、こめかみがジンジンするほどであり、どんなに砂糖やみりんの分量を間違ってもこの甘さにはならないだろうと思える常識はずれの代物だ。

そこは開店したばかりの歴史の浅い店ではなく、のれんも調度品も歴史を感じる古さであり、すでに午後 1時を回っているというのに数人の客がいるほどなので、その驚きの甘さが店の味であって好きな人にとってはたまらなく美味なのかもしれない。

我が舌を疑ったので 『お買い物日記』 担当者に一口食べてみてもらったが、やはり目を丸くして驚き、泣き笑いのような微妙な表情を浮かべて舌をレロレロしていたので甘さに耐えられなかったのだろう。

貧乏性で普段は出されたものを残さず食べるのだが、その親子丼を完食することはできず、大きな後悔と敗北感を味わいながら店を出ることになった。

店を出て 『お買い物日記』 担当者が病気仲間との再会を果たしている間、自分は札幌駅周辺をウロウロしたり家電量販店で最新デジタル機器などを見て時間を潰していたが、そうそう見るものもないので美容健康に関する売り場に行き、購入しなければならないであろう血圧計を見たり、少し疲れたのでマッサージチェアに座って全身マッサージコースを堪能したりして過ごす。

少し前までマッサージチェア売り場といえば年寄りやオッサンの休憩の場だったが、その場には若いカップルや女子高生までおり、体を揉みほぐしてもらいながらスマホでメールのやりとりをするという不思議な光景が広がっていた。

自分はといえば、気持ち良かったので 15分コースを 3セットもやってしまい、途中で睡魔に襲われて記憶を失ったりしていたが、ホテルのチェックイン時間になったのでその場を後にする。

部屋に入って一息つき、ふとスマホを見ると Wi-Fi利用が可能になっている。

そのホテルではパソコンやスマホにネットワークを開放しており、無料接続が可能になっているようで、ロビーでも部屋でもネットが使い放題だ。

昨年末から自宅でも Wi-Fi接続で利用しており、今回の旅行でも端末を持ってきているので 『お買い物日記』 担当者と自分のスマホ、ネットブック PCの 3台は自由にネット利用できるようにはなっていた。

しかし、『お買い物日記』 担当者と別行動する場合はどれかの機器でネットが使えないという弱点があったのだが、ホテルが Wi-Fiを開放しているのであれば話しは別だ。

来年から別行動する場合に端末を持って出かけるようにして、一人がホテル待機すれば良いのである。

などと一人で感動していると 『お買い物日記』 担当者が戻ってきたので例の居酒屋に向かう。

通常、店では半年しか保管しないボトルを 1年ぶりに開封し、美味い酒を呑みながら料理に舌鼓を打つ。

北海道の食材が良いこともあるが、この店では何を食べても美味い。

しこたま呑んで食べて、また来年になったら開封するであろうボトルを入れて店を後にし、札幌の夜は更けていったのであった。

《 次週につづく 》

順応順応

北海道に帰ってきて 5度目の夏が終わろうとしている。

ゆっくりではあるが、夏の終わりが近づいてきている気配だ。

まだ紅葉はしていないものの、少しずつ木の葉が落ちてきているし、柿の実もふくらみ始め、栗の樹にも実がつき始めている。

さえずる鳥の声も変わり、ちらほらトンボが姿を見せるようになってきた。

コスモスが風に揺れ、河原ではススキが穂をたれる。

ナスやカボチャ、トマトにトウモロコシなどの夏野菜が収穫期を迎えて地物が店に並ぶ。

サンマ漁も始まり、月末には秋鮭漁も解禁される。

大阪に暮らしていた頃は夏の終わりを待ち遠しく思ったものだが、北海道の短い夏が終わるのは少し寂しい。

その土地の気候風土には 5年もすれば慣れるものだと聞いていたが、確かに少しずつ北海道に順応してきているようで、大阪とは比較にならない程度の気温でも暑く感じるようになってきた。

それでもまだ生粋の道産子よりはマシで、室温が28度や29度だと暑くは感じない。

ただし、それには条件があり、湿度が50%台である必要がある。

29度でも60%を超えるとジメッと暑くて気分がよろしくない。

こちらの夏はカラッとしているので湿度が40%台のことが多く、そうなると30度を超えていても暑さを感じずに済む。

今季、室温が 30度を超えて湿度も 60%を超えることが 何日かあったのだが、その時はジトッと汗が出て実に気持ち悪く思ったものだ。

たしか 1年目も北海道にしては暑い夏だったが、大阪から帰った直後の身にとっては実に爽快で暑さなどそれほど感じなかったように思うし、2年目、3年目も周りの人が暑いと言う中、涼しい顔をして過ごしていたような気がする。

しかし、去年から不快に思う暑さを何度か感じるようになり、記憶が新しいこともあって今季はそれがさらに増えたように思う。

やはり少しずつ体が順応し、北海道のような気候でもそれなりに暑かったり不快に感じるようになってきたのかもしれない。

せっかく大阪で鍛えられ、北海道の暑さなど屁とも思わない体になっていたはずなのに、徐々に感覚も記憶も薄れつつある。

それでもまだ北海道に帰ってきてから汗がタラリと流れたことはない。

ジワッと汗をかくものの流れるように汗するほどの暑さを感じていないし、暑くて眠れなかったこともなく、体に汗もができることも、毎晩アイスノンを枕に寝ることもなくなったし、扇風機をつけたまま寝たのも 3日間くらいなものだ。

テレビやラジオで見聞きしたところでは、暑さで食欲をなくしたり寝不足になったりする人がかなりいるらしいが、我家の場合は食欲旺盛、夜も自分なりのペースで眠れている。

まだ暑さに対する免疫が残っていることと、薄れつつある感覚や記憶を呼び戻し、大阪の夏はこんなものじゃなかったと自分自身に言い聞かせているのが奏功しているのだろう。

今後も自分自身を戒めて大阪の記憶が消えないように努め、北海道に順応し過ぎないようにするつもりでいる。

時代時代

少し前、何度かJRに乗って30分ほどの町に行く機会があったのだが、帰りの電車は学校帰りの学生たちと同じになる。

ペチャクチャと話に花を咲かせる女の子、イヤホンを耳に目を閉じてジッと音楽に聞き入る男の子、寝不足なのか居眠りをする生徒、真面目に教科書を広げて勉強に勤しむ子など車内の状況は様々だが、圧倒的に多いのは携帯電話を操作している学生たちだ。

信じられないスピードで指が動き、あっという間に文章を完成させてメールを送信するのだが、これがまた信じられないほど短い間隔で返事が返ってくる。

現代っ子にとって携帯電話は必需品、コミニュケーション手段として必要不可欠な物なのだろう。

ざっと見渡した限り、従来からの携帯電話が 8割、スマホが 2割といったところであり、いくらスマホの普及率が高くなってこようと学生には高嶺の花といったところか。

実際、高校入学と同時に携帯電話を持つ子も多いだろうから、卒業までの 3年間は機種変更などしないだろうし、親から許してもらえないものと思われる。

親にしてみれば月額7-8000円ほどの固定費を払わなければならないのだろうから、スマホの購入など論外だと言うに違いない。

そんな状況であるのに隣のマユちゃんはスマホを手に入れている。

伯父である散髪担当のお兄ちゃんの話しでは、
「みんな持っているから」
という理由で親である妹ちゃんを説得したらしい。

みんなが持っているなどという理由は小学生から使う子供の常套手段であり、一番多く使われる交渉手段であるのに、まんまと買わせてしまうあたりはさすがにスーパー女子高生だと思う反面、幼稚な交渉手段を用いるあたり、やっぱり今どきの女子高生だと思えて可笑しい。

それにしても確実に時代は変わった。

昔は携帯端末などなかったのはもちろんだが、仮に存在したとしても本体価格 5-6万もするものをポンと我が子に買ってやり、毎月7-8000円も通信費を負担する親などいなかっただろう。

ポケベルからケータイに変わり、ネット接続が可能になって通信速度が向上し、スマホが登場するまでをリアルに体現してきた世代が親となっている現代だからこその潮流か。

時代が変わったといえば、昨日の昼はマクドナルドで食事をしたのだが、店内は中学生でいっぱいだった。

自分が中学生の頃は町にマクドナルドやその他のファストフード店がなかったこともあるが、店が溜まり場になることなどなかったように思う。

もちろん、不良だった自分は喫茶店にも出入りしていたし買い食いするのも平気だったが、結局マサルなどは学生を卒業するまで学校帰りに喫茶店に寄るとか、暑い日にソフトクリームを買って食べながら帰るとかしなかったのではないだろうか。

そして、少なくとも中学生くらいであればマサルと同じようにしていた学生が多かったような気がする。

しかし、中学生たちを見ながらそんなことを考えていてふと気づいた。

そういえば自分が若かりし頃、ファストフード店で白髪頭のオッサンが食事をしているところなど見たことがない。

もちろん子供連れ、孫連れの家族単位でなら見たことくらいあるが、年配の夫婦だけでハンバーガーやピザ、パスタ専門店で食事する姿はなかったはずだ。

白髪頭のオッサンなど大衆食堂で昼間っから瓶ビールを横に置きながらカツ丼なんか食べていたものであり、小洒落た店になど入ってこない人種だったはずである。

時代の変化、食文化の変化で人の生活様式も変わる。

昔は有り得なかったことをしているのが自分。

若者が集う店に平気で出入りし、若者が好む食べ物を平気で食べる。

そう、実は自分たちも時代を変えている張本人だったりするのである。