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真性雑感 第二版真性雑感 第二版

真性雑感 ~目次~

なぁ~んにもネタが思いつかず、ゴールも決めずにダラダラと雑感を書いたのは 2007年のことで、だいたいはパソコンに向かえばネタが思いつき、昭和のコントで演じられるような頭をかきむしったり、原稿用紙を何枚も丸めて部屋中をとっ散らかす小説家のような悩み方をしたことがないのだが、今日は脳の調子が良くないのか、気分が乗らないのか、5分ほど画面を無表情に見つめて時間を浪費しただけであり、頭の中にポン!とネタが浮かばない。

そんな訳で今回もゴールが見えないまま、何の脈絡もなく思いつくまま、ただひたすらに文書化していってみることにする。

午前中、買い物に行ったついでに来週の帰省の際に着るものでも買おうかとブラブラ店をのぞいてみたが、売り場はすでに秋物に替わっており、いくら夏が短い北海道であっても来週はまだ夏服で良いであろうから購入対象となる商品が売られていない。

さらについでを思い出し、『お買い物日記』 担当者が求める下着も探したが、こちらもすでに秋冬用の暖か素材、暖か繊維で冬でもポカポカ的なものしか売っておらず、やっぱり購入の対象となるものが見当たらなかった。

お盆も夏休みも過ぎたこの時期に、ノコノコと夏物を買いに行こうというのが間違いであって、良く考えてみれば分かりそうなものではあるのだが、どうも我家の場合は二人とも抜けていて、その場に行って事実を突きつけられてから現状を把握することが多かったりするのである。

夏の終わりが近づいてきている目下のところ、我が家の一番の悩みは土日の麺類と、毎日飲むコーヒーがいつまで冷たくて良いのかということだ。

夏の初め、そろそろ頃合いだろうと冷たい麺を食べ、寒さの余り全身鳥肌状態になったのは記憶に新しい。

9月中旬、いや、頑張って下旬まで食べられるのか。

そして、現在飲んでいるアイスコーヒーも、その頃になればホットに切り替えるべきか。

コーヒー豆は挽いた状態での長期間保存は困難だと思われる。

アイスコーヒー用の豆は、あと何グラムくらい必要なのか。

実に難しく、悩ましい問題だ。

世の中にはもっと大きく、もっと深い悩みを抱えている人が多いだろうが、我が家の悩みなど所詮はこんな程度だったりするのである。

真性雑感

デジタル化の波 Signal-9デジタル化の波 Signal-9

デジタル化の波 ~目次~

先月のことになるが、とうとうテレビは地上デジタル放送へ全面移行し、震災のあった東北地方の一部を除いてアナログ放送が終了した。

長く慣れ親しんできたゴースト現象、ちょっとザラつく画面、微妙に受信可能な映像をもう見ることができないのは少し寂しさすら感じてしまう。

大阪に暮らしていた頃、ビデオデッキ 2台を経由してテレビまで電波を引き回していたものだから、全国どこでも一定の感度で受信できるはずの NHKの画面が乱れ、ひどいノイズが乗った映像を見ていた。

もちろん、最初に電波を入力しているビデオデッキで見ると映像が綺麗なのは分かっているのだが、わざわざ電源を入れて入力切り替えまでして見るのは面倒だったのでノイズ乗りまくりの荒い画面を毎日見ていたのである。

それがデジタル放送になると一切のノイズがなく、今もレコーダー2台を経由してテレビに接続しているが、NHKを始めすべてのチャンネルがクリアに見えるのは実に喜ばしいことだ。

しかし、デジタルは 0 か 1、ON か OFF、つまり受信できるかできないか、どちらか一方しかないので、どんなに汚い映像でも良いから何とか受信したいという欲求には応えられない。

大阪では阪神タイガースの試合が見たくてKBS京都やサンテレビの映像を、ザラザラにノイズが乗り、ゴースト現象で選手が2-3人に分裂して見えるような劣悪な環境の中、目を充血させてまで見ていたものであるが、あのような微妙に受信できている状態というのはデジタルでは不可能なことだろう。

もう大阪に住んではいないので予想でしかないが、京都、神戸方面の放送を受信したければ、そっちに向けたアンテナが必要だと思われる。

あるいは SCテレビ放送に加入してタイガース全試合放送のサービスを受けるしかないだろう。

そういう融通の効かないのがデジタルであり、アナログのような寛大さがない。

ラジオのデジタル化に関しても随分前から議論はされているが、災害時、遭難時など、電波状態の良くない場所で何とか情報を得ようとするニーズは確実にあるはずなので、一定以上の電波品質がなければ受信できないデジタル放送は向かないのではないだろうか。

携帯電話にしてもそうで、アナログであれば例え山奥であっても微弱電波を拾って何とか連絡することができるかも知れないが、デジタルでは融通が効かない。

しかし今の携帯電話を考えると、メール送受信、Webページの閲覧など、通話以外の利用のほうが多いので、やはりデジタル化は避けられなかっただろうし、デジタル通信になったのは当然、必然の流れだったのだろう。

テレビのデジタル放送に話しを戻せば、双方向通信によって様々な情報が得られるなど、デジタル化のメリットは大きいが、それを享受できるのは操作を覚えられる人だけだ。

我が母は新しいリモコンのスイッチの多さに閉口し、業者さんに設定し直してもらった昔のテレビのリモコンを使い続けている。

したがって、リモコンにはデジタル情報を取得するための (d) ボタンなどない。

いつも天気予報を気にしている我が母だが、いつも見ている予報を見逃してしまい、同じ街に住む妹に電話をして明日の天気を尋ねたことがあった。

叔母は新しいものへの順応性が高く、ワープロだろうとデジタルテレビだろうと使いこなせるスーパー婆ちゃんなので、チャチャッとリモコン操作して予報を表示し、内容を我が母に伝える。

そして、単にリモコンの (d) ボタンを押すという 1ステップの操作でしかないので、我が母に操作を教えようとしたらしいのだが、説明を聞く前から
「私にはできない」
「古いリモコンを使っているからできない」
と言い張り、かたくなに教えを受けようとしなかったらしい。

さすがに叔母もキレたのだろう、我が母が何か言う途中でガチャリと電話を切ってしまっという。

たかがリモコンのボタンを一つ押すだけの操作を拒絶して覚えようとも聞こうともしない婆さんもどうかと思うが、それに対してキレる婆さんもいかがなものかと思う訳で、所詮は似たもの同士、同じ血が流れる姉と妹なのだと呆れ果ててしまう。

20日過ぎに帰省するつもりでいるが、デジタルの恩恵にあずかっていない我が母にリモコン操作を教えるべきか悩んだりしている今日この頃である。

デジタル化の波

ガリガリ君ガリガリ君

08月04日の独り言に 『お買い物日記』 担当者が書いているガリガリ君を食べたことはあるのだが、それはずいぶん大人になってからのことだ。

ガリガリ君世代ではないのかと考えたこともあるが、実はピッタリ合致していたりする。

では、なぜ子供の頃に手を出さなかったのかといえば、それは単純に近所の駄菓子屋にもスーパーにも売っていなかったからだと思われる。

製造販売しているの赤城乳業が、北海道まで販路を伸ばせたのは最近になってのことではないだろうか。

何せ、北海道には雪印乳業という巨大な壁があった。

あの大事件があって以降、当時の支配力は見る影もないが、明治製菓やロッテなどの超メジャーブランド以外、その牙城を突き崩すことなど不可能に近かっただろうと容易に想像がつく。

また、流通も個人商店、地場のスーパーが経済の中心で、全国規模の大手スーパーなど存在しなかったことから、埼玉県にある会社の商品が北海道に流通することなど極めて稀なケースだったと思う。

したがって、コンビニ、スーパーチェーンが台頭するようになるまで、ガリガリ君が北海道の子どもたちの目に触れることはなかったに違いない。

1981年の発売開始以来、30年の時を経て一大ブランドに成長したガリガリ君は、他のメーカーにとって垂涎の的となっていることだろう。

これだけのネームバリューがあれば、新しい味の商品を発売しても最小限の宣伝広告費さえ投入すれば消費者が勝手に広めてくれるだろうし、アイスの季節がやってきても莫大な費用をかけて宣伝する必要もない。

そして、30年間も続く超ロングセラー商品など簡単に開発できるものではない。

おまけに最近では玩具メーカーからガリガリ君をカキ氷にする商品まで発売され、その人気には一点の陰りもないようだ。

話を最初に戻すと、自分はガリガリ君を食べたことがある。

ありはするのだが、それがいつのことだったか、普通のソーダ味を食べたのか、他の味を食べたのか、それをどこで食べたのか一切の記憶がない。

北海道の夏は短いが、涼しい季節になる前にもう一度食べてみようかと思ったりしている今日この頃である。

自分解体新書 - 6 -自分解体新書 - 6 -

自分解体新書 ~目次~

■ エクボ

実は両頬の同じ位置に、見事なほど奥に引っ込むエクボがある。

幼少の頃から若さ溢れる頃までは、それがチャームポイントとなって人からは可愛いと言われたものだが、今となってはシワの一部になりかけているし、オッサンの頬にエクボがあったからと言って何の魅力にもならない。

おまけに何の加減なのか、エクボからヒゲが生えてくるのが困りものだ。

過去に何度も書いているように一般男性より薄く、男らしい立派な黒々としたヒゲなど生えてこないのにエクボの穴からは10本くらいずつ芯のあるヒゲが伸びてくる。

その部分を剃り忘れたりしようものなら、ものすごくおかしな事になるので気を使ってしまうし、不精ヒゲを生やそうにも、せめてそこだけでも剃らなければエクボ部分がエライことになってしまう。

自分だけではなく、それがエクボのある人共通の悩みであるのか知りたいところだ。

■ 唇

若い頃は保湿力もあってプルルンとしていた唇もカサカサになって皮がむけるようになった。

ところがリップクリームとかが苦手なので血が吹き出しても自然治癒するのを待つのが常となっている。

カサカサと痛みに耐えかねてリップを塗ってみることもあるのだが、どうも皮が一枚増えたような、モッタリ感というかノッタリ感というか、あの違和感が好きになれない。

女性は口紅だ、グロスだと、よくあんなに塗りたくって気持ち悪くないものだと感心してしまう。

■ 舌

加齢と共に味蕾(みらい)が衰え、味覚に鈍感になるらしい。

その他にも喫煙、刺激物の摂取による衰えもあるという。

3年前に止めはしたが人に言われぬ年齢から喫煙を続けていたし、今では年に一度くらいしか飲まない炭酸飲料も若い頃はゴクゴク飲み、おまけにアルコールもバンバン飲んでいたので相当なダメージもあると思われる。

しかし、その割には味は良く分かっているつもりでいるのだが、もしかすると自覚のないまま味覚は衰えているのか。

我が家の料理は 『お買い物日記』 担当者の配慮によって薄味だが、加齢と共に味付けが濃くなるのは味覚の衰えに起因し、本来であれば気にしなければならない塩分や糖分の摂取量がどんどん増えてしまって体調をくずすという末路が待っている。

そういう意味からも味覚の衰えには注意が必要だが、外食したり既製品のものを食べたりすると異常に塩辛かったり甘ったるかったりするので、まだ味に鈍感にはなっていないのではないかと自負しているところだ。

■ 毛髪 -その 2-

また抜け毛の季節が到来し、洗髪の後、排水口に溜まる髪が水流でとぐろを巻くようになった。

抜けた量を十分に補えるかどうか定かではないが、とりあえず新しい毛もチクチクと生えてきているのが救いではあるが、どうも白黒のバランスがおかしい。

排水口に溜まるのは圧倒的に黒い毛が多いのだが、新しく生えてきている毛は圧倒的に白が優勢なのである。

浴室の床が明るい色なので白髪が目立たず、抜け毛の大多数が黒く見えるだけかも知れないと思い、排水口に溜まった毛を確認してみたこともあるが、やはりどう見ても 7:3 くらいの割合で黒い毛が多い。

このペースで生え変わったならば、あと数年すれば完全なる白髪になってしまうのではないかと予想される。

今でさえ同年代の男性より圧倒的に白髪が多いのに、まだ爺さんになる前に白髪になるのもどうかと思うが、それはそれでちょっと面白いかも知れないとか思ってしまう自分もいたりする。

自分解体新書

最近の若い者は 4最近の若い者は 4

最近の若い者は ~目次~

特に最近の芸能人、いや、お笑い芸人に多いのだが、自分の家族のことを 『お父さん』『お母さん』『お姉ちゃん』などと呼んでいる。

以前の雑感に書いたような事情で、自分も母親のことを直に呼ぶときは未だに
「お母さん」
と言ってしまうが、他人に話すときは 『母』 と言うし、『お買い物日記』 担当者や知人と話すときは 『お袋』 などと呼ぶ。

いや、それが常識であって社会人になると、いやいや、社会人になる前に学校で教えてもらったと思うのだが、今はそのような教育をしないのだろうか。

これが年端も行かない子役とかジャリタレだったらまだしも、20や30歳にもなって言っているようでは、まともな言葉遣いも出来ない良識に欠ける人物と評価されてしまうだろう。

学校で教わらなくても社会に出れば、それがたとえ芸能事務所であろうと何だろうと一般常識くらいは教えるべきだし、せめて先輩は注意すべきではないだろうか。

おとうさんは父、おかあさんは母、おねえちゃんが姉、おにいちゃんが兄、そして、祖父、祖母、おじ、おばなどなど、身内を呼ぶ場合と、社外の人に対しては、例え上司、社長であっても社内の人間は呼び捨てで良いという最低限の教育くらいは最初に行っていただきたい。

このまま社会の代謝、世代交代が続けば、おかあさんと呼ぶのが常識となってしまいそうだ。

それどころか社内の人間を呼び捨てにしたりすると、非常識な人間だと思われる日が来てしまうかも知れない。

かなり以前にも書いたが、芸能人、女優、話すことを職業とする人でさえ、語尾上げ、語尾伸ばし、食べられるを食べれるという『ら』抜き、マクドナルドの店員みたいに
「ご意見の方、お待ちしております」
などという『ほうほう』言葉、最近になって流行り始めた
「◯◯じゃないですかぁ」
という表現を使い、それがメディアという力のある媒体に乗って常識となりつつあるのは実に嘆かわしいことである。

まだ若い子が言っているのなら我慢もするが、40にも50にもなったオバチャン、大勢の部下を持つ管理職のオッサンまでそんな話し方なのには腹立たしさすら覚える。

そんなオバチャンの話しなど聞きたくもないし、そんな話し方をする管理職がいる会社とは取り引きもしたくない。

イライラして精神衛生上もよろしくないので、そんな話し方や言葉づかいをする輩は絶滅して頂きたいと心の底から願っている。

最近の若い者は

記憶 Memory-07記憶 Memory-07

過去の記憶

両親共稼ぎだったので、生まれて間もなくの頃から他人に預けられて育った。

当時は今のように乳幼児の保育施設など充実しておらず、核家族は自身の親に我が子の面倒をみてもらう訳にもいかなかったが、まだ住民同士のコミニュティは機能していたので血のつながりのない子供を預かるなどというのは珍しいことではなかったのである。

最初に預かってもらったのはマエダさんというおばあちゃんの所で、0歳から2歳くらいまでの頃だったと聞いている。

さすがにハッキリとした記憶はないが、その面影や部屋の造りなどは何となく、そしてボンヤリとした映像として残っている。

昔の人は子だくさんで、言わば子育てのプロのようなものだった。

我が母が相手の機嫌を損ねぬように恐る恐ると
「そろそろミルクではなく離乳食にして頂きたいのですが」
と切り出したところ、
「もう一カ月も前から離乳食にしてるんだよ」
という回答であったという。

知らぬは我が両親だけでマエダさんはさっさと次の段階に進んでおり、間に立たされた自分は日がある間は離乳食、夜になればミルクを飲まされるという実に妙な食生活を一カ月間も強いられる羽目になったのである。

今の時代であれば、
「親の知らぬことを勝手にされては困る」
とか、
「誰に断って離乳食にしたんだ」
とか一悶着ありそうなものだが、昔は身内であれ他人であれ、年長者のすることは往々にして正しく、まだ若かった我が両親も
「へへぇ~、おみそれ致しました」
と頭をさげるしかなかったようだ。

マエダさんが体調を崩したのか、他に理由があったのか覚えていないが、3歳になる前に預け先がオキザキさんという老夫婦の家に変わった。

二人は実に穏やかな夫婦で、実の孫のように、いや、それ以上に可愛がってくれた。

おじいさんは今で言う潔癖症に近い人だったようで、人が口をつけたものは、それが自分の子供であっても実の孫であっても口に入れようとしなかったらしいのだが、他人の子供である自分が口をつけたものは気にせず食べていたという。

おばあさんは絵が上手で、馬とか犬、うさぎなどとリクエストするとササッと描いてくれたものだ。

それが影響してか、子供の頃からオッサンになった今でも絵を書くのが好きで、一時期は絵で生計を立てようと本気で考えたこともあったほどである。

その優しい老夫婦のことは、本当のおじいちゃんとおばあちゃんだと信じて疑わず、自分にだけは父方、母方の他にもう一組、計六人の祖父がいるものだと思っていた。

老夫婦の家の隣には息子夫婦と本当の孫が暮らす家があり、その孫は自分より二歳上の女の子、一歳上の女の子、一歳下の男の子の三人だったのだが、その三兄弟と
「私たちのおじいちゃん、おばあちゃんだっ」
「いーや、おれのじいちゃんとばあちゃんだっ」
と真剣に大喧嘩したこともある。

おじいさんは早くに亡くなってしまったが、おばあさんは実に長生きしてくれて、亡くなったのは大阪で暮らしていた頃だ。

訃報を聞いたとき、実の祖母が亡くなったような悲しみと寂しさにつつまれたが、仕事の関係で残念ながら葬儀に参列することは叶わなかった。

それでも、その数年前、『お買い物日記』 担当者と一緒に会いに行けていたのが心の救いだ。

その時に会ったおばあさんは、幼児の時から数十年も経過しているのに少しも変わらず、あの時のままのおばあさんだったのが今でも不思議でならない。

記憶

時間時間

時間というのは地球の自転から割り出されたものであって数学のように全宇宙共通のものではなく、26時間かけて自転する星であれば 1日は 26時間となるし、18時間で一周すれば 1日は 18時間だ。

いや、単に地球と時間の流れが異なるだけで、どんなに自転が遅かろうと早かろうと、一周する間隔を 24で割れば 24時間ということになり、1時間を 60で割れば 1分、また 60で割れば 1秒となるか。

この星と、あの星では 1秒の長さが異なるだけのこと。

つまり、物理的なようであっても実は論理的な事象でしかないのが時間という概念であり、それを受け止めるのが人間のあやふやな感覚であるから時は長くも短くも感じるのだろう。

子供の頃は長く感じた時間も、加齢とともに短く感じるようになるジャネーの法則に関しては以前の雑感にも書いたが、それだけでなく精神状態の有り様によっても時間の流れは変わってくる。

楽しいことをしていると、時間などあっという間に過ぎてしまうが、肉体的、精神的苦痛を伴う場合は時間の経過が遅く感じる。

心に深い傷を負ったり精神が病んだりすると、辛く苦しい状態が未来永劫に続いてしまうような、このまま自分だけが時の流れに置いて行かれてしまうような不安にかられるほど時間が重くゆっくりと流れたりするものだ。

ここのところ、毎日、毎週、毎月がビックリするようなスピードで過ぎ去り、気づけば一年の折り返し地点を過ぎてしまっているような有様で、このままではビックリする間もなく爺さんになってしまっているのではないかと心配にすらなってしまう。

この時の流れの早さに閉口し、『お買い物日記』 担当者と二人でニコニコ笑って過ごすだけでなく、たまには苦悩に満ちた日々でも過ごさなければいけないのではないだろうかと真剣に話し合ったほどだ。

そして、時間というものは環境によっても流れが変わって感じるもので、ハワイや沖縄などのリゾート地に行くと、時間がゆっくり流れているように感じる人も多いだろう。

実際、大阪で流れていた時間と北海道で流れている時間は 2倍以上の差があるように思える。

日本一歩くのが早い大阪人の歩行速度になど到底およばず、ゆっくり歩く人が多いのは言うまでもなく、車が一台も通行していなくても赤信号では立ち止まって青に変わるのを待つ。

帰ってきた当初は思わず渡ってしまいそうになることもあったが、今は信号無視をすることもなくなり、目の前で信号が赤になてもボ~っと待っていられるし、待つのに何の苦痛も感じなくなった。

信号のない道路を渡ろうとすると自動車のほうが止まってくれる。

時々、あまりにも遠くから速度を落として交差点を渡るのを待っていてくれたり、自転車に乗っている自分が通り過ぎるのを待っていてくれたりするものだからこちらも気を使わねばならず、急いで横断するハメになる。

それは、先に述べた信号待ちが苦にならないのと同じように、ドライバーも歩行者が通りすぎるのを待つのが苦にならないのだろう。

それだけ心に、体内時計の刻む流れに余裕がある。

すっかり北海道の時間の流れに慣れてしまったが、いまだに慣れることができないのは約束の時間だ。

仕事関係であればなおさら、訪問の時間を告げた場合は早くて 5分前、遅くても定刻には相手先に到着していなければならないというのは社会人としてのルールだと教えられてきた。

ところが、こちらでアポを取って定刻に訪ねると、相手が慌ててスーツに袖を通しながら現れることが多い。

打ち合わせ場所に、5分や 10分くらい遅れて現れるのはザラである。

どうやら都会とは違う時間が流れているらしいと感じたり 『お買い物日記』 担当者と話したりしてはいたが、少し前の雑感に書いた屋根の修繕工事でそれは決定的となった。

工事自体は 3-4日で終わったのだが、それが始まるまでの見積りやら準備やらで一カ月以上も経過したし、工事が終わったのは6/26なのに、今日になってやっと最終点検しに来て工事の完了を告げて行った。

実にのんびりしたものである。

そして、今朝、最終点検に来るとの連絡があり、15分くらいで到着するとのことだったのに、業者さんが現れたのは 30分以上も経過してからだった。

それをネタに雑感を書こうとしただけなのに、こんなに長文になってしまったのは、やっぱり時間がたっぷりあるからだろうか?

マサルノコト scene 30マサルノコト scene 30

マサルノコト目次

マサルとの関係は社会人になってからも続いていたが、ノブアキを含めた三人で遊ぶことは盆暮れに帰省した際に会って酒を酌み交わす程度となってしまった。

それでも年に二回程度は会い、何時間も懇々と話し続けたものである。

酔った勢いで旧友に電話して呼び出してみたり、中学時代の担任に電話したこともあった。

そのまま話しの流れで翌日に遊びにいく旨を告げたものの、当日になってみれば面倒だったり会って話すことも思いつかなかったりですっかり気を削がれてしまい、担任に会いに行くのを取りやめたのだが、もともとマサルと自分のだけの担任であってノブアキは最初から関係ないという事実があったりする。

他の地域では馴染みが薄いだろうが、当時は北海道が発祥のパークゴルフというスポーツがブームとなっていた。

使用するのはボールの他にクラブ一本と、道具に高額な費用がかかる訳でもなく、短いクラブで低反発のボールを打つため危険が周りに及ばず、子供たちが遊ぶ公園内でも練習や競技が可能、そしてルールが単純であることからゲートボール愛好者、競技者数をあっというまに追い越して、今現在も競技者数が増加し続けている高齢者の人気スポーツだ。

ノブアキは親に連れられてパークゴルフを経験したらしく、酒を飲みながらそのゲームがどれほど楽しいかを力説したことがある。

ゲートボールと同様にお年寄りのスポーツという印象が強かったマサルと自分は、ノブアキの話しを右の耳から左耳に流しながら
「ふんふん」
とか
「ほぉ~」
とか適当に相づちを打っていたが、あまりの力説に屈し、爺さんになる前でも三人が一定以上の年齢に達したら一度集まってプレーしようということで話をおさめておいた。

とにかく三人で飲む酒は楽しく、言い争いをしたことも自慢話をしたことも苦労話をしたこともなく、最初から最後まで笑いっ放しの明るく健全な時間が流れたものだ。

しかし、ただ一度だけノブアキが店の人にキレたことがある。

居酒屋で食事がてらの酒を呑み、良い気分になって二軒目の店を探し、初めて入る小さなスナックに腰を落ち着けた。

三人とも酒に弱くはないのでチビチビと水割りを頼むよりボトルを入れてしまおうということになり、ボトルキープというよりは飲み干すつもりで一本注文して乾杯などしながら飲み始め、カラオケで一曲歌い終わったところで店のママさんが
「そろそろ閉店なんですけど」
と言い出した。

それまでの所要時間は 20分足らずであり、頭の中が真っ白になってポカーンとしてしまったが、ノブアキの血は瞬間湯沸かし器のように一瞬にして煮えたぎり、怒りをぶちまけ始める。

ただし、酔ってはいるものの、それは実に理論的で、店に入った際に閉店時間を告げるべきであるということと、残り時間が短いのであれば、ボトル注文を受け付けず、水割りなどを勧めるべきであろうという内容だ。

そこでママさんが素直に詫びれば良かったのだが、ツンと横を向いてしまったのでノブアキの怒りに拍車がかり、文句を言う内容も言葉遣いも乱暴になってきた。

一人がキレると周りは不思議なほど冷静になるもので、確かにノブアキの言っていることは筋が通ってはいるが、酒の勢いもあって収まりがつかなくなってきたのも事実であるから
「また次に来たときにボトルを飲めばいいから」
とマサルと二人でなだめながら店を出た。

筋の通らないことが嫌いな性格ではあったものの、人に対してあれほど強く意見をしたり詰め寄ったりするノブアキを初めて見たし、10年以上の付き合いで知らなかった一面を見ることになったことに少なからず驚いたりしたものだ。

あの日、あの時、ノブアキがどうして激情したのか謎である。

そしてその後、気分なおしに三軒目の店に向かったのか、空気が悪くなったので解散してしまったのか、記憶が定かではない。

マサルノコト

耐久年数耐久年数

実は数日前から屋根の葺き替え工事と塗装をしてもらっている。

経年劣化で屋根が腐食し、屋根裏に雨水が落ちてくるようになってしまったので業者に見てもらったところ、東西南北に向かって四面ある屋根のうち、東向きの一面が部分的にではなく全面的に葺き替えるべとの判断に至った。

工事の規模にしても金額にしても予想を上回る規模となってしまったが、雨漏りを放っておく訳にもいかず、家の持ち主である義兄に相談したところ修繕工事すべしとの指示があったので見積もりを依頼した。

何度か打ち合わせを重ねるうちに、四面のうちの一面は葺き替えなければいけないが、残りの三面も塗装が耐久年数を超えているので、弱くなった部分から屋根板の腐食が進むかも知れないと業者は言う。

そこで再び相談すると葺き替えと塗装をすべきとの結論となり、工事費用は家主である義兄が負担してくれる腹積もりがあるとのありがたいお言葉をいただいた。

そして今週から工事が始まったが、屋根の上では複数人の職人さんが動きまわったり工具を使う音が響き渡り、仕事中に聴いているラジオの音など聞こえないほどだ。

まともに生活できるのか少々不安になったりもしたが、もともと仕事に集中すると周りの音が聞こえなくなる性質なので作業に支障はなかったし、暗くなる前に工事は終わるので生活自体に大きな問題はなかった。

工事が終わって塗装に進むという段階で業者さんが報告に来てくれたのだが、その際に
「よく見ると外壁の塗装も耐久年数を超えてますねぇ」
などと言い出した。

家は壁も屋根も同時に完成するに決まっているのだから、同時に耐久年数である 10年に達するのは当たり前のことであって、後になって気づいて言ってくるのはどうかしている。

おまけに業者は、この家を建てた業者だ。

屋根は劣化すると雨漏りなどしてしまうが、壁の塗装が劣化するとどうなるのか分からないし、今のところはその説明もない。

追加でこのままズルズルと工期と金額が膨らむのは嫌なので、とりあえず壁のことは無視することとし、必要と判断すれば数年後にあらためて発注することにしようと思う。

何にでも耐久年数というものはある。

それは体でも同じで、あれだけ冴え渡っていた視界も今は遠くばかりかパソコン画面さえもぼやけて見えるようになってきた。

「年齢のことを考えて、これからは歯も大事に使うように」
と、歯医者さんに行くたびに爺ちゃん先生に説教される。

今はそれなりの性能を発揮している耳も、耐久年数を超えるとだんだん聞こえづらくなって
「はぁあ~?」
とか
「えぇえ~?」
とか聞きなおす回数が増えてくるのだろう。

味覚も衰えて、だんだん濃い味付けを好むようになるかも知れない。

体だけではなく、家も電化製品も大切に使い、せめて耐久年数までは壊わさないように心がけようと思ったりしている今日この頃である。

運動会運動会

今日の午前中、買い物のついでもあったので 『お買い物日記』 担当者の母校でもある小学校で開催されている運動会を見物してきた。

昔は早朝から場所取りをしなければならないほど人が集まったらしいが、今は少子高齢化が進んで父母から祖父母まで応援に駆けつけてもグラウンドから人が溢れることもなく、割と余裕で見物できる感じ混み具合だ。

お兄ちゃんかお姉ちゃんを見に来たらしい小さな子は、見物にもすっかり飽きてしまったらしく、勝手に走りまわって遊んでいる。

家庭用ビデオカメラ、プロ顔負けの機材まで用意して我が子を撮影しようとする光景はどこも同じだが、子供そっちのけで酒盛りをしているパパさんチームもあり、実に家庭的、牧歌的な雰囲気が漂う年中行事である。

しかし、特に都会では、いつの頃から運動会が足の速さや体力ではなく、それ意外を競いあう場となってしまったのか。

勉強のできる子は勉強で、運動が得意な子は運動で、それぞれ活躍していれば良いのであって、幼い頃から他人との違いを少しずつ認識しつつ自分の生きる道、進むべき道というものを模索するなり、見極めるなりすれば良いはずだ。

少し覗いてきた程度なので、この町の小学校がどのような方針、ルールに則って競技しているのか分からないが、全国にある学校の一部では勝敗や順位をつけることを嫌って全員揃ってゴールさせたりするらしい。

そのくせに、親は着るものから広げる弁当の内容まで見栄を張って競い合うのはなぜなのか。

早朝、または前日から弁当作りに精を出すのは、子どもを喜ばせたい親心も当然ながら含まれているだろうが、6-7割は周りから見られることを意識しての自尊心を満足させるだけの行為のように思える。

昔の運動会なんぞは爺さん婆さんがヨレヨレの服を来てゴザの上に正座し、水筒に入れてきた番茶を飲みながら孫の姿を見ていたものあり、親も我が子を応援するのに一生懸命でカメラでバシャバシャ撮影している親など一握りしかいなかった。

弁当も梅干が埋めこまれたゴマ塩おにぎりか巻き寿司、いなり寿司程度のもので、おかずはタマゴ焼きに焼き魚、肉や赤いウインナーなど入っていようものならテンションが上がったものだ。

その横のとてつもなく大きなタッパーを開ければびっしりと漬け物が入れられており、隣に陣取る家庭と回し食いしていたものである。

その漬け物を肴に酒盛りをして、すっかりできあがっているオッサンなどもおり、足元がフラフラのまま父兄参加の競技に出場して見学者を爆笑の渦に巻き込んだりもしていた。

子どもが徒競走などで一着になり、周りから褒められると
「うちの子は勉強はダメで足が速いのだけが取り柄だから」
などと、謙遜しながらも少し嬉しそうにしているのが奥ゆかしい日本の母の姿であり、
「でもお宅の◯◯ちゃんに勉強ではかなわないから」
と相手へのフォローも忘れないのが賢いコミュニケーション法である。

体力が劣ったり足が遅い子の親も、一生懸命に応援し、盛大な拍手でゴールに導く。

そして、どんな着順であったとしても
「よく最後まで走った」
とか、
「頑張ってゴールして偉かった」
などと言って褒めたものだ。

子どもが転んで怪我をしても、騎馬戦とか棒倒しなどを危険とも野蛮とも言わず、
「いけぇええー」
と声を枯らして応援していたものである。

ところが今は親が危険だと勝手に判断したものはさせない、競わせない、争わせない。

いつから日本の運動会はおかしな雰囲気になってしまったのだろうか。

競う場所を間違えた風潮はいつまで続き、そんな中で育った子供はどのような大人になり、日本の将来はどうなってしまうのだろうか。