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雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

中近両用メガネ中近両用メガネ

何とも面倒なことになってしまった。

あれほどの視力を誇っていたのに加齢とともに衰え、とうとう2009年末にメガネを購入。

その当時はテレビを見るためだけに入手したようなものだった。

相変わらず遠くを見るのには困っていないので、散歩、買い物などで外出する際はメガネをする必要はないし、極端に視力は悪化していないものと思われる。

しかし、最近になって肝心かなめの距離、パソコン画面を見るのに支障を来たし始めた。

裸眼では少し画面がにじんで見えるように思って顔を近づけたりするのだが、今度は老眼が仇となり、近づきすぎると焦点が合わないというジレンマにおちいる。

メガネをすると少しマシに見えるのだが、それは素の状態ではなく無意識のうちにピントを合わせているらしく、一定時間以上も画面を見続けると目が疲れて仕方がない。

コンピュータ業界に身を置くものとして視力の衰えと眼精疲労は大敵だ。

そこで少し前からパソコン用のメガネを購入すべきか考えていたのだが、ちょうど買い物に出かける予定だった昨日の朝の新聞にメガネ屋さんの折り込みチラシが入っており、そこには 『パソコン、携帯電話の操作に最適な中近両用メガネ』 の一文が。

絶好のタイミングでもあることだし、試しに見せてもらい、視界が広がるようであれば購入しようと店に行ってみた。

まずは以前にも受けた検査で遠くを見る視力を検査。

とりあえず視力の衰えは平行線をたどっているようで、以前より悪くなってはいない。

眼球に光を照射されたりした後、近くの物体を見ながらの検査をし、数あるレンズの中から複数枚を組み合わせてメガネ状の器具にセットして渡される。

それをかけてパソコン画面と同じような距離のものを見てみると、なるほど良く見えるのではあるが、所有しているメガネ越しに見るのと大差ないような気もしないではない。

店員さんにそれを伝えると、
「目がピントを合わせようとしなくても見えると思いますから疲れませんよ」
という説明。

自分のメガネとメガネ状の器具とを付けたり外したりしながら見比べると、確かに言われたとおりであり、中近両用メガネの方は何の抵抗も努力もすることなく綺麗な映像を見ることができる。

おまけにレンズの下部分を通して見ると、近くのものまでハッキリ見え、わざわざメガネを外さなくても手元が見やすい。

つまりそれは、手元の資料を見ながらそのままパソコン画面を見られるということであり、仕事の効率化を図る上で大きな役割を示すものだと思われる。

そうなると一切の迷いは消え、購入へのアクセルはベタ踏み状態だ。

ただし、老眼も目の調節機能の衰えもまだ進行中であるとのことで、割と早い段階で再びレンズを変えなければならないと予想されるため、今回は最低限の機能で安価に済ませるべきだと判断した。

フレームを選ぶ段になってチラシに掲載されているものはデザイン的にイマイチであることに気づいたが、そのメガネをして外出することもないだろうし、仕事をするときだけ使うものなのでデザイン性より実用性を重視することに決定。

軽くて長時間していても苦にならず、レンズ部分が小さいものよりも、遠・中・近のそれぞれが、ある程度の面積を確保できるように少しレンズが大きめのものをセール対象品の中から選んだ。

できあがりは一週間後なのでまだ手にはしていないが、一日の仕事終りに目の疲れがどの程度軽減されるのか、今から少し楽しみにしたりしているところである。

最近の若い者は 3最近の若い者は 3

最近の若い者は ~目次~

オジサンの若かりし頃、子供の頃は
「男児たるもの人前で涙など見せるものではない」
という戦後色濃厚な香りを引きずりつつ親や教師から言い聞かされたものである。

泣くことが許されるのは親きょうだいが亡くなったときくらいなもので、それ以外の場面で涙など見せようものなら同級生からすら笑い者にされてしまうような時代だった。

しかし、最近の男の子は事あるごとにすぐ泣くらしい。

感動的な映画など観て涙する程度であれば、なかなか感受性が豊かでよろしいと思わなくもないが、泣く理由はオジサンからすると到底許容しがたい内容だ。

男と女の間には別れがつきものであるが、昔のドラマや映画、実社会においても別れ際に泣くのは決まって女性であり、それが絵になるからこそ多くの名シーンが誕生したのであって、テレビでも映画でも小説でも時には悲しく、時には美しく、時には狂おしく描かれてきた。

ところが最近では別れ話を持ち出されて泣き出す男が多いのだそうだ。

相手が去っていく後ろ姿を横目にヨヨと泣く、時には追いすがり、すがりつき、足げにされて倒れこみ、涙でにじんで見える彼女の姿を目で追い続ける男・・・。

貫一お宮の立場が入れ替わったようなシーンを見せられては感動も何もあったものではないと思うのだが、今後はそういう物語が主流となって芝居や映画などで人々を感動の渦に巻き込んだりするのだろうか。

別れはそれなりに悲しいことであるので百歩譲って男が泣くことを許したとしよう。

しかし、聞いた話では彼女と喧嘩して泣く男もいるらしい。

もちろん、自分が悪いのであれば謝罪し、許しを乞うことは男女に関係なく必要なことだとは思うが、何も泣くことはあるまい。

たかが男と女の、他人から見れば小さな諍いで始まった喧嘩において、涙ながらに謝罪するほど深刻なことがどこにあろうか。

これは最近読んだ本に書いてあったことの受け売りだが、最近の男の子は会社の上司に叱られた程度でも泣くらしい。

理不尽なことを言われて陰で悔し涙を流すというのなら分からないでもないが、叱られている最中に上司の目の前、周りに社員がいる中でシクシク泣くのだそうだ。

男女雇用機会均等法が徹底され、男女格差がなくなりつつある今、こんなことを言うと叱られそうだが、昔は上司に叱られて泣くのは女性であり、涙を見せられた上司は少したじろいで
「涙は女の武器だ」
とか言ったものであるし、周りの男性社員は
「いいよなぁ~女は。泣けば許してもらえるんだから」
などと嫌味を言ったりしていたものであるが、そんなことも今は昔。

叱っている最中に泣き出す男性社員を相手にした上司は、さぞかし度肝を抜かれることだろうが、それが現実であり、それが今の時代なのだろう。

最近になって少し涙腺がユルユルになりはじめ、映画を観て感動したり、探査機 『はやぶさ』くんの帰還に胸が熱くなって泣きそうになったりもするが、やはり涙を流すのはためらわれる。

人目もはばからず泣く男などと一緒に仕事もしたくないし、部下に持ちたくもないし、そもそもそんなバカは相手にもしたくない。

そんな時代、会社勤めをせずに一人で仕事をしていて本当に良かったと、オジサンは少し安堵したりしているところである。

最近の若い者は

自分解体新書 - 5 -自分解体新書 - 5 -

自分解体新書 ~目次~

■ 鼻毛

北海道のような空気のきれいな土地に住み始めたのと時期を同じくしてタバコをやめたのが原因なのか、鼻毛が伸びなくなったように思う。

もちろん毛根などは生きているので少しずつは伸びるのだが、大阪で暮らし、タバコを吸っている頃より明らかに伸びるのが遅くなった。

鼻毛という奴は、寝ている間に伸びるものなのか、それともクシャミをするとボッと一気に伸びるものなのか、とにかく気を付けていても知らぬ間に伸びて鼻の穴からチロッと姿を現したりし、人様にぶざまな姿をさらしたのではないかとドキドキさせてくれたりするものである。

その生育の遅くなった鼻毛にも白い毛が混じり、老化をつくづくと思い知らされたりする訳だが、もしかすると白い鼻毛が知らぬ間に伸びて、鼻の穴からチロッと姿をのぞかせても目立たず、人に見つからないのではないかと期待しないでもない。

■ つむじ

つむじが二つあると、つむじ曲がり、放浪癖がある、浮気性、意地悪、やんちゃ、気性が荒い、気難しい、関西圏では、わるさでゴンタでイチビリなどと、散々な言われようでるが、自分の場合は何とつむじが三つもあったりする。

頭頂部に二つ、デコとの境目ギリギリに一つ。

つむじが二つでさえ、ろくな事は言われないのに三つもあるとなれば超つむじ曲がり、大泥棒、超浮気性でハーレム状態となりそうなものだが、実のところは大泥棒にもなれなければ、一夫一婦制を堅持する小心者だ。

つむじ曲がりだったり気性が荒かったりするかもしれないが、普通の人と大差ない程度であって、それがもとで大きな混乱を招いたことも身を滅ぼしたこともない。

広く言われていることが、どれくらい当たっているのか統計学的、行動学的に調べていただきたいものである。

■ ヒゲ

今さら変化があるはずもなく、相変わらずヒゲは濃くならずにポヨポヨと生える程度だ。

鼻の下も薄く、口の横にいくにしたがって少し濃く、そこで途切れてアゴに生えているだけで、泥棒ヒゲのように口の周りを一周しない。

頬にも生えないのでモミアゲとつながらず、イチローのようにも FRBバーナンキ議長のようにもなれなかったりする。

毎日剃るほどは伸びてくれないので、2-3日に一度の割で 5分ほど口の周りとアゴをジョリジョリすれば終わりだ。

楽なことこの上ないが、ヒゲをファッションとして楽しむことができない。

松本人志のように、ちょっと無精ヒゲに見えるような雑な感じのヒゲ面になってみたい気もするが、それは夢のまた夢、絶対にかなわぬことだったりするのである。

自分解体新書

マサルノコト scene 29マサルノコト scene 29

マサルノコト目次

若い頃はとにかく酒を呑んだ。

以前から何度も書いている通り、子供の頃から真面目一本だったマサルは大人になってからもタバコやバクチには無縁だったが、酒だけはよく呑んだ。

自分もそうだが酒に飲まれることはなく、かなり量が進んでも乱れず言語明瞭で、人からは飲み方が足りないと言われることもしばしばであり、滅多なことでは記憶をなくしたりしないタイプなのはマサルも同じだった。

マサルが遊びにきても、帰省して田舎で会っても常に酒を酌み交わし、朝方まで盛り上がったものである。

自分の住む町にマサルが遊びに来た際、家族のように接してもらっていた行きつけの焼き鳥屋で一升ずつ日本酒を呑んだこともあった。

夫婦で切り盛りしている店の一角にある小上がりは、普段は使用されずに夫婦の荷物置場になっているのだが、落ち着いて呑みたいと座敷に上がりこんで料理に舌鼓を打ちながら酒を流し込む。

ひとしきり話をして会話が途切れたところでふと見ると、将棋盤と駒のセットがあった。

マサルも自分も将棋の駒の動かし方くらいは知っているが、そんなに詳しい訳でも本将棋が好きな訳でもなく、おまけに乱れないとは言え酒に酔った状態でまともに指せるはずもないので、子供の頃を懐かしんで将棋崩しなどをやりはじめた。

知っての通り、将棋崩しというのは盤の中央に駒を積み、音を立てずに端まで移動させた駒を自分のものとして、どちらがたくさん取れるのかを競うものだ。

二人とも酔っているので細かな作業をするのが難しく、おまけに酒で三半規管がマヒしかかっているので少しくらいの音がしても聞こえやしない。

まともな勝負などできる状態ではないが、これも酔った勢いなのか、互いにブツブツと文句を言いながら何度も何度も勝負を続け、時間の経過と共に酒も進むので、どんどん判定があいまいになってくるという訳の分からないことになった。

そして、気づけば空になった一升びんが二本、畳の上に転がっていたという訳である。

それが若さのピークであり、それからは体力も下り坂を転げ落ちるように減退してしまったので、朝まで呑み続けるパワーもなく、酔いが回るのも早くなり、酒の量は増えるどころか減っていくという誠に経済的な体になった。

マサルと最後に酒を呑んだのは、もう10年以上も前のことだろうか。

いや、もしかすると15年以上前になるかもしれない。

ここ数年間は電話ですらまともに話しをしていないが、この歳になって酒を酌み交わしたらどうなってしまうのだろう。

もしかすると、小一時間もすれば料理で腹が満たされ、日本酒でも飲もうものならすぐにベロベロになってしまい、ろくに会話が成立しないかも知れない。

マサルノコト

依存症依存症

禁煙して 1000日を越えた。

タバコを止める気などさらさらなく、10年以上前の雑感にも書いているように人類最後の喫煙者になるつもりでいたのだが、2008年の7月に前言を撤回し、禁煙を開始してみると自分でも驚くくらいピタリと止められたのである。

もちろん、少なからずニコチンに依存していたので多少の辛さはあった。

一人で禁煙を始めたら挫折していたかも知れない。

極端にイライラすることもなかったが、何十年も習慣になっていたことは簡単に止められるはずもなく、食事の後、風呂上り、起床時、そして仕事が一段落した瞬間には無性にタバコが吸いたくなったものだ。

この家に越してきてから換気扇の下で吸っており、タバコも灰皿もその場所に置いたままにしていたので、ついフラフラと近寄って行っては自分が禁煙中だったことをハタと思い出す。

もう吸ってしまおうかと挫折しかかったのは数える程度で、だいたいはスゴスゴと席に戻り、ポコポコとキーボード打っていた。

止めようと思ったのは大病を患ったことが発覚した 『お買い物日記』 担当者の禁煙で、それなりに大きなインパクトのあるできごとがきっかけとなっていたし、それからの入院生活、それに合わせて宿泊施設での寝泊りと、朝から晩まで病院内で過ごすという非日常的な生活が禁煙の辛さを忘れさせてくれたのが成功の要因かもしれない。

去年の10月から税が大幅にアップし、2倍近い価格にタバコが値上がりした際、多くの人が禁煙に挑戦したが、今でも続いているのは 2割以下だという。

そろそろ再出荷となるが、震災の影響で一カ月近くタバコの供給がストップしていたので再び禁煙に挑戦した人もいるだろうが、果たしてどれくらいが成功に至るだろうか。

禁煙は、それほど難しいものであるのに一度で成功することができたのだから、その幸運を素直に喜ぶべきだろう。

そして、タバコ程度のものですら止めるのが難しいのだから、性欲、食欲と同様に本能の一部になってしまう麻薬への依存を断ち切るのは並大抵のことではない。

とにかく、腹がへったとか、眠いとかと同等のレベルでクスリが欲しくなり、食べなければ、眠らなくては生きられないのと同じようにクスリなしでは生きられなくなってしまうらしく、逮捕されても何度でも再犯を繰り返してしまう。

よく言われるように、二度と止められなくなるくらいなら最初から手を出さないのが吉であり、覚せい剤にまでエスカレートしないよう、大麻やマリファナ、非合法のドラッグにも手を出さないということが本当に重要だ。

アルコール依存症というのもあるが、自分の場合は依存率は高くないものと思われる。

酒の力を借りるのは、何日も眠れなかったり高ぶった神経を落ち着かせるくらいなもので、何かの行動をおこすために酒の力を借りることはない。

また、連休とあらば 7日間でも 10日間でも晩酌するが、平日に酒を呑むことは滅多にない。

もしも何らかの病気で医者から酒を止められたら明日からでも苦労せずに止められるだろう。

自分は男であるし、『お買い物日記』 担当者も大きな興味はないようだが、女性の中には完全に化粧に依存している人がいる。

もっと綺麗に、もっと美しく、もっと美白に、もっとシミを目立たなく、もっとシワを目立たなく・・・と、どんどん厚塗りになっていく。

中には原型をとどめない特殊メイクでも施したのではないかと思える人もいる。

それが一定の年齢以上であれば理解できなくもないし、化粧もせずに外出するなどもってのほかと言いたくなる人もいるのは確かだが、中学生や高校生であれば話は違う。

ところが芸能人の影響なのだろうが、今はどこからどう見ても子供顔なのに目の周りを真っ黒にして真っ赤な唇をした女の子が多い。

若い頃はそれだけで十分であり、隠すべきシワもシミもないのにベタベタと化粧をしなければ人前に出られないなどというのは、自己による歪んだ美意識に他ならないだろう。

それぞれ美意識が異なるため一概には言えないが、若い子の化粧は自己の欲求を満たすためだけだと思われるので、どんどんエスカレートする前に依存症から脱却し、一定の年齢になるまで厚塗りは控えたほうがよろしいのではないかとオジサンは思ったりしている。

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過去の記憶

小さいころの記憶として、何度かの祭りの記憶が残っている。

生まれ育った町は当時活気に溢れていた。

日本海側とオホーツク海側、双方からほぼ中央に位置し、周りを山に囲まれていたので林業も盛んで、近くには小さいながらも炭鉱があり、酪農も盛んで乳製品を製造する雪印の工場などもあったため、水産物、材木、石炭、乳製品を輸送するための鉄道網が発達し、近郊の町から町へと集配する要となっていた。

そのため人口は増加の一途をたどり、子どもの数も少子高齢化の現在では信じられないほど多く、一学年 7クラスで 1クラスは 50人以上という状態だ。

町全体にエネルギーが満ちているので祭りも賑やかで、夏祭りのほかに、さっぽろ雪まつりを模して雪像を何基も作成した冬祭りも開催されていた。

その規模はなかなかなもので、一日では回りきれないほど出店や屋台が並び、路上は人で溢れ、迷子のアナウンスが引っ切りなしに流れるほど人で賑わったものである。

街の活気も祭りの規模も大きかった幼き日、神輿の後に獅子舞が連なって進むのを沿道で見ていると、同じような年頃の子供達が獅子舞に頭をカプッとかじられ、鬼のような形相で泣きわめいていた。

父親にか母親にか忘れてしまったが、「獅子舞にかじってもらうと頭が良くなるんだよ」 と教えられたので獅子舞が近づくのをドキドキしながら待っていた。

確かにちょっと怖かったが、頭を食べられてしまう訳でもなく、カプッとされた子どもの頭から血が流れ出ている訳でもないので一大事には至らないと子どもながらに判断していたように思う。

獅子舞が通り過ぎた後は、多くの子どもが泣き叫ぶ地獄絵図のようになっていたが、自分は早くカプッとしてもらいたくてニコニコしながら待っていたのではなかろうか。

いよいよ目の前に獅子の顔が迫ってきたときも、怖がるどころか真正面から凝視していたため、パカッと開いた口の中にオッサンの顔があるのがハッキリ見えた。

それまでニコニコして待っていたものの、獅子の中にオッサンの頭部があるのを見たとたん、どこかの誰かが頭を食いちぎられ、獅子が丸飲みしたものが見えたのだと思って気絶しそうになったのを覚えている。

獅子が去ったあとに 「これで賢くなるね」 などと親に話しかけられたが気もそぞろ、目には獅子の腹の中にあったオッサンの生首が焼き付いている。

それからしばらくは放心状態のままヨタヨタと親の後を歩き、さきほど見たおぞましい光景を親に伝えようとしたところで恐怖心がよみがえり、その時になってやっと涙がでてきた。

親としても獅子は架空の生き物で中に人が入って動いているとは説明しにくかったのか、オッサンの顔があったことを涙ながらに必死に訴えかけても 「気のせいだ」 の一点張りで、なにも認めようとしない。

それからしばらくの間、獅子の腹の中で不気味にニヤリと笑うオッサンの顔が頭から離れず、トラウマとなってしまったのは言うまでもない。

もう一つの祭りの思い出として、互い違いになった傾斜をカプセル入りの薬を大きくしたような物体がカタカタと下っていく、どうということもない玩具に目が釘付けになり、ずっと立ち止まって見ていた記憶だ。

幼少の頃からあれがほしい、これがほしいと駄々をこねることがなかったと聞いているが、その時も父親から 「ほしいのか?」 と聞かれるまで見入っていたという。

「どうせすぐに飽きるんだから」 と言われて諦め、大人しく先に進むのだが出店では同じようなものがアチラコチラで売られているので、その玩具を目にするたびに足を止めてジーッと見つめる。

そんなにほしいのならと、買ってもらったその玩具は完成品が売られているものではなく、その物体が転がり落ちる傾斜した台を組み立てなければならなかった。

帰宅してすぐ両親は食事の支度やら何やらを始めてしまったので組み立ては後回しになったらしいのだが、いざ食事の準備が整ってふと見ると、幼い自分がカタカタと物体が転がるのを見てニコニコしているので腰を抜かさんばかりに驚いたという話しだ。

母親は不器用なので組み立ててやるはずがなく、父親も一切手を触れていないと言う。

残る可能性はまだ幼稚園にも行っていない子どもが一人で組み立てて勝手に遊んでいるという信じがたい状況だが、両親ともに手を貸していないので、それが事実なのであろう。

説明書など読めるはずもないので、祭り会場で凝視し、記憶した完成形を基に手探り状態で組み立てたに違いない。

その記憶はハッキリ残っているし、母親は今でも何かの折にその話を持ち出すので母子ともに強いインパクトを持って覚えているのだろうと思う。

記憶

最近の若い者は 2最近の若い者は 2

最近の若い者は ~目次~

16日の雑感の続きになるが、オッサンの目から見ると近頃の若い者はいったい何を考えているのか理解し難い。

少し前に雑誌で読んだのは、最近の若者は面倒が苦手であるという内容だ。

菓子メーカーのロッテの根幹を支えてきたガムは 1950年に発売して以来、右肩上がりで市場が拡大してきたのに 2004年をピークに縮小に転じたそうだ。

その主な原因は若い人がガムを噛まなくなったことにあるという。

そして、ガムを遠ざけている驚くべき要因とは・・・。

「個別にされている包装を剥くのが面倒」
「ガムを噛むのが面倒で疲れる」

・・・・・。

「そんなことが面倒だったら一生ガムなんか噛むなあぁぁぁー!」
と、若者の耳をちぎれんばかりに引っ張った上で腹の底から大声を出して怒鳴り散らしてやりたい気分だが、菓子メーカーにとっては由々しき事態である。

そこでロッテが開発したのがフィッツというガムのシリーズで、包装を剥くのが面倒という声に対応してパッケージと包装の一部を接着し、ガムの端をつまんで引き抜くとワンタッチで包装が剥がれるようになっている。

また、噛むのが面倒で疲れるという声に対応し、今までと比較すると考えられないほどガムを柔らかく仕上げてあるとのことだ。

そして、ガムを噛むといつかは吐き出さなくてはならず、捨て場所を探すのも紙に包んで捨てるのも面倒という声に対応し、味を長持ちさせて噛み始めてから 40分間は持続するようにしたという。

消費してもらう立場になれば、ユーザーのニーズを探り、的確な商品開発をするということに徹しなければならないのだろうが、そこまでしなければいけないのかと頭が下がる思いだ。

世の中はどんどん便利に、どんどん楽になっていく。

良く言われることだが、昔と比べて炊事、洗濯、掃除がどれほど楽になり、どれほど時間短縮ができたことか。

炊飯ジャーの登場によって放っておいてもご飯は炊ける。

米を研がずとも無洗米がある。

炊き上がったご飯をおひつに移す必要もない。

電子レンジやオーブンがあれば短時間に、そしてセットさえすれば放っておいてもできあがる。

全自動洗濯機があれば放っておいても衣類は綺麗になるし、自動掃除機ルンバがあれば勝手に部屋の掃除もしてくれるので何もする必要はない。

それらの機器の登場によって手間や時間が軽減され、重労働から解放されたのは事実であり、世の中が便利になったのは喜ばしいことだ。

しかし、噛むのが面倒とか疲れるなどというのは次元が違う。

骨を取るのが面倒だからという理由で魚の消費量が落ち込む。

漁業関係者は魚離れを食い止めるため、骨を取り除いた魚を売る。

食べるのが面倒という訳の分からない要求に対応し、中国人やベトナム人がピンセットを握り締め、安価な労働賃金で必死になって骨を取り除く。

果たしてそれは正しい世の中なのだろうか。

そんなに何もかもが面倒なのなら歩くことも食べることも呼吸することも止めてしまえ。

・・・などと、オッサンは思ったりするのである。

最近の若い者は

誤解誤解

世界各国では日本全体が放射能汚染され、死の灰や死の雨が降っているかのように誤った伝えられかたをしているらしい。

食料品はおろか、工業製品や電子部品にいたるまで放射能検査してから輸出せよと要求されるのも致し方が無いと言ったところか。

外国人観光客が激減し、閉鎖や一時休業に追い込まれた旅館やホテルもあるが、その誤った情報の伝わりかたに憤ったり怒ったり、嘲笑ったりしても仕方がない。

日本国内であってもさして変わらないではないか。

大震災発生当初から今までの報道を見ていると、まるで東北地方が全滅してしまったかのような錯覚をしてしまう。

もっと軽くても青森、岩手、宮城、福島の4県は壊滅してしまったように思えてしまう。

実際には、その 4県の海岸部だけが集中して報じられているだけで、県のすべてが瓦礫の山と化してしまったわけではない。

あれだけの地震だったのだから建物が倒壊したり道路が寸断されたりして内陸部の被害も相当なものだろうと思われるが、とにかく津波に呑み込まれたのは沿岸部だけのことである。

国内でさえ東北地方全域が破壊されてしまったようにイメージしてしまう報道のされかたをし、普通に生活している方もいらっしゃることを忘れてしまうのだから、海外に日本全体が壊滅したと伝わってしまっても文句は言えないだろう。

もうひとつの誤解といえば放射能に関してだ。

まるで感染するかのような扱いをした自治体の無能さに関しては数日前の独り言で触れたが、生鮮食料品に関する風評被害も止まらない。

最初に出荷を停止されたのは茨城県産の小松菜などだったが、茨城県で生産された野菜はすべて危険であるかのようなイメージを持ってしまった人も多かっただろう。

事実、出荷制限の対象になっていなかった茨城県産のレタスを捨ててしまったのは我が母だ。

手元にあるものは出荷制限の発表がある前に出荷されたものに決まっているし、ましてやレタスは制限されていないにも関わらず、負のイメージだけが脳内で増幅されてしまって廃棄という暴挙に及んだものと思われる。

我が母は元々神経質な面を持ちあわせているが、同様の振る舞いをしてしまった人は少なからずいるだろう。

店頭に茨城県産の野菜などを陳列していても売れ残ってしまうため、販売店も仕入れなくなるという悪循環が生まれて生産者を追い込む結果となる。

どこかで負のスパイラルを断ち切らなければならないが、ヒステリックな報道ばかり見せられると人は萎縮してしまい、間違った考えに偏ってしまう。

やれ人体に与える影響だの、摂取量がどうしたの、母乳への影響、それによる乳児へのリスクなど、恐怖心をあおる内容が 95%で、残りの 5%程度の時間を使って食べても心配するレベルではないと結ぶ。

延々とリスクを並べ立てたあとに 30秒くらいフォローするのが客観的な報道と言えるだろうか。

様々な報道やテレビ番組で何度も言われていることではあるが、放射能の含有量などレントゲンや CTスキャンで浴びる放射線量の数百から数千分の一というレベルでしかない。

その程度のものを腹一杯になるまで食べたところで人体に影響があるはずがない。

そんなことでガタガタ言うなら、一年に何度も X線や CT検査を受けている 『お買い物日記』 担当者はどうなる。

第一、最近になって重宝がられているカット野菜など、異物混入を防ぐために X線装置を通して検査しているのだから、測定したらビックリする量の放射能が検出されるかも知れないだろう。

少しは冷静になって、少しは想像力を働かせて、少しは自分で考えて、報道に振り回されることなく生活していただきたいものである。

最近の若い者は最近の若い者は

最近の若い者は ~目次~

オッサン化の象徴であり、禁句とも言える言葉であるが、どうしても口を衝いて出てしまう。

どう考えても今の20歳の若者は自分が20歳の頃と比較して幼い気がしてならない。

それは見かけもあり、思想でもある。

1960年に 67.7歳だった平均寿命も 2008年現在で 82.6歳まで伸び、細胞の活動も伸び伸びになってしまったのだろうか。

つまり、平均寿命が 60歳だった頃の 20歳は人生の 1/3地点であるからして、平均寿命 80歳の現在では約 27歳が 1/3地点であり、精神的にも肉体的にも 50年前の 20歳と同じ成熟度に達するのは 30歳くらいになってからではないだろうかと妙な理論を打ち立ててみたくなるほど若者が幼く見える。

そのくせ、妙にこまっしゃくれており、小学生でも中学生でもテレビのインタビューに堂々と応えたりしている姿は一種異様な感じすら覚えてしまう。

カメラの前で受け答えする内容は、自分が小学生や中学生だった頃と比較して信じられないほどの完成度で、誰かがシナリオでも書いているのではないかと疑いたくなることもしばしばだ。

そのまま育てば、さぞかし立派な成人、大人、社会人になるだろうと頼もしく思えるのだが、どこでどう間違えるのか、どの時点で成長が鈍化するのか、高校生くらいからちょっとおかしなことになってくる。

自分が同年齢の頃は、悪く言えば反抗的で、良く言えば子供なりに自立の道を模索しており、親離れの準備段階に入っていたように思う。

ところが今の子は親の言うことを良く聞き、敷かれたレールの上を何の疑いもなくただ進むか、反抗するにしても部屋に引きこもったりニートになったりと内に入ってしまい、家庭内暴力で精神的にも肉体的にも親を傷つけるくせに家を出たり放って置かれることを拒絶する。

そんなに反抗したければ親の作る食事に手を出さず、自分で作るか外食するか、バイトでもして自分で生活すれば良さそうなものだが、部屋の前にそっと置かれる食事は毎回たいらげるという矛盾。

精神的レベルは幼稚園児かそれ以下でしかない。

男の子、女の子を問わず、大学生になっても見かけは妙に幼い。

パッと見は高校生か、中には中学生にしか見えない子もいる。

一昔前、バブル華やかりし頃の女子大生といえば、何とも淫靡なニュアンスを含んでおり、オッサンが金にモノを言わせて高級外車に乗せて連れ回したりしていたものだが、自分がオッサンになって女子大生を見てみると、決して性の対象になどならない単なる子供にしか見えない。

見かけだけではなく、精神的にも幼いままで中学生や高校生程度の感性しか持ち合わせていない子も多いように思う。

単純な例を挙げると、現、松任谷由実、旧姓は荒井由実が自分の存在を世に知らしめた 【あの日にかえりたい】 という楽曲をリリースしたのは 1975年で、同年にはバンバンというフォーク・グループに 【『いちご白書』をもう一度】 という楽曲を提供している。

その詞の内容、世界観は卓越した才能によって構築されているとはいえ、当時 21歳だった彼女の内の内たる部分から湧き出しているものだろう。

ひるがえって当時の荒井由実と同じ21歳であり、携帯世代の申し子と呼ばれる西野カナの詩の内容、世界観は実に浅く狭く、どの楽曲の詞をみても 「会いたい」「会えない」「会いに行く」「やっぱ会えない」 などと、妙に会いたがる女の子しか登場しない。

実のところ、彼女が成人しているとは外見だけでは信じられなかったし、今でも中学生くらいにしか見えないし、精神年齢も昔の中学二年生の夏休みくらいなレベルだと思われる。

当時の荒井由実と現代の西野カナには外見的にも精神的にも 10歳以上の年齢差があるのではないだろうか。

最近も AKB48のメンバーに 20歳以上の女の子が何人も含まれることを知って腰を抜かさんばかりに驚いたところだ。

どこからどう見ても子どもが学芸会の出し物として演じているようにしか見えなかった。

もちろん、自分がオッサンの領域に入って久しく、その年齢差から若者が幼く見えるのであろうことは否定できないが、現代っ子の成長速度が著しく鈍化し、いつまでも大人になれていないのも少なからず要因となっていると思えてならないのだが、果たしてどうだろうか。

最近の若い者は

想定外想定外

今回の大震災は五百年に一度とも、千年に一度とも言われる未曾有の危機を及ぼす震度と大津波に襲われるという、まさに想定外の事態となってしまった。

想定外の高さ、エネルギーによる津波ですべてを飲み込まれてしまったため、世界規模で見ても史上 4番目といわれる想定外の大きさの地震による被害がどの程度だったのか明確になっていないが、仮に津波が発生しなかったとしても建物の倒壊や火災、がけ崩れや架橋、高速道路の崩壊によって甚大な被害が報告されていただろう。

まさに何もかもが想定を越える規模で、人智、科学の及ばない大災害となってしまった。

しかし、ここに来て多くのマスコミが論調を合わせるかのごとく、「そろそろ想定外という言葉は使ってほしくない」 などと言い出している。

遅々として進まない被災地の復旧に向けた政府の対応、終りの見えない原発事故に対する東電への対応に向けられたものとは言え、想定外だったものは仕方がないだろう。

今後、将来に向けた対応に対しては想定外を許すべきではないかも知れないが、過去の事柄に対しては批判のしようがない。

原発を作るときに耐震性能をどうすべきかは学者を交え、想定震度を 450ガルと定めて作られていたのに、建屋が今回の 507ガルに耐えたのはむしろ褒めるべきことだろう。

トラブルの主原因となっているのは津波による被害であり、設計時に想定した高さ、約 5メートルを大きく超える 14メートル以上の津波に襲われたのだから想定外という言葉の他に表現のしようがない。

まだ多くの被災者が不便な思いをしているのは事実だが、日本にあるどんな危機管理マニュアルにもこれほどの震度、津波の高さを想定したものはないだろうし、被害の規模が大きすぎて陣頭指揮をとるはずの自治体まで壊滅状態になるとは想像だにしていなかったはずだ。

複数箇所の道路、線路が分断されうることまでは想定できても、全ての陸路が遮断され、港も壊滅状態となって海路も使えず、空港が被災して飛行機も役に立たず、瓦礫の山でヘリコプターも着陸できないため、空路まで断たれるなどという最悪のシナリオを誰が描けただろうか。

警察も消防も被災し、市役所、役場も壊滅した状況下で被害の規模がまったく把握できないことなど誰が想像し得ただろうか。

菅内閣、民主党の対応の遅れを批判するのは簡単だが、時計の針を戻すことはできない。

仮に自民党だったら、谷垣内閣だったら万事が滞りなく進んだのか。

確かに阪神淡路大震災の時も自民党政権ではなく、経験の浅い当時社会党だった村山内閣、今回もヨチヨチ歩きの民主党政権だったのは日本にとって不幸なことかも知れない。

しかし、この想定の範囲をはるかに超え、万策尽きる事態に誰だったら、どの政党だったら国民の不安、不満を伴わずに解決できただろう。

想定外の規模の災害が起こってしまい、過去の遺物が破壊され、流されてしまったことを悔いても仕方がないし、その対策を批判しても仕方がない。

大切なのは、これから先の未来に向けた施策だが、それとて限度がある。

想定外と言わないためには想定できる最大限の対策を施さねばならない。

今回マグニチュード 9.0の地震に襲われたのだから、基準を見なおして建築物の耐震度を 9.5とかにすべきなのだろうか。

今回、最大で約 38メートルの津波に襲われたのだから、防波堤、防潮壁は 50メートルを想定して造るべきなのだろうか。

そんなことをしたらコストは 5倍にも 10倍にも跳ね上がるだろう。

福祉介護、医療、教育などのコストを削ってでも防災に回すべきか。

五百年、千年に一度の災害を想定して高コストな建造物を計画するのは国交省と土木・建築業者を喜ばせ、肥えさせるだけではないだろうか。

ここはヒステリックにならず、どこで線を引くべきかを慎重に見極めるべきだと思う。