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犬や猫のいる風景 2007初春

このタイトルの雑感を最後に書いたのは、2005年 9月のことだ。 在宅勤務になってから朝の散歩が日課となり、犬や猫のことは折に触れて 『管理人の独り言』 に書いているので、雑感に書くほどネタがないのも確かだが、単に忘れていたというのも確かな事実である。

先日の独り言に 『お買物日記』 担当者も書いていたが、ご近所で飼われていた犬が天寿を全うした。 16年も飼われていたそうで、飼主さんも寂しいだろうが大往生と言えるだろう。 その犬と最初に出会ったのは大阪に引っ越してきたばかりの頃だ。 まだ室内の片付けをしている最中で、必要になったものを近所の金物屋さんまで買いに行く途中だった。

道を歩いていると、すぐそばで ドッカ~ン!という凄まじい音が鳴り響き、 『お買物日記』 担当者と二人揃って 「どっひゃ~!」 と飛び上がらんばかりに驚いた。 恐る恐る音のした方を見ると、鉄板でできた囲いの上から犬が顔を出している。 どうやら嗅ぎ慣れない匂いが近づいてきたので出所を確かめたく、2m 近くある囲いに飛びつき、前足で体を支えて覗いているらしい。

とくに威嚇する訳でもなく、吠える訳でもなく、「誰だ?」 という雰囲気でこちらを見ている姿が可愛く、とりあえずは 「こんにちは」 と挨拶しておいた。 驚かされたのはその一回だけだが、たまに遠くから ドッカ~ン!という音が聞こえてきていたので、知らない誰かが通るたびに囲いの上から覗いていたのだろう。

それは犬が若い頃の話で、晩年は囲いの上まで飛び上がる元気もなかったのか、地面と囲いの鉄板がある 15cm くらいの隙間から鼻と目だけを出して外の様子を見ていた。 その姿もまた可愛らしく、血統書などない雑種の犬だったが、近所で飼われている犬の中でも好きな奴だったのである。

その犬も居なくなってしまい、少し寂しい思いをしているが、もう一匹気になっている犬がいる。 それは独り言にも何度か書いた空き地の犬である。 昨年末から散歩をしていても、その姿を見ることがなくなってしまった。 犬がつながれていた柱には、まだ鎖が残っているものの、何日も地面に置かれた鎖の形が変わらないことがある。

昼間でも外に出ているのであれば、鎖の状態にも何らかの変化はあるはずで、その形が変わらないということは何日も外に出ていないということである。 少し体調を崩している程度であれば良いのだが、老犬なので今も生存しているのか気になって仕方がない。

2002年の 6月に書いた犬の五郎くんは数年前に近所に引っ越してきた。 ネームプレートに書いてあった 『○○五郎』 の○○の部分、つまり苗字が同じ家が建築され、その家に大きな黒い犬がいる。 その苗字と言い、その姿と言い、間違いなく五郎くんだと思われるのだが、まだ飼主さんに犬の名前を聞いたことがないので確証はない。 いつか確認したいと思っているところである。

1/25 の独り言に書いた窓辺の猫の件。 窓ぎわにテレビが配置されてしまったので見ることができないのではないかと危惧していたが、2日前の朝の散歩でテレビの上に座って外を眺めている白猫の姿を確認できた。 どうやら猫にとって、さほど障害物にならないようだ。 いつかキジトラの猫と二匹揃ったところを見てみたいものである。

そして、いつも喧嘩に負けて帰ってくる猫は相変わらず家から締め出され、寂しそうな顔をして玄関にたたずんでいる。 いつものことなので、早く帰宅したら良いのに遊ぶのに夢中になって遅くなってしまうのだろう。 玄関にある曇りガラスに顔をつけるようにして家の中を見ており、人の影が見えたら必死に鳴いて入れてもらおうとしているらしい。

ここ数年の間、空き地だった場所に多くの家が建ち、犬や猫の数も嬉しいくらいに増えている。 生き物は、いつか死んでしまうのが悲しいところだが、生きている間は色々なことをして、これからも目を楽しませてもらいたいと思ったりしている春の始まりである。

先見の明

かなり以前の雑感で非常事態に備えた防災グッズの選定などしてみたが、案の定と言うか何と言うか、考えただけで何も準備していないのが現状だ。 『お買物日記』 担当者が多少は準備をしてくれているようだが、それがどこに置いてあるのかさえ知らない有様なので、いざという時に何の役にも立たないかもしれず、やはり着の身着のままでボ~っとしている可能性が高い。

昨夜の独り言に書いたように、このまま地球温暖化が続けば映画 『デイ・アフター・トゥモロー』 と同じになってしまうのではないかと本気で心配している。 大まかなストーリーは地球温暖化によって南極や北極の氷が融け、温度差のなくなった海水の潮流が止まり・・・なんじゃかんじゃとあって世界各地が前例のない異常気象に見舞われる。

巨大ハリケーンや、大津波が各地を襲い、大嵐の中央ではあらゆるものを凍結させるマイナス 100度のスーパー・フリーズ現象が発生して地球は 1万年前の氷河期になる。 書いているだけでも恐ろしいが、実際に映画ほどの急激さはないものの映画と同じ理論で、今後 10年単位で平均気温が 4度低下する恐れがあるとの見解を発表した科学者もいるので SF だと笑ってもいられない。

地震や異常気象などの天変地異だけではなく、北の将軍様が日本に核を打ち込んでくる可能性だってあるし、言われている新型インフルエンザが発生して世の中の機能が麻痺し、食料の調達が困難になったりライフラインが止まる可能性だってある。 そんな危うい状態なのだから、やはり防災グッズくらいは揃えておくのが先見の明というものではないだろうか。

総務省消防庁の Web ページに最低限のグッズが紹介されているが、新型インフルエンザが発生した場合は病院も患者であふれて治療もままならない状態になることが予想されるため、脱水症状になったときに必要な栄養素を補給できる粉末ポカリスエットなど、スポーツドリンク系のものや、点滴が受けられない事態に備えてブドウ糖を摂取できる果物の缶詰なども用意しておいた方が良いらしい。

さらには解熱剤、氷枕や保冷剤なども必要で、嘔吐物などを処理するための使い捨てゴム手袋などもあると便利なんだそうだ。 さらにさらに、カセット式のガスコンロ、非常用の食料などなど、ここまでくると非常持ち出し用というには大荷物になってしまう。 脱出というより引っ越しに近い感じだ。

それでも人からウィルスを貰わないため、逆に人にウィルスを感染させないためには家に閉じこもる必要があるので、買い物などしなくて済むように 1週間とか 10日くらいは生きられる分の食料などを備蓄すべきなのだという。

まったく話しは変わるが、以前に勤めていた会社では何万人が使用しているアプリケーションを開発していた。 市販品ではなかったため隠れたベストセラーと呼ばれ、世の人々のお役に立っていた訳だが、そのアプリケーションの新バージョンを開発しているときに検討したのが 2000年問題だ。 当時は 2000年になると日付を正確に認識できず、誤動作を引き起こすと騒がれていた。

それはまだ 1992年で、今後 8年間も使用される可能性があるとは思えなかったが、念のためと先見の明で対処しておこうということになったのである。 しかし、パソコン自体や他のアプリケーションが問題で不具合が発生する可能性もあり、自力で解決するのは困難というより不可能だという結論に達した。

そこで出た案が 1999年でアプリケーションの動作を強制的に停止させるというものだ。 当時はノストラダムスの大予言で 1999年の 7の月に人類が滅亡すると言われていたので、7月31日をもって全ての動作を停止するプログラムを入れようと話しが盛り上がったものだ。 結局は 2000年になると 「正常動作しない場合がある」 旨のメッセージを表示することになったが、その処理を入れておいて良かったと思う。

MS-DOS で動作するアプリケーションであったにも関わらず、そして Windows が広く普及したのにも関わらず、2000年を過ぎても多くの人が使っていたらしい。 そして多くの人が表示されるメッセージを鬱陶しく思っていたらしいが、何の予告もなく不具合が発生するよりマシである。

やはり 『備えあれば憂いなし』 ということで、食料の備蓄と最低限の防災グッズは準備しておくようにしなければと思ったりしているところである。

ブランド価値

早いもので、この雑感を書き出してから 6年以上が経過した。 最初の雑感は雪印の件について書いているが、約 6年の時を経て大きなブランドである不二家という名前の傷が深くなっている。 どうやら、あの時の教訓が生かされてないようだ。

結局、雪印は事実上の解体となってしまい、当時のブランド力は見る影もない。 問題が発生し、それを隠蔽する体質が明るみに出ると一瞬にして信頼を失ってしまう怖さがそこにある。 長年の実績があるパロマにしても、三菱自動車にしても同じだ。

松下のように製品の欠陥を公表し、「最後の一台まで探し出す」 と宣言してテレビ、新聞などあらゆるメディアを使って回収を呼びかけ、逆にブランド価値を高める結果となった場合とは大違いである。 ただし、体力的にそこまでの予算を使うことができない会社もある訳だから、全メディアを駆使するまでは望まなくても、事実の公表くらいは速やかにしていただきたいものだ。

それにしても一大ブランドを築き、それが全国に流通するというのは怖いものだ。 これが地元で有名な洋菓子屋さんであれば、たとえ食中毒が発生しても周りの住民が買うのをひかえ、必要なら他の店で商品を購入すれば済む話しだが、全国規模ともなるとそうはいかない。 一箇所の工場で作られたものが広い地域に配送されるので被害が拡大してしまう。

扱う分野こそ異なれど、番組という名の商品 (あるある) の欠陥で、ブランド価値を大きく損ねたフジ系列 (関西テレビ) も状況は同じだ。 番組 (商品) のチェック (品質管理) 体制が整っていなかった点においても類似性が高い。 一気に膿 (ウミ) を出そうとせずに、小出しにするところも共通しているし、それは、パロマや三菱自動車にも通ずる。

以前から言われていることではあるが、人間が携わっている以上は問題が発生するものである。 問題が起こらないようにするに越したことはないが、それよりも重要なのは後の処理である。 松下のようにいち早く公表し、その後の対応に万全を期すれば信頼が損なわれることはない。 自分の仕事もそうだが、事後処理を迅速にすることを心に命じておかなければなるまい。

それにしても思うのだが、最近の日本人は賞味期限とか消費期限とかの情報に頼りすぎなのではないだろうか。 昔は少々古くなった食べ物でも臭いを確認して 「まだいける」 とか 「やめておこう」 とか判断していたものである。 判断を誤って食べてしまっても、お腹をこわすくらいなもので生死に関わる訳ではない。 今のままでは免疫も抵抗力も失われてしまい、少々傷んだものを食べただけで命を落とす人が現れるかもしれない。

自分の場合は、水銀だの発ガン性物質だの、徐々に体内に蓄積されるものの方が怖い。 食べ物に異物が混入しているのは気持悪いが、少し古い材料で作られていようが賞味期限が切れていようが、食べたって死にやしないのだから神経質になりすぎることはないと思っている。

バレンタイン商戦も絶望的でブランドの再構築を急ぐ不二家だが、もし商品が再出荷されたなら、とりあえずは売り上げに協力してあげようかと考えたりしている今日この頃である。

マサルノコト scene 10

今日で 1月も最後の土曜日であり、来週には 2月も始まるが、やっぱり今年もマサルからの年賀状は届かなかった。 自分から出した年賀状に 「今年年賀状が来なかったら来年から出してやらん」 と最後通告しておいたので、今年の年末にマサル宛の年賀状を投函するのを本気でやめてやろうかと考えたりしている。

元来マサルはマメな奴で、前回の雑感にも書いたように変な荷物を送りつけてきたり、scene 3 で書いたように人を楽しませることだけを目的に、留守番電話のメッセージをコマメに変えたりするのであるが、こと年賀状に関してだけはマメさを発揮することができず、一昨年まで年賀状が届いていたときも、正月が明けて数日してから届くような有様だった。

昨年からは、ついに年賀状を出すのを放棄し始め、今年で二年目になる。 誰からも送られてこなくなる可能性が高いのを自覚しつつも、どうしても出す気になれないそうなのである。 確かに付き合いが途絶えており、年賀状のやり取りくらいしか生存確認できない人に対しては、何を書いてよいのか迷ったりして面倒なものではあるが、その生存すら確認できなくなるのはいかがなものか。

それでも 1月 1日の夜に 「あけおめ」 の電話がきたのでマサルの生存は確認できている。 話す内容と言えば、いかに自分たちが歳をとり、血圧が高いだのコレステロール値が高いだのという変な自慢話ばかりである。 その他にも近況などを話し、相変わらず涙が出るくらい大笑いしている。

相当に付き合いが長くなったマサルだが、実は 1歳年上だったりする。 別にマサルが落第したりした訳ではなく、小学生の頃に大病を患い、長期入院を余儀なくされて進級できなかった訳なのである。 その存在は中学一年生の頃から知っていたが、友人関係になったのは二年生からだ。 同級生にしては凄く大人びていたのでマサルノコトを 『オッサン』 と呼んでいた。

大病を患ったなどとは思えぬくらいにコロコロしており、背も大きかったが、かもし出す雰囲気がオッサンくさかった。 おまけに家系なのか、薬の影響なのか、当時からかなりの量の白髪があったので余計にオッサンくさい。 教室の前にあった教師の机に 12色のマジックがあったので、マサルの白髪の一本一本を様々な色に塗ってクリスマスツリーのようにしてやったこともある。

自分は不良をしている真っ最中で、やんちゃなことばかりしていたのだが、マサルは妙に落ち着き払っていて、そこがまたオッサンくさい。 自分が悪いことをしようものなら、「お前な~」 と言って説教をされたり、叱られたりもした。 結果的に大きく道を誤ることもなく、一般社会に出ることができたのはマサルのおかげである部分も大きい。

常に自分より上にいてくれたので、オッサンと呼ぶに相応しい奴なのだが、どういう訳だか現在は呼び名が逆転し、自分はマサルのことを 「お前」 と呼ぶが、マサルは自分のことを 「オッサン」 と呼ぶようになってしまった。 それがいつの頃からだったか、はっきりとは記憶していない。

もしかすると、マサルが自分に対して妙な行動をとり始めた時期と一致するかもしれない。 普段は真面目な社会人であるのだが、どうやらストレスの発散場所をこちらに向けているような気がする。 人を笑わせたり楽しませたりするのが好きな奴なので、行動に拍車がかかっていたのだろう。 呼び名が変わったのと同時に立場も逆転し、マサルの奇行に対して 「お前な~」 と言っている自分がそこにいた。

最近は変な荷物が送られてくることもなく、妙な留守電のメッセージを聞かされることもなくなり、電話で話していると、お互いがお互いに対して 「お前な~」 と、ツッコミとも説教とも言える会話を続けたりしながら、年に数度の長電話で夜はドップリとふけて行くのであった。

常套手段

ここのところ、マスコミでは卒業文集を持ち出すのが常套手段となっているようだ。 何らかの事件が発生した場合、必ずと言って良いほど小学校の卒業文集を持ち出し、『幼き日の夢』 だったり当時の想いが綴られた文章を紹介する。

被害者がまだ高校生だったりした場合、「そんな夢が打ち砕かれ・・・」 と続ければ確かに悲壮感なども伝わって、加害者への憎しみが増幅されたり事故の恐ろしさを実感できたりするが、30歳にも 40歳にもなった加害者の卒業文集を見せられて、「こんな純粋な子供だったのに犯人はなぜ・・・」 などと問われても、半ば呆れながら 「知るか!」 と思わざるを得ない。

小学校時代に抱いていた夢を大人になって実現できていない人が大多数を占め、中学、高校と多感な時期を過ごして人生の荒波にもまれ、大きな挫折も成功の喜びも知った大人が小学生の頃と同じ想いで生きているはずがないだろう。 むしろ、いい歳をして幼少期と同じ思想や思考であったならば、そちらの方が問題である。

子供の頃から精神に異常が認められ、それが文章に表れている場合や、幼い頃からイジメの被害を受け、鬱積したものが一気に爆発して罪を犯してしまった場合など、明らかに関連があるのであれば卒業文集を持ち出す意味もあろうかと思うが、今の使われ方は何か間違っているような気がする。

文集だけでは飽き足らず、小学校や中学校の同級生やら恩師やらにインタビューしているのも良く見るが、それとて決定的な意味を持つものではない。 その時代を犯人がどのように過ごしたかなど何の関連もないことであって、重要なのは犯行の動機であったり、道を誤るきっかけとなった時期の交友関係だったりするのではなかろうか。

ワイドショー系の報道番組を見ていて、最近になってよく使われる言葉は 「ちょうど」 だ。 どの局、どの番組のレポーターとも、流行語のように 「ちょうど」 という言葉を連発している。 それが正しい使い方なら文句はないが、日本語として間違っているので気になって仕方がない。

事件や事故があった現場で 「ちょうど、このあたりで犯人は・・・」 などと言うが、『ちょうど』 であれば、後に続くのは 『ここ』 であり、『このあたり』 などと、ぼんやりした範囲を指して 『ちょうど』 と言わないでほしい。 ちょうど【丁度】とは、ある基準に過不足なく一致することを表す語であり、きっかり。ちょっきり。ぴったり。などと同義語であると、誰か教えてやってくれないだろうか。

そう思いながら見ると、「ちょうど、あちらの方角あたりから・・・」 とか、「ちょうど 4時 3分ごろ」 など、気になるレポートの多いこと多いこと。 あちらの方角 ”あたり” であれば、決してちょうどではないし、4時 3分はちょうどではない。 4時であればちょうどだろうし、百歩譲って 4時 3分 0秒であれば納得できる。 しかし、どちらにしても最後に ”ごろ” が付くのであれば、ちょうどではない。

我家では、卒業文集が持ち出されるたび、そしてレポーターが 「ちょうど」 と言うたびにテレビに向ってツッコミを入れるのが常套手段となっている。

身の程

オリックスが熱い。 シーズン中は何をやっているのか分からないが、ここ数年は毎年のようにオフシーズンになると話題を提供してくれる球団だ。 1月 1日付けで球団新社長に就任した雑賀氏は 「野球は素人ですが」 とか 「オリックスの選手は清原ぐらいしか分からない」 とか言っているし、しまいには 「ここ数年オリックスの野球に関心をなくしていました」 などと言い出す始末だ。

昨年 12月 7日には谷選手を巨人へトレードすることが発表されたし、今月 7日には前川投手が無免許ひき逃げで逮捕されたりと話題に事欠かないが、現在もっとも熱いのが中村紀洋氏に関する件だろう。 10日に開かれた会見で 「向こうがオリックスでプレーできないと言って来て、こちらはやむなく了解したのに、いったい彼は何を目指しているのか」 と怒気すら含んだ口調で話したという。

弁護士などを使って代理人交渉するのは契約上、言った言わないを避けるためのはずなのに、今回はそれが逆転してしまったようだ。 任せるなら最後まで任せたら良いのに、中村氏自身が記者会見で訳の分からないことを言い出したら話がこじれるのは当たり前だろう。

しかし、自分はどちらかと言えば球団側を支持する。 『男を上げた』 という言葉があるが、ここ数年の中村氏は 『男を下げる』 ことばかりやっており、自分が球団職員だったとしても呆れて交渉など続ける気にならないと思う。

かなり以前の雑感に書いた、『ファンに 1回手を振ればいくら (金) と要求する選手』 というのは中村氏のことで、急速な人件費高騰とファン離れを引き起こし、球団運営を断念せざるを得ない状況に追い込んだ張本人でもある。 2002年には FA 権を行使してメジャーに行くだの巨人に行くだの、やれ阪神に行くだのと大騒ぎしたあげく、土壇場になって近鉄に残留した。

その時から 「なんじゃ?コイツは」 と良い印象を持っていなかった彼は、2005年の 1月にポスティングシステムでドジャースへの入団を決めた。 ドジャーズは前述した 2002年の FA 権行使の際に交渉を進めていてドタキャンされた経緯があったからか、マイナー契約で年俸も近鉄時代の 10分の1 程度という屈辱的な内容での契約となったのは当り前だ。

メジャーで通用するはずがないと思っていたら、オープン戦でこそ少し活躍したものの開幕ではマイナー行きを通告され、 「納得できない」 「オファーがあれば日本も含めて考えたい」 と、過去にドジャーズを裏切った自分を棚に上げて吠えまくること吠えまくること。 彼には期待に応えるとか屈辱的内容とは言え行き場のない自分を救ってくれた恩に報いるなどという気持はないらしい。

シーズンも終盤に差し掛かった頃、中村選手は 「誘われているうちが華だし、日本の球団からそういう話があれば考える」 と翌季の日本球界復帰を示唆し、古巣の近鉄と合併したオリックスが、さしたる実績を残せなかった彼に対して 2億円も用意して呼び戻してくれた訳だ。

本来ならここで頑張るのが筋というものだろうが、昨シーズンはろくな成績を収められなかった。 スポーツ選手には波があり、良くないシーズンもあるので、そのこと自体は責めるべきではないだろうが、我が身を救ってくれた球団の期待に応えられなかったのだから 60%の減額もやむなしと諦め、来期に活躍して大幅な年俸アップを勝ち取れば良いのである。

それをガタガタと文句を言うから呆れられる。 おまけに自分で代理人交渉を選択していながら真意が伝わらないとは何事か。 ここまで男を下げると愛想もこそも尽きてしまい、顔を見るのも鬱陶しい。 12日、オリックスの退団が決定したが、今日現在はどこの球団も 「いらない」 と言っているらしい。 彼の野球生命が終わるかもしれない危機的状況ではあるが、同情する気にすらなれない。

やはり人というのは身の程を知って、謙虚に生きなければいけないのである。

年末年始食事情

毎年のように同じことを繰り返しているのだが、今回の年末年始も腹が割れるかと思うくらいに飲んで食べた。 それでも少しは学習機能が働き、作る料理の量を減らしたので、動けなくなるくらい腹に詰め込むようなことはしなかったが、それでも腹十一分目になるまで食べたのは事実だ。

以前の雑感にも書いたが、出されたものは残さず食べるという教育を受けてきた。 「難民の子は食べたくても食べられないんだから残さず食べなさい」 などと良く言われ、心の中では 「難民の子だって腹一杯になったら残すわい」 と毒づいたりしていたが、その教育はしっかりと身についてしまっているようで、どんなに腹がきつくても食べきってしまうのである。

上と同じ雑感にも書いていることだが、我家では御節の大半を手作りにしているので、年末の仕込みは大仕事になってしまう。 29日から下準備を始め、30日には日持ちする料理を作り始める。 今年は 『お買物日記』 担当者が食べきれなかった栗を甘露煮にしてあったので、12月 29日に開封してみたところ何も問題なく、それで栗きんとんを作ることになった。

年末には親類から海産物が送られてくるので、それも御節として食べる。 近所のおじいちゃんが育てた立派な大根も毎年いただくので、なますやら雑煮やらに使わせていただいている。 2-3年前から知り合いの方が自身でついた餅をくださるので、今年は既製品の餅を買うのをやめた。 果物は義兄が送ってくれたオレンジがあるし、知り合いの方からミカンもいただいたので買う必要がない。

こうしてみると、主要食材の多くを頂き物で補っている我家は、正月用の買出しといっても年に一度の卵とか、正月らしいカマボコなど、限定されたものだけになる。 ニンジンだの竹の子だのは普段から使うものなので特別な気合いを入れて購入するものではない。 ありがたいことに、親類や知り合いの方のご好意で成り立っている正月なのである。

そして 31日は朝から気合を入れて調理にとりかかる。 何度も書いているが、過去に厨房でのバイト経験がある自分は、御節料理を作る戦力としてしっかり組み込まれているので、ひたすらに材料を切り刻む。 立ちっ放しでヒザがガクガクしてくるが、作業の手を休める訳にはいかない。 そんな調子で、いつも 19:00 までには全ての料理が出来上がる。

普通の家庭であれば、そこで 「お疲れさん」 となり、ゆっくり紅白でも観ながら 『年越しそば』 を食べて終わるのだろうが、我家には出来上がった料理を目の前にして翌日まで我慢する精神力の持ち主がおらず、大晦日の夜から食べ始めてしまう。 19:00 から食べ始め、すでに腹に隙間がないくらいになっているのに、年を越す前に蕎麦を流し込む。

毎年が同じことの繰り返しなので、四日分の御節料理と三日分の雑煮の準備をしておく。 あとは、ただひたすらに飲んだり食べたりして大晦日の夜と正月三箇日を過ごす。 それも冒頭に書いたように、腹一杯を通り越して腹十六杯まで食べるのでコロコロに太りそうなものだが、炭水化物の摂取量が少ないからか、気にするほど体重は増えないようだ。

年齢とともに品数は同じでも作る量は少なくしているが、今年の大晦日から来年の正月も 「おいしい、おいしい」 と自画自賛モード全開で食べまくる年末年始になるのだろう。

マサルノコト scene 9

  以前に務めていた会社で仕事をしていると、受付の女性がとっても嫌そうな顔をして 「変なものが送られてきました」 と荷物を持ってきた。 まるで汚いものでも持つかのように、親指と人差し指でつままれた物体を受け取ると、それは血まみれのレスラーが表紙を飾るプロレス雑誌の束だった。

  ページが開かないように、背表紙以外はガムテープで固定されている。 そして、その雑誌に直接送り状が貼り付けられ、宅配便によって自分のところまで運ばれてきた訳だ。 送り主を見ると、そこにはマサルの名が記されている。 奴のことだから古雑誌を処分するついでに 「嫌がらせのつもりで送ってきたのだろうか」 などと真意を測りかねながら開封すると、そこには 1本のビデオテープが入っていた。

  まるでスパイ映画のように雑誌の中をビデオテープの大きさにくり抜き、ピッタリと収まるかたちでテープが入っている。 底の部分に手紙が入っており、そこには 「○月○日放送の映画を録画してくれ」 と書かれていた。 当時マサルの住んでいたアパートでは衛星放送が受信できなかったのである。 単にそれだけのことなのに、普通に荷物を送るのはつまらなかったらしく、わざわざ手の込んだやりかたで発送してきたらしい。

  もちろん帰宅後すぐに電話して 「くだらないことをするなー!」 と文句を言い、女性社員がどれだけ嫌な顔をしており、それによって自分まで変な目で見られることを伝えたのだが、「会社でのお前の立場をなくしてやる」 なんてことを言う。 「それだけはやめてくれ」 とすがってみたが、「むふふふ」 という不敵な笑いを残して電話が切れた。

  数週間後、受付の女性が 「また何か届きました」 と手に洗濯用の洗剤の箱を持ってやってきた。 前回の荷物の件が周りに知れ渡っていたため、今度は何事かと人がワラワラと寄ってくる。 今度は 『酵素パワーのトップ』 の箱に直接送り状が貼られており、その送り主には見るもおぞましいマサル名が記されていた。

  恐る恐る開封すると、中には普通に洗剤が入っている。 何のために洗剤を送ってきたのか、またまた真意を測りかねていたのだが、その箱が妙に軽いことに気が付いた。 嫌〜な予感がして調べてみると、箱の中に仕切りをつくり、中にビデオテープが収められていた。 わざわざ工作までして箱にテープを入れ、その上に仕切りを作って上の部分にだけ洗剤を入れて送ってきたのだ。

  もちろん帰宅後すぐに電話して 「二度とこんなことはしないように」 と言い渡したのだが、前回と同様に 「むふふふ」 という不敵な笑いを残して電話が切れた。 それからも手を変え品を変えて次々に変な荷物が送られてくるが、用と言えば 「○月○日放送の映画を録画してくれ」 というものばかりである。 会社でも、すっかり変な荷物が届けられることが有名になってしまい、次はどんな手口で送られてくるのか楽しみにする奴まで現れる始末だ。

  そしてある日、会社に会議用の机を梱包する 180cm x 120cm ほどの巨大な段ボール箱が送られてきた。 ちょうど会議用の机を手配していたこともあり、みんなのいる前で開封しようと思って運ぼうとすると、箱のサイズに見合わず鬼のように軽い。 もの凄〜く嫌〜な予感がして送り主を確認すると、そこにはマサルの名。

  なんと、巨大な箱の片隅に小さな仕切りを作ってビデオテープを収め、箱が変形しないように、所々に支柱まで作成してある手の込んだもので送ってきたのである。 周りの奴らはゲラゲラ笑うし、受付の女性からは冷たい目で見られる散々な思いをすることになってしまった。

  もちろん帰宅後すぐに電話して 「いい加減にしろー!」 と怒鳴ってやると、「あほー!規格外の荷物を送るのにどれだけ送料を払ったと思ってるんだー!」 と完全に逆ギレ状態である。 それからも荷物が送られてくるたびにマサルからではないかと怯え、マサルが衛星放送を受信できるようになるまで心安らぐことがない日々が続いたのであった。

想い出の居酒屋 其の肆

想い出の居酒屋 おしながき

『想い出の居酒屋』 というタイトルで、なぜ 『其の肆(よん)』 かと言えば、過去に 『其の参』 まで進んでいたからであるが、それを書いたのは 2003年 04月 06日のことなので 3年以上も前と言うことになる。 決してネタが尽きた訳ではなかったのだが、何となく書くのを忘れていた。 先日、どういう訳か入浴中に何の脈絡もなく当時のことを思い出し、続きを書くことにした訳である。

  『其の参』 の文末に書いたように、その日は突然やってきた。 いつもの週末のように店に顔を出すと知らない人がカウンターの中で調理をし、知らない人が料理を運んでいる。 顔なじみの従業員の一人が寄ってきて 「実は店長と○○さんが店を辞めてね〜」 と言う。 そして、どうやら自分たちで店を開くらしいということを聞かされた。

  水商売の世界では珍しい話しではなく、どこにでもあるような一件だが、それまで何度も通いつめ、まるで自宅のようにリラックスできる場で起こったその ”事件” は、若い (当時) サラリーマンには少なからずショックを与える出来事だった。 その日は何となく気分も乗らず、テンションも低いまま店で時間を過ごし、酔いも中途半端なまま帰宅することになった。

  数週間後、仕事中に受付の女性が 「お客さんです」 と言うので席を立つと、居酒屋を辞めた店長と従業員が二人揃って来ており、新しく店を開いた挨拶と、二人が結婚した報告を同時に受けた。 店を開くのは聞いていたが、結婚することなど夢にも思っていなかったので、驚きのあまり腰が抜けそうになった。 何せ歳の差が 10歳以上もある。 そして年上なのは女性の方だったので、二人が揃って辞めたと聞いても、店を開くと聞いても、結婚などとは考えも及ばなかったのである。

  当時は 『自分たちにとって大切な店を捨てた人たち』 とか、すぐ近くに店をかまえた 『裏切り者』 などという思いが少なからずあったのだが、結婚して夫婦で店を営むという話を聞けば祝いに行かざるを得なく、その週末に 10人くらいで新しい店に行った。

  ところが、以前の店の常連さんも祝いに駆けつけており、店内は人で溢れている。 さらに、その新しい店というのが以前の店の 1/4 くらいの広さしかなく、20人も入れば一杯だ。 入店をためらっていると、今や大将となった元店長が 「来てくれると思って席を用意してた」 と言うので店の奥に進むと、店で唯一の個室があり、そこには 『予約席』 という手書きの紙が置かれていた。

  しかし、その個室は本来 6人ほどの収容能力しかないため、無理矢理 10人が入ると身動きがとれないほどのギュウギュウ状態である。 それでも料理は以前の店と同様に美味しく、値段も安かったのでピラニアのように食べまくった。 途中、狭い場所に大人数が収容されているものだから、酸素が不足して息苦しさすら覚えたが、腹が割れそうになるくらい食べて飲んだ。

  満足して帰ろうとすると、外まで元店長である大将が出てきて、真剣な目をしながら 「本当にたのむ。これからも来てほしい」 と頭を下げる。 前述したように色々な思いはあったが、基本的に楽しく酒が飲めて、安くて美味しいものを食べさせてもらえれば客としては来店を断わる理由はない。「また来るよ」 と言って店を後にすると以前の居酒屋の前を通過した。

  店内はそれなりに混んでおり、自分たちが店を変えても大きなダメージはなさそうだ。 少し後ろ髪を引かれつつ、その店と決別し、翌週からも新しい店に通うことになった。 その日を境に 『想い出の居酒屋』 は舞台を移すこととなり、新しい想い出が新しい店で刻まれることになっていったのであった。