大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

マサルノコト scene 8

  マサルは超雨男である。 『マサルノコト scene 5』 に書いたように、遠くから我家まで頻繁に遊びに来ていたのだが、マサルが来るたびに天気が優れない。 最高で曇り空、だいたいはグズグズした空模様。 ひどい時には、マサルが近づいてくると空に暗雲がたれこめ、落雷が轟き、ゴールデンウイークだというのにバラバラと直径 1cm はあろうかという雹 (ひょう) が降ってきたことさえある。

  当時勤めていた会社の仲間にもマサルが雨男だということが広く知れ渡り、連休の前などは 「友達は来る?」 などと質問を受ける。 「来るって言ってたよ」 と答えようものなら 「お願いだから来ないように言ってくれない?」 と手を合わせてお願いされる。 事情を聞くと、連休中に外出するので雨が降ると困るのだと言いだす始末だ。

  そんな事情でマサルに断りを入れるのも何なので、放っておくと連休中は案の上の雨である。 休み明けには 「どうして断わってくれなかった」 と恨みのこもった抗議を受けることになる。 そんなことを言われてもマサルが来ると必ず雨が降ると確定している訳でもなく、天気が悪かったのはマサルのせいではないだろうと反論するのだが、誰かが統計をとったところ、悪天候の確率は 70%に達するという。

  薄々はマサルが雨男であるような気がしてはいたが、マサルが来た際に天気が良くない確率がそんなに高いとは認識していなかった。 そのことを本人に伝えると、心外だと言わんばかりに機嫌の悪い声で文句を言っていたが、悪天候になる確率を教えてやると、「そう言えば晴れた日にお前と会った記憶がない」 と真剣に悩み始めた。

  人間というものは、自分のことを客観的に見つめ直し、その状況を正確にわきまえた方がよろしい。 この際だからマサルも自分が雨男であることを認めるべきである。 「人間、諦めが肝心だ」 と言って聞かせ、渋々ながらも雨男であることを認めさせた。 最初はテンションが下がっていたものの、ある時期から気持が吹っ切れたようで、開き直りにも近い状態となった。

  「昨日は出張で○○まで行ったけど、やっぱり雨でよ〜」 などと自慢の電話をかけてくる。 仕事のため、とある島ままでフェリーで行き、とんでもない悪天候になって船が欠航したため 2日間ほど足止めをくって島から帰って来れなかったなどという自慢話を聞いたのも一度や二度ではない。 とにかく各地で 『嵐を呼ぶ男』 は絶大なるパワーを発揮していたのである。

  ある日、マサルは我家に遊びに来ていた。 夜になって腹も減ってきたので近所の居酒屋まで行くことにした。 道を歩いていると、やっぱり空はどんよりとし、ポツポツと雨も落ちてきている。 「やっぱりな〜お前のパワーはすごいな〜」 などと言いながら居酒屋で腹一杯になるまで食事をし、気分が良くなるまで酒を飲んだ。

  帰り道、店を出るときには止んでいた雨が再び降りだし、ポツポツと頬をぬらし始めた。 「どうやら雨はお前をぬらしたいらしいな」 などと言いながら歩いていると、酔ったマサルが大声で 「どうせなら中途半端に降っていないで思いっきり降れ!」 と叫んだ。 すると恐ろしいことに、それから 1分も経過しないうちに雨足が強まり、鬼のような勢いの土砂ぶりになった。

  ずぶぬれになって家に帰り、「お前は自分のパワーを分かっていない!」 「余計なことをして土砂ぶりにするな!」 などと訳の分からない説教をしながら濡れた服を着替える。 マサルは少しションボリしながら 「俺だってまさか大雨になると思わなかったしよ〜」 と弁解していた。

  会社でその話をすると、みんなは 「恐ろしや、恐ろしや」 とざわめき始め、オロオロとうろたえている。 それ以降、マサルは 『レインマン』 と呼ばれ、恐るべき雨男として長く語り継がれることになったのであった。

マサルノコト scene 7

  『マサルノコト scene 5』 に 「自分からマサルが暮らす街に行ったことなどない」 と書いたが、実は一度だけ行ったことがある。 それは、わざわざマサルを訪ねに行った訳ではなく、ついでに立ち寄っただけだ。 過去の雑感に何度か書いているように、出不精となった今では信じられないほど車に乗って遠くまで出かけたりしている時期だった。

  その前日から仲間 6人と 2台の車に分乗し、行き先も決めず、当てのない旅をしていた。 夜がふけて夜中になっても走り続け、気が付くと住んでいた町から 400km 以上も離れたマサルの住む街にたどり着いていた訳だ。 その街は 7/22 の雑感に書いた祖父母が暮らしていた街でもある。 自分には土地勘があるので仲間に市内を案内し、祖父母が住んでいた場所も見に行った。

  そして、そこはマサルの住む街であることも思い出し、すでに仲間内では有名人だったマサルの家を訪ねてみることで意見の一致をみたのである。 しかし、具体的にどこに住んでいるのか分からなかったので、当時は各所に点在していた電話ボックスに入り、マサルの住所を探ろうとしたが、電話帳には記載されていなかった。

  そこで悪い頭をフル回転させて年賀状に書かれていた住所を思い出そうと必死になった。 おぼろげながら浮かんできたのは 『〇〇町』 という市内の地名だ。 とりあえずはその町名の場所まで移動し、あとはヒマにまかせての捜索活動だ。 『マサルノコト scene 2』 に書いた状況から、幹線道路まで徒歩数分の距離であること。 そして、その時の会話から自分が知っている場所からもアパートが近いことは推測できる。

  マサルが乗っている車の種類や色も分かっているので、ある場所に的を絞って車の捜索を開始した。 30分ほど探しただろうか、マサルの物と思わしき車を発見し、郵便受けを確認すると 2階の部屋にマサルの名前を見つけた。 別行動していたもう一台の車に乗った仲間を呼び寄せ、合計 7人でソロリソロリと階段を上る。 その日は日曜日、時間は午前 7時。 外出しているはずがない。

  ドアを数回ノックしたが、マサルは現れない。 強く、そして長くドアをノックし続けると、寝ぼけた目をしたマサルが顔を出した。 「ど、どうした?」 と驚いているマサルを無視し、狭いアパートの中に合計 7人が次から次へと乱入する。 部屋に入るなり、「腹が減った」 と食卓に置いてあったパンを貪り喰い、「のどが渇いた」 と冷蔵庫の中のものをゴクゴク飲む。

  マサルは呆気にとられて部屋の中央に立ちすくんだままだ。 まるで立場が入れ替わったように 「まぁ座れ」 とマサルをイスに座らせ、部屋の中を物色する。 オーディオ関係の棚の中に聴きたかった CD を発見したので 「これ借りていくぞ」 と何枚か取り出したりしていた。 そして、今が旅の途中であること、夜通し走っていたので休憩を兼ねて訪ねてきたことなどを話し、小一時間くらいでアパートを出て、状況を完全には把握できず、まだボ〜ッとしているマサルを残して街を後にした。

  その夜、マサルから電話があり、「何か俺、変な夢を見たんだけどよ〜」 と言い、「朝早くにお前が来てな〜」 と今朝の出来事を淡々と話し始めた。 「そうか〜悪い夢を見たな〜」 などと適当な相槌をしていると 「ふざけるなー!」 と急に怒り出し、「せっかくの休みだったのに早起きさせられた」 とか 「人の寝込みを襲うとは何ごとぞ」 などと文句を言う。 少し話を聞いていたが、最終的には 「うるさい!」 と言って電話を切ってやった。

  そしてその後、外で車の止まる音が聞こえるたびに、悪夢の再来かと怯える日々が続いたマサルなのであった。

マサルノコト scene 6

  前回の続きになるが、マサルが連続で遊びに来る記録が 9週で途絶えたのは体力の限界が理由だった。 当時、二人とも仕事に対して少なからず不満を持っており、そのストレスを発散するため、あるロックバンドのライブを観に通ったりしていた。

  過去の雑感に特定のもののファンになることはないと何度も書いている通り、今から思えばその音楽性やバンドそのもののファンだったのではなく、単にライブ会場で大暴れしてストレスを解消することだけが目的だったように感じる。 何十枚も CD が発売されているのに持っているのは 4-5枚程度だし、メンバー全員の名前すら知らない。

  その程度のものであるにも関わらず、毎回のチケット購入が面倒になったので、電話予約だけで予約可能なファンクラブにまで入会していた。 電話をして予約を済ませ、銀行にお金を振り込んでおけばチケットが郵送されてくるので楽だったのである。 本当のファンで心から応援している人たちには申し訳ない限りだ。

  それでもファンクラブの力は絶大で、会場の最前列近くのど真ん中にある席のチケットが送られてきたりするので、マサルと自分のライブ熱はヒートアップするばかりだった。 ライブ前日から仕事を休んでマサルが宿泊し、自分だけ仕事に行ってスーツ姿のまま会場に直行したり、マサルが仕事を休めない日は休日の朝早くに家を出て 400km の道を車で移動してやって来る。

  もの凄く忙しい時は夜 9:00過ぎにライブが終わって軽く食事を摂り、そのまま 400km 先の自宅に帰るという無謀なこともしていた。 自分の住んでいた街とマサルが住んでいた街の中間地点までライブを観に行き、それが終わった後に 200km 先にある自分の街までマサルが送ってくれたこともある。 その時点で深夜になっているのだが、明日も仕事だからと言って 400km 先まで帰っていったこともあった。

  若さゆえに可能だった荒業ではあるが、そんな無茶なことが長く続くはずがない。 連続記録更新中の 9週目に事件は起こった。 その時は金〜日曜の 3 days のライブだったので、マサルは仕事を休んで遊びに来ていた。 チケットはファンクラブ経由で 3日間とも押さえてある。 最終日のライブを観に行っていると、翌日に遠く離れた街で野外ライブを決行することが告げられた。

  三日間のライブで気合いの入ったマサルは、「もう一日休んで観に行く!」 と言い出した。 自分も異論はなかったので、仕事を休んで遠い街まで出かけることにした。 そこは自分の住んでいた街から 400km 以上も離れていたが、気合いが入っているので気にならない。 二人勇んで会場に向った。6時間以上の道のりも苦にならずに到着してライブが始まる。

  そして終了したのは 20:00 を過ぎていた。 ここまで来てしまった訳だから当然、帰らなくてはならないのだが、ライブで燃え尽きたので道のりが遠く感じる。 帰りは夜ということもあって割とスムーズに進んだが、帰宅したのは深夜 1:00 を過ぎていた。 そして、恐ろしいことにマサルの自宅はまだ 400km 先である。 燃え尽きたマサルは少し悩んでいたが、「今から向えば仕事に間に合うかもしれない」 と言い残して遥か彼方にある街に向ってアクセルを踏み込んでいった。

  帰宅した自分は倒れこむようにベッドに入り、ドロのような眠りに落ちた。 翌日の仕事を終えてからマサルに電話してみると、ものすごく元気のない声が受話器から聞こえてくる。 「あれからどうだった?」 と尋ねると、仕事に間に合う時間に到着したが、『あしたのジョー』 のように体力も気力も燃え尽きて、真っ白な灰になってしまい、高熱を発して倒れてしまったのだと言う。

  翌日になっても熱は下がらず、前週の金曜日を含めると 4日間も会社を休むことになってしまい、上司からこっぴどく叱られたマサルは週末に遊びに来るのを止めた。 これが連続記録が 9週で途絶えてしまった真相だが、あの無理がなければ何週間の記録が生まれただろうと思う。 しかし、それを期にライブからも足が遠のき、会う機会もめっきりと減った。

  そしてその後、二度と再び記録に挑むことはなかったのであった。

マサルノコト scene 5

  マサルと自分は東京と大阪で暮らしているので実際に会う機会はほとんどない。 以前も同じ街に住んでいた訳ではないので、一年に一度くらいの割で生まれ育った地元で会うくらいだったが、ここ五年以上も帰省していないので結果的にマサルの顔も見ていない。

  もしかしたら、これは会わない期間の最長記録だろうか。 お互いに若く、体力もある頃は頻繁に会って遊んでいたものである。 とは言っても一方的にマサルが訪ねてくる状態で、自分からマサルが暮らす街に行ったことなどないのだが・・・。

  たまたま遊びにきた翌週に出張研修で三日間ほどマサルを家に泊めることがあった。 その際に 「何週連続で遊びに来れるか」 という話になり、ムキになりやすいマサルは 「それなら挑戦してやろうじゃないか」 と言い出した。 純粋に遊びに来ることが目的ではなく、何週間続けられるかが目的になってしまった訳である。 そして、当時は 400km ほど離れた土地に暮らしていたため、法定速度を守って車を運転すると、往復で 12時間以上もかかる道のりだ。

  そんなに続くわけがないだろうと高をくくっていたのだが、マサルは律儀に毎週やって来た。 土曜日の午後に 「ピ〜ンポ〜ン」 と鳴ると外にいるのはマサルに決まっている。 当時はオートロック式のマンションに住んでいたので、インターフォン越しに何か面白いことを言って笑わせてくれない限り正面玄関のロックを解除してやらなかった。

  長距離運転をし、おまけに自分を笑わせるネタまで考えなければいけないのだからマサルは大変だ。 何週目かに、あまりにもつまらない事を言ったので無言のままインターフォンを切ってやった。 すぐに 「ピ〜ンポ〜ン」 と鳴って 「人が一生懸命考えたのに切るとは何ごとだ!」 と怒っている。 「うるさい」 と言って切ってやると、またすぐに 「せっかく遊びに来てやったのに!」 と怒鳴ってくる。

  それでも無視して切ってやると、「運転で疲れているんだから入れて」 と泣きついてくる。 「笑わせてくれなきゃ入れてやらん」 と突き放すと、急に静かになってしまった。 (怒って帰ったのだろうか) と少し不安になりかけた 30分後、「ピ〜ンポ〜ン」 と鳴ったので出てみるとマサルが何かを言って大笑いさせてくれた。 何か面白いネタはないかと車の中で考えていたと言う。

  めでたく正面玄関を突破して来たマサルだが、いくら深い付き合いであろうと毎週会って話すことなど続く訳もなく、二人でテレビを見たりゲームをしたりして夜になると飯を喰いに外出し、気分良く酒を飲んで就寝し、翌朝になると帰って行くという無意味な生活が続いた。

  何に対して意地を張っていたのか今となっては分からないが、結果的には無駄な労力と時間とガソリン代を費やして 9週間連続という大記録を樹立した。 なぜ 10週間連続にならなかったのか、連続記録が途切れてしまった経緯に関しては、またそのうちに書くことにしようと思うが、本当に何を考えていたのだろうと今になって思う。

  それでも、そんなことが思い出になって、今でも当時を振り返って 「バカなことをしてたな〜」 と話題の一つになって会話が盛り上がるのも事実だったりするのではあるが。

マサルノコト scene 4

  3/18 からの続きになってしまうが、マサルの留守電で遊んでいた頃に、楽しませてもらってばかりでは申し訳ないので、こちらも楽しませてやろうと色々なメッセージを残しておいた。 当時は二人揃ってあるアーティストに入れ込んでおり、そのテーマソングだけを録音しておいたら数時間後にマサルから電話があった。 「よく分かったな」 と言うと、「あんなことする奴はお前しかいない」 という返事。

  当時は携帯電話など普及しておらず、どうしても確認したいことがあったので何度も電話したがマサルは外出中だ。 最初は 「すぐに電話くれ」 とか 「早く帰ってこ〜い」 などとメッセージを残しておいたのだが、だんだん話すことがなくなってきたので途中からは似ても似つかないモノマネを録音してやった。

  「こんばんは・・・森進一です」 とか 「ど〜も〜桜田淳子で〜す」 とか 「どうぼ、だぶらまざがず (田村正和) です」 などなど、思いつく限りの芸能人の名を挙げ、誰が聞いても似ていないモノマネをして一人で笑ったりしていた。 そして、そんなことをしたのをすっかり忘れて遊びに出かけ、帰宅したら鬼のように怒ったマサルからの電話があった。

  ワナワナと震えた声で 「おまえな〜」 と言うので 「あ?」 と間抜けな返事をしたら 「くだらないことをするなぁー!」 と叱られてしまった。 なんでも外出先から留守電のチェックをしたところ、「34件のメッセージがあります」 と聞き、親が怪我か病気でもしたのかと心底驚いたと言う。 そんなのは知った事ではないので 「うるさい!楽しませてやろうとしただけだ!」 と反撃すると 「たしかに面白かったけどよ〜」 と、しぶしぶ認める気の良い奴なのである。

  マサルとは本当によく電話で遊んだものだ。 二人で夜中にテレ朝系の 『朝まで生テレビ』 を観ながら電話で出演者の意見に文句を言い合い、『朝まで生電話』 になってしまったこともある。 マサルの映画評論は中途半端な評論家より信頼できるので、電話で面白い映画を教えてもらってからレンタルビデオ屋に向ったことも一度や二度ではない。

  過去の雑感に何度も書いているように、ドロドロとした恐怖映画は恐くも何ともないのだが、何かが急にドバーッ!と出てきたりして驚かされるものは心臓に負担がかかるので観ていられない。 そこで登場するのがマサルだ。 自分が興味を持つような映画はだいたい観ている奴なので、電話をして驚くシーンがあるかを事前に確認する。

  すると、「映画中盤で主人公が洗面台の棚に手を伸ばしたときに後ろから・・・」 などと驚かされるシーンを細かく説明してくれるので、十分に心の準備を整えた上で鑑賞できるので誠にありがたい。 それでも想定外のシーンで尻が床から 6.25cm ほど浮き上がるくらい驚き、うずくまってハアハアするようなこともたまにはある。

  映画を観終わった後にマサルに電話して 「あほー!〇〇のシーンで死にそうになったぞ!」 と抗議すると、「そんな程度のことで驚くと思わねーだろーが!」 と反撃される。 「お前の言うことなんか二度と信用するか!」 と悪態をつくと 「泣きながら電話してきても教えてやらないからな!」 と大喧嘩になってしまう。 それでも数日すると、ご機嫌を伺いながら電話して面白い映画を教えてもらったり、驚くシーンの有無を確認したりするのである。

  そして、そんな関係は現在も継続したりしている。 ここ数年はレンタルで映画も観ていないが、ゴールデンウィークも近いことなので、そろそろマサルに電話して映画評論でも聞こうかと思っている今日この頃である。

マサルノコト scene 3

3月 8日の夜。 『明けましておめでとうございます』 という E-mail が届いた。 迷惑メールかと思って送信元を確認すると、それはマサルからのものだ。 (3月だというのに何がおめでとうじゃ!) と思いながらもメールを開いたが、件名とは何の関係もない本文。 内心ムカムカしながらも、ネットに関する質問だったので一応は回答しておいた。

  独り言にも書いたが、11日の夜にマサルからの電話があり、久々に長電話をした。 特に重要な話しがあった訳ではないが、年に一度くらいの割で電話をし、その度に長電話になってしまう。 近況報告といっても 「どうだ?」 「まあな」 の一言で終わり、それからは延々とくだらない話をして笑い転げる。 そして、実のない話に終始してお互いに疲れきったところで電話が切れる。

  電話に関しては前回の雑感にも書いた通り、いろいろなことをして遊んだものだ。 話すことがなくなったら切れば良さそうなものだが、若い頃はヒマを持て余していたので互いに切ろうとしない。 しまいには何も話さず同じテレビを観てお互いにブツブツ言っているだけだったこともある。

  もっとヒマになってくると、新聞のテレビ番組欄に載っている出演者の名前を読み上げ、それが何の番組なのかを当てる遊びもしたことがある。 問題を出し合い、短い時間で当てた方が勝ちなのだが、それも長い時間は続かずに飽きてしまい、電話をしているくせに 「何か面白いことはねーのか」 などと文句を言っていたものである。

  マサルが購入した電話機には留守番電話機能も搭載されており、標準で流れる味気のないメッセージではつまらないと言うことで、留守電メッセージに凝ったことがある。 とは言ってもマサルが一方的に自分を楽しませるために録音してくれたものではあるのだが、信じられないくらい多くの種類のメッセージがあった。 しかし、今ではその大半を忘れてしまっている。

  それでも強く印象に残っているのは・・・ 「ただいまプロレス観戦に出かけています。」 というメッセージとともにプロレス会場らしき声援が後ろで流れている。 「5分経ったらおかけ直しください」 というメッセージの後に会場アナウンスの 「試合開始 5分経過〜5分経過〜」 という声が聞こえるものである。 自分はネタだと分かっているので良いが、マサルの母君は本当に 5分後に電話してきたそうだ。

  さらに強い印象があったのは、今の子ブッシュではなく親ブッシュ大統領時代、1991年の『湾岸戦争』 当時の留守電で、「今、私はイラクに来ているため電話に出ることができません」 とういうメッセージの後ろでは銃撃戦の音や戦車の走る音がしている。 「御用のある方は、ビーという音の後に・・・」 と言ったところで大きな爆発音が轟き、マサルの 「うわぁ〜!!」 という絶叫で終わるものだった。

  ネタを考え、効果音まで入れてメッセージを録音するのは大変だったろうが、自分はと言えば 「そろそろ飽きたから他のにしてくれ」 という一言を留守電に入れたりしている我ままな奴だったりするのである。 それでも一年間くらいは様々なネタで楽しませてくれたマサルなのであった。

  話を 11日の電話に戻せば、散々くだらない話をした後で 「何があけましておめでとうじゃ!」 と文句を言い、「来年からお前になんか出してやらないからな」 と言い添えると、「配達される年賀状が年々減って 10枚を下回りそうだからやめないで」 とすがってくる。

  とりあえずは 「うるさい!」 と言って電話を切ってやったが、今年の年末もマサル宛の年賀状を書くことになるだろう。

マサルノコト scene 2

  今日で元旦から二週間が経過したが、相変わらずマサルからの年賀状は届いていない。 『便りのないのは無事の知らせ』 と言うくらいなので、とくにこちらからも連絡はしていない。 どうせ連絡したところで、くだらない話をダラダラして終わるだけなのは目に見えているからである。 本来なら違うネタで雑感を書こうと思っていたのだが、腹立たしいのでマサルのネタにすることにした。

  マサルは就職して一人暮らしを始めた際、六畳二間の小さなアパート暮らしだったくせに、当時としては最新式のコードレス電話を購入した。 「そんな狭い部屋でコードレスなんぞ必要なかろう」 と言ってやると、それはどれだけ便利なものかとムキになって説明を始めた。 「はいはい」 と適当に返事をしていたが、少なからず興味があったので 「どの程度まで電波が届くのか」 と質問をしてみた。

  「取扱説明書には 50メートルと記載されている」 と答えるので 「やっぱりその部屋には必要ない」 と言ってやった。 すると、「外で洗車しているときだって子機を持って出れば電話を受けられる」 などと訳の分からない理屈をこねる。 「それじゃあ、話したまま外にでてみろ」 ということになり、マサルは子機を持って話をしながら部屋を出た。

  当時住んでいたのは海沿いの田舎町で、障害物となる大きな建物もなく、思いのほか遠くまで通話が可能だった。 普段と変わらない会話をしながら、時折 「今は家から 200メートルくらい」 などという報告をしていたのだが、それが 500メートルになっても 700メートルになっても途切れることがない。 1キロくらいになったときに少し会話にノイズが混ざるようになったくらいのものである。

  電話の性能を試すのにも飽き、会話することもなくなったので 「その電話が凄いのは分かった。じゃあな」 と電話を切った。 すると、すぐに電話が鳴ったので出てみると 「切るな〜!」 とマサルが怒っている。 聞けば 「こんな夜中にパジャマ姿で電話機を握りしめて歩くのは恥ずかしい」 と言う。 確かに当時は携帯電話など普及しておらず、おまけにマサルは寝る準備をしていたところだった。

  「電話していても一人で歩いているから一緒じゃ!」 と切ると、すぐにかけてきて 「お願いだから切らないで」 と懇願してくる。 それでも話をすることがなくなっていたので 「もう遅いから気をつけて帰るんだよ」 と切ると、再びかけてきて 「たのむ〜!きらないでくれ〜!」 と騒いでいる。 可哀想になったので仕方なく話しに付き合うのだが、少し話すと会話が途切れる。

  その度に 「きるぞ!」 と脅かしてやると 「ちょ、ちょとまて!」 と必死に会話を続けようとするのだが、話のネタも尽きて新しい話題がない。 そうこうしているうちに家の近くになったらしく、急に態度が大きくなって 「お前なんかに二度と電話してやるもんか!」 など言いだす憎らしい奴なのである。

  この電話機に関しても様々な逸話があるのだが、それも次の機会に譲ることにする。

マサルノコト scene 1

  元旦から一週間が経過して年賀状も届き渡ったようだが、古くからの友人であるマサルからの年賀状は届かない。 最近になって聞かれる親友という定義、『メールは 15分以内に返す』 などという薄っぺらな付き合いではないので気にはならない。 去年、久々に電話をすると移転案内が流れてきて初めて引っ越したことを知った。 その電話ですら一年ぶりくらいにかけたものだ。

  現代っ子からすると、そんなのが友人関係と呼べるのか不思議に思うだろうが、真の友人というものはベタベタとしていなくても互いが必要とするときに力になれば良いものであって、毎日のように話したり相手の機嫌を伺うようなことをする必要はないのである。 どんなに時間が経過しようが、何カ月、何年も顔を見なくても実際に会えばその時間が一瞬にして埋まり、何ら変わりなく付き合えるものだ。

  移転案内で変更になった電話番号を知ることができ、話をしたのだが住所などは聞いておらず、ただ東京に住むことになったということだけ確認し、一応は E-mail アドレスだけ控えておいた。 そして昨年末、「年賀状を出してやるから住所を教えなさい」 と一行だけのメールを送信した。 するとマサルから 「なんという高圧的な言い方だ!むかつくが教えてやる」 と住所が返信されてきた。 そして文末には 「以上だ!悔しかったら出してみやがれ」 と書き添えてある。

  むかっ腹が立ったが一応は元旦に間に合うように出してやった。 しかしマサルからの年賀状は今現在も届いていない。 現代のような希薄な友人関係であれば、それで壊れてしまうところだろうが、何十年も続く関係はその程度のことで崩壊することはないのである。 自分も変な奴だと自覚しているが、マサルも相当に変な奴なので妙に気が合うのかもしれない。

  以前、何かで一万円を貸したことがあったのだが、いつまで経っても返金してくれる気配がない。 それでも信用しているので何の催促もせずに放っておいた。 若い頃はキャッシュカードでお金を引き出してばかりで銀行の通帳に記帳などすることがなかったのだが、あまりに出し入れが続くと銀行から明細が送られてくる。 普段はそれすら見ないのだが、たまたま中を確認して驚いた。

  ミヤザワリエ様 入金 ¥2,000、コイズミキョウコ様・・・など、有名芸能人5人から ¥2,000 が振り込まれている。 そんなヒマなことをする奴はマサルしかいない。 ふざけ半分で借金を返してきたらしい。 すぐに電話して 「くだらないことをするな!」 と大笑いしながら言ってやった。 すると、「俺だって恥ずかしかったんだ!」 と言う 「『ミヤザワリエ様』 って呼ばれて立ち上がる身にもなってろ!どれだけの人に見られるか!」 と、自業自得のくせに怒っている。

  おまけに 「手数料だって 5回分もかかったんだぞ!」 と完全に逆ギレ状態だ。 いつまでも話に付き合っていられないので 「アホ〜」 と言って電話を切ってやった。 そして、それから何カ月も音信不通状態が続く。 実家は互いに同じ町にあるので帰省した際に会って酒を酌み交わす程度である。

  真の友人、とくに男同士の場合はそれで良い。 深く悩んだとき、本心から困ったとき、重大な決断を迫られたときに曜日や時間を問わずに相談できる相手。 損得抜きで付き合うことができ、時間や距離に間があっても心が通い合う仲間。 自分にとっての心のよりどころでもある。

  変な奴であるのが困りもので、逸話は数え切れないくらいあるのだが、それは次の機会に譲ることにしようと思う。

嗚呼日本人 8

嗚呼日本人 ~目次~

  一気に 1 リーグ制に移行すると思われたプロ野球だったが、ここにきて 2 リーグ制維持の機運が高まっている。 これが野球ファンのことを思ってのことであれば素直に称賛するのだが、どうやらセ・リーグ球団の収益が悪化する懸念があるというのが主な理由であるらしい。 バブル期以前のメーカーにユーザー不在の理論がまかり通っていたのと同様に、プロ野球はファン不在のまま物事が進行している。

  ジャイアンツ中心に球界が回っているようだが、いつまでもジャイアンツ人気に頼っている場合ではないだろう。 第一、そのジャイアンツですら圧倒的な人気を誇っていた過去を忘れられずにいる。 テレビの視聴率も 20%以上を獲得していた時代は過ぎ去り、今では巨人 vs. 阪神で 20%にやっと届く程度で、その他のチームとの試合は 10%を割り込むことも珍しくないというのに。

  そんなチームに依存しているばかりではなく、メジャー・リーグやサッカーのようにファンを大切にする改革を進めなければ、プロ野球は衰退の一途を辿ることになりはしないだろうか。 バブル崩壊後の日本企業が 「景気循環でそのうち良くなる」 と安閑としていて改革が遅れ、傷を大きくしてしまったのと同様に、プロ野球も改革を急がなければ手遅れになってしまうような気がする。

  変化を好まず、危機的状況にならなければ重い腰を上げないのは日本人らしいが、熱しやすく冷めやすいのも日本人である。 プロ野球ファンが一気に冷めてしまったら立て直すのに長い年月を要するだろう。 今がプロ野球という機構そのものを改革するチャンスと、前向きにとらえて、より良い方向に進むことを願わずにはいられない。

  しかし、2 リーグ制を維持することになった場合、近鉄はどうするのだろう。 買収を申し出たライブドアのことを無視したり鼻であしらったりしたのだから、今さら 「いやぁ〜ありがたい話で・・・」 などとは言えまい。 いや、そこは日本人であるから手の平を返したようにコロっと態度を変えるかもしれない。 このまま 2 リーグ制の維持が決定し、近鉄がどう動くのか見てみたいような気がする。

  今回の一連の騒ぎでマスコミは傍観的な立場を装って事の成り行きを伝えているが、ジャイアンツ中心の報道を続けてパ・リーグの結果など小さくしか扱わなかったのだから、責任の一端はあるだろう。 それを棚に上げて偉そうな解説はしてほしくない。 権力や勢力のあるものには反抗しないで、がまんして従っていた方が得だという、『長い物には巻かれろ』 的発想も日本人らしいのではあるが。

  在阪球団の危機だというのにマヌケなことしか言えない太田房江知事にも腹が立つ。 近鉄存続の危機が伝えられたとき、彼女はこう言った 「大阪はせっかく景気が回復してきたのに ”こんなことで” 腰を折ってほしくない」 と。 ”こんなこと” とは何事か。 近鉄ファンに失礼であろう。”こんなこと” と言っておきながらオリックスとの合併後は拠点を大阪に移してほしいと要請してみたり支離滅裂である。

  ライブドアが買収を持ちかけ、「本社を大阪に移しても良い」 とコメントしたときも、「まず大阪に本社を移す気構えをみせてほしい」 などという馬鹿なことを言っていたが、本社を大阪に移せば近鉄を買収できる保証を ”彼女” はできるのだろうか。 いったい何を考えて発言しているのか分からないが、まがりなりにも知事であるのだから、もう少し頭を使ってからしゃべって頂きたいものである。

  特定の宗教団体が圧倒的な力を発揮したとはいえ、彼女のような人が知事として選任されてしまうことを許してしまうのも日本人らしいと言えば日本人らしいのではあるが・・・。

嗚呼日本人 7

嗚呼日本人 ~目次~

  ここのところ、ずっと日本人の国民性を話題にしているが、難しい問題だけではなく、ごくごく身近にも日本人特有のことが多くある。 本で読んだのだが、海外から届いた郵便物に貼ってある切手がベタベタと適当に貼ってあり、中には明後日(あさって)の方を向いているものもあったと書いてあり、日本人であれば受け取る人に失礼のないように真っ直ぐに貼るだろうと文章は結ばれていた。

  確かに自分も複数枚の切手を貼る時は綺麗に並べて貼る習慣になっているし、切手が曲がって貼ってある郵便物を受け取ったこともない。「切手は真っ直ぐ貼りなさい」 と、親からも仕事の先輩からも教育を受けたことはないのだが、大多数の日本人は適当な貼り方をしないだろう。 切手などは取り扱い料金を間違いなく払っている証明でしかないのだから、どんな貼り方をしていても問題はないはずだ。 それでも曲がった貼り方を自他共に許さないのは実に日本人らしい。

  同じように、お金 (紙幣) をクチャクチャに丸めて出す人にも滅多にお目にかかれない。 若い頃、お客さん相手のバイトをしていて、延べ何千人、何万人という人からお金を受け取ったが、適当に丸められた紙幣を出した人は 2-3人しかいなかったように思う。 ものが通貨だけに粗末に扱う人は少ないのだろうが、洋画を観ているとポケットからクチャクチャになった紙幣を出すシーンを観ることが多い。 やはり国民性の違いなのだろうか。

  さらに洋画でよく観るのが受け取ったプレゼントの包装紙をビリビリに破いてしまうシーンである。 日本人でああいう開け方をする人はいないだろう。 貼ってあるテープを爪でコリコリしながら慎重にはがし、包装紙を破らないようにゆっくりと開いていく。 途中でピリッとでも裂けようものなら、親から叱られたものである。 親はその包装紙を綺麗に折りたたんで保管していた。

  「いつ必要になるか分からない」 というのが理由だったが、保管場所となっている引出しには包装紙があふれ、結局は使われることなく、まとめて捨てられる運命にある。 最後に捨ててしまうのであれば、開封の時にビリビリに破いてその場で捨てても同じことなのだが、特に人前ではそういうことができない。 考えようによっては一刻も早く中を見たいという感情がストレートに表現されているように思うので、プレゼントをくれた人の前でビリビリと包装紙を破くのも悪くはないと思うのだが。

  それに近い状況としてブランド物の紙袋の存在がある。 街で良く見かけるのは CHANEL(シャネル) とか GUCCI(グッチ)、COMME CA DU MODE(コムサデモード) などの小さな紙袋を持って、澄まし顔で歩いている女の子である。 本人はそれで満足しているのかもしれないが、その袋が使い回されているのは一目瞭然だ。 すでにヨレヨレになった紙袋を持って澄まして歩いていても情けないだけである。

  それでも 『同じ持つならブランド物』 という見栄があるのか、明らかに 『何度も使ってます』 というのが見え見えの紙袋を持って歩く感覚は、親世代が有名百貨店の包装紙を大切に保管して、何かの時に使おうとしていた感覚と変わらないではないか。 そういう意味では、親の行為を見て 「せこい」 などと、一方的に非難することはできないように思う。

  現在の日本にはモノがあふれ、不自由を感じずに生活することが可能になったが、日本人の DNA はこれからも確実に受け継がれていくのであろう。