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雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

物の価値物の価値

かなり以前の雑感にも価値観について書いたが、また同じようなことを考える機会があった。 やはり物の価値というのは主観的な要素で大きく変動するものであり、それが高いか安いかは人によって大きく感じ方が異なるものだ。

何度も書いているように、自分はモスバーガーが好物であるが、マクドナルドと比較して売られている金額は高い。 しかし、それでもモスバーガーを選択するのは食後の満足感がマクドナルドより遥かに勝るからである。 味が好みではない人にとっては高い金額を払う価値などないだろうが、自分にとっては価値のある味だと思っているので、マクドナルドがデフレ期に 58円だの 100円だので販売していた時期も頑固にモスバーガーを食べ続けていた。

逆に安いものに価値を見出して結果的に得をする場合もある。 マグロのトロは赤身に比べて何倍も何十倍も高価だが、自分は健康上の理由から油を避ける生活を続けているので、高い金額を支払ってまでトロを購入する必要性がない。 また、一切れや二切れ程度を食するのなら良いかも知れないが、あんな油まみれの身を何枚も食べたいとも思わない。

それは肉類にも言えることで、霜降りも見事なフィレ肉などは食べても胸焼けするだけであるし、上と同じ理由で食べるのも避けているので、自分にとっては価値のないものである。 どうしても肉が食べたいときは鶏肉か、赤身の部分で十分だ。 大好物なのに高くて食べられないのなら我が身が哀れだが、食べたくもないものがどんなに高価であっても何の問題もない。

つい先日、『納得!買っとく?メモっとく』 にも掲載していたデジタルカメラを購入した。 安く買ったとは言え、それはモスバーガーが 100個も買える金額だった。 旅に出る訳でもなく、写真が趣味な訳でもなく、さらに必要に迫られていた訳でもないのに、高い買い物をしたという感覚はない。 機能的にも性能的にも十分で、絶対的必要性はなかったものの、十分な満足感が得られたからである。

最近は購入する頻度も費やす時間も減ってしまったが、自分がかつて業界に身を置いていたテレビゲームなどは、その価値が大きく問われるものだった。 そもそもゲームに興味のない人にとっては、本体に数万円も支払い、ソフトに数千円も金をかけること自体が価値のないことだろう。 ところがゲームに興味があったり、それが好きな人にとっては、その金額に値するものなのである。

ただし、ソフトには当たり外れがあり、たとえば 5,000円だとしても、それだけの価値があるものと 「金を返せ!」 と言いたくなるものが存在する。 しかし、それとて個人差があり、仮に自分が楽しめなかったゲームにも十分に満足する人だっているかもしれないので、それが高価か否かは主観によって判断される側面が圧倒的だったりする。

人それぞれ、自分にとって価値があるものに対して、それ相当の対価を支払えば十分なのではないかと思ったりしている今日この頃である。

マサルノコト scene 11マサルノコト scene 11

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マサルと友人関係になったのは中学二年生のときだが、一年生のときから一方的にマサルのことは知っていた。 不良仲間にアキラというのがおり、そこそこ喧嘩も強かったので仲間から一目置かれている奴だったのだが、マサルはそのアキラを掃除用具であるホウキを振り回して追いかけていた。

廊下を歩いているとアキラが血相を変えて走ってくるので 「どうした?」 と声をかけたのだが、「あわわわ」 と訳の分からないことを言いながら一目散に逃げていく。 何ごとかと見ていると、後から走ってきたのは鬼のような形相をしたマサルだった。

アキラは恐怖で足がすくんでしまったのか、よほど慌てていたのか、階段を駆け下りようとしてバランスを崩し、途中にある踊り場で転んでいる。 そこにホウキを手にしたマサルが追いつき、何事かをわめきながらアキラをめった打ちし、普段は喧嘩の強いアキラから 「ゴメン!ゴメン!俺が悪かったから!」 と謝罪の言葉を引き出していた。

あのアキラがかなわないのだから、背が高く、体もごついその男は相当な奴なのだろうと思っていた。 そして二年生となり、近くの席にマサルの姿を見たとき、これはお近づきになっておいた方が良いのではないかという打算が働いたりもしたが、ニコニコしているエビス顔のマサルからは不良の持つ独特の雰囲気を感じない。 事実、マサルは ”超” が付くくらいの真面目人間であり、法律はおろか、校則すら厳守するような奴なのである。

最初に交わした言葉など忘れてしまったが、席が近かったこともあってすぐに友人関係へと発展し、クラブ活動などしていなかった二人は下校時に途中まで一緒に帰るのが常となった。 たまには街の中心部にある本屋などに立ち寄ったりしたが、そんな時もマサルは 「一度帰ってから」 と言う。『下校時に寄り道しない』 という小学生並みの原則を中学二年生になっても頑なに守り続けているような奴だ。

自分にはそんな考えなどさらさらないので、制服のままマサルの家まで一緒に行って着替えるのを待ち、それから街に繰り出したりしていた。 色々な店をブラついていると疲れるしノドも渇く。 そこで 「喫茶店に入ろう」 と誘うと、「喫茶店なんぞ不良の行くところだ」 などと言う。 それは制服のまま喫茶店に入ることなど平気なうえ、酒を出すような店にも普通に出入りしていた自分にとって衝撃的な一言だった。

とりあえず、ここはマサルの意見を尊重しておいたが、ノドがカラカラに渇いてきたので店頭でソフトクリームやらジュース類やらを販売している店を見つけ、「何か買おう」 と誘った。 ところが、そこでもマサルは浮かない顔をして 「買い食いは・・・」 と躊躇している。 ここはもう一押しだと思い、「疲れたよなー」 「ノド渇いたよなー」 と耳元でささやきながらマサルの周りをぐるぐると回ってみた。

「う~む」 と迷っているマサルに 「甘い物を摂ると疲れがとれるぞー」 と究極の台詞で誘ったりしてみたが、10分以上も悩んだ挙句に 「やっぱり買い食いはいけない」 と、その場からスタスタ立ち去ってしまった。 目の前が暗くなるとは、こういう時のことを指して言うのだろう。 一人だけ買ってノドを潤すのも気が引けるので、結局はマサルの後を追うことになってしまった。

こんなクソ真面目な奴と、当時不良だった自分がどうして友人関係を保てたのか今でも不思議ではあるが、何となく気があったのだろう。 そして、それからも現在に至るまでも腐れ縁とも言うべき関係は、まだまだ継続していくのであった。

マサルノコト

その後その後

タミフルに関して 3/3 の雑感に厚生労働省を擁護することを書いたが、ここにきて異常行動の発症例が増え、新たな事実も加わり厚労省の分が悪い。 高熱による異常行動の発生率とタミフル服用後の異常行動発生率の差は 1.3%しかないという報告書があることを同日の雑感に書いているが、その調査は小学生以下が対象であり、つまりは幼児に対してのみ当てはまる内容だった。

10代に関しては 「服用との因果関係が明確になっていない」 どころか、「調べていない」 というのが正確な表現であろう。 昨日になって 「因果関係の否定的見解を変更するかもしれない」 などと言い出したが、そもそも調査すらしていなかったのだから変更も何もあったものではない。

幼児が高熱によって夢や幻覚にうなされたり異常行動を起こすケースは多数報告されているが、10代に関してはどうなのか。 タミフル服用後との差はどの程度なのか。 次のインフルエンザ流行期まで一年近くあるのだから、徹底的に調べていただきたいものである。 ただし、高熱による異常行動は確実に存在する訳だから、タミフルを悪と断定的に報道するのはいかがなものか。

発症から 48時間以内でなければ効果がないタミフルを何日も処方する医者にも問題があるだろう。 単に薬価で利益を得ようとしているとしか思えない。 年間の処方量は全世界の 77%に相当する 800万人分であり、それはアメリカの 13倍にもなるという。 乱暴な計算をすれば 10代のうち 100万人が服用したことになる訳で、異常行動を起こした人が 1万人いたとしても、それは 1%にしか過ぎない。

その 1%を因果関係と呼ぶことができるのか、はなはだ疑問である。 まして 1万人も異常行動を起こすのか疑問であり、それが 1000人だとすれば 0.1%にまで下がる訳だ。 10代の子を持つ親にとっては不安極まりないことだとは思うが、これは発売禁止にまで至らない案件なのではないかと思う。

そして先週の雑感に書いたプロ野球の裏金問題に端を発するドラフト制度の見直しだが、これは 「来年から」 などという誠に中途半端な結論に至ってしまった。 どうやら 「改革を急がねば」 という問題意識が欠如しているらしい。 それも、ある特定の一球団が特にではあるが。

アマチュア側も、プロ選手側も、大多数の球団も 『希望入団枠』 の撤廃を求めているのに、ジャイアンツ (天下の読売巨人軍) だけが難色を示し、話し合った 11球団中 10球団が賛成したのにも関わらず、ジャイアンツ 1球団の反対で今年のドラフトから希望入団枠を撤廃できなかったと言う、誠に非民主主義的な結論に落ち着いたところなんぞプロ野球の未来に深い影を落とす結果であり・・・。

今年 9月のドラフトまで半年もあるというのに、早々に 「今年の制度変更なし」 と結論付けた裏には何があるのか。 どうして前向きに検討できないのか。 どう考えても今年の希望入団枠でジャイアンツを逆指名する選手は ”怪しい” と思わざるを得ない。 相当な金額が動いており、今年からやめたのでは金が無駄になってしまうということか。

そして不二家である。 昨日から一部の店舗で生菓子の販売を再開したが、以前のように客足が回復するのはいつになるだろう。 3割程度の店舗しか営業再開していないようだし、廃業を決めた店舗も多くあると聞く。 『お買物日記』 担当者が踵 (かかと) が痛いにも関わらず、フォルテ摂津にある不二家を偵察したところ、店は営業再開していたらしい。

ただし、商品数は圧倒的に少なく、半分くらいのケースに布がかけられたままだったらしい。 確かにそれはそうだろう。 張り切って商品を仕入れても客足が遠のいたままだと大量の売れ残りが発生し、店の経営に更なるダメージが加わってしまう。 2/3 の雑感は営業が再開したら 「売り上げに協力してあげよう」 と結んだが、残念ながら買う気にはなれないままだ。

いつの日にか何か買おうとは思っているが、それがいつなのか定かではない。

裏金問題裏金問題

西武ライオンズの裏金問題に揺れるプロ、アマ球界だが、そもそもの発端として、なぜそのような問題が発生したのか。「良い選手を自球団に入れたい」 というが結論だろうが、良い選手を獲得する目的は何か。 それに関しては 「チームを強くしたいから」 となるだろうが、なぜチームが強くなければならないのか。

試合、勝負である以上は勝つに越したことはない。 チームのファンも勝てば喜んでくれるのは確かだが、それだけが結論でもないように思う。 数年前の阪神タイガースだって現在の東北楽天ゴールデンイーグルス (長い) だってチームが弱くてもファンはついていた。「強くなければファンから支持されない」 など、あまりにも短絡的な思考であり、ファンを馬鹿にしている。

元プロ野球関係者が 『スカウトの実績』 として、「使える選手を獲らなければ球団から文句を言われる」 と言っていたが、スカウトマンの独断で動かすには大きすぎる金額だ。 組織の知らないところで千万単位の金を自由に動かせるはずがない。 従って、この問題は球団ぐるみであり、スカウトマンの暴走などではあり得ないだろう。

最初の疑問に戻れば、なぜ球団ぐるみで裏金を渡してまで良い選手を獲得したいのか。 チームが強くなくても以前の雑感に書いた千葉ロッテマリーンズのようにファン至上主義を貫き、球場をファンで埋め尽くすことはできる。 そして声援が増えれば選手のモチベーションも上がり、結果的にチームが強くなることだってあるはずだ。

選手が自由に球団を選べる希望入団枠の撤廃にプロ、アマ業界も世論も傾いているが、相変わらずそれに難色を示す球団があると言う。 この期に及んで良い顔をしないのは、自分の球団は人気があって選手が逆指名してくれることに相当な自信を持っているか、すでに金銭の授受があり、その金を無駄にしたくないかのどちらかだろう。

その球団関係者は、現在は突出した人気を誇る球団などなくなったことを自覚していない。 あの日本テレビ (読売系) ですら、今年からプロ野球 (巨人) の延長放送はしないと結論付けたように、視聴率も惨憺たる結果であり、一番の人気球団だった過去など見る影も無い。 地元ファンに支えられていた中日ドラゴンズでさえ、休日のナイターはやらないように要請されている。 夜にテレビ中継しても視聴率を稼げないので、通常の番組を放映したいと言う地元メディアの方針だ。

すでに裏金の授受があるとしても、もともとは業界の規律に違反する行為であるのだから、キッパリと諦めればよろしい。 遠い過去から現在に至るまで、金銭の授受など常態化しているという証言もあるのだから、この問題が表面化した先週まで金が飛びかっていたのだろう。

そこで性格の悪い自分として気になるのは、早稲田大学に進学した 『ハンカチ王子』 こと斎藤佑樹選手のことだ。 野球の素質もスター性も一級品である彼を球団関係者が放って置くはずがない。 彼に対して黒い金は動いていないのか。 彼が早稲田に進学したのは本当に自分の意志だったのか。 高校野球からは希望入団枠ではなく、ドラフトでしかプロへの道はない。

自分のように意地の悪い週刊誌の記者あたりが、今頃は周辺を嗅ぎ回っていることだろうが、怪しい臭いがするのかどうか。 世のオバチャン、オネエチャンのためにも彼には潔白であってほしいものだとは思っているが・・・。

もう少しで今年もプロ野球のペナントレース (リーグ戦) が始まる。 冒頭から大きな問題で球界に影を落としてしまったが、今年も益々ファン離れが起きないか心配なところである。 自分としては、少し前の独り言に書いたように適度なヒマつぶしになるので、文句を言いながらも今年も野球中継を観ることになるだろう。

標準語標準語

大阪に生活の基盤をおいて 13年目となり、当初は聞き取れないことも多かった大阪弁にもすっかり慣れた。 身近にネイティブ大阪弁の人が少ないので、自分で大阪弁を話すまでには至っていないが、アクセントやイントネーションは大阪に近くなってきているようである。

最近でこそ全国放送のテレビでも関西弁は珍しくなくなったが、以前はタレントさんも言葉を標準語に矯正されていた。 一般に標準語とは東京の言葉と思われがちだが、厳密には違うらしい。 江戸の時代から地方出身者が多く集まり、それぞれの言葉が調和して平坦になったものが 『山の手』 言葉として存在し、生粋の東京人が使うものは江戸弁として存在していた。

人の寄せ集めの街で自然形成された言葉が東京語であるため、地方出身者にも理解しやすかったのだという。 その東京語は過去に一度も固定化されたものがなく、時代や人と共に常に変化してきたものらしい。 では、なぜ固定化されてもいないものが標準語になったのかと言えば、当時の日本が軍国主義だったことが大きい。

軍隊組織の中で方言が飛びかうと意思の疎通が図れず、任務遂行に大きな影響を与えかねないため、富国強兵策の一環として標準語普及の運動が大々的に進められたのだという。 その陰で方言撲滅運動が展開され、地方によっては小学校で方言の使用を禁止することさえあったらしい。

寄せ集め言語のくせに 「東京語は全国の手本」 というこの運動は、地方への差別意識を強烈に助長し、それは戦後になっても根強く残ってしまった。 特に東北弁を軽視する傾向が強く、一時期は映画など外国ものの吹き替えで黒人が東北弁を話しているようなことが公然と行われていた。

先に書いたように最近のテレビでは関西、広島、九州地方などの方言を聞くことが珍しくなくなったが、東北弁を聞く機会が少ないのは、当時のいわれのない差別が今でも尾を引いているものと推測される。 今でも少し人を馬鹿にしたような訛りを表現するときは東北系の言葉を使うことが多いのもその流れなのであろう。

自分は東京に住んだことはないが、住みたいとも思わない。 まして東京語など何するものぞといった感じだ。 以前、石原裕次郎主演だっと思うが、かなり昔の映画を観ていて、気持悪くなったことがある。

その時のシーン
石原 : 「泣くのはおよし。さあ、笑ってごらん」
女優 : (涙をこらえて笑う)
石原 : 「ほら、できるじゃないか」
ん、んな~にが 「できるじゃないか」 だ!! 尻のあたりがムズムズと痒くなり、気持悪くて一人でのた打ち回ったものである。

テレビドラマや映画を観ていると、女性言葉の語尾に 「~だわ」 とか 「~かしら」 、「~なのよ」 と付くが、これは標準語だけではないだろうか。 言葉の語尾で男性、女性が明確に判別できる方言などないように思う。 これは、東京語の元である山の手言葉の時代から存在したものなのだろうか。 それとも、文章で表す際に男女の使い分けをしやすいように後に開発されたものなのか。

今はテレビやインターネットの発達で中央も地方も同時に情報が共有できる時代である。 移り変わり、交じり合う東京語が方言を吸収し続け、それが電波や信号に乗って地方に発信されていく。 数十年後には 『お国訛り』 などなくなってしまい、日本全国が訛りの集合体である標準語に統一されている可能性も否定できない。

それはそれで少し寂しい気がするのは自分だけだろうか。

真性雑感真性雑感

真性雑感 ~目次~

独り言にも書いたように今日は何を書いたら良いのか思いつかない。 第一、この雑感というのはタイトルだけで、内容と言えば思い出話やら空絵事だったりするので 『雑文』 というのが正確なタイトルだろう。 なぜ子供の頃の話やマサルのことなどを書かねばならないのか。 自分が勝手に書いているだけなので誰に文句を言っている訳でもないのだが・・・。

ここまで書いて、ちょっと気になった。『空絵事』 と上述したが、その意味を正確に知らないので辞書で調べると載っていない。 YAHOOexcite の電子辞書でもウィキペディアにさえも載っていない。 確かに正しくは 『絵空事(えぞらごと)』 であるのは分かっているが、文字を入れ替えた 『空絵事』 という単語もあったはずだ。

ためしに 『空絵事』 を Google で検索してみると、562件もヒットする。 自分の勘違いで 『空絵事』 などという単語がないのだとすると、約 500人もの人達が同じ間違いをしていることになる。 果たしてこの件に関する真相はどこにあるのか闇に包まれたままとなってしまった。

それにしても、そのまんま東である。 宮崎県知事となった東国原 (ひがしこくばる) 英夫氏は、なんだかんだと言われながらも頑張っているではないか。 あちらこちらで発生したため国内にノウハウが蓄積されているとは言え、発生から 50日で鳥インフルエンザを押さえ込み、終息宣言にまでこぎつけたのは偉かった。 県職員なども迅速に行動したのだろうが、功績として評価できる。

そしてタミフルである。 2/27の独り言に 『お買物日記』 担当者も書いているが、未成年者がタミフルを服用し、異常行動を起こした結果で死に至ってしまうケースが報告されている。 しかし、いくら何でもマスコミは騒ぎ過ぎだ。 もともとタミフルを服用しなくても子供が高熱を出して夢や幻覚にうなされたり異常行動を起こすケースは多数報告されている。

「服用との因果関係が明確になっていない」 という厚生労働省の発表は的確である。 それなのに 「これだけ事故が起こっているのに」 とか 「何かあってからでは遅い」 だのと大騒ぎし、厚労省が耐えかねて注意を呼びかけると 「それみたことか」 と鬼の首でも取ったかのように騒ぎに拍車がかかる

高熱による多数の異常行動が報告されている事実は 『インフルエンザ脳症ガイドライン』 に明記されているし、発熱による異常行動の確率は 10.6%でタミフルを服用した場合は 11.9%と、1.3%しか違わない。 それをあたかもタミフルが元凶であるかのように報道されたのでは、中外製薬もたまったものではないだろう。 新型インフルエンザの発生に備えて国が備蓄しているタミフルはどうなるのか。

なんでもかんでも正義を振りかざして騒げば良いというものではない。 自分のような専門外の人間ですら高熱で異常行動を起こすことは知っていたし、ネットを利用して少し調べれば簡単に分かることでもある。 まともに調査してから報道する体制を構築していただきたいものである。

それでも 10人に 1人の確率で異常行動を起こすのだから、子供が熱を出したときは目を離さず側についていることが大切なのは間違いない。 ただし、病院でタミフルを処方されたからと言って、必要以上に怯えることはない。 熱を出して苦しんでいる子供の側についていてあげることは親として当然のことでもある訳だから、それなりの行動をすれば良いのである。

書くことが思いつかずに何だかんだと迷ったが、いつもの文章より雑感らしくまとまった。 これぞ真性の雑感であり、犬のことだのマサルのことだのばかり書いている場合ではないのである。

真性雑感

五郎くんの話五郎くんの話

2/20 の独り言に書いたように、朝の散歩の帰り道で先週の雑感に書いた犬の五郎くんと会った。 最後の階段を上りきったところで、お母さんに連れられた五郎くんがトコトコやってきたのである。 飼主と 『お買物日記』 担当者は顔見知りらしく、朝の挨拶を終わらせると犬の名前を確認した。

「この犬の名前は五郎くんっていうんですよね?」 と尋ねると、どうして知っているのか不思議そうな顔をしながらも 「そうですよ」 と答えた。 そう、近所に引っ越してきた黒くて大きな犬は 2002年の 6月にステーキのような大きな舌でベロンベロンと足をなめた五郎くんに間違いなかったのである。

当時のことを話すと、確かに以前は JR の線路の反対側で暮らしており、五郎くんを連れてこちら側まで散歩に来ていたこと、そして家を建ててこちら側に引っ越してきたことなどを教えてくれた。 『お買物日記』 担当者と飼主が話をしている間、退屈になったのか五郎くんが側によってきて自分の足に体を擦りつけてくる。

それもスリスリなどというものではなく、ゴリゴリと体を押し付けるように甘えてくるのである。 以前の独り言に 『犬の意思を尊重し、こちらから手を出さない』 と書いたが、そこまでされては我慢できない。 こちらも負けないような力を込めて両手で五郎くんの首筋をゴリゴリと撫でてやった。 すると五郎くんは気持が良かったのか、うっとりと目を細めてされるがままになっていた。

彼は家族全員から愛されているようで、お母さんだけではなく、お父さんと散歩していることもあるし、たぶん息子さんなのだろうが、若い男性と散歩していることもある。 何度か見かけてはいるのだが、いつも先を歩いていたりして近くで遭遇したことがなかった。 今回はたまたま出くわして話をすることができたのだが、五郎くんは相変わらず人懐っこい犬なのである。

五郎くんが引っ越してきた家には広めの庭があり、その中を自由に歩いたり、ダラ~ンと日向ぼっこしたりして過ごしていることもある。 普段は家の中で飼われているのだが、お母さんが掃除機をかけるときは家から追い出されるようで、家の中からブオ~ンと音がしている間、五郎くんはつまらなそうな顔をして玄関の近くに座っている。

ある日、その家の前を通りかかると五郎くんが少し怒ったような顔をして座っていた。 その時、雨がパラパラと降り出してきた。 中からお母さんが 「家に入りなさい」 と五郎くんを呼んだが、耳をピクピクさせているくせに聞こえないふりをして無視している。 玄関からお母さんが 「ほら雨が降ってきたから」 と迎えに出てきても 「ふん」 と横を向いていたのである。

きっと掃除の時間に追い出されたのが気に入らず、ふてくされていたのだろうが、子供みたいに拗ねている五郎くんを見て思わず笑ってしまった。

その庭の柵越しにお母さんが近所の方と世間話をしているとき、横に座って会話に参加しようとしている姿も見たことがある。 お母さんが話せばお母さんの顔を見て、近所の方が話せばそちらの方を見る。 会話中、五郎くんは二人の顔を交互に見ているのだが、話している内容が分かるのだろうか。

『お買物日記』 担当者が家を訪ねて行った時、玄関のチャイムを押すと家の人より先に五郎くんが出てきたというし、隣の家で飼われているキャンキャンとうるさいバカ犬軍団が大騒ぎを始めると、「なんだなんだ」 といった風に慌てて家から出てきて心配そうに隣家を見たりしている。

そんな人間味あふれる五郎くんは、先週の雑感に書いた近所で飼われていたのだが、天寿を全うしてしまった犬と毎日顔を会わせる位置関係にあった。 姿が見えなくなったことも理解しているだろうし、もう二度と会えないことも理解しているかもしれない。 大きな体の割に甘えん坊な五郎くんのことだから、きっと寂しく思っていることだろう。

五郎くんはこれからも元気に暮らし、自分たちに笑いを提供していただきたいものである。

犬や猫のいる風景 2007初春犬や猫のいる風景 2007初春

このタイトルの雑感を最後に書いたのは、2005年 9月のことだ。 在宅勤務になってから朝の散歩が日課となり、犬や猫のことは折に触れて 『管理人の独り言』 に書いているので、雑感に書くほどネタがないのも確かだが、単に忘れていたというのも確かな事実である。

先日の独り言に 『お買物日記』 担当者も書いていたが、ご近所で飼われていた犬が天寿を全うした。 16年も飼われていたそうで、飼主さんも寂しいだろうが大往生と言えるだろう。 その犬と最初に出会ったのは大阪に引っ越してきたばかりの頃だ。 まだ室内の片付けをしている最中で、必要になったものを近所の金物屋さんまで買いに行く途中だった。

道を歩いていると、すぐそばで ドッカ~ン!という凄まじい音が鳴り響き、 『お買物日記』 担当者と二人揃って 「どっひゃ~!」 と飛び上がらんばかりに驚いた。 恐る恐る音のした方を見ると、鉄板でできた囲いの上から犬が顔を出している。 どうやら嗅ぎ慣れない匂いが近づいてきたので出所を確かめたく、2m 近くある囲いに飛びつき、前足で体を支えて覗いているらしい。

とくに威嚇する訳でもなく、吠える訳でもなく、「誰だ?」 という雰囲気でこちらを見ている姿が可愛く、とりあえずは 「こんにちは」 と挨拶しておいた。 驚かされたのはその一回だけだが、たまに遠くから ドッカ~ン!という音が聞こえてきていたので、知らない誰かが通るたびに囲いの上から覗いていたのだろう。

それは犬が若い頃の話で、晩年は囲いの上まで飛び上がる元気もなかったのか、地面と囲いの鉄板がある 15cm くらいの隙間から鼻と目だけを出して外の様子を見ていた。 その姿もまた可愛らしく、血統書などない雑種の犬だったが、近所で飼われている犬の中でも好きな奴だったのである。

その犬も居なくなってしまい、少し寂しい思いをしているが、もう一匹気になっている犬がいる。 それは独り言にも何度か書いた空き地の犬である。 昨年末から散歩をしていても、その姿を見ることがなくなってしまった。 犬がつながれていた柱には、まだ鎖が残っているものの、何日も地面に置かれた鎖の形が変わらないことがある。

昼間でも外に出ているのであれば、鎖の状態にも何らかの変化はあるはずで、その形が変わらないということは何日も外に出ていないということである。 少し体調を崩している程度であれば良いのだが、老犬なので今も生存しているのか気になって仕方がない。

2002年の 6月に書いた犬の五郎くんは数年前に近所に引っ越してきた。 ネームプレートに書いてあった 『○○五郎』 の○○の部分、つまり苗字が同じ家が建築され、その家に大きな黒い犬がいる。 その苗字と言い、その姿と言い、間違いなく五郎くんだと思われるのだが、まだ飼主さんに犬の名前を聞いたことがないので確証はない。 いつか確認したいと思っているところである。

1/25 の独り言に書いた窓辺の猫の件。 窓ぎわにテレビが配置されてしまったので見ることができないのではないかと危惧していたが、2日前の朝の散歩でテレビの上に座って外を眺めている白猫の姿を確認できた。 どうやら猫にとって、さほど障害物にならないようだ。 いつかキジトラの猫と二匹揃ったところを見てみたいものである。

そして、いつも喧嘩に負けて帰ってくる猫は相変わらず家から締め出され、寂しそうな顔をして玄関にたたずんでいる。 いつものことなので、早く帰宅したら良いのに遊ぶのに夢中になって遅くなってしまうのだろう。 玄関にある曇りガラスに顔をつけるようにして家の中を見ており、人の影が見えたら必死に鳴いて入れてもらおうとしているらしい。

ここ数年の間、空き地だった場所に多くの家が建ち、犬や猫の数も嬉しいくらいに増えている。 生き物は、いつか死んでしまうのが悲しいところだが、生きている間は色々なことをして、これからも目を楽しませてもらいたいと思ったりしている春の始まりである。

先見の明先見の明

かなり以前の雑感で非常事態に備えた防災グッズの選定などしてみたが、案の定と言うか何と言うか、考えただけで何も準備していないのが現状だ。 『お買物日記』 担当者が多少は準備をしてくれているようだが、それがどこに置いてあるのかさえ知らない有様なので、いざという時に何の役にも立たないかもしれず、やはり着の身着のままでボ~っとしている可能性が高い。

昨夜の独り言に書いたように、このまま地球温暖化が続けば映画 『デイ・アフター・トゥモロー』 と同じになってしまうのではないかと本気で心配している。 大まかなストーリーは地球温暖化によって南極や北極の氷が融け、温度差のなくなった海水の潮流が止まり・・・なんじゃかんじゃとあって世界各地が前例のない異常気象に見舞われる。

巨大ハリケーンや、大津波が各地を襲い、大嵐の中央ではあらゆるものを凍結させるマイナス 100度のスーパー・フリーズ現象が発生して地球は 1万年前の氷河期になる。 書いているだけでも恐ろしいが、実際に映画ほどの急激さはないものの映画と同じ理論で、今後 10年単位で平均気温が 4度低下する恐れがあるとの見解を発表した科学者もいるので SF だと笑ってもいられない。

地震や異常気象などの天変地異だけではなく、北の将軍様が日本に核を打ち込んでくる可能性だってあるし、言われている新型インフルエンザが発生して世の中の機能が麻痺し、食料の調達が困難になったりライフラインが止まる可能性だってある。 そんな危うい状態なのだから、やはり防災グッズくらいは揃えておくのが先見の明というものではないだろうか。

総務省消防庁の Web ページに最低限のグッズが紹介されているが、新型インフルエンザが発生した場合は病院も患者であふれて治療もままならない状態になることが予想されるため、脱水症状になったときに必要な栄養素を補給できる粉末ポカリスエットなど、スポーツドリンク系のものや、点滴が受けられない事態に備えてブドウ糖を摂取できる果物の缶詰なども用意しておいた方が良いらしい。

さらには解熱剤、氷枕や保冷剤なども必要で、嘔吐物などを処理するための使い捨てゴム手袋などもあると便利なんだそうだ。 さらにさらに、カセット式のガスコンロ、非常用の食料などなど、ここまでくると非常持ち出し用というには大荷物になってしまう。 脱出というより引っ越しに近い感じだ。

それでも人からウィルスを貰わないため、逆に人にウィルスを感染させないためには家に閉じこもる必要があるので、買い物などしなくて済むように 1週間とか 10日くらいは生きられる分の食料などを備蓄すべきなのだという。

まったく話しは変わるが、以前に勤めていた会社では何万人が使用しているアプリケーションを開発していた。 市販品ではなかったため隠れたベストセラーと呼ばれ、世の人々のお役に立っていた訳だが、そのアプリケーションの新バージョンを開発しているときに検討したのが 2000年問題だ。 当時は 2000年になると日付を正確に認識できず、誤動作を引き起こすと騒がれていた。

それはまだ 1992年で、今後 8年間も使用される可能性があるとは思えなかったが、念のためと先見の明で対処しておこうということになったのである。 しかし、パソコン自体や他のアプリケーションが問題で不具合が発生する可能性もあり、自力で解決するのは困難というより不可能だという結論に達した。

そこで出た案が 1999年でアプリケーションの動作を強制的に停止させるというものだ。 当時はノストラダムスの大予言で 1999年の 7の月に人類が滅亡すると言われていたので、7月31日をもって全ての動作を停止するプログラムを入れようと話しが盛り上がったものだ。 結局は 2000年になると 「正常動作しない場合がある」 旨のメッセージを表示することになったが、その処理を入れておいて良かったと思う。

MS-DOS で動作するアプリケーションであったにも関わらず、そして Windows が広く普及したのにも関わらず、2000年を過ぎても多くの人が使っていたらしい。 そして多くの人が表示されるメッセージを鬱陶しく思っていたらしいが、何の予告もなく不具合が発生するよりマシである。

やはり 『備えあれば憂いなし』 ということで、食料の備蓄と最低限の防災グッズは準備しておくようにしなければと思ったりしているところである。

ブランド価値ブランド価値

早いもので、この雑感を書き出してから 6年以上が経過した。 最初の雑感は雪印の件について書いているが、約 6年の時を経て大きなブランドである不二家という名前の傷が深くなっている。 どうやら、あの時の教訓が生かされてないようだ。

結局、雪印は事実上の解体となってしまい、当時のブランド力は見る影もない。 問題が発生し、それを隠蔽する体質が明るみに出ると一瞬にして信頼を失ってしまう怖さがそこにある。 長年の実績があるパロマにしても、三菱自動車にしても同じだ。

松下のように製品の欠陥を公表し、「最後の一台まで探し出す」 と宣言してテレビ、新聞などあらゆるメディアを使って回収を呼びかけ、逆にブランド価値を高める結果となった場合とは大違いである。 ただし、体力的にそこまでの予算を使うことができない会社もある訳だから、全メディアを駆使するまでは望まなくても、事実の公表くらいは速やかにしていただきたいものだ。

それにしても一大ブランドを築き、それが全国に流通するというのは怖いものだ。 これが地元で有名な洋菓子屋さんであれば、たとえ食中毒が発生しても周りの住民が買うのをひかえ、必要なら他の店で商品を購入すれば済む話しだが、全国規模ともなるとそうはいかない。 一箇所の工場で作られたものが広い地域に配送されるので被害が拡大してしまう。

扱う分野こそ異なれど、番組という名の商品 (あるある) の欠陥で、ブランド価値を大きく損ねたフジ系列 (関西テレビ) も状況は同じだ。 番組 (商品) のチェック (品質管理) 体制が整っていなかった点においても類似性が高い。 一気に膿 (ウミ) を出そうとせずに、小出しにするところも共通しているし、それは、パロマや三菱自動車にも通ずる。

以前から言われていることではあるが、人間が携わっている以上は問題が発生するものである。 問題が起こらないようにするに越したことはないが、それよりも重要なのは後の処理である。 松下のようにいち早く公表し、その後の対応に万全を期すれば信頼が損なわれることはない。 自分の仕事もそうだが、事後処理を迅速にすることを心に命じておかなければなるまい。

それにしても思うのだが、最近の日本人は賞味期限とか消費期限とかの情報に頼りすぎなのではないだろうか。 昔は少々古くなった食べ物でも臭いを確認して 「まだいける」 とか 「やめておこう」 とか判断していたものである。 判断を誤って食べてしまっても、お腹をこわすくらいなもので生死に関わる訳ではない。 今のままでは免疫も抵抗力も失われてしまい、少々傷んだものを食べただけで命を落とす人が現れるかもしれない。

自分の場合は、水銀だの発ガン性物質だの、徐々に体内に蓄積されるものの方が怖い。 食べ物に異物が混入しているのは気持悪いが、少し古い材料で作られていようが賞味期限が切れていようが、食べたって死にやしないのだから神経質になりすぎることはないと思っている。

バレンタイン商戦も絶望的でブランドの再構築を急ぐ不二家だが、もし商品が再出荷されたなら、とりあえずは売り上げに協力してあげようかと考えたりしている今日この頃である。