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マサルノコト scene 10マサルノコト scene 10

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今日で 1月も最後の土曜日であり、来週には 2月も始まるが、やっぱり今年もマサルからの年賀状は届かなかった。 自分から出した年賀状に 「今年年賀状が来なかったら来年から出してやらん」 と最後通告しておいたので、今年の年末にマサル宛の年賀状を投函するのを本気でやめてやろうかと考えたりしている。

元来マサルはマメな奴で、前回の雑感にも書いたように変な荷物を送りつけてきたり、scene 3 で書いたように人を楽しませることだけを目的に、留守番電話のメッセージをコマメに変えたりするのであるが、こと年賀状に関してだけはマメさを発揮することができず、一昨年まで年賀状が届いていたときも、正月が明けて数日してから届くような有様だった。

昨年からは、ついに年賀状を出すのを放棄し始め、今年で二年目になる。 誰からも送られてこなくなる可能性が高いのを自覚しつつも、どうしても出す気になれないそうなのである。 確かに付き合いが途絶えており、年賀状のやり取りくらいしか生存確認できない人に対しては、何を書いてよいのか迷ったりして面倒なものではあるが、その生存すら確認できなくなるのはいかがなものか。

それでも 1月 1日の夜に 「あけおめ」 の電話がきたのでマサルの生存は確認できている。 話す内容と言えば、いかに自分たちが歳をとり、血圧が高いだのコレステロール値が高いだのという変な自慢話ばかりである。 その他にも近況などを話し、相変わらず涙が出るくらい大笑いしている。

相当に付き合いが長くなったマサルだが、実は 1歳年上だったりする。 別にマサルが落第したりした訳ではなく、小学生の頃に大病を患い、長期入院を余儀なくされて進級できなかった訳なのである。 その存在は中学一年生の頃から知っていたが、友人関係になったのは二年生からだ。 同級生にしては凄く大人びていたのでマサルノコトを 『オッサン』 と呼んでいた。

大病を患ったなどとは思えぬくらいにコロコロしており、背も大きかったが、かもし出す雰囲気がオッサンくさかった。 おまけに家系なのか、薬の影響なのか、当時からかなりの量の白髪があったので余計にオッサンくさい。 教室の前にあった教師の机に 12色のマジックがあったので、マサルの白髪の一本一本を様々な色に塗ってクリスマスツリーのようにしてやったこともある。

自分は不良をしている真っ最中で、やんちゃなことばかりしていたのだが、マサルは妙に落ち着き払っていて、そこがまたオッサンくさい。 自分が悪いことをしようものなら、「お前な~」 と言って説教をされたり、叱られたりもした。 結果的に大きく道を誤ることもなく、一般社会に出ることができたのはマサルのおかげである部分も大きい。

常に自分より上にいてくれたので、オッサンと呼ぶに相応しい奴なのだが、どういう訳だか現在は呼び名が逆転し、自分はマサルのことを 「お前」 と呼ぶが、マサルは自分のことを 「オッサン」 と呼ぶようになってしまった。 それがいつの頃からだったか、はっきりとは記憶していない。

もしかすると、マサルが自分に対して妙な行動をとり始めた時期と一致するかもしれない。 普段は真面目な社会人であるのだが、どうやらストレスの発散場所をこちらに向けているような気がする。 人を笑わせたり楽しませたりするのが好きな奴なので、行動に拍車がかかっていたのだろう。 呼び名が変わったのと同時に立場も逆転し、マサルの奇行に対して 「お前な~」 と言っている自分がそこにいた。

最近は変な荷物が送られてくることもなく、妙な留守電のメッセージを聞かされることもなくなり、電話で話していると、お互いがお互いに対して 「お前な~」 と、ツッコミとも説教とも言える会話を続けたりしながら、年に数度の長電話で夜はドップリとふけて行くのであった。

マサルノコト

常套手段常套手段

ここのところ、マスコミでは卒業文集を持ち出すのが常套手段となっているようだ。 何らかの事件が発生した場合、必ずと言って良いほど小学校の卒業文集を持ち出し、『幼き日の夢』 だったり当時の想いが綴られた文章を紹介する。

被害者がまだ高校生だったりした場合、「そんな夢が打ち砕かれ・・・」 と続ければ確かに悲壮感なども伝わって、加害者への憎しみが増幅されたり事故の恐ろしさを実感できたりするが、30歳にも 40歳にもなった加害者の卒業文集を見せられて、「こんな純粋な子供だったのに犯人はなぜ・・・」 などと問われても、半ば呆れながら 「知るか!」 と思わざるを得ない。

小学校時代に抱いていた夢を大人になって実現できていない人が大多数を占め、中学、高校と多感な時期を過ごして人生の荒波にもまれ、大きな挫折も成功の喜びも知った大人が小学生の頃と同じ想いで生きているはずがないだろう。 むしろ、いい歳をして幼少期と同じ思想や思考であったならば、そちらの方が問題である。

子供の頃から精神に異常が認められ、それが文章に表れている場合や、幼い頃からイジメの被害を受け、鬱積したものが一気に爆発して罪を犯してしまった場合など、明らかに関連があるのであれば卒業文集を持ち出す意味もあろうかと思うが、今の使われ方は何か間違っているような気がする。

文集だけでは飽き足らず、小学校や中学校の同級生やら恩師やらにインタビューしているのも良く見るが、それとて決定的な意味を持つものではない。 その時代を犯人がどのように過ごしたかなど何の関連もないことであって、重要なのは犯行の動機であったり、道を誤るきっかけとなった時期の交友関係だったりするのではなかろうか。

ワイドショー系の報道番組を見ていて、最近になってよく使われる言葉は 「ちょうど」 だ。 どの局、どの番組のレポーターとも、流行語のように 「ちょうど」 という言葉を連発している。 それが正しい使い方なら文句はないが、日本語として間違っているので気になって仕方がない。

事件や事故があった現場で 「ちょうど、このあたりで犯人は・・・」 などと言うが、『ちょうど』 であれば、後に続くのは 『ここ』 であり、『このあたり』 などと、ぼんやりした範囲を指して 『ちょうど』 と言わないでほしい。 ちょうど【丁度】とは、ある基準に過不足なく一致することを表す語であり、きっかり。ちょっきり。ぴったり。などと同義語であると、誰か教えてやってくれないだろうか。

そう思いながら見ると、「ちょうど、あちらの方角あたりから・・・」 とか、「ちょうど 4時 3分ごろ」 など、気になるレポートの多いこと多いこと。 あちらの方角 ”あたり” であれば、決してちょうどではないし、4時 3分はちょうどではない。 4時であればちょうどだろうし、百歩譲って 4時 3分 0秒であれば納得できる。 しかし、どちらにしても最後に ”ごろ” が付くのであれば、ちょうどではない。

我家では、卒業文集が持ち出されるたび、そしてレポーターが 「ちょうど」 と言うたびにテレビに向ってツッコミを入れるのが常套手段となっている。

身の程身の程

オリックスが熱い。 シーズン中は何をやっているのか分からないが、ここ数年は毎年のようにオフシーズンになると話題を提供してくれる球団だ。 1月 1日付けで球団新社長に就任した雑賀氏は 「野球は素人ですが」 とか 「オリックスの選手は清原ぐらいしか分からない」 とか言っているし、しまいには 「ここ数年オリックスの野球に関心をなくしていました」 などと言い出す始末だ。

昨年 12月 7日には谷選手を巨人へトレードすることが発表されたし、今月 7日には前川投手が無免許ひき逃げで逮捕されたりと話題に事欠かないが、現在もっとも熱いのが中村紀洋氏に関する件だろう。 10日に開かれた会見で 「向こうがオリックスでプレーできないと言って来て、こちらはやむなく了解したのに、いったい彼は何を目指しているのか」 と怒気すら含んだ口調で話したという。

弁護士などを使って代理人交渉するのは契約上、言った言わないを避けるためのはずなのに、今回はそれが逆転してしまったようだ。 任せるなら最後まで任せたら良いのに、中村氏自身が記者会見で訳の分からないことを言い出したら話がこじれるのは当たり前だろう。

しかし、自分はどちらかと言えば球団側を支持する。 『男を上げた』 という言葉があるが、ここ数年の中村氏は 『男を下げる』 ことばかりやっており、自分が球団職員だったとしても呆れて交渉など続ける気にならないと思う。

かなり以前の雑感に書いた、『ファンに 1回手を振ればいくら (金) と要求する選手』 というのは中村氏のことで、急速な人件費高騰とファン離れを引き起こし、球団運営を断念せざるを得ない状況に追い込んだ張本人でもある。 2002年には FA 権を行使してメジャーに行くだの巨人に行くだの、やれ阪神に行くだのと大騒ぎしたあげく、土壇場になって近鉄に残留した。

その時から 「なんじゃ?コイツは」 と良い印象を持っていなかった彼は、2005年の 1月にポスティングシステムでドジャースへの入団を決めた。 ドジャーズは前述した 2002年の FA 権行使の際に交渉を進めていてドタキャンされた経緯があったからか、マイナー契約で年俸も近鉄時代の 10分の1 程度という屈辱的な内容での契約となったのは当り前だ。

メジャーで通用するはずがないと思っていたら、オープン戦でこそ少し活躍したものの開幕ではマイナー行きを通告され、 「納得できない」 「オファーがあれば日本も含めて考えたい」 と、過去にドジャーズを裏切った自分を棚に上げて吠えまくること吠えまくること。 彼には期待に応えるとか屈辱的内容とは言え行き場のない自分を救ってくれた恩に報いるなどという気持はないらしい。

シーズンも終盤に差し掛かった頃、中村選手は 「誘われているうちが華だし、日本の球団からそういう話があれば考える」 と翌季の日本球界復帰を示唆し、古巣の近鉄と合併したオリックスが、さしたる実績を残せなかった彼に対して 2億円も用意して呼び戻してくれた訳だ。

本来ならここで頑張るのが筋というものだろうが、昨シーズンはろくな成績を収められなかった。 スポーツ選手には波があり、良くないシーズンもあるので、そのこと自体は責めるべきではないだろうが、我が身を救ってくれた球団の期待に応えられなかったのだから 60%の減額もやむなしと諦め、来期に活躍して大幅な年俸アップを勝ち取れば良いのである。

それをガタガタと文句を言うから呆れられる。 おまけに自分で代理人交渉を選択していながら真意が伝わらないとは何事か。 ここまで男を下げると愛想もこそも尽きてしまい、顔を見るのも鬱陶しい。 12日、オリックスの退団が決定したが、今日現在はどこの球団も 「いらない」 と言っているらしい。 彼の野球生命が終わるかもしれない危機的状況ではあるが、同情する気にすらなれない。

やはり人というのは身の程を知って、謙虚に生きなければいけないのである。

年末年始食事情年末年始食事情

毎年のように同じことを繰り返しているのだが、今回の年末年始も腹が割れるかと思うくらいに飲んで食べた。 それでも少しは学習機能が働き、作る料理の量を減らしたので、動けなくなるくらい腹に詰め込むようなことはしなかったが、それでも腹十一分目になるまで食べたのは事実だ。

以前の雑感にも書いたが、出されたものは残さず食べるという教育を受けてきた。 「難民の子は食べたくても食べられないんだから残さず食べなさい」 などと良く言われ、心の中では 「難民の子だって腹一杯になったら残すわい」 と毒づいたりしていたが、その教育はしっかりと身についてしまっているようで、どんなに腹がきつくても食べきってしまうのである。

上と同じ雑感にも書いていることだが、我家では御節の大半を手作りにしているので、年末の仕込みは大仕事になってしまう。 29日から下準備を始め、30日には日持ちする料理を作り始める。 今年は 『お買物日記』 担当者が食べきれなかった栗を甘露煮にしてあったので、12月 29日に開封してみたところ何も問題なく、それで栗きんとんを作ることになった。

年末には親類から海産物が送られてくるので、それも御節として食べる。 近所のおじいちゃんが育てた立派な大根も毎年いただくので、なますやら雑煮やらに使わせていただいている。 2-3年前から知り合いの方が自身でついた餅をくださるので、今年は既製品の餅を買うのをやめた。 果物は義兄が送ってくれたオレンジがあるし、知り合いの方からミカンもいただいたので買う必要がない。

こうしてみると、主要食材の多くを頂き物で補っている我家は、正月用の買出しといっても年に一度の卵とか、正月らしいカマボコなど、限定されたものだけになる。 ニンジンだの竹の子だのは普段から使うものなので特別な気合いを入れて購入するものではない。 ありがたいことに、親類や知り合いの方のご好意で成り立っている正月なのである。

そして 31日は朝から気合を入れて調理にとりかかる。 何度も書いているが、過去に厨房でのバイト経験がある自分は、御節料理を作る戦力としてしっかり組み込まれているので、ひたすらに材料を切り刻む。 立ちっ放しでヒザがガクガクしてくるが、作業の手を休める訳にはいかない。 そんな調子で、いつも 19:00 までには全ての料理が出来上がる。

普通の家庭であれば、そこで 「お疲れさん」 となり、ゆっくり紅白でも観ながら 『年越しそば』 を食べて終わるのだろうが、我家には出来上がった料理を目の前にして翌日まで我慢する精神力の持ち主がおらず、大晦日の夜から食べ始めてしまう。 19:00 から食べ始め、すでに腹に隙間がないくらいになっているのに、年を越す前に蕎麦を流し込む。

毎年が同じことの繰り返しなので、四日分の御節料理と三日分の雑煮の準備をしておく。 あとは、ただひたすらに飲んだり食べたりして大晦日の夜と正月三箇日を過ごす。 それも冒頭に書いたように、腹一杯を通り越して腹十六杯まで食べるのでコロコロに太りそうなものだが、炭水化物の摂取量が少ないからか、気にするほど体重は増えないようだ。

年齢とともに品数は同じでも作る量は少なくしているが、今年の大晦日から来年の正月も 「おいしい、おいしい」 と自画自賛モード全開で食べまくる年末年始になるのだろう。

2006年までの雑感2006年までの雑感

2007年より雑感のページが新しくなりました。

以前の雑感はこちら

マサルノコト scene 9マサルノコト scene 9

  以前に務めていた会社で仕事をしていると、受付の女性がとっても嫌そうな顔をして 「変なものが送られてきました」 と荷物を持ってきた。 まるで汚いものでも持つかのように、親指と人差し指でつままれた物体を受け取ると、それは血まみれのレスラーが表紙を飾るプロレス雑誌の束だった。

  ページが開かないように、背表紙以外はガムテープで固定されている。 そして、その雑誌に直接送り状が貼り付けられ、宅配便によって自分のところまで運ばれてきた訳だ。 送り主を見ると、そこにはマサルの名が記されている。 奴のことだから古雑誌を処分するついでに 「嫌がらせのつもりで送ってきたのだろうか」 などと真意を測りかねながら開封すると、そこには 1本のビデオテープが入っていた。

  まるでスパイ映画のように雑誌の中をビデオテープの大きさにくり抜き、ピッタリと収まるかたちでテープが入っている。 底の部分に手紙が入っており、そこには 「○月○日放送の映画を録画してくれ」 と書かれていた。 当時マサルの住んでいたアパートでは衛星放送が受信できなかったのである。 単にそれだけのことなのに、普通に荷物を送るのはつまらなかったらしく、わざわざ手の込んだやりかたで発送してきたらしい。

  もちろん帰宅後すぐに電話して 「くだらないことをするなー!」 と文句を言い、女性社員がどれだけ嫌な顔をしており、それによって自分まで変な目で見られることを伝えたのだが、「会社でのお前の立場をなくしてやる」 なんてことを言う。 「それだけはやめてくれ」 とすがってみたが、「むふふふ」 という不敵な笑いを残して電話が切れた。

  数週間後、受付の女性が 「また何か届きました」 と手に洗濯用の洗剤の箱を持ってやってきた。 前回の荷物の件が周りに知れ渡っていたため、今度は何事かと人がワラワラと寄ってくる。 今度は 『酵素パワーのトップ』 の箱に直接送り状が貼られており、その送り主には見るもおぞましいマサル名が記されていた。

  恐る恐る開封すると、中には普通に洗剤が入っている。 何のために洗剤を送ってきたのか、またまた真意を測りかねていたのだが、その箱が妙に軽いことに気が付いた。 嫌〜な予感がして調べてみると、箱の中に仕切りをつくり、中にビデオテープが収められていた。 わざわざ工作までして箱にテープを入れ、その上に仕切りを作って上の部分にだけ洗剤を入れて送ってきたのだ。

  もちろん帰宅後すぐに電話して 「二度とこんなことはしないように」 と言い渡したのだが、前回と同様に 「むふふふ」 という不敵な笑いを残して電話が切れた。 それからも手を変え品を変えて次々に変な荷物が送られてくるが、用と言えば 「○月○日放送の映画を録画してくれ」 というものばかりである。 会社でも、すっかり変な荷物が届けられることが有名になってしまい、次はどんな手口で送られてくるのか楽しみにする奴まで現れる始末だ。

  そしてある日、会社に会議用の机を梱包する 180cm x 120cm ほどの巨大な段ボール箱が送られてきた。 ちょうど会議用の机を手配していたこともあり、みんなのいる前で開封しようと思って運ぼうとすると、箱のサイズに見合わず鬼のように軽い。 もの凄〜く嫌〜な予感がして送り主を確認すると、そこにはマサルの名。

  なんと、巨大な箱の片隅に小さな仕切りを作ってビデオテープを収め、箱が変形しないように、所々に支柱まで作成してある手の込んだもので送ってきたのである。 周りの奴らはゲラゲラ笑うし、受付の女性からは冷たい目で見られる散々な思いをすることになってしまった。

  もちろん帰宅後すぐに電話して 「いい加減にしろー!」 と怒鳴ってやると、「あほー!規格外の荷物を送るのにどれだけ送料を払ったと思ってるんだー!」 と完全に逆ギレ状態である。 それからも荷物が送られてくるたびにマサルからではないかと怯え、マサルが衛星放送を受信できるようになるまで心安らぐことがない日々が続いたのであった。

マサルノコト

想い出の居酒屋 其の肆想い出の居酒屋 其の肆

想い出の居酒屋 おしながき

『想い出の居酒屋』 というタイトルで、なぜ 『其の肆(よん)』 かと言えば、過去に 『其の参』 まで進んでいたからであるが、それを書いたのは 2003年 04月 06日のことなので 3年以上も前と言うことになる。 決してネタが尽きた訳ではなかったのだが、何となく書くのを忘れていた。 先日、どういう訳か入浴中に何の脈絡もなく当時のことを思い出し、続きを書くことにした訳である。

  『其の参』 の文末に書いたように、その日は突然やってきた。 いつもの週末のように店に顔を出すと知らない人がカウンターの中で調理をし、知らない人が料理を運んでいる。 顔なじみの従業員の一人が寄ってきて 「実は店長と○○さんが店を辞めてね〜」 と言う。 そして、どうやら自分たちで店を開くらしいということを聞かされた。

  水商売の世界では珍しい話しではなく、どこにでもあるような一件だが、それまで何度も通いつめ、まるで自宅のようにリラックスできる場で起こったその ”事件” は、若い (当時) サラリーマンには少なからずショックを与える出来事だった。 その日は何となく気分も乗らず、テンションも低いまま店で時間を過ごし、酔いも中途半端なまま帰宅することになった。

  数週間後、仕事中に受付の女性が 「お客さんです」 と言うので席を立つと、居酒屋を辞めた店長と従業員が二人揃って来ており、新しく店を開いた挨拶と、二人が結婚した報告を同時に受けた。 店を開くのは聞いていたが、結婚することなど夢にも思っていなかったので、驚きのあまり腰が抜けそうになった。 何せ歳の差が 10歳以上もある。 そして年上なのは女性の方だったので、二人が揃って辞めたと聞いても、店を開くと聞いても、結婚などとは考えも及ばなかったのである。

  当時は 『自分たちにとって大切な店を捨てた人たち』 とか、すぐ近くに店をかまえた 『裏切り者』 などという思いが少なからずあったのだが、結婚して夫婦で店を営むという話を聞けば祝いに行かざるを得なく、その週末に 10人くらいで新しい店に行った。

  ところが、以前の店の常連さんも祝いに駆けつけており、店内は人で溢れている。 さらに、その新しい店というのが以前の店の 1/4 くらいの広さしかなく、20人も入れば一杯だ。 入店をためらっていると、今や大将となった元店長が 「来てくれると思って席を用意してた」 と言うので店の奥に進むと、店で唯一の個室があり、そこには 『予約席』 という手書きの紙が置かれていた。

  しかし、その個室は本来 6人ほどの収容能力しかないため、無理矢理 10人が入ると身動きがとれないほどのギュウギュウ状態である。 それでも料理は以前の店と同様に美味しく、値段も安かったのでピラニアのように食べまくった。 途中、狭い場所に大人数が収容されているものだから、酸素が不足して息苦しさすら覚えたが、腹が割れそうになるくらい食べて飲んだ。

  満足して帰ろうとすると、外まで元店長である大将が出てきて、真剣な目をしながら 「本当にたのむ。これからも来てほしい」 と頭を下げる。 前述したように色々な思いはあったが、基本的に楽しく酒が飲めて、安くて美味しいものを食べさせてもらえれば客としては来店を断わる理由はない。「また来るよ」 と言って店を後にすると以前の居酒屋の前を通過した。

  店内はそれなりに混んでおり、自分たちが店を変えても大きなダメージはなさそうだ。 少し後ろ髪を引かれつつ、その店と決別し、翌週からも新しい店に通うことになった。 その日を境に 『想い出の居酒屋』 は舞台を移すこととなり、新しい想い出が新しい店で刻まれることになっていったのであった。

想い出の居酒屋

マサルノコト scene 8マサルノコト scene 8

  マサルは超雨男である。 『マサルノコト scene 5』 に書いたように、遠くから我家まで頻繁に遊びに来ていたのだが、マサルが来るたびに天気が優れない。 最高で曇り空、だいたいはグズグズした空模様。 ひどい時には、マサルが近づいてくると空に暗雲がたれこめ、落雷が轟き、ゴールデンウイークだというのにバラバラと直径 1cm はあろうかという雹 (ひょう) が降ってきたことさえある。

  当時勤めていた会社の仲間にもマサルが雨男だということが広く知れ渡り、連休の前などは 「友達は来る?」 などと質問を受ける。 「来るって言ってたよ」 と答えようものなら 「お願いだから来ないように言ってくれない?」 と手を合わせてお願いされる。 事情を聞くと、連休中に外出するので雨が降ると困るのだと言いだす始末だ。

  そんな事情でマサルに断りを入れるのも何なので、放っておくと連休中は案の上の雨である。 休み明けには 「どうして断わってくれなかった」 と恨みのこもった抗議を受けることになる。 そんなことを言われてもマサルが来ると必ず雨が降ると確定している訳でもなく、天気が悪かったのはマサルのせいではないだろうと反論するのだが、誰かが統計をとったところ、悪天候の確率は 70%に達するという。

  薄々はマサルが雨男であるような気がしてはいたが、マサルが来た際に天気が良くない確率がそんなに高いとは認識していなかった。 そのことを本人に伝えると、心外だと言わんばかりに機嫌の悪い声で文句を言っていたが、悪天候になる確率を教えてやると、「そう言えば晴れた日にお前と会った記憶がない」 と真剣に悩み始めた。

  人間というものは、自分のことを客観的に見つめ直し、その状況を正確にわきまえた方がよろしい。 この際だからマサルも自分が雨男であることを認めるべきである。 「人間、諦めが肝心だ」 と言って聞かせ、渋々ながらも雨男であることを認めさせた。 最初はテンションが下がっていたものの、ある時期から気持が吹っ切れたようで、開き直りにも近い状態となった。

  「昨日は出張で○○まで行ったけど、やっぱり雨でよ〜」 などと自慢の電話をかけてくる。 仕事のため、とある島ままでフェリーで行き、とんでもない悪天候になって船が欠航したため 2日間ほど足止めをくって島から帰って来れなかったなどという自慢話を聞いたのも一度や二度ではない。 とにかく各地で 『嵐を呼ぶ男』 は絶大なるパワーを発揮していたのである。

  ある日、マサルは我家に遊びに来ていた。 夜になって腹も減ってきたので近所の居酒屋まで行くことにした。 道を歩いていると、やっぱり空はどんよりとし、ポツポツと雨も落ちてきている。 「やっぱりな〜お前のパワーはすごいな〜」 などと言いながら居酒屋で腹一杯になるまで食事をし、気分が良くなるまで酒を飲んだ。

  帰り道、店を出るときには止んでいた雨が再び降りだし、ポツポツと頬をぬらし始めた。 「どうやら雨はお前をぬらしたいらしいな」 などと言いながら歩いていると、酔ったマサルが大声で 「どうせなら中途半端に降っていないで思いっきり降れ!」 と叫んだ。 すると恐ろしいことに、それから 1分も経過しないうちに雨足が強まり、鬼のような勢いの土砂ぶりになった。

  ずぶぬれになって家に帰り、「お前は自分のパワーを分かっていない!」 「余計なことをして土砂ぶりにするな!」 などと訳の分からない説教をしながら濡れた服を着替える。 マサルは少しションボリしながら 「俺だってまさか大雨になると思わなかったしよ〜」 と弁解していた。

  会社でその話をすると、みんなは 「恐ろしや、恐ろしや」 とざわめき始め、オロオロとうろたえている。 それ以降、マサルは 『レインマン』 と呼ばれ、恐るべき雨男として長く語り継がれることになったのであった。

マサルノコト

マサルノコト scene 7マサルノコト scene 7

  『マサルノコト scene 5』 に 「自分からマサルが暮らす街に行ったことなどない」 と書いたが、実は一度だけ行ったことがある。 それは、わざわざマサルを訪ねに行った訳ではなく、ついでに立ち寄っただけだ。 過去の雑感に何度か書いているように、出不精となった今では信じられないほど車に乗って遠くまで出かけたりしている時期だった。

  その前日から仲間 6人と 2台の車に分乗し、行き先も決めず、当てのない旅をしていた。 夜がふけて夜中になっても走り続け、気が付くと住んでいた町から 400km 以上も離れたマサルの住む街にたどり着いていた訳だ。 その街は 7/22 の雑感に書いた祖父母が暮らしていた街でもある。 自分には土地勘があるので仲間に市内を案内し、祖父母が住んでいた場所も見に行った。

  そして、そこはマサルの住む街であることも思い出し、すでに仲間内では有名人だったマサルの家を訪ねてみることで意見の一致をみたのである。 しかし、具体的にどこに住んでいるのか分からなかったので、当時は各所に点在していた電話ボックスに入り、マサルの住所を探ろうとしたが、電話帳には記載されていなかった。

  そこで悪い頭をフル回転させて年賀状に書かれていた住所を思い出そうと必死になった。 おぼろげながら浮かんできたのは 『〇〇町』 という市内の地名だ。 とりあえずはその町名の場所まで移動し、あとはヒマにまかせての捜索活動だ。 『マサルノコト scene 2』 に書いた状況から、幹線道路まで徒歩数分の距離であること。 そして、その時の会話から自分が知っている場所からもアパートが近いことは推測できる。

  マサルが乗っている車の種類や色も分かっているので、ある場所に的を絞って車の捜索を開始した。 30分ほど探しただろうか、マサルの物と思わしき車を発見し、郵便受けを確認すると 2階の部屋にマサルの名前を見つけた。 別行動していたもう一台の車に乗った仲間を呼び寄せ、合計 7人でソロリソロリと階段を上る。 その日は日曜日、時間は午前 7時。 外出しているはずがない。

  ドアを数回ノックしたが、マサルは現れない。 強く、そして長くドアをノックし続けると、寝ぼけた目をしたマサルが顔を出した。 「ど、どうした?」 と驚いているマサルを無視し、狭いアパートの中に合計 7人が次から次へと乱入する。 部屋に入るなり、「腹が減った」 と食卓に置いてあったパンを貪り喰い、「のどが渇いた」 と冷蔵庫の中のものをゴクゴク飲む。

  マサルは呆気にとられて部屋の中央に立ちすくんだままだ。 まるで立場が入れ替わったように 「まぁ座れ」 とマサルをイスに座らせ、部屋の中を物色する。 オーディオ関係の棚の中に聴きたかった CD を発見したので 「これ借りていくぞ」 と何枚か取り出したりしていた。 そして、今が旅の途中であること、夜通し走っていたので休憩を兼ねて訪ねてきたことなどを話し、小一時間くらいでアパートを出て、状況を完全には把握できず、まだボ〜ッとしているマサルを残して街を後にした。

  その夜、マサルから電話があり、「何か俺、変な夢を見たんだけどよ〜」 と言い、「朝早くにお前が来てな〜」 と今朝の出来事を淡々と話し始めた。 「そうか〜悪い夢を見たな〜」 などと適当な相槌をしていると 「ふざけるなー!」 と急に怒り出し、「せっかくの休みだったのに早起きさせられた」 とか 「人の寝込みを襲うとは何ごとぞ」 などと文句を言う。 少し話を聞いていたが、最終的には 「うるさい!」 と言って電話を切ってやった。

  そしてその後、外で車の止まる音が聞こえるたびに、悪夢の再来かと怯える日々が続いたマサルなのであった。

マサルノコト

マサルノコト scene 6マサルノコト scene 6

  前回の続きになるが、マサルが連続で遊びに来る記録が 9週で途絶えたのは体力の限界が理由だった。 当時、二人とも仕事に対して少なからず不満を持っており、そのストレスを発散するため、あるロックバンドのライブを観に通ったりしていた。

  過去の雑感に特定のもののファンになることはないと何度も書いている通り、今から思えばその音楽性やバンドそのもののファンだったのではなく、単にライブ会場で大暴れしてストレスを解消することだけが目的だったように感じる。 何十枚も CD が発売されているのに持っているのは 4-5枚程度だし、メンバー全員の名前すら知らない。

  その程度のものであるにも関わらず、毎回のチケット購入が面倒になったので、電話予約だけで予約可能なファンクラブにまで入会していた。 電話をして予約を済ませ、銀行にお金を振り込んでおけばチケットが郵送されてくるので楽だったのである。 本当のファンで心から応援している人たちには申し訳ない限りだ。

  それでもファンクラブの力は絶大で、会場の最前列近くのど真ん中にある席のチケットが送られてきたりするので、マサルと自分のライブ熱はヒートアップするばかりだった。 ライブ前日から仕事を休んでマサルが宿泊し、自分だけ仕事に行ってスーツ姿のまま会場に直行したり、マサルが仕事を休めない日は休日の朝早くに家を出て 400km の道を車で移動してやって来る。

  もの凄く忙しい時は夜 9:00過ぎにライブが終わって軽く食事を摂り、そのまま 400km 先の自宅に帰るという無謀なこともしていた。 自分の住んでいた街とマサルが住んでいた街の中間地点までライブを観に行き、それが終わった後に 200km 先にある自分の街までマサルが送ってくれたこともある。 その時点で深夜になっているのだが、明日も仕事だからと言って 400km 先まで帰っていったこともあった。

  若さゆえに可能だった荒業ではあるが、そんな無茶なことが長く続くはずがない。 連続記録更新中の 9週目に事件は起こった。 その時は金〜日曜の 3 days のライブだったので、マサルは仕事を休んで遊びに来ていた。 チケットはファンクラブ経由で 3日間とも押さえてある。 最終日のライブを観に行っていると、翌日に遠く離れた街で野外ライブを決行することが告げられた。

  三日間のライブで気合いの入ったマサルは、「もう一日休んで観に行く!」 と言い出した。 自分も異論はなかったので、仕事を休んで遠い街まで出かけることにした。 そこは自分の住んでいた街から 400km 以上も離れていたが、気合いが入っているので気にならない。 二人勇んで会場に向った。6時間以上の道のりも苦にならずに到着してライブが始まる。

  そして終了したのは 20:00 を過ぎていた。 ここまで来てしまった訳だから当然、帰らなくてはならないのだが、ライブで燃え尽きたので道のりが遠く感じる。 帰りは夜ということもあって割とスムーズに進んだが、帰宅したのは深夜 1:00 を過ぎていた。 そして、恐ろしいことにマサルの自宅はまだ 400km 先である。 燃え尽きたマサルは少し悩んでいたが、「今から向えば仕事に間に合うかもしれない」 と言い残して遥か彼方にある街に向ってアクセルを踏み込んでいった。

  帰宅した自分は倒れこむようにベッドに入り、ドロのような眠りに落ちた。 翌日の仕事を終えてからマサルに電話してみると、ものすごく元気のない声が受話器から聞こえてくる。 「あれからどうだった?」 と尋ねると、仕事に間に合う時間に到着したが、『あしたのジョー』 のように体力も気力も燃え尽きて、真っ白な灰になってしまい、高熱を発して倒れてしまったのだと言う。

  翌日になっても熱は下がらず、前週の金曜日を含めると 4日間も会社を休むことになってしまい、上司からこっぴどく叱られたマサルは週末に遊びに来るのを止めた。 これが連続記録が 9週で途絶えてしまった真相だが、あの無理がなければ何週間の記録が生まれただろうと思う。 しかし、それを期にライブからも足が遠のき、会う機会もめっきりと減った。

  そしてその後、二度と再び記録に挑むことはなかったのであった。

マサルノコト