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雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

格差社会格差社会

参院選で自民党が歴史的大敗を帰し、安倍総理の去就に関して党内すら二分する議論が交わされており、その行く末をマスコミ各社、評論家まで様々な意見を述べるにいたり、政治的混乱とアメリカ株の暴落から東証一部銘柄も近年まれに見ぬ下げ幅を記録し、経済的にも混乱期を迎えている日本である。

敗戦の責任論として安倍総理辞任を積極的に促す議員もいるが、代わりに誰を立てたら良いのかという具体論はなく、この混乱期に本命の生太郎 (そうたろう (麻生太郎氏の俗称)) 氏をかつぐのはあまりにももったいなく、ワンポイントで谷垣氏をかつごうにも、根っからの消費税値上げ論者である彼を頭に据えると衆院選にすら大敗するのではないかという不安を払拭できずにいるようだ。

今回の参院選の総括として 『小泉改革の光と影』 と称し、影の部分である格差社会に焦点を当てて敗因とする政治家やマスコミが多く、民主党その他の政党も 『格差社会の是正』 をスローガンに選挙戦に勝ったのも事実であるため、所得格差、地域格差に目が奪われがちになっている。

確かに資本主義、自由競争社会の実現に向けて小泉純一郎・竹中平蔵の両氏がひた走り、その結果として所得格差が生じてしまったのは事実ではあるが、それを悪とするのが正論であるかは、はなはだ疑問が残り、資本主義経済における階級的不平等の克服を目的とした社会主義など成り立たないことは歴史が証明していることからも悪とは決め付けられないと思う。

我家は決して勝ち組みなどでなく、将来に不安がないほど潤沢な金融資産を保有している訳ではないが、世に言われる勝ち組み、成功者を恨んだり憎んだり、ましてや妬んだりする意識はなく、もちろん羨むことはあれど、格差が生じるのは成功者にはそれだけの才能があり、努力を怠らなかったのだと素直に認めざるを得ない部分が大きい。

法を犯してまで手荒く利益を追求した元ライブドアの堀江氏や、村上ファンドの村上氏などは厳罰に処されるべきだと思うし、「金儲けがそんなに悪いことですか?」 という村上氏の問いに関しては、「悪くはない。 ただし、正当な方法であれば」 と答えたい。

地域格差問題では地方都市、農村部、過疎地などに不満が広がり、それが多くの票を失う結果になってしまったと分析する議員も多いが、果たしてそれは小泉改革の影なのだろうかという疑問が頭をもたげ、さらに民主党だったら改善されるのかという巨大なクエスチョンマークが頭上でボヨンボヨンと音を立てて跳ね回る。

確かに地方交付税やら何やらと、税金の通り道や使い方を変えようとして、結果的にそれが痛みを伴なうことになってしまったのは事実ではあるが、それは既得権益、省益を保持しようと改革の内容を違うものに組替えてしまった役人が悪いのであり、責められるは中央官庁の公務員ではないのか。

民主党が票田である組合を意識すれば、この問題を解決する能力があるのかに大きな疑問があり、ましてや人員削減を伴なう小さな政府の実現、民にできることは民に任せる構造改革、規制緩和などの実行力があるとは決して思えず、国内外を問わず多くのエコノミストが指摘する、税金のばら撒き行政による一時的なカンフル剤的手法しかとれないような気がする。

そして、小泉改革が改悪だったのであれば、今でも多くの政治評論家、経済エコノミストから小泉待望論が出るはずがなく、海外メディアや評論家までもが小泉待望論を展開するはずがない。

従って、参院選の敗因は小泉改革の影にあったのではなく、安倍首相とその仲間達が招いた政治不信、本人はおろか自民党の支持率まで下げてしまった言動や思想にあったのではないかと思い、全責任は本人も認めているように首相にある訳だから、ここはタイミングを見計らって辞任すべきなのではないかと思う。

ただし、次の総理候補がいないという厳然たる事実に変わりはないが。

何も思いつかない時は何も思いつかない時は

たまにはダラダラと書き始めてみる。 第一、こうも暑いと考えるのが面倒になってしまうではないか。 以前の雑感にも書いたような気がするが、暑いと脳の働きが 80%程度までに低下するらしい。 自分の場合は暑さに弱いので 60%まで低下しているかもしれない。 さらに、普段から 50%くらいしか使っていないので、今は普通の人の 30%程度だと思われる。

いや、書きたいことはある。 『想い出の居酒屋』 のその後もあるし、『マサルノコト』 に書くべき逸話はまだまだ残っている。 しかし、どうにもその気になれない。 過去のことを思い出しながら文章化するには、それなりのパワーを必要とし、それなりに脳も働かせなければならない。 しかし、今日はそのパワーもなければ、冒頭で触れたように脳も働いてくれないのである。

それでも九州よりはマシというものか。 あれだけ季節はずれの台風と刺激された梅雨前線によって水浸しにされた上、ここ一週間くらいは連日の猛暑日を記録している。 まるで水攻め火攻めの拷問を受けているような感覚になっていることだろう。

『猛暑日』 とは今年から気象庁で使われることになった用語で、最高気温が 35℃以上の日を指すが、それにはヒートアイランド現象やら地球温暖化が影響しているのではないかと心配になってしまう。 1日の最高気温が 35℃以上の日が 1990年以降急増しているらしく、それは 1967~76年の 3倍近くに達するという。

つまり、30年前と比較して明らかに暑くなっており、その原因はエアコンの普及による熱放射、緑地の減少などによるところが大きいだろうが、自然環境の破壊によって進む地球温暖化が最大の原因なのではないかと思われる。 ヨーロッパでは 45℃以上の熱波に襲われて多くの人が亡くなっているし、そんなことは異常としか思えない。

これも以前の雑感か管理人の独り言に書いたと思うが、このまま温暖化が進み、異常が日常になってしまい、「明日の予想最高気温は 45℃、平年並みでしょう」 などという天気予報を聞かされたらどうしようかとオロオロしてしまう。 強力な紫外線が降り注ぎ、まるで SF映画のようにプロテクターを装着しなければ外出すらできなくなるかもしれない。

先の新潟県中越沖地震で問題が発生した原子力発電所だが、想定外の大きな揺れに見舞われたにも関わらず、原子炉で大きな事故が発生しなかったことを先に誉めるべきであり、今の報道のように重箱の隅をつついてギャーギャー騒いでも何の解決にもならないだろう。

日本は被爆国という歴史から、原子力に対するアレルギー反応が強すぎる。 石油製品の高騰が進み、原油の枯渇が心配されている今、世界では原子力発電所の建設がかつてない規模で進められている。 安全装置と管理さえ徹底すれば、最もクリーンなエネルギーを精製することができると認識されているからだ。

もちろん、太陽発電や風力発電、そして水素による発電の方が安全でクリーンなのは常識だが、世界が必要とする発電量をまかないきれるほど技術が発達していない。 効率的で究極的な発電方法が確立されるまでの代替措置としては原子力に頼らざるを得ないのが現状である以上、想定外の問題が発生したら対処法を見つけて次に役立てる前向きな議論が必要だ。

・・・ なにも考えずに書き始めたのに長文になってしまった。 暑さでますますボ~っとしてきたし、考えるのも面倒になってきたので、この辺でやめておこう。

新潟地震で思うこと新潟地震で思うこと

新潟県中越沖地震が 7月16日10時13分に発生した。 2004年にも新潟県中越地震が発生し、死者 67名、負傷者4,805名という甚大な被害を受けたばかりであり、大きな地震があれば、以降 20年くらいは大丈夫という定説がもろくも崩れた瞬間でもある。

07/18 の独り言にも書いたが、取材のために現地入りするマスコミ関係者の数に驚かされ、それだけの撮影機材などを運搬する能力があるのなら、生活物資のひとつでも運んだ方がよっぽど世の中のためになり、被災された方々の辛い思いも少しは緩和されるのではないかと思う。

そして、偉そうに義捐金や募金を呼びかけるだけではなく、特に高額な報酬を貰っているであろう、みのもんた氏や古舘伊知郎氏あたりは、ギャラの全額か一部を寄付するくらいの気構えを見せてもらいたいもので、ただカメラの前に立って 「一刻も早い復旧作業を」 とか 「被災された皆さんの気持を考えると」 などと言っていても何の説得力も感じない。

被災地にある自動車部品メーカの工場が壊滅的被害を受け、日本の主要メーカが生産停止に追い込まれたが、これはトヨタ生産方式の代表的手法でもあるジャストインタイム、つまり、必要な部品は、必要なときに、必要な分しか取り寄せないという手法が災いし、車を造りたくても部品がないという事態に発展してしまった。

また、多くのメーカが被災した部品メーカ 1社に頼っていたことと、トヨタを見習って部品調達を最小限に控えていたことによって今回の騒動となった訳であり、大メーカだけが潤って下請けが苦労する面も否めないトヨタ方式に限界が見えたのではないかという気がしないでもないが、それによって部品在庫を軽減し、経費を圧縮して世界競争に勝っていくという側面もあるのは確かだ。

しかし、いくら被災した部品メーカが重要だとは言え、各自動車メーカから復興の手伝いとして計 700人もつぎ込むことはないのではないかと思え、それだけの派遣能力があるのであれば、被災した方の家の片付けを手伝う要員も派遣し、その社員には給料も払うなどの措置をとれば、社会貢献もする立派な企業として認められると思うのだが、各メーカーとも自分のことしか考えていないようである。

派遣やパートとして自動車工場で働いている人は生産停止によって給料が減る事態に遭遇している訳だから、ボランティア部隊を編成して現地に送り込み、給料も保証した方が嬉しいはずで、みんなに喜ばれ、世の中の役に立つ会社というイメージを知らしめることだってできるだろう。

それにしても、被災した部品メーカの工場がどの程度の大きさか分からないが、700もの人数が必要だったのか疑問であり、過去の雑感に書いたかも知れないが、独身で荷物も少なかった自分が引っ越しをする際、数人の友達に手伝いを要請したら、その友達がさらに人を集めて狭い部屋に総勢 30人くらいが集結してしまい、かえって邪魔になった事実を思い出す。

おまけに引越し蕎麦を全員に振舞う事態におちいり、出費だけがかさんでしまったのは、今後、部品メーカが各社に御礼をしなければならず、何かと物入りになってしまうであろう事実も連想させる。

自分も新潟に対して何もしていないので偉そうなことは言えないが、親身なふりをしたり利己的な振る舞いをするより、もっと人のためになるようなことはできないものだろうか。

練習の賜物練習の賜物

自分の場合は仕事とゲームにしか打ち込んだことがないので、スポーツ選手などが軽々とやってのけることを 「お~!」 と感嘆の声をもらしながら見ているしかないのであるが、どうも野球を観戦していて選手が打って欲しいところで三振したり、つまらないエラーをしたりすると 「アホか!」 などと罵倒する言葉がでてしまい、選手の凄さというものを忘れがちになってしまう。

自分には 140km/h 以上もの速度で投げ込まれる球を打てるはずもないし、それ以上の速さで飛んでくる打球を捕れるはずもなく、ブツブツと文句を言える立場にないのは重々承知したりしているのではあるが、誉めることより文句を言っていることの方が多い厳然たる事実がそこにある。

しかし、冷静に考えれば走者となって塁にすべり込むことですら勇気の必要なのではないかと思うこともしばしばで、自分であれば硬い地面の上を滑るなど想像しただけで足がすくんでしまうし、ましてや塁を守る選手と交錯する可能性も高いことを加味すれば、その場に向って走ることにすら腰が引け、さらにはヘッドスライディングなど怖さ倍増であることは想像に難しくない。

サッカーでボールをキープするのも勇気が必要だと思われ、相手の選手が鬼のような形相と勢いで奪いにきても、それを冷静にかわしたり味方選手にパスしたりしなければならない訳であり、自分であればちょっと怖そうな顔の選手が向ってきたら、泣きながら逃げ惑ったりする可能性も否定できないので、試合の中継を観ながら文句など言えないのである。

格闘技を観ていてもそうで、堂々と打ち合わずにクリンチにばかり逃げる選手をみると 「アホか!」 とか 「面白くない試合」 などとブツブツ言っているが、筋肉隆々として体も大きく、人相の悪い暴れ者が向ってきたらシッポを 26周くらい巻いて一目散に逃げてしまうのは明白だ。

バレーボールで凄い勢いのスパイクを打たれてボールに向っていくこともそうだし、ラグビーで相手にタックルしたり、されたりするのも、相撲の立会いでゴツンと頭がぶつかるのも、痛いとか怖いと思ったらできることではなく、いや、実際に痛いのは間違いないことなので、いかにして恐怖心を払拭するかと言うことが重要なのかも知れない。

その恐怖心を乗り越えるため、あるいは技術を磨くため、そして体力を強化するために日々練習を怠らないのがスポーツ選手で、自分にはそんな地道な努力をする自信などあるはずもなく、第一、競技を始める前の準備運動でヘトヘトになってしまうこと必至であり、まずは最低限の体力づくりから始めねばならないだろう。

したがって、どんなスポーツであれ、彼ら、彼女らは自分には到底できないような、とてもレベルの高いことをしているのだという自覚を持ち、すばらしいプレーをしたときこそ心から惜しみない拍手を送るべきだということを心にとどめながら観戦すべきなのではないだろうかと思ったりしているが、そんな見方をしたら疲れてしまうだろうことは容易に想像できる。

色々と考えてみたりはしたが、結局はゴロゴロしながら、画面に向ってブツブツと文句を言ってスポーツを観戦する姿勢は改まりそうにない。

たまには時事たまには時事

会期延長されていた国会も終わり、いよいよ参院選ムードが高まってきており、支持率が下降の一途をたどる安倍政権で今月末の選挙を戦えるのかどうかという不安もあれど、それにしても安倍内閣にはツキがないというか、論功行賞人事をした自業自得というか、発足当初から問題が絶えなかったという感慨が胸に去来する。

佐田行政改革担当大臣は事務所経費の不透明な処理の発覚で昨年末に辞任、年が明けてすぐに柳沢厚生労働大臣の 「女性は子ども産む機械」 発言、5月 28日には松岡農水大臣が自殺、そして先月には久間防衛大臣が原爆投下に関する、まさに爆弾発言で引責辞任と、世間を震撼させる大きな問題も多いが、その他の細かなスキャンダルも合わせると大変な数になる。 《 ウィキペディア参照 》

よくもまあ、これだけ問題が起きるものだと感心してしまうくらいのペースでの量産体制を確立しているようだが、影で誰かが糸を引いているかのように、したたかな工作も見え隠れして傍観者としては実に興味深く、味わい深い内閣だったりもするのが、首相の外見と相まって完全には憎めない雰囲気を醸し出したりしているのではないかと思う。

松岡農水大臣の自殺の引き金とも言われる緑資源機構官製談合事件では、続々と逮捕者まで出る勢いだったのに松岡氏の自殺によって尻切れトンボな状態になりつつあり、政界まで巻き込む大事件に発展することが予想されていたにも関わらず、今となっては報道するマスコミも存在しない。

世間知らずのボンボンが仲良し倶楽部を作ってボ~っとしている裏で、百戦錬磨の爺さんどもが右往左往しながら問題解決に当たっている姿が脳裏をよぎり、なんとなくバカ殿のような壮大なコントを見せてもらっている気分に浸ってしまい、頼りないことこの上ないのではあるが、全否定してまで憎めない。

しかし、そんなボンボンに日本という国の舵取りを任せて良いのかといえば一抹の不安が胸をよぎり、可能なことであれば日本丸という船から脱出してアメリカとかロシアとか中国という巨大な船に乗り換えたいと少なからず思うこともあり、いや、それよりオーストラリアとかユーロ圏などの方が良いかも知れないなどと思いを廻らす日々であっても、実際には行動できない悲しい事実がある。

そして選挙であるが、参院選は衆議員にお灸を据える意味合いが強く、このままでは自民党が苦戦するのは確実であり、もう少し風が吹けば民主党あたりにドッと票が流れるのではないかと思われるが、肝心の民主党に風を起こす実力がないため現在のところは微風でしかなく、さらにまんまと自民党の術中にはまってしまったのではないかと思われてならない。

国会の会期延長により、投票日が 7月 22日から 29日に変更になり、すでに印刷物を刷り終えていた機関などに多大な労力の投入と税金による穴埋めが行われることが問題視されているが、そんな批判を受けてまで会期を延長したのには、それなりの理由があったのだろう。

第一に重要法案を強行採決でも何でも通過させて国民に実績を示すことができ、多少は自民党の印象が良くなるのではないかと期待される点にあるが、あまりにも強行採決が多かったのでこれは逆効果になってしまったのではないかという不安もチラホラ聞かれる。

第二に、7月も 29日となれば学生が夏休みに入り、選挙権を持っていても遊びに行ったり帰省したりして投票しない大学生や若者が山のように現れるのではないかと予想され、そうなれば浮動票に頼らざるを得ない民主党が多くの票を失うこととなり、自民党にとっては好都合なのではないかと思われるので、こちらの方が重要な意味を持つような気がする。

国民の誰しもが現政権に不安を抱きつつも、参院選でお灸を据えることすらできない微妙な空気が流れているような気がしてならないのは自分だけだろうか。

第一印象第一印象

過去の雑感に何度か書いたが、第一印象というのは大事なものであり、自分の場合は人から冷たく見られたり、怖そうに見えたりするらしいのでとても損をしているような気がする。 それが誤解であって、実はとっても心優しく人情味あふれる素敵なオッサンであることはなかなか理解してもらえず、付き合いも長くなってから 「第一印象と違いますね」 と言われることが多い。

人に対してのものだけではなく、店であっても最初の印象で好き嫌いが決定してしまう場合もある。 主人や店員のちょっとした仕草や態度で店自体がとっても気に入ったり、「二度と来るもんか!」 と腹を立てたりすることすらあるので接客業は大変だ。

国も同様で、出会った人やその国で暮らす人々から受ける印象で好きにも嫌いにもなる。 そこでオリンピックという一大イベントを目前にした中国がマナーの向上に国を挙げて力を入れている訳だ。 行ったことはないが、伝え聞くところによると順番を守らず列に並ぶことも知らなければ、信号をも守ることも知らず、店で人が手にしている商品を横取りするような人たちらしい。

世界中から人が集まるオリンピック開催期間にマナーの悪さで国の印象まで悪くなれば、その後の観光事業にも影響が出かねないので必死になって人民を教育しようとしているらしいが、今までの蓄積でそれが常識になっているので、残り一年程度で改善するのは難しいかもしれない。 一党独裁の国だから人民への教育が徹底し、見違えるような成果をあげる可能性も否定できないが。

自分が初めて大阪の土を踏んだのは出張で大阪本社に来た十数年前のことだが、その時に受けた印象は今でも忘れない。 空港から一歩外に出ると地獄のように暑い。 シャトルバスの中で女性二人がずっと喋っていたのだが、それがまるで漫才のようだ。 本社のある日本橋でバスを降りるとドブのような臭いとレゲエのオッサンが発する臭いで鼻が曲がりそうになる。

仕事を終えてから酒を飲むことになり、ミナミを歩いていると様々な信じられない光景が目の前に。 ある店の前には自転車が生けてある。 放置自転車に業を煮やした店のご主人が腹いせに積み上げたのだろうが、それがまるで前衛作家の手による生け花のような雰囲気を醸しており、思わず立ち止まってうず高く積まれた自転車を見上げてしまった。

少し先に進むと電柱の足を掛ける突起物に自転車が吊るしてある。 それも普通では手の届かない高い場所だ。 誰が何の目的で吊るしたのか。 さらに道を歩くと交差点の中央分離帯にある白線が引かれた場所、つまりゼブラゾーンに車が停まっていた。 同行した人によると、「場所が開いてるからちゃう?」 ということ。 ナンバープレートもない車が道路脇に停められていたのは 「捨てたんちゃう?」。

なんともはや、凄まじいことである。 帰りはホテルまでタクシーに乗ったのだが、窓越しに見える光景もすごい。 三車線の道路の中央の車線に車が停められている。 昼間は二重、三重の路上駐車になっており、それらが発進してたまたま道路の真ん中にある車だけ残った結果だという運転手さんの話し。 それを聞かなければ普通は理解できない状況だ。

途中、高速に乗ったのだが、その道路の真ん中には日本髪のカツラが落ちていた・・・。

そんなこんなで、大阪の第一印象は決して良いものではなかったが、ここまでデタラメだと好きとか嫌いとかを超越して可笑しさの方が圧倒的に勝り、まるで異国のような感じすら覚えたものである。 縁あって、そんな大阪に暮らすようになって早や十数年。 今では少々のことでは驚かなくなってしまったが、あの時に受けた印象は今でもずっと心の中に残っている。

樹の精霊樹の精霊

童話やファンタジー系の物語には、森の主や長老として樹齢が何百年にもなる大きな樹が登場し、遠い過去から現在に至るまでの様々な歴史を見てきた生き証人として迷える主人公に助言を与えたり、森の動物達と意思の疎通を図ってくれたりするシーンがある。 実際は樹に感情があったり記憶力があったりするのか分からないが、人を落ち着かせる何かがあるような気がする。

過去の雑感に何度も書いたが、大自然に囲まれた田舎で育った自分は背丈ほどもある草むらの中を走り回ったり、小川に飛び込んだり樹に登ったりして遊ぶ野生児だった。 小学生の頃はガキ大将として君臨しており、その性格は粗暴、他校の生徒とも喧嘩を繰り返す手のつけられない悪ガキで、さぞかし親も苦労したことだろうと思う。

親からこっぴどく叱られたリ、喧嘩に負けて落ち込んだときなど、小学校の裏手にあった大きな樹の太い枝に幹をまたいで横になり、何時間でもボ~っとしたり昼寝をしたりして過ごしたものだ。 多くの子供が樹に登って枝を踏みつけるため、変形して適度に平たくなっているので横になっても安定感がある。 さらに幹を股に挟んでいるので少しくらい動いてもバランスが崩れない。

その樹は小学生の自分から見ると、それはそれは大きく、幹に抱きついても手は一周せず、三人くらいが手を繋いでやっと届くほど太かった。 樹の枝をつたって上まで登ると体育館の屋根と同じくらいに感じられるほど背が高い。 夏にはいっぱいの葉を繁らせるので枝で横になっていると日をさえ切ってくれて涼しい。 葉と葉の間からチロチロとこぼれてくる太陽の光が綺麗に見える。

その樹の枝で横になっていると、なぜだか本当に気分が落ち着いた。 粗暴な悪ガキすらも落ち着かせる不思議な力を持っているのかもしれない。 イタズラや喧嘩をしても樹は自分を叱ることもなく、ただ自然の力で包み込んでくれる。 ひどく悔しい思いをして泣きそうになったときも、樹に触れていると心が安らいだように思う。

これも過去の雑感に書いたが、母親の激怒から逃れるために繰り返した 『超プチ家出』 で、暗くなってからの逃亡先は叔母の家と決まっており、行動パターンが読まれているためすぐに御用となってしまっていた。 ところが昼間であれば、ぐんと行動範囲は広がる。 友達の家に逃げ込んでも良いし、外で遊んでいる仲間に合流すれば自然に時間は過ぎて行く。

ところが暗くなり始めると一人また一人と仲間は帰宅してしまい、最後には一人ぼっちになってしまう。 そんな時に頼りになるのは学校裏の大きな樹だ。 自転車が見つからないように近くの窪みに乗り捨てて、葉が覆い繁る樹の枝に寝ていれば誰にも知られずに済む。 そして心が安らぎ、あまりにも気持が良いので、そのまま朝まで寝ていたくなる。

しかし、そこは金を持たぬ子供の悲しさで、腹の虫がグルルと鳴り始めても食べるものがない。 お腹と背中がくっつきそうになり、仕方なく窪地から自転車を引き上げてトボトボと樹のそばを離れる。 振り向くと青白い空に樹が真っ黒いシルエットを浮かべ、優しく見守ってくれているような気がした。

家では母親が半狂乱になって自分を探し回っており、昼間の怒りに輪をかけて叱られる。 それでも心の中には、帰り際に振り向いて見た樹の黒くて大きな影が残っており、母親のガミガミ言う声もどこか遠くで響く。 樹に触れていた何時間かですっかり心が落ち着き、怒鳴られても叱られても大きく動揺しない強さが宿ったのかもしれない。

腹の立つことや悲しいこと、楽しい思い出もたくさん詰まって自分の記憶の中に刻まれている大きな樹だが、その樹には自分と接した記憶があるのだろうか。 通った小学校が数年前に建替えられ、以前は野原だった場所に移動した。 その際に、あの樹は伐採されてしまったのだろうか。 今、この雑感を書いていてとても気になり、その樹の存在を確かめたくなってきた。

今度はいつ帰省するか分からないが、実家に帰った折には樹を見に行き、実際にこの手で触れてきたいと思う。

歯医者三軒目-終章-歯医者三軒目-終章-

過去に通った歯医者

その歯医者には回数にして 四十数回、期間にして半年間も通う羽目になってしまった。元はと言えばボロボロになるまで放置しておいた自分が悪いのであり、『身から出た錆び』 とか 『自業自得』 という言葉を身にしみて思い知らされたのであったが、よりによってこんな歯医者に長く通うことになるとは・・・。しかし、歯医者を選定したのも自分であるため、それも自己責任ではあるのだが・・・。

最初はオシャレな雰囲気に圧倒されたり興奮していたりしたのだが、何度も通ううちに変なことが気になりだした。待合室の大型 TV に映し出されている映画は 『ボディーガード』 など当時ヒットしていたものも多かったが、『プレデター 2』 などのような猟奇的、暴力的なものが多い。それが何度も何度も ”上映” されるので長く通っている人などは画面を見ずに本を読んだりしている。

待合室の片隅には熱帯魚が飼育されていたのだが、よく見ると水槽の上に 「院長作」 というカードが立てられている。何が 「院長作」 なのだろうと思い、近くで見てみると水槽の中には古代遺跡のオブジェが沈められており、その影からバルタン星人のフィギアがこちらを見ている。日によって古代遺跡がローマ神殿になったりバルタン星人がウルトラマンに変わったり変化を楽しんでいるようだが、とても気持ち悪い。

医者たる者は内科医であろうと外科医であろうと歯科医であろうと落ち着いた雰囲気の人が個人的には望ましい。しかし、院長と呼ばれるその先生は激情型のとってもヒステリックな人だった。患者の目の前で助手さんを平気で叱り飛ばす。その他の技師さん達にもネチネチと嫌味を言っている。その先生が主たる要因だとは思うが職場(院内)の雰囲気がギスギスしていてとても暗い。

『キレイなお姉さん』 と思っていた受付の女性が院長の奥さんなのか愛人なのか恋人なのか分からないが、助手さんたちに対する態度がやたらとでかく、高圧的に叱りつけたり何事かを指示したりしている。そこに勤めていた女医さんなどは院長に嫌味を言われても無視してみたり、悔し泣きしながら治療を続けていた。そんな状況であったから人の入れ替わりが激しく、仕事に慣れる前に辞めてしまう人が多い。

次々と新しい人が来て、一から仕事を覚えなければならないため、院長がまたイライラするという悪循環に至っていたようだ。そういったことで一番の被害を被るのは患者である。口の中の水や唾液を吸引する器具の使い方を教えるのも患者が実験台で、「吸い出すときは横から」 とシュゴゴ〜とやって見せる。「奥まで入れすぎると」 と器具を突っ込まれた時は 「おえっ!」 となってしまった。

人が 「おえっ」 となっているのに 「ほら、こうなるから」 などと説明している。「何するんじゃ〜!」 と言ってやりたかったが、その後の治療で痛くされてはたまらないので、じっと耐えるしかなかった。家族も被害にあっている。歯茎を縫い合わせる糸は抜糸の必要がないように自然に溶けてしまう 「高級な糸を使ってますからね」 などと患者に自慢するくせに、助手さんがその糸を長く使用してしまった。

すると糸の両端を持ち、横に広げながら 「もったいない」 と助手さんを叱りつけるのだが、歯茎と繋がったままの状態でそれをやるものだから唇の両端がジョリジョリされて赤くなってしまった。仕事に慣れない人ばかりのため患者として辛かったのは歯の型をとる作業である。ピンク色のデロリ〜ンとしたものを入れられ、それが固まるまで待ち、ゆっくりと外して型を抜くのだが、外し方が悪いためか何度も失敗する。

一本の歯の型をとるために 5回も 6回もやり直しである。一緒に通っていた家族は何度失敗されたか 「12回目までは数えていたけど、面倒になってやめた」 くらいなのだ。それで精巧な型がとれるのならまだしも、できて来た差し歯が合わずに取れてしまうこともあった。そんな時は再治療、差し歯の作り直しである。こちらに責任がなく、技量が未熟なために再治療になったにも関わらず金はとられる。

電化製品などのように歯にも保証期間を設けるべきだと心底から思ってしまった。そして、そんな歯医者に通うのはとても嫌だったが、カルテ類の一式を患者が入手し、他の歯医者で続きの治療を受けることは不可能なため、一度通い始めると最後まで続けなければならないという不条理きわまりない慣習である。それに加えて嫌でも通い続けて早く治療を終わられなければならない事情ができてしまった。

会社から大阪本社への転勤を言い渡されてしまったのである。その 8月は実父が入院中で余命いくばくもなく、年を越せるかどうかという状態だったので、「転勤は春まで待ってもらえませんか」 と陳情したが受け入れられず、10月の転勤が決定してしまった。そうなると 9月中に治療を終わらせなければならない。それからは滅多に使ったことのない有給休暇を乱用し、毎日のように歯医者に通った。

そして引越しを翌週に控えた 1994年 9月 22日 木曜日 最後の治療が終わった。長く辛い地獄の日々から開放された記念すべき日である。10月、引越しも無事に終わり大阪府民になった。治療が終わってから一年目の 9月・・・前歯がポロリと抜け落ちた・・・。

マサルノコト scene 12マサルノコト scene 12

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scene 11 に書いたようにマサルはとにかく真面目な奴で、それは真面目の上にクソが付くくらいなのだが、もの凄く短気でキレやすいのもマサルの特徴だ。 時には教師に向って攻撃的にでることすらあった。 当時不良だった自分とは異なり、最初から教師に対して挑戦的という訳ではなく、真面目な性格が災いしてか、理不尽なことに対しては異常なまでの拒否反応、過剰反応を示すのである。

マサルの天敵に社会科を教え、『カバレンジャー』 というあだ名を持つ教師がいたのだが、教科を担当していた一年の間に何度となくマサルとの抗争事件が繰り広げられた。 端緒となったのはテストが返される際の出来事である。 一人ずつ名前を呼ばれ、採点済みのテストを受け取りにいく。 マサルの名が呼ばれ、カバレンジャーからテストを受け取るときに誰かがマサルを呼んだ。

その声に反応して振り返るのとカバレンジャーの手からテスト用紙が離れるのが同時となった結果、少しだけ強い勢いで手から離れることになり、それに対してカバレンジャーが 「なんだ!その受け取り方は!!」 と怒り出した。 乱暴に取った気などないマサルはポカンとしていたが、カバレンジャーは 「やりなおせ!」 と言い、マサルからテスト用紙を奪って席に戻るように指示する。

その段階で少しカチンときていたマサルだったが、一応は大人しく席につき、再度名を呼ばれてカバレンジャーのもとへ行くと、うやうやしく両手でテスト用紙を受け取った。 そうされて逆上したのはカバレンジャーだ。 「なんだ!そのわざとらいしい態度は!もう一度やりなおせ!!」 と顔を真っ赤にしてわめき散らしている。 憮然とした表情で席に戻るマサル。

その段階でマサルの体内の血液は沸点に達し、完全に目が据わっている。 三度目の名が呼ばれ、席を立ったマサルはドスドスドスと音を立てながら歩き、カバレンジャーの手からテスト用紙をもの凄い勢いでひったくり、目の前でビリビリに破いて床に叩きつけ、ドスドスと自分の席に戻ってどっかと座り、腕組みをして 「何か文句でもあるか」 といった感じで睨みつけている。

カバレンジャーはモゴモゴと文句を言っていたようだが、あまりの迫力に押されてしまい、第一次抗争事件はウヤムヤのままブスブスと火種だけをのこして一応の決着をみた。 それからというもの完全に目をつけられてしまい、ほんのわずかな私語やアクビなど、ことあるごとにマサルを叱るカバレンジャーと、それに耐えつつも時々反撃に出て抗争事件を引き起こすマサルの姿があった。

中学二年当時、他のクラスの担任が 「君たちを受け持つ一年間、決して怒らない」 という約束をして、それを見事に果たしたのだが、その一年間の反動からか、翌年にはすぐに怒り出す暴力教師へと華麗なる変身を遂げた。 その事実をまだ知らない生徒は何が起こったのか理解できず対処に困っていたが、ある日の午後に事件は起きた。

数学を担当するその教師が教室に現れ、授業を始めようとしていたときに最前列に座るケンゾウという奴が隣の奴と話をしていた。 そこで注意すれば事は済むはずだったのに、その暴力教師は数学の授業で使う大きな三角定規でケンゾウの顔を往復で殴った。 それを目にして真っ先に反応したのはマサルであり、我々不良組みが 「オラオラ」 と言って席を立つよりも早かったのである。

そんなマサルの性格も大人になったら直るものかと思っていたのだが実際は変わらないものらしい。 今も勤める、その名を誰もが知っている大企業で、入社直後に受けていた研修の教官と大激突をやらかしてしまい、それが祟って日本の端にある小さな営業所に飛ばされてしまった。 マサルのことだから妙なキレ方をしたのではなく、自身の中にある正義感では許せない理不尽があったものと思われる。

人並みにズルく世間を渡ろうと思えば何も衝突までしなくても良いはずだが、それを許さないのがマサルらしいところであり、良くも悪くも性格が真面目すぎるから引き起こしてしまう騒動なのだろう。 今では互いにオッサンとなり、鋭くとがった角も丸くなって落ち着いたものと想像するが、マサルのことだから相変わらず上司と衝突を繰り返しているのかも知れない。

マサルノコト

信じる者は信じる者は

どこの国の、どの時代の哲学者なのか忘れてしまったが、「人は聞きたいと思っている話を聞くと信じる」 と言った人がいる。 それは正にその通りであって、単純には健康志向の人が 『みのもんた』 の話を聞けば 「なるほど」 と感心し、体重を気にしている人が 『あるある』 のダイエット特集を見れば、その信憑性など疑うことなく納豆を食べまくったりすることになるのだろう。

その他にも、良く思っていない人の悪い噂を耳にすれば、その情報の精度が低かろうと 「やっぱり」 と思ってしまうだろうし、自分の考えに近い意見を聞くと、それが正しいか間違っているかに関わらず 「思ったとおりだ」 と納得してしまう。 事が単純なものであれば大きな問題にはならないが、似たようなことがきっかけで大きなうねりの中に身を投じてしまう結果を招くこともあるので注意が必要だ。

欲の皮が突っ張り、利益を求めすぎた結果、誰がどう考えても怪しげな儲け話を信じてしまい、詐欺などに引っかかる人もいる。 去年の夏、自分にも怪しげな話を持ちかける人がいた。 プラチナやゲルマニウム、パラジウムなどのレアメタル (希少金属) の採掘現場 (国) から需要国まで運ぶ船を共同出資で借りると、40%以上の配当が得られるという儲け話だ。

そんなことにまったく興味がなかったし、40%以上という常識を逸脱した配当などあり得るはずがないので、口では 「へぇ~すごいですね~」 とか適当なことを言いつつも心のなかでは 「あほかっ!」 と馬鹿にしながら話しを聞いていた。 しかし、あまりにも熱心に勧めるのでイライラ感が MAX に達してしまい、矛盾点をいろいろ突いて相手を質問攻めにしてやることに。

それほど利益が上がるのなら、なぜ一人で儲けようとせず、複数の出資を募るのか。 それに対する答えは金額が大きすぎて一人で用意できる金ではないということで一応は 「なるほど」 と思える内容だが、その次がいけない。 この儲けをみんなで分かち合いたいから。 その時点で嘘臭さ 230%増しであり、そんなに徳のある人が儲け話など持ち掛けるか! と言いたくなる。

40%以上の配当の根拠はいかに? それに対する答は出るか出ないか分からない鉱石を今から採掘するのではなく、すでに出ているものを運ぶだけなので間違いがないこと、すでに売り相場も決まっているので価格変動リスクもなく、唯一のリスクは悪天候などで船が沈没することだけだと言う。 だとすれば保険をかけた上で銀行融資を申し込めば何も問題はなく、出資を募る必要がないではないか。

その後もグチグチと説明しようとしていたが、あまりにも腹が立ったので、この手の話を持ちかけるようであれば、今後一切、会うことも話すこともないと告げて席を立った。 その後、それとは違う事情で彼とは会っていないが、今頃どうしているだろう。 そして、あんなに怪しげな話に乗って金を出した人はいるのだろうか。 いや、金が欲しくてたまらない人は投資したりしたのかもしれない。

このような詐欺まがいのことだけではなく、自分が苦しくて助けを求めた結果、それがたとえカルト的宗教でも信じてしまう人がいる。 誰がどう考えても変な教えや、不必要なくらいの金品強要、しまいには空を浮遊することができるという非科学的な体験談を披露する教祖様まで現れる始末なのに、それを信じて疑おうともしない。 高額なグッズに身を包み、幸せそうな顔をしている。

一般常識から見れば、どんなに理屈に合わないことであれ、本人が幸せならばそれで良いのかも知れないが、それは一過性の心のよりどころでしかなく、現実に返った時には抜けるに抜けられず、たとえ抜けられたとしても、すべてを吸い上げられた後で金もなく、一般社会に復帰するのも大変な苦労を伴なうというのがオチである。

別に自分が冷静であるとは思わないが、何でも疑ってかかる性格なので、今のところは妙な誘いに乗らずに済んでいる。 しかし、それと同時に UFO の存在やツチノコの存在は信じて疑わなかったりするアンバランスな考えの持ち主であるのが困ったものであるのは自覚していたりするのだが・・・。