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雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

マサルノコト scene 5マサルノコト scene 5

  マサルと自分は東京と大阪で暮らしているので実際に会う機会はほとんどない。 以前も同じ街に住んでいた訳ではないので、一年に一度くらいの割で生まれ育った地元で会うくらいだったが、ここ五年以上も帰省していないので結果的にマサルの顔も見ていない。

  もしかしたら、これは会わない期間の最長記録だろうか。 お互いに若く、体力もある頃は頻繁に会って遊んでいたものである。 とは言っても一方的にマサルが訪ねてくる状態で、自分からマサルが暮らす街に行ったことなどないのだが・・・。

  たまたま遊びにきた翌週に出張研修で三日間ほどマサルを家に泊めることがあった。 その際に 「何週連続で遊びに来れるか」 という話になり、ムキになりやすいマサルは 「それなら挑戦してやろうじゃないか」 と言い出した。 純粋に遊びに来ることが目的ではなく、何週間続けられるかが目的になってしまった訳である。 そして、当時は 400km ほど離れた土地に暮らしていたため、法定速度を守って車を運転すると、往復で 12時間以上もかかる道のりだ。

  そんなに続くわけがないだろうと高をくくっていたのだが、マサルは律儀に毎週やって来た。 土曜日の午後に 「ピ〜ンポ〜ン」 と鳴ると外にいるのはマサルに決まっている。 当時はオートロック式のマンションに住んでいたので、インターフォン越しに何か面白いことを言って笑わせてくれない限り正面玄関のロックを解除してやらなかった。

  長距離運転をし、おまけに自分を笑わせるネタまで考えなければいけないのだからマサルは大変だ。 何週目かに、あまりにもつまらない事を言ったので無言のままインターフォンを切ってやった。 すぐに 「ピ〜ンポ〜ン」 と鳴って 「人が一生懸命考えたのに切るとは何ごとだ!」 と怒っている。 「うるさい」 と言って切ってやると、またすぐに 「せっかく遊びに来てやったのに!」 と怒鳴ってくる。

  それでも無視して切ってやると、「運転で疲れているんだから入れて」 と泣きついてくる。 「笑わせてくれなきゃ入れてやらん」 と突き放すと、急に静かになってしまった。 (怒って帰ったのだろうか) と少し不安になりかけた 30分後、「ピ〜ンポ〜ン」 と鳴ったので出てみるとマサルが何かを言って大笑いさせてくれた。 何か面白いネタはないかと車の中で考えていたと言う。

  めでたく正面玄関を突破して来たマサルだが、いくら深い付き合いであろうと毎週会って話すことなど続く訳もなく、二人でテレビを見たりゲームをしたりして夜になると飯を喰いに外出し、気分良く酒を飲んで就寝し、翌朝になると帰って行くという無意味な生活が続いた。

  何に対して意地を張っていたのか今となっては分からないが、結果的には無駄な労力と時間とガソリン代を費やして 9週間連続という大記録を樹立した。 なぜ 10週間連続にならなかったのか、連続記録が途切れてしまった経緯に関しては、またそのうちに書くことにしようと思うが、本当に何を考えていたのだろうと今になって思う。

  それでも、そんなことが思い出になって、今でも当時を振り返って 「バカなことをしてたな〜」 と話題の一つになって会話が盛り上がるのも事実だったりするのではあるが。

マサルノコト

マサルノコト scene 4マサルノコト scene 4

  3/18 からの続きになってしまうが、マサルの留守電で遊んでいた頃に、楽しませてもらってばかりでは申し訳ないので、こちらも楽しませてやろうと色々なメッセージを残しておいた。 当時は二人揃ってあるアーティストに入れ込んでおり、そのテーマソングだけを録音しておいたら数時間後にマサルから電話があった。 「よく分かったな」 と言うと、「あんなことする奴はお前しかいない」 という返事。

  当時は携帯電話など普及しておらず、どうしても確認したいことがあったので何度も電話したがマサルは外出中だ。 最初は 「すぐに電話くれ」 とか 「早く帰ってこ〜い」 などとメッセージを残しておいたのだが、だんだん話すことがなくなってきたので途中からは似ても似つかないモノマネを録音してやった。

  「こんばんは・・・森進一です」 とか 「ど〜も〜桜田淳子で〜す」 とか 「どうぼ、だぶらまざがず (田村正和) です」 などなど、思いつく限りの芸能人の名を挙げ、誰が聞いても似ていないモノマネをして一人で笑ったりしていた。 そして、そんなことをしたのをすっかり忘れて遊びに出かけ、帰宅したら鬼のように怒ったマサルからの電話があった。

  ワナワナと震えた声で 「おまえな〜」 と言うので 「あ?」 と間抜けな返事をしたら 「くだらないことをするなぁー!」 と叱られてしまった。 なんでも外出先から留守電のチェックをしたところ、「34件のメッセージがあります」 と聞き、親が怪我か病気でもしたのかと心底驚いたと言う。 そんなのは知った事ではないので 「うるさい!楽しませてやろうとしただけだ!」 と反撃すると 「たしかに面白かったけどよ〜」 と、しぶしぶ認める気の良い奴なのである。

  マサルとは本当によく電話で遊んだものだ。 二人で夜中にテレ朝系の 『朝まで生テレビ』 を観ながら電話で出演者の意見に文句を言い合い、『朝まで生電話』 になってしまったこともある。 マサルの映画評論は中途半端な評論家より信頼できるので、電話で面白い映画を教えてもらってからレンタルビデオ屋に向ったことも一度や二度ではない。

  過去の雑感に何度も書いているように、ドロドロとした恐怖映画は恐くも何ともないのだが、何かが急にドバーッ!と出てきたりして驚かされるものは心臓に負担がかかるので観ていられない。 そこで登場するのがマサルだ。 自分が興味を持つような映画はだいたい観ている奴なので、電話をして驚くシーンがあるかを事前に確認する。

  すると、「映画中盤で主人公が洗面台の棚に手を伸ばしたときに後ろから・・・」 などと驚かされるシーンを細かく説明してくれるので、十分に心の準備を整えた上で鑑賞できるので誠にありがたい。 それでも想定外のシーンで尻が床から 6.25cm ほど浮き上がるくらい驚き、うずくまってハアハアするようなこともたまにはある。

  映画を観終わった後にマサルに電話して 「あほー!〇〇のシーンで死にそうになったぞ!」 と抗議すると、「そんな程度のことで驚くと思わねーだろーが!」 と反撃される。 「お前の言うことなんか二度と信用するか!」 と悪態をつくと 「泣きながら電話してきても教えてやらないからな!」 と大喧嘩になってしまう。 それでも数日すると、ご機嫌を伺いながら電話して面白い映画を教えてもらったり、驚くシーンの有無を確認したりするのである。

  そして、そんな関係は現在も継続したりしている。 ここ数年はレンタルで映画も観ていないが、ゴールデンウィークも近いことなので、そろそろマサルに電話して映画評論でも聞こうかと思っている今日この頃である。

マサルノコト

マサルノコト scene 3マサルノコト scene 3

3月 8日の夜。 『明けましておめでとうございます』 という E-mail が届いた。 迷惑メールかと思って送信元を確認すると、それはマサルからのものだ。 (3月だというのに何がおめでとうじゃ!) と思いながらもメールを開いたが、件名とは何の関係もない本文。 内心ムカムカしながらも、ネットに関する質問だったので一応は回答しておいた。

  独り言にも書いたが、11日の夜にマサルからの電話があり、久々に長電話をした。 特に重要な話しがあった訳ではないが、年に一度くらいの割で電話をし、その度に長電話になってしまう。 近況報告といっても 「どうだ?」 「まあな」 の一言で終わり、それからは延々とくだらない話をして笑い転げる。 そして、実のない話に終始してお互いに疲れきったところで電話が切れる。

  電話に関しては前回の雑感にも書いた通り、いろいろなことをして遊んだものだ。 話すことがなくなったら切れば良さそうなものだが、若い頃はヒマを持て余していたので互いに切ろうとしない。 しまいには何も話さず同じテレビを観てお互いにブツブツ言っているだけだったこともある。

  もっとヒマになってくると、新聞のテレビ番組欄に載っている出演者の名前を読み上げ、それが何の番組なのかを当てる遊びもしたことがある。 問題を出し合い、短い時間で当てた方が勝ちなのだが、それも長い時間は続かずに飽きてしまい、電話をしているくせに 「何か面白いことはねーのか」 などと文句を言っていたものである。

  マサルが購入した電話機には留守番電話機能も搭載されており、標準で流れる味気のないメッセージではつまらないと言うことで、留守電メッセージに凝ったことがある。 とは言ってもマサルが一方的に自分を楽しませるために録音してくれたものではあるのだが、信じられないくらい多くの種類のメッセージがあった。 しかし、今ではその大半を忘れてしまっている。

  それでも強く印象に残っているのは・・・ 「ただいまプロレス観戦に出かけています。」 というメッセージとともにプロレス会場らしき声援が後ろで流れている。 「5分経ったらおかけ直しください」 というメッセージの後に会場アナウンスの 「試合開始 5分経過〜5分経過〜」 という声が聞こえるものである。 自分はネタだと分かっているので良いが、マサルの母君は本当に 5分後に電話してきたそうだ。

  さらに強い印象があったのは、今の子ブッシュではなく親ブッシュ大統領時代、1991年の『湾岸戦争』 当時の留守電で、「今、私はイラクに来ているため電話に出ることができません」 とういうメッセージの後ろでは銃撃戦の音や戦車の走る音がしている。 「御用のある方は、ビーという音の後に・・・」 と言ったところで大きな爆発音が轟き、マサルの 「うわぁ〜!!」 という絶叫で終わるものだった。

  ネタを考え、効果音まで入れてメッセージを録音するのは大変だったろうが、自分はと言えば 「そろそろ飽きたから他のにしてくれ」 という一言を留守電に入れたりしている我ままな奴だったりするのである。 それでも一年間くらいは様々なネタで楽しませてくれたマサルなのであった。

  話を 11日の電話に戻せば、散々くだらない話をした後で 「何があけましておめでとうじゃ!」 と文句を言い、「来年からお前になんか出してやらないからな」 と言い添えると、「配達される年賀状が年々減って 10枚を下回りそうだからやめないで」 とすがってくる。

  とりあえずは 「うるさい!」 と言って電話を切ってやったが、今年の年末もマサル宛の年賀状を書くことになるだろう。

マサルノコト

マサルノコト scene 2マサルノコト scene 2

  今日で元旦から二週間が経過したが、相変わらずマサルからの年賀状は届いていない。 『便りのないのは無事の知らせ』 と言うくらいなので、とくにこちらからも連絡はしていない。 どうせ連絡したところで、くだらない話をダラダラして終わるだけなのは目に見えているからである。 本来なら違うネタで雑感を書こうと思っていたのだが、腹立たしいのでマサルのネタにすることにした。

  マサルは就職して一人暮らしを始めた際、六畳二間の小さなアパート暮らしだったくせに、当時としては最新式のコードレス電話を購入した。 「そんな狭い部屋でコードレスなんぞ必要なかろう」 と言ってやると、それはどれだけ便利なものかとムキになって説明を始めた。 「はいはい」 と適当に返事をしていたが、少なからず興味があったので 「どの程度まで電波が届くのか」 と質問をしてみた。

  「取扱説明書には 50メートルと記載されている」 と答えるので 「やっぱりその部屋には必要ない」 と言ってやった。 すると、「外で洗車しているときだって子機を持って出れば電話を受けられる」 などと訳の分からない理屈をこねる。 「それじゃあ、話したまま外にでてみろ」 ということになり、マサルは子機を持って話をしながら部屋を出た。

  当時住んでいたのは海沿いの田舎町で、障害物となる大きな建物もなく、思いのほか遠くまで通話が可能だった。 普段と変わらない会話をしながら、時折 「今は家から 200メートルくらい」 などという報告をしていたのだが、それが 500メートルになっても 700メートルになっても途切れることがない。 1キロくらいになったときに少し会話にノイズが混ざるようになったくらいのものである。

  電話の性能を試すのにも飽き、会話することもなくなったので 「その電話が凄いのは分かった。じゃあな」 と電話を切った。 すると、すぐに電話が鳴ったので出てみると 「切るな〜!」 とマサルが怒っている。 聞けば 「こんな夜中にパジャマ姿で電話機を握りしめて歩くのは恥ずかしい」 と言う。 確かに当時は携帯電話など普及しておらず、おまけにマサルは寝る準備をしていたところだった。

  「電話していても一人で歩いているから一緒じゃ!」 と切ると、すぐにかけてきて 「お願いだから切らないで」 と懇願してくる。 それでも話をすることがなくなっていたので 「もう遅いから気をつけて帰るんだよ」 と切ると、再びかけてきて 「たのむ〜!きらないでくれ〜!」 と騒いでいる。 可哀想になったので仕方なく話しに付き合うのだが、少し話すと会話が途切れる。

  その度に 「きるぞ!」 と脅かしてやると 「ちょ、ちょとまて!」 と必死に会話を続けようとするのだが、話のネタも尽きて新しい話題がない。 そうこうしているうちに家の近くになったらしく、急に態度が大きくなって 「お前なんかに二度と電話してやるもんか!」 など言いだす憎らしい奴なのである。

  この電話機に関しても様々な逸話があるのだが、それも次の機会に譲ることにする。

マサルノコト

マサルノコト scene 1マサルノコト scene 1

  元旦から一週間が経過して年賀状も届き渡ったようだが、古くからの友人であるマサルからの年賀状は届かない。 最近になって聞かれる親友という定義、『メールは 15分以内に返す』 などという薄っぺらな付き合いではないので気にはならない。 去年、久々に電話をすると移転案内が流れてきて初めて引っ越したことを知った。 その電話ですら一年ぶりくらいにかけたものだ。

  現代っ子からすると、そんなのが友人関係と呼べるのか不思議に思うだろうが、真の友人というものはベタベタとしていなくても互いが必要とするときに力になれば良いものであって、毎日のように話したり相手の機嫌を伺うようなことをする必要はないのである。 どんなに時間が経過しようが、何カ月、何年も顔を見なくても実際に会えばその時間が一瞬にして埋まり、何ら変わりなく付き合えるものだ。

  移転案内で変更になった電話番号を知ることができ、話をしたのだが住所などは聞いておらず、ただ東京に住むことになったということだけ確認し、一応は E-mail アドレスだけ控えておいた。 そして昨年末、「年賀状を出してやるから住所を教えなさい」 と一行だけのメールを送信した。 するとマサルから 「なんという高圧的な言い方だ!むかつくが教えてやる」 と住所が返信されてきた。 そして文末には 「以上だ!悔しかったら出してみやがれ」 と書き添えてある。

  むかっ腹が立ったが一応は元旦に間に合うように出してやった。 しかしマサルからの年賀状は今現在も届いていない。 現代のような希薄な友人関係であれば、それで壊れてしまうところだろうが、何十年も続く関係はその程度のことで崩壊することはないのである。 自分も変な奴だと自覚しているが、マサルも相当に変な奴なので妙に気が合うのかもしれない。

  以前、何かで一万円を貸したことがあったのだが、いつまで経っても返金してくれる気配がない。 それでも信用しているので何の催促もせずに放っておいた。 若い頃はキャッシュカードでお金を引き出してばかりで銀行の通帳に記帳などすることがなかったのだが、あまりに出し入れが続くと銀行から明細が送られてくる。 普段はそれすら見ないのだが、たまたま中を確認して驚いた。

  ミヤザワリエ様 入金 ¥2,000、コイズミキョウコ様・・・など、有名芸能人5人から ¥2,000 が振り込まれている。 そんなヒマなことをする奴はマサルしかいない。 ふざけ半分で借金を返してきたらしい。 すぐに電話して 「くだらないことをするな!」 と大笑いしながら言ってやった。 すると、「俺だって恥ずかしかったんだ!」 と言う 「『ミヤザワリエ様』 って呼ばれて立ち上がる身にもなってろ!どれだけの人に見られるか!」 と、自業自得のくせに怒っている。

  おまけに 「手数料だって 5回分もかかったんだぞ!」 と完全に逆ギレ状態だ。 いつまでも話に付き合っていられないので 「アホ〜」 と言って電話を切ってやった。 そして、それから何カ月も音信不通状態が続く。 実家は互いに同じ町にあるので帰省した際に会って酒を酌み交わす程度である。

  真の友人、とくに男同士の場合はそれで良い。 深く悩んだとき、本心から困ったとき、重大な決断を迫られたときに曜日や時間を問わずに相談できる相手。 損得抜きで付き合うことができ、時間や距離に間があっても心が通い合う仲間。 自分にとっての心のよりどころでもある。

  変な奴であるのが困りもので、逸話は数え切れないくらいあるのだが、それは次の機会に譲ることにしようと思う。

マサルノコト

嗚呼日本人 8嗚呼日本人 8

嗚呼日本人 ~目次~

  一気に 1 リーグ制に移行すると思われたプロ野球だったが、ここにきて 2 リーグ制維持の機運が高まっている。 これが野球ファンのことを思ってのことであれば素直に称賛するのだが、どうやらセ・リーグ球団の収益が悪化する懸念があるというのが主な理由であるらしい。 バブル期以前のメーカーにユーザー不在の理論がまかり通っていたのと同様に、プロ野球はファン不在のまま物事が進行している。

  ジャイアンツ中心に球界が回っているようだが、いつまでもジャイアンツ人気に頼っている場合ではないだろう。 第一、そのジャイアンツですら圧倒的な人気を誇っていた過去を忘れられずにいる。 テレビの視聴率も 20%以上を獲得していた時代は過ぎ去り、今では巨人 vs. 阪神で 20%にやっと届く程度で、その他のチームとの試合は 10%を割り込むことも珍しくないというのに。

  そんなチームに依存しているばかりではなく、メジャー・リーグやサッカーのようにファンを大切にする改革を進めなければ、プロ野球は衰退の一途を辿ることになりはしないだろうか。 バブル崩壊後の日本企業が 「景気循環でそのうち良くなる」 と安閑としていて改革が遅れ、傷を大きくしてしまったのと同様に、プロ野球も改革を急がなければ手遅れになってしまうような気がする。

  変化を好まず、危機的状況にならなければ重い腰を上げないのは日本人らしいが、熱しやすく冷めやすいのも日本人である。 プロ野球ファンが一気に冷めてしまったら立て直すのに長い年月を要するだろう。 今がプロ野球という機構そのものを改革するチャンスと、前向きにとらえて、より良い方向に進むことを願わずにはいられない。

  しかし、2 リーグ制を維持することになった場合、近鉄はどうするのだろう。 買収を申し出たライブドアのことを無視したり鼻であしらったりしたのだから、今さら 「いやぁ〜ありがたい話で・・・」 などとは言えまい。 いや、そこは日本人であるから手の平を返したようにコロっと態度を変えるかもしれない。 このまま 2 リーグ制の維持が決定し、近鉄がどう動くのか見てみたいような気がする。

  今回の一連の騒ぎでマスコミは傍観的な立場を装って事の成り行きを伝えているが、ジャイアンツ中心の報道を続けてパ・リーグの結果など小さくしか扱わなかったのだから、責任の一端はあるだろう。 それを棚に上げて偉そうな解説はしてほしくない。 権力や勢力のあるものには反抗しないで、がまんして従っていた方が得だという、『長い物には巻かれろ』 的発想も日本人らしいのではあるが。

  在阪球団の危機だというのにマヌケなことしか言えない太田房江知事にも腹が立つ。 近鉄存続の危機が伝えられたとき、彼女はこう言った 「大阪はせっかく景気が回復してきたのに ”こんなことで” 腰を折ってほしくない」 と。 ”こんなこと” とは何事か。 近鉄ファンに失礼であろう。”こんなこと” と言っておきながらオリックスとの合併後は拠点を大阪に移してほしいと要請してみたり支離滅裂である。

  ライブドアが買収を持ちかけ、「本社を大阪に移しても良い」 とコメントしたときも、「まず大阪に本社を移す気構えをみせてほしい」 などという馬鹿なことを言っていたが、本社を大阪に移せば近鉄を買収できる保証を ”彼女” はできるのだろうか。 いったい何を考えて発言しているのか分からないが、まがりなりにも知事であるのだから、もう少し頭を使ってからしゃべって頂きたいものである。

  特定の宗教団体が圧倒的な力を発揮したとはいえ、彼女のような人が知事として選任されてしまうことを許してしまうのも日本人らしいと言えば日本人らしいのではあるが・・・。

嗚呼日本人

嗚呼日本人 7嗚呼日本人 7

嗚呼日本人 ~目次~

  ここのところ、ずっと日本人の国民性を話題にしているが、難しい問題だけではなく、ごくごく身近にも日本人特有のことが多くある。 本で読んだのだが、海外から届いた郵便物に貼ってある切手がベタベタと適当に貼ってあり、中には明後日(あさって)の方を向いているものもあったと書いてあり、日本人であれば受け取る人に失礼のないように真っ直ぐに貼るだろうと文章は結ばれていた。

  確かに自分も複数枚の切手を貼る時は綺麗に並べて貼る習慣になっているし、切手が曲がって貼ってある郵便物を受け取ったこともない。「切手は真っ直ぐ貼りなさい」 と、親からも仕事の先輩からも教育を受けたことはないのだが、大多数の日本人は適当な貼り方をしないだろう。 切手などは取り扱い料金を間違いなく払っている証明でしかないのだから、どんな貼り方をしていても問題はないはずだ。 それでも曲がった貼り方を自他共に許さないのは実に日本人らしい。

  同じように、お金 (紙幣) をクチャクチャに丸めて出す人にも滅多にお目にかかれない。 若い頃、お客さん相手のバイトをしていて、延べ何千人、何万人という人からお金を受け取ったが、適当に丸められた紙幣を出した人は 2-3人しかいなかったように思う。 ものが通貨だけに粗末に扱う人は少ないのだろうが、洋画を観ているとポケットからクチャクチャになった紙幣を出すシーンを観ることが多い。 やはり国民性の違いなのだろうか。

  さらに洋画でよく観るのが受け取ったプレゼントの包装紙をビリビリに破いてしまうシーンである。 日本人でああいう開け方をする人はいないだろう。 貼ってあるテープを爪でコリコリしながら慎重にはがし、包装紙を破らないようにゆっくりと開いていく。 途中でピリッとでも裂けようものなら、親から叱られたものである。 親はその包装紙を綺麗に折りたたんで保管していた。

  「いつ必要になるか分からない」 というのが理由だったが、保管場所となっている引出しには包装紙があふれ、結局は使われることなく、まとめて捨てられる運命にある。 最後に捨ててしまうのであれば、開封の時にビリビリに破いてその場で捨てても同じことなのだが、特に人前ではそういうことができない。 考えようによっては一刻も早く中を見たいという感情がストレートに表現されているように思うので、プレゼントをくれた人の前でビリビリと包装紙を破くのも悪くはないと思うのだが。

  それに近い状況としてブランド物の紙袋の存在がある。 街で良く見かけるのは CHANEL(シャネル) とか GUCCI(グッチ)、COMME CA DU MODE(コムサデモード) などの小さな紙袋を持って、澄まし顔で歩いている女の子である。 本人はそれで満足しているのかもしれないが、その袋が使い回されているのは一目瞭然だ。 すでにヨレヨレになった紙袋を持って澄まして歩いていても情けないだけである。

  それでも 『同じ持つならブランド物』 という見栄があるのか、明らかに 『何度も使ってます』 というのが見え見えの紙袋を持って歩く感覚は、親世代が有名百貨店の包装紙を大切に保管して、何かの時に使おうとしていた感覚と変わらないではないか。 そういう意味では、親の行為を見て 「せこい」 などと、一方的に非難することはできないように思う。

  現在の日本にはモノがあふれ、不自由を感じずに生活することが可能になったが、日本人の DNA はこれからも確実に受け継がれていくのであろう。

嗚呼日本人

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嗚呼日本人 ~目次~

  先週の雑感に日本人が過剰品質を要求する国民であるということを書き、それが日本人であるとも書いたが、正直なところ 「ちょっと異常だな〜」 と思ってしまうこともある。 どれくらい前からか分からないが、日本人はやけに清潔な民族になってしまったようだ。 不潔にしておくよりは清潔な方が良いのは当然であるが、あまり過剰に反応するのもいかがなものか。

  身だしなみは清潔なのに越したことはないが、やれ顔にダニがいるだの、口の中(舌)に雑菌が繁殖しているだのと、心理的に人を追い詰めて商品を買わせようとするのもいかがなものか。 たとえ雑菌が繁殖していたとしても自分の体内の話である。 他人を病気にしてしまうならまだしも、多くの場合は自分自身にすら大きな影響を与えない。”菌” という言葉で不安をあおるのはやめていただきたい。

  いったい何の菌が繁殖するのを前提にしているのか分からないが、やたらと抗菌加工した商品も多い。 浴室のカビを防ぐとか、ある程度は納得できるものもあるが、中には抗菌ソックスだの抗菌タオル、抗菌スーツ、抗菌ストッキング、ボールペン、鉛筆、消しゴムなどなど 「どうだ!!」 と言わんばかりの勢いである。 そんなものに抗菌加工して何になるのだろうと不思議に思ってしまう。

  次から次へと商品化されるところをみると、それなりに売れているのだろうが、そんなに菌を排除したら抵抗力がなくなってしまわないか心配である。 子供の頃から清潔で雑菌のない環境で育てられると、ちょっとした菌にすら抵抗できなくなってしまうのではないだろうか。

  食品でも賞味期限の表示が義務付けられ、それを過ぎると捨ててしまう人も多いだろうが、賞味期限が過ぎたからといって食品が腐るわけではない。 あくまでも風味を損なわず、美味しく食べるための目安でしかない。 ゆえに捨てる必要などないのである。 日本では食べ残しなどによる食物の廃棄が 40%に達しているという。 多くの食物を輸入に頼り、その 40%を廃棄しているのだから訳が分からない。

  自分が子供の頃は、年寄りに育てられたこともあって、食パンにカビが生えた程度では捨てることはなかった。「カビた部分を取れば食べられる」 とか 「焼けば菌は死ぬ」 とか、しまいには 「青カビはペニシリンの材料だ」 などと言いくるめられて、仕方なしにボソボソと食べたものだが、確かにそれが原因でお腹をこわしたことなどなかった。

  今はさすがにカビの生えたパンを食べることはなくなったが、それが果たして良いことなのかは分からない。 廃棄される 40%の食物には、家庭から廃棄されるものもあれば、外食産業から出るものもあるが、コンビニの弁当類が特に多いと聞く。 コンビニでは鮮度を売り物にするため、店舗に陳列して一定以上の時間が経過すると廃棄処分となる。

  世界のあちらこちらで飢餓に苦しんでいる人がいるのに、こんなことで良いのだろうか。 日本の食物の自給率は 40%くらいで、それ以外は輸入しているのだが、そんなに大量に廃棄しているのであれば輸入量を減らして自給率を高めることくらいできそうなものである。 何でも輸入に頼っていると BSE(狂牛病) 問題で牛肉が輸入できなくなったり、残留農薬やら衛生面の問題でアジアからの食品が輸入できなくなったら大問題である。

  いろいろと不安ながらも、深刻な事態にならなければ行動を起こさないのも、日本人らしいと言えば日本人らしいのではあるが。

嗚呼日本人

歯医者三軒目-終章-歯医者三軒目-終章-

過去に通った歯医者

その歯医者には回数にして 四十数回、期間にして半年間も通う羽目になってしまった。元はと言えばボロボロになるまで放置しておいた自分が悪いのであり、『身から出た錆び』 とか 『自業自得』 という言葉を身にしみて思い知らされたのであったが、よりによってこんな歯医者に長く通うことになるとは・・・。しかし、歯医者を選定したのも自分であるため、それも自己責任ではあるのだが・・・。

最初はオシャレな雰囲気に圧倒されたり興奮していたりしたのだが、何度も通ううちに変なことが気になりだした。待合室の大型 TV に映し出されている映画は 『ボディーガード』 など当時ヒットしていたものも多かったが、『プレデター 2』 などのような猟奇的、暴力的なものが多い。それが何度も何度も ”上映” されるので長く通っている人などは画面を見ずに本を読んだりしている。

待合室の片隅には熱帯魚が飼育されていたのだが、よく見ると水槽の上に 「院長作」 というカードが立てられている。何が 「院長作」 なのだろうと思い、近くで見てみると水槽の中には古代遺跡のオブジェが沈められており、その影からバルタン星人のフィギアがこちらを見ている。日によって古代遺跡がローマ神殿になったりバルタン星人がウルトラマンに変わったり変化を楽しんでいるようだが、とても気持ち悪い。

医者たる者は内科医であろうと外科医であろうと歯科医であろうと落ち着いた雰囲気の人が個人的には望ましい。しかし、院長と呼ばれるその先生は激情型のとってもヒステリックな人だった。患者の目の前で助手さんを平気で叱り飛ばす。その他の技師さん達にもネチネチと嫌味を言っている。その先生が主たる要因だとは思うが職場(院内)の雰囲気がギスギスしていてとても暗い。

『キレイなお姉さん』 と思っていた受付の女性が院長の奥さんなのか愛人なのか恋人なのか分からないが、助手さんたちに対する態度がやたらとでかく、高圧的に叱りつけたり何事かを指示したりしている。そこに勤めていた女医さんなどは院長に嫌味を言われても無視してみたり、悔し泣きしながら治療を続けていた。そんな状況であったから人の入れ替わりが激しく、仕事に慣れる前に辞めてしまう人が多い。

次々と新しい人が来て、一から仕事を覚えなければならないため、院長がまたイライラするという悪循環に至っていたようだ。そういったことで一番の被害を被るのは患者である。口の中の水や唾液を吸引する器具の使い方を教えるのも患者が実験台で、「吸い出すときは横から」 とシュゴゴ〜とやって見せる。「奥まで入れすぎると」 と器具を突っ込まれた時は 「おえっ!」 となってしまった。

人が 「おえっ」 となっているのに 「ほら、こうなるから」 などと説明している。「何するんじゃ〜!」 と言ってやりたかったが、その後の治療で痛くされてはたまらないので、じっと耐えるしかなかった。家族も被害にあっている。歯茎を縫い合わせる糸は抜糸の必要がないように自然に溶けてしまう 「高級な糸を使ってますからね」 などと患者に自慢するくせに、助手さんがその糸を長く使用してしまった。

すると糸の両端を持ち、横に広げながら 「もったいない」 と助手さんを叱りつけるのだが、歯茎と繋がったままの状態でそれをやるものだから唇の両端がジョリジョリされて赤くなってしまった。仕事に慣れない人ばかりのため患者として辛かったのは歯の型をとる作業である。ピンク色のデロリ〜ンとしたものを入れられ、それが固まるまで待ち、ゆっくりと外して型を抜くのだが、外し方が悪いためか何度も失敗する。

一本の歯の型をとるために 5回も 6回もやり直しである。一緒に通っていた家族は何度失敗されたか 「12回目までは数えていたけど、面倒になってやめた」 くらいなのだ。それで精巧な型がとれるのならまだしも、できて来た差し歯が合わずに取れてしまうこともあった。そんな時は再治療、差し歯の作り直しである。こちらに責任がなく、技量が未熟なために再治療になったにも関わらず金はとられる。

電化製品などのように歯にも保証期間を設けるべきだと心底から思ってしまった。そして、そんな歯医者に通うのはとても嫌だったが、カルテ類の一式を患者が入手し、他の歯医者で続きの治療を受けることは不可能なため、一度通い始めると最後まで続けなければならないという不条理きわまりない慣習である。それに加えて嫌でも通い続けて早く治療を終わられなければならない事情ができてしまった。

会社から大阪本社への転勤を言い渡されてしまったのである。その 8月は実父が入院中で余命いくばくもなく、年を越せるかどうかという状態だったので、「転勤は春まで待ってもらえませんか」 と陳情したが受け入れられず、10月の転勤が決定してしまった。そうなると 9月中に治療を終わらせなければならない。それからは滅多に使ったことのない有給休暇を乱用し、毎日のように歯医者に通った。

そして引越しを翌週に控えた 1994年 9月 22日 木曜日 最後の治療が終わった。長く辛い地獄の日々から開放された記念すべき日である。10月、引越しも無事に終わり大阪府民になった。治療が終わってから一年目の 9月・・・前歯がポロリと抜け落ちた・・・。

歯医者

歯医者三軒目-序章-歯医者三軒目-序章-

過去に通った歯医者

長らく虫歯を放置していたため、折れたり崩壊した歯は 10本以上になった。前歯もガタガタになり、二ッと笑うと見える範囲で 3本も抜けている。人から 「歯医者に行かないんですか?」 と聞かれても 「これはチャームポイントなんだ!」 と言い張り、「何の特徴もない顔なんだから、これが唯一の特徴だ」 とまで言ってのけて頑ななまでに通院を拒否していた。

人と会う機会の多い仕事であれば、それなりに気を遣って治療したであろうが、当時の仕事は外部の人との接触がなかったために本人さえ気にしなければ、それほど問題はなかったのである。周りの人間も見慣れてしまっていて歯医者通いを促されることもなかった。それどころか歯の抜けた部分にタバコを挟んでみたり、その部分から煙を吐いてみたりと笑いをとるのに役立てたりしていた。

何年間かの時を経て、現場の仕事から外部の人との折衝へと仕事内容が変わり始めた頃、会社の社長に 「歯を治せ」 と言われた。その時も 「これはチャームポイント・・・」 と言って逃れようとしたが 「何がチャームポイントだ!つべこべ言わずに行って来い!」 と叱られてしまった。しかし本社は遠方にあり、社長とは滅多に会わないので 「は〜い」 と良い返事だけして、それからも放置し続けていたのである。

それからも会う度に 「まだ行ってないのか!」 と言われ続けたが、「今の仕事が一段落してから」 とか 「帰りの時間が不規則だから通院は・・・」 などと、のらりくらりと言い訳しながら引き延ばしてしていた。何度目かに会ったとき、ついに 「歯医者に行かなかったらボーナスなしじゃ!」 と言われてしまった。特にお金を使う予定もなかったが、ボーナスが貰えないのは悲しいので、仕方なしに通院する決断をした。

何年も通ったことがなく、どのように歯医者を選定すれば良いのかも分からないので、色々な人に聞いて回ったところ、人生経験豊かなご老人から 「新しい歯医者は開業資金を回収しなければならないのと、評判を良くするため一生懸命やってくれる」 との情報を得た。帰りの時間が不規則なのは本当のことだったので 『夜遅くまで診察している』 という条件を併せて探したところ、自宅の近所に該当する所があった。

自宅から徒歩 3分、開業して間もない、美容室と見まちがうようなお洒落で立派な造り、診療時間も夜 9:00までと申し分ない条件である。早々に電話で予約を入れ、通院する手続きを済ませた。通院初日、ドキドキしながらドアを開けると、そこには 「本当に歯医者か?」 と疑いたくなるような待合室があった。床はフローリング、黒い革張りのソファ、大型の TV 画面には字幕入りの洋画なんぞが映し出されている。

受付にはバッチリ化粧をし、髪をフワフワにカールさせた ”お姉さん” がすまし顔でたたずんでいる。革張りのソファに座ると体をやさしく包み込むような座り心地で頭の中には 「高級」 の二文字が浮かんできた。辺りを見渡すと床だけが木目調で、その他の調度品、壁などはモノトーンな色調に統一されている。待合室の隅には観葉植物が置かれたりしていて、これから歯の治療を受けることを忘れそうである。

名前を呼ばれ診察室に入ると待合室と同じようにモノトーンな世界が広がっていた。診察用の椅子もゴツイ感じのものではなく、お洒落でデザイン性の高いものが使われている。とにかく何から何まで 「おっされ〜」 な雰囲気なのだ。こんな場所でボロボロの歯を見せて良いのかと躊躇してしまったが、ここは間違いなく歯医者であるので 「全部治してください」 と言って口を開けた。

その歯を見た先生は 「ありゃ〜」 と言ったまましばし沈黙し、「どこから手をつけましょう?」 と言う。とりあえずは目立つ前歯からとリクエストしたものの、先生は腕組みしながら 「う〜む」 と考え込んでいる。結局その日はあらゆる角度からレントゲンを撮り、今後の計画を練って診療を終えた。帰りの受付には、さきほどとは違うが化粧をバッチリ決めた ”きれいなお姉さん” が座っていた。

自宅に戻り家族に対して、いかに ”おっされ〜” な歯医者であったかを興奮して話した結果、家族共々で通院することになった。そして、それが間違いの始まりであった。それから長い間、地獄と恐怖の苦しみを味わう事になろうとは予想だにしなかった。その歯医者の実態というのが・・・。

歯医者ネタでこれほど引っ張ることになるとは思わなかったが長文になってしまったのでまたまた続く。

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