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いつも遊んでいた仲間の一人、セイジが転校してからは自分とマサルとノブアキの三人組となってしまったが、その三人の絆はむしろ深まったような気がする。 セイジが新しく暮らすことになった土地は、遥か 2,000km の彼方であり、簡単に会いに行ける距離ではない。 当時の電話料金からいって、頻繁に話ができる距離でもない。 かと言って、手紙を書くのも面倒だ。
そこで考え出したのが、当時はメジャーな媒体であったカセットテープに声を録音して送るというものだ。 現在であれば、簡単に E-mail で連絡を取り合ったり、その気になれば写真だって動画だって送信できるが、当時は手紙以外の連絡手段で、思う存分に近況を伝えることができるものと言えば、カセットテープに声を吹き込んで送るのが最善の手段だった訳である。
マサルとノブアキが、それぞれ自分のカセットテープレコーダーを持って我家に集合し、それぞれの機器を接続して BGM を流したり、好きな曲を録音したりしながらマイクに向って、あーでもない、こーでもないとしゃべり続ける。 単純に言えば、ラジオ番組の真似事をしながら、A面、B面合わせて 120分くらの声の便りを作成したのである。
それが一カ月に一度の割合だったのか、二カ月に一度の割だったか覚えていないが、まるで定期行事、義務でもあるかのように録音し続けた。 120分の録音時間とは言え、途中で曲を録音したり休憩したりするので、午後から始めた作業が終わるのはいつも夕方おそくになってからだ。 しゃべり疲れ、笑い疲れ、いつもクタクタになってしまうが、それはとても楽しい時間でもあった。
それ以外にもマサルと二人でノブアキの家に遊びに行き、父上のゴルフクラブと練習用の飛ばないスポンジ製のボールで飛距離を競ってみたり、ゴミを捨てるポリバケツのフタをフリスビーの代わりにして投げあって遊び、ノブアキが右手の小指に何針も縫う大怪我をしたり、それなりに男の子らしく、やんちゃで元気な生活を送っていた。
大晦日の夜は三人で待ち合わせして、年が明けると同時に神社まで初詣に行き、すぐに別れて帰宅するのもつまらないので、ノブアキと自分は喫茶店にでも行って話しでもしようと提案するのだが、scene 11 にも書いたような、クソ真面目なマサルが同調するはずもなく、初詣の帰りは我家に集まり、朝まで話しをしたりするのが毎年の恒例となった。
夜通し遊び、早朝に帰宅することになるからマサルもノブアキもフラフラで、すぐに布団に入って爆睡状態になるものだから、それぞれの家族が元旦の朝に顔をそろえることがなく、「いつも正月らしい朝を迎えられない」 とマサルの親からもノブアキの親からも半分冗談で嫌味を言われていた。
それほど仲良くしていても、クラス替えというのは非情なものであり、中学三年生になるとノブアキは違うクラスになってしまった。 おまけに三年生ともなれば高校受験が目の前に迫っており、自分などは先のことなど考えずに遊んでいたが、優等生だったノブアキは受験勉強を優先し、日常的に遊ぶ機会は大幅に少なくなってしまった。
しかし、セイジに向けた声の便りだけは、それからも三人で定期的に録音し続けたのであった。