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雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

遺伝遺伝

本当に遺伝というものがあるもので、『お買い物日記』 担当者は上二人の兄とよく似ている。 長兄は母上の遺伝子を、次兄と 『お買い物日記』 担当者は父上の遺伝子を多く受け継いだ顔立ちなので、とくに次兄と 『お買い物日記』 担当者は良く似ており、社内旅行の現地で次兄と再会した際、誰にもそのことを伝えていないのに 「お兄さんが来てるよ」 と言われたという逸話があるくらいだ。

長兄と次兄の顔はそっくりというほどではないが、きっと骨格は極めて類似しているのだろう。 ある夜、テレビを見ていて何かのタイミングで長兄が笑ったのだが、その笑い方、笑い声とも次兄にそっくりで驚いてしまったことがある。 骨格が似ているため声も似ているものと思われる。

そして、その三人は寝姿がまるで一緒だ。 両手を挙げてバンザイしながら眠っている。 次兄のことは詳しくないが、長兄も 『お買い物日記』 担当者も、片方の手を下ろしてやると自動的に反対の手も下ろすという特性を持つ。 さすがに真冬の寒い時期に手を上げて寝ることはないが、少し暖かくなってくると自然に手が上がるという季節要因も併せ持つ。

まだ深夜から朝方にかけては寒い時期、ふと目を覚ますと 『お買い物日記』 担当者の両手が上がっている。 触ってみると冷た~くなっていることも多く、布団に入れてやろうと静かに手を下ろすと、やっぱり反対側の手も連動して静かに下りてくる。 夜中に笑いをこらえるのは大変だ。

思わず声を出して笑ってしまったのは、三人がそろって両手を上げて寝ているのを目撃したときだ。 全員が同じ姿勢、同じ角度に手を上げてスヤスヤと眠っている。 長兄の奥さんである義姉とそれを見て腹の底から笑ってしまった。

自分の場合は過去にも書いたように白髪が多いのは母親ゆずり、姿勢が悪いのと骨格は父親ゆずりだ。 そして床にゴロンと横になり、くつろぐ体勢も完全に父親ゆずりであり、両手を頭の後ろで組み、ひざを立てて足も組む。 まったく意識も自覚もしていなかったのだが、リラックスすると体がその体勢を望むようだ。 何年かぶりで帰省した際に父親が同じ体勢でくつろいでいたので驚いたことがある。

背丈も体型も骨格も父親と似ているが、父親の死後何年かして残されていた服を着てみたら、どれも小さすぎて体に合わない。 残っている記憶では身長も同じくらいだったはずなのに、実際には自分より小さかったのが少し悲しく思えた。

残念ながら着られなかった洋服だが、今は 『お買い物日記』 担当者の体を温めている。 背も体も小さいのに、なぜだかサイズがピッタリだ。 父親もまさか自分の残した服を息子の嫁が着ることになろうとは思わなかっただろうが、きっと遠くで照れ笑いしながら見ていることだろう。

文字に触れて文字に触れて

活字離れが叫ばれて久しいが、厳密に言うと活字とは活版印刷された文字のことなので、電子写植が100%近い現代では活字など存在しない。 とりあえず、世の慣習に従って活字と呼ぶことにするが、自分の場合その活字に触れる機会は割と多い。 以前の雑感や独り言にも書いたが、定期購読している雑誌があるので毎日かならず目を通す。 それが読み終われば何冊かの小説を読みながら次週の雑誌が届くのを待つ。

独り言を毎日書いたり雑感を書いたりしているので文章を書くのが好きなのかと問われることもあるが、実際はひどく苦手だった。 小学生のころから作文、感想文などは大の苦手で、頭の中にあることをどうやって文章にしたら良いのかさっぱり分からなかった。 それは基本的に文章を読まなかったからであり、基本的なことが何も分からないから苦手だったのだと思う。

もの心ついて初めて触れた文字はグリム童話だったか何だか忘れたが絵本だった。 それがとても面白ければ本を読むのが好きになったのだろうが、その内容は刺激に乏しく、テレビでアニメやヒーロー物を観るほうがはるかに楽しかったので読書量が増えるはずがない。

それ以来、教科書以外は文字に触れることもなく、初めて文庫本を買ったのは中学二年生のときだった。 友人のマサルが本好きだったのでその影響を色濃く受けてしまったことが事の始まりだ。 最初は推理小説から始まり、歴史物、ノンフィクション、エッセーなど手当たりしだいに読むようになった。

時には理解できるはずもない不確定性原理なる本や、宇宙物理学の本まで買ってできの悪い頭から煙を噴出しそうになったりしていた。 海外の小説は登場人物の名前を覚えられないという欠点があったが、それでも推理小説に始まり、ツルゲーネフ、カフカ、ヘミングウェイなどなど、およそ自分のキャラクターに似合わないものまで読んだ。

いくら読んだとはいえ、それが何も身に付いていないのが自分の情けないところで、教養になった訳でもなく、人生訓を得られた訳でもなく、それによって文章を書くのが上手になった訳でもない。 少なからず良かった点は漢字を覚えたことくらいで、少し面倒な漢字も何とか読むことができる程度か。

で、話を元に戻せば今でも文章を書いたりするのは決して得意ではなく、書き出しと結末に整合性がなかったり、言葉遣いが変だったり、誤字脱字の嵐だったりして文章の体をなしていない場合が多い。 それでも書き続けている理由は何だろうと自問自答を試みても明確な答えが見つからない。

少なくともこの雑感は自ら課した義務のように捉えているし、独り言は日記のようなものであり、過去の記憶があやふやになった際に読み返せば解を得られるというまことに便利なツールであると理解している。 そして何より上手ではなくても文章を書くのが嫌いではないのだろう。

実はこのサイト意外にも複数のブログサイトなどを運営しており、毎日複数の場所で駄文を垂れ流している。 大変だと思う日もあるが、それほどネタに詰まることなく長続きしていることからも基本的に嫌いじゃないことが伺われる。 要は相変わらず自分で自分のことが良く分かっていなかったりするだけなのだが、負担に感じていないからにはもう少し続けていくことができそうだ。

想い出の居酒屋 其の陸想い出の居酒屋 其の陸

想い出の居酒屋 おしながき

例の通り、仕事の話禁止令が発動される中、ただひたすらにくだらない話で盛り上がり、酒と料理で胃袋を満たす日々。 それが何年も続くとさすがに話題にも事欠き、同じ話を何度も繰り返す事態に発展してくる場合も多い。

それは酔いのせいもないことはないが、ほとんどの場合は漫才や落語のネタのように毎度おなじみのパターンであり、水戸黄門でいつも決まった時間帯に助さんや格さんが印籠を出すのにも似た偉大なるマンネリズムのようなものだ。 第一、しらふであっても仕事以外はくだらない話に終始していた。

グリコ森永事件が世間を震撼させていた頃、店でチョコレートを指差し、「気をつけろ!このチョコに毒が入っているぞ」 とネタをふり、「それイチゴ(苺)って読むんです」 という会話も常態化していたし、「港(みなと)じゃ有名な話だ」 などと巷(ちまた)をわざと読み違えたりもする。 そんなグダグダな仲間が酒を飲むと、もっとグダグダになってしまうのは言うまでもない。

条件反射の代名詞として 『パブロフの犬』 という実験がある。 必ず犬に餌を与える前に鈴を鳴らしていると、犬は鈴の音を聞いただけで唾液を分泌するようになるというものだが、いつも決まったパターンの会話を続けていると、ツッコミもパターン化しており、「お前はパブロフの人間か」 と攻めると 「あ~、あの犬が餌食っているの見ると鈴鳴らしたくなるやつ」 という返しのボケまでパターンに組み込まれる。

たまにボケではなく本当に間違えることもある。 月面への第一歩を踏み出したのはアームストロング船長だが、それを 「ルイ・アームストロング船長」 と言って大笑いされたやつがいる。 実に惜しい。 正確にはニール・アームストロング船長であり、ルイ・アームストロングはサッチモと呼ばれた 20世紀のポピュラー音楽における偉大ななミュージシャンである。

その間違いが縁で彼はルイ・アームストロングの CD を購入し、愛聴することになったが、そこまでを 1セットとして酒を飲みながら長く語り継がれることになった。 『ツーと言えばカー』 という言葉があるが、我々の間では 『ツーと言えばヨヒョウ』 というのが定番だった。 ご存知、『夕鶴(鶴の恩返し)』 という物語の主人公で、鶴の化身である 『つう』 と夫の 『与ひょう』 からきたものだ。

とにかく一時が万事、まともとは思えず、普段から酔ったような会話を続けており、そこに酒が入ると訳が分からなくなる。 店の大将も呆れ顔で見ていたが、そんな若者たちをよく面倒見てくれたものだ。 店の売り上げにもある程度は貢献していたと思うが、一週間の疲れを笑って吹き飛ばすため、その店では週末の夜に果てしなき狂宴が長く続けられることになったのであった。

想い出の居酒屋

年金問題年金問題

消えた年金問題も収束しないうちから、新たな火種となるデータ消失問題まで発覚して社保庁は対応に追われているようだ。 まだ年金を受け取っていない現役世代に影響がある記録は約 300万件にもなるそうだ。 我が家にはまだ届いていないが、現役世代に対する 『ねんきん特別便』 の発送も開始された。

この問題で国会が紛糾し、参議院選挙で自民党が大敗を記した際も、どこか現実味がなく自分の年金について考えることもしなかった。 今まで支払いを拒否したことなどないが、積極的に支払った記憶もない。 いったい自分の年金がどうなっているのかさっぱり分からないし、むしろ興味すらなかった。

若い頃は年金に無関心であったし、受け取る年齢に達するのはまだまだ先のことなので今も切迫感がない。 こんな人は少なくなかっただろうし、お年よりは自ら行動しなくても自動的に支払われると安心していたはずだ。 国民の関心が寄せられたという点においては騒ぎになったのも悪くはなかっただろう。 だたし、それは無事にすべてが解決できればの話である。

10年ほど前、勤めていた会社が倒産した際に年金、健康保険などの手続きなどを自分でやらなければならなくなった。 その年は空梅雨で、6月だというのに異常なまでに暑い中を様々な手続きをするため大阪市内を駆けずり回った。

失業保険の手続きをするためにハローワークにも行ったりしたが、どこの役所でもヒマそうにしているオッサンとかネエチャンがおり、汗を流しながらバタバタと動き回っているこちらをよそに、冷房の効いた館内で一点を見つめながらボワ~としている奴もいれば、訪れる人を眺めながら印刷物を一枚一枚、それはそれはゆっくりと折り、ときどき薄ら笑いをうかべている奴もいた。

その時も人の税金で給料をもらっているくせに何という態度かと思っていたが、そんな奴らが単純な作業すらまともにできていないと分かったのだから余計に腹が立つ。 組織には、優秀な人が 2割、普通の人が 6割、パッとしない人が 2割という構成になりやすい 2:6:2の法則があるが、あの官庁は 1:1:8 くらいの構成ではないだろうかと疑いたくもなってくる。

もっと合理化し、コンピュータ化も進めば人員を半分にしたところで何の問題もないことだろう。 いや、税金の無駄遣いでしかないのだから訳の分からない奴は即刻クビにすべきである。 『全国健康保険協会』 とか 『日本年金機構』 などという新しい公法人を設立したところで中の人間が同じであれば何も変わらないに違いない。

インターネットで自身の年金加入記録をいつでも閲覧できる 『年金個人情報提供サービス』 などを慌てて開始してご機嫌とりをするヒマがあったら、さっさと記録の整合性を保ち、問題の解決に全力を傾けていただきたいものである。

で、自分の年金であるが、20歳を過ぎても学生をしていたりフラフラしていた時期もあり、最初の会社は契約社員として働いていたので、まともに年金を納めだしたのは人よりかなり遅いと自覚しており、受取額が低くなってしまうことを覚悟していた。

ところが最近になって年金手帳を確認してみたところ、若い頃から支払われていることが分かった。 仕事をする以前は親が、契約社員として働いていた会社も年金だけは払っていてくれたみたいだ。 この先どうなるか分からないし、支給額だって思いっきり引き下げられる可能性も大きいが、とりあえずは人並みに受け取れることになりそうである。

今は親と最初に勤めた会社に感謝しなければなるまい。

革命とテロと暴動とクーデター革命とテロと暴動とクーデター

北海道洞爺湖サミットがいよいよ目の前まで近づき、各種交通機関や主要道路などは厳重な警戒態勢になろうとしている。 上空には頻繁にヘリコプターが旋回し、不振な動きを見逃すまいとしている。 それもこれも各国要人をテロから守るためなのだろうが、ふと (テロとは何ぞや) という疑問が頭に浮かぶ。

テロリズムとは 「一般に恐怖心を引き起こすことにより、特定の政治的目的を達成しようとする組織的暴力行為、またはその手段を指す。」 とあるが、革命との違いは何なのだろう。 革命とは 「主として民衆・被支配階級が意図を持って非合法的な手段によって国家・政府(支配階級)を倒し、国家体制を変更させること」 とあり、頭が悪いからか、そこに大きな違いを読み取れない。

暴力的行為に及ぶのがテロだとするならば、革命だって群集心理から暴力にまで発展することはある。 数日前に大阪の西成区あいりん地区であった暴動も、中には祭り気分だった馬鹿もいたようだし、逮捕された活動家が扇動したのだとしても、元をただせば労働者たちに大きな不満が渦巻いていたからだろう。 それに対する抗議活動がエスカレートした場合は単に 『暴動』 という言葉でくくられてしまうのか。

無血革命など稀であり、テロにしても暴動にしても血が流れて誰かが命を落とすのが常だ。 どこからどこまでが革命であり、テロであり、暴動であるのか。 そんなことは有り得ないが、仮に西成の暴動で抗議された警察が 「私達が悪うございました、今後は体制を入れ替えます」 と言ったら暴動は革命とみなされるのだろうか。 世界各地で起こっているテロもその政治的目的が達せられた場合、テロリストたちは革命家と呼ばれるようになるのだろうか。

ここにクーデターの概念が加わるともう分からない。 結果的に成功を収めたことからロシア革命だとかカーネーション革命などと呼ばれているが、失敗していたなら単なるクーデターとして片付けられていたであろう歴史的事例も多い。 革命とテロ、クーデター、暴動の間には何が存在するのか分からない。 単に成功すれば革命、失敗すればその他でしかないのか。

いろいろと考えていると頭が痛くなってくるので今回は早めに切り上げることにしようと思うが、国の威信もかかっているのだから、近く始まるサミットでは何事もなく無事に終わってくれることを祈るばかりである。

プルキニエ現象プルキニエ現象

人間の視覚のクセをプルキニエ現象と呼ぶことを初めて知った。 明るいところでは赤をはっきり認識できるのに暗いところでは認識しづらく、逆に明るいところで暗く見える青が暗いところでは遠くからでも認識しやすい。 これらは網膜の視細胞の働きによるものらしいのだが、そういう理由で交通標識に青が多く使われているのかと納得してしまった。

色は人間の心理にも大きな影響を与えるようで、太陽が赤く見える夕焼けに心がときめいたり、ざわめいたりするのも同現象が原因なのだという。 光の量や色が刻々と変化する夕暮れには心が不安定になりやすいもので、事故や犯罪もおきやすく、さらには衝動買いをしやすくなったりもする。 店がタイムセールをするのも在庫処理だけが理由ではなく心理を利用しているというから大したものだ。

赤は人間の生理作用に強く働きかける色で、興奮作用を起こす神経が刺激されて血圧や体温を上げ、気分を高揚させる働きがあるということだ。 実際に、赤いサイフと他のサイフを持ち比べると赤のほうが支出が多くなったという実験結果も出ているという。 そうなると夕焼けが綺麗な時間に赤い財布を持って出かけると、とんでもない事態を引き起こす可能性がある訳だ。

必要もないものを大量に購入してしまう危険性が高いと思われるので、決して 100円均一の店などに行ってはいけない。 ましてや赤を基調とした色で内装されている店などには足を踏み入れてはいけないのである。 それを逆手に取るならば、店を赤い内装にして夕方にタイムサービスを実施すれば売上げが伸びるかもしれない。

しかし、赤には憎しみ、怒り、恨みなどのネガティブなイメージもあり、他者にとって攻撃的になる色という一面を持っているので何でも赤くすれば良いと言うものでもない。 かなり以前に住んでいたアパートの近くに壁から椅子まで赤いファミレスがあったが、味も悪くなく値段も手ごろだったのに一年も経たず閉店に追い込まれたのは赤が持つ負の力が作用してしまったからか。

逆に青色には人の副交感神経に作用して落ち着かせる鎮静効果と心理的に人を冷静にさせる傾向があり、スコットランドでは景観改善のためにオレンジ色の街路灯を青色に変えたところ、犯罪が減少する副次効果が現れたという報告がある。 青色を見ると血圧が下がったり脈拍数が減少するというような事が起こるらしいので、本当に人を落ち着かせる効果があるのかもしれない。

だとすれば店内を青基調の内装にすれば売り上げが減るのかという疑問が浮かぶが、そんな店を見たことがないので何とも言えない。 いや、青基調の店がない、または極端に少ないこと自体、青が商売に向かないことの証明であるかもしれない。 青は食欲を落とす色とも言われ、青い照明を使ったダイエット法まであるので飲食店などは特に注意が必要だ。

色が人間の心理に大きな影響を与えるのは分かった。 だとしたら、どうなんだ日本サッカー。 青基調のユニフォームを着る日本代表が、赤基調の韓国代表に毎回のように苦戦を強いられるのはサムライブルーが原因なのではないか。 スポーツをするのに、ましてや死闘を繰り広げているのに鎮静効果で落ち着いちゃってどうする。

冷静さは必要だが、なかなか士気が上がらなかったり攻撃的な面が抑制されたりする悪い作用が働いてしまわないかと、少し心配になってきたりもする。

酔っ払い酔っ払い

花見のシーズンはとうに終わってしまったが、毎年のように繰り広げられる酔っ払い軍団の痴態は今年も各所で見受けられ、それが映像となってテレビで放映されたりしたのだろうか。 引越しやら何やらで慌しかったこともあり、裸で踊り狂う馬鹿とか桜の木から池に飛び込む阿保が今年も出没したのか、それがニュースで伝えられていたのかさっぱり記憶がない。

今は交通機関を使っての通勤などしていないし、酒を飲みに出かけることもないので酔っ払いの姿を見ることがなくなってしまった。 見ていて楽しい酔っ払いもいることはいるが、その多くは見苦しく、腹立たしさを通り越して殺意すら覚えるくらいなのでお目にかからないほうが精神衛生上も好ましいことであり、今後二度と会わなくても何の差支えもないことではある。

自分の場合は度を越すほど飲まないようにしていることもあり、酒を飲んで記憶をなくしてしまったことなどなく、次の日になって何も覚えていないと言う人が不思議でたまらない。 自分がそういう体質であると自覚したら酒の量を控えればよいのであって、自制できないのであれば例え勧められたとしても最初から酒を飲まなければ良いのである。

酒癖の悪い奴に限って飲むのが好きで、後々のことを考えると一緒になど飲みたくないのだが周りが渋々ながら誘いに応じるというパターンが常であり、本人も少しは空気を読んで酒の誘いを自粛すれば良いものを空気が読めなかったり自覚が足りなかったりするゆえに顔面を引きつらせながら作り笑顔で誘いを断っているのを無視して強引に宴席を仕立て上げようとする。

以前の仕事仲間にもそういうタイプの奴がおり、酒が進めば気が大きくなるのと同時にデリカシーまで失い、人の嫌がることなどを言い放って傷つけたり、一人では帰宅すらできないほど泥酔するものだから誰かが送って行かなければならなかったり、海に落ちて死にかけたりしていた。 どれほど人に迷惑をかけたのかなど本人が記憶を失っているのでまるで自覚がない。

勝手に溺れ死ぬくらいなら自業自得というものだが、喧嘩して人を傷つけたり死なせてしまったりしては取り返しがつかない。 そこまで重大な事件、事故に至らずとも電車などで痴漢行為をはたらいたりする不届き者もいるわけであるからして、やはり酒の飲み方を考えるか最初から酒を飲まないくらいの自制行動は強く求められるのではないだろうか。

暴れたり痴漢をしたりして覚えていないなどもってのほかであるが、本当に記憶がないのか怪しい事例すらある。 酒のせいにしておけばある程度は罪が軽減されるとでも思っているのか、本当は記憶があり、単に気が大きくなってやらかしてしまっただけなのに 「酔って覚えていない」 と言い張る場合がそれだ。 以前の仕事仲間もそれに該当し、本当は毎回のように記憶をなくしている訳でないらしい。

そのくせ都合の悪いことは覚えていないと言い張る。 酒の席で暴言をはいたりくだを巻いたりしたことを翌日になって注意すると 「記憶がない」 と言い逃れするくせに、それ以降の出来事に話題が移るとちゃっかりと話に乗って調子を合わせてくる。 それどころか自ら昨夜の出来事に触れて会話を続ける。 「記憶がないんだろ?」 と突っ込むと、しどろもどろになって訳の分からないことを言う。

酒癖が悪い上に卑怯な性格の持ち主とは二度と酒など飲みたくない。 そいつとはもう何年も会っていないが、あの性格からすると今でも自制することなく酒を飲んでは人に迷惑をかけたり不快な思いをさせたりしながらも、都合の悪いことの記憶だけを失い、楽しい部分だけを誇張して顔を引きつらせている周りの空気を読まず、身勝手に酒の誘いを繰り返していることだろう。

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いよいよ中学生活も 3年目に入り、当然のことながらクラス替えが行われた。 それまで何をするのも一緒だったノブアキとは別のクラスになってしまい、教室も一階と二階に別れることになった。 それで疎遠になってしまったかと言うと決してそんなことはなく、休み時間にはお互いのクラスを行き来したり、放課後に一緒に遊ぶ生活が続いた。

そしてマサルとの腐れ縁は三年生になっても同じクラスになることで続き、その一年間はいつも席が近かった。 進級したからと言って自分は何も変わらなかったが、周りの同級生たちは明らかに高校受験を意識し始め、一緒に授業をサボっていた奴も寝てばかりいた奴も少し真面目に授業を受けるようになってしまった。

そうなると一人で遊んでいてもつまらないので、寝ている以外は必然的に授業を聞くことになる。 前の席に座っているマサルにちょっかいを出してみても 「うるさい!」 と叱られるだけだし、田舎町なので人通りも少なく、ボ~っと外を見ていても変化がなくてつまらない。

何となく授業を聞いているうちに少しずつ内容を理解し始め、それまで白紙で提出していたテストにも答えを記入するようになった。 今は順位をつけると親が大騒ぎして教育委員会をも巻き込む大問題へと発展するが、当時はテスト結果を廊下に貼り出されたり、点数順に答案用紙を返されたりするのは日常茶飯事だったものである。

今思い出しても不思議なのは、全教科を白紙で提出していたにもかかわらず成績がビリではなかったことだ。 同学年は 300人近くいたと記憶しているが、必ず自分より下に 2-3人の名前がある。 同じ 0点だった場合、あいうえお順にでも並んでいるのかと思ったが、それとは明らかに異なる。 それではクラス順なのかと言えばそれとも違う。 あの結果だけは今でも謎だ。

そんなことはさておき、ビリから数人目だった成績は少しずつ良くなり、それまで 「高校に行けなかったらどうするんだ!」 と言われ続けてきたが、親からも教師からも何も言われなくなった。 実際のところは高校進学などどうでも良く、受験のために勉強をしている訳でもなく、いままで何もしていない上にテストを白紙で提出していたのが授業を聞いて答えを書いているのに過ぎなかった。

自分では何も変わっていないつもりだったが、二年生のときに付き合いのあった不良仲間とはだんだん疎遠になり、マサルとかノブアキのような優等生と一緒にいる時間が長くなった。 結果的に少しずつ更生の道を歩み、決して優等生などではないが、普通の生徒として中学を卒業することとなる。

卒業後しばらくしてマサルから本当のことを聞かされた。 三年生に進級する際、二年生のときの担任だった教師からマサルは呼び出され、三年になってもマサルと自分は同じクラスになることを事前に知らされたらしい。 そして、その教師から 「あいつのことを頼む」 と言われたのだと。 その指示をマサルは忠実に守り、自分のことを卒業するまで面倒をみてくれたのである。

以前に書いた転校していく友達を授業を抜け出して見送ったのに、それを本気で叱らなかった担任、本気で叱り、時には殴られもしたが、小さなことには目をつぶってくれた担任、そして自分を見守り面倒を見てくれたマサルには、前回の最後にも書いたように感謝しているし、ある意味の恩人であるからして足を向けて寝られない。

しかし、二人がどっちの方角で暮らしているのか良く分かっていないので、何も気にすることなくゴロゴロしたり就寝したりしている今の自分だったりするのである。

マサルノコト

ビーズクッションビーズクッション

先週の続きになってしまうが、家でリラックスするのに欠かせないのがビーズクッションである。 これはもう、10年以上も使っているので体の一部のようになっており、普段の生活に欠くことのできない重要なアイテムだ。 その重要かつ便利なアイテムを引越しの際に廃棄してしまった。

大阪で使っていたものは、それこそ 10年以上も前のものであり、側は薄汚れているわ、タバコ臭くなっているわ、中のビーズもしぼんで小さくなっているわの惨憺たる状況だったので、北海道までの大移動を断念せざるを得なかったのである。

引っ越してきてからはテーブルとソファがあったので、それほどの必要性を感じていなかったのだが、04/27 の独り言に書いたように家具がなくなると、どうにも落ち着かない。 ここはやっぱりビーズクッションしかないと思い、早々に買いに出かけた。

ところが、どの店を探しても見つからない。 お気に入りのものが見つからないのではなく、ビーズクッションそのものが売られていないのである。 大阪では生活雑貨を扱っているイズミヤでも目にしたし、苦労せずに手に入れることができたはずなのに何かがおかしい。

北海道人はビーズクッションを使う習慣がないのだろうか。 それとも北海道まで流通していないのか。 いや、そんなはずはない。 廃棄したのは北海道で購入したものだ。 ん? ということは、13年以上も使い続けたということなのか? いや、今はそんなことを考えている場合ではない。 何とか愛しのビーズクッションを入手しなければ。

という訳で、店で売っていないのであれば仕方がない。 ネット通販で購入だ。 あちらこちらの有名な通販サイトを探してみたが見つからない。 おかしい。 もしかしたらビーズクッションなど超時代遅れで、今はどこにも売っていないかもしれないという不安が胸をよぎる。

それでも必死になって検索しまくり、やっとの思いで見つけたものの、種類は極端に少なく、デザイン的にも選択肢が限られる。 もしかしたら時代錯誤もはなはだしく、今時は誰もビーズクッションを欲しがらないのに必死になって探していたのだろうか。 何せ廃棄してきたものは 10年以上前に購入したものと思われる。 時は流れ、今や存在価値すら失ってしまったのだろうか。

少ない種類の中からではあったが、それでも何とか妥協できるものを探し出して注文した。 現在は届いたビーズクッションを時にはソファ代わりに、時には座椅子のように、時にはマクラ代わりにと十二分に活用して充実した生活を送っている。

どんなに時代が変わろうと、これだからビーズクッションはやめられない。

動線動線

二月下旬にこの家に住むようになってから三カ月、やっと体が馴染んできたような気がする。 大阪で暮らした十三年間、一度も引越しをしなかったので、その家の構造に体が馴染んでしまっており、頭で考えなくても行動することができたが、この家ではそうはいかず、何をするにも頭を使う必要があったので感じない程度のストレスが蓄積されていたのではないかと思う。

当たり前のことではあるが、玄関を入ってからリビングまで、キッチンの位置、トイレ、風呂、寝室の配置が違う。 そこまで異なれば意識して動くので問題はないが、小さなことで多くの戸惑いを覚えてしまうのである。 たとえばトイレのドア。 大阪で暮らしていた家とは開け方が左右逆だ。 大阪では右手でドアノブを回していたが、ここでは左手で開けることになる。

最初はどうしても右手でドアノブを回してしまい、トイレに入るには左手に持ち替えるか体を一回転させなければならない。 毎回トイレの前でクルクル回っているわけにもいかないので 「左手で開けなくちゃ」 と、トイレの前で一瞬考える。 風呂の入り口も左右逆だ。 こちらの場合も裸でクルクルしている場合ではないので浴室に入る前に 「左手で開けなくちゃ」 と立ち止まって考える。

洗顔のコツも最近になってやっとつかめてきたところである。 十三年間も使い続けてきた洗面台とは、その高さ、大きさ、奥行き、蛇口の長さまで違うので、顔面の泡を洗い流すために身をかがめて蛇口にデコをぶつけたりしていた。 最近では目を閉じたままでもスムーズに洗顔できるようになったが、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかったのである。

こうなるまでに何度蛇口に頭をぶつけたり、手をぶつけたり、洗面台にヒジをぶつけたりして顔を洗うのも大騒ぎだったことか。 泡を洗い流す際の体の角度はどの程度が適切であり、ヒジを伝って水が床に落ちないようになるのか。 そのあたりの細かいことがやっと頭にインプットされたようで、最近になって無意識に動くことができるようになった訳だ。

起床してからトイレ、洗面所を使って散歩のために家を出るまでの一連の動作も、いちいち頭で考えずに行動できるようになった。 最初は 『お買い物日記』 担当者と正面衝突しそうになったりするので、右に避けるべきか、それとも左か、はたまた順番を変えるべきかなどと考えたりしていたが、今ではスムーズに行動して家を出ることができる。

就寝の際もトイレを経由して寝室と洗面所が直結している右のドアから入るべきか、リビングと続いている左のドアから入るべきか。 読み終えた本は枕元に置くべきか体の横に置くべきか。 ことほど左様に、ちょっとしたことではあるものの、いちいち頭で考えなくてはならないというのは思いのほか疲れ、小さなストレスとなっていたのではないかと思う。

小さなことが積み重さなり、今では頭で考える必要がなくなって自身の動作や二人の家の中での動線が決まってきた。 とってもささいなことではあるが、これが生活の慣れであり、微妙なストレスが解消され、この家が最も落ち着ける場所になってきたように思う今日このごろである。