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雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

プチ整形プチ整形

男性 3人を練炭自殺に見せかけて殺害したなどとして殺人の罪などに問われている木嶋佳苗被告の裁判に注目が集まっているが、それと同時にあの容姿でなぜ次々と男性を手玉に取れるのかということが週刊誌やネットで話題になっている。

かなり以前の雑感に書いたように自分は女性の容姿にまったくと言っていいほどこだわらないが、それでも木嶋被告が十人並み以上であるとは思っておらず、彼女の何を持ってして食虫植物に虫が集まるようにフラフラと男性が吸い寄せられるのか理解することができない。

きっと話術なり何なりが巧みであり、男性をとりこにする魅力があって自分の武器を理解し、それを最大限に活かすすべを心得ているのだろう。

新聞広告の見出ししか目にしていないが、女性週刊誌もその点を取り上げて記事にしているのではないかと想像する。

少し前まで女性週刊誌、ファッション誌ではプチ整形に関することが多く取り上げられ、無料で美容整形クリニックの宣伝をしてプチ整形の一大キャンペーンを繰り広げているかのようだった。

韓国で施術してもらうのが低価格であり、技術的にも申し分ないなどと人気が高まって団体で訪韓するツアーまで企画される勢いで、単なる団体整形手術旅行を美容ツアー・メディカルツーリングなどとちょっとオシャレな言い回しに変えて参加者を募る。

企画した業者の採算が合うのだから相当数の人が参加し、韓国で施術して出国した時とは異なる顔になり、以前の顔面写真が貼られているパスポートを提示して帰国しているのだろう。

いくらプチ整形でメスは使わないといっても顔や体に手を入れることには変わりはなく、コストだけを重要視して海外で施術してもらうと顔が大きく腫れあがってしまったり、ひどい痛みをともなったりした場合の事後処理に困難をきたすことになるので、施術面や保証面などを入念にチェックしてから参加すべきで、すべてツアーを企画する業者任せにしては危険だと思うのだが。

韓国は美容整形に関して実にオープンであり、多くの人が施術を受けているという。

確証などないが、最近になって極端に露出の増えた韓流スターの顔がどれをとっても同じように見え、誰が誰なのか区別がつかないのは医療技術によるものなのかも知れない。

マスコミの一大キャンペーンによって日本でも美容整形、プチ整形は珍しいことではなくなり、就職の際に面接官に対して好印象を与えるという理由だけで施術を受ける人もいる。

それが新卒だけでなく、オッサンの転職でも同様だというのだから驚きだ。

くたびれたふけ顔で面接にのっそり現れるより、少し若々しくなってさっそうと登場するほうが印象も受けも良いかも知れないが、そんなことのために整形するなど時代も変わったものである。

昔は整形手術をしたいなどと言おうものなら 「親からもらった体に傷をつけるなんて」 と非難され、人にはそれぞれ持って生まれた身体的特徴があり、個人はその外見と内面がバランスしているのだから見てくれだけ変えても仕方がなく、もっと内面をみがくべきだと説得されたものだ。

ところが今は気に入らないなら変えてしまえば良いという考えが大勢を占めているのか、いとも軽々しく整形してしまう。

親も親で我が子が顔や体に手を入れようとするのを止めないどころか、ついでに自分もシワの目立ち始めた顔を何とかしようと親子そろって病院を訪れることもあるらしい。

近年、過去には理解できなかった犯罪がおこるたびにゲームの影響が指摘され、人生に行き詰まったからといってリセットできたりやり直せたりできる訳ではないと偉そうに言うやつがいるし、それに深くうなずく大人もいるが、何の罪悪感もなく気に入らない箇所に手を入れて修正してしまえば良いという短絡的な考えは果たして正しいことなのか。

脱毛とか整形には中毒性があるらしく、度が過ぎると全身の毛が不必要だと感じるようになったり、顔のパーツが 1ミリ単位で気になり、整形を繰り返すようになったりすることもあると聞く。

近い将来、整形のやりすぎで顔面が無残に崩壊してしまい、もう手術不能になる人が激増しないことを心から祈るばかりである。

その後その後

日本のマスコミは騒ぐだけ騒いで危機感をあおるが、その後に関しては何も知らせてくれない。

最近では岡山県倉敷市で起きた製油所の海底トンネル事故だが、連日連夜、あれだけ大騒ぎしていたにもかかわらず、徐々にトーンダウンしたかと思うとさっぱり音沙汰が無くなり、6日前の 3月 4日に最後の不明者となっていた人の遺体が収容されたことなど扱いが小さすぎて知らない人のほうが多いのではないだろうか。

島根で2009年に発生した女子大生のバラバラ殺人事件も大騒ぎになったが、今では覚えている人も少ないだろう。

マスコミの責任ばかりでなく、日本人は熱しやすく冷めやすい上に飽きっぽく忘れやすいという国民性を代々受け継ぎ、DNAに深く刻み込まれているので致し方ないという側面はあるにせよ、だからこそマスコミが事件や事故を風化させないように努めるべきではないだろうか。

悲惨な事件や事故だけではなく、生活レベルの話題に関しても報道が尻切れトンボ状態で、その後がどうなっているのか分からないことが多い。

テレビが昨年7月24日にデジタル放送への完全移行となったが、その直前には完全デジタル化によってとんでもない数の地デジ難民が発生すると大騒ぎし、地デジ化を延期すべきだと声高に叫ぶ団体やマスコミがいたが、いったい現状はどうなっているのだろうか。

本当に地デジ難民が大量発生しているのであれば、彼らは今、どれほど不便な思いをしているのか、電波が届くようになる目処はあるのか、対策は講じられているのか、何も情報が伝わってこない。

経済的な理由で地デジ化を進められない人のことを考慮し、支援するための制度が作られWebページを公開しているが、チューナーを無償給付したところで屋根の上のアンテナが地デジ用になっていなければ意味がないだろう。

むしろアンテナを購入して取付工事してもらうほうが数千円のチューナーより高額になるのは当然のことであると総務省の役人は気づかないのだろうか。

また、経済的に困窮している人がパソコンやスマホを持っているとは思えないのでWebで告知しても意味を成さないものと思われる。

新聞の定期購読をしていない場合も多いと思うので広告やチラシも効果は薄いのではないか。

そうなると国が責任をもって生活保護などを受けている人に告知するなど何らかの対策をしなければ、地デジ難民の正確な数すら把握できないような気がする。

2008年4月に東京都杉並区が打ち出したレジ袋税(環境目的税)を発端として一気にレジ袋有料化が進み、今では全国のスーパーが有料化しているし、マイバッグを利用するとポイント優遇などの特典が得られる仕組みを導入している店や企業もある。

それによってどの程度のゴミ削減になったのか、どの程度の石油が節約されたのか、どの程度のCO2削減になったのか、スーパーはどの程度の経費削減になったのか、マイバッグの販売でどの程度の経済効果があったのかなどを誰もレポートしてくれない。

今はレジ袋が有料だと言われて誰も文句は言わないし、マイバッグを持参して買い物をするのが当たり前の時代になった。

一般市民は時代の流れに乗り、少しは環境のことも考えて行動しているのに、結果がどうなったのか誰も責任をもって検証しようとしないのはなぜなのか。

本来であれば環境省あたりが調査して結果報告すべきだと思うが、役人など誰もあてにはしていないので騒ぐだけ騒いだマスコミが責任をもって尻拭いまですべきだろう。

明日で東日本大震災から丸一年が経過する。

まだまだ普通の生活を取り戻せない多くの人がおり、原発事故はまだ収束にすら向かっていないというのに区切りであるこの時期にしか情報が伝わらなくなりつつあるのは良い状況ではない。

被災当事者が取り残され、他の人達だけが普通の生活を取り戻して防災意識や被災者支援の意識が薄まってしまっては意味がないだろう。

くだらない報道や人権侵害スレスレの見ていて腹立たしい取材をする暇があるならば、東北の人たちの現状を、できることなら全ての人が普通の生活を取り戻せるようになるまで伝え続けていただきたいものである。

身土不二身土不二

身土不二(しんどふじ)という言葉は、人の命と健康はその土地とともにあるという考え方を表しているらしい。

食事はその土地、その季節の食物を基本にすることを良しとする、いわば地産地消の発想だ。

北海道から離れて大阪に住み、久しぶりに帰ってくるとしみじと地元の味、ふるさと食のありがたさや美味しさを再認識することができる。

海の幸、山の幸を問わず、それらを体が要求していたらしく、懐かしさや美味しさとともに骨の髄まで染み渡るような感覚、しびれにも似たような何とも言えない幸福を感じつつ腹を満たす。

大阪で暮らし、今まで見たこともないような魚介類を食べることができたのはとても良い経験ではあったが、焼いて食べたら良いものか煮て食べたら良いものかすら分からず、戸惑いも大きかったのは事実だ。

そして、それはそれなりに美味しく食べていたのだが、やはり生まれ育った土地で採れた作物や海で捕れた魚介類を口にすると、遺伝子レベルで脳や体が味を覚え、必要としていたのだと思ってしまうほど美味しさを感じる。

それは水や空気にも共通することであり、正直に言うと大阪での生活は何か圧迫されているようなズシリと重い空気を吸い、北海道と比較すると硬質で重い水を飲む毎日で、心身ともに健康だったとは言い難かった。

こちらでの生活を始め、空気も水も、そして食べ物も地元のものを摂取すると、心身ともに浄化され、体の内側から再生されていくような感覚を覚える。

それというのも北海道が自給率 200%の食の宝庫であり、余程の季節の乖離がない限りは道内産の野菜や魚を食べることができるのが幸いしているのは確かだ。

感覚的に、大阪では地元産のものが 10%以下、国内産のものは 30%以下、その他はすべて輸入物だったように思う。

ところが北海道では地元のものが 50%、国内産のものが 30%、残りの 20%が輸入物といった感覚だ。

それだけ食べ物が豊富で、いつも新鮮なものを食べられるのだから、その味が脳や体に染み込んでいるのも当然のことかも知れない。

そして、美味しさだけではなく地元の海で育った魚を食べ、地元の土と水で育った作物を食べると健康状態も良好に保つことができるような気がする。

もちろん、それなりに歳を重ねてしまったので体のあちらこちらにガタがきてしまっているが、少なくとも胃腸や精神面は実に安定しており、おだやかな毎日を過ごせているのは食生活が充実しているからではないだろうか。

仕事でイライラしたり、多少なりともストレスを感じたとしても、美味しい物を食べて美味しい空気を吸っていれば精神的に安定するし、深く思い悩むこともない。

ただ一つの欠点は、あまりにも美味しすぎて、つい食べ過ぎてしまうことだ。

禁煙したことも要因の一つだろうが、北海道に帰ってきてから 10キロも太ってしまった。

それでもふるさと食は、心と体に栄養を与えてくれる実にありがたいものなので、食事の量を減らすこともなく美味しく食べる毎日を過ごしたりしている。

- 参考 -
ふるさと食の効用(その1)
ふるさと食の効用(その2)

デジタル化の波 Signal-11デジタル化の波 Signal-11

デジタル化の波 ~目次~

携帯電話やプレーヤーにダウンロードして音楽を楽しむようになったのは最近のことだ。

ドンと花火が上がって実際に普及するまで 5年ほどかかるのが世の常。

Apple社の iPad、amazonの Kindle、その他タブレット型端末の普及によって電子書籍に注目が集まっているが、普及が進んで一般化するには同じように5年ほどの歳月を要するだろう。

しかし、その流れは確実なものであろうから、音楽業界で起こっていることと同じようなことが 5年遅れで出版業界にも起こり得る。

紙媒体はなくならないと言う業界人は多い。

確かにそれは的を得ており、音楽業界と同じ道はたどらないだろう。

第一に文章を快適に読むためには一定以上の大きさを必要とするため端末は携帯性に乏しく、それを万人が持ち歩くかという疑問が残る。

音楽の良いところ、業界にとって不幸だったのはプレーヤーが劇的に小型化されて持ち運びに不便を感じないところであり、今や誰しもが持ち歩く携帯電話への組み込みも容易だ。

ところが現在普及期に入ったスマートフォンでさえ、画面の制約から電子書籍を閲覧するのには不向きで、電子書籍を見るための端末は別に持たなければならない。

逆にタブレット端末に音楽再生、通話機能、カメラ機能を組み込んだとしても、それは極端に使い難くいものになってしまうだろう。

音楽を聞くのを主目的に持ち歩くには大きすぎるし、あんなに大きな物をかざして写真撮影をするのも間が抜けている。

あんなものを耳に当てて通話するのは不恰好なので、いちいちイヤホンやヘッドホンをしなければならないものと思われる。

つまり、電子書籍端末と電話や音楽プレーヤーを一体化するのは難しいということで、さらには持ち運びが容易ではないという点を考え合わせれば、省電力化と軽量化、折りたたみが可能な有機ELの低価格化が進むまで普及期には移行しないのではないだろうか。

しかし、やはり確実に電子化は進むはずなので、出版業界、書店のありかたは今から音楽業界を手本に準備を進めておいたほうが良いだろう。

音楽に続いて映像は完全にデジタル化が進んでいる。

日本のテレビ放送は震災による影響を考慮した一部地域を除いてデジタルに移行した。

デジアナ変換器を利用している人もいるだろうが、多くの家庭ではデジタルテレビを購入したものと思われる。

我が家も家電エコポイント制度の終了間際に慌ててデジタルテレビを買ったが、最近になってやっと使いこなせるようになってきた。

当初から天気予報を表示してみたり、番組情報を閲覧したりしていたが、今は LANケーブルを接続して家庭内ネットワークに組み込み、テレビのリモコンを操作してインターネットに接続したりして楽しんでいる。

とても便利に使っているのはパソコンに保存してある音楽の再生だ。

CSテレビの音楽番組の音だけ聞いていることも多いが、たまには好きな曲を聴きたくなり、そんな時はテレビを操作してネットワーク接続しているパソコンに保存してある音楽を再生し、サラウンド対応のスピーカーから音を出して画面だけ消す。

お買い物日記』 担当者と二人で聴くために自分のパソコンから音を出したのでは音が大きすぎるが、そうすればパソコンのスピーカーから音を出すより高音質であるし、部屋中に音が広がる。

インターネットに接続すれば、オンデマンドでいつでも好きな時間に映画が見られるのも便利だが、レンタルビデオ店より高価格なので利用はしていないし、CSテレビで海外ドラマを見たり映画もたっぷり録画してあるので我が家ではあまり必要性を感じていない。

そして今、スマホを手にしてしまったものだから、天気予報も番組情報も最新ニュースもすべて手元で見られるようになったのでテレビの情報表示は使わなくなってしまった。

家の中で使う際は Wi-Fi経由で光回線を利用するため、圧倒的にスマホのほうが表示速度が速いのである。

つまりテレビは単なるテレビと化してしまい、たまに音楽再生機として使われる程度のものに成り下がってしまっているのだが、それが本来の姿なので元のさやに収まったというだけのことか。

デジタル化の波

高級官僚高級官僚

増税の論議は深まり、反対勢力がどんなに声を嗄らそうとも待ったなしで消費税率は引き上げられるに違いない。

財政破綻しかかっているのに予算を削減せず、増える一方なのはどうしてなのか。

ギリシャと比較にならないほど日本の経済規模が大きく、潰すに潰せないと聞く。

メガバンクと呼ばれる銀行、例えばパナソニック、例えばトヨタに何かがあったとしても、関連企業を含めた雇用人数、金融市場に占めるマネー、下請け、取引企業の連鎖倒産などを考慮した場合、あまりに影響が大きすぎて潰すことはできないだろう。

過去にはダイエー、JALが国によって救済されたのと同じことだが、それと似たような理論で世界は日本を潰すことができないのだそうだ。

どうせ潰せないだろうという憶測が容易に成り立つから、円の価値が暴落するとも考え難いゆえに円が安心資産として買われるので円高になる。

円高が常態化してしまったので輸出産業が痛手を受け、収益が減るので税収も落ち込むという悪循環に至っているのは周知の事実だが、それだけにとどまらず日本での製造、輸出が困難となってしまったので電子機器、自動車製造工場が海外移転する結果となり、雇用まで失われて景気が悪化するという負のスパイラルから抜け出せない。

経済がそんな状態であるのに増税などすれば不景気に拍車がかかり、ますます日本経済の沈下は加速するのではないかと思う。

それでも日本は破綻しないという甘えがあるのか、政治家もどこまで無駄を省いて支出を減らし、財政健全化を果たそうとしているのか本気度を測りかねる。

そんな状況で増税などと言い出すので国民の支持を得られない。

政治主導を掲げた民主党も今となっては官僚の言いなりとなっている感が強く、消費税率引き上げに関しても財務省の要求、インチキ試算に振り回され、言いなりになっているだけなのではないだろうか。

新聞を見ても週刊誌を見てもテレビを見ても霞が関にうごめく官僚が日本を危機に追い込み国民のヤル気を奪っているとしか思えない。

予算を削らず保身に努め、自分たちさえ良ければ国民の犠牲をも厭わないと言わんばかりの態度は許しがたいものがある。

政治家、マスコミ、国民を含めて誰もが官僚が悪いと分かっているのに、そしてそれを公然と議論しているのに、どうして官僚たちの身が、利益が、立場が守られているのか不思議でならない。

いったい官僚はどこまでの力を持っているのか。

公務員法に守られ、その法律も自分たちで作っているようなものなので簡単にはシステムを壊すことはできないだろうが、堅牢な牙城をつき崩して既得権益を死守しようとする官僚を駆逐し、税金が本当に国民のために使われるようにしてくれる政治家、政党に政治を任せたいとは思うものの、どこもここも頼りない。

したがって、橋下徹氏が率いる維新の会に注目が集まるのだろう。

ワンマンでも独裁者でも構わない。

とにかく今の日本を何とかしてほしい。

官僚機構を木っ端微塵に吹き飛ばし、日本を再構築してほしい。

そのためであれば痛みがともなっても仕方がない。

とにかく今は大きな地殻変動を望む。

日本のサービス日本のサービス

日本の政治が無策ゆえに官僚が幅を利かせて無駄遣いがなくならず結果的に増税につながり、発送電分離も進まないので世界一高い電気料金を支払い、規制だらけで自由競争することができずに新しい産業も育たず、少子高齢化にも具体策がだせないので労働人口も減り続ける。

企業はそんな日本に居続ける意味を見出せず、海外移転に拍車がかかる。

規制だらけなのと無意味に過保護にしすぎたことで農産業も弱体化が進み、世界と競争できるコスト意識も効率化も生まれていないので品質しか売り物がないが、それも原発事故で安全性が疑問視されて輸出量が激減してしまった。

このままだと日本から世界に売るものがなくなって一方的に輸入するだけになってしまい、ちょっと相手国の機嫌を損ねたら供給がストップされてしまいかねないので、諸外国の顔色を伺いながら弱腰外交を続けなければならなくなるだろう。

今の日本に唯一残されたのはサービス産業である。

日本の接客、おもてなしの心は世界に類を見ないほど優れたもので、顧客満足度を十分に満たすことが可能な世界に誇れるサービスだ。

海外旅行に行った人なら十分に理解できると思うが、日本を出発する際の飛行機、航空会社から違いがはっきりしていて、海外資本の航空機は 15分や 30分の遅れは当たり前、時には数時間の遅れが出ても館内のアナウンスで伝えるだけだ。

飛行機に搭乗すれば中のキャビンアテンダント、いわゆるスチュワーデスも乗客に対する態度が違い、日本の航空会社のようにニコニコしながら親切丁寧に対応などしてくれない。

手荷物を預けたら現地の空港で行方不明になることも日常茶飯事で、見つかっても 「申し訳ありませんでした」 という態度ではなく 「あって良かったね」 というスタンスだ。

中国でも日本のサービスは注目されている。

飲食店で客が来たら 「いらっしゃいませ」 と挨拶し、テーブルまで注文をとりに行ってひざまずくようにして客よりも目線を下げる仕草、間違いのないように注文を復唱する対応、お待たせしましたと料理を運び、グラスの水が減れば注ぎ足し、会計をして店を出る際には 「ありがとうございました」 と感謝されるなどという日本人にとって当たり前のことが中国の文化にはない。

中国どころか世界中を見渡しても客を神様のように扱うサービスなど存在しない。

日本の家電メーカー、ラオックスが中国資本の会社に買収されたが、日本の接客システムが中国に導入されて現地の人を驚かせている。

今までの中国の家電量販店はメーカーごとの展示が主で、冷蔵庫なら冷蔵庫が一箇所に固まっている訳ではないので買おうと思うと店内のアチラコチラを移動しなければならず、比較するのが難しかったし、購入を決定しても対象のカードを別のフロアに一箇所しかない場所まで持って行って清算し、そこで受け取るレシートのようなものを持ってもう一度売り場に行って見せ、やっと商品を渡してもらえるという面倒極まりないシステムだった。

そこに分類別展示、店員による接客、同じフロアのレジで精算すれば品物を持ってきてもらえるという日本では当たり前のシステムを導入しただけで中国人が舞い上がるほど喜んでいるらしい。

東京ディズニーランド(TDL)も最初は海外からサービスまで輸入したが、お客さんを大切にして神様のように扱う日本のサービスをミックスして独自の進化を遂げており、その TDL方式は逆に世界で認められ、日本のサービス、接客が世界標準になりつつある。

そんな TDLには実話なのか都市伝説なのか分からない感動的な逸話がある。

ある女性がスプラッシュ・マウンテンに乗り、楽しさのあまりにはしゃいでいると、母親の形見であった指輪が抜けてしまい、あの巨大な池に落ちてしまった。

彼女はキャスト(従業員)にその旨を伝えたが、その場ではどうしようもなく、もし見つかったときのため連絡先を伝えて帰宅した。

後日、どう考えても見つけるのは困難だと諦めかけていた彼女のもとに TDLから連絡があり、なんと指輪が見つかったと言う。

あれだけ広い池の中から小さな指輪を見つけるためには一度すべての水を抜いてしまうか、従業員が総出で池に入り、足の感覚か手を水に入れて探さなければならなかっただろう。

彼女は驚きつつ、
「どうやって見つけてくださったんですか?」
とたずねた。

するとTDLのキャストは静かに答えた・・・
「ここは夢と魔法の国ですから」

カワイイの定義カワイイの定義

日本語のカワイイ(可愛い)が世界共通語になりそうな勢いで広まっている。

しかし、日本語の持つ機微、情緒的な意味合い、あいまいなニュアンス、極めて感情的であり非論理的であって実に包括的な表現法を世界の人は理解できるのだろうか。

現在はフリフリのスカートとかを着こなすファッション、日本発のゆるキャラ、アニメキャラなどを 『KAWAII』 と表現しているが、日本語の 『カワイイ』 はもっと広範囲に及ぶ。

赤ちゃんや子犬、子猫のみならず、普段は好かれないオッサンであっても何かに照れたりする姿を見てカワイイと言うし、自分より何倍もの年月を生き抜いているお婆ちゃんでさえ、その仕草や笑顔などを見てカワイイと言う。

それが爬虫類であっても野菜であっても見かけや形状によってはカワイイと言われる。

それは車のデザイン、コロッと小さなものから妙にズングリした軽トラも対象になるし、携帯電話やパソコンにも範囲は広がるだろう。

また、顔立ちが整っているのがカワイイの絶対条件ではなく、多少は造作に難があってもカワイイの対象になることがあり、具体例としては天童よしみ、森三中の村上知子などが挙げられる。

つまり、cute(キュート)とか pretty(プリティー)ではカバーしきれない範囲のものを含め、すべてがカワイイの対象となり得るのだ。

それを使うのは主に女性、それも若い女性であり、感受性が豊であるからこその受け止め方かも知れないが、それはすでに一般化しているようで、自分のようなオッサンでさえ何かを曖昧にカワイイと思うことがある。

それは例えばジャガイモでも良く、何の変哲もない単なるイモではあるのだが、何個かに一個、プクッと丸くて妙に可愛らしい形状をしたものが存在するのは事実だ。

独り言にいつも書いているように朝の散歩で出会う小学生などは文句なくカワイイし、公園に住むスズメも散歩する犬も池で泳ぐカモもみんなカワイイのは当然だが、人間も含めた動植物に限らず、無機物にすら可愛らしさを感じてしまう。

日本には擬音語、擬態語というものがあり、曖昧な表現が可能だった。

心の動き一つをとっても、いらいら、むかむか、どきどき、わくわく、はらはら、ぞくぞく、うきうき、いそいそ、そわそわ、おどおど、びくびく、おろおろ、まごまご、あたふた、くよくよなど多言語では表現が難しい。

そういう微妙な感覚と同様にカワイイは日本人の頭や心の中を漂い、実にゆるやかな状態で流れているように思う。

そのどこまでを海外の人が理解できるのだろうか。

AKB48を代表とする秋元康プロジェクトの面々が身に着けているような制服チックなファッション、メイド服、アニメキャラのコスプレだけを対象にカワイイという言葉が流通した場合、日本人がどいういう目で見られるのか心配だ。

1億総ヲタク文化、ロリコン社会だと受け止められてはたまらない。

しかし、日本人の持つ独特な感覚の表現法を世界に伝えるのは、どんなに努力しても困難極まりなく、カワイイは世界でひとり歩きしてしまうのだろう。

若気のいたり若気のいたり

水曜日の独り言にも書いたが、今週の北海道は日本ハムファイターズからメジャーに移籍するダルビッシュの話題で持ちきりになっており、新聞の一面を飾るわ、テレビのトップニュースになるわ、北海道ローカル番組の時間を独占するわの大騒ぎだ。

全国放送のワイドショー系番組でも多くの時間を割いて扱われていたのでダルビッシュが並大抵の投手ではないということなのだろう。

そして、その番組でも新聞紙面でも記者会見の内容を好意的に扱っているし、コメンテーターの中には会見を見てファンになったという人までいた。

しかし、彼の発言内容を冷静に分析すると、ともすれば周りに多くの敵を作ってしまうような危険性をはらんでいるように思う。

「他のチームがダルビッシュ相手だと最初からあきらめムードで真剣勝負にならず、野球をやる上でモチベーションを保つのが難しかった。」 という内容の発言を乱暴に短く直訳すれば、「俺って凄すぎるからもう日本に敵はいないし相手はカスばっかりだもんね」 と言っているに等しいのではないだろうか。

「日本人選手の評価が低くなったことについて日本の野球が下に見られているのも嫌だった」 との発言も 「最近はろくな奴がメジャーに行ってないし、ぜんぜん活躍できてないから日本人がナメられるんだよね」 と訳せる。

この二つの発言を踏まえ、「だから日本のチームを相手にしててもしゃーないし、ちょっくらメジャー行って俺が実力見せつけてやるからさっ」 というのが移籍の理由というように解釈できるなどと考えてしまう自分はひねくれ者なのだろか。

血気盛んな若者が一応は考えて発した言葉なのだろうし、それが移籍を決めた本当の理由なのかもしれないが、日本で活躍している選手、すでにメジャーに移籍し、なかなか結果は残せなくてマイナー落ちしても歯を食いしばって頑張っている選手への配慮が足りないように思う。

こんなことを思うのは自分がすっかり歳をとってしまったからだろうが。

自分も 25-6歳の頃は生意気盛りであり、仕事の先輩、上司に平気で噛み付いていたし、言いたいことを一枚のオブラートにも包まずダイレクトにぶつけていた。

当時の諸先輩方は自分を扱いにくかっただろうし、上司にも迷惑をかけていたことだろうと今になって深く反省する次第である。

トラウマトラウマ

様々なことがトラウマ、すなわち心的外傷として残ってしまうことがある。

耐え難き体験が引き金となって何かと関連付けられ、当分の間は克服できていない苦い思い出として残ってしまったり、似たような状況に遭遇した際に極端な拒否反応を示してしまう。

おぼれた経験から川や海に近づけなくなったり、水に顔をつけられなくなったりするのが一般的な事例だろう。

お買い物日記』 担当者は歩道橋の手すり近くや川にかかる橋の欄干のそばのように下が見える場所を歩くのを嫌がるし、高さに関係なく、深さ 5センチ程度の小川の対面に渡るように設置された敷石ですら渡るのを躊躇する。

以前まで住んでいた実家の裏に小川が流れていたのだが、子供の頃その川に何度か落ちたことがあるらしいので、それがトラウマとなって今でも克服できずにいるのだろう。

何かをきっかけに、それまで好物だったものが食べられなくなったりすることもある。

近年ずっと健康食ブームは続いており、米に雑穀などを混ぜて食べる家庭も多くなってきているだろうし、我が家でも米に様々なものが配合され、いったい何穀米なのか分からない状態になっているが、祖母はその雑穀などを口にすることはなかった。

雑穀ではなくても、蕎麦屋のメニューにある麦とろですら麦飯が嫌だといって食べないし、その麦を混ぜたご飯も嫌がった。

戦時中、終戦直後の日本は食糧難で一般市民は米を調達することが困難となり、ヒエやアワ、麦などを混ぜて食べていた記憶がトラウマとなって匂いをかぐだけで吐き気がするのだそうである。

同じ理由から、いも団子、かぼちゃ団子も食べなかったし、鍋のあとの雑炊も口にしなかった。

それぞれ戦争当時によく食べさせられたもので、雑炊などは雑穀ばかりで米が 10粒くらいしか入っていなかったという思い出ばなしを耳にタコが 26個ほどできるくらい聞かされ、こっちまでトラウマになってしまいそうな気分になったものだ。

『お買い物日記』 担当者は数年間ほどバター醤油味の和風パスタが食べられなかった。

大阪に暮らしていたある日の午後、持病とも言える偏頭痛の症状が現れたのだが、まだ悪化していなからと普通に食べた晩御飯が和風パスタだった。

今は少し症状が軽減しているが当時の偏頭痛はひどいもので、発症すると起きてはいられないほどの激痛と嘔吐感で三日間はまともな生活ができずに寝込んでしまうほどであり、完全に回復するまでに 4-5日の期間を要したのである。

そして、その日は和風パスタを食べ終わった直後に嘔吐感に襲われ、トイレに駆け込んで戻してしまい、その時の経験がトラウマとなって口にすることができなくなってしまっていた。

それを克服して美味しく食べられるようになったは北海道に戻ってきてからのことで、時に 2009/04/25のことである。

そして自分はソース焼きそばがダメだった。

若いころに入りびたっていた喫茶店は国道沿いにあり、変則的な信号機が設置されている交差点のすぐそばであったこともあって店の前の道路では頻繁に交通事故が発生していた。

それは年に 3-4回は発生するというほどの危険地帯であり、車の接触事故など日常茶飯事、死亡事故も毎年のように起きるような劣悪な環境だったのである。

ある日の夜、店のカウンターで焼きそばを食べていると外から激しいブレーキ音とドスンという鈍い音が聞こえてきたので、また例によって交通事故だと店を飛び出してみると、すぐ目の前に作業着姿の男性が倒れていた。

大丈夫かと駆け寄って顔を見ると、頭がパックリ割れて脳が飛びてているという悲惨極まりない状況で、それを見た瞬間に胃の中にあった焼きそばをすべて吐きだし、それがトラウマとなって焼きそばの匂いをかぐだけで嘔吐感に襲われるなってしまったのは言うまでもない。

そのトラウマは長く続き、再び食べられるまで 10年以上の期間を要したと記憶している。

色々な事情はあれど、何らかのトラウマで特定のものが食べられないという人もいるだろうし、それを無理して口にする必要などないとも思うが、以前は好きだったものが食べられないのは不幸なことだ。

しかし、そんなことでも時は解決してくれる。

いつか必ず美味しく食べられる日が訪れるに違いない。

自分解体新書 - 8 -自分解体新書 - 8 -

自分解体新書 ~目次~

■ 舌 -その 2-

以前にも触れたことがあったと思うが、バリバリの猫舌である。

今は少しだけ慣れ、ある程度の熱さのものは口に入れられるようになったが、以前は本当に苦手で酒の燗のように何でも人肌が一番旨いと思っていた。

冷たい食べ物は別だが、熱いものを口に入れても噛むことと呑み込むことに必死で味わってなんかいられない。

その食材、料理を存分に味わうためには無抵抗で食べることができる人肌の温度くらいが良いのである。

今はあえてゆっくり食べるようにしているが若い頃は早食いで、食事など10分程度で終わっていたが、これが熱々の料理だとそうはいかない。

ラーメンなど食べるときは必死にふーふーしすぎてクラクラすることもある。

一人で食べたり友人、家族との食事であれば時間がかかろうがふーふーしすぎで酸欠になろうが大きな問題はないが、仕事関係の人との食事であればそうはいかない。

熱さを必死に我慢し、相手のペースに合わせて食べることになるので口の中はボロボロになる。

猫舌の場合は普通の人が何ともない温度の食べ物であっても舌や口の中を火傷し、ベロベロと皮がむけてきたりするのが不思議だ。

■ のど

年齢のせいなのか酒焼けしたのか、声が出ずに音域が狭まった。

もう10年以上もカラオケをしていないが、以前は歌えていた曲も声が出ないと容易に想像がつく。

やはり声帯も鍛錬が必要なのか、声を出さずにいるとどんどん弱くなるようで、独り言にも何度か書いたように仕事の打ち合わせで 1-2時間ほど話し合うと声がガッサガサに枯れてしまう。

逆にまったく声を出さずに過ごすと声が出なくなることも経験済みだ。

お買い物日記』 担当者の病気治療中、家に一人でいることが多かったが、その間は誰と話すこともない。

『お買い物日記』 担当者との連絡はメールのやり取りだったので声を出す必要がない。

朝起きてから就寝まで一言の声も発しないことなどザラだったが、荷物の配達だったり隣家の人が回覧板を持ってきたりしたときに返事をしようとすると、声がかすれまくって 30メール先で森進一がささやいているような状態になってしまう。

やはり人というのは適度に話しをしなければいけないのである。

■ 肩

ここ一カ月間ほどずっと右肩が痛い。

ただし、四十肩とか五十肩のたぐいではないようだ。

なぜなら鎖骨の延長上にある骨の一部が痛いだけで、関節というのでも筋肉というのでもないピンポイント的な一箇所だけなのである。

湿布してみても改善しないので神経系のものかも知れない。

普段の生活に支障はなく、ずっと動かさずにいた起床時とか、その部分を押したときに痛みが走る程度だ。

それゆえに病院にも行っていないが、あまりにも長引くようであれば一度は医者に診てもらうことにしようと思っている。

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