大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

この季節、天気の良い日は花見をしながらの昼食というのがここ数年の定番となっており、ソメイヨシノから始まって昨日の八重桜までずっと楽しんできたが、いよいよシーズンも終わりだろう。

芝生に敷物を広げ、ボ~っと桜とツツジを見ながら弁当を食べていると足元からアリがよじ登ってきたので払いのけ、落ちて敷物の上を歩きまわるアリをつかまえて遠くに放ったりしていた。

実は数日前に別の場所で花見をしながら食事をしていた時もアリの奇襲を受けた。

顔に何かが当たったと思ったら弁当の中をアリが歩き回っていた。

きっと木の上から落ちてきたのだと思われるが、その理由が分からない。

足を踏み外して木から落ちる間抜けなアリなど見たことも聞いたこともない。

だとすれば何らかの意思を持って木の上から飛び降りたのだろうか。

それは食べ物に目がくらんだからであって、高所の恐怖より食欲がまさり、弁当めがけて決死のダイブとなったのかも知れない。

潔癖症ではないのかと思えるほど衛生面に過敏な現代人であればアリが歩きまわった弁当など捨ててしまうかもしれないが、子供の頃から自然の中で育ち、野生の木の実やヒマワリの種などをボリボリと食べ、草や土を触った手でお菓子をわしづかみにして食べていた自分にとっては気にすることでもないので、米粒の上のアリをつかまえて遠くに飛ばし、そのまま食べ続けた。

それでもめげずにアリはやって来て足の上などを歩き回る。

子供の頃であればプチッとつぶしてやるところだが、大人になるとなぜか殺生をためらうようになり、アリが来るたびに手で払いのけたり手のひらに乗せて遠くに投げ捨てたりするのが鬱陶しいとは思うものの、殺してしまうという選択肢はない。

食事の邪魔さえしなければ良いのであって、息の根を止めてやりたくなるほどの憎しみも怒りもないのである。

家の周りにもアリが歩いていたり、たまには家の中に侵入してきて部屋の中をウロウロしたりしているが、そんな時も殺さずにつかまえて窓から外に追い出すようにしており、なるべく殺生しないようにしている。

子供は残酷な生き物であるから、何も被害を受けていないのにただ歩いているアリを足で踏み潰したり、巣穴に水を入れて慌てふためくアリを悪魔のように見つめていたり、爆竹で巣穴ごと吹き飛ばしたりして遊んでいたが、大人になった今は残酷なことをしようとは思わない。

ただ単に家の中に侵入してきたり食べ物の上を歩かなければ良いのであって、身の回りのアリを根こそぎ退治してやろうなどとは思わない。

ある程度の駆除までは妥協するにせよ、根こそぎ駆除する必要はあるのか。

そういう点から考えると、アリの巣コロリとかは必要なのか。

窓とか玄関などに塗ったり噴霧して虫の侵入を阻止することができる薬品があれば良いのだが、蚊とかハエに効果があるものはあってもアリにも有効なものがあるのか分からない。

足や腕でモゾモゾ動き回られるのは鬱陶しいが、そもそもアリは害虫なのだろうか。

もちろんシロアリなどを放っておくと家が朽ち果てるので問題だが、普通の黒い働きアリなどは他の虫の死骸を片付けてくれたりするので、むしろ役に立っているような気がする。

そんなこんなで食事中に現れたアリを見て、子供の頃を思い出したり殺生の必要性を考えたりしながらボ~っとした時間を過ごした金曜の午後なのであった。

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過去の記憶

少子化が進んだことと、最近の子供は塾通いで忙しいことと、家の中で遊ぶ子供が増えたことなどが重なりあって近所で遊ぶ子供の姿と声が消えてしまった。

自分が子供の頃は習字やそろばん、柔道や剣道といった、いわゆるお稽古事というのはあったが学習塾などというものは存在すらせず、放課後のグラウンドや近所の公園、広場や草むらには多くの友達がいて遊ぶのに苦労しなかったものである。

そして、そんな子供たちを見ている大人も必ずおり、誰かが怪我をすればどこからともなく現れて薬を塗ってくれたりしたものだ。

自分の子も他人の子もなく同じように可愛がり、同じように叱りつけたリしていた。

そんな時代に育った自分は近所に大勢の友達がおり、その数だけ母親や父親がいるのも同然だったので、いろいろな場所で可愛がられたり叱られたりする。

悪さをすれば他人の親にだろうと尻を叩かれたし、頭にげんこつをもらったりしたが、自分が悪いと分かっていたので親にも言わなかったし、たとえ言ったところで
「おまえが悪いからだっ!」
と言われ、他人の親と自分の親から二重に叱られる羽目になり、見事に墓穴を掘る結果となってしまっていた。

同級生はもちろん、上級生も下級生もなく一緒に遊び、友達の家にあがりこんでおやつを食べさせてもらったりすることなど日常茶飯事だった。

そんな中、国道沿いの一軒家に住む老夫婦が自分とどういう関係だったのか今も分からない。

玄関に金網のかごが置いてあり、その中でリスを飼っていたので、それを見たくて遊びに行っていたのかもしれないが、その家には同じ年代の子供はおらず、お爺さんとお婆さんが二人で暮らしていたように思う。

田舎の家であり、のどかだった当時は玄関に鍵などかかっておらず、好き勝手に出入りしても叱られたり文句を言われたりしなかった。

その家にはしょっちゅう遊びに行って勝手に部屋に上がり込んだりしていたが、老夫婦はニコニコしながら
「おや、来たのかい」
と言ってジュースを飲ませてくれたりおやつを食べさせたりしてくれた。

同じ年代の子供がいないので家の中には遊ぶものもないし、老夫婦と会話が弾むはずもないのだが、勝手に家の中をウロウロしたり巣の中からなかなか出てこないリスをジーっと見たりして、飽きると帰るということを繰り返していたはずだ。

その家の数軒先に新婚さんの住む家があり、新婚さんゆえに同じ年代の子供などいるはずもないのだが、その家にもかなりの頻度で遊びに行ってはお菓子を食べさせてもらったりしていた。

そして自宅の裏にも新婚さんが暮らしており、そこにもよく遊びに行っては何か食べさせてもらっていた。

子供の頃、親は
「この子は食が細く、あまり食べないので体が弱い」
と心配していたものだ。

しかし、実のところは、いろいろな家でたらふくおやつを食べていたので、晩ご飯など入るすき間が胃袋になかったというのが実情だった。

そして、その事実を親は今でも知らなかったりするのである。

記憶

閉塞感閉塞感

この日本に漂う閉塞感はなんだろう。

国民の誰もが明るい未来を想像できない。

将来の年金制度はどうなってしまうのか。

この国の社会保障制度はどうなってしまうのだろう。

今の教育制度のままだと国際競争力のある人材は育たない。

今の制度のままだと地方の疲弊は進むばかり。

このままだと日本そのものが競争力を失い、資金が流入しなくなる。

世界市場を相手にしている大企業は日本に本社を置く必要性を失い海外移転。

日本から輸出するものがなくなり、貿易赤字国に転落。

輸入大国になるも、肝心の輸入資金が枯渇して買い付け不能に。

資源の調達を国内に頼るも、すでに第一次産業である農林業、漁業、鉱業が崩壊し、著しく自給率が低下しているため食料もエネルギーも不足。

生きるための奪い合い、略奪や強奪が横行し犯罪率が悪化。

弱肉強食、腕力だけがものをいう時代が訪れ、警察や司法が無力化。

法秩序をもたず世界常識の範疇にない国へ・・・。

悪夢のような未来像だが、誰も否定したり一笑に付したりできないくらいのリアリティを持っているのではないかと思う。

何かが変わらければ暗黒の未来へのカウントダウンは止まらない。

変わらなければいけないのは日本人そのものであり、今までとは違う意識で国を率いるリーダーを選ばなければいけないのだと思う。

つまり、今の政治を変えなければ、官僚システムを変えなければ奈落の底に落ちるのを止めることはできないのではないだろうか。

民主党幹部はこれから先も一年は政権を維持し、来年夏に衆参同時選挙を実施したい考えなのだそうだが、このままの状態で政権を維持できると思っていること自体が無能な証拠だ。

そもそも民主党に政治を任せようとした時点で国民の意識は変わった。

いや、変わったからこそ自民党や官僚に国の命運をかけることはできないと判断し、脱官僚をかかげた民主党を選んだ。

変われなかったのは国民ではなく政治家のほうである。

ならば再び選択するしかないが、現状のままでは民主党政権だろうと自民党政権だろうと大差なく、日本が変われるとは思えない。

だから大阪の橋下市長が率いる維新の会が注目を集めるのだろう。

彼の政治手法や人柄、思想がどうであっても構わず、ただ現状のシステムを破壊さえしてくれたらそれで良いのではないだろうか。

その後の再構築で誤った方向に向かいそうになったら民主的プロセスで再び指導者を選択すれば良いのだから。

そのためには維新の会に力をつけてもらう必要がある。

だとすれば、選挙を急ぐより民主党幹部の思惑どおりに来年の夏まで時間をかけ、維新の会内部も国民の意識も熟成するのを待ったほうが良い。

多少は独裁的で強引なくらい力強く方向性を示すことができるリーダーが必要とされている。

橋下氏を全面的に応援している訳ではないので、できることなら小泉進次郎、河野太郎、渡辺喜美あたりも力をつけて、現状の日本のシステム破壊に一役買ってほしいと願っているが。

デジタル化の波 Signal-12デジタル化の波 Signal-12

デジタル化の波 ~目次~

デジタルデバイドとはパソコンやインターネットなどの情報技術を使いこなせる人と使いこなせない人の間に生じる待遇や貧富、機会の格差のことで、情報格差とも言われる。

現在は就職活動もデジタルが中心で、ネットが使えなければ採用情報すら得ることができず、企業の情報や評判、仕事内容や職場の雰囲気も計り知ることができない時代になっており、新卒はもちろん転職を希望する人にもパソコンやネットに関する一定の知識が求められる。

最近ではテレビやラジオのプレゼントもネット経由での募集が多くなり、以前のようにハガキでの応募は皆無に近くなってきた。

募集する側も何千通、何万通というハガキが送られてくると、個人情報の保護が厳しく求められる昨今では管理するのも廃棄するのも手間がかかるので、一瞬にして削除可能なデジタルデータが便利だろう。

おまけにクイズに回答して応募するような形式であれば、クセ字、悪筆、乱筆または達筆すぎて解読困難な文字と格闘する必要がなく、答えの当たり外れも容易に分類可能なデジタルデータが好まれるのは当然のことだ。

したがって、これから先もデジタルが中心となってハガキで応募するようなアナログな方法はなくなっていくだろうから、デジタル機器やネットを使えなくては参加資格がないのも同然ということになる。

デジタルテレビの双方向機能を使ってクイズに参加したりプレゼントに応募する番組も少しずつ増えているが、我が母のように新しい機能になど一切の興味がなく単なるテレビとしてしか使っていない人には無縁のこととなってしまう。

ネットを利用して通販で買い物をできる人であれば、どんなに辺ぴな僻地に住んでいようとも欲しい物を手に入れることができるが、それができない人がどうしても欲しい物を手に入れたければ相当な労力と資金を使い、遠くまで行って買い求めなければならない。

もっと身近な話題で言えば、大型店の多くが導入しているポイント制や電子マネーを利用するのもデジタル化の流れに乗らなければ特典を得るのが難しくなっている。

例えばイオングループのデジタルスタンプ、『イオンかざすサービス』 は携帯電話やスマートフォンでネットを利用し、おさいふケータイや電子マネーに関する多少の知識がなければ利用不可能なサービスだ。

このサービスは毎週異なる商品の割引サービスを受けられたり、集めたスタンプを電子マネーであるWAONポイントに交換できたりする。

ただでさえ電子マネーを使うとポイントがたまるのに、スタンプまでポイントに交換でき、対象商品は割安に購入できるという倹約家にとって嬉しい限りのサービスなのだが、それもこれも利用できるのは電子機器を使い、ネット接続してアプリをダウンロードできる人でなければならない。

実に小さなことではあるが、これも立派なデジタルデバイドであり、待遇や機会の格差が生じていることになる。

今は新聞折込チラシではなく、お得な情報をネット配信している店も増えているので、それを閲覧できなければ、いつ、どこで、どのようなセールが行われているのか、何がお買い得なのかという情報すら手に入れることができなくなってきている。

時代はますます進み、変革し、使える人と使えない人の情報格差はこれからも広がっていく一方だと思われる。

年齢とともに新しいものに対する食いつきは悪くなっているものの、まだ少しずつでも新しいものに慣れていっている我が家は、何とか時代に取り残されずについて行けているが、それをいつまで続けられるかに関してはあまり自信がないかも知れない。

デジタル化の波

自分解体新書 - 9 -自分解体新書 - 9 -

自分解体新書 ~目次~

■ 肌

敏感肌なのも相変わらずなのだが、大阪で暮らしていた頃より少しマシになったような気がしないでもない。

それが顕著なのは散髪屋さんに行った後で、以前まではカミソリを当てられた首が痛痒くなって三日間くらいは薬用クリームをペタペタと塗っておかなければならなかったが、今は痛みも痒みも感じなくなった。

考えられる要因は複数あるが、もしかすると、それは顔剃りの技術とかカミソリの切れ味に深く関係するのかもしれない。

大阪で利用していた散髪屋さんはゾリゾリと音が出るような剃り方で、剃ったそばから皮膚がヒリヒリしてくるほど肌に抵抗を感じるが、となりの店ではヒゲの剃れる音はすれど他の部分はスーッと抵抗なくカミソリが肌を滑る。

それは良いカミソリ、手入れの行き届いたカミソリを使っているからなのか、はたまた顔剃りの技術に大きな差があるからなのか。

もしそれが原因だとすると大阪も北海道も関係なく、単に選ぶ散髪屋さんに問題があっただけということになるが。


■ まつ毛 -その 2-

管理人の独り言に書いたように、左目に白いまつ毛が生えてきた。

妙に毛が硬く、クルリと丸まっていたのでチクチクと気になって仕方がなかったが、せっかく生えた白い毛なので抜いてしまう気にもなれず、そのまま放っておいたのに気づかぬうちになくなっていたのが少し寂しい。

まつげの毛周期は早い人で約 30日、遅い人で約 90日くらいらしく、他の体毛と比較すると再生サイクルが早いということなので気づかぬうちに生えたり抜けたりするのも当然か。

かなり前にも白いまつ毛が右目に生え、その時にネットで調べたところ確実なる 『老化現象』 とのことで少なからずショックを受けたが、一般的には起こらない珍しい現象だということなのでちょっと自慢に思ったりもする複雑な感情を抱いている。


■ 肩

これも独り言に書いたが、肩がずっと痛いままである。

ずっと同じ姿勢を保っているからか、寝起きに動かすと痛みが強いが時間の経過とともに和らいで普通に生活している分には気にならなくなるので大きな支障はない。

普段の動作で一番の問題は背中が痒い時だ。

上から、つまり肩越しに背中に手を回すのは問題ないが、下から回すと痛いので、痒い場所に手が届かないことがある。

打撲した訳でも妙なひねり方をした訳でもなく、ある日を境に急に痛くなり、それがずっと続いているので近く病院で診てもらおうとは思っているのだが。


■ 太腿

同じ日の独り言で触れた太腿の裏側、つまり裏腿、正確には太腿二頭筋・半腿様筋・半膜様筋のいずれか、ちょっと洒落た呼び名だとハムストリングスが痛い。

これもある日突然のことで、最初は左足の裏腿に痛みを感じたのだが 2-3日すると右足も痛くなってきた。

前かがみになるとピリッと突っ張ったような痛みを感じる程度だったものが、今はビシビシっとした強い痛みに変わり、前屈系の運動ができずに困っている。

体が柔らかいことが少ない取り柄の一つで、頭を膝につけることなど簡単なことだったのに今は特に左足の痛みがひどく、ビックリするくらい体の硬い人のようになってしまった。

痛くなってからかなりの時間が経過し、一向に改善しないので肩の件と合わせて整形外科にいかなければならないと自覚しているが、


■ 腰

腰が重くなかなか行動に移せずにいる。

自分解体新書

スーパー女子高生 mayuスーパー女子高生 mayu

以前にも書いたとなりの店は、ご両親と兄妹、そして妹ちゃんには娘がいるので 5人家族だ。

妹ちゃんは関東で暮らして結婚し、出産のために北海道に帰ってきている間に旦那さんが別の女性と深い仲になってしまい、帰って来なくて良いなどと訳の分からない理不尽なことを告げられ離婚したという過去を持つ。

美容の技術を身に着けたのは、それより以前なのかそれ以降なのか分からないが、親の跡を継いで繁盛店にしているのだから、甲斐性なしの男と不毛な生活を続けているより結果的には良かったのではないだろうか。

そんな事情で父親がなく、一般的な家庭とは異なる休日体系で土日も祭日も大型連休もなく、朝から晩まで忙しく店を切り盛りしているので母親と接する時間も短いという環境で育てば、多少は反抗的になったり非行に走ったりしてもおかしくはないが、妹ちゃんの娘は実に素直で可愛らしく立派に育っている。

この4月で高校三年生になった彼女の名はマユちゃん。

顔を合わせればニコニコ笑顔で挨拶してくれる。

自分が中学、高校くらいの頃、周りの大人はすべて敵だと思っていたので挨拶もしなければ、ろくに目も合わさなかったし笑顔を見せることなど皆無だった。

たまにおすそ分けなど持ってきてくれ、
「戴き物なんですけど良かったらどうぞ」
などと、きちんと会話して帰っていく。

自分は近所の人と関わりたくなかったし、上述したように口もききたくなく、そもそも親の言うことなど聞くはずもないので、おすそ分けなど持って行くことなど有り得なかった。

以前、帰省のためしばらく家を空けることを 『お買い物日記』 担当者が伝えに行くと、大人たちは店が忙しかったのか対応してくれたのがマユちゃんだったのだが、なんと話しの最後に
「気をつけて行って来てください」
と言ってくれたと感動しながら帰ってきた。

これが同じ頃の自分であれば、
「はい」
とか
「はあ」
せいぜい
「わかりました」
くらいの単語しか発しなかっただろう。

客商売をしている家庭に生まれた子なので先天的に社交性や話術に優れているのかもしれないが、少なくとも自分以外に当時の友達関係まで対象を広げてみても、たとえ真面目人間だったマサルであっても、それほど気の利いたセリフは言えなかったと思われる。

去年の今頃には
「イチゴ狩りに行って来たので食べてください」
と、山盛りのイチゴを持ってきてくれた。

繰り返しになるが、自分はおすそ分けなど近所に持っていかなかったし、親とイチゴ狩りなんぞ真っ平御免であり、行動を共にするなど考えられず、たまの外食ですら誘いを断ってお金だけ受け取って一人で買い食いしていたものだ。

そして今年の二月、なんとマユちゃんはバレンタインチョコまで持ってきてくれた。

義理チョコ、友チョコ、自分チョコなど手作りしたと言うことなので、それを手伝っていた妹ちゃんにでも
「隣のオジサンにも持って行ったら?」
などと言われたのだろうと思っていたのだが、実は一人で黙々とチョコを作り、自己判断で我が家の分まで作ってくれ、自主的に持ってきてくれたということが後に判明した。

そんな女子高生が世の中にいるだろうか。

なんと立派で思いやりがあり、心優しい女の子なのであろう。

小さい頃から書道をたしなみ、今では人に教えられるほどの腕前であり、同じく幼少の頃から英会話を習い、日常会話に支障がないほどの英語力が身に付いている。

だからと言って見るからに大人しそうなお嬢様タイプではない。

キラキラした笑顔の持ち主ではあるものの、流行のファッションに身を包み、髪を少し茶色く染めて学校の先生に叱られるという、今どきの女子高生だ。

ジャニーズの嵐のファンであり、コンサートチケットを手に入れるためにファンクラブに入会し、それでも入手困難なものだから母親である妹ちゃん、挙句の果てには孫の魅力を存分に発揮してお爺ちゃんまで入会させるという荒業を使う。

「もうみんなが持っているから」
という実に子供っぽいごまかしで、普及率が30%にも満たないスマホをまんまと買ってもらったりもしている。

そんな面がありながらも自分というものをしっかりと持っており、ユネスコ交流事業で公募された作文審査で合格した全国 12人のうちの 1人に選ばれ、ドイツに行って英語でスピーチすることになった。

とにかく同じ年頃だった自分なんぞ比較するのも恥ずかしく、それに値しないほど良くできたスーパー女子高生なのである。

しかし、本当に残念なことであるが、マユちゃんはドイツに行くことが叶わなかった。

なんと不運にも流行していたインフルエンザに感染してしまったのである。

スーパー女子高生のマユちゃんも、病気に勝てなかったのであった。

マユちゃん

自転車新調自転車新調

昨日の独り言で 『お買い物日記』 担当者が書いているが、二人そろって自転車を購入した。

大阪で暮らしている時、いずれは北海道に帰るのだから数年しか乗らないだろうと今は無きレンタサイクルのマイケルにて中古で購入したものだが、そのまま 10年ほど経過し、さらには北海道まで連れて来られた働き者の二台とは実に長い付き合いだった。

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一昨年あたりから 『お買い物日記』 担当者の自転車がキコキコと異音を発するようになったり、自分の自転車は後輪のベアリングが欠けたようで、たまにチェーンの噛み合わせがおかしくなったりし始めたので近所の自転車屋さんに見てもらったところ、耐久年数を越えた経年劣化なので仕方がなく、部品をまるごと交換するしかないという。

それにはそれなりの金額を要するとも言われたので、新しく買ったほうが結果的に安く済むのか尋ねたところ、古い自転車でも元々は立派なものであり、最近になって広く出回っている海外生産の安物とは比べ物にならないくらい高品質なので、同等の乗り心地を得ようと思えば 5-6万円はするのだそうだ。

そんなに良い物であれば安易に手放すのもどうかと思い、だましだまし乗ってはいたが、いくら国産の高級品であれ経過年数にはかなわず、やはり使用には限界なのではないかと思わるようになってきた。

そんなとき、近所の大型スーパーの会員特典で国産のものが安く売られることを知り、いよいよ買い替えの時期がやって来たと判断したのである。

メーカーがブリジストンではあるが、今の時代だと部品製造から組立まですべて中国かベトナム、タイあたりでやっているだろうから今まで乗っていた自転車と同等の品質、乗り心地は期待できないかもしれないと思いつつも、せっかくの機会をのがすこともあるまい。

一応はネット通販で同等製品の価格を調べたが、どこよりも低価格だったので購入を決定した。

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それが入荷したと一昨日の午後に連絡があったので、昨日になって受け取りに行き、それまでの自転車を引き取ってもらってきたのである。

さすがにチェーンも車輪のベアリングも新しいのでベダルを踏むと軽々と進み、足への負担が少なく、そろそろ体力も落ちている我が身にとって小さな力で大きな動力を得られる省エネ的乗り物は実にありがたかったりする。

それにしても以前の自転車は色々とがんばってくれた。

とくに 『お買い物日記』 担当者は、毎日の買い物、町内会の仕事で近所を走りまわっていたので足となって一緒に働いた自転車への思い入れも深いだろう。

夏の炎天下、冬の木枯らしが吹く中、早く遠くまで運んでくれたものだ。

この周辺情報でカバーしているエリアのすべてをかけ回り、それ以外にも今はイオンとなっている旧マイカル、万博公園を目の前にした毎日放送学園町のユニクロなどにも行った。

JR岸辺駅など近いもので、月に一度くらいのペースで吹田のモスバーガーまで行ったりもしていたものである。

色々と思い出深い自転車だったが、老朽化には勝てない。

以前の持ち主と合わせると 20年くらいは働いたと思うので、今はゆっくり休んでいただきたいと心から願っているところだ。

流通業の台頭流通業の台頭

大型スーパー、コンビニを代表とする流通業が販売力にモノを言わせて川上である卸売業者、その上流である製造業、メーカーの体力を奪い続けている。

最近ではテレビやネットの通販も力を持ち、価格競争は激化するばかりだ。

消費者としては安く変えるのは嬉しい限りだが、このデフレスパイラルをどこかで断ち切らない限り、最終的には国力を弱めて日本全体が沈んでしまう。

かつての日本では定価販売が常識であり、開発費、宣伝費、人件費、利益などを考慮して発売する側が価格を決定していたが、価格破壊のパイオニア的存在で全国を席巻したダイエーの創業者である中内功氏が 「価格の決定権は消費者にある」 と定価販売をやめて安売りを始めた。

物に対してお金を出すのではなく、物の価値、その物によって与えられた利益に対して支払う報酬、つまり定価ではなく対価ということであり、それ自体は評価、賞賛すべき考え方である。

しかし、ビジネス規模が拡大し、他店を凌ぐ販売数を誇るようになると庶民の味方という当初の理念を見失い、流通業自身が価格決定権を持っていると錯覚し始める。

卸売業者やメーカーにぞんざいな態度をとり、商品の展示から棚卸まで手伝わせてみたり、商品販売までさせて自社では人件費を使うことなく利益を得ようとする始末だ。

そして、最近になって強く危惧しているのは、以前の雑感にも書いたことのあるプライベートブランドと言われる自社製品の商品化があまりにも早まってきていることである。

消費者にとって同じ機能であれば価格が安い商品が売られるのは嬉しいことではあるが、それはメーカーの体力や活力をジワジワと奪っていることであるとその雑感に書いたが、その後もプライベートブランドは増え続け、その商品投入のスピードは早まり続けている。

少し前に電子レンジで魚が焼けるという使い捨てのパックが発売され、その利便性と話題性から大ヒット商品となったが、それほどの間を置かずして大手スーパーのプライベートブランドで全く同じような商品が発売された。

最近ではジュレ(ゼリー状)タイプのポン酢が人気になったが、もうすでにプライベートブランドで商品化されている。

先の雑感で書いたように研究開発に膨大な時間を要し、企業や社員の努力の結晶で商品化されたものが、その人件費などを含めた費用を回収する前に価格競争に巻き込まれ、先行者利益を享受する前に薄利多売せざるを得なくなるのは健全なことではない。

繰り返しになるが、消費者としては良いものが安く手に入るのは嬉しいことだ。

しかし、それに慣れてしまって値上げ許すまじという考えから抜けだせずにいると、卸売を含めた中間業者、製造業、メーカーの利益ややる気を奪い、画期的な良い商品が生み出されなくなってしまう。

そして各業種の経営を圧迫し、労働賃金の低下、人員整理、企業倒産、失業率の悪化、雇用不安、就職難が延々と続く負のスパイラルにおちいる。

消費者、庶民の味方という名目で台頭している流通業だけ利益を得られれば良いというものではなく、適正な量を適正な価格で販売し、経済を活性化しなければ日本という国は悲惨な末路をたどり、最悪の結末が待っているのではないかと思う。

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過去の記憶

生まれたときは社宅暮らしだった。

その社宅というのは名ばかりの長屋に住んでいたというのに夜中になれば少しの物音で目を覚まして泣き叫んだり、体が弱く病気がちで具合が悪いものだからビービー泣くという、まことに手のかかる子どもを持った両親は、壁が薄く隣近所に迷惑をかけているのではないかと気を揉む毎日だったという。

そこで、共稼ぎと言えども安月給だった若夫婦は一念発起し、壁越しの隣人に気を使わなくて良い一軒家を建てることにしたのであった。

それは自分が二歳を過ぎた日のことで、それがどれほど迷惑をかけた結果であるか、それがどれほどの決断であるかも知らず、アホ丸出しで 「わーい」 と単純に喜んで走り回っていたらしい。

当時は今のような工法が開発されておらず、昔ながらの大工さんが昔ながらの方法で基礎から地道に固め、ゆっくりとしたペースで建設されていった。

今でこそ一カ月や一年などあっという間に過ぎ去ってしまうが、ニ歳児の感覚では一日すら長く、一時間もあれば様々な遊びができたくらいなので、着工から完成までひどく長い時間が経過したように記憶している。

時間経過がゆっくりと感じられる子どもにとって式典などというのは退屈の極みであり、いつまでも延々と続く空間で大人しくしていろということ自体が無理な相談というものだ。

棟上げまで工事が終了した際にとり行われる上棟式も子どもにとっては過酷な我慢大会のようなものであり、つまらない大人の話しを聞いてなどいられない。

人の多さに圧倒されて静かにしているのも 10分くらいなもので、それを過ぎると周りをキョロキョロ見渡したり、大工道具に興味を持ってチョロチョロと動きまわったりし始める。

神妙な顔をした母親が目だけ鬼のように釣り上げてこちらを見ていたが、大勢の前で叱られることもあるまいという子どもなりの打算も働き、目を合わさないようにしながらコソコソと一人遊びをしていた。

それにしても長く、一人で遊ぶことにも飽き、そろそろ我慢も限界に達しようとしていた時、その場にいた全員が起立して何かが始まったようだ。

さすがに自分のいるべきところに戻ったほうが良いのではないかと思い、両親の姿を探したが背の高い大人が全員立ち上がって狭い空間に密集していると顔を確認することができない。

人をかき分けて進み、必死になって探していると見覚えのあるスカートと大きな尻が目に入った。

無事に母親の元へとたどりつけた安心感と、勝手に遊んでいたくせに放っておかれたというねじ曲がった怒りが心の中で交錯し、ムカムカと腹がたってきた。

そして、ここで思いっきりパーン!と尻を平手打ちすれば、さぞかし母親は驚くだろうし、それを見たまわりの大人たちの笑いが取れるのではないかという考えが頭をもたげ、その衝動を抑えることができなくなってくる。

心の葛藤は何秒間くらい続いただろう、ついに悪魔のささやきが心を支配し、ジリジリと目の前の尻に近づいて狙いを定め、ありったけの力で尻をひっぱたいた。

空間に響き渡るパーーン!という音と聞いたことのない女の人の悲鳴・・・。

なぜそう思ったのか今となっては分からないが、その尻のでかさとスカートの色だけでそれが母親であると確信し、疑問を挟む余地など全くと言っていいほど生じなかったのだが、その尻の持ち主は明らかに別人だったのである。

その後、上棟式は大混乱におちいり、母親からこっぴどく叱られることになってしまったのは言うまでもない。

記憶

自己責任自己責任

長崎県でとても残念な警察の不祥事が起こってしまった。

被害届の受理を先延ばしにした理由が北海道への慰安旅行で、それをひた隠しにするどころか事件の検証開始直後に慰安旅行の事実を把握していたにも関わらず、その日のうちに 『問題なし』 と結論づけていたというものだ。

確かにストーカー事件の扱いは難しい。

妙な男に好意を持ち、積極的に自分に近づけたというのであれば多少は自己責任を問われる部分もあるかも知れないが、ある程度の付き合いをしなければ相手のことは分からないのだから仕方がないだろう。

ましてや好意もなく、また知り合いでもないのに一方的に付きまとわれ、身に危険が迫るまで事実を把握できなかった場合などは被害者に何の落ち度もなければ責任を問われることもない。

長崎ストーカー殺人事件はインターネットサイトでの出会いが発端となっていることも被害者にとって不利に働いた可能性も否定できないものと思われる。

出会い系サイトで犯罪に巻き込まれるケースが後を絶たないのは周知の事実であり、それにも関わらずそんなサイトを閲覧したり、そんな場所で知り合ったからといって実際に会ったりするのは認識の甘さゆえのことだという意識が働くこともあるだろう。

確かに自分のように保守的な臆病者からすると、たかがネットで何度かやり取りした程度の人と実際に会うなど信じられないことであるし、余程の度胸があるか何も考えていないか思慮が浅い愚かなことだとは思う。

しかし、実際に起ってしまったことをやり直せはしないし、これを教訓に二度と軽々しい行為は行わないと深く反省もするだろうから身に及んだ危険を回避してやるべきだったことは間違いない。

自己責任、自業自得と思われることは多くある。

何年か前に殺人事件の被害者になったのは 16歳の女子高生で、犯人を憎んだし将来のある子どもが死に至ってしまったことを悲しむ気持ちもあったが、事件の経緯が明らかになってくると夜中の 2時に外出して男性と歩いている姿が防犯カメラに写っていた。

そうなると少し事情が違い、そんな時間にフラフラと遊んでいることが大きな問題だと思うようになってしまうが、それでもやはり、人を殺めた犯人が悪いのだから罪を裁かれるべきだし捜査当局は全力で捜査すべきだ。

理論的に有り得ないような配当金につられて訳の分からない案件に投資し、詐欺行為だと分かると急に被害者然として巧妙な手口にだまされた哀れな人間を演じ始める人たち。

誰がどう考えても信じ難く、明らかに嘘だとわかるような話に乗せられて金を出すということは、余程お金に余裕があるか欲の皮が突っ張っているのだと思ってしまう。

しかし、それでもやはり人をだます犯人が悪いのだから、捜査は行われるべきだし犯人は罰せされるべきである。

話を元に戻して長崎ストーカー殺人事件では、マスコミは被害届の受理を先延ばしにした警察を総攻撃して習志野警察署長が事実上の更迭となったが、その論調をまともに受けてはいけないような気がする。

たしかに怠慢だと言われても仕方がない事実ではあるが、受理を一週間延ばしたことが引き金となって事件が起こった訳ではないと思うからだ。

間違いなく昨年の12月6日に受理を見送っているが、3日後の9日には当時ストーカーの犯人だった容疑者に警告を発し、実家に連れ戻すということはしている。

その後、14日に届けを受理したタイミングと容疑者が実家から姿を消したタイミングが重なってしまい、その2日後の 16日に殺人事件が発生したので問題がこじれてしまった。

仮に 6日に被害届を受理していたとしても、それがストーカー行為に対する被害届であれば、警察にできることは 9日に行った警告と同様のことでしかなかっただろう。

実際に危害を加えられたりしていなければ現状の法律では逮捕したり身柄を拘束したりすることはできないのではないか。

被害届を受理しても受理していなくても、やれることは同じで少なくても9日に警察はやれる範囲のことはしている。

つまり、6日に受理していたら今回の犯行を防ぐことができたのか疑問であるし、それが引き金となって犯行が行われた訳ではないように思う。

警察の落ち度を全面否定する気はないが、いかにも警察の責任で事件が起こったかのような報道をそのまま鵜呑みにするのは避けるべきではないだろうか。

マスコミの報道をどう解釈するかも自己責任ということである。