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雑感 なんとなく感じたこと雑感 なんとなく感じたこと

腑に落ちないこと腑に落ちないこと

以前に勤めていたコンピュータ周辺機器メーカーで、当時としては画期的な製品を発売することになった。

外付けのハードディスクなのだが、HDD部分がカートリッジ式になっており、付けたり外したりできるのでドライブだけを購入すれば保存するデータや用途によって交換可能という便利なものだ。

その製品の広告やカタログ、取扱説明書で付け外し可能なことを脱着可能と表記していたら、着ていないものを脱ぐことなどできないのだから、脱着(だっちゃく)ではなく着脱(ちゃくだつ)とするのが正しいと年配の社員が言う。

しかし、国語辞典にも脱着は掲載されており、
「付けたり外したり、着たり脱いだりすること。『着脱』(ちゃくだつ)と同義。」
と書かれているのだから間違いではないだろうと腑に落ちない部分を残しつつ先輩の言うことに従ったりしていた。

以前は語呂が良いからか、着脱(ちゃくだつ)よりも脱着(だっちゃく)のほうが主流だったように思うし、圧倒的に耳に馴染んでいたので何だか着脱とは言い難かったのを覚えている。

ところが今、盛んに放送されているテレビ通販などでは製品の特徴を説明する際に、付け外し可能な機能を着脱可能、着脱自由と言い、圧倒的に着脱(ちゃくだつ)派が主流となってしまった。

主流というより、脱着(だっちゃく)と言っているのを聞いたことがないので絶滅危惧種となってしまった感が強い。

そこであらためて調べてみると、
「脱着(だっちゃく)は工業の機械分野の準専門用語(製造現場用語jargon)で、脱着可能とか自在 mountable,removableといった複合語としての使用頻度が高い。」
という説明があった。

つまり、コンピュータ業界にいたから脱着(だっちゃく)が主流であり、それが耳に馴染んでいただけで一般的には当時から着脱(ちゃくだつ)のほうが広く使われていたのだろうか。

しかしながら、国語辞典に掲載されている脱着(だっちゃく)を使うのは正しくないと言い切った先輩社員の発言には今も違和感を覚えたままだったりする。

なぜなら、服を着たり脱いだりすることは 『脱ぎ着(ぬぎき)する』 と言い、決して 『着脱(きぬぎ)ぎする』 などとは言わないではないか。

先輩社員の言葉を借りれば着てもいないものを脱げるはずがないのは事実だが、実際には脱ぎ着するものであるのだ。

また、よく人が訪ねてくる家や施設を指して 『出入り(ではいり)が激しい』 と言い、決して 『入り出(はいりで)』 とは言わない。

入ってもいない人が出てくるはずがないのに、出るのが先にくる。

同じように収納グッズなどは 『出し入れ(だしいれ)簡単』 なのであって 『入れ出し(いれだし)』 と言うのは聞いたことがない。

これも、入れてもいないものを出せるはずがないのに出すという言葉が先だ。

さらに 『抜き差し(ぬきさし)』 だって同様で、差していないものを抜けるはずがないが、『差し抜き(さしぬき)』 という言葉はない。

いや、世の中の多くの言葉がこのように構成されているのだから、むしろ逆順で言うのが正しいのではないかとすら思えてくる。

たまたま脱着←→着脱と並びが逆の同じ意味を持つ言葉が双方とも間違いではなく共存していることがレアケースであり、本当は脱着(だっちゃく)が先で着脱(ちゃくだつ)は後で生まれたのではないだろうか。

こんなことをゴチャゴチャと考えているのは自分くらいなものだろうが、言われて腑に落ちなかった原因はそこにあると今さらながらに思ったりしている。

そして腑に落ちないの腑はどこであって、何が落ちないのかという疑問が急に頭をもたげ、調べてみると。

腑に落ちないの 『腑』 は、『はらわた』『臓腑』のことであって、『考え』 や 『心』 が宿る場所とされ、そこにスッキリと収まらない、ストンと落ちてこない状態、つまり人の意見が心に入ってこないことを言うのだそうだ。

なるほど、この件に関しては腑に落ちた。

自分解体新書 - 11 -自分解体新書 - 11 -

自分解体新書 ~目次~

■ 肺

今日でちょうど禁煙してから丸四年が経過し、とうとう五年目に突入した。

すでに禁断症状もなく、体内、あるいは脳、潜在意識の奥深くから喫煙要求がブクブクと表面化することはなくなったので、余程のことがない限りは今後もタバコを吸う事はないだろう。

丸四年が経過すれば、そろそろ肺は綺麗になってきているような気もするが、医療関連のWebページを見るとタールが付着して汚れた肺は二度と元通りにはならないのだそうだ。

ただし、徐々にではあるが改善には向かうらしいので、今はまだ真っ黒かもしれない我が肺も禁煙を続ければ黒ずみが薄れてくるに違いない。

そして肺がんのリスクも徐々に減って健康な肺に戻るだろう。

以前、医者から禁煙を勧められた時は、まだ人類最後の喫煙者になる気満々だったので耳をかさなかったが、世の中にある病気の中で肺がんが最も悲惨なのだと言われた。

どんな病気も悲惨だが、肺がんの場合は苦しみがひどいのと、見た目がかなり汚いのだという。

肺がん末期の呼吸困難を通常の方法で取り除くのは難しく、その苦しみは意識がなくなるか呼吸が止まるまで続き、人によっては意識が残ったまま、数日以上苦しい状態のままということもあるのだそうだ。

吸っても吸っても肺に空気が入らないという生地獄を最低でも何時間か、長ければ数日間も味わうなど考えただけでも恐ろしい。

それを思えば誘惑に負けずこれからも禁煙を続けようという気になるというものだ。

■ 膀胱

これは老化現象なのだろうか。

必ずと言っていいほど夜中にトイレに起きるようになった。

ただでさえ寝付きが悪く、おまけに眠りが浅いのに夜中に目が覚めてしまうのはストレス以外の何物でもなく、できることなら朝まで眠っていたいのだが、1時くらいに眠りについて早ければ2時、多くは3時半前後に目が覚める。

タイミングが良ければトイレから帰ってきてすぐに眠れるが、大抵は再び眠りに落ちるまで15分くらいかかってしまう。

起床までもう少しというタイミング、6時前後に目覚めてしまった場合は眠るのを諦らめてそのまま起きてしまうこともしばしばだ。

常に寝不足を感じるので可能であれば目が覚めずに朝までぐっすり眠りたい。

そして、もう一つの現象はギリギリまで尿意をもよおさず、気づいた時にはすごくトイレに行きたいという困った症状である。

映画や海外ドラマを見ていて物語が佳境に入ったところで尿意を感じても、そこで中断しては集中して見ている 『お買い物日記』 担当者に申し訳ないとは思うのだが、そのあと10分、15分が我慢できない。

家でのことであれば中断もできるが映画館となればそうも行かず、きっと困ったことになると予想されるので劇場での映画鑑賞は避けたほうがよさそうである。

■ 腎臓

毎年の健康診断で腎臓の数値がイマイチなので、水分補給を心がけるよう医者から注意されている。

それほど悪いわけではなく、基準値を微妙に超えたあたりをウロウロしている状態なので薬に頼ることなく済ませたいものだ。

一般的に、医者の言う補給すべき水分というのは純粋な水のことであって、コーヒーや牛乳、ジュース類は含まないと聞いたことがあるので担当医に確認してみると、とにかく液体であれば酒以外なら何でも良いとの回答だった。

酒であれば 1リットルでも 2リットルでも呑めるのに実に残念なことである。

そこで、意識的に水分を補給するように心がけて生活することにした。

目覚めに 200cc、朝昼晩の食後に 200ccの水を飲むようにしたので累計 800cc、朝食のコーヒーと牛乳で 200ccくらいなので累計 1リットル、昼食の味噌汁その他、夕食の味噌汁その他で 600ccくらいなので累計 1600ccだ。

それ以外にコーヒー200cc、お茶などを600ccは飲んでいるので累計 2200ccとなる。

それを続けていたら前回の検査で基準値内に収まったので医者の言うとおり、水分補給を心がけていれば腎臓の健康を保つことができるらしい。

ただし、そんなに水分を摂取しているから夜中にトイレで目が覚めるのかもしれないが。

自分解体新書

イジメイジメ

ここのところイジメに関する問題が各地で表面化している。

2000年頃を境に減少傾向にあると見られていたが、実は学校や教育委員会が隠ぺいしただけで実数は減っていなかったのではないだろうか。

遊びの延長だったと加害者側の子供は主張しているらしいが、ものごとには限度というものがあるだろう。

自分も知らず知らずのうちにイジメに近いことをしてしまったことはある。

ただし、暴力を振るったり金品を要求したことなど一度もないし、いわゆるパシリ的に誰かに何かを買いに行かせるとか、みんなと申し合わせて無視をしたことも一度もない。

たまたま集団で遊んでいて当人が嫌な思いをしているのを知らずにいただけだ。

中学生の頃、一人が椅子に手をついて台となり、その上に何人が重なって乗ることができるか試す遊びをしていた。

もちろん台になるのは体がごつくて力もある者が選ばれるが、マサルが支えとなって体の大きな順番に乗っていくことが多い。

そして、その内の一人は体は大きくないものの骨格がしっかりしており、力もあったので下段に選ばれることが多かったのだが、本人にすればそれが嫌だったらしいのである。

マサルや自分が体が大きいのに彼の上に乗って苦しむのを見て楽しんだりしているのであればイジメだろうが、彼のほうが自分たちより上におり、辛い思いをしているなど夢にも思わなかったし、嫌なら断れば良いだけの話だったはずだ。

10人くらいで遊んでいて、記録は 7-8人といったところだったので彼が抜けても誰も文句は言わなかっただろうし、そもそも嫌がっているとは思ってもいない。

ところが彼は体が小さいのに下から 4-5人目に選ばれることを不服に思い、それが不当な扱いであってイジメられていると感じていたのだそうだ。

それを思えば本人の自覚なしにイジメてしまっているということはあるだろう。

しかし、殴る蹴るの暴行を加えたり、ゴミや動物の死骸を口に入れさせたり金を取り上げたりするのは決して遊びの延長などではない。

高いところから飛び降りて大怪我をさせるのが楽しい遊びであるはずがない。

なぜそのような陰湿な行為をする子供が増えたのか不思議でならないが、その原因を無理にでもゲームに結びつけたがる大人が現れ、したり顔で解説していることだろう。

しかし、最近は携帯電話やスマートフォンに使う時間と金が増えたので家庭用ゲーム機関連のビジネスは停滞気味であり、因をゲームとするのは無理があるし、そもそもゲームだけが問題ではないと思われる。

殺戮を目的としたゲームも暴力的なゲームも存在するのは確かだが、それを実行してしまうとすれば痛みも知らず、死とは何かを知らなすぎることが問題だろう。

幼い子供は残酷なものであり、虫を殺すことなど意に介さない。

自分もどれだけの数のアリを踏み潰したりトンボの羽をちぎったりしたか分からないし、アリの巣や蛙の口を爆竹で破壊したこともあれば、猫は本当に高いところから落ちても足から着地するのか試そうと机の上から放り投げたこともある。

しかし、少しずつ大人になっていく過程でそれがいけないことだと分かり、無残な死を遂げる虫などを可哀想に思い、死骸を見ると嫌悪感を覚えるようになってくる。

殴られたり蹴られたりすれば痛いということは何度も喧嘩をしていれば分かることだし、殴ったほうの手が痛いことも蹴った足が痛いことも覚え、どこまでが限度で、それ以上の力を加えたらどうなってしまうのかも容易に想像がつくようになる。

そういうプロセスを経て学習することも多いのだから、虫を触ってはいけない、喧嘩するなどもってのほか、野蛮な子供とは遊ばせないなどと言っていたら、まともな子供が育つとは思えない。

ガキ大将がいて取り巻きの子供がいて、仲間が誰かにやられていたら助けに行く。

仲間のピンチはガキ大将へと情報伝達され、子供なりの暴力で問題解決に当たるという小さな社会ルールができあがるのである。

昔のような環境が整わない限り、イジメを根絶するのは不可能なのではないだろうか。

エネルギー政策エネルギー政策

先週の雑感の続きのようになってしまうが、計画停電を実施しなければならないのは再稼働した柏崎刈羽原発を除いて日本の原発がすべて停止しているからだが、そもそも原発への依存度が高すぎたからに他ならない。

なぜ原発への依存度が高いかと言えば、日本にはエネルギー資源がなく、火力発電で使用する石油、ガスを輸入に頼らなければいけないからで、急な世界情勢の変化、海路の安全確保などに問題が起こって輸入が途絶えれば途端に発電ができなくなってしまうからだ。

実際、アメリカが発効したイラン原油制裁法で、日本はイラン産の原油輸入量を減らさなければならなくなった。

核開発を進めるイラン許すまじと、原油輸出に打撃を与えて金融面から圧力を強めることを狙ったもので、イランと取り引きした金融機関をアメリカから締め出す制裁を加えるという実に傲慢な法律だが、世界最大の市場であるアメリカには逆らえない。

日本とイランの関係が悪化したわけでも戦争状態になったわけでもないのに、政治的不安定要素で原油の輸入量が減ってしまうわけだ。

今は天然ガスを売りたくて仕方がないのでロシアもニコニコしながら日本に擦り寄って来るが、依存度が高まった途端に態度が急変し、ヨーロッパで起こっているように日本に対しても気に入らないことがあればガスの供給をストップしたりすることだろう。

あの国とは北方領土問題を抱えているだけに関係は微妙だ。

アメリカでシェールガスの開発、採掘技術の飛躍的な向上が進み、天然ガス価格が半値近くまで下落しているが、自由貿易協定(FTA)締結国への輸出が優先されるとの理由から日本に多くは入ってこない。

資源のない日本にとってエネルギーは綱渡り状態となっているが、そもそも本当に日本には資源がないのだろうか。

日本近海に確認されている油田の数は30を超えるが実際に採掘しているのは北海道、新潟県、秋田県に存在する5箇所のみだし、ガス田も11箇所以上が確認されているが、実際に採掘しているのは数カ所のみだ。

また、日本の領海内にはメタンハイドレートと呼ばれる海底資源、簡単に言えば凍っているガスが使用料換算で200年分も眠っている。

それらの資源の採掘は採算が合わないという理由で放置されたり研究が進んでいなかったりするが、原油価格が以前の 4倍も 5倍もになっている現状ではビジネスになるのではないだろうか。

また、最近になって再生可能エネルギー発電に注目が集まり、風力発電、太陽光発電の建設が各地で盛んになっているが、火山大国、温泉大国の日本においては地熱発電が最も適しているのではないかと思う。

しかし、ここで厄介なのは利害関係で、地熱発電所を建設すれば温泉が枯渇するのではないかと地権や温泉権を保有する人が難色を示す。

これだけ全国に温泉地帯がありながら日本に存在する地熱発電は一か所でしかない。

地熱発電に適した候補地の多くが自然公園内にあり、自由に開発を進められないという要因もあるが、景観を維持すれば良いなど、法律を柔軟に対応させれば済む話しだろう。

大阪だか京都だかの大学は宇宙でのソーラー発電に関して画期的な技術を有しており、予算さえあればすぐにでも実現可能なのだが、国は関心を示していない。

確かに数億円規模の話しではないが、原発事故が起これば一瞬にして数兆円規模の予算を投じて事態を収拾しなければならないのだから、未来に予算を回しても良いではないか。

大雨続きで九州地方が大変なことになっているが、水害を防ぐなどという名目でダム建設や堤防の大規模修繕に莫大な予算を計上するくらいなら、ついでにダムにも発電設備、護岸工事では水力発電設備を設けるくらいのことをすべきだろう。

消費税率を上げるのであれば、福祉はもちろんのことだがエネルギー政策にも予算を回していただきたい。

日本各地に再生可能エネルギー発電の施設ができて、原油にもガスにも、そして何より原子力に頼らなくても電力需要をまかなえるようにするくらいの気概を示し、一大産業を築き上げるようなビジョンを提示して日本を率いてくれるような政治家、政党の誕生を心から願うばかりである。

計画停電計画停電

原発が停止しているので、ここ北海道でも今年は計画停電が実施される可能性があり、全体で 7%の節電が要望されている。

もちろん我が家も全面的に協力するつもりではあるが、もともと 『お買い物日記』 担当者の節電意識が高く、普段から気をつけているので更なる節電は難しい。

かなり暗くなるまで照明を点けないし、点けたとしても自分たちが必要とする最低限の明るさ、電球色のボール型蛍光灯を一か所だけ点灯して夜を過ごしている。

もちろん料理をする時はキッチンの照明も使うが、それも蛍光管が一本だけの小さなものだ。

待機電力をカットするため電子レンジや炊飯器はおろか、通電していないトースターやコーヒーメーカーまで念のためコンセントを抜いているし、テレビも主電源を切って就寝している。

パソコンもスリープ状態にせずに完全にシャットダウンしているし、CDプレーヤーもコンセントを抜くなど徹底しているつもりだ。

しかし、どうしても待機電力をカットできない機器がある。

それは HDDレコーダーであり、完全に中毒になっている海外ドラマをかなり多く録画予約している現状としては、コンセントを抜くなどできるはずがない。

独り言にも何度か書いたと思うが、この家はオール電化であるため節電には限界もある。

給湯器は深夜電力を活用して夜中に加熱しているし、調理器具は 100%電力に頼っているので毎日のご飯支度では必ず電気を使う。

電子レンジを活用して節電料理をしようにも、毎日のことであるし、それを一カ月間も続けるほど豊富なレシピはない。

つまり、我が家でできる節電は昼間のパソコンをやめることくらいだが、それでは仕事にならないので現実的ではなく、打つ手がないのが現状だ。

みんなが節電に勤しむのなら計画停電は避けられるだろうが、人は利己的なものであるから、自分が計画の対象でなければ節電などしないだろう。

計画では停電になるブロックが日にちと時間帯によって変わり、順番に当番制のように割り当てられているが、自分の住む地域が対象となっている時間帯は停電になったら困るので節電意識は高まるに違いない。

しかし、無関係な時間帯であれば気にすることなく、暑ければエアコンも使うだろうし使っていない部屋の照明も消さないのではないだろうか。

人に迷惑をかけてはいけないなどという道徳観は現代の日本人からすっかり消え去っており、自分さえ良ければ構わないという風潮が定着してしまっている。

それらのことを勘案すれば、停電は当番制ではなく実績による連帯責任にすべきで、電力供給が逼迫し、テレビやラジオ、インターネットを通じて発表して以降、最も使用料が減らなかった、つまり節電に非協力的だった地域への電力供給を止めるべきだと思う。

連帯責任となれば必死に節電するだろうし、それがどの地域になるのか分からなければ、全地域の人が節電するに違いないので、それこそ公平な役割分担と言えるのではないだろうか。

それにしても停電は避けてほしいし、停電にならずに済むことを心底願う。

停電になったら何もすることができない。

現代社会においては影響を受けない仕事、家庭など皆無であろうが、コンピュータ業界にとっては本当に致命的だ。

肝心のパソコンが動かなければ何もできない。

ノートパソコンのバッテリーをフル充電しておけば数時間の作業は可能だが、作業したところでそれをアップロードするネットが繋がらないので無意味である。

仕事にならないのでゲームでもしようかと思っても、そのゲームすらパソコンに電気が通らなければ遊ぶことができないし、ゲーム機も動作しない。

仕方ないので海外ドラマでも見ようかなどと思っても、テレビもデッキも使うことができないので不可能だ。

そうなったらスマホのゲームでもしながら時間を潰すしかないので、スマホの充電はいつも満タン近くにしておかなければならないだろう。

とにかく電気がなければ仕事も楽しみも失われてしまうのが現代なのである。

仕事ができないことも大きいが、先に述べたように、何よりも海外ドラマの予約が実行できない事態になりはしないかと恐れているのが一番だったりするのではあるが・・・。

自分解体新書 - 10 -自分解体新書 - 10 -

自分解体新書 ~目次~

■ 頭皮

今のところ髪は一定の本数を保っており、頭皮が露出するほど薄毛にはなっていないが、もしそうなった場合は9:1分けにしたりバーコード頭にしたりせず、思い切って坊主頭にするかスキンヘッドにしてしまおうと考えている。

しかし、そこで問題になるのは頭に残る傷だ。

怪我をして前頭部を 7針、側頭部を 1針、後頭部を 3針縫っているのでキズたらけのズタズタ状態なのである。

ただでさえスキンヘッドにすると周りの人から怖がられる危険性をはらんでいるのに、それに輪をかけて傷だらけの頭皮となると危険性は増すばかりかも知れない。

確かにヤンチャ小僧だった頃に負ったキズもあるので仕方ないような気もしないでもないが、どうしたものかちょっと悩みどころだ。

■ 肌 -その 2-

敏感肌なのは相変わらずであり、それはずっと以前からのことである。

これから夏本番になるが、大阪で暮らした十数年間の夏は本当に辛かった。

いくらシャワーで洗い流そうと、浴室から出た途端に暑さが襲ってくるので一瞬にして汗まみれになってしまい、体のアチラコチラに痒みをを覚える。

それが続くとプツプツと発疹が現れ、寝ても覚めても痒みは治まってくれない。

梅雨の終わりから彼岸を過ぎて少し涼しくなるまで痒みとの戦いは続く。

就寝前には身体中にベビーパウダーを塗布し、全身真っ白になって床につくのが日課となるが、それでも夜中に暑さと痒さで目が覚めてしまう。

あの暑さと汗の量であれば、肌が弱かろうと強かろうと汗疹もできれば痒みも出るかもしれないが、とにかく辛かったことを本格的な夏が来る前に思い出したりしている。

■ のど -その 2-

タバコをやめてからはタンが絡まなくなった。

以前はかなり短い間隔で咳払いをしており、人からは機嫌が悪いのかと思われがちだったが、今はほとんどすることがなくなったように思う。

お買い物日記』 担当者の病気をきっかけに禁煙を始めて もうすぐ丸四年になるが、タンが絡まなくなったのは実に喜ばしいことで、人に不快な思いをさせないで済むのもありがたいことだ。

後に聞いた話だが、仕事中も無意識に咳払いをしていたようで、女性社員は怯えていたという。

私語をしていて笑ったりするタイミングと咳払いが重なると、私語を注意されているか、それが気に入らなくて咳払いをしていると受け止めていたらしい。

度が過ぎると問題ではあるが、たまの私語など気にもしないし、笑い声も職場が明るくなるので悪くはないと思っているので気に入らなくて咳払いをしたことなど一度もないはずだ。

それでも人に良くない印象を与えてしまうのであれば咳払いなど止めたほうが良いに決まっているが、無意識だったので注意のしようもなかった。

それが今、禁煙によって回数が大幅に減ったのは喜ばしいことだ。

ただし、今は一人で仕事をしているので周りを気遣う必要もなく、恩恵をうけられないのだが。

自分解体新書

記憶 Memory-11記憶 Memory-11

過去の記憶

過去の記憶をたどると様々なことを覚えており、むしろ数日前の食事内容とか数年前の旅の思い出よりも鮮明だったりするのはオッサン化が進んだ証しなのかも知れない。

小さい頃の記憶は確かにあるが、小中高と通学に関する明確な記憶が無いのはなぜなのか。

通学の道のり、景色も記憶に刻まれてはいるのだが、とくに登校時の記憶がほとんどと言っていいくらい残っていない。

三歳の時に住み始めた家は農業を営まれていた方から譲って頂いた土地に建てたので、周りは一面の畑と田んぼで他に家などなく、当然のことながら隣近所などというものもないので誰かと一緒に登校することもなく、行きはいつも一人だったはずだ。

毎朝どうやって学校までたどりついたのか、小学校から高校まで覚えていないというか、何も心に残っていないのである。

下校になれば、もちろん道草をして叱られた記憶もあれば、友達と笑い転げながら歩いた記憶、無意味に石を蹴り続け、先にやめるのが悔しくてムキになった記憶もある。

小学校の時はずっと仲良くしていたキミヒコと一緒に帰ることが多かったし、男子も女子もなく数人が入り乱れてワイワイ言いながら帰ることも多かった。

歩道の縁石の上をずっと歩いたり、冬は除雪で積まれた雪の上を歩いて帰ったりしたものだ。

中学生になれば真っ直ぐ家になど帰らず街なかをうろついたり喫茶店に寄ったりもしたし、友達の家に寄ったり、不良仲間と遊んだりしてから帰宅した。

途中までマサルと帰ることも多く、今となっては何を話していたのかも覚えていないが何だかんだと喋ったり大笑いしながら下校した記憶が残っている。

しかしながら登校時の記憶はどの学年を通じても明確ではない。

そして、その中でも特に不思議に思うのは雨の日の通学だ。

毎日の通学では雨の日もあるのが当然で、小学校の低学年であればカッパを着せられて通学したかもしれないが、高学年以上になれば傘をさしていはずなのに、その記憶が皆無なのである。

いったい何色の傘を持っていたのか、帰りにその傘を持って帰宅したのか。

そもそも学校のどこに傘を置く場所があったのか。

玄関に傘立てがあった記憶はないし、下駄箱はあってもロッカーなどはなく、教室にも傘を置いておくような設備があった覚えはない。

そして、自宅でも傘はどこに置かれていたのだろう。

もしかすると折りたたみ式の傘を使い、家でも学校でもカバンの中に入れっぱなしにしていたのだろうか。

そうでなければ突然の雨でびしょ濡れになって帰ることも多かったはずだが、全身が雨に濡れて帰宅した記憶など 1、2度しかない。

つまり、天候が急変しても対応できていたということであり、それが可能なのは常に傘を携帯していたからなのではないか。

推測から導き出される結論は折りたたみ式の傘が常にカバンに入っていたということになるが、例えそうだったとしても、いったいそれは何色でどんな柄の傘だったのだろう。

それに関して一切の記憶がないのが不思議でならない。

記憶

海外ドラマ海外ドラマ

いつも海外ドラマを見ているが、そこでいつも疑問に思うのは役者さんの演技力がいかほどのものなのかという点だ。

見ているドラマはサスペンス系が多いのだが、つい 5分前まで善良な市民だった人が手のひらを返したように悪人へと変貌を遂げる。

今まで被害者であるかのように動揺し、さめざめと泣き、ひとりでなど生きて行けないようなタイプに見えた人が、もの凄く冷淡かつ残虐に人を殺害していたりする。

日本のドラマであれば、視線を合わせないとか目が泳いでいるとか言動が怪しいなど、どう考えても怪しかったりする登場人物がいるし、多くの場合はそれが犯人だったりするものだ。

ろくに英語が分からず、微妙なニュアンスなど分かるはずもないので言動の怪しさが伝わってこないのか、文化の違いから態度を見ても怪しさが分からないのか。

堂々とした態度で正面から目を見据え、視線をはずすことなくオーバーアクションで自分が犯人ではないと訴える姿からは犯人らしさが伝わってこない。

これは言語と文化の違いによるもので、アメリカ人や英語が堪能な人であればドラマを見ていて、こいつは怪しいなどと思うのだろうか。

もちろん犯人が犯人らしく、いかにもおどおどしていて最初から怪しいという登場人物もいるが、全体的には決定的な証拠を突き付けられるまで自信に満ち溢れた態度で、最後にそれが急変するというパターンが多いような気がする。

もう一つ想うのは、権利の主張に関してだ。

取り調べを受ける人、つまりは容疑者が常に権利を主張する。

誰かに危害を加えても身を守る権利、家族を守る権利を言い出し、あたかも正当防衛であるとか復讐するのが当然かのように主張する。

日本人にはそれができず、単なる言い訳とか同情を引きたいがための浪花節的せりふまわしになることが多く、堂々と罪を犯した理由など説明することはない。

確かに当然の権利ではあるが、警察に呼ばれて取調室に入るやいなや弁護士の同席を要求したりするのは毎度のパターンだ。

複数犯の場合、共犯者の情報を提供するかわりに減刑を要求するなど司法取引も日常茶飯事で、そんなだいそれたことをしたのに刑を軽くして良いものかと、見ているこちらが憤りを感じてしまうことも多い。

個人主義と組織の合理主義が微妙なバランスで作用し、お互いに徳があるから取引するのだろうが、被害者やその家族は減刑を不快に想うだろう。

そして、アメリカ人は自分がどんな生活をしていようと犯罪者であろうと子供に会う権利があると主張し、子供を引き取って育てている側がどんなに嫌がろうと姿を現したりする。

自分がどんな立場にあろうと会いたいものは会いたい、そして自分にはその権利があると主張してはばからない。

これが日本人なら
「子供に合わす顔がねぇ」
「こんな自分の姿をわが子に見せるわけにはいかねぇ」
と考え、
「陰からそっと見守っていきまっさ」
ということになるだろう。

そんな浪花節的なせりふが飛び交う典型的な日本のドラマを見て育ってきたので海外ドラマには違和感を覚えてしまうのも当然なのかもしれないが。

色々なところで違和感を覚えつつも海外ドラマは面白く、次から次へと録画して見まくっており、今では日本のドラマを見ることは一切なくなってしまった。

また CS放送の来月の予定が届く時期が近づいてきた。

面白そうなドラマが始まらないかとワクワクしたりしている今日この頃である。

スカパー!e2スカパー!e2

スカパーに加入して約2年半、海外ドラマを録画しまくり、気になる映画を録画しまくり、気になるアーティストのミュージックビデオやライブ映像を録画しまくったりしている上に仕事中は音楽番組の音だけを流して BGMとしているほど完全に満喫している。

あまりにも録画しすぎたため、DVDへのダビングが忙しいのに加えて録画済みメディアが増える一方で、このままでは保管場所にも困ってしまう事態に至りそうになったので録画する機器をDVDレコーダーからBD(ブルーレイディスク)レコーダーに変更することにした。

BDは DVDの約 6倍ほどの容量があるため、画質を気にしなければ 1シーズン 24話くらいの海外ドラマを一枚のディスクに録画することができるので頻繁にダビングする必要もなければ保管場所に困ることもないだろう。

スカパーはデジタルテレビを受信できる機器に挿入されている B-CASのコードで管理されているので今まで DVDに挿していたカードと BDのカードを入れ替えて使う必要がある。

今までも何度か BDで録画する必要があって B-CASを差し替えたことがあるので、いつもの通り気楽に交換したのだが、スカパーの特定のチャンネルの映りが極端に劣化してしまった。

それも悪いことに、いつも録画している海外ドラマが放送されているチャンネルで、こともあろうか依存度の高い 2つのチャンネルが揃って映らなくなってしまったのである。

最初はデジタル放送に特有のデジタルノイズが現れ、画像がモザイク状の四角いタイルパターンで埋め尽くされたようになることが一定間隔で起こる程度だったが、ある日を境に受信電波が弱い場合に表示される E201とか 202エラーとなって受信そのものができなくなってしまった。

過去にも BS、CSでデジタルノイズが出るようになったことがあったが、それはアンテナの傾きが原因だったと判明している。

屋根に上げたアンテナを四方からワイヤーで引っ張って固定していたのだが、強風とか雪の重みなどで何度も角度が変わってしまい、その度に電気屋さんを呼んで直してもらっていたものだ。

あまりにも同じことが繰り返されるのに嫌気がさし、アンテナの固定方法を変更して屋根の側面からポールを立ててアンテナを固定するようにしたところ、その後は風や雪で角度や方向が変わることもなくなった。

そう言えば画像が乱れる数日前、北海道では台風並みの低気圧が通過し、暴風雨による交通障害が発生したほど空が荒れ狂ったことがあったので、強固にしたはずのアンテナも傾いてしまったのだろうか。

お買い物日記』 担当者は裏の家で行われていた工事の振動が原因でアンテナが傾いたのではないかという大胆な推理を展開したりしている。

しかし、アンテナが原因であった場合、すべてのチャンネルの受信状態に影響をおよぼすはずであり、特定のチャンネルだけ受信できないなどということがあるとは思えない。

だとすれば、B-CASを何度も抜き差ししたことで接触不良を起こし、BDレコーダーが使い物にならなくなってしまったということか。

いや、もしかするとスカパー側で何かが起こっており、我が家のみならず契約している全世帯で発生している大規模な障害かも知れない。

BDレコーダーのメーカーであるシャープ、アンテナを設置してくれた電気屋さん、そしてスカパーのどこに問い合わせたら良いものかとしばし悩んだ。

電気屋さんは過去に何度も来てもらっており、もしアンテナが原因でなかったら申し訳ないし、B-CASを何度も入れ替えたことが原因かもしれないという負い目があるのでシャープに問い合わせるのも気が引けるという、実に消極的な消去法で残ったスカパーに問い合わることにした。

最初に対応してくれた女性はとても親切で、こちらの状況を親身になって聞いてくれ、的確な質問で原因を探ってくれたのだが、先方が指定したチャンネルは綺麗に映っているし、その他のチャンネルの受信状態にも問題はなく、よりによって我が家が重要視しているチャンネルだけが映らないという最悪の状態は改善しない。

もしかするとアンテナかもしれないという結論に達しそうになったが、念のためということで技術関係の部署に電話を回してくれた。

電話に出た男性も感じの良い人で、細かく状況を聞き取りしてくれた後で、ごく限られた周波数帯のみの受信状態が悪いのはアンテナよりも機器の故障かノイズが原因であろうと当たりをつけ、ノイズであれば自身での改善が可能なのでアンテナケーブルのコネクタをアルミホイルで覆うなどしてみてほしいと言う。

とりあえず原因はスカパーにあるのではなく、またアンテナの可能性も低いのでまずはノイズ対策、それでも改善しない場合は BDのメーカーへ連絡することを提案された。

言われた通り、まずはノイズを疑ってテレビの背面を見てみると、テレビ本体、DVDレコーダー、BDレコーダー、オーディオラック、ゲーム機など多数の機器を中継して超タコ足配線になった電源タップが目に入り、そこに存在感のあるゴロンと大きな ACアダプターが刺さっている。

もしやと思って電源タップを動かしてみると明らかに映りが変化し、テレビからなるべく遠ざけるとデジタルノイズはスッキリと消え去り、美しい映像が映しだされた。

原因は電源タップ、それもたぶん、ある機器の ACアダプターが発するノイズであり、それが特定の周波数と干渉していたものと思われる。

愛想のないサポートであれば、原因が自社にないと分かったら一刻も早く電話を切ろうとするか、他の原因など考えてもくれなかったに違いない。

しかし、スカパーのサポートは懇切丁寧に対応してくれ、他の可能性を探るべく他部署にまで電話を回してくれた上、様々な可能性を提示してくれた。

最初に電話したのがシャープでも電気屋さんでもなく、スカパーであって本当に良かったと心から感謝している次第である。

情報の信頼性情報の信頼性

『食べログ問題』 と言われるネット上でのクチコミ、ヤラセが問題化したのは数カ月前のことであり、消費者庁がそれを景品表示法に抵触するため違法という判断を示したのは先月のことだ。

クチコミ代行業者が事実と異なる書き込みをすることは好ましくないとの判断だが、店関係者が客になりすまして自分の店のことを良く評価するなどいうのは常套手段であり、近年のクチコミ情報サイトに限らず、たとえば当サイトの掲示板(すでに閉鎖)にすら宣伝まがいの高評価を投稿する店関係者はいた。

情報の伝達には IPアドレスという、いわゆる識別番号が含まれ、投稿された文章の見えない部分にもそれが埋め込まれているのだが、管理者はそれを読み取ることができ、どこの誰かはもちろん分からないが、この投稿とあの投稿は同一人物のものであるということは識別できるようになっている。

掲示板の書き込みで、あたかも複数の人が特定の店を高評価しているような投稿をしたように見えても、実はIPアドレスが同一、つまり一人で複数のハンドルネームを使って投稿していたりすることが度々あった。

目に余るほどひどい場合は削除していたが、2-3の投稿であれば営業努力と解釈して放置するものの、その内容は 『くちコミ情報』 に記載しないよう配慮するなど、できるだけ信頼性が高くなるよう努めていたつもりである。

しかし、このサイト程度の情報量であれば管理が容易でも、世にあるクチコミ情報サイトのような規模になれば管理が難しいので、なりすましや重複投稿を規制するのも困難だろう。

もちろんシステム的に同一のIPアドレスから同一の店に対して複数の投稿を禁ずることは可能だが、同じような文章であろうとも複数の店に対しての投稿であればチェックは難しいし、それを実現するためには膨大な処理が必要になってしまってシステムへの負荷が大きい。

あたかもクチコミ情報のように見せかけているが、実は宣伝目的で流す情報のことをステルスマーケティング、略してステマと言い、一定以上の効果や成果を得やすいものの、それがステマだと気づかれると反感を買って逆効果を生むというリスクも大きいので細心の注意が必要だ。

しかし、今日現在ではステマが横行しており、クチコミ情報サイトのみならず、世の中の掲示板、ブログ、TwitterFacebookGoogle+など、ありとあらゆる場所で隠れながら、こっそりと、隠密なる宣伝活動が行われている。

Facebook は原則本名での登録となっているが、あくまでも原則であり、偽名だろうとなんだろうと登録可能であるし、たとえ本名であろうと企業から依頼されて特定の商品や店を褒めちぎる文章を掲載して対価を得るなどという行為を規制することはできない。

つまり、どんな手段をもってしてもステマを封じ込めたり規制したりすることは不可能であり、その手の情報は店や商品を選ぶ際の参考程度にしかならず、決定するための貴重な情報源には成り得ないと思われる。

どんなに便利な時代になろうとも、どんなに情報が入手しやすい時代になろうとも、やはり一度は味わってみたり使ってみなければ本当のところは分からないだろう。

デジタルでバーチャルな世界ではなく、リアルな体験こそ一番である。