日本人の悪い癖

先週の雑感で日本人は世界から賞賛される国民性だと書いたが、今も余震に襲われている熊本県で空き巣や事務所荒らしが少なからず発生していることを後のニュースで知った。

すべてが善人ということではないのは確かだが、それでも発生件数は極めて低いし、水や食料を奪い合って争うこともなければ暴動が起こることもないのは、やはり誇れることだと思う。

だからと言って誰もが住み良い社会かと聞かれれば決してそんなことはないだろう。

日本人には古来から伝わる独特の『間(ま)』というものがあり、生まれながらにして日本で生活している人には自然に身についているであろうが、海外の人には理解できないことも多いに違いない。

例えば金銭に関して言えば冠婚葬祭で包む金額などは、年齢だったり立場だったり相手との関わり度合いだったり、様々な条件が加味されて導き出される。

若い人が、あまり関わり合いのない人のために大金を出すと思いっきり引かれるだろうし、一定の年齢で一定以上の立場にありながら包む金額が少ないとちょっと軽蔑されてしまう。

タクシー代や食事代など、払う払わない、ここは私が・・・などという会話もよく見られるが、その引き際も難しい。

やはり何度かの押し問答があって折れるタイミングを絶妙に見計らうことが暗に望まれ、
「ここは私が」
「ああ、そうですか」
という訳にはいかないという実に面倒な国民だ。

有名な話としては京都に古くから伝わる独特の作法、『ぶぶ漬け食べなはれ』がある。

他人の家を訪問した際に
「ぶぶ漬けでもいかがどすか」
と勧められたりした場合、たいていは暗にもうそろそろ帰ってほしいと帰宅を催促しているのであって、決して善意からではないので、そこで
「ありがとうございます、ちょうど腹が減ってきたところで」
などと言おうものなら先祖から孫子の代まで悪く言われること必至だ。

それらすべては
「空気読め」
という言葉に集約されるだろうが、海外の人には無理な話である。

そもそも空気を読み、察した状況判断に基づき行動できるのは日本人くらいなものだろう。

それゆえに海外の人から見ると意見をはっきり言わないと思われてしまう。

帰ってほしいとか、自分はやりたくないとか、そう言われると気分が悪いとか、相手にもっとこうしてほしいとか、それはしてほしくないなどなど、言ってしまうと
「ずけずけと物を言う人」
「自分勝手な人」
「自己主張の強い人」
「わがままな人」
などの評価をされてしまうのではないかと思ってしまう。

古来から、そういう自分を見せないのが美徳とされていたので急には変われないし、そもそも
「これからの日本人はそうしましょう」
と誰かが号令をかけて一斉に意識改革しないと一人だけ浮いてしまう危険性が高い。

これも日本人の悪い癖で、料理でも菓子でも大皿に残った最後の一個になかなか手を出さないものだ。

若いころ、そんな状況の時に
「はいはい、日本人の悪い癖!」
と言いながら必ず最後の一個を食べる友人がいたが、そんな彼を誰も疎ましく思わず、むしろ気まずい雰囲気を打破してくれると好感を持たれていた。

年間の外国人観光客数が 2000万人を突破するのが確実となった今、そんな些細な日本文化をも楽しんだりする人がいるかもしれないが、そろそろ日本人も変わる時なのかもしれない。