大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

2011年大阪の旅 -1-

その旅は最初から幸運に恵まれたものだった。

となりのお店には事前に旅行のことを伝えることができていたが、ワンプの住む反対隣りのお宅には詳しい日程などを話せておらず、電車に乗ってから携帯電話のメールで知らせようかと 『お買い物日記』 担当者と話していたところ、家を出ると隣の奥さんも外におり、タイミング良く事情を説明することができたばかりか、車で JRの駅まで送ってくれるという。

駅までの道のりは、普段の散歩を考えると何の苦も無く歩ける距離であるため、天気さえ悪くなければいつもテクテクとキャスター付きの旅行カバンを引きながら駅に向かっているのだが、送っていただけるのならそれに越したことはない。

その前日まで苦しんでいた 『お買い物日記』 担当者の頭痛も 80%程度まで回復し、旅に差し障りのないくらいまで元気に復活したのも幸運だった。

独り言にも書いたように、初日は新千歳空港までの移動なので少し頭痛の残る 『お買い物日記』 担当者の負担も軽い。

神戸空港に向かう便が朝の 8:00発であり、その前にチェックイン、搭乗手続きの全てを終わらせようとすると 7:00には空港に着かねばならず、どう頑張っても当日の移動は無理なので前日に到着しておく必要があったのである。

空港に到着して長兄夫妻と合流し、食事の前に大阪でお会いする方々へのおみやげを購入。

何せ自分が仕事関係でお会いする人、『お買い物日記』 担当者が会いに行く人たちを合わせると相当な人数になるので、購入するみやげの数も大量になってしまい、念のために持参した大きめのバッグがパンパンに膨らんでしまった。

その後に食事を済ませ、翌日は朝が早いので早々に部屋に戻る。

一夜明け、バタバタとホテルをチェックアウトして搭乗手続きに向かったが、今は QRコードと呼ばれる二次元バーコードで全てが管理されているらしく、以前のようなチケットらしいチケット、ちょっと厚い紙のような樹脂のような、それっぽいものは存在せず、単にプリンターで印刷した A4の紙の隅のほうにある QRコードがすべてだ。

その紙も事前に旅行会社から受け取った書類の中に含まれているのでカウンターで発券してもらうとか、そういう手続が一切無い。

その紙を持ってスキャナー部分に QRコードをかざし、「ピロリン」 と認証されて手荷物検査を通過し、飛行機に乗り込む前も QRコードで 「ピロリン」 とゲートを通過するだけだ。

今回は紙だったが、携帯電話からチケット予約などすればメールでQRコードが送られてくるらしく、携帯電話をスキャナーにかざして通過している人が何人もいた。

とても便利な世の中になったと思う反面、ちょっと味気ない気がしてしまうのはオッサン化が進んだ証拠か。

飛行中、機体がひどく揺れることもなく、安定した状態で神戸空港に到着。

まずは三ノ宮まで移動するためポートライナーに乗り込み、先頭車両の最前部の席を陣取ってちょっと運転手気分。

JRに乗り換え、新快速で一気に大阪駅まで。

会社勤めしていた頃は毎日利用した駅なので懐かしさが込み上げてくるかと思いきや、改修工事がなされて中は様変わりしてしており、初めて見る光景だった。

宿泊先は第一ホテル、つまりは丸ビルであり、その外観を見たときはさすがに少し懐かしい感じがした。

ホテルではチェックインする時間には程遠かったが、大荷物で京都に行くのも大変なので今日の宿泊客であることを告げて荷物を預かってもらうことに。

ちょっと身軽になって再び大阪駅に行き、新快速で一気に京都。

京都駅でタクシーに乗ったのだが、その運転手さんはプロだけが知っているような、車もすれ違えない細い細い裏道をビュンビュンと通り抜けて行く。

北海道のようなおおらかな土地で、とても広い道幅を走る優良ドライバーである長兄は、運転手さんの隣の助手席でカチカチに固まっていた。

狭い道路を 40キロ前後で走り、前と接触するのではないかというくらいの狭い車間距離しか保たない関西人の運転は恐怖だったらしい。

お寺の前で車を降り、直ぐ目の前にある蕎麦屋さんで昼食。

ここは過去に何度も入った店で、その味はさすがに懐かしい気がした。

無事に法事も終わり、ぶらっと茶わん坂を歩いて目についた喫茶店で休憩。

帰り道では雑誌か何かの撮影で、舞妓さんがモデルとなっていたので便乗してパチリ。

何度も京都に行ったが、こんなに近くで舞妓さんを見るのは初めてであり、そのタイミングで偶然にも通りかかったのも幸運だった。

何だかんだとしている間に、すっかり夕方になったので京都観光をすることもなく新快速で再び大阪駅まで一気に進み、ホテルのチェックインを済ませて一休みし、丸ビルの地下にある居酒屋さんで呑み食いして一日が終わった。

2011年大阪の旅 -2- に続く。

自分解体新書 - 4 -

自分解体新書 ~目次~

■ 脳 – その2 –

以前、会社勤めをしていたころは毎日スーツを着用し、ネクタイもしていた。

毎日、毎日、来る日も来る日も、年間 250日くらいネクタイを締め続けていたのだが、どういう訳だか数年に一度か二度くらいの割合で、毎日しているはずのネクタイの締め方が分からなくなることがあった。

どうやったらネクタイが結べるのか、何度やり直しても思い出せない。

会社に行く時間は迫り、どうやってもネクタイが結べず、焦りが頂点に達して冷や汗が流れる。

まるで自分が記憶喪失にでもなったような、得も知れぬ不安感、恐怖感に襲われる。

そんなことは自分にしか起こらないのではないかと不安にも思っていたが、世の男性陣の複数人に確認したところ、やはり同じような体験をしている人が多かったので少し安心したりしたものだ。

あの時、脳の中では何が起こっているのだろう。

いや、脳ではなく神経で何かが起こっているのか。

加齢が原因かといえばそうでもないらしく、それは 20代でも 30代でも起こるものらしい。

■ 脳 – その3 –

しかし、確実に記憶力は衰えてきている。

さっき食べた昼飯の内容が思い出せなかったりすることなど日常茶飯事だ。

お買い物日記』 担当者に訊いても記憶力の低下具合は似たようなもので、二人揃って腕組みをしながら 「う~む」 と考え込む事態に発展してしまう。

これは加齢が原因であり、誰にも起こる自然なことである。

いつかのテレビで、どこだかのお医者さんがこう言っていた。
「何を食べたかを忘れるのは誰にでも起こること」
「問題なのは食べたことすら忘れてしまうこと」

そう、少なくとも朝、昼、晩の食事をしたか否かくらいは覚えているので少々の記憶力低下くらいは甘んじて受け入れなければいけないのだろう。

■ 鼻

相変わらず慢性的に鼻炎は続いている。

鼻炎用の点鼻薬はかかせないし、就寝前にはヴィックスヴェポラップを鼻の周りに塗っているのも相変わらずだ。

掃除機でホコリが舞えば鼻も目もグシュグシュになるし、風邪気味になれば一発で鼻に来る。

こんな体質で花粉症になっていないのが不思議なくらいだ。

しかし、その割に嗅覚に問題はないらしく、散歩中に漂ってくる香りを嗅ぎ分け、
「味噌汁を作っているらしい」
とか
「玉子焼きの臭いだ」
「サバを焼いている」
「白身魚のフライを揚げている」
などと 『お買い物日記』 担当者と話し、腹をグーグーいわせている。

スーパーの近くを通れば惣菜の煮物やらミートボールやら中華のあんかけ系の匂いやらがしてきて野生に返りそうになるが、『お買い物日記』 担当者が一番に反応するのはミスタードーナツの仕込みの匂いだ。

賞味期限に関わらず、まだ食べられるか否かの判断を下すくらいの嗅覚は慢性鼻炎であっても備わっているので、今のところ問題なく生活できている。

おもてなしの心

日本人はなんて優しいんだろうと思う。

以前は韓国や中国に買い物ツアーに出かけていた日本は、経済規模で逆転されて逆に観光客を向かい入れる立場になっている。

日本人は変化を好まないとか言われるが、明治維新、敗戦を経て日本文化など失ってしまったに等しいくらいの変貌を遂げたのも日本人だ。

立場が逆転しても、したたかにビジネスチャンスを伺うたくましさをも持つ。

そこで発揮されるのが 『おもてなしの心』。

中国人の観光客が増えれば必死に中国語を勉強する。

アメリカ人の観光客が増えたら必死に英語を勉強する。

観光案内から店内のPOP、飲食店のメニューも日本語、英語、韓国語、中国語を併記してお客さんが困らないように気を配る。

2002年ワールドカップでカメルーンの準備キャンプ地となったからといって、中津江村の人たちは必死に公用語であるフランス語を勉強した。

全世界を見渡してみても、相手国の言語でコミュニケーションを図ろうとする民族が住む土地など皆無に近いだろう。

日本人が来るからといって必死に日本語を勉強する国がどこにあろうか。

余程のリゾート地ではない限り、日本語が通じるところなどない。

仕事や遊びで若い頃は海外に出かけたが、宿泊施設や商業施設、観光案内、飲食店など日本語の通じる場所などありはしない。

日本人はアメリカに行けば必死に英語を使おうとするし、韓国旅行に行っても店に入れば韓国語で注文しようとするし、中国に行ってもそれは同じだろう。

相手の国に寄せてもらっているのだから当然だと考える。

ところが、アメリカ人にしても中国人、韓国人にしても、日本に来ているのに自分たちの国の言葉を平気で使う。

自分の国の言葉で問いかけ、自分の言語で文句を言う。

それに対して必死になって相手国の言葉で応対しようとする日本人。

アメリカ人など日本に来ているのに英語で話しかけてきて、こちらが分からないと
「なぁ~んだ、英語もしゃべれないのか」
といった仕草をするが、ほぼ世界共通語になりかけている英語圏の人がそうするのは悔しいけれど一定の理解はすることができる。

韓国とか中国からの観光客が同じようにするのは理解できないが、そうされても言葉がわからないことを申し訳なくすら思う日本人は、なんて優しく、なんて小心者なのだろうと思う。

自己主張が苦手だったり、相手の気持をおもんばかることを優先してしまう日本人は、尖閣諸島、北方領土問題の解決、ビジネスシーンでは実に不利であることは間違いない。

しかし、そんな国民性を少しだけ誇りに思うのも事実だ。

日本流のおもてなしで気分を害する観光客はいないだろうし、そういう接客で気分を害する人もいないものと思われる。

つまり、それこそが日本流、日本式のビジネスモデルでもある訳だ。

どんどん観光客が増え、日本のおもてなしの心がクチコミで世界に広まれば、客が客を呼ぶという好循環が生まれる。

そして、その接客術はジャパンモデルのサービス業としてノウハウを輸出することもできるだろう。

時代や環境、立場が変わって初めて気づくこともある。

日本は製造業主体からサービス業主体へと変わる必要があるかも知れない。

マサルノコト scene 28

マサルノコト目次

一月最終の土曜日だが、やはり今年もマサルからの年賀状は届かなかった。

昨年末、年賀状の準備をしていたとき、さすがにもうマサル宛に出すのはやめようかとも思ったが、ここまで来たらこちらも意地になってしまい、こうなったら最後の最後まで出し続けてやろうと思い直して発送してやった。

宛先不明で帰って来ないところをみると今でも東京に住んでいるのだろうが、何年も会っていないどころか電話すらしていないので正確なところは不明である。

しかし、『便りのないのは無事の知らせ』 という言葉もある通り、急な連絡がない限りは元気に暮らしていることだろう。

今は音信不通に近い状態となっているが、今から何年も前、数カ月間に渡って毎日電話で話をしていた時期がある。

それは互いに話好きで電話していた訳でもマサルから電話してきたわけでもなく、自分の一方的な都合で電話をし、それにマサルが付き合ってくれていたという実に迷惑千万な事情だ。

その時期、自分は精神的に追い詰められ、かなり大きなダメージを負っていた。

食事もノドを通らず、夜も眠れず、酒を呑んでも酔えない地獄のような日々だった。

一人で考え込むと負のスパイラルにはまり込み、冷え冷えとする冬の夜など超マイナス思考に陥って [ 暗い ] → [ 寒い ] → [ ひもじい ] → [ もう死にたい ] という典型的な負の段階論に進みそうになってしまう。

そんな時、何とか踏みとどまって負のスパイラルを断ち切れたのは、マサルが親身になって話を聞いてくれたおかげである。

何とも身勝手な話ではあるが、マサルと話をしながら酒を呑んでいると気が紛れて落ち着きを取り戻し、少し酔いが回ってくると食べ物がノドを通るようになり、腹が満たされて酔いが深くなると眠れるようになる。

くる日もくる日も、夜中の 2時くらいまで話し、酒に酔って寝る毎日。

マサルだって仕事があるのに毎晩つきあってくれた。

マサルの仕事も時間が不規則で帰宅していないこともあったが、留守電にメッセージを残しておくと必ず電話をしてくれた。

タイミング悪く入浴中のこともあったが、それが終わると電話をくれた。

当時は電話会社間の競争もなく、NTTの独占事業だったので長距離電話の通話料金は今と比較して驚くほど高かったのにマサルの方から電話をしてくれた。

普通であれば、「いい加減にしろっ!!」 と叱られても仕方ないほどワガママで身勝手なことをして、一方的にマサルに迷惑をかけているのに気が済むまでとことん付き合ってくれた。

以前に書いた学生時代の恩も合わせ、色々な意味での恩人なのである。

自分はといえばマサルの恩情と共に時間の経過が傷を癒してくれたおかげですっかり元気なり、そこまでの恩がありながら、せっかく遠くから遊びに来てくれたマサルをなかなか家に入れてやらなかったり、憎まれ口をたたいたりして何事もなかったように勝手なことをしていたりする、実にどうしようもない奴だったりするのである。

健康診断2011年1月 後編

先週からの続き ~

検査室に入ると左右の鼻に麻酔薬を噴霧され、
「ノドに流れるのは飲み込んでください」
と言われるままにゴックンと飲むと、その液体には強い刺激があったのでゲホゲホとむせ返ってしまい、それが口に逆流すると得も言われぬ味がしてひどく気持ちが悪く
「オエっ」
となっているところに情け容赦なく
「はい、もう一度」
と噴霧されるというSMのような光景。

そのまま数分間ほど放置されると、だんだんノドの感覚を失って唾液を飲み込むことすら困難になってくる。

たぶん飲み込めてはいるのだろうが、何せ感覚がないので自分のノドが動いていることも分からなければ唾液が通過した感覚もない。

そして、
「もう一度入れますね~」
と、さらに麻酔薬を噴霧されて再びゲホゲホむせる。

それから数分後、ついに検査医が登場し、胃カメラの先に滑りを良くするジェルを塗りながら
「口からのものより細い分、内部を撮影できる範囲が狭いので時間がかかります」
などとぬかす。

そんな話は聞いていないが、今さら
「こちとら気が短けーんだから口からにしてくんな」
などとも言えないので了承の返事をしようとしたところ、麻酔でノドが麻痺していて声帯までアホになているのか、『はい』と言うつもりが
「はひ」
と声が裏返ってしまう。

いよいよカメラの先が顔に近づき鼻の穴に挿入開始。

最初は簡単に進んだが鼻の奥からノドに差しかかるとき、麻酔が効いているのにもかかわらず痛みを感じるほどの違和感が続く。

あえて言うなら、鼻から水が入ってしまったときにツーンとする 16倍くらいの痛みだ。

そしてノドを通過する際にはやはり嘔吐感があり、
「オ゛エ゛ェェェ」
となってしまう。

看護師さんと検査医に
「ここが一番辛いところですからね~、がんばってくださいね~」
と励まされ、やっとの思いで危機を乗り越える。

確かにそこから先はスムーズで、カメラは一気に胃まで到達したようだ。

空気を送り込まれて胃が膨らんだりするのは前回と同じだが、ゲップのようにボコボコとノドを上がってこないのは管が細いおかげか。

検査医は手元の操作でカメラの位置とか角度を調整しているが、体内で何かが動く感覚というのは決して気持ちの良いものではない。

一通りの撮影が終わり、ズリズリと管を引きぬいて検査は終了。

最後にスポっと鼻の穴からカメラが出ると、ジェルなんだか鼻水なんだか分からないものがダラダラと流れ出るのでティッシュで必至に拭きとる。

医師の説明によると、ポリープの形状、色とも前回と大差なく、良性のまま癌化はしていないので大丈夫とのことで、腸との境目と食道の境目に炎症と突起がみられるものの、これは慢性胃炎であれば誰でもおこる現象なので心配はいらないと説明を受ける。

しかし、自覚症状などなかったので
「慢性胃炎なんですか?」
と聞いたところ、
「まあ、日本人の 90%くらいは無自覚の慢性胃炎ですから」
とのことなので少し安心する。

「経過は問題ありませんでしたけど、定期的に検査しましょう」
と言い渡されてしまったので、また来年も胃カメラ確定である。

健康診断をしている場所に戻り、最後は爺ちゃん医師による面談と触診だ。

血圧を測定すると上が 90の下が 72と低く、
「フラフラしないか?」
と訊かれてしまった。

実は以前から低血圧気味なのは指摘されており、たまにフラフラすることはあったが、その時は気にならなかったので
「大丈夫でふ」
と、まだ麻酔が効いて感覚のにぶいノドで答えておいた。

次に聴診器を当てての診断だが、胸の音を聴かれているときに脇腹がかゆくなり、コリコリっとかくと聴診器には大音響として聞こえるらしく、
「ちょっとかかないでいてね」
と言われてしまったが、背中の音を聴かれているときもかゆみを感じ、ボリボリとかくと
「腹をかかない!」
と叱られてしまった。

それで一通りの検査が終了し、着替えて帰るだけとなったが、相変わらずノドの感覚がなくて唾液を飲み込もうとするとゲホゲホむせてしまう。

仕方なしにトイレの洗面台に吐き出しすこと数回。

清算して病院を出ても感覚は戻らず、普段は絶対にしないことだが、帰宅するまでに何度か地面につばを吐いてしまった。

家に戻ってからも完全には感覚が戻らず、前日の午後9時から飲まず食わずでノドがカラカラに乾いているが水分補給できない。

それから 30分ほどして何とかスムーズに唾液も飲めるようになり、約15時間ぶりに水分補給。

・・・。

少しずつゆっくり飲んだコーヒーの味は格別なものがあった。

健康診断2011年1月 前編

2011年1月14日金曜日、数日前から北海道上空に居座る寒気の影響で底冷えするほど気温は低く、雲の流れも早くて太陽が見え隠れしており、ただでさえ楽しくはない場所に向かう足取りも重たい。

その日は年に一度の健康診断を受ける日。

本来であれば昨年末、2010年の11月に受診するつもりだったのだが、申し込みをするタイミングが遅かったことと、胃カメラの空きを待たねばならなかったので今年までずれ込んでしまった。

そう、気が重くなる最大の原因はこの胃カメラであり、前回は口からの挿入で地獄の苦しみを味わったので今回は鼻からの挿入を希望していたものの、恐怖がぬぐい去られた訳では決してなく、むしろ新たなことに挑まねばならぬ不安でいっぱいだ。

それでも鼻からの胃カメラは口からのものと比較してずいぶん楽であり、医師と一緒に映し出される画面を見ながら余裕で会話までできると聞いていたので 2009年の不安よりは少し軽い。

しかし、楽しい事ならいざしらず、嫌なことをされに行くことに変りはないので必然的に足は重くなってしまうのである。

採便した容器の提出と受付を済ませ、検尿用の紙コップを渡されてロッカールームに向かい、着替えながら考えていた。

今は紙コップが多く流通しているが、昔の検尿はどうやっていたのか、ビーカーのようなガラス製の器を使い回していたのか、そう言えば検便も現在はキット化されているが、昔はマッチ箱に入れて持参したと聞いたことがあるが、あれは本当の話なのだろうか。

トイレで採尿も済ませて待合室に行くと、順番待ちしている人の 80%くらいが女性だったので少し驚く。

その女性たちがグループ化しているので職場の人が団体で受診に来たのかも知れないなどと考えていたが、男性の中に白衣を着た人が何人かおり、会話を聴いているとこの病院の医師や看護師らしく、今日は院内の健康診断の日でもあるらしいことが分かった。

最初は胸のレントゲンだったが、それは機械に胸をつけるときにちょっと冷たかったくらいなもので何事もなくクリア。

次は問題の採血である。

この病院の、とくに 2階にある処置室の看護師さんたちとは相性が悪いらしく、血管注射をすると高い確率で腕が紫色になってズキズキ痛む。

ところが今回の人は普段は見かけない人だったので一階の人なのかも知れないが、針の挿入時にも強い痛みは感じず、終わってからも、そして今も腕の色は変わっていないので相性の善し悪しというのは本当にあるのだろう。

次に心電図だが、これも吸盤が異様に冷たかった程度で問題なし。

・・・ちなみに、ここでの 『クリア』 や 『問題なし』 は無事に終わったという程度であり、さらには主観であるため検査結果がどうだったかは約一カ月後にならなければ分からない。

次は身長、体重の測定だが、検査装置に乗ったときの姿勢が悪かったようで、看護師さんが
「あれ?縮んでますね」
と首をひねりながら
「アゴを引いてもう一度乗ってください」
と言うのでやり直してみたところ、
「ああ、やっぱり、去年と同じ身長ですね」
と納得していた。

次は視力検査だが、今回はメガネをして初の検査である。

2009年の検査で視力の悪化に愕然とし、それを機にメガネを買うことになったことを思い出しているところにガーゼを手渡され、それが何を意味するのか分からずボ~っとしていると、
「それで左目のレンズを押さえてください」
と指示された。

黒色のオタマみたいな物はメガネをしてない人が使うもので、メガネをしている人はガーゼでレンズを押さえて検査するということを初めて知った。

メガネを使い始めてから約一年、視力の衰えが進んでいるような気がしたが、1.0以上はあったようなので問題はなさそうだ。

次には腹囲測定と聴力検査。

腹囲はメタボにギリギリ状態で、これ以上は太らないようにと宣告されてしまった。

聴力に関しては電子音が聞こえるには聞こえたが、結果がどうなのか分からない。

そして、いよいよ胃カメラの番である。

健康診断を受ける場所に胃カメラの装置はないので院内を移動して検査を受けに行かなければならないが、前述したように看護師さんたちも検査を受けていたので近くにいた人に案内の人が
「あ、◯◯さん、この方をお願いね」
と引き渡され、検査着姿の看護師さんに連れられて場所を移動した。

途中、気を使ってくれて
「診断は毎年受けられているんですか?」
と話しかけてくれたが、これからのことを考えると気もそぞろで
「はぁ・・・」
などと覇気のない返事をしながらトボトボと歩く。

少しずつ、そして確実に検査室は近づいてくる。

逃げるなら今しかないが、同行している看護師さんはドーンとしていて体力では勝てそうにない。

そして、ついに検査室の扉が開き、いよいよ中へと足を踏み出す。

・・・が、長くなってきたので次回に続く。

将来像

新年早々にグズグズと文句を言うのもどうかと思うが、やはり日本は衰退に向かっていると考えて間違いなさそうである。

2003年、JAS法の改訂によってその名前での販売が禁止されるまで 『銀ムツ』 という名で流通していた魚の 『メロ』 だが、今は国内流通量が減少し始めている。

もともとは輸入価格が安く、『ギンダラの』 の代用品、高級魚である 『クエ』 の偽装用として大量輸入されおり、日本とアメリカで漁獲高の 90%を消費していた魚の流通量が減ったのは、健康志向が高まったヨーロッパでの消費量が増えたことと、中国やインド、ブラジルが経済発展して豊かになり、人口の増加もあって各国の輸入量が爆発的に増えているからだ。

現在は、限られた食物、石油や天然ガスなどのエネルギーを各国が奪い合う資源争奪戦が展開されている状況だが、デフレ慣れして価格高騰を消費者が許さない日本は、高値で資源を落札することができず、他の国に買い負けている。

昨年からエビの 『ブラックタイガー』 の国内流通量も減ったが、理由は上述の 『メロ』 とまったく同じだ。

北海道で水揚げされた 『クロマグロ』 が史上最高価格で中国企業に落札されたのは今週のことで、輸入品どころか国内産のものまで海外に出ていってしまう。

日本では商売にならないからと、北海道の一部の漁協などは中国やロシアへの輸出量を大幅に増やしている。

アメリカやオーストラリアから脂身の多い安い牛肉を大量仕入れして牛丼チェーンで低価格販売している一方、日本国内のブランド牛は、その品質の高さや味の良さから海外での人気が高まり、どんどん外に出ていってしまっている。

国民は粗食に耐えながら高級なカカオ豆を輸出していたコートジボワールとか、同様に高価なコーヒー豆を輸出していたブラジルが国力を増し、大量輸入する割に食べ残して大量廃棄していた日本がだんだん国力を失い、粗食しか口に入れられない国民が高級食材を輸出するという立場の逆転がまさに起ころうとしている。

かつて、この世の春を謳歌した家電メーカーも世界では存在感を失い、韓国、中国メーカーに大きくシェアを奪われており、技術の流出にも歯止めがかからないのが現状だ。

VHSや DVD、ブルーレイディスクなど世界標準規格になる製品を開発し続けてこられたのも今は昔、これからは中国や韓国に主導権が移っていくだろう。

ブルーレイに続く次世代規格、テレビ信号の規格、電球のソケットの規格に始まり、今後は全世界で広く普及することが確実視されている電力制御に関する規格のスマートグリッドまで、すでに各国は世界標準規格づくりに向けて政治と官僚、産業界が一体となって邁進しているが、日本は政治がアホで主導権がなく、メーカーが多すぎて利害の調整がつかず国内ですら足並みが揃っていない。

まだ話し合いを始める日程を調整しているような有様では、すでに街そのものを作って実証実験を始めた中国などにかなうはずがないだろう。

今は世界トップレベルの自動車産業もインドや中国に追いつかれる日は遠くないかもしれず、上述した電力制御関連の技術や規格が他国の主導となった場合、今後は間違いなく普及する電気自動車の開発に大きな支障が出てしまうのも確実だ。

日本にはエネルギー資源がないと嘆いてばかりいるが、実は近海に天然ガス資源があるのに中国が先に手をつけて日本側の水域内であるにも関わらず採掘を始めようとしている。

メタンハイドレートも深海ではあるものの日本のすぐ近くに眠っており、それをガス化すれば 200年分にも相当する埋蔵量があるにも関わらず政府は何もしていない。

沖縄沖の水深約 1100mの海底に眠る黒鉱は世界に類を見ないほどの埋蔵量があり、レアアースと呼ばれる希少金属の含有量も高レベルだというのに政府は何もしていない。

ここは一発、増税してでも投資し、今は苦しくとも 10年後、20年後には再び国力を増し、世界から認められて尊敬されるような将来の国家ビジョンを描いていただけないだろうか。

リーダーシップを発揮し、日本を良い方向に引っ張て行ってくれるのであれば、それが共産党でも社民党でも構わない。

もし何の道しるべも示されないのであれば、日本が太平洋に沈んでしまう前に脱出したいと真剣に考えてたりしている今日この頃である。

2011年一発目の雑感

謹賀新年であって Happy New Yearだったり迎春だったりする訳であって、謹んで新年のお慶びを申し上げたりする次第である。

ちなみに年賀状には
『A Happy New Year』
と書く人が多かったり、サンプルやテンプレート集でもそうなっている場合があるが、正確には間違いであって 『A』 をつける必要がないことはベルリッツのサイトでも解説されているし、三省堂から出ている『日本人がよく間違える英語』という本でも間違いの例として挙げられていたりするので、心当たりのある人は来年から気をつけるが吉だ。

元日からこのサイトを見ている奇特な人は稀であろうが、とりあえず土曜日なので義務感から更新したりしている。

しかし、今日から三日間は何もせずに呑んだり喰ったり風呂入ったりするつもりなので、真剣にネタを考えて文章化するほどの精神力はなく、こうやって思いつくままにダラダラと書きなぐっているのだが、たまにはこんな感じでも良いのではないかと思う。

この雑感に書くことといえば、何かに対して怒っていたり文句を言っている場合が圧倒的に多く、正月早々そんなことをしている場合ではないのでダラダラするのが調度良い。

ちょっと思いを巡らせれば、菅直人がぐーたらしているので今年も日本の景気浮揚はないだろうとか、韓国とか中国、ドイツにロシアの躍進で日本はますます取り残されて世界競争力も失うだろうとか、官僚がアホで政治家がボンクラだから日本の財政はまもなく破綻するだろうとか、年末年始のテレビ番組は超つまらないとか負の思考でスパイラルしてしまう。

したがって、何も考えずにダラダラ書くのが良い。

北方領土問題も尖閣諸島問題も相手にナメられて解決の糸口さえ見つからないだろうとか、北朝鮮による拉致問題は 1ミリたりとも進まないだろうとか、異常気象はますます進んでしまうだろうとか、そんなこんなで子供など生む気にも育てる気にもならないだろうから少子化は止まらないなどと考えるのは正月らしくないだろう。

だから何も考えずにダラダラ書くのが良い。

ちょっとネタを考えるとろくなことはないので、このまま酔に身を任せ、録画した海外ドラマや映画を見ながら眠くなったら寝る、腹が減ったら喰う、喉が乾いたら飲むという、まるで野生動物のような過ごし方をするつもりだ。

そうやって無駄な三日間を過ごし、今年も残り 362日となってしまうのだろう。

プレゼント大作戦

少し前の独り言に書いたように、今年のクリスマスは狸顔のワンプにプレゼントをあげようと計画し、以前から準備を進めていた。

クリスマス用品が店頭に並ぶようになると、まずは百均に行ってプレゼントを入れるためのサンタブーツを購入。

次は中身であるが、これは以前から知っていたワンプの大好物であるゴン太のササミジャーキーを入れてあげることに決定しており、イオン系スーパーが 5%OFFになる 20日を待って買いに行った。

さっそく準備しようと思ったら、購入した 71枚入りのササミジャーキーは大きすぎてブーツに入らないことが判明。

本当であれば封を切らずにプレゼントしたいところだが、仕方がないので開封して 2パックに分かれている内袋の状態で詰め込み、何とか体裁を繕うことに成功。

それからの 4日間は、そのブーツを見るたびにニンマリとしてしまい、早くワンプのもとに届けたくてたまらなかった。

24日の夜にコッソリと届けようと 『お買い物日記』 担当者と作戦を立てていたのだが、実はお隣さんは就寝時間が遅いのでそれが困りものだ。

我が家の就寝時間も決して早くはなく、いつも 12:00前後になって床につくのだが、その際に部屋の灯りを消すと隣の窓がまだ明るいことが多い。

おまけに我が家の起床時間は 6:30なのに、その時間にお隣さんはとっくに起きていて、ご主人が職場に持っていく弁当まで出来上がっており、『お買い物日記』 担当者と二人で
「いったいいつ寝ているのだろう?」
と不思議に思っていたのである。

深夜、お隣が寝ついてからプレゼントを届けるべきか、メチャメチャ早起きして届けるべきか。

クリスマスは夜更かしして酒を呑んで寝るのは眼に見えており、お隣より早く起きることなど至難の業に近いものと思われ、そんなことをするくらいなら眠い目をこすってでも夜遅くまで待ったほうが良いという結論に達し、隣の窓の明かりが消えるのを待っていた。

ところが金曜の夜ともなると明かりは点いたままで、深夜 1:00近くになっても消えることなく光がもれたままだ。

まだまだ眠くはなかったが、それ以上起きていると空腹に耐えかねて何か食べてしまいそうだったので、可能な限り静かに置いてくることにした。

家を出て隣に向かって斜めに歩き、お隣りの敷地を玄関に向かって斜めに歩けば見事なVの字ができあがってしまい、ワンプへのプレゼントが我が家の仕業ということがバレバレになてしまうので、玄関を出てから反対方向に向かって斜めに歩き、道路を移動して隣の家を一旦は通り過ぎて反対側から玄関に向かって斜めに歩くという漢数字の八の字作戦を決行。

北海道の玄関は扉の前にもう一枚引き戸があって風除室というスペースが設けられていることが多いのだが、そこにサンタブーツを静かに置いたところ、玄関の中からゴソゴソッという音が聞こえて少し慌てる。

どうやらワンプが玄関に入れられているようで、物音とササミジャーキーの香りに反応して向こうから様子を伺っているらしい。

静かに引き戸を閉め、ワンプ以外の誰にも気づかれることなく一目散に家に駆けこんできたが、運悪く外は吹雪模様で体が真っ白になってしまった。

無事に作戦が成功したことを互いに褒め称えながら昨日の夜は眠りにつくことに。

そして今朝、まだ布団の中でグズグズしている時間に 『お買い物日記』 担当者の携帯電話にメールの着信。

それは隣りの奥さんからで、ワンプのところにサンタが来てプレゼントを置いて行ったとの知らせ。

文章には
「もしかして隣のサンタさん?」
との一文があったが、
「さあどうでしょう?」
と、しらばっくれたまま今も正体を明かしてはいない。

しかし、あんなに綿密に計画を練り、見事な八の字作戦でコッソリとプレゼントを置き、朝には雪で足あとも消えていたはずなのに、我が家の仕業とバレバレなのはどういう訳だろう。

テレビが難しい

色々な意味でテレビが難しい。

■ 国際競争で勝ち残るのが難しい。

テレビは家電の中心にあり、決して負けてはいけない分野だが日本メーカーは韓国勢にやられっ放しで海外シェアを落とし続けている。

将来的にはエアコンから洗濯機、冷蔵庫までネットワークで結ばれ、消費電力や細かな設定などをコントロールすることになるが、それの中心にはテレビがあり、核となる技術が詰め込まれることになるはずだ。

技術力、品質で世界を席巻してきた日本だが、デジタル化とともに技術の差がつきにくく、機械化によって品質も一定になってしまい、デザインと価格だけが重要視されるようになった今では将来的にテレビを開発、販売し続けることは難しいかも知れない。

そして家庭の中核となるテレビは他国の技術が優先し、その周りの家電もネットワークの接続性、操作性などから同国のものが選ばれ、利益を享受できるのはごく限られた国やメーカーになってしまうだろう。

■ 高視聴率を獲得するのが難しい。

テレビ業界の自業自得な面も大きいが、今では余程のイベントでもない限り 20%とか 30%の視聴率を獲得することができなくなってしまった。

趣味が多様化し、衛星放送などを含めてチャンネル数が膨大になった今、視聴されるチャンネルも分散するのは当然のことではあるが、根本的には以前からある地上波放送の内容がつまらなくなり、質の低下に歯止めがかからないのが大きな要因だと思われる。

同様のことは以前の雑感にも書いたので多くは語らないが、このままでは衰退の一途をたどるしか残された道はないように思う。

■ テレビを見るのが難しい。

上述したが、やれデータ放送だ、BSだ CSだと見られるチャンネル数は膨大になり、テレビの機能で表示可能な番組表に頼らなければ見たい番組を見つけることすらできない。

おまけにネットワーク接続すれば回線経由で様々な情報を得られたりビデオ・オン・デマンドで好きな時間に好きな映画やドラマを見ることもできるが、それなりに複雑な操作を強いられる。

それにともない、リモコンのボタンは増える一方であり、携帯電話やパソコンのキーボードのように、手元を見ずに操作するブラインドタッチができるようにならなければ快適なテレビライフを送れない時代が来るかも知れず、そうなれば脱落者も増えると予想される。

事実、我が母はデジタルテレビのリモコンを使いこなせず、電気屋さんを呼んで設定してもらい、昔のテレビに付属していたリモコンを使っている。

電源の ON/OFFと地上波のチャンネル切り替えしかできず、デジタル放送の恩恵を受けいないデジタルデバイド、情報格差社会の底辺に存在したりしているのだ。

■ テレビを見る時間をつくるのが難しい。

今の時代、インターネットに携帯電話、テレビゲームに山登り、釣りに女子会と、特に女性は時間がない。

そんな楽しい時間を割いてまで見たい番組を製作するのは容易ではないだろうが、それに勝てなければテレビの時代は終焉を迎えることだろう。

■ テレビと付き合うのが難しい。

何だか視聴者に向けた番組というより、演者たちが一方的に楽しんでしまっている内容が多いように思う。

島田紳助氏は典型で、『クイズ!ヘキサゴンII』 とか 『行列のできる法律相談所』 など高視聴率番組を多く持ってはいるが、どうも仲良しクラブ的要素が強くて見る気になれない。

紳助ファミリーの世界観や思想にこちらから歩み寄り、わざわざ仲間に入れてもらわなければいけないような雰囲気だ。

他のバラエティー番組、お笑い番組も内輪ウケ的内容が多く、そのバックグラウンドまで理解していなければ笑えないことも多々ある。

また、あまりにも突き抜けた感性やセンスで笑いをとろうとされると、こちらがお笑い芸人の感性に合わせたり内容を理解しなければならない。

視聴者が合わせるのではなく、テレビ側がこちらに合わせるのが本筋ではないだろうか。

・・・。

いろいろと文句ばかり書いてきたが、ハード的にもソフト的にもテレビには難しい問題が山積しており、地球温暖化とは逆にテレビ業界には冬の時代が待ち受けているような気がしてならない。