マサルノコト scene 28

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一月最終の土曜日だが、やはり今年もマサルからの年賀状は届かなかった。

昨年末、年賀状の準備をしていたとき、さすがにもうマサル宛に出すのはやめようかとも思ったが、ここまで来たらこちらも意地になってしまい、こうなったら最後の最後まで出し続けてやろうと思い直して発送してやった。

宛先不明で帰って来ないところをみると今でも東京に住んでいるのだろうが、何年も会っていないどころか電話すらしていないので正確なところは不明である。

しかし、『便りのないのは無事の知らせ』 という言葉もある通り、急な連絡がない限りは元気に暮らしていることだろう。

今は音信不通に近い状態となっているが、今から何年も前、数カ月間に渡って毎日電話で話をしていた時期がある。

それは互いに話好きで電話していた訳でもマサルから電話してきたわけでもなく、自分の一方的な都合で電話をし、それにマサルが付き合ってくれていたという実に迷惑千万な事情だ。

その時期、自分は精神的に追い詰められ、かなり大きなダメージを負っていた。

食事もノドを通らず、夜も眠れず、酒を呑んでも酔えない地獄のような日々だった。

一人で考え込むと負のスパイラルにはまり込み、冷え冷えとする冬の夜など超マイナス思考に陥って [ 暗い ] → [ 寒い ] → [ ひもじい ] → [ もう死にたい ] という典型的な負の段階論に進みそうになってしまう。

そんな時、何とか踏みとどまって負のスパイラルを断ち切れたのは、マサルが親身になって話を聞いてくれたおかげである。

何とも身勝手な話ではあるが、マサルと話をしながら酒を呑んでいると気が紛れて落ち着きを取り戻し、少し酔いが回ってくると食べ物がノドを通るようになり、腹が満たされて酔いが深くなると眠れるようになる。

くる日もくる日も、夜中の 2時くらいまで話し、酒に酔って寝る毎日。

マサルだって仕事があるのに毎晩つきあってくれた。

マサルの仕事も時間が不規則で帰宅していないこともあったが、留守電にメッセージを残しておくと必ず電話をしてくれた。

タイミング悪く入浴中のこともあったが、それが終わると電話をくれた。

当時は電話会社間の競争もなく、NTTの独占事業だったので長距離電話の通話料金は今と比較して驚くほど高かったのにマサルの方から電話をしてくれた。

普通であれば、「いい加減にしろっ!!」 と叱られても仕方ないほどワガママで身勝手なことをして、一方的にマサルに迷惑をかけているのに気が済むまでとことん付き合ってくれた。

以前に書いた学生時代の恩も合わせ、色々な意味での恩人なのである。

自分はといえばマサルの恩情と共に時間の経過が傷を癒してくれたおかげですっかり元気なり、そこまでの恩がありながら、せっかく遠くから遊びに来てくれたマサルをなかなか家に入れてやらなかったり、憎まれ口をたたいたりして何事もなかったように勝手なことをしていたりする、実にどうしようもない奴だったりするのである。