大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

閉塞感

バブル崩壊以降、多少の景気浮揚はあったものの、ずっと日本経済は低空飛行を続けている感が強く、足腰がしっかりしないまま危険なバランスを保った状態であるため、リーマンショック、ギリシャ、ドバイショックなどの外的要因に大きな影響を受け、なかなか株価が上昇しない割には少しのショックで大きく下落する状態が続いている。

数年前にデフレ脱却を宣言したが、実は好転の兆しが見えかけていただけで本格回復には至っておらず、いまも深く静かにデフレは進行している。

何年も前にも書いたが、デフレという病魔は簡単に克服できず何十年もの歳月を要するものらしく、うろ覚えではあるが 17世紀初頭にローマで発生したデフレは 40年間ほど続いたとされているし、産業革命後にイギリスで起こったデフレも 20年間くらい続いた。

そして、どちらも革命、革新的な社会構造の転換や作り直しによって、やっと経済復興に至った訳であり、現状のまま政治、経済の体制などを温存したままこの難局を乗り切るのは不可能であろうと思われる。

人はおぼろげながらでも、このままではいけないということを敏感に感じ取り、政治に強いリーダーシップを求めて小泉純一郎という総理大臣を誕生させたのであろう。

独裁的とまで言われても絶大な人気と広い支持を得て長期政権を維持することができたのは、人々が求めていたリーダー像と見事に合致したからにほかならない。

国民にとっての不幸は、小泉元総理に百年の計とか国家ビジョンというものが希薄で、真の目的が郵政民営化でしかなかったことにある。

それを成し遂げるといとも簡単に総理の椅子を明け渡し、当人はさっさと引退してしまった。

代わりに政界入りした息子の小泉進次郎氏という立派な人気者を遺伝子レベルで残してくれたことは功績であるかも知れないが、後継者として安倍晋三氏を事実上の指名に近いかたちで推したのはいただけない。

たしかに小泉氏が自民党をぶっ壊したのが原因かも知れないが、それからの政権運営は目を覆いたくなるほど惨憺たるものであり、このまま自民党に主導させていたのでは日本がどこに向かってしまうのか不安でならなかったため政権交代が起こって民主与党が誕生したのであろう。

ところが、いざ蓋を開けてみるとこの有様で、日本という国自体が迷走しており、すっかり世界から取り残されることになってしまった。

唯一の評価を受けた事業仕分けも実行力が伴わず、どの省庁、どの官僚もさっぱり言う事を利かず勝手なことをやっているのが明らかになっただけだ。

何とか実行できたのは中途半端に支給が開始された子ども手当くらいなもので、大風呂敷を広げた割には中には何も入っていないというお粗末な結果だけが国民の目に映る。

この先、日本がどこに進むのか分からず、いつになったら政治主導になって官僚の無駄遣いがなくなるのか分からず、年金がどうなるのか分からず、デフレが克服できるのかも分からず、どういう未来が待っているのか分からない。

そんな時代に子孫を残そうという意識は芽生えないどころか、本能的に絶対数を減らそうとするのが DNAに刻まれた生物の性(さが)であるからして、少子化に歯止めがかかるはずなどないだろう。

また政界の雲行きが何だか怪しげで、ナベツネがゴソゴソ動き、今や日本のリーダーとも思えない政治家を操ろうとしているようだが、国民の意志と乖離していることに気づかないのだろうか。

国民の求めるリーダーは政治家の中に見当たらない。

カルロス・ゴーン、星野仙一、小泉進次郎あたりを政府の要職に付けるくらいの大変革をしない限り、少なくてもそれくらいの意識改革をしない限り、デフレを克服して今の日本を救うことは不可能だと思われる。

この閉塞感を打ち破ってくれるのであれば、日本のリーダーが独裁者であっても構わないと思うのは自分だけだろうか。

冬の訪れ

北海道に帰ってきて三度目の冬はもう目の前。

本来であればもう冬なのだが今年は今日現在も晩秋と初冬がせめぎ合い、かろうじて秋が優勢に立っているような状況だ。

来週には冬が優勢となって一気に気温下がるだろう。

いつも書いていることだが、大阪の夏は辛かった。

ゴールデンウイークが終わって少しずつ暖かくなり、梅雨や夏が近づいてくると毎日が憂鬱で仕方なかった。

できることなら渡り鳥のように少しずつ北に移動して、猛暑、酷暑の中に身を置かずに済む方法はないものかと真剣に考えたこともある。

北海道の夏は逆に待ち遠しいし、寒い冬が近づいてきても決して憂鬱にならないのが不思議だ。

冬なのだから寒くて当然と割り切れる。

夏なのだから暑くて当然と割り切れなかった大阪とは大違いだ。

多少なりとも危惧しているのは降雪量であり、昨年のように数十年に一度の大雪は、本当に数十年に一度だけにしていただきたいと思っている。

まだ足腰が弱る歳ではないので、面倒ではあるものの除雪が辛い訳ではない。

降り積もった雪を綺麗に片付けた後は、ある種の満足感に浸ることもできるし、普段の運動不足の解消にもつながることも期待できるので心から敬遠している訳ではないのだが、何せ面倒なのである。

第一に外に出るためには着替えなくてはならない。

冬は身につけなければいけないものも多く、それだけで時間がかかる。

除雪作業も最短で 10分、積もった雪が多かったり湿って重たい場合は 30分前後の時間を要するのが通例だ。

昨年は日に 2度も 3度も除雪しなければいけないほどの大雪だったので、1時間以上は雪と格闘していたことになる。

今となってはそれすらも笑って話せることであり、決して笑っては話せない大阪の夏の暑さとは雲泥の差ではあるのだが。

北海道の人は家の中を必要以上に暖かくして冬でも薄着で過ごすという生態だったりするのだが、大阪での冬の過ごし方に慣れた我が家では今でもそれを踏襲し、重ね着をして体温の低下を防ぎつつ部屋の中はさほど暖かくせずに過ごしている。

寒くなっても暖房せずにいて人から驚かれたりもするが、すっかりそういう生活に慣れているので何の苦にもならないどころか、それが割と快適だと思えたりもするので問題はない。

今はさすがに部屋の中を暖房しているが、先週より気温が高いので設定を 『大』 から 『中』 に下げている。

最高気温が 10℃以下になったら暖房を開始し、5℃以下になったら 『大』 にするというのが一応の目安だ。

しかし、いずれの場合も室内の温度設定は 18℃なので、一般家庭と比較すると極端に低い。

それでも冬なのだから寒くて当然と割りきって厚着でコロコロになりながら生活している。

これから数カ月、北海道の冬を楽しみながら過ごしていこうと思う。

デジタル化の波 Signal-6

デジタル化の波 ~目次~

やっとデジタル薄型テレビを購入し、その能力を堪能している訳だが、あまりにも機能が多すぎてすべてを理解するに至ってはいない。

まずはデータを受信して地域のニュースを見てみたりイベントの情報を得たりしているが、これがなかなか便利である。

出不精なのでイベントがあっても出かけることはないが、何が行われているのか知っておいて損はない。

さらに便利に使っているのは天気予報。

もうNHKローカル局の天気予報を見逃したとしても困らない。

いつでも数時間先の予報まで表示しているし、週間天気予報だって見られる。

おまけに我が町の現在の気温まで分かるとあっては、テレビ番組としての天気予報など必要ないと感じてしまうほどだ。

今までもパソコンがあり、ネットでいつでも天気や気温など確認できたが、わざわざテレビの前からパソコンに移動しなければならなかったので少々面倒を感じていたところにこの機能である。

テレビ局と双方向にデータのやり取りができるため、クイズに参加したり視聴者プレゼントなどにテレビ画面から応募できたりもするのが凄い。

ただし、あまりクイズ番組も見なくなってしまったし、バラエティも何もかも見る番組が極端に減っているのでプレゼントそのものをやっているのかどうかも分からないのが難点だ。

テレビとブルーレイやDVDもデジタル制御されているのでリモコンひとつで様々な操作ができる。

ブルーレイが見たい場合もテレビ画面から操作すれば自動的に電源が入ったり再生、早送りなどの操作も可能だ。

我家の場合はずっと海外ドラマのDVDを観る日々が続いているので、この機能の恩恵を存分に受けている。

2008年の8月に購入した HDD/DVD レコーダと、今回の BDレコーダを合わせると 4番組が同時に録画可能なので年末年始の特番の録画に頭を悩ますこともなく、画質にこだわらなければ何百時間でも録画できるので番組を選ぶ必要もない。

そんな状況になったにも関わらず、すでにテレビに興味を無くしてしまい、録画してまで見たい番組がそれほど無いものと思われるのが実に悲しいところだ。

いつかテレビ業界も我に返り、初心に返り、原点に帰り、楽しい番組作りをして頂ければと願ってやまない。

そして最近の家電はネットワーク対応になっており、LAN接続すればネット回線を利用して様々なことができる。

パソコンで見ているWebページをそのまま閲覧することもできるし、掲示板やブログへの書き込みだって可能だ。

ただし、文字入力はリモコンボタンを使って携帯電話の文字入力と同様の操作をしなければならないので面倒である。

やはりキーボードに慣れているのでそちらの方が圧倒的に使いやすい。

そのネットワーク経由で様々な映像配信サービスを受けることも可能で、まるでレンタルビデオのように好きな時間に好きな映画を楽しむことができる。

タイトル数はそれほど多くなく、配信料が 1作品300円前後なのでリアルの世界のレンタルビデオにかなわないが、店がない過疎地などではかなり優良なサービスになり得るだろうし、利用者と事業者が増えて競争が激化すれば価格も下がってコンテンツも充実してくることだろう。

我家の場合は義兄から借りている大量の海外ドラマがあるし、撮るだけ撮って見ていない映画も数十本はあるので当分の間は映像配信サービスを利用することはないものと思われる。

さて、我が家のデジタル化は進み、様々なサービスや機能に触れてみたものの、ここまで書いてきたように有りがたみを実感できるシーンはそれほど多くはない。

実は今まで、テレビ本体のBS受信機に難があり、毎晩決まった番組を見る際にはテレビを外部入力にし、ビデオセレクターのスイッチを切り替え、ビデオデッキの電源を入れ、そこでBSのチャンネルを選択するという面倒な操作が必要だった。

テレビを買い換えて最も喜んでいるのは、その操作から解放され、リモコンボタンひとつで目的が達せられるという、実にアナログな部分だったりするのであった。

自分解体新書 - 3 -

自分解体新書 ~目次~

■ 目

この雑感や管理人の独り言で、ことあるごとに触れているが、視力の低下は加速度的に進んでいるようであり、昨年末に購入したメガネの使用頻度も比例して増えているのが現状だ。

14日の独り言に書いたようにパソコンに向かう時もメガネをかけた方がハッキリと画面を見ることができるのは事実だが、焦点をあわせる必要があるらしく、少し目に負担がかかっているようで疲れやすい。

妙な見え方をしているのは以前と変わらず、ある一定の距離だけが見づらいだけで遠くの景色とかは相変わらず裸眼でハッキリ見えている。

100メートル以上離れると道路標識や信号機、歩いている人が男性か女性か、散歩させている犬の種類は何かまで識別可能だし、遠くの山にある建物、道を走る車、木々に葉は有りや無しやも見えているのが不思議でならない。

散歩をする際、試しにメガネをして家を出たことがあるが、極端に視界が広がったりクリアになったりすることはなかった。

いったいどういう状態になってしまったのだろう。

老眼の状況も進み、読書の際の本と目の距離はどんどん離れていっている。

相変わらず布団に入ってからも本を読んでおり、その際には腕を伸ばして距離を保たなければならないが、それは日を追うごとに遠く離さなければいけなくなっていて、そろそろ腕の長さも限界に達しようかという状態であるのに加え、冬を間近にして手が鬼のように冷たい。

そろそろ就寝前の読書をやめるか、枕元に老眼鏡を常備しなければいけないお年頃になってしまったのだろうか。

■ 耳

聴覚はそれなりに衰えてきており、年齢によって聞こえる周波数が異なるのを利用したモスキート音も、歳相応の範囲しか聴き取ることができない。

若者がたむろするのを防ぐためにコンビニの駐車場などで音を発生させている場合もあるようだが、そんな中でも平気でスタスタ歩ける自分が嬉しいやら悲しいやらだ。

キーンという甲高い神経に障る音に耐えられないから若者は退散するのだろうが、この歳になるとキーンのキの字も聞こえない。

テレビでその音を流していたのだが、10歳までにしか聞こえない音は隣にいた中学生くらいの子にも聞こえないという実に興味深い結果で、確実に年齢によって聞き取れる周波数がことなることが証明されたことになる。

ちょっと若い気がしていた自分も確実に対象年齢の周波数になるまで聞こえなかったので少しガッカリだったが、『お買い物日記』 担当者は対象年齢の音ですらギリギリ聞こえる程度だったらしく、横でションボリしていた。

先食い

先月末に購入したデジタル家電が昨日の午後に納品された。

これでやっとデジタル生活の仲間入りである。

来月からエコポイントが半減されるので、我が家と同じように慌てて家電を購入する人が多いらしく、メーカーがフル生産しても供給が追いつかずに納品まで一カ月待ちという製品も多いらしい。

配達に来てくれたお兄ちゃんの話しによると、今年の猛暑に音を上げ、もし来年も暑かったら耐えられないという理由で北海道だというのにエアコンを購入する人が多く、もう雪がちらつくこの季節になっても取り付け工事のために飛び回っているという。

温暖化がどう影響するか分からないが、今年のような猛暑は 40年に一度らしいので、次に耐えられない暑さが襲ってくるまでに購入したエアコンは使い物にならなくなっていると思うのだが。

デジタル薄型テレビは前年同月比 4.6倍、エアコンが 3倍、時期はずれとなった冷蔵庫ですら 40%増という売れ行きだ。

しかし、エコポ半減となる来月以降、また、エコポが終わる来年 4月以降に襲ってくる反動は並大抵のことではないものと思われる。

来年 7月にアナログ放送が終了することもあり、エコポ効果も加わってテレビを筆頭に需要の先食いが起こっているに過ぎず、それはエコカー補助金の効果で自動車販売台数が驚異的に伸びたのと同様に一過性の現象に過ぎない。

業界としては売上減に対処すべく方策を検討中らしいが歯止めをかけるのは無理だろう。

家電など、よほどの新しもの好き以外は10年は使い続けるものと思われるので、これから先 10年間はメーカーにとって冬の時代が訪れるに違いない。

それがテレビ、エアコン、冷蔵庫にまで及ぶのだから事態は深刻だ。

省エネ化、薄型軽量化が極限まで進み、3Dにまで技術が及んでしまったので、これから先はテレビに劇的進化が起こるはずもなく経年劣化による故障以外は買い替え需要は望めないだろう。

同じく省エネ化が進み、熱交換率も高まり、フィルター自動掃除機能が付き、空気清浄、除湿・加湿機能まで備わったエアコンにこれから革命的進化が望まれない以上は買い替え以外に需要は望めない。

そして、それは冷蔵庫にも同様のことが言える。

景気浮揚のきっかけさえつかめずにいる日本、消費者の目が肥えて中途半端な技術革新には目を向けない日本、そして贅沢を望まなくなった日本で家電を売るのは並大抵のことではない。

アメリカやヨーロッパでは韓国勢にシェアを奪われた日本メーカー、中国やインド、ベトナムなどのアジア圏では存在感を示せずにいる日本メーカ、行き着く先は衰退しかないのではないか。

エコカー減税は続いていても、補助金が打ち切りになった自動車業界も辛い。

以前は 3年とか 5年周期で車を買い換えていた日本人も、特に若者にとって車を持つことがステータスではなくなったこともあり、その周期はどんどん延びて今や 10年など珍しいことではなくなった。

家電と同様に今後 10年は冬の時代が訪れるだろう。

家電とは異なり、今は技術的優位性を保って世界で販売台数が増え続けている日本車メーカーだが、それがいつまで続くのかは疑問だ。

あと10年もすれば電気自動車が一大産業として立ち上がることだろう。

その時、今のパソコンと同様にメーカーがメーカーである必要はない。

エンジンが汎用品のモーターに代わり、ガソリンタンクが汎用品の電池に置き換わるので心臓部は重要な意味を持たなくなる。

つまり、部品さえ調達すれば誰でも車を組み立てられることになる。

これからの 10年、日本という小さな市場には多すぎる家電メーカー、自動車メーカーは一気に淘汰が進み、生き残れるのは 1社か 2社になるかも知れない。

感謝の気持ち

この歳になって急に善人になった訳でも宗教に目覚めた訳でもないのだが、やはり感謝の気持ちというのは大切であると思うし、それを相手に伝えると双方が軽い幸せを感じることができるという点において、重要とは言わないまでもちょっとした心のふれあいがあって良いものだと思う。

それというのも今朝のこと、近所のスーパーで買いたいものが安売りになっていたので 『お買い物日記』 担当者と出かけたところ、店内には食欲をそそる美味しそうな香りが立ち込めており、そのスーパーの一角で販売されている産地直送の野菜を作っている農家の主婦が、いつも買ってもらっていることを感謝して豚汁を無料で振舞っていた。

遠慮なくそれを頂いたところ実に美味しく、感謝の気持ちを込めて
「ごちそうさまでした」
と挨拶してその場を去った。

その方たちの作る野菜は毎朝届けられる新鮮なもので、さらにしっかりと野菜本来の味がするとても美味しいものであるにも関わらず、一般に流通しているものより割安で売られている誠にありがたい作物であって、むしろ消費者であるこちらこそ感謝すべきものだ。

それなのに、その作物をふんだんに使ったものまで食べさせてもらったのでは頭が上がらないではないか。

こうやって互いに感謝すれば悪い感情など持つはずもなく、むしろ互いに小さな幸せを感じることができる。

大袈裟な感謝ではなくても、何かしてもらって嬉しいと感じれば素直に
「ありがとう」
と言えば良いのであるが、言い慣れない人は照れくさいやら恥ずかしいやらで、そのたった一言が口から出ないものらしい。

我家の場合は 『親しき仲にも礼儀あり』 を心得て、礼を言うのが日常となっている。

立っているついでに何かを取ってもらったとき、コーヒーやお茶を入れてもらったとき、手の届かない背中を掻いてもらったとき、どんなささいなことでも
「ありがとう」
と言うし、
「ありがとう」
と言ってもらっている。

夏の暑い時に食事を作ってくれてありがとう、水の冷たい冬に食事を作ってくれてありがとうと普通に礼を言うし、『お買い物日記』 担当者が偏頭痛などで寝込んでいるときに食事の用意をすればありがとうと言ってもらえるのが我が家の日常会話だ。

自分がリクエストした料理を作ってくれればありがとうと言うし、たまに作れば
「美味しいの作ってくれてありがとう」
と言ってもらえる。

我家の場合は財布はひとつなので何を買うにも金の出所は一緒なのだが、CDやゲームなど自分のものを買ってもらったとき、靴や洋服など 『お買い物日記』 担当者のものを買ったときは互いにありがとうと礼を言う。

いつも 『ありがとう』 の五文字を口に出しているので、言うことに恥ずかしさも照れくささも何の抵抗感もない。

互いに感謝を口に出すので諍いもおこらない。

仕事で何かを頼んだら、それがコピー取り程度のことであっても、相手が部下や新人であってもやってもらったことに対して
「ありがとう」
と言ってきたし、それで職場の雰囲気が良くなりこそすれ、悪くなったことなど一度もない。

何の苦労もせず、金もかけずに暮しが平和になるのだから感謝して損はない。

昔は喧嘩ばかりして、ろくに話もしなかった母親だが、子供の頃から口に出して礼を言うようにしつけてもらったことに対してだけは感謝しなければならないだろう。

やっと地デジ化

昨日の独り言にも書いたように、ついに、とうとう地デジ対応液晶テレビを購入した訳であるが、思えばここに至るまでに丸四年の歳月を要したことになる。

今は更新をやめてしまったが、以前は欲しい物をリスト化して優先順位をつける 『納得!買っとく?メモっとく』 というページを作成していた。

そこにテレビが登場したのが 2006年11月17日だが、それから多くの月日が流れたものだ。

今回、購入するに至った理由はアナログ放送の終了まで一年を切ったことと、エコポイントが 12月から半減されることが大きい。

それでも 11月中に買えば良いと鷹揚に構えていたのだが、こちらに引っ越して来てから何度か利用している家電量販から会員割引の案内が来たので行ってみることにした。

セール期間を通して限定 5台の大型液晶テレビとブルーレイレコーダーが目玉であり、通常では考えられない価格が提示されている。

それが手に入るのであれば仕事を中断して朝一番で行ってみる価値があると判断し、当日は開店時間前に店に行くと決定したが、いくら何でもセール開始日は金曜日という平日であり、仕事をしている人も多いだろうから早くから並んでいる人などいないだろうと目論んだ。

そして当日、気合を入れて開店時刻 10分前に店に行くと入り口付近には長蛇の列。

みんな何を求めて並んでいるのか分からないが、たった 5台のテレビやレコーダーが目当てだとすると、どう考えても入手不可能だと思われる。

一瞬は諦めて帰ろうかと思ったが、せっかく来たことだし価格調査だけでもしておいてイザとなったらネット通販で購入すれば良いと思い直して列の最後尾に並んだ。

すると、列を整理している店員さんが
「限定品のテレビは完売で~す」
と叫び、
「ブルーレイはまだ在庫がありま~す」
と続け、
「テレビ以外をお求めの方は右に、限定品を購入される方は左の二列でお並びくださ~い」
と案内している。

並んでいる人の間にどよめきが起こり、しぶしぶながら右に移動するひとが大勢いた。

どうしようかと考えたが、超特価限定品のブルーレイだけでも買えたら良いと思い、そのまま左の列に並んで店内に入るとカウンターにいた店員さんに
「整理券はお持ちですか?」
と尋ねられたので慌てて外で列の整理をしていた店員さんのところに行って
「整理券が必要だと言われたんですけど」
と問い詰めると
「いえ、大丈夫ですよ」
と言いながら店内に案内され、ブルーレイが積まれている場所で
「あ、最後の一台ですね」
と言いながら製品と交換できる券を渡してくれた。

最後の一台を手に入れられるなど、なんとラッキーなことかと喜び、その店員さんに
「テレビは完売ですもんねぇ」
と尋ねると
「20V型は完売ですけど 46V型はまだあります」
と言われた。

こんなラッキーなことがあって良いのかと喜び勇んでテレビ売り場に急ぎ、そこに居た店員さんに
「限定品のテレビがほしいんですけど」
と言うと
「すでに完売してしまいました」
という答え。

「たった今、まだあるって言われたんですけど」
と食い下がると店内無線で何やら話し、
「最後の一台があるそうです!」
と言って早足でテレビが置いてある場所まで移動し、何とか確保するに至ったのである。

テレビもブルーレイも最後の一台。

外で案内していた店員さんが
「20V型は完売です」
と言わず
「テレビは完売」
と言ったため、並ぶのを諦めた人が大勢いたに違いない。

その小さなミスによって我が家に幸運が転がり込んで来た訳であるが、実はこのような経験は初めてではない。

その昔、テレビゲームの 『ドラゴンクエスト』 が大人気となり、学校を休んでまで行列に参加して手に入れようとしたり、手に入れられなかった人が強奪するなどという事件まで起こって社会現象とまで言われた時期があった。

その中でも一番の人気を博し、出荷量の不足から初日の入手は極めて困難と言われた第三作を買おうと玩具店の列に並んでいたのだが、入荷量は配送されてからでなければ分からず、並んでいる人のどこまでが手に入れられるのかも分からない状況だった。

時は冬、寒さに耐えながら並んでいると列の中ほどで何やらもめ事が起こり、舌戦から肉弾戦へと発展して大喧嘩が始まった。

すると中から店主が現れ、
「お前らみたいな奴には売ってやらん!とっとと帰れ!!」
と一喝し、暴れていた十数人が列から離れた。

そして店が開けられ、入荷した数だけ整理券が列の最初から手渡されると、なんと自分に最後の一枚が渡され、店主が
「良かったねぇ~」
と満面の笑みで言い、後続の人たちに
「これで最後で~す、これ以上は並んでも買えませ~ん」
と大声で叫んだ。

どういう訳か、こういう事に関しては妙に運が良いのである。

この運がもっと人生とか仕事に役立てば良いのだが、なかなかそうはいかないものだ。

とりあえず4年越しの目的であったデジタルテレビを手に入れることはできた。

あとは11月中旬に配送されるのを待つだけである。

デジタル化の波 Signal-5

デジタル化の波 ~目次~

いろいろなシーンで深く静かに広がっているデジタル技術だが、クレジットカード、電子マネーもそれの最たるものである。

昔は衣料品、バッグやアクセサリーなどの専門店、ちょっと格式のあるレストラン、ホテルくらいしか利用できなかったクレジットカードも、今や地方が地盤のスーパー、薬局、しまいには新聞の購読から公共料金まで決済が可能となり、100円単位の小額決済まで可能になったことから利用範囲は大きな広がりをみせている。

また、ネット通販の利用が増えたこともクレジットカードの利用率向上に関係しているだろう。

我家の場合、以前は 『いつもニコニコ現金払い』 をモットーにしており、クレジットカードを持っていたが、海外旅行で使う程度で普段は財布の厚みを増しているだけの邪魔な物でしかなかった。

ちょっと値の張る洋服を購入するときも現金で支払い、家電製品など大きな買い物をするときですら必要な金額を用意して現金で支払っていた。

カードを使うと現実感に乏しいため、金銭感覚が麻痺してしまって無駄な買い物が増えそうで怖かったのが一点と、カードローンの支払いに困って生活に破綻をきたす人や、借金地獄におちいる人のことなどをテレビで見て、意志の弱い自分がカードなど使うようになったら同じ道をたどってしまうのではないかという恐怖があったのでカード利用に二の足を踏んでいたのである。

そして、『お買い物日記』 担当者も同じくカード利用に消極的だったので我が家では長らくカードよりも現金が幅を利かせていた。

ところが今では買い物の多くでクレジットカードを使うようになった。

そのきっかけは 2008年2月、大阪から北海道への転居を決め、さまざま支払いにカードを使ったことだろう。

引越しにかかる運送関連の支払い、他界した義兄が闘病していた病院近くに借りたマンスリーマンションの支払い、居を移したことによって不足している様々生活物資の調達費、冷蔵庫など家電製品の購入、新型パソコンの購入、その他もろもろの支払いなど、銀行に行って現金を引き出すヒマもないくらいバタバタしていたこともあって可能な限りカード決済にして難局を乗り切った。

また、『お買い物日記』 担当者が大きな病気をしたときの入院費、治療費、入院に必要な品々の購入費、そして看病する自分の生活費など、ありとあらゆる場面でカードを利用し、抵抗感が薄れていったこともある。

そして、話しを聞くと長兄夫妻が実に賢くカードを利用しており、使い方によっては得になることを教えられたことも大きい。

それからというもの、カード利用で得られるポイントが 2倍になる日を選んで買い物をしたり、公共料金からネット関連の支払い、電車などの交通費、新聞代や処方せん薬局での支払いにいたるまで、何でもかんでもカードを利用するようになった。

近所で利用頻度の高いスーパーは3軒ともカードが使えるし、ドラッグストアや家電量販店はもちろん使える。

そんなこんなでカード使いまくりという状況にはなったが、ローン地獄におちいることは避けたいという思いに変化はないので、すべて一回払いにして破綻から身を守ることだけは忘れていない。

クレジットカードと併せて急速に普及しているのが電子マネーで、イオン系のワオンやクイックペイ、大阪であれば ICOCA、東京であれば Suicaなど、使える場所がどんどん増えている。

この街で JR系のカード利用はないが、ワオンやクイックペイは便利に使わせてもらっている。

雑誌の購入からファストフードでの食事まで使えるところは全て電子マネーだ。

最近まで利用頻度の高いコンビニは現金のみだったが、ついにクイックペイが使えるようになったので、普段の生活では現金を持つ必要がなくなってきた。

これで定期的に通院している病院での支払い、百円均一の店がクレジットか電子マネーを導入してくれたなら、まったく現金を持つ必要がなくなる。

加速度的に進むデジタル技術が基板となって急速な広がりを見せる電子マネー。

あと数年もすると、子供への小遣いも携帯電話の電子マネーにチャージするのが普通になり、近所のたばこ屋さんから八百屋さんに魚屋さん、おばあちゃんが店番しているような学校近くの小さな雑貨屋さんにまでカード決済が導入され、この世から現金が消えるかも知れない。

そうなった時、街頭に立つ共同募金など成り立たなくなってしまうのだろうか。

路上ライブやパフォーマーで金を得るのは困難になるのだろうか。

善意を期待して座っているホームレスはどうなるのか。

神社などのお賽銭は・・・。

そう考えると現金の流通がなくなることはないのだろうか。

自分解体新書 - 2 -

自分解体新書 ~目次~

■ 脳

脳のシワの数は確実に減っているか、うっすらボンヤリしてきているのではないだろうかという不安に襲われることが多くなった。

物忘れは加速度的にひどくなっている。

過去に何度も書いているが、芸能人の名前など聞いたそばから忘れいく。

AKB48のメンバーの名前など一人も分からない。

モーニング娘。もすっかり入れ替わってしまって誰が誰だかさっぱり分からない。

若い女優、グラビアアイドル、俳優、モデルなどさっぱりだ。

最近の子で知っているのは佐々木希とJOYくらいなものか。

カタカナなんぞ最初から覚える気もないのでK-POPや韓流スターなどチンプンカンプンである。

いつも独り言に書いているように最近は海外ドラマばかり見ているが、実のところ 20話近くまで進んでやっと役名を覚えているような有様だ。

しばらく違うドラマを見てから過去のドラマの新シリーズに戻ったりすると、すっかり役名を忘れていて思い出すのに 2-3話を要したりする。

携帯電話の普及も影響しているのだろうが、電話番号も覚えられなくなった。

いや、メモリーしておけば済むので最初から覚える努力をしなくなったという言うべきか。

昔は友達 10数人分くらいの電話番号くらい記憶していたし、その他に仕事の取引先の番号だって数件分は記憶していた。

それが今となっては自宅の電話番号すらなかなか覚えられない。

引越して2年以上過ぎた今になって、やっとインプットすることができたが、それまでにどれだけ頭が空っぽになったことか。

その、やっと記憶した自宅の電話、仕事で使っている電話番号、実家、叔母の電話番号・・・、今現在、脳に刻まれているのはこの 4つの番号くらいなものだ。

お買い物日記』 担当者の携帯番号はおろか、自分の携帯番号すら何番だか分からないという、実に恐ろしい状態に陥ったりしているのである。

■ まぶた

何だか少しずつ二重が大きくなってきたような気がする。

実は左右の大きさが異なり、左まぶたの二重の方が大きい。

ずいぶん以前のことになるが、目がかゆくてこすっていたら三本目の線ができてしまい、日が経つと今までの線が消えて新たにできた線による二重まぶたが形成されてしまったのである。

最近は眼精疲労もひどくなり、パソコン画面を見続けて夕方になると目がショボショボしてくるが、そんな時に鏡を見ると右目に三本目の線が出現していることが多い。

左まぶたと同様のプロセスをたどり、二重が大きくなって左右のバランスがとれるのであれば文句はないが、たまに左目にも新たな線、つまり第四の線が現れていることもある。

もし右目の二重が大きくなっても左目がさらに先を行けば、いつまで経っても左右非対称な状態が続くではないか。

まあ、この歳になると二重が大きかろうと小さかろうとバランスが悪かろうと気にする必要もなく、どうでも良いことではあったりするのではあるが。

それよりも心配しなければならないのは、まぶたが引力に負けてたれ下がることだ。

知り合いのお爺さんはまぶたが垂れ下がり、開閉する筋力も衰えたことから視界が狭くなりすぎ、手術でまぶたを切除していた。

そうならないようにするにはどうすれば良いのか。

まつ毛に重いものでもぶら下げて目をパチパチして鍛えるのか。

ネットで検索してみると、まばたきを自然ではなく、わざと何度もするというのがあったが、効果の程はいかがなものか。

とにかく目の周りにメスが入るなどということは、想像しただけで全身の力が抜けてスライムみたくなるので何としてでも避けたいものだ。

いざとなったらまぶたを持ち上げたままデコからセロテープで止めておけば良いかも知れないが。

自分解体新書 - 1 -

自分解体新書 ~目次~

■ 毛髪

白髪化は順調に進んでいる。

いや、この場合は順調ではない方が好ましいのだが、本人の意思を無視してニョキニョキと白髪が姿を現す。

やはり季節要因だったのか、今は抜け毛の量が減っているものの、夏のはじめはシャンプーのたびにモッサリと毛が抜け落ち、それの 80%は黒髪だったのだが、独り言にも書いたように生えてくる髪は白い毛ばかりだ。

これも独り言に書いたが、実の母や血のつながった叔母にまで
「去年はグレーで良かったけど今年は真っ白になった」
などと言われる始末だ。

実を言うと若い頃は白髪が増えることを望んでいた。

今は見るも無残に老け込んでいるが、当時はどちらかと言えば童顔で、年相応に見られたことがなく、仕事で人と会って商談などしていても年齢と役職に見合わぬ風貌なのが気になっていた。

少し白髪も生え始め、それが日を追うごとに頭部全体に広がり始めた頃、ロマンスグレーと呼ばれる色調か、ひと思いに白髪になってしまった方が貫禄があるように見られるのではないかと思っていたのである。

確かにそう思い、白髪化を望んだ自分がいるのは事実だ。

しかし、いくら何でも、誰がこれほどの勢いで白くなれと言った。

今は少しでも黒髪が維持されるよう望んでいるが、本人の意志は完全に無視され、浴室の排水口には黒い毛が渦を巻いて別れの挨拶をしてくれている。

■ 眉毛

高齢になると眉毛にも白い毛が混じっている人もいるが、今のところその兆候はないようだ。

ただし、毛の量をなんとか維持している頭と異なり、若い頃と比較て眉毛は薄くなってきたように思う。

ちょっとヤンチャをしていた頃はご多分にもれず眉を剃ったりしていたが、今はそんなことをしなくても薄く細くなってしまった。

たまに精力の衰えを象徴する極太のオッサン眉毛が鬼のような速度で伸びてくるが、そんな目障りで老化の象徴のような毛は有無を言わさずバッサリと切り捨ててやっている。

■ まつ毛

2007年の10月を最後に、あれから白い毛は生えてこない。

どうやら白くなった毛は毛根から抜け落ちてしまったようだ。

数ミリしかなく、たった一本の白い毛だったが、眼球のすぐ近くにあるため常に視界に入り、妙に気になる存在だった。

右目のさらに右端で光が乱反射し、気になって仕方ないのだが抜いてしまうのは気が引けるという微妙な立場を有する白い奴なのである。

過去を調べてみると、白い毛が生えたのは 2003年、2007年と 4年周期になっているので、その4年後である来年、2011年に再び姿を現すかも知れないと少し期待したりしているところだ。

上述の毛髪と同様に毛が白くなるのは銅ミネラルの不足も一因らしいが、子供の頃から貧血気味だったことを考え合わせると自分は銅ミネラルを吸収しにくい体質であり、それと加齢が加わって一気に白髪化が進んだのではないだろうか。

さりとてこの歳になってから慌ててミネラル補給を試みても、すでに手遅れなのは人から言われなくても十分に自覚していたりするのであった。