2011年大阪の旅 -1-

その旅は最初から幸運に恵まれたものだった。

となりのお店には事前に旅行のことを伝えることができていたが、ワンプの住む反対隣りのお宅には詳しい日程などを話せておらず、電車に乗ってから携帯電話のメールで知らせようかと 『お買い物日記』 担当者と話していたところ、家を出ると隣の奥さんも外におり、タイミング良く事情を説明することができたばかりか、車で JRの駅まで送ってくれるという。

駅までの道のりは、普段の散歩を考えると何の苦も無く歩ける距離であるため、天気さえ悪くなければいつもテクテクとキャスター付きの旅行カバンを引きながら駅に向かっているのだが、送っていただけるのならそれに越したことはない。

その前日まで苦しんでいた 『お買い物日記』 担当者の頭痛も 80%程度まで回復し、旅に差し障りのないくらいまで元気に復活したのも幸運だった。

独り言にも書いたように、初日は新千歳空港までの移動なので少し頭痛の残る 『お買い物日記』 担当者の負担も軽い。

神戸空港に向かう便が朝の 8:00発であり、その前にチェックイン、搭乗手続きの全てを終わらせようとすると 7:00には空港に着かねばならず、どう頑張っても当日の移動は無理なので前日に到着しておく必要があったのである。

空港に到着して長兄夫妻と合流し、食事の前に大阪でお会いする方々へのおみやげを購入。

何せ自分が仕事関係でお会いする人、『お買い物日記』 担当者が会いに行く人たちを合わせると相当な人数になるので、購入するみやげの数も大量になってしまい、念のために持参した大きめのバッグがパンパンに膨らんでしまった。

その後に食事を済ませ、翌日は朝が早いので早々に部屋に戻る。

一夜明け、バタバタとホテルをチェックアウトして搭乗手続きに向かったが、今は QRコードと呼ばれる二次元バーコードで全てが管理されているらしく、以前のようなチケットらしいチケット、ちょっと厚い紙のような樹脂のような、それっぽいものは存在せず、単にプリンターで印刷した A4の紙の隅のほうにある QRコードがすべてだ。

その紙も事前に旅行会社から受け取った書類の中に含まれているのでカウンターで発券してもらうとか、そういう手続が一切無い。

その紙を持ってスキャナー部分に QRコードをかざし、「ピロリン」 と認証されて手荷物検査を通過し、飛行機に乗り込む前も QRコードで 「ピロリン」 とゲートを通過するだけだ。

今回は紙だったが、携帯電話からチケット予約などすればメールでQRコードが送られてくるらしく、携帯電話をスキャナーにかざして通過している人が何人もいた。

とても便利な世の中になったと思う反面、ちょっと味気ない気がしてしまうのはオッサン化が進んだ証拠か。

飛行中、機体がひどく揺れることもなく、安定した状態で神戸空港に到着。

まずは三ノ宮まで移動するためポートライナーに乗り込み、先頭車両の最前部の席を陣取ってちょっと運転手気分。

JRに乗り換え、新快速で一気に大阪駅まで。

会社勤めしていた頃は毎日利用した駅なので懐かしさが込み上げてくるかと思いきや、改修工事がなされて中は様変わりしてしており、初めて見る光景だった。

宿泊先は第一ホテル、つまりは丸ビルであり、その外観を見たときはさすがに少し懐かしい感じがした。

ホテルではチェックインする時間には程遠かったが、大荷物で京都に行くのも大変なので今日の宿泊客であることを告げて荷物を預かってもらうことに。

ちょっと身軽になって再び大阪駅に行き、新快速で一気に京都。

京都駅でタクシーに乗ったのだが、その運転手さんはプロだけが知っているような、車もすれ違えない細い細い裏道をビュンビュンと通り抜けて行く。

北海道のようなおおらかな土地で、とても広い道幅を走る優良ドライバーである長兄は、運転手さんの隣の助手席でカチカチに固まっていた。

狭い道路を 40キロ前後で走り、前と接触するのではないかというくらいの狭い車間距離しか保たない関西人の運転は恐怖だったらしい。

お寺の前で車を降り、直ぐ目の前にある蕎麦屋さんで昼食。

ここは過去に何度も入った店で、その味はさすがに懐かしい気がした。

無事に法事も終わり、ぶらっと茶わん坂を歩いて目についた喫茶店で休憩。

帰り道では雑誌か何かの撮影で、舞妓さんがモデルとなっていたので便乗してパチリ。

何度も京都に行ったが、こんなに近くで舞妓さんを見るのは初めてであり、そのタイミングで偶然にも通りかかったのも幸運だった。

何だかんだとしている間に、すっかり夕方になったので京都観光をすることもなく新快速で再び大阪駅まで一気に進み、ホテルのチェックインを済ませて一休みし、丸ビルの地下にある居酒屋さんで呑み食いして一日が終わった。

2011年大阪の旅 -2- に続く。