おもてなしの心

日本人はなんて優しいんだろうと思う。

以前は韓国や中国に買い物ツアーに出かけていた日本は、経済規模で逆転されて逆に観光客を向かい入れる立場になっている。

日本人は変化を好まないとか言われるが、明治維新、敗戦を経て日本文化など失ってしまったに等しいくらいの変貌を遂げたのも日本人だ。

立場が逆転しても、したたかにビジネスチャンスを伺うたくましさをも持つ。

そこで発揮されるのが 『おもてなしの心』。

中国人の観光客が増えれば必死に中国語を勉強する。

アメリカ人の観光客が増えたら必死に英語を勉強する。

観光案内から店内のPOP、飲食店のメニューも日本語、英語、韓国語、中国語を併記してお客さんが困らないように気を配る。

2002年ワールドカップでカメルーンの準備キャンプ地となったからといって、中津江村の人たちは必死に公用語であるフランス語を勉強した。

全世界を見渡してみても、相手国の言語でコミュニケーションを図ろうとする民族が住む土地など皆無に近いだろう。

日本人が来るからといって必死に日本語を勉強する国がどこにあろうか。

余程のリゾート地ではない限り、日本語が通じるところなどない。

仕事や遊びで若い頃は海外に出かけたが、宿泊施設や商業施設、観光案内、飲食店など日本語の通じる場所などありはしない。

日本人はアメリカに行けば必死に英語を使おうとするし、韓国旅行に行っても店に入れば韓国語で注文しようとするし、中国に行ってもそれは同じだろう。

相手の国に寄せてもらっているのだから当然だと考える。

ところが、アメリカ人にしても中国人、韓国人にしても、日本に来ているのに自分たちの国の言葉を平気で使う。

自分の国の言葉で問いかけ、自分の言語で文句を言う。

それに対して必死になって相手国の言葉で応対しようとする日本人。

アメリカ人など日本に来ているのに英語で話しかけてきて、こちらが分からないと
「なぁ~んだ、英語もしゃべれないのか」
といった仕草をするが、ほぼ世界共通語になりかけている英語圏の人がそうするのは悔しいけれど一定の理解はすることができる。

韓国とか中国からの観光客が同じようにするのは理解できないが、そうされても言葉がわからないことを申し訳なくすら思う日本人は、なんて優しく、なんて小心者なのだろうと思う。

自己主張が苦手だったり、相手の気持をおもんばかることを優先してしまう日本人は、尖閣諸島、北方領土問題の解決、ビジネスシーンでは実に不利であることは間違いない。

しかし、そんな国民性を少しだけ誇りに思うのも事実だ。

日本流のおもてなしで気分を害する観光客はいないだろうし、そういう接客で気分を害する人もいないものと思われる。

つまり、それこそが日本流、日本式のビジネスモデルでもある訳だ。

どんどん観光客が増え、日本のおもてなしの心がクチコミで世界に広まれば、客が客を呼ぶという好循環が生まれる。

そして、その接客術はジャパンモデルのサービス業としてノウハウを輸出することもできるだろう。

時代や環境、立場が変わって初めて気づくこともある。

日本は製造業主体からサービス業主体へと変わる必要があるかも知れない。