大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

記憶 Memory-11

過去の記憶

過去の記憶をたどると様々なことを覚えており、むしろ数日前の食事内容とか数年前の旅の思い出よりも鮮明だったりするのはオッサン化が進んだ証しなのかも知れない。

小さい頃の記憶は確かにあるが、小中高と通学に関する明確な記憶が無いのはなぜなのか。

通学の道のり、景色も記憶に刻まれてはいるのだが、とくに登校時の記憶がほとんどと言っていいくらい残っていない。

三歳の時に住み始めた家は農業を営まれていた方から譲って頂いた土地に建てたので、周りは一面の畑と田んぼで他に家などなく、当然のことながら隣近所などというものもないので誰かと一緒に登校することもなく、行きはいつも一人だったはずだ。

毎朝どうやって学校までたどりついたのか、小学校から高校まで覚えていないというか、何も心に残っていないのである。

下校になれば、もちろん道草をして叱られた記憶もあれば、友達と笑い転げながら歩いた記憶、無意味に石を蹴り続け、先にやめるのが悔しくてムキになった記憶もある。

小学校の時はずっと仲良くしていたキミヒコと一緒に帰ることが多かったし、男子も女子もなく数人が入り乱れてワイワイ言いながら帰ることも多かった。

歩道の縁石の上をずっと歩いたり、冬は除雪で積まれた雪の上を歩いて帰ったりしたものだ。

中学生になれば真っ直ぐ家になど帰らず街なかをうろついたり喫茶店に寄ったりもしたし、友達の家に寄ったり、不良仲間と遊んだりしてから帰宅した。

途中までマサルと帰ることも多く、今となっては何を話していたのかも覚えていないが何だかんだと喋ったり大笑いしながら下校した記憶が残っている。

しかしながら登校時の記憶はどの学年を通じても明確ではない。

そして、その中でも特に不思議に思うのは雨の日の通学だ。

毎日の通学では雨の日もあるのが当然で、小学校の低学年であればカッパを着せられて通学したかもしれないが、高学年以上になれば傘をさしていはずなのに、その記憶が皆無なのである。

いったい何色の傘を持っていたのか、帰りにその傘を持って帰宅したのか。

そもそも学校のどこに傘を置く場所があったのか。

玄関に傘立てがあった記憶はないし、下駄箱はあってもロッカーなどはなく、教室にも傘を置いておくような設備があった覚えはない。

そして、自宅でも傘はどこに置かれていたのだろう。

もしかすると折りたたみ式の傘を使い、家でも学校でもカバンの中に入れっぱなしにしていたのだろうか。

そうでなければ突然の雨でびしょ濡れになって帰ることも多かったはずだが、全身が雨に濡れて帰宅した記憶など 1、2度しかない。

つまり、天候が急変しても対応できていたということであり、それが可能なのは常に傘を携帯していたからなのではないか。

推測から導き出される結論は折りたたみ式の傘が常にカバンに入っていたということになるが、例えそうだったとしても、いったいそれは何色でどんな柄の傘だったのだろう。

それに関して一切の記憶がないのが不思議でならない。

海外ドラマ

いつも海外ドラマを見ているが、そこでいつも疑問に思うのは役者さんの演技力がいかほどのものなのかという点だ。

見ているドラマはサスペンス系が多いのだが、つい 5分前まで善良な市民だった人が手のひらを返したように悪人へと変貌を遂げる。

今まで被害者であるかのように動揺し、さめざめと泣き、ひとりでなど生きて行けないようなタイプに見えた人が、もの凄く冷淡かつ残虐に人を殺害していたりする。

日本のドラマであれば、視線を合わせないとか目が泳いでいるとか言動が怪しいなど、どう考えても怪しかったりする登場人物がいるし、多くの場合はそれが犯人だったりするものだ。

ろくに英語が分からず、微妙なニュアンスなど分かるはずもないので言動の怪しさが伝わってこないのか、文化の違いから態度を見ても怪しさが分からないのか。

堂々とした態度で正面から目を見据え、視線をはずすことなくオーバーアクションで自分が犯人ではないと訴える姿からは犯人らしさが伝わってこない。

これは言語と文化の違いによるもので、アメリカ人や英語が堪能な人であればドラマを見ていて、こいつは怪しいなどと思うのだろうか。

もちろん犯人が犯人らしく、いかにもおどおどしていて最初から怪しいという登場人物もいるが、全体的には決定的な証拠を突き付けられるまで自信に満ち溢れた態度で、最後にそれが急変するというパターンが多いような気がする。

もう一つ想うのは、権利の主張に関してだ。

取り調べを受ける人、つまりは容疑者が常に権利を主張する。

誰かに危害を加えても身を守る権利、家族を守る権利を言い出し、あたかも正当防衛であるとか復讐するのが当然かのように主張する。

日本人にはそれができず、単なる言い訳とか同情を引きたいがための浪花節的せりふまわしになることが多く、堂々と罪を犯した理由など説明することはない。

確かに当然の権利ではあるが、警察に呼ばれて取調室に入るやいなや弁護士の同席を要求したりするのは毎度のパターンだ。

複数犯の場合、共犯者の情報を提供するかわりに減刑を要求するなど司法取引も日常茶飯事で、そんなだいそれたことをしたのに刑を軽くして良いものかと、見ているこちらが憤りを感じてしまうことも多い。

個人主義と組織の合理主義が微妙なバランスで作用し、お互いに徳があるから取引するのだろうが、被害者やその家族は減刑を不快に想うだろう。

そして、アメリカ人は自分がどんな生活をしていようと犯罪者であろうと子供に会う権利があると主張し、子供を引き取って育てている側がどんなに嫌がろうと姿を現したりする。

自分がどんな立場にあろうと会いたいものは会いたい、そして自分にはその権利があると主張してはばからない。

これが日本人なら
「子供に合わす顔がねぇ」
「こんな自分の姿をわが子に見せるわけにはいかねぇ」
と考え、
「陰からそっと見守っていきまっさ」
ということになるだろう。

そんな浪花節的なせりふが飛び交う典型的な日本のドラマを見て育ってきたので海外ドラマには違和感を覚えてしまうのも当然なのかもしれないが。

色々なところで違和感を覚えつつも海外ドラマは面白く、次から次へと録画して見まくっており、今では日本のドラマを見ることは一切なくなってしまった。

また CS放送の来月の予定が届く時期が近づいてきた。

面白そうなドラマが始まらないかとワクワクしたりしている今日この頃である。

スカパー!e2

スカパーに加入して約2年半、海外ドラマを録画しまくり、気になる映画を録画しまくり、気になるアーティストのミュージックビデオやライブ映像を録画しまくったりしている上に仕事中は音楽番組の音だけを流して BGMとしているほど完全に満喫している。

あまりにも録画しすぎたため、DVDへのダビングが忙しいのに加えて録画済みメディアが増える一方で、このままでは保管場所にも困ってしまう事態に至りそうになったので録画する機器をDVDレコーダーからBD(ブルーレイディスク)レコーダーに変更することにした。

BDは DVDの約 6倍ほどの容量があるため、画質を気にしなければ 1シーズン 24話くらいの海外ドラマを一枚のディスクに録画することができるので頻繁にダビングする必要もなければ保管場所に困ることもないだろう。

スカパーはデジタルテレビを受信できる機器に挿入されている B-CASのコードで管理されているので今まで DVDに挿していたカードと BDのカードを入れ替えて使う必要がある。

今までも何度か BDで録画する必要があって B-CASを差し替えたことがあるので、いつもの通り気楽に交換したのだが、スカパーの特定のチャンネルの映りが極端に劣化してしまった。

それも悪いことに、いつも録画している海外ドラマが放送されているチャンネルで、こともあろうか依存度の高い 2つのチャンネルが揃って映らなくなってしまったのである。

最初はデジタル放送に特有のデジタルノイズが現れ、画像がモザイク状の四角いタイルパターンで埋め尽くされたようになることが一定間隔で起こる程度だったが、ある日を境に受信電波が弱い場合に表示される E201とか 202エラーとなって受信そのものができなくなってしまった。

過去にも BS、CSでデジタルノイズが出るようになったことがあったが、それはアンテナの傾きが原因だったと判明している。

屋根に上げたアンテナを四方からワイヤーで引っ張って固定していたのだが、強風とか雪の重みなどで何度も角度が変わってしまい、その度に電気屋さんを呼んで直してもらっていたものだ。

あまりにも同じことが繰り返されるのに嫌気がさし、アンテナの固定方法を変更して屋根の側面からポールを立ててアンテナを固定するようにしたところ、その後は風や雪で角度や方向が変わることもなくなった。

そう言えば画像が乱れる数日前、北海道では台風並みの低気圧が通過し、暴風雨による交通障害が発生したほど空が荒れ狂ったことがあったので、強固にしたはずのアンテナも傾いてしまったのだろうか。

お買い物日記』 担当者は裏の家で行われていた工事の振動が原因でアンテナが傾いたのではないかという大胆な推理を展開したりしている。

しかし、アンテナが原因であった場合、すべてのチャンネルの受信状態に影響をおよぼすはずであり、特定のチャンネルだけ受信できないなどということがあるとは思えない。

だとすれば、B-CASを何度も抜き差ししたことで接触不良を起こし、BDレコーダーが使い物にならなくなってしまったということか。

いや、もしかするとスカパー側で何かが起こっており、我が家のみならず契約している全世帯で発生している大規模な障害かも知れない。

BDレコーダーのメーカーであるシャープ、アンテナを設置してくれた電気屋さん、そしてスカパーのどこに問い合わせたら良いものかとしばし悩んだ。

電気屋さんは過去に何度も来てもらっており、もしアンテナが原因でなかったら申し訳ないし、B-CASを何度も入れ替えたことが原因かもしれないという負い目があるのでシャープに問い合わせるのも気が引けるという、実に消極的な消去法で残ったスカパーに問い合わることにした。

最初に対応してくれた女性はとても親切で、こちらの状況を親身になって聞いてくれ、的確な質問で原因を探ってくれたのだが、先方が指定したチャンネルは綺麗に映っているし、その他のチャンネルの受信状態にも問題はなく、よりによって我が家が重要視しているチャンネルだけが映らないという最悪の状態は改善しない。

もしかするとアンテナかもしれないという結論に達しそうになったが、念のためということで技術関係の部署に電話を回してくれた。

電話に出た男性も感じの良い人で、細かく状況を聞き取りしてくれた後で、ごく限られた周波数帯のみの受信状態が悪いのはアンテナよりも機器の故障かノイズが原因であろうと当たりをつけ、ノイズであれば自身での改善が可能なのでアンテナケーブルのコネクタをアルミホイルで覆うなどしてみてほしいと言う。

とりあえず原因はスカパーにあるのではなく、またアンテナの可能性も低いのでまずはノイズ対策、それでも改善しない場合は BDのメーカーへ連絡することを提案された。

言われた通り、まずはノイズを疑ってテレビの背面を見てみると、テレビ本体、DVDレコーダー、BDレコーダー、オーディオラック、ゲーム機など多数の機器を中継して超タコ足配線になった電源タップが目に入り、そこに存在感のあるゴロンと大きな ACアダプターが刺さっている。

もしやと思って電源タップを動かしてみると明らかに映りが変化し、テレビからなるべく遠ざけるとデジタルノイズはスッキリと消え去り、美しい映像が映しだされた。

原因は電源タップ、それもたぶん、ある機器の ACアダプターが発するノイズであり、それが特定の周波数と干渉していたものと思われる。

愛想のないサポートであれば、原因が自社にないと分かったら一刻も早く電話を切ろうとするか、他の原因など考えてもくれなかったに違いない。

しかし、スカパーのサポートは懇切丁寧に対応してくれ、他の可能性を探るべく他部署にまで電話を回してくれた上、様々な可能性を提示してくれた。

最初に電話したのがシャープでも電気屋さんでもなく、スカパーであって本当に良かったと心から感謝している次第である。

情報の信頼性

『食べログ問題』 と言われるネット上でのクチコミ、ヤラセが問題化したのは数カ月前のことであり、消費者庁がそれを景品表示法に抵触するため違法という判断を示したのは先月のことだ。

クチコミ代行業者が事実と異なる書き込みをすることは好ましくないとの判断だが、店関係者が客になりすまして自分の店のことを良く評価するなどいうのは常套手段であり、近年のクチコミ情報サイトに限らず、たとえば当サイトの掲示板(すでに閉鎖)にすら宣伝まがいの高評価を投稿する店関係者はいた。

情報の伝達には IPアドレスという、いわゆる識別番号が含まれ、投稿された文章の見えない部分にもそれが埋め込まれているのだが、管理者はそれを読み取ることができ、どこの誰かはもちろん分からないが、この投稿とあの投稿は同一人物のものであるということは識別できるようになっている。

掲示板の書き込みで、あたかも複数の人が特定の店を高評価しているような投稿をしたように見えても、実はIPアドレスが同一、つまり一人で複数のハンドルネームを使って投稿していたりすることが度々あった。

目に余るほどひどい場合は削除していたが、2-3の投稿であれば営業努力と解釈して放置するものの、その内容は 『くちコミ情報』 に記載しないよう配慮するなど、できるだけ信頼性が高くなるよう努めていたつもりである。

しかし、このサイト程度の情報量であれば管理が容易でも、世にあるクチコミ情報サイトのような規模になれば管理が難しいので、なりすましや重複投稿を規制するのも困難だろう。

もちろんシステム的に同一のIPアドレスから同一の店に対して複数の投稿を禁ずることは可能だが、同じような文章であろうとも複数の店に対しての投稿であればチェックは難しいし、それを実現するためには膨大な処理が必要になってしまってシステムへの負荷が大きい。

あたかもクチコミ情報のように見せかけているが、実は宣伝目的で流す情報のことをステルスマーケティング、略してステマと言い、一定以上の効果や成果を得やすいものの、それがステマだと気づかれると反感を買って逆効果を生むというリスクも大きいので細心の注意が必要だ。

しかし、今日現在ではステマが横行しており、クチコミ情報サイトのみならず、世の中の掲示板、ブログ、TwitterFacebookGoogle+など、ありとあらゆる場所で隠れながら、こっそりと、隠密なる宣伝活動が行われている。

Facebook は原則本名での登録となっているが、あくまでも原則であり、偽名だろうとなんだろうと登録可能であるし、たとえ本名であろうと企業から依頼されて特定の商品や店を褒めちぎる文章を掲載して対価を得るなどという行為を規制することはできない。

つまり、どんな手段をもってしてもステマを封じ込めたり規制したりすることは不可能であり、その手の情報は店や商品を選ぶ際の参考程度にしかならず、決定するための貴重な情報源には成り得ないと思われる。

どんなに便利な時代になろうとも、どんなに情報が入手しやすい時代になろうとも、やはり一度は味わってみたり使ってみなければ本当のところは分からないだろう。

デジタルでバーチャルな世界ではなく、リアルな体験こそ一番である。

この季節、天気の良い日は花見をしながらの昼食というのがここ数年の定番となっており、ソメイヨシノから始まって昨日の八重桜までずっと楽しんできたが、いよいよシーズンも終わりだろう。

芝生に敷物を広げ、ボ~っと桜とツツジを見ながら弁当を食べていると足元からアリがよじ登ってきたので払いのけ、落ちて敷物の上を歩きまわるアリをつかまえて遠くに放ったりしていた。

実は数日前に別の場所で花見をしながら食事をしていた時もアリの奇襲を受けた。

顔に何かが当たったと思ったら弁当の中をアリが歩き回っていた。

きっと木の上から落ちてきたのだと思われるが、その理由が分からない。

足を踏み外して木から落ちる間抜けなアリなど見たことも聞いたこともない。

だとすれば何らかの意思を持って木の上から飛び降りたのだろうか。

それは食べ物に目がくらんだからであって、高所の恐怖より食欲がまさり、弁当めがけて決死のダイブとなったのかも知れない。

潔癖症ではないのかと思えるほど衛生面に過敏な現代人であればアリが歩きまわった弁当など捨ててしまうかもしれないが、子供の頃から自然の中で育ち、野生の木の実やヒマワリの種などをボリボリと食べ、草や土を触った手でお菓子をわしづかみにして食べていた自分にとっては気にすることでもないので、米粒の上のアリをつかまえて遠くに飛ばし、そのまま食べ続けた。

それでもめげずにアリはやって来て足の上などを歩き回る。

子供の頃であればプチッとつぶしてやるところだが、大人になるとなぜか殺生をためらうようになり、アリが来るたびに手で払いのけたり手のひらに乗せて遠くに投げ捨てたりするのが鬱陶しいとは思うものの、殺してしまうという選択肢はない。

食事の邪魔さえしなければ良いのであって、息の根を止めてやりたくなるほどの憎しみも怒りもないのである。

家の周りにもアリが歩いていたり、たまには家の中に侵入してきて部屋の中をウロウロしたりしているが、そんな時も殺さずにつかまえて窓から外に追い出すようにしており、なるべく殺生しないようにしている。

子供は残酷な生き物であるから、何も被害を受けていないのにただ歩いているアリを足で踏み潰したり、巣穴に水を入れて慌てふためくアリを悪魔のように見つめていたり、爆竹で巣穴ごと吹き飛ばしたりして遊んでいたが、大人になった今は残酷なことをしようとは思わない。

ただ単に家の中に侵入してきたり食べ物の上を歩かなければ良いのであって、身の回りのアリを根こそぎ退治してやろうなどとは思わない。

ある程度の駆除までは妥協するにせよ、根こそぎ駆除する必要はあるのか。

そういう点から考えると、アリの巣コロリとかは必要なのか。

窓とか玄関などに塗ったり噴霧して虫の侵入を阻止することができる薬品があれば良いのだが、蚊とかハエに効果があるものはあってもアリにも有効なものがあるのか分からない。

足や腕でモゾモゾ動き回られるのは鬱陶しいが、そもそもアリは害虫なのだろうか。

もちろんシロアリなどを放っておくと家が朽ち果てるので問題だが、普通の黒い働きアリなどは他の虫の死骸を片付けてくれたりするので、むしろ役に立っているような気がする。

そんなこんなで食事中に現れたアリを見て、子供の頃を思い出したり殺生の必要性を考えたりしながらボ~っとした時間を過ごした金曜の午後なのであった。

記憶 Memory-10

過去の記憶

少子化が進んだことと、最近の子供は塾通いで忙しいことと、家の中で遊ぶ子供が増えたことなどが重なりあって近所で遊ぶ子供の姿と声が消えてしまった。

自分が子供の頃は習字やそろばん、柔道や剣道といった、いわゆるお稽古事というのはあったが学習塾などというものは存在すらせず、放課後のグラウンドや近所の公園、広場や草むらには多くの友達がいて遊ぶのに苦労しなかったものである。

そして、そんな子供たちを見ている大人も必ずおり、誰かが怪我をすればどこからともなく現れて薬を塗ってくれたりしたものだ。

自分の子も他人の子もなく同じように可愛がり、同じように叱りつけたリしていた。

そんな時代に育った自分は近所に大勢の友達がおり、その数だけ母親や父親がいるのも同然だったので、いろいろな場所で可愛がられたり叱られたりする。

悪さをすれば他人の親にだろうと尻を叩かれたし、頭にげんこつをもらったりしたが、自分が悪いと分かっていたので親にも言わなかったし、たとえ言ったところで
「おまえが悪いからだっ!」
と言われ、他人の親と自分の親から二重に叱られる羽目になり、見事に墓穴を掘る結果となってしまっていた。

同級生はもちろん、上級生も下級生もなく一緒に遊び、友達の家にあがりこんでおやつを食べさせてもらったりすることなど日常茶飯事だった。

そんな中、国道沿いの一軒家に住む老夫婦が自分とどういう関係だったのか今も分からない。

玄関に金網のかごが置いてあり、その中でリスを飼っていたので、それを見たくて遊びに行っていたのかもしれないが、その家には同じ年代の子供はおらず、お爺さんとお婆さんが二人で暮らしていたように思う。

田舎の家であり、のどかだった当時は玄関に鍵などかかっておらず、好き勝手に出入りしても叱られたり文句を言われたりしなかった。

その家にはしょっちゅう遊びに行って勝手に部屋に上がり込んだりしていたが、老夫婦はニコニコしながら
「おや、来たのかい」
と言ってジュースを飲ませてくれたりおやつを食べさせたりしてくれた。

同じ年代の子供がいないので家の中には遊ぶものもないし、老夫婦と会話が弾むはずもないのだが、勝手に家の中をウロウロしたり巣の中からなかなか出てこないリスをジーっと見たりして、飽きると帰るということを繰り返していたはずだ。

その家の数軒先に新婚さんの住む家があり、新婚さんゆえに同じ年代の子供などいるはずもないのだが、その家にもかなりの頻度で遊びに行ってはお菓子を食べさせてもらったりしていた。

そして自宅の裏にも新婚さんが暮らしており、そこにもよく遊びに行っては何か食べさせてもらっていた。

子供の頃、親は
「この子は食が細く、あまり食べないので体が弱い」
と心配していたものだ。

しかし、実のところは、いろいろな家でたらふくおやつを食べていたので、晩ご飯など入るすき間が胃袋になかったというのが実情だった。

そして、その事実を親は今でも知らなかったりするのである。

閉塞感

この日本に漂う閉塞感はなんだろう。

国民の誰もが明るい未来を想像できない。

将来の年金制度はどうなってしまうのか。

この国の社会保障制度はどうなってしまうのだろう。

今の教育制度のままだと国際競争力のある人材は育たない。

今の制度のままだと地方の疲弊は進むばかり。

このままだと日本そのものが競争力を失い、資金が流入しなくなる。

世界市場を相手にしている大企業は日本に本社を置く必要性を失い海外移転。

日本から輸出するものがなくなり、貿易赤字国に転落。

輸入大国になるも、肝心の輸入資金が枯渇して買い付け不能に。

資源の調達を国内に頼るも、すでに第一次産業である農林業、漁業、鉱業が崩壊し、著しく自給率が低下しているため食料もエネルギーも不足。

生きるための奪い合い、略奪や強奪が横行し犯罪率が悪化。

弱肉強食、腕力だけがものをいう時代が訪れ、警察や司法が無力化。

法秩序をもたず世界常識の範疇にない国へ・・・。

悪夢のような未来像だが、誰も否定したり一笑に付したりできないくらいのリアリティを持っているのではないかと思う。

何かが変わらければ暗黒の未来へのカウントダウンは止まらない。

変わらなければいけないのは日本人そのものであり、今までとは違う意識で国を率いるリーダーを選ばなければいけないのだと思う。

つまり、今の政治を変えなければ、官僚システムを変えなければ奈落の底に落ちるのを止めることはできないのではないだろうか。

民主党幹部はこれから先も一年は政権を維持し、来年夏に衆参同時選挙を実施したい考えなのだそうだが、このままの状態で政権を維持できると思っていること自体が無能な証拠だ。

そもそも民主党に政治を任せようとした時点で国民の意識は変わった。

いや、変わったからこそ自民党や官僚に国の命運をかけることはできないと判断し、脱官僚をかかげた民主党を選んだ。

変われなかったのは国民ではなく政治家のほうである。

ならば再び選択するしかないが、現状のままでは民主党政権だろうと自民党政権だろうと大差なく、日本が変われるとは思えない。

だから大阪の橋下市長が率いる維新の会が注目を集めるのだろう。

彼の政治手法や人柄、思想がどうであっても構わず、ただ現状のシステムを破壊さえしてくれたらそれで良いのではないだろうか。

その後の再構築で誤った方向に向かいそうになったら民主的プロセスで再び指導者を選択すれば良いのだから。

そのためには維新の会に力をつけてもらう必要がある。

だとすれば、選挙を急ぐより民主党幹部の思惑どおりに来年の夏まで時間をかけ、維新の会内部も国民の意識も熟成するのを待ったほうが良い。

多少は独裁的で強引なくらい力強く方向性を示すことができるリーダーが必要とされている。

橋下氏を全面的に応援している訳ではないので、できることなら小泉進次郎、河野太郎、渡辺喜美あたりも力をつけて、現状の日本のシステム破壊に一役買ってほしいと願っているが。

デジタル化の波 Signal-12

デジタル化の波 ~目次~

デジタルデバイドとはパソコンやインターネットなどの情報技術を使いこなせる人と使いこなせない人の間に生じる待遇や貧富、機会の格差のことで、情報格差とも言われる。

現在は就職活動もデジタルが中心で、ネットが使えなければ採用情報すら得ることができず、企業の情報や評判、仕事内容や職場の雰囲気も計り知ることができない時代になっており、新卒はもちろん転職を希望する人にもパソコンやネットに関する一定の知識が求められる。

最近ではテレビやラジオのプレゼントもネット経由での募集が多くなり、以前のようにハガキでの応募は皆無に近くなってきた。

募集する側も何千通、何万通というハガキが送られてくると、個人情報の保護が厳しく求められる昨今では管理するのも廃棄するのも手間がかかるので、一瞬にして削除可能なデジタルデータが便利だろう。

おまけにクイズに回答して応募するような形式であれば、クセ字、悪筆、乱筆または達筆すぎて解読困難な文字と格闘する必要がなく、答えの当たり外れも容易に分類可能なデジタルデータが好まれるのは当然のことだ。

したがって、これから先もデジタルが中心となってハガキで応募するようなアナログな方法はなくなっていくだろうから、デジタル機器やネットを使えなくては参加資格がないのも同然ということになる。

デジタルテレビの双方向機能を使ってクイズに参加したりプレゼントに応募する番組も少しずつ増えているが、我が母のように新しい機能になど一切の興味がなく単なるテレビとしてしか使っていない人には無縁のこととなってしまう。

ネットを利用して通販で買い物をできる人であれば、どんなに辺ぴな僻地に住んでいようとも欲しい物を手に入れることができるが、それができない人がどうしても欲しい物を手に入れたければ相当な労力と資金を使い、遠くまで行って買い求めなければならない。

もっと身近な話題で言えば、大型店の多くが導入しているポイント制や電子マネーを利用するのもデジタル化の流れに乗らなければ特典を得るのが難しくなっている。

例えばイオングループのデジタルスタンプ、『イオンかざすサービス』 は携帯電話やスマートフォンでネットを利用し、おさいふケータイや電子マネーに関する多少の知識がなければ利用不可能なサービスだ。

このサービスは毎週異なる商品の割引サービスを受けられたり、集めたスタンプを電子マネーであるWAONポイントに交換できたりする。

ただでさえ電子マネーを使うとポイントがたまるのに、スタンプまでポイントに交換でき、対象商品は割安に購入できるという倹約家にとって嬉しい限りのサービスなのだが、それもこれも利用できるのは電子機器を使い、ネット接続してアプリをダウンロードできる人でなければならない。

実に小さなことではあるが、これも立派なデジタルデバイドであり、待遇や機会の格差が生じていることになる。

今は新聞折込チラシではなく、お得な情報をネット配信している店も増えているので、それを閲覧できなければ、いつ、どこで、どのようなセールが行われているのか、何がお買い得なのかという情報すら手に入れることができなくなってきている。

時代はますます進み、変革し、使える人と使えない人の情報格差はこれからも広がっていく一方だと思われる。

年齢とともに新しいものに対する食いつきは悪くなっているものの、まだ少しずつでも新しいものに慣れていっている我が家は、何とか時代に取り残されずについて行けているが、それをいつまで続けられるかに関してはあまり自信がないかも知れない。

自分解体新書 - 9 -

自分解体新書 ~目次~

■ 肌

敏感肌なのも相変わらずなのだが、大阪で暮らしていた頃より少しマシになったような気がしないでもない。

それが顕著なのは散髪屋さんに行った後で、以前まではカミソリを当てられた首が痛痒くなって三日間くらいは薬用クリームをペタペタと塗っておかなければならなかったが、今は痛みも痒みも感じなくなった。

考えられる要因は複数あるが、もしかすると、それは顔剃りの技術とかカミソリの切れ味に深く関係するのかもしれない。

大阪で利用していた散髪屋さんはゾリゾリと音が出るような剃り方で、剃ったそばから皮膚がヒリヒリしてくるほど肌に抵抗を感じるが、となりの店ではヒゲの剃れる音はすれど他の部分はスーッと抵抗なくカミソリが肌を滑る。

それは良いカミソリ、手入れの行き届いたカミソリを使っているからなのか、はたまた顔剃りの技術に大きな差があるからなのか。

もしそれが原因だとすると大阪も北海道も関係なく、単に選ぶ散髪屋さんに問題があっただけということになるが。

■ まつ毛 -その 2-

管理人の独り言に書いたように、左目に白いまつ毛が生えてきた。

妙に毛が硬く、クルリと丸まっていたのでチクチクと気になって仕方がなかったが、せっかく生えた白い毛なので抜いてしまう気にもなれず、そのまま放っておいたのに気づかぬうちになくなっていたのが少し寂しい。

まつげの毛周期は早い人で約 30日、遅い人で約 90日くらいらしく、他の体毛と比較すると再生サイクルが早いということなので気づかぬうちに生えたり抜けたりするのも当然か。

かなり前にも白いまつ毛が右目に生え、その時にネットで調べたところ確実なる 『老化現象』 とのことで少なからずショックを受けたが、一般的には起こらない珍しい現象だということなのでちょっと自慢に思ったりもする複雑な感情を抱いている。

■ 肩

これも独り言に書いたが、肩がずっと痛いままである。

ずっと同じ姿勢を保っているからか、寝起きに動かすと痛みが強いが時間の経過とともに和らいで普通に生活している分には気にならなくなるので大きな支障はない。

普段の動作で一番の問題は背中が痒い時だ。

上から、つまり肩越しに背中に手を回すのは問題ないが、下から回すと痛いので、痒い場所に手が届かないことがある。

打撲した訳でも妙なひねり方をした訳でもなく、ある日を境に急に痛くなり、それがずっと続いているので近く病院で診てもらおうとは思っているのだが。

■ 太腿

同じ日の独り言で触れた太腿の裏側、つまり裏腿、正確には太腿二頭筋・半腿様筋・半膜様筋のいずれか、ちょっと洒落た呼び名だとハムストリングスが痛い。

これもある日突然のことで、最初は左足の裏腿に痛みを感じたのだが 2-3日すると右足も痛くなってきた。

前かがみになるとピリッと突っ張ったような痛みを感じる程度だったものが、今はビシビシっとした強い痛みに変わり、前屈系の運動ができずに困っている。

体が柔らかいことが少ない取り柄の一つで、頭を膝につけることなど簡単なことだったのに今は特に左足の痛みがひどく、ビックリするくらい体の硬い人のようになってしまった。

痛くなってからかなりの時間が経過し、一向に改善しないので肩の件と合わせて整形外科にいかなければならないと自覚しているが、

■ 腰

腰が重くなかなか行動に移せずにいる。

スーパー女子高生 mayu

以前にも書いたとなりの店は、ご両親と兄妹、そして妹ちゃんには娘がいるので 5人家族だ。

妹ちゃんは関東で暮らして結婚し、出産のために北海道に帰ってきている間に旦那さんが別の女性と深い仲になってしまい、帰って来なくて良いなどと訳の分からない理不尽なことを告げられ離婚したという過去を持つ。

美容の技術を身に着けたのは、それより以前なのかそれ以降なのか分からないが、親の跡を継いで繁盛店にしているのだから、甲斐性なしの男と不毛な生活を続けているより結果的には良かったのではないだろうか。

そんな事情で父親がなく、一般的な家庭とは異なる休日体系で土日も祭日も大型連休もなく、朝から晩まで忙しく店を切り盛りしているので母親と接する時間も短いという環境で育てば、多少は反抗的になったり非行に走ったりしてもおかしくはないが、妹ちゃんの娘は実に素直で可愛らしく立派に育っている。

この4月で高校三年生になった彼女の名はマユちゃん。

顔を合わせればニコニコ笑顔で挨拶してくれる。

自分が中学、高校くらいの頃、周りの大人はすべて敵だと思っていたので挨拶もしなければ、ろくに目も合わさなかったし笑顔を見せることなど皆無だった。

たまにおすそ分けなど持ってきてくれ、
「戴き物なんですけど良かったらどうぞ」
などと、きちんと会話して帰っていく。

自分は近所の人と関わりたくなかったし、上述したように口もききたくなく、そもそも親の言うことなど聞くはずもないので、おすそ分けなど持って行くことなど有り得なかった。

以前、帰省のためしばらく家を空けることを 『お買い物日記』 担当者が伝えに行くと、大人たちは店が忙しかったのか対応してくれたのがマユちゃんだったのだが、なんと話しの最後に
「気をつけて行って来てください」
と言ってくれたと感動しながら帰ってきた。

これが同じ頃の自分であれば、
「はい」
とか
「はあ」
せいぜい
「わかりました」
くらいの単語しか発しなかっただろう。

客商売をしている家庭に生まれた子なので先天的に社交性や話術に優れているのかもしれないが、少なくとも自分以外に当時の友達関係まで対象を広げてみても、たとえ真面目人間だったマサルであっても、それほど気の利いたセリフは言えなかったと思われる。

去年の今頃には
「イチゴ狩りに行って来たので食べてください」
と、山盛りのイチゴを持ってきてくれた。

繰り返しになるが、自分はおすそ分けなど近所に持っていかなかったし、親とイチゴ狩りなんぞ真っ平御免であり、行動を共にするなど考えられず、たまの外食ですら誘いを断ってお金だけ受け取って一人で買い食いしていたものだ。

そして今年の二月、なんとマユちゃんはバレンタインチョコまで持ってきてくれた。

義理チョコ、友チョコ、自分チョコなど手作りしたと言うことなので、それを手伝っていた妹ちゃんにでも
「隣のオジサンにも持って行ったら?」
などと言われたのだろうと思っていたのだが、実は一人で黙々とチョコを作り、自己判断で我が家の分まで作ってくれ、自主的に持ってきてくれたということが後に判明した。

そんな女子高生が世の中にいるだろうか。

なんと立派で思いやりがあり、心優しい女の子なのであろう。

小さい頃から書道をたしなみ、今では人に教えられるほどの腕前であり、同じく幼少の頃から英会話を習い、日常会話に支障がないほどの英語力が身に付いている。

だからと言って見るからに大人しそうなお嬢様タイプではない。

キラキラした笑顔の持ち主ではあるものの、流行のファッションに身を包み、髪を少し茶色く染めて学校の先生に叱られるという、今どきの女子高生だ。

ジャニーズの嵐のファンであり、コンサートチケットを手に入れるためにファンクラブに入会し、それでも入手困難なものだから母親である妹ちゃん、挙句の果てには孫の魅力を存分に発揮してお爺ちゃんまで入会させるという荒業を使う。

「もうみんなが持っているから」
という実に子供っぽいごまかしで、普及率が30%にも満たないスマホをまんまと買ってもらったりもしている。

そんな面がありながらも自分というものをしっかりと持っており、ユネスコ交流事業で公募された作文審査で合格した全国 12人のうちの 1人に選ばれ、ドイツに行って英語でスピーチすることになった。

とにかく同じ年頃だった自分なんぞ比較するのも恥ずかしく、それに値しないほど良くできたスーパー女子高生なのである。

しかし、本当に残念なことであるが、マユちゃんはドイツに行くことが叶わなかった。

なんと不運にも流行していたインフルエンザに感染してしまったのである。

スーパー女子高生のマユちゃんも、病気に勝てなかったのであった。