腑に落ちないこと

以前に勤めていたコンピュータ周辺機器メーカーで、当時としては画期的な製品を発売することになった。

外付けのハードディスクなのだが、HDD部分がカートリッジ式になっており、付けたり外したりできるのでドライブだけを購入すれば保存するデータや用途によって交換可能という便利なものだ。

その製品の広告やカタログ、取扱説明書で付け外し可能なことを脱着可能と表記していたら、着ていないものを脱ぐことなどできないのだから、脱着(だっちゃく)ではなく着脱(ちゃくだつ)とするのが正しいと年配の社員が言う。

しかし、国語辞典にも脱着は掲載されており、
「付けたり外したり、着たり脱いだりすること。『着脱』(ちゃくだつ)と同義。」
と書かれているのだから間違いではないだろうと腑に落ちない部分を残しつつ先輩の言うことに従ったりしていた。

以前は語呂が良いからか、着脱(ちゃくだつ)よりも脱着(だっちゃく)のほうが主流だったように思うし、圧倒的に耳に馴染んでいたので何だか着脱とは言い難かったのを覚えている。

ところが今、盛んに放送されているテレビ通販などでは製品の特徴を説明する際に、付け外し可能な機能を着脱可能、着脱自由と言い、圧倒的に着脱(ちゃくだつ)派が主流となってしまった。

主流というより、脱着(だっちゃく)と言っているのを聞いたことがないので絶滅危惧種となってしまった感が強い。

そこであらためて調べてみると、
「脱着(だっちゃく)は工業の機械分野の準専門用語(製造現場用語jargon)で、脱着可能とか自在 mountable,removableといった複合語としての使用頻度が高い。」
という説明があった。

つまり、コンピュータ業界にいたから脱着(だっちゃく)が主流であり、それが耳に馴染んでいただけで一般的には当時から着脱(ちゃくだつ)のほうが広く使われていたのだろうか。

しかしながら、国語辞典に掲載されている脱着(だっちゃく)を使うのは正しくないと言い切った先輩社員の発言には今も違和感を覚えたままだったりする。

なぜなら、服を着たり脱いだりすることは 『脱ぎ着(ぬぎき)する』 と言い、決して 『着脱(きぬぎ)ぎする』 などとは言わないではないか。

先輩社員の言葉を借りれば着てもいないものを脱げるはずがないのは事実だが、実際には脱ぎ着するものであるのだ。

また、よく人が訪ねてくる家や施設を指して 『出入り(ではいり)が激しい』 と言い、決して 『入り出(はいりで)』 とは言わない。

入ってもいない人が出てくるはずがないのに、出るのが先にくる。

同じように収納グッズなどは 『出し入れ(だしいれ)簡単』 なのであって 『入れ出し(いれだし)』 と言うのは聞いたことがない。

これも、入れてもいないものを出せるはずがないのに出すという言葉が先だ。

さらに 『抜き差し(ぬきさし)』 だって同様で、差していないものを抜けるはずがないが、『差し抜き(さしぬき)』 という言葉はない。

いや、世の中の多くの言葉がこのように構成されているのだから、むしろ逆順で言うのが正しいのではないかとすら思えてくる。

たまたま脱着←→着脱と並びが逆の同じ意味を持つ言葉が双方とも間違いではなく共存していることがレアケースであり、本当は脱着(だっちゃく)が先で着脱(ちゃくだつ)は後で生まれたのではないだろうか。

こんなことをゴチャゴチャと考えているのは自分くらいなものだろうが、言われて腑に落ちなかった原因はそこにあると今さらながらに思ったりしている。

そして腑に落ちないの腑はどこであって、何が落ちないのかという疑問が急に頭をもたげ、調べてみると。

腑に落ちないの 『腑』 は、『はらわた』『臓腑』のことであって、『考え』 や 『心』 が宿る場所とされ、そこにスッキリと収まらない、ストンと落ちてこない状態、つまり人の意見が心に入ってこないことを言うのだそうだ。

なるほど、この件に関しては腑に落ちた。