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au顛末記 – 1パケット目

それは 『お買い物日記』 担当者の不安げな声から始まった。

スマホの料金プランを間違って設定してしまったのではないかと言うのである。

我家の場合、Wi-Fi(ワイファイ)と言う無線ネットワークで通信が可能なため、家の中では携帯電話会社の電波を利用する必要がない。

そして、外出の際も電話さえできれば良いのであって、買い物などで近所をウロウロする程度であればネット接続できなくても大きな問題はない。

最近はセブンイレブン、ローソンなどが Wi-Fi接続のサービスをしており、店の近くに行けばメールの送受信も Webページの閲覧も可能だ。

帰省の際など、二人揃って遠出をする場合は Wi-Fi端末を持って行けば、その端末の通信費用だけで二人のスマホとノートパソコンもネット接続することができる。

つまり、一人分にも満たない通信費用で複数の機器が使えるし、携帯せずに家の中に設置している場合は端末を光回線に有線接続しているので電波を使用せず、費用は一切かからない。

したがって、『お買い物日記』 担当者が通院で札幌に行く月だけ必要に応じて auの料金プランを変更すれば良く、それ以外はパケット通信のサービスそのものを必要としないのである。

昨年の 11月までは月々1,000円分の無料通話ができるという理由で一応はネット接続も可能なプランを選んでいたが、外出することが少ないのでスマホで電話することなどないし、自分と 『お買い物日記』 担当者の通話は家族間で無料なので、その 1,000円すら減ることがなく、繰越で常に上限の 5,000円分まで使える状態になっていた。

それならば無料通話など必要ないし、ネット接続のパケット通信も必要はない。

そうなれば、そもそもスマホを持つ必要があるのかという根本的な疑問が生じないでもないが、そこはやはりイザという時のために所有している必要はあるのではないかということになり、であるならば最低限のプランで維持しようという結論に至った。

auのショップに行って使用環境を説明し、それならばということで月々 780円という最低のプランに変更すると伝え、手続きをしてもらった。

それから約 4カ月、何も気にすることなく使い続けていた所で冒頭の 『お買い物日記』 担当者の不安げな発言である。

調べてみると、プランを変更となった 12月分の料金から請求額が 6000円以上に跳ね上がり、それがずっと継続しているので不安になって自分の設定も調べてみると、なんと同じように 12月分から請求額が 6000円を超えていた。

どうなっているのかとネットで契約状況を調べてみると、なんと最大限にパケット通信を利用する最高額のプランに変更されているではないか。

これは 『お買い物日記』 担当者がスマホからの操作で誤ったプランを選択してしまったのではなく、auショップが間違た手続きをしたものと思われる。

最低金額を目論んだのに最高金額を支払わされたのでは意味がない。

auショップでは手続内容を確認して最後にサインをすることになっているので、きっと間違ったプランになっているのに気づかず二人で署名してしまったものと思われ、それに今さら腹を立てても仕方ないが、苦情の一つも言ってやらなければ気が済まないと、翌日になって店に行った。

11月に受け付けてくれた人とは違う人だったが、とにかく事情を話すと、こちらの手違いでプランを間違うことはない、きちんと内容を説明したはずだの一点張りで取り付く島もない。

しかし、我が家としては最低のプランを希望して相談し、最低金額で済むようにプラン変更するのが目的で店を訪れたのに、わざわざ最高金額に変更するはずがないではないか。

店員が丁寧に誠意を持って対応してくれるなり、申し訳ないの一言でもあれば渋々ながら引き下がるつもりでいたのに、こちらに間違いはない、最終確認のサインももらっていると冷たくあしらわれたことに腹が立ち、ついつい強い口調になり、語気を荒げて
「もういいから、さっさと最低のプランにせぇ!」
と言ってしまったのだが、店員は
「こちらは携帯電話のみ対応可能なプランで、スマートフォンではご利用になれません」
と、これまた初めて耳にする説明を始め、だから前回も話しが噛み合わず、間違ったプランを選択したのではないかと言わんばかりの態度だ。

とってもムカムカしたが、店内で大暴れするには歳を取り過ぎてしまったので、腸が煮えくり返りながらも憮然とした態度で店を出た。

・・・ au顛末記 – 2パケット目 に続く

巣立ちの時

北海道に帰ってきた時にはまだ中学生だったとなりの店マユちゃんも巣立ちの時を迎えた。

英語か習字を一緒に習っていた縁なのか分からないが、どういう訳だか下級生の女の子が毎朝迎えに来て一緒に通学するという中学生活で、毎朝の散歩の途中で顔を合わせるとニコニコとまぶしい笑顔で挨拶してくれたマユちゃん。

裏の自家菜園でできた採れたて野菜を持ってきてくれたり、ドライブがてらに狩ってきたイチゴ、店のお客さんからいただいた野菜などのお裾分けをニコニコ笑顔で持ってきてくれたマユちゃん。

高校生になってもグレることなく明るいままで、こちらが気づかなくても姿を見かけると大きな声で挨拶してくれたし、通学のため駅に向かう自転車で、元気に挨拶しながら散歩中の自分たちを追い越して行ったマユちゃん。

生まれた直後に両親が離婚したため父親の顔を見ずに生きてきたが、母親である妹ちゃん、伯父であるお兄ちゃん、祖父母であるお父さんとお母さんの愛を一身に受けて明るく元気に真っ直ぐ育ったマユちゃん。

そんな彼女がとうとう巣立って行く。

専門学校生となるのでまだまだ親掛かりではあるものの、生まれ育った家を出ての一人暮らし、自炊生活がいよいよ始まる。

就職活動、大学入学試験などがあるので年が明けた 1月から 3年生には学校の授業がなく、すでに美容学校への入学が決定していたマユちゃんにとっては事実上の休みに等しい。

その 1月はずっとマユちゃんの姿が見えず、とても心配しており 2月になって帰ってきたときは心底安心したものだが、その不在だった理由を妹ちゃんから聞いてきたお買い物日記』 担当者によると、校則が厳しく在学中は自動車の運転免許を取得することができなかったので、時間が自由になる短い期間に取ってしまおうと合宿免許に参加していたのだそうだ。

隣の誰かが夜な夜な外出し、主に妹ちゃんが乗っている車がいつもなくなっている日が続き、親戚かなにか体調の悪い人を看病に行っているのだろうかと 『お買い物日記』 担当者と話していたが、それも免許を取得したマユちゃんが運転の練習のために、毎晩妹ちゃんと車で出かけているのだということが同時に判明し、色々と心配したり疑問だったことがいっぺんに片付いた。

余計な心配を勝手にしていただけなので隣の一家には何の関係もないのだが、まるで我が子のことのように隣に住むオッチャンとオバチャンは気を揉んでいたのである。

ずっと笑顔で接してくれたマユちゃんが高校を卒業して家を出て、違う土地で一人暮らしを始める節目ということで、親戚でも縁戚でもないのは重々承知の上だが何かしてあげたいと思い、卒業祝いのプレゼントを購入した。

そして卒業式の日を迎えてもどうやって何のタイミングで渡すのかは決めておらず、2週間ほど部屋の中に置きっぱなしにしていたが、翌週の火曜日、買い物に出かけるついでにマユちゃんに直接手渡すことができた。

店のお客さんからも色々と戴き物を受け取ることが多いので、そういう時は妙な遠慮をすることなく満面の笑みで気持ち良く受け取ってくれる。

しかし、何の変哲もないコンビニのレジ袋に包装することなく無造作に入れたお菓子の下にはちょっとだけ高価なプレゼントを潜ませておいた。

高価と言っても高校の卒業祝いとして無難な線で、決して常識はずれな金額のものではなく、送り主が赤の他人でなければ妥当なところだと思われる。

が、やはり赤の他人からだと気兼ねするらしく、買い物から帰ってくると妹ちゃんとマユちゃんが二人揃い、あらためてお礼を言いに来てくれた。

しかし、本当に遠慮せず、気兼ねなく受け取ってプレゼントしたものを使ってほしい。

マユちゃんには金額なんかでは換算できないほど楽しい気分、幸せな気分にしてもらったし、祖父母や親と同じ道を歩むと決断してくれたことに他人事ながら本当に感謝している。

隣のオッチャンとオバチャンは、いつかマユちゃんが店を継いでくれたなら、一番最初のお客さんになろうと思ったりしているのである。

マユちゃんの巣立ちの時、それは明日・・・。

目が覚める頃には家を出てしまっているかもしれない。

大きく大きく羽ばたいてほしいと心から願っている。

言葉の変遷 3

言葉の変遷 ~目次~

時代とともに使われる言葉は変わっていくものだが、とくにカタカナ読みの陳腐化は激しく、一昔前の読みで話そうものなら若者から失笑されること請け合いであり、どんなに若いふりをしていても一瞬にしてジェネレーションギャップを肌で感じてしまうのは間違いないことだろう。

今でも社名や看板に残っているのはヂーゼル、ビルヂングで、これは今となっては誰も発音しなければ表記することもなくなってしまい、すべてディーゼル、ビルディングに置き換わっている。

昔、アメ車の Mustangはムスタングと読んだものだが、今はマスタングが常識となった。

少し前にテレビなどで良く言われたのは、今はディスコと言わずにクラブと言うということだったが、2000年代初期のユーロブームに乗せたパラパラという日本発祥の踊りが大流行したのを最後に飲んで踊るクラブも、枝分かれして大人の社交場となったディスコも衰退し、今となっては店そのものが存在しないものと思われる。

男女が一緒にいるのはカップルであって、アベックとは言わなくなった。

グッドデザイン賞 (Good Design Award) を代表とする、何らかの賞を与えるイベントに冠する Award は、デザインアワード、クリエイティブアワードなど、アワードと読まれることが多かったが、最近になってアウォードと発音することが多くなってきたようだ。

メインはメーンと表記されることが多くなってきており、バリバリ昭和生まれの自分としては、森田芳光が監督し、薬師丸ひろ子が主演した 『メインテーマ』 が 『メーンテーマ』 では間が抜けているような気がするし、『宇宙戦艦ヤマト』 で沖田艦長が
「メーンエンジン点火」
などと言ったら力が抜けてしまいそうな気がしてしまう。

仕事をしている人はサラリーマンからビジネスマンへと変わり、働いているのは男だけではなかろうということで最近はビジネスパーソンと呼ばれるようになった。

昔はサラリーマンに対して女性社員は OL(Office Lady(オフィス・レディ)) と使い分けられていたが、男女雇用機会均等法、差別、格差の撤廃によって男女問わず使える総称が必要になったのだろう。

その OLも昭和初期まで BG(Business Girl(ビジネス・ガール)) と言われていたらしいが、さすがにそれを耳にしたことはないので、前述したヂーゼル、ビルヂングと同時期なのだろうか。

読みが複数あるものの代表例は、吸うと鼻やノドがスースーするメンソールで、タバコの商品名では 100%近くメンソールと表記されているが、もう一つのメントールという呼び名もガムやキャンディー、アロマオイルなどで広く使用されている。

いつまで経ってもどちらかに統一されることがなく、どちらを使っても失笑されたりバカにされたりしない不思議な呼び名だ。

最近になって変化を遂げているのが Artistで、アーティストと言われるのが今でも体勢を占めているが、一部ではアーチストと発音、表記されるようになってきている。

一般的な感覚としてはアーチストが古い表記で、小さな 『ィ』 が入るアーティストが新しいと受け止められるだろうが、逆のパターンもあるのだと実感したりしたところだ。

確かに、日本人には何でもかんでも小さな 『ィ』 を入れたがる傾向があるようで、髪を固めるジェル剤をデップと発音すると失笑されることが多い。

しかし、デップ(Dep)はデップであって、決してディップではない。

デスクトップ(Desktop)パソコンがディスクトップではなく、デパート(Depart)をディパートなどと言わないのと一緒である。

そして、日本人はろくに知りもしないくせにカタカナを使いたがる傾向にあり、平気な顔をして堂々と間違っていることも多い。

最近特に多いのはフィーチャーをフューチャーと言う間違いだ。

音楽でよく使われるのだが、曲のタイトルなどに付けられている A featuring B は、フィーチャリングであってフューチャリングではない。

Aさんの曲に Bさんがフィーチャーリング(featuring(客演))するという意味で、それはフィーチャー(feature(呼び物、聞き物))であって、フューチャー(future(未来))することなど文法的にもあり得ないのである。

オッサンが若い二人を見てアベックと言うのを笑う前に、知ったかぶりをして妙なカタカナを使うのをやめていただきたいものだ。

自分解体新書 - 15 -

自分解体新書 ~目次~

■ 爪

昨年末、左手親指の爪の端が縦に割れ、そこが何かに引っかかり、今度は横にヒビが入った。

それが広がって爪が剥がれては一大事と、ネットで調べた瞬間接着剤とティッシュペーパーによるネイル強化などを試してみるも効果を得られず、仕方がないので絆創膏を巻いていた。

絆創膏は指先に巻くのには大きすぎるので粘着部分だけ切って使っていたが、それではあまりにも無駄だ。

そこで、包帯を留めておいたりガーゼを腕などに貼り付けておくサージカルテープを使ってみたのだが、これがなかなか具合がよろしい。

爪がギザギザになっている部分はテープが破れやすいので、最初に小さくカットしたテープを貼ってから長くカットしたテープを指に巻く。

最初はシワシワになったりしていたが、3カ月が経過した今となっては自分でも惚れ惚れするほど綺麗な仕上がり状態に巻くことができる。

これ専門の商売があればプロ級の腕前なのに、世の中にそんな商売がないのが実に惜しい。

横割れは爪の先から 5-6ミリの所にできていたが、爪の伸びとともに先に移動し、もう少しで切ってしまえそうな位置まで来ている。

明日の爪切りでひび割れがなくなり、サージカルテープ生活が終わることを期待しているのだが実際にはどうなることだろう。

■ 土踏まず

2月 6日の独り言にも書いたように、昨年の 9月くらいから痛くなった土踏まずの痛みが少しずつではあるものの緩和されてきている。

しかし、そのペースは実に遅く、2月時点で 8程度だった痛みが 7になった訳ではなく、まだ 7.5とかいう感覚だ。

土踏まずというくらいなので地面に接触することのない部分だが、何かの拍子に痛みが走る。

早く治ってほしいと切に願ってはいるが、焦っても仕方がないので、これからもじっくり付きあおうと思っているところだ。

■ 胸

男だって胸がたれる。

とくに女性は胸がたれただのバストトップの位置が下がっただのと気にし、それを矯正したり一時的にごまかしたりする下着も山のように売られているが、男だって下がるものは下がる。

入浴前に鏡の前に立つと、あるべきものがあるべきところになく、視線を下に動かしてやっとそれを確認できるという状態だ。

若いころ、まだプロレスラーのジャイアント馬場が健在で、寄る年波に負けることなくリングに上がり、老体にムチ打って息子のようなレスラー相手にノソノソと戦ったりしていた。

それをテレビで見て、
「どうしてジャイアント馬場の乳首はあんなに下にあるのだろう」
と、とても不思議に思っていた。

ところがである、あそこまで下がってはいないものの、若いころにあったはずの場所から明らかに乳首は落下し、もうすぐ馬場状態という段階に入ってきている。

女性と違って男の場合は矯正したりごまかしたりする下着がないし、あったところでそんなものを身につけて薄着をする勇気など持ち合わせていない。

ここは自然の摂理に従い、なされるがまま逆らわずに放っておくしかなさそうだ。

言葉の変遷 2

言葉の変遷 ~目次~

テレビで妙な言葉遣いが広まっていることを伝えていた。

会社で上司なり先輩なりに
「これコピーして」
などと言われると、
「ありがとうございます」
と返事をするのだそうだ。

教科書どおりの返しであれば
「かしこまりました」
と言うのが正しいのだろうが、確かにこれでは硬すぎるような気がしないでもないし、『かしこまりました』 などと、それこそかしこまった言い方をするのも妙にこっ恥ずかしいものと思われる。

しかし、『ありがとうございます』 はあまりにも的はずれな返事だ。

なぜ頼まれごとをされて礼を言わねばならないのか。

私だって忙しいのに雑用なんか頼んでくれて 『ありがとうございます』、他にも新人がいるのに私めなんぞを選んでいただいて 『ありがとうございます』 という嫌味だと受け取られかねない危険性を微妙にはらんでいるような気がするのは自分の性格がひどく歪んでいるからかもしれないが。

そこは素直に
「はい」
と返事すれば良いだろうし、良いお返事をするのが照れるのであれば、
「何枚コピーしましょうか」
とか言って場を繋げば良いだろう。

最近、特に気になっているのは
「~じゃないですか」
「~じゃないですけど」
というやつだ。

言葉を重んじるはずの民放はおろか NHKのアナウンサーまで使い始めており、それが耳障りで仕方がない。

前者は
「明日はひな祭りじゃないですか」
などと使うのだが、普通に
「明日はひな祭りですね」
と言えば済む話であるし、
「明日はひな祭りですけど、家で何かされますか?」
と続ければ良いだけのことである。

それをわざわざ
「明日はひな祭りじゃないですか」
と相手にふっておいて
「はい」
とか
「そうですね」
と返事をさせた上で
「家で何かされますか?」
と会話を続けることが実に多い。

中には
「私ってぇ、家事とかできないじゃないですかぁ」
とか言うアホもいたりするので、テレビ画面に向かって大声で
「そんなこと聞かれても知らんっ!!」
と言ってやりたくなる衝動を抑え切れない。

後者は本当であれば肯定すべきところを否定的に言うパターンで、
「後悔先に立たずじゃないですけどぉ」
「あの時あーすれば良かったとか思ってるんですよぉ」
と、否定したくせに後に続くのは前文を肯定する文言だ。

なぜ素直に
「後悔先に立たずで、あの時は・・・」
とか
「後悔先に立たずと言いますけど、私も以前に・・・」
と話せないのか。

これらは芸能人が使っていたものが若い人に広まったものだが、いつまでも若いふりをしたいオッサンやオバチャンにまで感染しつつあるのが恐ろしい。

今までも、私って、俺ってまだまだ若いでしょと痛々しさ丸出しの中年が若者に迎合して妙な言葉や文化が根付いてしまったことは多い。

きっと、この
「~じゃないですか」
「~じゃないですけど」
という訳の分からない日本語も定着し、肯定文なのか否定文なのかの判断を困難極まりないものにし、日本語習得を目指す海外の人の脳を混乱させることだろう。

真性雑感 第四版

真性雑感 ~目次~

例によって、これといった題材がないので今回も思いつくまま気の向くままに。

今月で北海道に帰ってきて丸 5年が経過し、ようやくこの街にも根付いてきた感じではあるが、超高齢となった母親をいつまで一人にしておくかという問題もあり、いつ、どのタイミングでどうすべきかと考えなくもないが、やはりまだ老人と同居するような生活は送れないだろうと思ったりしている。

なにせ母親ときたら、夜の 7時や 8時には床につき、朝の 3時や 4時に起床する生活をしており、一つ屋根の下で生活するのは困難極まりないと言わざるを得ない。

夜の 7時と言えば仕事が一段落し、ブログ更新の準備にとりかかる頃であり、8時から晩御飯というのが今の生活で、それから海外ドラマなどを観て歯磨き洗顔、その日のニュースを見ながらブログ更新し、就寝は 0時を過ぎてからというのが日常だ。

時計の針を動かすように、グリっと 5時間ほど生活パターンをずらせば同居も可能かもしれないが、NHKの 7時のニュースを見ながらブログ更新して就寝という生活パターンを思い描くことすらできない。

昨年の帰省の際に、まだまだ同居する気はないと伝えてあるので母親も期待などしていないと思われるが、その日が来るのが一日でも先延ばしになれば良いと心底願っている。

多少は足腰が弱ってきたものの、実年齢よりはるかに若く見える風貌と、いつまでもよく聞こえる耳、あまり低下しない記憶力、鋼鉄のような胃袋の持ち主であるので当分は一人で生活することが可能だろう。

その若さと記憶力の維持には食生活が大きく関わっているのではないかと想像している。

朝食は、ほぼ 365日間いつも鮭を焼いて食べており、残すのは骨だけで皮もすべて胃に押し込んでしまう。

それを何十年も続けているからか医者からカルシウム不足を指摘されたこともないし、青魚の半分程度とは言え DHAも多く含まれるので視力や記憶力の衰えも表れないのかも知れない。

そこで、少しは母親を見習って我が家でも鮭を食べようと思ってはいるが、何せ朝はパン食なものだから毎日の食卓に登場させることは難しく、どうしたものかと考えているところだ。

早いものでもうすぐ 2月も終りとなる。

少しずつ日が長くなり、もう少しで朝の陽の光で朝刊が読めそうな感じだ。

今は今季最後と思われる寒波が来襲して異常に寒い日が続いているが、これが終われば春は目の前だろう。

ここ数年、北海道にとっての春である 5月くらいから秋まで大葉とバジルを育てているが、今年は大葉をやめてバジルを 2鉢にする計画だ。

大葉は割りと安価で手に入るし、バジルより育ちが悪いので育て甲斐がない。

バジルは生でパスタにしてもよし、天日干しにして乾燥させ、料理に使うもよしという便利さに加え、乾燥ハーブ類は購入すると割りと高額なのにも関わらず、自分で乾燥させたものより風味が劣るので、一度栽培するとやめられないのである。

そして、我が家では毎週パスタを食べるし、朝のパンでバジルを使うことも多く、それ以外にもトマト煮系の料理も好きなのでバジルの消費量が多い。

去年の収穫で乾燥させたバジルはまだあるものの、少し遠慮しながら使っているのも事実なので、今季は倍の量を育てて乾燥バジルも大量に作り、一年を通して遠慮なくふんだんに使おうという魂胆だ。

それと併せて料理にはパセリも使うことが多いので、今年はイタリアンパセリも育ててみようと思っている。

数年前、地元の農家さんが育てたイタリアンパセリを直売場で購入したところ、生のまま 3-4カ月は冷蔵庫で保存できたので、収穫量によっては年をまたいで食べられるかもしれない。

と、ここまで書いて上述した 『ふんだん』 という言葉が気になった。

もちろん、沢山、たっぷり、多くという意味は知って使っているが、どのような漢字を使うのか思い浮かばなかったので調べてみると、『ふんだん』 は 『ふんだん』 であって漢字はないようだ。

絶え間なく続くことを意味する漢語 『不断(ふだん)』 が音変化したものらしく、途切れることなく続くということから物が多くあるという意味になったらしい。

またほんの少しだけ賢くなれたところで真性雑感は終わりである。

浮揚感

日本の、そして一部の地域や業界では、いわゆるアベノミクスと呼ばれる自民党安倍政権の景気浮揚策に乗じて投資を拡大して春間近と期待しているようだが、北海道の、それも中心都市ではない田舎に暮らしていると何の実感もなく、浮揚感が地方に波及する前に景気減速におちいるということが過去に何度も繰り返されている。

それでも景気回復を期待するというのは悪いことではない。

『気』 というくらいで、何となく良い方向に進みそうだとか、良いことがありそうだという期待や気分になるだけでも好景気への入り口なのかもしれないし、実際に財布の紐が緩むというものだ。

今どきの財布にヒモなどついているはずもないが、相変わらず財布の紐が硬いとか緩むとかいう表現を使うのは他に適切な表現がないからなのかと思ったら、同義語に財布の口が固い、緩いというのもあった。

どんな財布にもお金を出し入れする口はあるので、現代においては財布の口とするのが良いのではないかと一人で思って納得したりしている。

それはさておき、アベノミクスなどとカタカナで表そうと、実のところは以前までの自民党型バラマキ政策と大きな違いはなく、あいかわらず公共事業に何兆円とか真水で何兆円などと自慢気に中身を披露しているが、真水で何兆円だろうと官僚が支配する財団、公益法人、外郭団体に数兆円が流れ、下流である民間まで流れ着く頃には半分以下に目減りしているに違いない。

景気浮揚策の一つが規制緩和だとか言いつつ、ネット通販の裁判で負けた市販薬の扱いに関して法律で規制しようと動いてみたり、言っていることとやっていることがバラバラなのでイマイチ安倍ちゃんは信用できず、結局は業界団体と、それに寄生する族議員、官僚の呪縛から逃れられなさそうだ。

従来とは異なる手法だの何だの言ったところで、カンフル剤の種類を替えたに過ぎず、世の中の仕組みを根本から組み立て直すというほどの治療ではないので、今回の補正予算で多少は景気が上向いたとしても長続きするとは思えない。

また、過去の轍は踏まないのが賢いやりかたであるにも関わらず、少し景気が持ち直して参院選で勝利すれば完全自民党型政治に逆戻りするばかりか、日銀は金融緩和を控え、消費税の増税の追い打ちで一気に景気が減速するという典型的なパターンになるような予感がする。

バブル景気とまでは言わないが、本格的に景気が回復し、それが持続可能と判断されるまで増税を待つべきだと思うが、財政難を理由に待ったなしで消費税率を引き上げてしまうことだろう。

浮揚感とは、文字通り浮いた感じなので、そもそも不安定な状態でもある。

高速エレベーターの下りで少し体が軽くなったような、絶叫マシンのフリーフォールで一気に落下して体が浮いたような、胴上げされて頂点に達した時のような、気持ちが良いようで実はとてつもなく不安定な状態が長く続くはずはない。

我が世の春を謳歌してきた中国ですら景気に陰りが見え始めたし、信じられないほどの金が動いていたドバイも総崩れした今、シェールガス特需に湧くアメリカの景気回復に賭けるしかない世界情勢ではあるが、日本はその一翼を担うことができるだろうか。

この浮揚感は安倍政権による参議院選挙までの繋ぎ政策であって、そこで大勝すれば官僚の言いなりとなって一気に緊縮財政、増税へと舵を切りそうな気がする。

そんなことをすれば、また政権交代が起こるという恐怖感は今の自民党にはないだろう。

何せ民主党があのザマで、第三極もまとまりきれずにいるのだから。

偏見

育った環境が要因かもしれないが、子供の頃から差別意識や偏見を持つということが一切なく、人が一部の人をなぜ忌み嫌うのか理解することができなかった。

また、北海道は歴史が浅く、大多数の人が移民であるため雑多な文化が入り混じっており、それぞれを尊重するためか、逆に確固たる信念がないためか、文化や作法が違ったとしてもさほど気にすることもない。

それゆえに北海道の人は大らかだと言ってもらえるが、実際には人のことなどどうでも良いだけかもしれないのである。

そんな環境で育ち、そんな環境で暮らしていたので大阪に越して生活を始めた時、周りの人が出身地や家柄に一方ならぬ興味やこだわりを持っていることに驚いてしまった。

どこの誰は、何々家の末えいだとか、どこの誰の何代目だとか、何々藩のどこそこの誰の子孫だとか、自分にはどうでも良い情報を丁寧に教えてくれる。

北海道に住んでいると身近に感じたことなどない部落差別も明らかに残っているようで、誰それはどこそこの出身だとか、先祖はあそこからあっちに逃げた誰だとか、これまた自分には興味のないことを知らせてくれるのだ。

しかし、そもそも差別意識などなく、子供の頃からそういった情報に触れていない自分にとっては誰の先祖がどうだとか、どこそこの出身だとか教えられても、それが意味するところを理解できないので、ポッカ~ン状態となってしまい、それを自慢気に話していた相手は 「ありゃ」 という表情になり、こいつに言っても無駄だと悟ることになる。

障害者に偏見の目を向ける人もいるが、それも理解できない。

自分から積極的に関わる気も福祉に興味がある訳でもないが、だからと言って拒絶する気も否定する気もなく、普通に生き、普通に生活している人としか思っていない。

通った中学校には障害者の通う特別学級が併設されており、校舎を分けることなく同じ建物の同じ廊下に 1組から 6組、そして特別学級の 1クラスが並んでいた。

廊下を歩けば障害者とも会うし、トイレだって洗面所だって体育館だって一緒に使うが、自分も含めて誰も障害者をからかったり、いじめたり、悪口や陰口を言うことはなかったので、成長の過程で偏見や差別の対象にならなかったのだろう。

日本の最北端、稚内(わっかない)市に父方の祖父母が暮らしていたので、夏休みと冬休みにはいつも遊びに行っていた。

今は引き上げてしまったが、当時はアメリカとソ連(当時(現ロシア))が冷戦時代だったこともあり、今の沖縄のように米軍基地や施設が各所に点在する町で、港には軍艦や戦艦も配備されていたものだ。

町では兵隊さんが闊歩し、肌の白いのから黒いのから黄色いのまで様々な人が普通に生活していたのを見ていたので、人種に対する偏見も芽生えなかったのかも知れない。

また、生まれ育った小さな町には他国の生徒が通う学校もなかったので、そもそも接点がなく、差別する機会すらなかったというのが正確なところだ。

したがって、在日韓国人や中国人を差別したり、偏見を持っている人が多いことに驚かされた。

これが一定以上の年齢の人であれば以前の日本の教育水準からして無理もないことかもしれないが、自分よりかなり年下であっても偏見の目を持つ人が多い。

今でこそ韓流スターブーム、K-POPブームなどがあったので差別意識もかなり減っただろうが、つい最近まで自分にとっては驚くほどの人が中国、韓国の人を嫌っていた。

人を嫌うのも悪口を言うのも、それ相当のエネルギーを必要とするので、自分には差別意識などなくて良かったと思っていたのだが・・・。

中国での反日暴動、尖閣諸島をめぐる対応、反日教育、韓国での反日デモや竹島問題を伝える報道を見るにつけ、中国と韓国に対する今までなかった感情が、それも決して褒められたものではない感情、差別意識や偏見が自分の中に生まれつつある。

今までなかっただけに、そんな感情を持つことが実に悲しい。

犬たちのいる風景 2013冬

隣に住んでいたワンプが引っ越したのは去年の7月

近所に住む犬のテリーくんは、まだワンプが帰ってくると思っているのか、しばらくの間は散歩の途中に犬小屋のあった場所まで入っていって様子をうかがったりしていたらしく、昨年の暮れまで雪に足あとを残していた。

雪が積もってからは足あとが続くことはなくなったが、奥に進むことができないだけであり、ワンプのことを忘れた訳ではないと思われる。

テリーくんは何年も前に飼われていてすでに死んでしまった友だちのことも覚えていて、いつも散歩の途中に犬が飼われていた場所を見に行くのだそうだ。

北海道に帰ってきてもうすぐ丸五年、その間に近所に住んでいた三匹の顔見知りの犬が死んでしまったが、テリーくんは何匹の友だちを失ったのだろう。

映画 『わさお』 によく似た大型犬をたまに見かける。

もちろん勝手にわさおと呼んでいるが、その犬が神出鬼没で、朝の散歩の途中、買い物の途中、様々な場所を歩いているのを目撃する。

我が家も月曜から金曜まで違うコースを散歩するので神出鬼没だと思われているかも知れないが、きっと飼い主であるお父さんは無理にリードを引っ張ることなく、わさおの気の向くままに歩かせているのだろう。

散歩の第二、第五コースで歩く小学校の裏の遊歩道、それと並行して流れる小川の向こうに飼われている雑種犬も可愛らしいやつだ。

独り言に川向うの犬と書いている犬のことだが、実は間近に見たことはない。

場所は川向うの家の、さらに庭の向こう側、約 50メートルほど離れているだろうか。

毛の長いモッサリした犬で、いつも寝てばかりいるのだが、たまに体を起こして飼われている家の中をじっと見たりしている。

きっと餌をもらえる時間か散歩に連れて行ってもらえる時間が近く、飼い主が出てくるのを待っているのだろう。

お~いと呼びかけても、なかなかこちらを見てもらえなかったが、最近になってやっと匂いを覚えてくれたのか、パンパンと手を叩くと寝ていてもむっくりと顔を上げてこちらを見るようになった。

近所の動物病院で飼われているゴールデンリトリバーは子どもたちの人気者だ。

毎朝散歩しているのだが、いつも通学途中の子どもたちが周りをかこみ、一団となって歩く。

犬も子どもたちを友だちだと思っているのか、一緒に歩道橋を渡り、そのまま学校に向かって行くのだが、どこまで一緒に歩いているのか定かではない。

金曜の散歩道である第五コースの途中、アパートなのに犬が飼われているところがあった。

一般的にアパートは生き物を飼うことはできないと思うのだが、そこに住んでいた茶色の柴犬は他の住人からも可愛がられているようだった。

飼い主が一階に住んでいたので玄関ドアの横に犬小屋を置いていた。

いつも散歩時間が重なるようで、小屋の前にいる姿を数回、散歩している姿を数回しか見たことがなかったのだが、飼い主のお母さんと仲良くしているのが印象的だった。

ここまですべて過去形で書いてきたのは、その犬が、いや、飼い主さんも含めて引っ越してしまったらしいのである。

昨日の散歩は 『お買い物日記』 担当者の頭痛、悪天候、朝マックのためのコース変更などが重なり、昨年末以来、実に一カ月以上ぶりの第五コースだったのだが、その間に犬小屋ごと消えてしまっていた。

黒柴リュウくんのことはいつも独り言に書いているが、今は一番お気に入りの犬である。

リュウくんと飼い主のお母さんとの関係も実に微笑ましい。

最初、リュウくんは交差点に立って子どもたちの通学を見守ったりはしておらず、近くにある寺の広い敷地内を散歩して帰るだけだった。

お母さんはあまり足が良くないらしく、スタスタは歩けないのでゆっくりと散歩するが、リュウくんはリードをぐいぐい引っ張ることもせず、同じ歩調で一緒に歩く。

寺の境内ではリードをはずしてもらってお母さんと遊ぶ。

お母さんは石や小枝を拾い、面倒くさそうにあさっての方向に投げるのだが、リュウくんは必死に走って追いかけ、咥えて戻ってくる。

そのチョコマカと走る姿も本当に可愛い。

いつもの交差点には数人の大人が立って子どもたちが道路を渡るのを見守っているのだが、リュウくんのお母さんはそこで立ち話しをするようになって話す時間がどんどん長くなり、ついには毎朝の日課となってしまったのである。

そしてリュウくんも一緒に子どもたちを見守るようになり、ついにはユニフォームまで作ってもらったという訳だ。

実にキリッとした精悍な顔で、すくっと大地を踏みしめながら堂々と子どもたちを見守ってはいるのだが、リュウくん、実は豆柴なので背丈は大人のひざ下までしかなかったりするのであった。

嫌われる食べ物

両親共稼ぎだったため近所の年寄りに育てられたのが幸いしたのか、子供の頃から割りと好き嫌いがなく、普通の子供が嫌うものも平気で食べられたので給食も残すことなく先生に叱られることもなかった。

直近のものは見つからなかったが、2005年時点での子どもの嫌いな食べ物ランキングがあったので見てみると、10年前の 1995年と様変わりしている。

順位19952005
1ピーマンニガウリ
2ナスレバーなど
3ニンジンナス
4レバーなどピーマン
5セロリトマト
6トマト梅干し
7シイタケ肉の脂身
8タマネギアスパラガス
9グリーンピースセロリ
10ネギ、長ネギグリーンピース

ニガウリ(ゴーヤ)、ピーマンなどは苦味成分が多いので嫌われるのは仕方がない。

人間は良くできたもので、苦味、酸味は毒を持つ物、腐敗が進んだ物に多く含まれる成分であるため、子供のうちは本能的に拒絶するよう遺伝子に組み込まれているのだそうだ。

したがって、ある程度の年齢までは食べられなくて当然であり、それが自然なので無理に食べさせる必要はないのかも知れない。

それでも中学や高校になっても嫌いだと言っているのは考えものであり、大人になっても食べられないのは恥ずかしく、甘やかされて育ったのだと非難されても致し方無いだろう。

自分はといえば、なぜだか小さな頃からピーマンも平気だった。

今は美味しく食べているニガウリなど全国に流通し始めたのは近年のことであり、子供の頃は見たことも聞いたこともなかったが、あのゴジラの皮膚のような外見と強烈な苦味を持つ食材であることから、さすがに食べることができなかっただろうと思われる。

2005年の 2位にランクインしているレバーは大人になっても食べられない人が多いが、これも小さな頃から食べることができたし、割りと好きな食材だった。

3位のナスは 1995年も 2位にランクされているが、苦味も酸味もなく、強い香りもないのに安定的に子供たちから嫌われるのは何故なのだろう。

良く火を通せばトロトロに甘く、たまらない美味しさなのに不思議だ。

これも子供の頃から食べられたので嫌われる理由が分からない。

5位のトマトを最近になって食べられるようになったのは 『お買い物日記』 担当者だ。

嫌いと言うより子供の頃に食べ過ぎて見るのも嫌になっていたらしいのだが、最近は加熱しても生でも美味しそうに食べているので完全に克服したのだろう。

自分は小さな頃から何の問題もなく食べている。

6位の梅干しは前述した通り、子供の苦手な酸味を多く含むので嫌われても当然だが、自分は子供の頃から食べられた。

7位にランクインしている肉の脂身は、さすがの自分もちょっと苦手だった。

今となっては赤身だけの肉などモソモソしているだけで、適度に脂身がある肉のほうが美味しく食べられるが、子供の頃はあのブニュっとした歯ざわりと口の中にモワッと広がる味が好きではなく、まだ上手に使えない箸をグリグリさせながら脂身を分離させようとして親に叱られものである。

8位のアスパラも子供の頃から好きなので嫌われる理由が分からない。

苦味も酸味もないのにどうして食べるのが嫌なのだろう。

9位のセロリも割りと近年のものであり、子供の頃は近所の店でお目にかかれる野菜ではなかったが、あの独特の風味は受け付けなかったのではないかと思われる。

実際、セロリを食べるようになったのは約 5年前に北海道に帰ってきてからで、たまたま近所のスーパーの見切り品で安価に販売されていたものを、抵抗なく食べることができるか試しに買ってみたのが最初だ。

パスタやピザのソースにも使われているので、初めて食べるものではないだろうが、実際に買って生で食すのは生まれて初めてのことであり、かなりドキドキしたのを覚えている。

食べてみると実に美味しく、あの独特の風味もかえって好きなくらいであり、今は常備野菜としていつも冷蔵庫に保存されるようになった。

10位のグリーンピースも子供の頃から何の抵抗もなく食べているので過去から現在に至るまで、ずっと子供たちに嫌われている理由が今ひとつ分からない。

それにしても昔は嫌われ者の王道で、1995年当時も 8位、10位にランクインしているネギ類の姿が 2005年に消えたのはどうしてなのだろう。

品種改良で苦味や香りが抑えられたのか、そもそも好き嫌いの多い親世代が料理に使わなくなったのか。

何でも食べられるのは、それだけ楽しみも多く様々な味、食感、のどごしを経験できることであり、嫌いな食べ物が多い人より得をしているように思う。

幼少のころ、上手にしつけてくれて好き嫌いなく育ててくれた老夫婦に感謝したいと思う。