偏見

育った環境が要因かもしれないが、子供の頃から差別意識や偏見を持つということが一切なく、人が一部の人をなぜ忌み嫌うのか理解することができなかった。

また、北海道は歴史が浅く、大多数の人が移民であるため雑多な文化が入り混じっており、それぞれを尊重するためか、逆に確固たる信念がないためか、文化や作法が違ったとしてもさほど気にすることもない。

それゆえに北海道の人は大らかだと言ってもらえるが、実際には人のことなどどうでも良いだけかもしれないのである。

そんな環境で育ち、そんな環境で暮らしていたので大阪に越して生活を始めた時、周りの人が出身地や家柄に一方ならぬ興味やこだわりを持っていることに驚いてしまった。

どこの誰は、何々家の末えいだとか、どこの誰の何代目だとか、何々藩のどこそこの誰の子孫だとか、自分にはどうでも良い情報を丁寧に教えてくれる。

北海道に住んでいると身近に感じたことなどない部落差別も明らかに残っているようで、誰それはどこそこの出身だとか、先祖はあそこからあっちに逃げた誰だとか、これまた自分には興味のないことを知らせてくれるのだ。

しかし、そもそも差別意識などなく、子供の頃からそういった情報に触れていない自分にとっては誰の先祖がどうだとか、どこそこの出身だとか教えられても、それが意味するところを理解できないので、ポッカ~ン状態となってしまい、それを自慢気に話していた相手は 「ありゃ」 という表情になり、こいつに言っても無駄だと悟ることになる。

障害者に偏見の目を向ける人もいるが、それも理解できない。

自分から積極的に関わる気も福祉に興味がある訳でもないが、だからと言って拒絶する気も否定する気もなく、普通に生き、普通に生活している人としか思っていない。

通った中学校には障害者の通う特別学級が併設されており、校舎を分けることなく同じ建物の同じ廊下に 1組から 6組、そして特別学級の 1クラスが並んでいた。

廊下を歩けば障害者とも会うし、トイレだって洗面所だって体育館だって一緒に使うが、自分も含めて誰も障害者をからかったり、いじめたり、悪口や陰口を言うことはなかったので、成長の過程で偏見や差別の対象にならなかったのだろう。

日本の最北端、稚内(わっかない)市に父方の祖父母が暮らしていたので、夏休みと冬休みにはいつも遊びに行っていた。

今は引き上げてしまったが、当時はアメリカとソ連(当時(現ロシア))が冷戦時代だったこともあり、今の沖縄のように米軍基地や施設が各所に点在する町で、港には軍艦や戦艦も配備されていたものだ。

町では兵隊さんが闊歩し、肌の白いのから黒いのから黄色いのまで様々な人が普通に生活していたのを見ていたので、人種に対する偏見も芽生えなかったのかも知れない。

また、生まれ育った小さな町には他国の生徒が通う学校もなかったので、そもそも接点がなく、差別する機会すらなかったというのが正確なところだ。

したがって、在日韓国人や中国人を差別したり、偏見を持っている人が多いことに驚かされた。

これが一定以上の年齢の人であれば以前の日本の教育水準からして無理もないことかもしれないが、自分よりかなり年下であっても偏見の目を持つ人が多い。

今でこそ韓流スターブーム、K-POPブームなどがあったので差別意識もかなり減っただろうが、つい最近まで自分にとっては驚くほどの人が中国、韓国の人を嫌っていた。

人を嫌うのも悪口を言うのも、それ相当のエネルギーを必要とするので、自分には差別意識などなくて良かったと思っていたのだが・・・。

中国での反日暴動、尖閣諸島をめぐる対応、反日教育、韓国での反日デモや竹島問題を伝える報道を見るにつけ、中国と韓国に対する今までなかった感情が、それも決して褒められたものではない感情、差別意識や偏見が自分の中に生まれつつある。

今までなかっただけに、そんな感情を持つことが実に悲しい。