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ワクチン後進国

先進国の一員である我が国日本も、ことワクチンに関しては後進国だ。

第一にワクチンの製造能力が低く、新型インフルエンザが流行した場合に国民が接種するワクチンを自国でまかなうことができず、輸入に頼らざるを得ないほどの脆弱ぶりである。

第二に日本ではワクチン接種を義務化していなかったり無料化している数が極めて少ないため、他の先進国はおろか、南米大陸でもとっくに絶滅、撲滅させている麻疹(はしか)が定期的に流行し、重い後遺症に苦しんだり命を奪われたりする子どもが後を絶たない。

そして、それぞれには大きな理由がある。

それは日本人の価値観、国民性によるものであり、自業自得の感が否めない。

その責任の端緒であり、主悪の根源とも言えるのはマスコミで、その情報を自分なりに解釈もせず鵜呑みにしてしまい、右にも左にも大きく振れる国民性によって増幅し、極端な反応を示してしまうのが要因だ。

ワクチンとは異なるが、2007年頃に大騒ぎしたインフルエンザ治療薬である 『タミフル』 に関する報道が良い例で、当時の雑感にも書いたがタミフルを処方された子どもに異常行動が見られ、それによって死者まで出たことを連日のようにマスコミは伝え、副作用の危険性とそれを処方する責任、はたまた薬の製造責任まで問う勢いだった。

しかし、タミフルと異常行動の因果関係が薄いとなると、マスコミは潮が引いたように本件に触れるのをやめ、あれだけ大騒ぎしたにも関わらず適当なデータで見当違いの報道をしたことを詫びもせず、製造元である中外製薬に謝罪もしないままこっそりフェードアウトして何ごともなかったような顔をしている。

近年になって問題視されたのは子宮頸がんワクチン 『サーバリックス』 に関してだ。

2010年 11月から 2013年 3月までに推計 328万人が接種し、このうち計 1,196件の副反応が報告され、うち 106件は重篤だったことがメディアで話題になったが、発症率を単純計算すると副作用を引き起こす人は 0.036%、重篤な副作用を引き起こす人は 0.0032%ということになる。

子宮頸がんは 1年間に約 10,000~15,000人の女性が発症し、毎年約 3,500人が亡くなる重大な病気だ。

そのうちの 70%である 7,000~10,500人はウィスル感染によるものであり、死亡者数は 2,450人となるが、学会で報告された通りに 90%の予防効果が期待できるのであれば年間の感染者は 700~1,050人となって死亡者数も 245人となる。

つまり、ワクチン接種によって 6,300~9,450人が子宮摘出手術を受けたり辛い科学療法を受けずに済み、2,205人の命が救われる計算だ。

我が娘が重篤な副作用が出たら・・・、生活に支障が出るほどの痛みやしびれに襲われてしまったら・・・などと考えてしまい、ワクチン接種に二の足を踏むのは理解できないこともない。

しかし、が、しかしである。

先に述べたように重篤な副作用を引き起こす人は 0.0032%にすぎない。

確かに 0%であるに越したことはないが、年間に交通事故にあう確率の 0.007%の半分に過ぎないではないか。

そして、たとえ重篤な副作用に襲われたとしても 65%の人は治療によって改善しているので、本当に重篤で生活に支障をきたしている人は 37人(0.001%)だ。

0.001%と言えば 10万人に 1人という確率であり、自分が先月の中旬に受けた大腸がんの内視鏡検査による死亡率と同じ値である。

それで死んでしまったら、それで副作用が出たら仕方がない、不運だったと諦めのつく数値なのではないだろうか。

品質にしても安全性にしても日本人は厳しすぎる。

何かがあってはいけない、何かあったら困る、何かあったら誰が責任を取るのか、何かあれば誰がどうやって補償するのかという議論に終始し、わずかでもデメリットがあれば、どんなに大きなメリットがあろうと先に進まないどころか後戻りしてしまう。

厚生労働省は子宮頸がんワクチンの接種を強く推奨する立場から、副作用問題の発覚によってそれを中止するに至った。

当初、その措置を妥当としていた日本産科婦人科学会が、ここにきて一刻も早い推奨の再開を求める声明を出したのは、同会がマスコミに振り回されていることを如実に物語る。

ヒステリックなマスコミや国民の反応に、それこそ過剰反応して右往左往してしまうのが日本政府、官僚の実態で、安全性という名のもとにワクチン接種をおざなりにして必要性を説くこともなく放置し続け、いつまでも病気を撲滅できず麻疹輸出国という烙印を押されている事実を甘受しているのが現状だ。

我が子が副作用に襲われたら・・・。

それは避けようのない不安であることは理解できる。

しかし、子宮頸がんワクチンの例で見たように 1人の副作用をなくすために数千人の命を犠牲にして良いものだろうか。

諸外国では数千、数万の命を救うためであれば、わずかな副作用もやむなしと毅然とした態度で挑み、国民もそれを納得しているが、日本は例え何千人の死者が出ようと、1人たりとも副作用による犠牲者を出すべからずというマスコミの論調や、それに迎合する団体、国民の意見に引きずられるがゆえに病気による多くの犠牲者を出し続けている。

それが冒頭に述べた第二の理由、ワクチン接種を義務化したり強く推奨できないことにつながり、接種率が低くワクチン販売量を見込めないので国内製薬メーカーが設備投資できず、いざという時に供給できないという第一の理由にまで至る訳だ。

マスコミが過剰・異常報道、国民が過剰・異常反応を続ける限り、日本ではいつまでも病気によって亡くなったり後遺症を負う子どもたちや女性たちが減らないことだろう。

想い出の居酒屋 其の拾

想い出の居酒屋 おしながき

2月 25日、いつもの居酒屋で飲んで食べて話して来た。

実は店のママも過去にガンを患っており、親身に話を聞いてくれていたのである。

ところが、そのママがくも膜下出血で倒れたのが先月のことだとマスターは言う。

記憶に新しいところでは料理研究家の小林カツ代さんが、その病気で亡くなったばかりだ。

それでママの姿が見えないのかと、目の前が暗くなりかけた時、
「いやぁ~命は助かったんだけどさぁ」
とマスターが言う。

手遅れになれば命は助からず、助かったとしても上下、または左右や言語が麻痺するという後遺症に苦しむ人が多い。

ママが店に出ていないということは、体のどこかに異常をきたしてしまったのではないだろうかと再び暗くなりかけた時、
「それがどこもマヒしなかったんだよねぇ」
と、マスターが言葉を続ける。

「い、いっぺんに言わんかいっ!」
と突っ込んでやりたくなったが、命にも体にも異常ないのは幸いである。

仕事中に倒れたということだったが、それは突然の頭痛に始まったらしい。

店は昼も営業しており、近所の会社員が昼ごはんを食べに来るのだが、それの準備中にママが座敷に座り込んで頭痛を訴えた。

マスターが様子を見ると、顔色を失い真っ青になって倒れてしまったので慌てて救急車を呼ぶことになったという。

マスターも心配のあまりに顔色を失い、病院に同行して救急治療を終えるのを待ったが、今後のことを考えると目の前が暗くなり、重い後遺症を抱えるくらいなら命が助からないほうが良いのではないかという究極の考えまで頭をよぎったと素直に話してくれた。

しかし、ママは医者も驚くほど奇跡的に後遺症もなく、身体的にも脳も言語にもまったく支障をきたさず 2週間ほどで退院に至ったということで、マスターは
「あいつは化け物だ」
とか、
「殺しても死なん」
などと言っていたが実のところは幸運を喜んでいる。

そんな話しをしていると、退院間もないのにママが顔を見せてくれた。

確かに元気そうではあったが、その言葉は弱々しい。

あんなに大きな声で話し、快活に笑う人だったのに、すぐそばで会話しているにも関わらず聞き取るのがやっとという感じだった。

実はマスターとママの夫婦は年齢差 25という年の差婚だ。

しかも歳上なのはママであって、すでに70歳を超えている。

25歳差と言えば友達のお母さんと結婚して世間を騒がせた元ヤクルトスワローズでベネズエラ出身のペタジーニ選手と同じであり、親子ほども年の違う二人が結婚して前に勤めていた焼き鳥屋チェーンから独立したとき、実のところママが若い男にダマされて金を注ぎ込み、店を持たせてやったのではないかと思わないでもなかったが、二人はいつまでも仲良く店も開店 20周年を超えたところだった。

大きな病気を二度もしたし、すでに体がシンドイと感じていたので今回の病を機に店に出るのを止めようと考えているらしく、マスターもママに無理はさせられないと分かっているので一人で何とか切り盛りしようとしている。

忘新年会シーズンや歓送迎会が重なる時などは一人だと大変だが、人を雇うほど店は儲かっていないと、いろいろ考えることがあって大変そうだ。

札幌に住んでいれば、自分には水商売でのバイト経験もあるので忙しい時だけ店を手伝ってあげることもできるのだが、離れた場所に住んでいるのでそうもいかない。

年に何度も行くことはできないが、また今年の夏の終わりに店を訪れるつもりだ。

無理はしてほしくないが、できれば店で元気に働くママに会いたいものである。

大腸がん検査 その時

先週からの続き ~

大腸がんの内視鏡検査は肛門からスコープを挿入するので、検査のための着替えでは男性用下着にある俗称 『社会の窓』 が尻側についているような構造の使い捨てパンツを履く。

それに着替えてからも便意は止まらず、看護師さんにことわってからトイレに行ったが、検査台に横になって医者の登場を待っているうちに再び模様して再度トイレに。

それでやっと落ち着いて検査を始めることになった。

最初に検査しやすいよう、腸の動きを止める筋肉注射をする。

下剤を飲む前には薬で動きを活発化させられ、直後に動きを止められるというのだから腸もなかなか大変だ。

「筋肉注射ですから痛いですよ~」
などと脅かされながら右肩にうたれたが、最初だけチクッとしたものの言われるほどの痛みを感じることがなかったのは、幼児の頃は喘息持ちで体が弱く、医者から
「まいどさん」
と言われるほど病院通いし、何度も何度も注射されたことによって痛みに慣れてしまったか、痛点がなくなってしまったのだろうか。

そして、医者が
「カメラを入れやすくするためローションを塗りますね」
と言いながら尻に塗ったかと思ったら、いきなり肛門に指を入れられたので
「おおっ!」
と驚きの声を上げてしまった。

子供の頃から便秘体質で、何度か病院で浣腸されたり医者や看護師に指を入れられたりしたが、その時の感覚の記憶はすでになく、大人になってから座薬を入れたことはあるものの、それ以上の大きさの異物が肛門を逆行したことなどないので生まれて初めてに近い妙な感覚だ。

医者が笑いながら
「次はカメラが入りますよぉ~」
と言う。

やはり、その感覚はとても馴染めるようなものではかったが、ぬ゛~と体内への侵入を許すと、もうどうにでもしてくれ~という、すべてを諦めきってしまったような、何らかの悟りを開いたような気になった。

人によっては痛みを感じることもあるらしいが、自分が痛みに鈍感なのか、操作する医者の技術が高いのか何の痛みも感じないままカメラは体内を進む。

途中、
「腸を広げるために空気を入れますね」
と言われ、機械からプシューという音がすると、腸内に空気が入る不思議な感覚に襲われたのだが、それはまるで大道芸人が犬やウサギを作るマジックバルーンが膨らむかのごとく、自分の腹の中で腸が肛門側から胃に向かって順に膨らんでくるのが分かる。

「空気を入れているのでオナラがしたくなったら構わず出してください」
とか、
「今、盲腸を通過しました」
とか、
「もう少しで小腸付近です」
などと説明を受けながら、『どうにでもしてくれ~』 状態は続き、やっと大腸の終わり、小腸の手前までカメラが達した。

そこでモニターをこちらに向けられ、
「これからゆっくり抜きながら見ていきますね」
「途中、説明しますから一緒に見ましょう」
ということだったので自分の腸内を見ながら話しを聞く。

「ここが小腸と大腸の境目です」
などと言われても素人目にはわかるはずもなく、ただ
「はぁ」
という生返事しかでてこない。

途中、カメラの動きを止めて
「ここにポリープがありますね」
と見せられたが、確かにピンク色の丸い突起物がある。

それは 3ミリ以下の小さなもので、がん化もしていなければ、がん化のリスクも小さいということで切除の必要はなく、今後も経過観察するということになった。

医者は言う。

がん化したものは、いかにもガンですっ!といった感じで見かけも黒ずんでおり、形状もいびつなお世辞にも綺麗と言えないものだが、見えているポリープは薄いピンク色でツヤツヤしており、形状もまん丸で綺麗なので何の問題もないと。

その言葉を聞いて安心していると、再びカメラを動かしていた手が止まり、
「右上の方に黒っぽいものが見えますよね」
などと言う。

確かに周りとは明らかに色の違う、ドス黒い影が画面に映し出されており、先ほどの医者の言葉が頭の中をこだまする。

「がんは黒ずんでいて・・いて・・いて・て」
「いかにもガンですっ!・・です・・です・す」
「お世辞にも綺麗とはいえない・・ない・・ない・い」

目の前が暗くなるような不安を覚えた瞬間、
「あの影は肝臓が透けて見えてるんですよ」
などと軽~く言ってのけるではないか。

「それを先に言えーーーっ!」
とか、
「ふ、ふざけるなぁーーっ!」
と胸ぐらをつかんで怒鳴ってやりたい衝動に駆られたが、なにせこっちは肛門からカメラを入れられている身であるため、
「ほほ~、そうなんですかぁ~」
などと適当な相づちをうつしかない。

その後もいくつかのポリープを発見しつつカメラは出口に近づいた。

そして、肛門付近になると医者が
「いくつか痔がありますね」
と言ってカメラを近づけてくれたものの、素人目には今まで見てきたポリープとの差が分からなかったが、確かにポコポコと丸いものが連なっていたのでそれが痔だったのだろう。

検査の結果、とても小さく綺麗なものとはいえ、実はかなりな数のポリープが存在していることと、発症はしていないものの痔主であることが判明した。

ポリープは経過観察となったため 2年に一度は大腸がん検査を受けたほうが良いということと、それを受けるのであれば毎年の健康診断で受けている検便による大腸がん検査は必要ないとのことである。

人から聞いたり勝手に想像していたより検査前の下剤は辛くなかったし、検査自体も尻の穴を見られるという羞恥心がある程度で痛くも何ともなく、むしろ毎年の胃カメラのほうが苦しいくらいであるし、便秘症ゆえに検便に間に合うかという毎年のプレッシャーからも開放されるのであれば、2年に一度くらい内視鏡による大腸がん検査を受けるのも悪くない。

それで仮に大腸がんになったとしても早期発見できるだろうから、ここは素直に医者の意見に従おうと思っているところである。

大腸がん検査 その準備

それは昨年11月に受けた健康診断で便潜血が認められたことが発端だ。

どうせ受けなければいけないのであればグズグズしていても仕方がないということで 2/18に予約を入れたのだが、その前の日曜、16日に法事があることをすっかり忘れていた。

検査の 3日前、2月 15日から食事制限しなければならず、法事前の会食でも食べるものが限定されてしまうため、出前をとるにしても外食するにしても検査前に食べても良い食材を選んで注文することが可能か微妙なところではあったが、食べに行くのが消化の良いうどんも出してくれる蕎麦屋になったので、みんなと一緒に食事をすることができる。

その前日の 15日、昼はうどんと同じ成分で太さだけが異なる素麺をふわふわの卵とじにゅう麺にして食べ、夜は指定時間より 2分も長くゆでて柔らかくしたパスタと、これまた長時間炒めて柔らかくした野菜をケチャップで味付けしたナポリタンに目玉焼きを乗せて食べた。

いつもの土曜日は酒を呑み、深夜に夜食を食べたりするのだがアルコールも好ましくないリストに掲載されていたので酒も夜食もなしの土曜の夜。

翌日の昼は予定通りに蕎麦屋で会食となったが、みんなが蕎麦を注文する中、ひとりだけうどんを頼み、斜め切りにされていた長ネギを偏食が直らない子どものように残して食べたが、別注されたエビの天ぷらはできるだけ衣を落として口にした。

その日の夜は法事に来てくれた親戚がみやげにくれた鯖の棒寿司と、塩麹に漬けて柔らかくした脂分の少ない鳥の胸肉だったが、白身魚は食べて良いものの鯖は酢で身がしまっているので普段の倍ほどかんでから飲み込むように気を使う。

翌日の朝はトースト、昼は鶏肉の残りと玉子焼きなどで軽く済ませ、夜は完全に具なしの素うどんを食べ、いよいよ夜の 8時、去年の 11月に 『お買い物日記』 担当者が服用し、とんでもない副作用に襲われたものと同じ下剤を飲む時がきた。

かなりドキドキしながら覚悟をもって服用したが、結果的には何の副作用もなく、いや、副作用がないどころか薬が効いているのかいないのか、腹はコロッともグルッともいわず、さっぱり便意を模様してこない。

前に大腸がん検査を受けた義兄の話しでは薬はすぐに効いて夜中まで何度もトイレ通いすることになったとのことだったが、便秘体質の自分にはさっぱり効果がなく、夜中に腹がグーと鳴ったものの、それは下剤が効いたからではなく空腹によるものだ。

その夜は何事もなく就寝し、夜中に目が覚めたがそれは便意ではなく尿意であり、そのまま朝を迎えることになった。

このまま病院に行くことになるのだろうかと不安と焦りが入り混じった感情のまま刻々と時間は過ぎ、そろそろ家を出る準備をしなければいけないという段階になってやっと便意を模様したが、下剤を飲んだとは思えぬくらい普通の量の便が普通程度の硬さで出ただけだった。

病院に行って下剤が用意された部屋に入ると、そこには他にも三人いて全員が検査を受ける人だった。

テーブルには 1リットル入の下剤がそれぞれ用意され、その前に着席すると看護師さんから下剤の飲み方の説明を受ける。

30分で 500cc、1時間かけて 1リットルを飲み干すようにとのことで、トイレに行きたくなったら我慢せずに行き、排泄したらそれを流さずに見せてほしいとのことだ。

最初に腸の動きを良くする薬を飲み、その場にいる四人が一斉に下剤を飲み始め、それぞれが本を読んだり目を閉じたりしながらひたすらトイレに行きたくなるのを待つ。

最初に 50代前半と思われる女性が席を立ち、続いて同じく 50代前半くらいの男性がトイレに向かうが、自分には一向に薬が効いてくる気配がない。

そして 、ついに 70代後半と思われる女性も立ち上がって残るは自分だけになってしまった。

一度トイレに行くと堰を切ったように何度も行きたくなるようで、50代前半の女性などは腹痛まで伴う下痢状態になっている。

30分して看護師さんが現れ、それぞれ順調に 500ccまで飲んでいることを確認し、トイレに何回行ったか尋ねられたが、みんなが 3回、4回と答える中、自分だけまだ 1回も行っていないと言うと、たまにそういう人もいると慰めとも同情ともつかぬ返事。

みんなが頻繁に席を立ち、5回、6回と回を重ねたころ、やっと自分にも便意が。

確かに一度便意に襲われると短い間隔で何度もトイレに行きたくなる。

その下剤は腸内をきれいにし、カメラで見やすくするために飲むものなので、便に不純物がなくなるまで何度もトイレに行き、看護師さんに確認してもらう必要があるのだが、同じ量の下剤と水を飲んで出しているのに人によって明らかな差があるようだ。

腹痛までおこして辛そうに何度もトイレに行く女性と 50代前半の男性は 7-8回目でも不純物があったのに自分は 3回目で不純物がなくなり、念のため 4回目を出した時点で検査室への移動が許可された。

その後すぐに腹痛の女性、70代後半の女性が下剤から開放されたが、50代前半の男性は
「まだ黒いものが混じっていますね~」
と言われ、
「ゴマとか貝類とか食べませんでしたか?」
「薬の他にサプリメントとか飲んでませんか?」
など聞かれていたが、食べていないとか飲んでいないとか言い張る。

結果、いつまで経っても不純物が消えないので腸洗浄することになってしまい、別室に連れられていく男性を見ながら、色々と面倒だったがやはり病院からの指示に従って食べ物に気をつけておいて良かったと胸をなでおろしつつ内視鏡検査室に向かったのであった。

次週へ続く

真性雑感 第七版

真性雑感 ~目次~

■ ソチオリンピック

ソチオリンピックも折り返し地点で、これから後半戦に突入する。

それにしても高梨沙羅選手が可哀想だ。

メダルを取れなかったこともあるが、その要因は過剰なマスコミ取材、過剰な期待が彼女を押し潰してしまったのではないかという気がするからであり、少なからず自分も彼女ならやってくれるという根拠の無い期待を抱き、ワールドカップで手にしたメダルの色が金だろうと銀だろうと表情を変えずにインタビューに答える姿を見て、勝手にプレッシャーに強そうだとか精神力が強そうだとか、まだ子どもだから怖いもの知らずだとか思っていたことを反省せざるを得ない。

日本人は、特にマスコミ関係者は、まだあどけなさが残る 17歳を相手にプレッシャーのかけ過ぎで、もう少し伸び伸びと、いつもの大会と変わらぬ状況を作ってやることはできなかったのか。

■ 東京都知事選

後出しジャンケンみたいなので今さら言うのも気が引けるが、東京都知事選は舛添氏が圧勝するだろうという気がしていた。

総理経験者とは言え、今さら小泉氏が細川護煕氏を担いだところで都民は笛吹けど踊らずといった感じだろうし、神輿に華々しさがないので担ぎ手も力が入らなかったことだろう。

さらに、節電疲れ、電気料金値上げによる経済負担などから脱原発というスローガンは都民の耳に大きく響かなかったものと思われ、震災時の原発事故で今も苦しんでおられる方々や、子どもの健康被害に対して極度に神経質な親などを除けば論点の中心にはならなかったに違いない。

ただし、自分は原発を廃止することには賛成だ。

■ 経常赤字

前から何度も書いているが、梅雨がある日本で太陽光発電を進めるより地震大国、火山大国、温泉大国なのだから地熱発電が適していると思う。

発電のためのエネルギー輸入で経常赤字国になったと言うが、今は様々な産業が海外生産を推し進めているのだから輸出するものを日本国内で生産していないし、日本には資源がないのだから今後も輸入が増える一方だと思われる。

すでに国内には輸出するものがなく、今後も輸入すべきものが増える一方なのだから経常収支は赤字となり、その額は年々増加の一途をたどるのは間違いない。

だとすれば地熱など自然エネルギー発電を推進してエネルギーの輸入を減らす努力をすべきなのに加え、最初は国営でも何でも良いからメタンハイドレートの掘削技術を一刻も早く確立して天然ガスを国内調達できるようにし、日本近海に埋蔵されている可能性が高いレアアースも掘削して国内自動車メーカー、精密機器・電機産業に対して優先的に販売してコスト削減を後押しするなりしてメーカーの国際競争力強化を図るべきだろう。

掘削、生成の基礎技術が確立した段階で民営化し、天然ガスもレアアースも諸外国に高値で売りつけてやれば収支のバランスも調整しやすいだろうし、日本が資源国になることだって不可能ではない。

■ 大阪市長選

また橋下徹大阪市長が物議を醸しているが、外野から見ているとなぜこのタイミングなのか不思議に思う。

市議会で自分の思い通りに事が運ばなくなったからヒステリーを起こしているのであれば、それはあまりにも大人げない行動だし、もっと時間をかけて大阪府民や他の政党に大阪都構想の実現の必要性、そのメリットを説くことが必要なのではないだろうか。

その努力もせずに民意を問うなどと言われても説得力がない。

では、なぜこのタイミンだったのだろう。

彼の良き理解者であり関西で絶大な人気を誇っていた、やしきたかじん氏が亡くなったことは北海道に住んでいながらも大きなショックを受けたし、とても残念でとても寂しく、そしてとても悲しい出来事だった。

その悲しみが癒えぬ今、くれぐれも橋下氏にはやしきたかじんの名を出してほしくないし、選挙演説でやしきたかじんとの約束を持ちださないでほしい。

もし、そんなことをしたら絶対に許すことはできない。

適材適所

ある会社で疎ましがれていた男性社員が退職することになった。

彼は社内で浮いた存在で、周囲からの風当たりもきつい。

悪い人ではないのだが、どうにも要領が悪く、言われたことすら完全にはこなすことができないという、典型的なダメ社員であったのは事実だ。

社会人たるもの言われなくても自分で仕事を見つけたり、何かを指示されたら自分なりに工夫をして要求以上の成果を上げるなり結果を残すよう努めなければならず、時には先回りして準備を整えたりするものである。

ところが彼はまったく気が回らず、言われたこともできないのだから風当たりがきつくなるのも浮いた存在になるのも当然で、しだいに疎ましがられるようになって最後には誰からも相手にされなくなるのも仕方ないだろう。

第一印象は物腰も柔らかく、決して悪い人ではないので仕事ができない人だとは思わなかったし、Web管理法を説明した時の飲み込みも悪くなく、何度も同じ説明を繰り返さなければならないとか、物覚えが悪くて何度も問い合わせを受けたということもない。

最初にざっと説明し、取り扱い説明のWebページを用意したので分からないことがあればそちらを見るなり、電話や E-mailで問い合わせてほしいと伝えたが、それほど簡単ではない作業も問題なくこなして面倒な質問を受けたこともないのである。

とろこが何度も会社を訪問し、ネットワークの構築やパソコンの入れ替えなどで長い時間の作業をしていると、女性社員から小言を言われたり、きつく叱られる場面をよく見るようになった。

最初の頃は、自分のように社外の人間がいるところでは揉め事を見せないようにすべきであろうと、女性社員のほうに良い印象を持っていなかったのだが、何度もそんな場面に立ち会い、その内容を耳にしていると男性社員側に多くの問題があり、それがあまりにも頻繁であるため、その度毎に注意しなければ仕事がはかどらないほどの影響が出ているのだと悟った。

どうやら口で言っただけでは分からないらしく、彼の机に敷かれている透明デスクマットの下には、様々な注意書きが入れられており、その内容は
「何度注意しても分からないようなので書いておきます」
とか、
「何度もお願いしていますが、客先から帰ったら・・・」
などという書き出しで、その数も尋常ではない。

女子社員も最初は自分に遠慮、配慮していたのだろうが、日を追うごとに遠慮などしていられないと思ったのか、男性社員に注意する声が大きくなって口調もどんどんきつくなってきた。

女子社員からどんなにきつく言われても、男性社員は黙って聞いていて最後には
「すみません」
とか
「今後は気をつけます」
などと平謝りに謝っている。

自分なりの意見があって言い返すわけでもなく、ふて腐れるでもなく、逆に明るく
「すみませ~ん」
と言ってデヘヘと笑うわけでもなく、じっと耐えて聞いている感じだ。

あまり言いすぎると彼が逆上して社内が血の海になるような事件に発展しないかと心配になるほど叱られ続け、それでも仕事ができるようにならず、いつまでも同じ失敗をくり返していた彼がついに会社を去ることとなった。

ギクシャクした職場で周りから相手にされず、日に何度も叱られる環境に耐えられず辞職を願い出たのか詳しい事情は聞いていないが、仮にそうだとしても経営陣を含めて誰も引き止めることのない事実上の解雇に近い退職だと思われる。

前述したように自分は彼を迷惑とも面倒とも思っておらず、こと Web系の仕事に関しては問題なく処理してくれていたので辞められることに少なからず戸惑いを感じていた。

後任が誰になるか分からないし、パソコンのスキルがどんなものか、Web、ネットに関する知識がどの程度なのかも分からないので、今までの彼のように手放しで更新作業やデータ入力ができるのかという不安が胸をよぎる。

一昨日の木曜日、新しく入った社員に 更新の重要性、Webで稼働している簡易データベースの使い方やその他のシステムの操作法などを説明しに行ってきたが、新任は若い男の子で実にハキハキした好青年だ。

彼は外見もシュッとしており、女性社員たちもアイドルの出現が嬉しいらしく、いままでドヨ~ンと暗かった事務所もパッと明るくなって今までは聞かれなかった笑い声も響くようになった。

そして、その彼は若いだけに頭も柔らかくて物覚えも早く、こちらの説明に対して的確な質問も積極的にしてくるので後任としても実に頼もしい。

しかし、説明が順調に進み、後任の彼が事前に質問すべき点をまとめておくことができたのには大きな理由がある。

会社を去る前任が、後任のために残したシステムの取り扱い説明書は見事な出来栄えであり、そこには何十ページもの資料が用意され、その内容は実に分かりやすく、それさえ読めば自分が説明する必要がないくらい丁寧に解説されており、説明書、手引書として一級品だ。

彼に適した仕事というのは確実にある。

たまたま会社にとって彼は適材ではなく、彼にとってもその会社が適所ではなかった。

人と接したり事務処理をしたりする仕事は合わなく、パソコンに向かってデータを入力したり処理したり、文章や図によって物事を伝えたりする能力は決して人より劣ることはなく、むしろ優っているのではないかと思われる。

ただし、その会社にそういうことを専門とする部署はないし、そのような人材が求められている訳ではないので今回の退職も仕方ない。

やはり適材適所というものがあり、適した人材を適した場所で使いたいのが会社であり、適した人材ではなく適した場所もないのであれば、これこそ正に雇用のミスマッチの典型だったに違いなく、彼が職場を去るのは互いのためだろう。

しかし、彼のような人材を求めている会社は必ずある。

今は辛いかもしれないが、彼の将来に幸多からん事を願ってやまない。

気候変動

この冬は雪が少なくて助かっている。

除雪する回数も少ないし、一度に降る量も少なく除雪したところで簡単に終わる。

例年だと運んだ雪を窓際にうず高く積み上げているのだが、今年は一度も運んでいないので昨年末から自然に降り積もった雪のみで、しかもその量は10センチにも満たないだろう。

ここに住んで以来、最も少ない積雪量なのだが、『お買い物日記』 担当者が暮らしていた子供の頃はこんなものだったらしく、ここ数年の雪の量が異常なのであって今季くらいの量が普通だったとのことだ。

この街はそれが売りで、夏は涼しく冬も厳しくないので老後に住むのに最適と言われていたし、穏やかな気候が魅力的だったのである。

ところが最近では大阪の足元にも及ばないにせよ夏は夏で暑くなり、以前は北海道の住宅に設置されていることが稀だったエアコンも少しずつ普及が進んでいるし、冬は捨て場所に困るほど雪が降るのが常態化してしまった。

しかし、これはこの町に限ったことではない。

自分が子供の頃に住んでいた町は 『極寒の地』 というキャッチコピーが相応しい所で、この冬は北海道の陸別(りくべつ)という町でマイナス 26度になったとかニュースで伝えられていたが、そんな生やさしいものではなかった。

マイナス 20度程度など当たり前で、マイナス 30度、35度などというのもひと冬に一度や二度のことではなく、連日の寒さであらゆるものが凍りつくような世界だったのである。

寒い中を登校するのも寒い教室で勉強するのも大変だろうと、マイナス 25度になると学校は一時間遅れ、30度になると二時間遅れ、35度を超えると休校というシステムが確立されていた。

どんなに寒かろうと子どもは元気で、外がマイナス何度であろうと関係なく休みなのをいいことに雪の中を遊びまわっていたので、実は子どもを案じてではなく単に教師が寒いのを嫌ってのことだったのではないだろうか。

通学途中は顔が痛くなるほど空気は冷たく、思いっきり息を吸い込むと鼻の穴が凍って塞がってしまったり、まばたきをした瞬間に上まつ毛と下まつ毛が凍って目が開かなくなったりすることがあり、指で溶かして目を開けることも珍しくなかったほどの寒さだった。

ところが最近はマイナス 30度になることなど滅多になく、25度をこえるのもひと冬に何度かある程度になったと今もその町で暮らす母親が言う。

豪雪地帯で今も雪はどっさり降るが、寒さだけはマシになったらしい。

これはやはり地球温暖化の影響だと思われ、捕れるはずのない魚が水揚げされたり、以前は育たなかった植物が自生したりするようになった。

そもそも、北海道の米の評価がこれほど高くなったのも素直に喜んで良いのか。

北海道の米は冷害との闘いで生産が不安定な上、品質、食味ともに評価が低く、人が食べるより家畜の飼料米として流通していた。

重ねに重ねた品種改良と努力で寒さに強くなって品質も食味も向上したのは確かだろうが、最近は冷害と呼ぶほどの冷夏もなく、どんどん暖かくなって来ているので今の北海道は 20年前の新潟や秋田など、米処と呼ばれた地方と変わらない気候になりつつあるのではないだろうか。

江戸時代、米栽培の北限は津軽藩だったというから北海道では稲作が行われていなかったと思われるが、明治になって北海道に渡り、それがどんどん北に上がって昭和の半ばには旭川市近郊、最近では遠別町というところまで行ったので、数年後、数十年後には最北の地である稚内でも米が収穫できるようになるかもしれない。

そして日本の南から順に暑すぎて稲作に向かなくなり、マンゴーやバナナといった暖かい環境で育つ果物がビニールハウスなど使わなくても収穫できるようになり、訳の分からない見たこともないような魚が網にかかって漁師さんが腰を抜かしたりするのだろうか。

温暖化によって北極や南極の棚氷が溶けて冷たい水が海に流れ込み、海水の温度が10度以上も下がるわ、塩分濃度が下がるわで海流も変わり、寒流がやってきて寒くなってしまい、ついには氷河期へ突入という最悪のシナリオになりつつあるのかも知れない。

事実、北極の氷はどんどん溶けて 2012年夏に観測史上最小を記録更新し、海が開けて航路が誕生したなどと騒がれて 2013年の夏には北極の氷が姿を消すとまで言われていたが、なんと最近になって 60%も増加していることが判明し、ドイツのキール大学ライプニッツ研究所は 「地球はミニ氷河期に突入した」 との研究結果を発表した。

まさに映画 『デイ・アフター・トゥモロー』 を地で行くようである。

中国を代表とする途上国での大気汚染が止まらない。

原発停止によって日本は CO2削減目標に届かない。

10年後、20年後の地球はどうなっていることだろう。

順序

今国会では企業での女性登用を増やすため、仕事と家庭の両立を支援する助成金の制度や税制上の措置を拡充していくことを検討するとのことだ。

働きたいのに働けない女性が約 300万人以上いるといわれており、アベノミクスの 3番目の矢である 『成長戦略』 の中核が女性の活躍であることから様々な措置を講じるということらしい。

しかし、ものには順序というものがあるだろう。

確かに男女共同参画、男女雇用機会均等法の観点からも女性の社会進出、女性の登用は積極的に進めるべきだとは思う。

が、しかしである。

働きたいのに働けない女性が約 300万人以上いるということは、少々乱暴な計算ではあるが 2013年現在の出生率 1.41を掛けた場合、423万人の子どもがいるということになり、それだけの数の子どもを預かる施設が必要になるのではないだろうか。

横浜では待機児童数が 0になったと大々的に発表した途端に転居者が増え、どんどん人が集まってくるものだから一瞬にして待機児童数が増えてしまったと聞く。

それだけ保育所、保育園などに子どもを預けて働きたい人がいるということなのだろうから、助成金や税制で女性を優遇したところで家庭から出るに出られない人が減る訳ではないだろう。

だとすれば税収を減らしたり予算をつけても無駄に終わる危険性が高い。

アベノミクスによる景気浮揚を実感している企業が 40%止まりである現在、また、相変わらずの就職難で大学の卒業生が戦々恐々としたり右往左往している昨今、さらに業種や企業によっては今でもリストラが続き、千人単位での人員削減がなされている今、働きたい 300万人の女性が一斉に手を上げたところで雇用の受け皿があるはずもなかろう。

予算のバラマキは税金の無駄遣いでしかないのだから、本気で 300万人の女性に社会進出してもらいたいのであれば、まずは残り 60%の企業にも好景気が実感できるくらい経済を安定させて雇用を増やさなければなるまい。

さらに思い切った規制緩和を実施し、公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、経営能力、技術を活用して行う PFI(Private Finance Initiative:プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)と呼ばれる方式で託児所や保育所を増やして全国津々浦々にまで待機児童数 0を広げなければならないものと思われる。

そこまでやって、やっと子どもを持つ女性が社会進出する環境が整うというものであり、それこそが現実路線であって個人を支援するための支出は最後の一手ではないだろうか。

全国のあちらこちらで託児所や保育所を作れば建設業界だって潤うだろうし、大量に保育士を必要とするので雇用も生み出し、施設で子どもたちが使う教材や玩具も売れ、仕事で弁当や晩御飯を作る時間がなくなった家庭では外食が増えたり冷凍、レトルト食品の購買率も上がるかもしれない。

自然エネルギー開発に負けず劣らずの成長産業となって多大な経済効果をもたらす可能性すら秘めているかも知れないのだから、ここは小手先だけではなく社会を作り直すくらいの覚悟を持った、思い切った施策が必要なのではないだろうか。

日本の政治家や官僚は、聞こえの良いことや見栄えの良いことばかりやって結果的に何の成果も残らず、単に予算を使っただけということが数多くある。

助成金、優遇税などと個人が実感しやすく、共感を得やすいことばかり提示せず、たとえ回り道であっても、会社ばかり優遇されると文句を言われようと大局的見地に立ち、抜本的な対策を練らなければならないだろう。

すでに労働人口の減少に転じ、国際競争力も失いつつある日本企業にとって女性の登用は待ったなしの状況なのだから、政治もグズグズしている場合ではないのである。

真性雑感 第六版

真性雑感 ~目次~

この真性雑感と銘打つ時は、そう、ネタがない、思いつかない時である。

今週は久々にプログラミングを再開し、途中までは順調に進んでいたものの、最後の最後で行き詰まり、どうにもこうにも正常動作してくれないという事態に陥っていたため、とっても疲れたし世間の出来事に関心を示したり何かを思ったりする余裕がなかった。

そもそも、最近のニュースは好景気であることを伝える以外は実に腹立たしいことが多く、見ていて気分が悪いのでチャンネルを変えてしまうことが多い。

韓国がアメリカでロビー活動を激化させ、バージニア州で公立学校の教科書に 『日本海』 と韓国の呼び方である 『東海(トンヘ)』 を併記するよう定める法案が委員会で可決されたり、アメリカの各所に従軍慰安婦碑を建立したりしていることや、中国政府が北京などに駐在する外国メディア記者を対象に抗日戦争記念館を案内し、旧日本軍の残虐行為を宣伝・強調するプレスツアーを実施したりしているのを知らされると、
「中国も韓国もいいかげんにしなさいっ」

とツッコミのひとつも入れたくなるし、以前の雑感に書いたように最近になるまで抱くことのなかった差別意識や偏見が心の中で肥大化してくるのを抑えることが難しい。

竹島、尖閣問題にしても、有識者と呼ばれる人たちは対話こそ重要などと偉そうにぬかすが、海洋資源、海底資源までも含む領有権の争い、平たく言えば縄張り争いなのだから話し合って解決するはずがなかろう。

だからと言って戦争で解決することなどできるはずもないのだから、ここは国際的な審問機関である国際司法裁判所に判断を委ねるのが妥当なのだろうが、韓国も中国も現時点において委ねる気などさらさらなく、世界中でロビー活動を展開し、各国を味方につける根回しから始めて将来的な裁判を有利に進めることを目指している。

しかし、日本はどうもそういう外交が苦手だったり下手だったりするので、上述した教科書問題や慰安婦碑問題に関しても発覚するまで安穏としているばかりであり、事が起きてもうろたえるのが先に来て手も足も出ないという実に情けない国家だ。

そんなこんなで苛立たしさや腹立たしさが増すばかりなので最近はニュースも見たくない。

で、もっぱら海外ドラマを見たりスマホのゲームをしたりしながら過ごしているのだが、それというのも地上波のテレビ番組、ゲーム専用機のソフトがつまらなくなったからだ。

この雑感や独り言に何度も書いているように、最近のテレビは本当に面白くなく、録画してまで見たいと思うドラマやバラエティー番組は極めて少ない。

以前はアメリカに住む義兄に日本の番組を見せてやりたいということと、自分たちでも楽しんで見ていたこともあって週に何本もの番組を録画し、週末にそれを消化するのが大変だった。

それが今では数えるほどしか録画しておらず、その内容も政治・経済に関わる番組や情報番組ばかりでバラエティー番組が 1-2本、ドラマの録画は無しといった内容で、去年ブレイクした 「倍返しだっ!」 の半沢直樹も 「じぇじぇじぇ~」 のあまちゃんすらも見ていない。

その二本は別として最近の国内ドラマは医療モノと刑事モノで溢れているが、どれもこれも海外ドラマのマネ、悪く言えばパクリばかりでオリジナリティのカケラもないとネットの記事で読んだ。

そんなことばかりやっているから益々業界は衰退し、企画力も構成力も失われていくに違いなく、以前の雑感に書いたようにテレビ局が単なる電波の配信屋さん化していくのが顕著になって行くのは避けられないだろう。

ゲーム業界は業績の好調さにあぐらをかいているうちにスマホ業界に足をすくわれてしまった感が強く、よもやここまで急速にスマホが普及し、山のようにゲームが作られ、ゲーム専用機のソフトの 1/10くらいの価格で売られるとは思っていなかったに違いない。

CDや DVD、BDメディアの莫大な容量を好き放題に使える専用機のゲームと異なり、スマホのゲームは実にコンパクトに小さなプログラムで動作する。

そこには目を見張るようなコンピュータ・グラフィックスや映画さながらの動画はなく、単に面白く、アイデア勝負のコンセプトが詰まったゲームが数多くあり、低価格ながらも十分に楽しく、中には専用機を凌駕するような秀逸なゲームも存在する。

しかも、その価格が 80円とか 120円、高くても 250円であり、中には驚くほど良く出来たゲームが無料配信されたりしてる状況にあっては、いくら専用機にしかない魅力を強調されてもスマホと変わらない価格でゲーム機本体を購入し、月額のパケット代に匹敵する価格の面白いか面白く無いか分からないソフトを何本も購入するユーザーは今後もますます減る一方だろう。

以前まで世に出たゲーム機をすべて保有し、寝るのも忘れてゲームにのめり込んだ自分だが、もう 7-8年はゲーム機の電源すら入れていない。

時代も生活も多様化し、テレビの前に長時間座っていたり、時間を忘れてゲームすることが少なくなったのは確かだが、テレビ業界、ゲーム業界が時代を読み違えたのも確かだろう。

うかうかしていると、これから先 10年で時代はすっかり様変わりし、その変化について行けなくなったりするのではないかという若干の不安を自分でも感じつつ、今日のところはこれくらいで勘弁してやることにする。

デジタル化の波 Signal-14

デジタル化の波 ~目次~

写真や動画のデジタル化は社会を大きく変えた。

ネット環境が急速に整い、大容量なデータを高速に転送できるようになったことも大きな要因だが、その技術革新によって世の中はずいぶん便利になったものだ。

どこでも手軽に、そして簡単に画像を撮影し、電波さえ届いていればどんな場所からでも、そして国内はおろか地球の裏側にさえ短時間でデータを送信できる。

その画像にデジタルな文章を添えれば記事の出来上がりとなるのだから新聞社などは劇的に仕事が楽になったことだろう。

昔、映画の配給会社などは文字通り 16ミリや 35ミリフィルムを物理的に配給していたが、今となってはデジタルデータを転送すれば良いのでマスターフィルムから転写する必要もなければ何日もかけて輸送する必要もない。

そして、海外の作品に刻む字幕もデジタル処理できるので以前のようにカリカリと手作業する必要がなくなり、職人さんは仕事を失ってしまっただろうが作業時間は劇的に短くなっただろう。

そもそも動画自体をコンピュータ・グラフィックス(CG)で作成できるため、どんな危険なシーンでも作り出すことがきるのでスタントマンの仕事も激減したのではないだろうか。

どんな生き物だろうと、どんな乗り物だろうと、どんな風景だろうと CGで作成できるので最近の映画は昔では考えられなかった演出や映像を楽しむことができるのだが、技術の進歩に反比例するように映画がつまらなくなっているような気がする。

人の手によって物理的に作られた物の質感とか温かみなどは CGで表現することができず、映画に血が通っていないように感じてしまうのだろうか。

昔の修学旅行、社員旅行では数日後に撮られた写真が回されて来たもので、ほしい写真に自分の名前を書いたり印鑑を押したりしていた。

胴元というか、その写真を管理する側は記された名を数えて必要数を写真屋さんで焼き増し、希望者ごとに必要な写真を振り分けた上で配り、後に代金を回収したものである。

今となってはそんな手間は必要なく、ネット上に写真を掲載しておけば写真がほしい人は勝手にデータをダウンロードするなり印刷するなりすれば事は足りる時代になった。

それはそれで便利この上ないのだが、人間関係が希薄化してしまうようで少し寂しい気もしないではない。

デジタル技術は社会や時代を変え、とても便利になっていくし、自分もその業界の片隅にいたりするのではあるが、どこかに不安やさみしさを感じてしまうのはなぜだろう。

きっと時代の流れ、技術の進歩があまりにも早く、感覚的について行けない年齢になりつつあるのも一因であると自覚はしているのだが・・・。