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2014年の始めに

昨年末からダラダラとした日々を過ごし、身も心もトロントロン状態で間もなくカスタードクリームのようになるのではないかと思われるほど超ゆるゆるな環境に身を置きっ放しであるから、リハビリもなしに週が明けた 6日からもろに 5日間続く平日を無事に乗りきれるのか多少の不安もなきにしもあらずといったところである。

ゴールデンウィークや夏季休暇の際にも同じようなことを書いているように、明日の日曜日に帰省先から帰ってきたり、海外から帰国したりする人も少なからずいることだろうが、それがいつも不思議でならない。

昨日のニュースで伝えられたように火災や事故で交通機関がマヒすることだって想定されるし、とくに冬は気象条件によって陸海空の交通がマヒすることも少なくないのだから、仕事の前日に帰宅を予定するのは危険極まりないのではないだろうか。

おまけに何のインターバルもとらず、リハビリ期間もなしに翌日になれば疲れもとれて体力が回復し、スパッと気持ちも切り替えて仕事に臨めるのだろうか。

自分にはとても信じられないことではあるが、実際にはそれが可能な人が多いのかもしれない。

かなり前に勤めていた会社では、若い社員が集まって夜行バスに乗って遠く離れたスキー場まで行き、朝から晩まで遊んで帰りも夜行バスに乗って車中で睡眠をとり、朝の 5時くらいに市内に戻って一旦は帰宅し、着替えてそのまま出社するという離れ技を難なくこなしていた。

いや、中には疲れ果てて居眠りをする社員もいたので全員ができたことではないし、朝 5時着など吹雪でバスが立ち往生すれば団体で会社に遅刻してしまうというリスクを伴うではないか。

いくら体力や精神力に自信があったとしても、やはり少しは余裕のあるスケジュールで行動するのがよろしいのではないかと気が弱くて体力に自信のないオッサンは思ったりするのである。

昨日の夜で御節料理を食べ尽くしてしまったので今日からは普通食に戻るが、土曜の夜はパスタと何年も前から決まっている我が家のしきたりであるし、日曜日の昼は蕎麦を食べるというのも同様なので米に味噌汁という通常食にもどるのは明日の夜からだ。

北海道では大晦日の夜から御節料理を食べる家庭が多いが、我家の場合も前日の 30日から料理の仕込みを開始し、31日にはだし巻き卵の端やカマボコ、伊達巻きの端、煮崩れた料理や割れてしまった数の子などを集めて三箇日に食べる量とほとんど変わらないくらいの料理を食べ始める。

つまり、大晦日の夜から 1月 3日まで夜は御節料理を食べ続け、三箇日の昼は雑煮を食べ続けることになるのだが、それだけ食べても不思議に飽きることはないどころか、1月 3日の最後の夜などは名残惜しくて仕方がなく、『お買い物日記』 担当者と二人でしょんぼりしたりするのだ。

食べ飽きないのが日本食の偉大なところであろうかとも思うが、そもそも自分の好きな味付けのものしか並んでいないので飽きが来ないのだろう。

もちろん数の子を自分で味付けたり、魚のすり身からカマボコを作ったりする訳ではなく、買ってきたものを切って並べるだけというものもあるにはあるが、品数の半分、食べる量の 7割以上は手作りしている。

それというのも既成品の中には苦手な味付けのものがあり、少し口をつけただけで捨ててしまうことが以前から何度もあったからだ。

保存性を考慮してのことだろうが、必要以上に味が濃かったり甘すぎたりするものが多く、中には保存料をたっぷり使用しているのか化学の味がしたりするものがあったりで、飽きる以前に多くを食べることができない。

そんなこんなで、あれも手作り、これも手作りとしているうちに少しずつ作るものが増えてしまい、今では年末の 29日から下準備を開始して 30日は朝から晩まで、31日も食べ始める直前まで料理している。

幸か不幸か自分は包丁を使えるので、『お買い物日記』 担当者と二人で二日間はキッチンに立ちっぱなしというのが毎年のことだ。

出来上がったものは大晦日と三箇日の 4日分に小分けして保存するので、朝昼兼用の雑煮は出汁を温めてもちを焼くだけ、夜の御節は盛りつけるだけで食事にありつけるため、それ以外はただひたすらダラダラと過ごすのが我が家の正月である。

そのダラダラはゴロゴロしながらテレビを見て過ごすのが常だが、年を追うごとに見たい番組が少なくなっているのが寂しい。

5-6年前まではクリスマス時期から始まる年末年始の特番を何本も録画し、休みになってから見始めるものだから年が明けてもクリスマス特番を見ることになったり、正月特番を見終わるのが 10日くらいになるので、いつまで経っても正月気分が抜けなかったりしたものだが今はそれが極端に少なくなっている。

今回の年末年始も毎年恒例となっている特番から卒業することにした。

一応は録画して見てみたのだが、全体の 1/4ほど見た段階でギブアップし、来年からは録画の必要はないと判断するに至ったので、もう二度と見ることはないだろう。

そんな感じで我が家の年末年始の過ごし方も少しずつ変わってきている。

そして次回の年末年始は・・・。

とりあえず作る御節料理の量を減らさなければなるまい。

いい歳をして腹が割れそうになるまで飲み食いし、毎晩のように胃薬を飲んで寝ている場合ではないのである。

ここ数年、いつも来年こそは量を減らそうと 『お買い物日記』 担当者と話してはいるのだが、いざ作り始めるとついつい例年通りの量になってしまうということを繰り返しているので、次回こそ、次回こそは量を減らすことを宣言しつつ、今年最初の雑感を終えようと思う。

2013年の終わりに

毎年のことではあるが、今年も御多分にもれず例年と何ら代わり映えのしない一年が終わろうとしており、この雑感もそれを総括することで今年最後の更新となる。

昨年末の雑感に書いた、行ってみたい焼肉屋さんには9月13日に行って食べてきたので一応は目標をクリアしたことになるが、何年も前から計画しているホテルでのランチバイキングには今年も行かなかった。

そのホテルはすぐ近くにあり、平日であれば毎日ランチバイキングをやっているので、ちょっとその気になればいつでも行けるのにである。

冬は冬で寒い中をわざわざ歩いて昼食をしに行くこともないので雪が解けて自転車に乗れるようになってから・・・と思い、春になったらなったでもう少しあたたかくなってからとか思っているうちに暑くなり、それじゃあ涼しくなってからなどとグズグズしているうちに寒くなってしまうということを毎年くり返しているのが現状だ。

今年から始めたのは月一ラーメンで、夏の暑い時期を除き、一カ月に一度くらいはラーメン屋さんに行って食べてこようと 『お買い物日記』 担当者と決めたのが今年の 3月なのだが、7月~9月を休んで 10月から再開したものの 11月には行くのを忘れてしまった。

その他に美味しいカツ丼を食べさせてくれる店に行き、月に一度くらいは食べに来て良いかもしれないとか話していたのだが、結局はその一回しか店を訪れていない。

また、なぜだか 『お買い物日記』 担当者が今年になってロースカツサンドの美味しさに目覚め、月に一度くらいは食べようということになったが、それも毎月とはならず飛び飛び状態だ。

我が家では毎日摂取している食べ物が数多くある。

納豆、果物、牛乳、ヨーグルト、寒天、プルーン、ブルーベリー、大葉、梅干し、ゴマ、唐辛子、人参、酢などだが、年間 365日とまではいかずとも 250日以上は摂取しているだろう。

納豆は朝食前と夕食後、おかずとしてではなく単品で摂取しており、果物を食べてから牛乳を飲み、それから朝食にして最後に寒天とプルーンとブルーベリーが入ったヨーグルトで締めるのが毎朝のことで、昼は必ず食事の間に梅干しを大葉と共に食べ、ゴマと唐辛子と人参は味噌汁の具として入れて昼食後は必ず大さじ二杯の酢を水で薄めて飲むのが日課だ。

もう何年も続けているので何を何のために摂取しているのか分からなくなってしまったが、とりあえず数年に一度くらいしか風邪もひかなくなったし、まったく夏バテをしなくなったのは事実だ。

これだけ多くのものを毎日摂取していればそれで良さそうなものだが、今年からそれにきな粉がプラスされた。

それもどうして摂取する気になったのか今となっては覚えていないが、毎朝飲む牛乳に混ぜて飲むようになったのは先月からだ。

と、まあ、ここまですべて食べ物関係のことばかりだが、我が家では食べることが大きなウエイトを占めており、実際に時間になれば腹が減り、美味しく食べられるということは健康の証拠でもあるので来年も同じように過ごせればと思う。

健康といえば毎朝の散歩も 2004/11/16から 12年間も続けているし、夕方のラジオ体操も 2011/10/11から 2年以上続いている。

例の体操は木曜、日曜にするようにしてきたのだが、今年からめっきり回数が減って木曜の夜だけにすることが多くなってしまった。

それというのも以前より肩こりがしなくなったからで、それは続けている散歩だったりラジオ体操の効果かもしれしれない。

しかし、その我流の柔軟体操は何年前に始めたのか思い出せないくらい続けているもので、たしか大阪で暮らすようになってすぐだったようなおぼろげながらの記憶があるので始めてから 20年近くになるのではないだろうか。

それだけ続けているからか、歳の割には体に柔軟性があるほうだと思われるし、体が固かった 『お買い物日記』 担当者も若い頃より柔らかくなった状態を維持できている。

少なからず健康に役立っているのだろうから、それらの運動は来年も続けていこうと思う。

仕事面では少しずつ、本当に少しずつではあるもののお客さんが増えている。

のんびりとした風土であるのは相変わらずで、昨年末の雑感に書いた話しが一歩も先に進んでいない案件のうち 1件が進んでやっと Webページの公開に至った。

仕事は流れたものだとすっかり諦めていたというか、すでに忘れていたのが急に動き出したのだが、大阪で仕事をしていた身にとっては信じられない話しだ。

最初に話しをしてから実際に動き出すまで年単位の時間を要する。

以前に仕上げた Webページは打ち合わせから依頼が来るまで 2年、今回も 2年半の時を経てやっと実現に至ったのだから恐ろしくなるほどのスローペースだ。

実は今も年単位、月単位で話しが進んでいない案件が 2-3件ほどあるが、焦らず待っていれば機が熟して動き出すに違いないと鷹揚に構えることにしている。

来年になれば少なからず動きはあることを願いつつ、今年の雑感を終わることにしようと思う。

自分解体新書 - 17 -

自分解体新書 ~目次~

■ 足裏 その2

足の裏が痛くなり始めて一年余り。

医者に診てもらったところ疲労性の痛みだと言われ、運動を控えるようにとの指示を受けたが誤診ではないかと疑っている。

なぜなら昨年末から新年にかけて散歩もせず、室内運動もせずゴロゴロしていたのに一向に痛みは治まらなかったし、勧められたサポーターを装着していても改善は見られなかったからだ。

ところが今年のはじめをピークに少しずつ痛みが軽くなって今はさほど気にならない程度まで改善しており、ピーク時の痛みを 10とすれば今は 2くらいに落ち着いている。

なぜ、何が原因で痛くなり、なぜ自然治癒しかかっているのか分からないが、このまま完治してくれることを願っている。

■ まつ毛 その3

11月にその存在を確認した白いまつ毛だが、実はまだ右目の隅で頑張っている。

白いまつ毛は抜けやすいのか、過去に生えたものは気づかないうちに数日でなくなっていたのに今回のやつは実にたくましい。

最初はチラチラと視界に入って邪魔だったものの、今となっては慣れてしまって気にならなくなっているので、このまま順調に生育して次に生えてくる白いまつ毛と初の 2本、初の両目とかになったら少し盛り上がって楽しいのではないかと思わないでもないが、そんなことで喜ぶのは自分だけであって世間的には何の面白味もないことだったりするのが残念なところだ。

■ 胃

数カ月前、息苦しさで夜中に目を覚ました。

胸が燃えるように熱く、唾液を飲み込むことすら辛い状態で、一瞬は何が起こっているのか分からなかったが、努めて冷静になってみると普段の 10倍くらいひどい胸焼けのような感じであると思われた。

胃酸が逆流して食道付近まで上がってきている状態で、横になっていると余計につらいので布団を抜け出して部屋の中をウロウロと歩き回っていたところ、10分くらいで何とか治まったので再び布団に入って目を閉じる。

しかし、またすぐに胸が熱くなってきたので部屋の中をウロウロしていた。

それから数週間後、再び同じような症状に襲われて寝不足になったりしたので内科の定期健診の際に相談すると、胃酸を抑える薬を一週間分ほど処方してくれたので飲み続けたのだが、実は不快感を覚えた時にだけ飲めば良いものだったらしい。

それは 3カ月後の検診で教えられたのだが、医者から追加の薬を処方するか問われた際に、不思議なものであれから一度も発症していないことを伝えた。

それでも念のためにと処方してくれたが、妙なものであれ以来パッタリと症状が表れないので、まだ手付かずのまま薬は残っている。

■ 大腸

先週の雑感にも書いたが、健康診断の結果で大腸がんの精密検査を受けよとの連絡があった。

検便の結果で便潜血が認められ、その数値が 157ng/mlなので大腸がんの可能性があるため精密検査すべきとのことなのだが、ネットで調べた結果では数値が 100~300では大きな病変はなく、500以上である程度大きなポリープなど、1000を超えると癌を強く疑うということだ。

100~300で大きな問題がないのであれば精密検査などという大げさなことをしなくても良さそうなものだが、『お買い物日記』 担当者の母、自分の父、『お買い物日記』 担当者の父に続いて兄と 4人続けてがんで亡くなっており、さらには 『お買い物日記』 担当者本人まで子宮体がんを患ってしまったという経験から、早期発見の重要性を十二分に理解し、痛感している。

2年前の健康診断で胃壁の生検と病理検査をされたのも少し大きめのポリープがあったからで、今回も大腸にポリープがあるのであれば早めに切除しておく方が良いのかもしれない。

しかし、少し前に義兄も大腸検査、ポリープ切除を行ったのだが、前日からの下剤服用による準備が大変だったと聞いたので気が進まず、年明け早々にある内科の定期健診の際に精密検査の必要性を聞いてみようと思っている。

そこで心配ないということであれば、来年の健康診断まで様子をみられるのだが。

加齢と体調と寿命と

12/12の独り言にも書いたように生命保険を見直す時期になった。

まず第一に保険料は内容に変更がなくても加齢とともに高くなるように設計されており 10年毎に見直されるのだが、年齢が 20代から 30代になった時であれば数千円の違いだったものが、30代から 40代になるのであれば万円単位、40代から50代であれば数万円、50代から60代になれば約倍額と、加速度的に高額化していくので内容を見直して支払額を抑えるようにしたい。

今回提案されたのは病気の治療、入院に関する保障部分を死亡保障部分と切り離し、加齢によって高額化する料率から一生涯同一金額、つまり掛け金が年令によって変わらないものに変更するという内容だ。

そして、その料率が生命保険会社内で見直されて 12/17に改定があり、値上がりする可能性があるので今のうちに契約変更したほうが良いかもしれないという。

12/17と言えば来週の火曜日のことであり、あまりにも日数が少ないので 12日に 『お買い物日記』 担当者と二人で緊急の家族会議を開き、あれやこれやと相談していたのである。

今の契約から新しい契約にするメリットは今後は支払額が変わらず加齢によって高額化することがないという点と、保障される治療法、手術内容が圧倒的に多いという点だ。

今の契約は 20年も前のものであり、当時から比較すると医学は飛躍的に進んでいるため新しい治療法、手術にしても開腹手術ではなく体の負担の軽い内視鏡による手術など多種多様な手法が用いられるがそれらを保障するものではなく、その 20年前に可能だった療法しか適用範囲になっていない。

その差は膨大であり、適用範囲は 10倍以上に拡大されているので当時のままの契約内容で、その範囲内で治療してもらうのは困難だと思われ、やはり新しい内容で契約したほうが安心だ。

一方、変更に伴うデメリットはと言えば、将来的に値上がりはしないものの何があっても払い続けなければいけないという点にある。

今の契約では三大疾病(さんだいしっぺい)と言われる 『がん・急性心筋梗塞・脳卒中』 に襲われた場合、その後は保険料を支払う必要がなくなるが、新しい内容だと病気発症後も延々と払わなければならない。

つまり、自分が三大疾病を発症すると思うのであれば支払う必要がなくなるので現状維持、発症しないという自信があるのであれば将来的に高額にならない新契約を選択するという、一か八かの大博打みたいなものである。

それでも保険屋さんの話しを聞いた直後には新しい契約内容に変更しようという結論に達したのだが、その直後の 12日に前月の 14日に受けた健康診断の結果が届いた。

『お買い物日記』 担当者と同じ日に受けたので結果も同時に送られてきたのだが、自分にだけ別の書類が入っており、そこには 『精密検査』 の四文字が・・・。

それは採取に苦労した検便の結果、標準値より多くの血液が混じっているため大腸がんの検査を受けることを勧めるという内容だったので少し目の前が暗くなり気が重くなってしまったが、ネットで調べるとその数値は大問題でもなく大腸がんであるリスクは極めて低いことが判明した。

しかし、それでも大腸がんである可能性は 0ではない。

ということは、それはつまり三大疾病のひとつであるがんを発症した可能性を否定できないということであり、もし発症したのであれば今後は保険料を支払わなくても良いことを意味する。

ただし、今の契約のままだと大腸がんだった場合、現代医学では内視鏡や腹腔鏡によるがん細胞の切除といういたって体への負担の軽い手術をすることが多くなっているものの、その手術法は保障対象外になってしまう。

新しい契約だとそれらの手術法も適用になるものの、今後も保険料を支払わなければならないという、あちらを立てればこちらが立たず、帯に短し襷に長しという典型的なトレードオフ関係になっているため、12日の家族会議が長引いてしまったのである。

結果、たとえ手術法の範囲が狭まったとしても、もし大腸がんになったのであれば今後は保険料を支払わなくてすむ現状の契約を維持することに決めた。

17日に決定するという料率変更で多少の値上がりがあったとしても、精密検査の結果が確定した時点で新契約に移行すれば良いだろう。

しかし、これは念のための措置であり、自分としては自分が大腸がんなどではないという変な自信があったりするのではあるが・・・。

北の人々

北海道に帰ってきて来年の 2月で丸 6年が経過する。

元々は北海道で生まれ育った道産子(どさんこ)であるため、その県民性というか道民性は自分にも備わっているものであり今さらながらに認識するものでもないのだが、大阪で 13年も暮らしていると少なからず風土に馴染んで知らず知らずのうちに自分に変化をもたらしたものと思われ、こちらに帰ってきて改めて道産子の特性に気付かされることも多い。

これが一応は政令都市である札幌にでも住めば大きな違いを感じないかもしれないが、人口が数万という地方の町に暮らせばそこに住む人々はいたって大らかであり、流れる時間があまりにもゆっくりしているような感じを覚えたものである。

特に大阪は日本一歩くのが速かったり、じっと信号機が青になるのを待っていられなかったりするほどせっかちな人が多く、そんな中に 10年以上も暮らせば多少は影響を受けて歩くのが早くなったり信号無視したりするようになっていたが、こちらに帰ってくると誰もセカセカと歩いてなどおらず、交通量の極端に少ない道路であっても誰も信号無視して渡ったりしていない。

最初の数カ月間は一台も車の通らない道で信号を守っているのが馬鹿らしく思えたが、今はイライラもせずじっと信号が青になるのを待つようになった。

歩行者であるこちらが交通ルールを守るのも当然のことながら、運転する人もまた実にマナーが良く、いや、あまりにもマナーが良すぎて恐縮してしまうことも少なくない。

今でも続けている毎朝の散歩では信号のない道を歩き、信号のない交差点を通ったりするのだが、道路に立って渡りたそうな気配でも見せようものなら多くの車が止まってくれる。

こちらとしては、その一台さえ通り過ぎれば他には車が来ていないので行くのを待っているつもりなのに、そのたった一台の車が止まってくれてしまうのでペコペコと頭を下げながら小走りで道路を横断することになってしまう。

そんなことをされては逆に気を使ってしまうし、できることなら走りたくもないので可能であればそのまま通り過ぎていただきたいところなのだが、こちらにはとっても親切な人が多くて歩行者を優先させようとしてくれる。

仕方がないので最近では道路を渡りたい素振りを見せず、車が来ていたらわざと車道に背を向けて逆方向を見てみたり、街路樹に生っている実をながめたりしながら 「私は道路を渡りたくなんかありません」 的なオーラを発散させつつ、横目で車が途切れるのを待っているようにした。

建物の敷地から車道に出ようとしている車も歩行者を最優先にしてくれるので、それにもこちらが恐縮してしまうことも多い。

その車からはまだ 5メートルも 10メートルも前を歩いているのだから、大阪の、いや、普通の都会の感覚からすれば先にブオーンと発車してしまえば良いのであって、そうされてもこちらとしては身の危険を感じることも感情を害することもないのだが、こちらの運転手さんはじっと通りすぎるのを待っていてくれる。

いかにも 「待っているから渡ってね」 という雰囲気があれば、こちらとしても早足で通り過ぎたり、お先にどうぞという意思表示をしたりできるのだが、家の中から誰か出てくるのを待っているかのように後ろを見たり、出発の準備をしているかのように後部座席や隣のシートに手をやったりしているので、気にせず普通の速度で歩きながら車の前を通り過ぎると、直後にブオーンと出発して行ったことも一度や二度ではないので、歩行者を優先させてくれる運転手さんがどれだけ多いのかがうかがい知れるというものだ。

今年は少し秋が長く、今は一度降った雪も解けてしまっているが、そろそろ本格的な冬が始まろうとしており、来週は最初から終わりまで連日雪の予報が出ている。

北海道の冬は厳しく、野原は一面の雪に覆われ、冬に実をつける木々もないので野鳥はエサの確保に苦労することだろうが、渡り鳥であれば暖かい地方に移動すれば良いし、カラスであればゴミをあされば良い。

しかしスズメはそうはいかず、小さな体では海を越えて渡っていくのも不可能だろうし、雑食性であるにも関わらずカラスのようにゴミをあさる姿も目にしたことがないので冬の食生活にさぞ困っていることだろうと思っていたが、この町のスズメはみんな丸々としているのが不思議だった。

ところが数日前の独り言にも書いたように、この町には鳥を餌付けしている家が多いことが分かったので、今となってはコロッとしたスズメが多いのもうなずける。

いつも歩く散歩コースだけで 10軒ほど庭に餌台を置いており、そこには多くのスズメが集まって来ているが、いつも決まった道しか歩かないのに 10軒も見るということは、この町全体ではいったい何軒の家に餌台があり、どれだけの量のエサをスズメたちは食べさせてもらっているのか。

北海道の人に、この町の人になぜエサをあげる人が多いのかは不明だが、厳しい冬の時期に鳥たちがお腹を空かせては可哀想だという優しい気持ちの持ち主が多いのかもしれない。

しかし、それにしてもスズメにとっては厳冬どころか労せずエサにありつけるのだから暖かい時期より楽なものであり、2-3軒ほどハシゴすればお腹いっぱいになるだろう。

これほどゆったりとしており、親切でやさしい人々に囲まれながら暮らすことに慣れてしまった今、もう二度と大都会では生活することなどできないかも知れない。

田舎は不便なことも多いが、セコセコと、そしてギスギスとした中で暮らすより、のんびりとした生活をするほうが自分に向いていると改めて実感したりしている今日このごろである。

一か八か

景気の回復から価格も上向き、消費増税前の駆け込み需要もあってマンション、戸建ての着工、販売が好調だと聞くが、それらは都市圏に限った話しであって経済効果が北海道の田舎にまで及ぶのはまだまだ先のことだと思われるし、効果が波及する前に景気がしぼむなどというのは良くある話しだ。

東京では高級マンション販売も好調で 3億とか 5億の物件も即日完売という賑わいを見せているらしいが、2020年東京オリンピックに向けた投資目的ではなく、本当に居住することを目的としているならば、まだ工事が始まったばかりで現物を見ることも出来ないマンションに億単位の金を払うなどたいした度胸の持ち主だと思わざるを得ない。

実際にそこに住んでみて、隣だの上下階がとんでもない住人だったらどうするつもりなのか、何の関係もないこちらがドキドキしてしまう。

以前と違って今は近所づきあいもないだろうし、隣にどんな人が住んでいるか知らない場合も多いだろうが、だからこその問題も多いだろう。

今は一軒家に住んでいるが、若い頃から大阪で暮らしていた頃までずっとアパートやマンション暮らしだったので上下左右の住人や近隣住人のことが気になって仕方がない。

最初に暮らしたボロアパートでは、どちらかと言えばこちらが加害者で、朝夕、夜中を問わず友達が出入りし、しまいには外壁を登って窓から入ってくるものまでいたので隣近所には多大なご迷惑をお掛けしたものと思われる。

本当にボロなアパートだったので階下は三部屋続きで空いていたのだが、そこに友人同士というガラの悪い三人が引っ越してきて各部屋で暮らし始め、近隣住人とのトラブルが絶えなかった。

次に引っ越したアパートでは最初は平穏無事に暮らしていたのだが、上の階が空き部屋となったのを機に、その隣で暮らしていた一家が空いた部屋も借りて中学生と小学生が二人という三人兄弟の部屋に割り当てたものだからたまらない。

親の監視が行き届かず三兄弟は暴れ放題、男三人が飛び跳ねたり転がったりするものだから天井が抜けるのではないかと思うほどの大騒音が響き渡る。

何度か親に言ったが、静になるのは当日くらいなもので徐々に動きが激しくなり、三日もすればドッカンドッカッンと壁を揺らす大騒ぎとなり、これは親に言ってもダメだと部屋に怒鳴りこむと、小学生の弟二人は泣き出し、中学生はふて腐れるありさまで、しまいには親が子どもを怖がらせたと文句を言ってくる始末だった。

次に住んだ部屋の上階が大学生で、夜中だろうと朝だろうと構わずドカドカと騒音をたて、文句を言いに行ってもヘラヘラと笑うだけで一向に改善することはなく、ホトホト困り果てたので部屋に殴りこみに行ったほどだ。

次に住んだのは、いわゆる高層マンションだったが、それは自分で購入したものではなく部屋のオーナーが貸し出していたものだった。

そこは名のある不動産会社のマンションで、地下鉄駅から徒歩 3分という恵まれた立地であり、正確なところは忘れてしまったが 20数階建ての 14階に住んでいたのだが、ここは以前の雑感に書いたように上階の住人が恐ろしい。

夜中に女性の悲鳴が聞こえたので何事かと耳を澄ませば、上の階から
「だれか助けてぇ!殺されるぅー!」
という叫び声が聞こえるではないか。

警察に通報すべきかとも思ったが、そこの夫婦喧嘩はいつも激しいので放っておけば収まるだろうと無視していたところ、あまりにも静か過ぎるほど物音ひとつしなくなった。

そこには子どももいたのでソファから飛び降りるドッカーンという音もたまにしていたのに、その悲鳴が聞こえた夜から数日間はまったく音がなく、人の気配すらしなくなってしまったのである。

もしかしてもしかすると、奥さんと子どもは本当に殺されてしまい、夫が逃走したのではないかという不安が胸をよぎったりして落ち着かない日々を過ごしていたが、数日後に再びドッカーンという騒音が聞こえたので変な意味で安心したりしたものだ。

大阪で暮らした 14年弱、一度も引っ越すことなくずっと同じ場所に住んでいた。

まるでマンションの主であるかのように長く暮らしていたのは、その建物の大家さんがとても良い人だったのに加え、何度か入れ替わった他の住人も良い人が多かったことが最大の理由だ。

ただし、近隣住人の一部はあまり好感の持てない人だった。

目の前の道路を挟んで向かい側に止められていた車はエンジン音がうるさく、おまけに女の人の声で 「右に曲がります」 とか 「バックします」 と繰り返し音声が流れる装置を付けており、車の持ち主の爺さんの運転が下手なのか、決まって朝の 5時半ごろに延々と 「バックします」 を繰り返し聞かされる。

眠りが浅くて小さな物音でも目が覚めてしまう自分は、毎朝毎朝ずっと 「バックします」 を聞かされ、「さっさとバックして出発してくれぇ~。」 と心の中で叫ぶ日々が続いた。

反対側の家に住む一家は実に変わっており、奥さんは人嫌いで顔を合わせてもろくに挨拶もせず、旦那さんは酒癖が良くなかった。

夜中に怒鳴り声で目を覚ましたことも一度や二度ではなく、旦那さんが酒によって家族に大声で文句を言っているのが常で、一度など
「たのむ~、たのむから出て行ってくれぇー!」
と叫んでいたが、最後は離婚が成立したらしく、一家離散となって一軒家は売りに出されたので住んでいた当時から家庭は崩壊していたのかもしれない。

そんなこんなで時代は変わって近隣住人との付き合いなどなくなった今でも、誰かが住んで生活を始めれば、互いに少なからず影響しあうものである。

付き合いがなくて直接は言えないことも多く、ストレスが溜まっていきなり暴力沙汰や裁判沙汰に発展してしまう可能性も否定できない。

そんなリスクが存在するにも関わらず、億単位の物件を購入するのは一か八かの賭けのようなものではないだろうか。

とてつもない金持ちであれば転売して他を探せば良いだろうが、ローンまで組んで終の棲家と決めて購入した場合は最悪だ。

それが億単位ではなくても、マンションや戸建住宅の購入には千万単位の金が必要となり、老後の計画までして購入したマンションの上下階、左右の部屋から騒音が響き渡ったり、人間関係が最悪な環境に身を置かなければならなくなってしまったとしたら・・・。

小心者の自分は恐くて、とてもじゃないけど不動産など購入できそうにない。

残りの人生を一か八かの賭けで決めることなど不可能だ。

消費税が上がるからといって、こぞって不動産購入に走る人をある意味で尊敬し、畏敬の念を抱きつつ遠くから傍観したりしている今日このごろである。

一般用医薬品ネット販売

一般用医薬品のネット販売の規制緩和が不十分だと楽天の三木谷社長が吠えまくっているが、彼の主張が自分の商売の利益しか考えないエゴイズムだったとしてもコンピューター業界に身をおく者としては原則として賛成であるし、何でもかんでも規制すれば良いというものではなく、官僚、業界の利権構造を守るかのような決定には不満を感じないでもない。

今回、政府が固めた方針は、一般用医薬品のネット販売を認めつつも、劇薬 5品目は禁止、市販後間もない 23品目については 3年間かけて安全性を確認できればネット販売を認めるというものだ。

一般用医薬品に占めるこれらの割合は 0.2%程度なので、99.8%の一般用医薬品はネット販売が認められるのだから、これ以上キャンキャン吠える必要はなかろうという論調も目立つ。

確かに一理あるが、その先のことも考慮する必要があるだろう。

アメリカ、イギリス、ドイツなどでは医師が処方する医療用医薬品のネット販売も解禁されており、将来的には日本でもネット解禁の機運が高まってくることが予想されるが、市販薬にすら規制があるのであれば医療用医薬品などネット解禁されるはずもなく、それが最大の問題であるというのが三木谷氏の主張だ。

医師、薬剤師、製薬会社、薬販売店、そして厚生族の政治家や厚労省は、この牙城を死守するべく今の段階から規制を盛り込んでおこうという魂胆が透けて見える。

というのも医療用医薬品の市場は一般用医薬品の 10倍、6兆円以上とも言われ、ここに多くの利権が渦巻いており、ネット解禁によって薬価が値崩れして利益が減ったり店舗への客足が遠のいたりするのを警戒しているのだろう。

中には医療用医薬品のネット販売など危険だと思う人もいるだろうが、医師が患者の具合を見てアレルギーなども把握した上で処方するのだから問題は起こらないものと思われるし、今になって薬局が患者との対話を心がけるように見せかけてはいるが、昔は病院で薬を受け取る際に会話などなく、処方された薬を事務的に渡されていただけだった。

つまり、医者が処方した以上は薬局もそれに従って患者に渡しているだけであって、顔色を見たり会話によって何らかの問題を発見して処方を中止したり薬を変えたりしている訳ではない。

ということは処方箋を提示さえすれば購入先が店舗であってもネットであっても大きな違いはなく、もしそれに反対するのであれば今も広くサービス提供されている FAXでの受付だって顔を合わせないのであるから禁止すべきだろう。

対面販売は薬剤師の五感を働かせて購入者の特徴をつかむことができるなどと、訳の分からないことを言って茶を濁す厚労省だが、医学的に説得力のある説明だとはとても思えない。

そんなこんなで薬のネット販売には基本的に賛成ではあるのだが、その副作用の恐ろしさを経験した今、すべての薬を解禁して良いのか多少なりとも疑問を抱くようになった。

それは火曜の定期通院、CTスキャンを受けた 『お買い物日記』 担当者は前の週に行った健康診断で胃のレントゲン撮影のために飲んだバリウムが大量に残っていることが判明し、これは一大事と医師に処方された下剤を服用したことに始まる。

24時間で出なければ医者に相談するよう促されているバリウムが 5日経っても大腸から小腸にまで残っているのは決して良いことではなく、一刻も早く出してしまうべきとの医師の判断に間違いはないだろうし、その婦人科の医師は 『お買い物日記』 担当者の目の前で内科の医師とも相談して出した結論だった。

処方されたのはラキソベロンという下剤。

副作用の少ない安全な薬であり、重い副作用はまず起こらないので高齢者や妊婦にも使用できるらしいのだが 『お買い物日記』 担当者には当てはまらず、とんでもない副作用に襲われることになってしまった。

その副作用を順に挙げると・・・。

●腹痛
 下剤なので一定程度は仕方がないが、服用して数時間後には腹痛が始まった。

●吐き気・嘔吐(おうと)
 これは辛かったらしく、何度もトイレに駆け込むこととなってしまったが、なにせ下剤の副作用なものだから上から下から状態であり、結果的に使いはしなかったものの念のためトイレ内に洗面器を準備したほどだ。

●目まい
 立っていられないほどの目まいに襲われながらも下剤が効いているのでトイレには行かなければならず、這って行くようなことが何度もあり、トイレの中でもフラフラでドカドカ、ドッカ~ン!という音が鳴り響いたので慌てて見に行くとドアの外に頭を出したまま唇を真っ青にして倒れていたことも一度や二度ではない。

●一過性の意識消失
 顔も唇も色を失い、冷や汗を流しているので貧血を起こしているのかと思っていたのだが、そのうちに問いかけに答えなくなり、眼球が上下左右に激しく動き出したので目まいと意識消失を併発したのだろう。

大量の冷や汗を流したからか、ガタガタと震えだして寒いと訴えたので布団乾燥機で温めた中に寝かせて様子を見ると少し落ち着き顔色も戻ってきた。

少し眠ると症状が緩和されたようだったが吐き気と下痢は続いた。

●頭痛
 夜になってやっと落ち着き、普通に就寝したのだが翌朝になって目を覚ますと 『お買い物日記』 担当者は頭痛になっていた。

ただでさえ頭痛持ちなのに副作用として頭痛を誘発する可能性があるのであれば頭が痛くなってしかるべきといったところではあるが、前日のひどい副作用に続いての頭痛は体力的にも精神的にも辛いことだろう。

便秘は解消し、バリウムも出たことと副作用が辛かったこと、意識消失を担当医にメールで報告すると、救急搬送されるまでの事態に至らず幸いだった旨の返信があったらしい。

人によってはもっと激しい副作用で救急搬送される可能性もあったということか。

副作用の少ない安全な薬とされているものでさえ、体調や体質によっては重篤な副作用を及ぼす危険性があるということは、やはりネットで販売できる薬も一定の規制が必要なのではないかと考えないでもないが、医師が処方して薬局で薬剤師から受け取った薬でも今回のようなことはあるし、厚労省が何を言おうと 『薬剤師の五感を働かせて購入者の特徴をつかむ』 ことなど不可能だという証左でもある。

とどのつまり、やはり利権を守ろうとしているのは医薬業界、官僚、政治家の側であってネット解禁による危険性は規制があった今までと大差ないのかも知れないが・・・。

虚偽表示

老舗百貨店、高級ホテルやレストランなど様々な業界で虚偽表示が発覚して社会問題化しているが、これは今に始まったことなのだろうか。

そもそも世間を騒がせている虚偽表示問題の発端は 5月頃に発覚したディズニーの偽装であり、この事件を受けて各ホテルが内部調査を行った結果、虚偽表示があったことが判明した阪急阪神ホテルズは事実の公表に踏み切った。

それ以降は内部告発で発覚する案件も多いが、どさくさに紛れて今のうちに公表してしまえば集中砲火を避けられるという 『赤信号みんなで渡れば怖くない』 的なノリで発表している企業も少なくないものと思われる。

ウィキペディアにまとめられた内容では一連の流れは 2008年から始まっているようだし、その前の 2005年には 「食べてはいけない」 の基礎知識―食の危機・偽装表示を見抜くという本も出版されているので古くからある事例が一気に噴出しているというのが現状なのかも知れない。

高級だと思っていたものが産地偽装品で実は単価の安い食材を使用しており、原価に見合わない価格を提示されていたというのも腹立たしいが、牛の霜降り肉が実は牛脂注入肉だったという一件は健康被害を引き起こす可能性が高かったこともあって問題が大きい。

というのも、注入される牛脂は小麦、卵、乳を含む場合が多く、それらは食物アレルギー物質であり、過剰反応する人にとっては命に関わることも少なくないので虚偽の表示でしたでは済まないのではないだろうか。

アレルギー反応が出た人も、よもや高い金を払った肉に問題があったなどとは考えもぜず、きっと他の料理と同じ調理油を使用していたのではないかと考えたり、別の食べ物に含まれていたと思っていたに違いない。

企業倫理やモラルの問題ではなく、詐欺罪として刑事告発されたり、アレルギーを引き起こされ、それによって体調を崩したなどと業務上過失障害とか、強いアレルギーで死に至ったとして業務上過失致死傷罪に問われでもしたらどうするつもりなのか。

ホテルやレストランは食材を厳格な基準で調達していないと世界に広く知れ渡れば、宗教上の理由から食べ物を制限し、イスラム法上合法な食品のみをハラル食品としている人々は日本への観光を控えることになるだろうし、信用が失墜すれば他の国の人、他の宗教の人だって観光に二の足を踏むことだろう。

消費者の信頼を裏切ったことがどれだけのダメージとなるか思い知るが良い。

産地偽装もさることながら、その鮮度や美味しさを強調するために付けられるキャッチコピーもよくよく考えてみれば怪しいものが多くある。

スーパーで売られている 『朝採り野菜』 だって本当に今朝なのか分かったものではなく、昨日だって一昨日だって朝に収穫していれば 『朝採り』 ということになるのではないだろうか。

飲食店で 『朝採り野菜のサラダ』 などと表記してあっても、本当に毎日、朝採れたものが確実に入荷しているのか怪しいような気がする。

同じように居酒屋チェーンなどで 『朝取りイカのお造り』 などと表記されたものがあるが、自然を相手にした漁で確実に船を出して間違いなく必要な量の魚が水揚げされる保証などない。

近年、日本では観測史上最高の暴風とか大雨を観測することも珍しくなくなったが、そんな日でも居酒屋に行けば、そんなはずはないのに朝取りの新鮮野菜でサラダを作ってくれ、朝取りのイカをさばいて刺し身にして提供してくれることだろう。

通販サイトを覗いてみても、『朝どれ浜ゆで越前ずわい蟹』 とか 『浜ゆで毛ガニ』 などという文言が目につくが、『朝どれ』 であっても茹でたものが数日後に宅配されるのであれば意味はないし、『浜ゆで』 というのも実に怪しい。

漁師のおっさんやその妻が、寒い中で火をおこし、ドラム缶でグツグツ蟹を茹でている光景が目に浮かぶが、そんなことをしているはずはなく、陸揚げされた蟹はトラックで加工工場に移送され、そこで大きさの選別などをした後で茹でられているに違いなく、その加工工場が海岸沿いに建っているのであればまだしも、単に港町なだけであって決して浜に建築されている訳ではないだろう。

売られている商品の中には冷凍輸入品を海に面していない町の加工場で茹でたものもあるだろうし、『朝取れ』 と 『浜ゆで』 という言葉に間違いはなくても、実は 『数日前の朝』 に取れ、中国や韓国、ロシアの 『浜』 で茹でられた蟹という代物だってあるのではないかと疑ってかかったほうが良いだろう。

今は流通網が発達し、冷凍、冷蔵技術も進んだので自宅にいながらにして全国、全世界の美味しいものを食べることができる。

しかし、やはり昔のように名物、名産品はその土地に行って食べるのが間違いなく、鮮度の高い食材を目の前で調理してくれる寿司屋か料理屋で地酒を呑みながら味わうのが良いのではないだろうか。

金銭的にも時間的にも心のゆとりもない場合は、それが虚偽の食材だったとしても仕方がないと覚悟した上で、それなりの雰囲気だけ味わうのが精神衛生上もよろしいのではないかと思ったりしているところだ。

消費増税の前に

独り言にも書いたようにプリンターが故障したので買い換えることになってしまったが、結果的にタイミングが良かったのではないかと思っている。

使用頻度は高くないものの購入して 5年以上が経過しており、すでに修理保証の期間を過ぎて交換用部品もなくなっていたので故障は買い替えに直結するため、それが消費増税の直前であったのは幸いだったのかもしれない。

プリンターの価格は 2万円前後と 5年前と大きな差がなく、デフレ下においても極端な値崩れもせず、かと言って高機能化が進んだ割に高額化にもなっていないという不思議な製品だ。

仮に 2万円だとすれば消費税 5%で 21000円、8%で 21600円と、その差 600円でしかないが、それでもちょっと得した気分である。

お買い物日記』 担当者のスマホがヨレヨレなのは以前の雑感に書いた通りなので、いよいよ 2-3日中に買い換えるつもりでいるが、それも消費増税の前で良かったのではないかと思う。

スマホはパソコンと比較して性能は劣るものの、その技術革新のスピードはパソコンを上まっており、年に何度も新製品が投入されるので最新機種もすぐに陳腐化してしまう。

どうせ数年で買い換えなければならないのであれば、消費税が引き上げられる前で良かったのではないだろうか。

購入しようとしている機種は約 7万円なので消費税 5%で 73500円、8%だと 75600と、その差 2100円なので保護フィルムやケースなどアクセサリを購入できる金額だ。

自分の使っている iPhoneはまだ元気に動いているし、それほど最新機種を持つことを重要視していないし、Apple製品は年に一度しか新製品が発売にならないのに加え、少しずつ低価格化が進んでいるので今回は機種変更を見送るつもりでいる。

どうせ 6万円も 7万円も使うのであれば、今はパソコンの買い替えを優先して検討すべきだと考えているところだ。

Windows 8の評判の悪かった部分が改良され、Windows 8.1が登場したことと、日本で広く普及している Windows XPのサポート期間が間もなく終了することからパソコンの買い替えも進むものと思われる。

そうなると我が家も仕事用に Windows 8.1を入手して最新 OS上で動作検証などする必要があるだろう。

アベノミクス効果で一時期より 25%ほど円安が進み、その多くが海外製ユニットで構成されているパソコンの価格も 20%以上は高くなっている。

欧米は日本が経験したデフレ基調に突入しそうな雰囲気で、経済に暗雲がたれこめ始めているらしいが、それが現実のものとなると円安はまだ進むものと思われ、そうなればパソコン価格も上昇するに違いない。

そうなる前に、そして消費税が引き上げられる前にパソコンを購入しておくべきか目下のところ思案中だ。

そろそろブルーレイレコーダーも買い換えたいと思っている。

どうもシャープの製品は使い勝手が良くなく、ソフト的不具合が多いにも関わらず迅速な対応がなされないのでストレスが溜まってしまう。

購入して 3年が経過し、ハード的にも少しずつ動作が怪しくなってきた。

海外ドラマにどっぷり浸かっている今はブルーレイレコーダーが生命線であり、もしそれが故障でもしようものなら我が家にとって一大事である。

もう一台あれば、いざという時に B-CASカードを差し替えるだけで継続して録画もできれば視聴も可能だ。

これはパソコンより優先度を高くしなければいけないかもしれないが、型落ち品であれば 4万円以下で手に入るので消費税引き上げによる価格差はそれほど大きくない。

いろいろと考えてはいるものの、実際に購入したのはプリンター、購入が決定しているのはスマホだけであとはすべて思案中、検討中のものばかりである。

はたして来年の 4月までにどれだけの買い替えが進むだろう。

存在意義

世の中には本当に必要とされているのか分からないものが多数あるが、自分がその筆頭に挙げるのは手提げ金庫だ。

金庫というからには貴重品、現金など保管することになるのだろうが、手提げとなると簡単に持ち運びできるということであり、盗むことを目的とした場合はこれほど便利なものはない。

なにせ中には貴重なものが入っていると分かりきっているし、持ち運びも容易ともなれば、便利この上ないアイテムなのではないだろうか。

高額なものであればいざ知らず、一般的なものは耐久性も高くなく、ちょっと大きめのハンマーかツルハシでもあれば簡単に破壊して中の物を取り出すことができるだろう。

さらに耐火性も高くないので火災が発生すれば中のものは短時間で灰と化すに違いなく、それらすべてのことを勘案すれば手提げ金庫の存在意義は限りなく無意味であり、存在価値も極端に薄れると思われるのだが、今でも販売されているのが不思議だ。

次に存在意義が分からないのは玄関マットである。

多くの家庭の玄関の上がり口にはマットが敷かれているものと思われるが、あれは何のためにあるのだろう。

足の汚れを落とすためのものだとすれば、それは入る時、出る時のどちらなのか。

日本家屋の場合、外から中に入るときは靴を脱ぐのが一般的であり、今の今まで靴を履いていたのだから足が汚れているはずはないのでマットは必要ない。

逆に家から外に出るときも足が汚れているはずはないので必要ないだろう。

だとすれば、あの玄関マットに何の意味があり、どんな用途があるのか不思議で仕方がなく、靴のまま室内に入る海外の文化をそのまま真似して玄関にマットを敷いているのだとすれば実に滑稽なことだが、我が家の玄関にもマットが敷いてあるのであまり大きな声で存在意義を問うことは出来なかったりする。

すでに解散したのでどうでも良いことであるが、ファンキーモンキーベイビーズ、略してファンモンと呼ばれ、若者に人気のあった音楽グループの真ん中にいた坊さんの息子の DJケミカル、彼の存在意義はさっぱり分からなかった。

3人組の 2人が歌っており、彼は後部中央で踊ったり手拍子しているだけだ。

正直なところ万人受けするどころか万人が笑うルックスをしており、若い女性からキャーキャー言われるグループに参加していること自体が不思議で、彼が作詞や作曲をしているのなら必要不可欠なメンバーと言えるだろうが、ほとんど関わっていなかったのが実情らしく、ますます存在意義が不明である。

DJプレイには定評があるらしいのにテレビやプロモーションビデオでは一切やらず、興味がないので見ていないからライブでもやっていたのか分からないが、DJケミカルという芸名で音楽グループに所属しているにも関わらず DJプレイすらしないのであれば存在価値も意義もあったものでないだろう。

次に存在意義を問いたいのは体育会系タレントだ。

古くは池谷幸雄から最近では武井壮まで、専門知識を必要とされる番組やスポーツ中継の解説ならいざ知らず、バラエティー番組に出演しても気の利いたコメントの一つも言えず、笑いの一つもとれないのであれば芸能界にいる必要はないだろう。

そもそもテレビ局側も何が目的で彼らに何を期待して出演依頼するのか。

大嫌いなガッツ石松もそうだが、早くテレビ画面から消えてほしい。

同じ元プロボクサーでも具志堅用高、輪島功一などは超天然ボケなのが笑えるし、じっくり話しを聞けば深みもあり、それなりの苦労や人生経験があるので人との接し方も好感が持てる。

ところがガッツ石松はくだらないギャグを言うだけで面白くも何ともなく、自分を何様だと思っているのか納得できる仕事しか受けないと言ってみたり、脇役でテレビや映画に出演しただけなのに俳優としての成功者だと言わんばかりの態度に腹が立つ。

話しを聞いてもためにならず、面白いことも言えないのであればテレビに出る価値も芸能界での存在価値も意義もないだろう。

第二、第三のガッツ石松を生み出さないためにも体育会系タレントなど一刻も早く全滅していただきたいものである。

そして、ほんとうに存在意義を問いたいのは核兵器だ。

もし使ったら国際的批判をあびるのに決まっており、その後の経済制裁、国交断絶などによって国が立ち行かなくなって破綻するのは目に見えているのだから相手のみならず自国にも壊滅的な被害をもたらすことになる。

1発の核ミサイルでさえ破壊力、放射能などによる土壌、大気汚染などが大きな問題になるのに各国が保有する何百、何千という核ミサイルを報復だなんだとバカスカ打ち合えば国のみならず地球に壊滅的な被害をもたらすことになるだろう。

つまり、『その後』 を考えれば核兵器など保有していても使えるはずがないのであり、どうせ使えないのであれば保有する意味、その存在意義すら見いだせないはずなのに抑止力の名のもとで一向に根絶に向かう気配がない。

人類とは何と愚かな存在なのかと思うし、地球からすれば人類の存在意義が疑問だろう。