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春の終わり

5月 6日から始まって昨日の昼まで、実に約三週間も桜を堪能することができたし、今はライラックが満開になっているし、他の花もまだまだ花は咲き誇っているが、店に地物の春野菜が並び始めたということは花の時期も終わって実をつけて、それが収穫期を迎えつつあるということで、それはつまり春の終わりを告げているということでもある。

ツバメのヒナも成長して巣立ち、スズメも子育てに忙しそうだ。

先日、この時期に着られるものがほしくて衣料店に行ってみたところ、すでに店内は夏物ばかりで春秋物は売れ残ったものが店の片隅で投げ売り状態になっている程度しか売られていない。

安く買えるのなら投げ売り品でも構いはしないのだが、気に入ったものがあまりなかったし、ちょっと良いと思ったものは体に合うサイズがなかったので何も買わずに店を出た。

人生の大部分を室内で過ごしているため外出着などあまり必要なく、滅多に衣料店になど行かないので商品サイクルをまったく理解できていないのである。

その長い時間を過ごす部屋でも少しずつ重ね着を減らし、部屋着が初夏仕様になるまでもう少しのところだが、まだ朝晩は寒いくらいなので減らすペースは遅い。

道産子は実気温よりカレンダー通りの服装をする人が多く、すでに子どもや若者は半袖姿で歩いているが、年齢とともにファッションより実用性や快適性を求めるようになった身としては、半袖などまだ一カ月くらい先の服装だと思われる。

朝の散歩着も少しずつ重ね着が減り、今はジャージの上下のみとなったが、その散歩の途中で会う黒柴リュウくん黄色いベストは冬も夏も変わらない。

去年の冬から着るようになったのだが、夏になれば着るのをやめるか薄手のものを作ってもらえるのだろうと思っていたのに、一年を通して同じものを着せられている。

しかし、リュウくんは他の犬と異なり、夏の暑い日でも舌をベロンと出してハーハーしながら体温調節をすることもないので、あまり暑いと感じていないのかもしれない。

その散歩で公園の芝生や木々、遠くの山をみたりしながら歩くのだが、文字通りの若葉色、目にも鮮やかな緑だった草木の色も濃くなってきた。

ここ数年、毎年バジルを育てているが、そろそろ作付をする時期だ。

作付と言っても本格的な畑仕事ではなく、店で売られている栽培キットを買ってきて育てる楽しみ、収穫の楽しみを味わっている。

それでも少しずつ育て方が上手になってきたり、人から育て方を教えてもらったりしたこともあって、2011年は約 200枚の収穫だったものが 2012年には 300枚となり、去年は 600枚ものバジルを収穫することができた。

もちろん天候に左右されるので今年もたくさん収穫できるか分からないが、我が家では摘みたてのバジルを冷製パスタで食べるのがすっかり夏の風物詩となりつつある。

過去に何度か書いたが、大阪に暮らしていた頃は今頃が一年の中で最も憂鬱な時期だった。

もうすぐ鬱陶しい梅雨が始まり、それが終わると地獄のような暑さがやって来て、それが9月の中旬まで延々と続く。

北海道では冬でも寒さを嫌がる人はあまりおらず、寒いものは寒い、冬は寒くて当たり前と捉えているものと思われる。

高齢になって力がなくなり、体力も衰えてくると除雪するのが辛くなって積もる雪にうんざりすることから冬を前に憂鬱になる人がいるが、自分の場合はまだ除雪が苦にならないので冬という季節も嫌いではない。

とにかくあの暑さ、時には沖縄より体温より高い気温に蒸し風呂のような湿気、流れる汗に眠れぬ夜、いつ終わるとも知れぬ地獄のような日々が嫌だった。

それを思うと逃げ出したいような気になり、このまま時が止まってくれたらどんなに良いだろうと妄想するのが今くらいの時期だったのである。

その大阪で鍛えてもらったこともあって、北海道の夏など暑いと言ってもたかが知れており、生粋の道産子が暑がってエアコンを設置したりする中、我が家では昼間に扇風機を使うのはひと夏に 10日もなく、就寝の際に扇風機を回すのも 3日くらいなものだろう。

暑さで眠れないことも夜中に目を覚ますこともなく、窓を閉め切ったままでも何の問題もなく朝を迎えることができる。

以前までは暑さが過ぎて空気が乾燥する秋が一年で最も好きな季節だったが、今は風雪に耐えた草花が命を吹き返して一気に色づく春、そして夏に向かうこの時期が一番好きかもしれない。

銭湯

全国で銭湯の数が減り、2005年現在で 5,000軒程度だ。

家を出て、一人暮らしの始まりは風呂なしアパートだったので、そこを出るまでの 6-7年間は銭湯通いをしていた。

今の世の中には人付き合い、裸の付き合いなどなくなってしまったが、当時は友達と銭湯に行くこともあり、互いに背中を流したり湯船に浸かってくだらない話しに花を咲かせたりと、それなりにコミュニケーションを図っていた訳である。

ある日、その銭湯に行くと先に友達が来ていて洗髪をしているのを見つけた。

シャンプーが終わり、洗い流す段になったので後ろにそっと近づき、上から少しずつシャンプーを垂らしてやったところ、いつまでも泡が消えず、必死に頭をジャブジャブとすすいでいる。

それを不審に思った友達が目の前の鏡越しに自分に気付き、やっと事態を把握したかと思うと洗面器に冷水を入れてぶちまけて反撃に出たりするのだが、それが知らないオッサンにかかったりして怒鳴られたりもした。

湯船に入って何だかんだと話しをしていると、知らないオッサンやジイさんが会話に乱入してくることもあり、そこで知り合いの輪が広がったりもしたが、今ではそんな風情も失われてしまったことだろう。

そもそも最近は風呂なしのアパートなど希少物件で、各部屋に風呂もトイレも完備されているのが常識となったため、銭湯の客は減る一方で廃業が増えるのも致し方ないことかも知れない。

かなり以前の雑感にも書いたように、若い頃は髪を長く伸ばしており、今も濃くないヒゲは当時まったくと言って良いほど生えておらず、誰がどう見ても性別不明などいうものではなく、まごうことなき女として認知されるような外見だった。

それは番台のオバちゃんも同様で、ガラガラと戸を開けて男湯に入っていくたびに
「違うっ!女湯はあっち!」
と注意された。

脱衣場で服を脱ぐ際も番台のオバちゃんや周りのオッサンの注目の的で、みんなが好奇な目でこちらを見ており、どうにも落ち着かないし、いくら男同士であっても何人もの目がこちらに向けられている中で服を脱ぐのはこっ恥ずかしい。

そんなことが続き、すっかり風呂嫌いというか銭湯嫌いになってしまった自分は、人の目を気にせず入浴できる家族風呂に通うようになった。

家族風呂とは脱衣場から浴室までが個室になっている公衆浴場で、当時は銭湯の 2.5倍ほどの料金で貸し切ることができた。

家族 3人であれば、むしろ安いか、小さな子供連れだと同額で個室が使えるのだが、それを一人で使うとなると金のない学生の身分とあっては回数を減らさざるを得ない。

大衆の目にさらされて服を脱ぐ恥ずかしさに耐えてでも清潔を保つか、回数を減らして多少は頭や体の痒みに耐えてでも気兼ねなく入浴するかを検討した結果、彼女がいる訳でもモテたい訳でもない以上、家族風呂を選択するという結論に至った。

しかし、金額が 2.5倍というだけではなく、家族風呂のある場所が銭湯の 3倍の距離であったため、想像以上に入浴間隔があき、ちょっと不潔な状態が続くことになってしまったのは反省の意味も込めて記しておかねばなるまい。

しかし、が、しかしである。

うら若き青年が好奇の目にさらされて裸になるのは想像以上に恥ずかしく、想像以上にストレスを感じるものであり、不潔だと分かっていても、なかなか銭湯に足が向かなかったのである。

だったら髪を切れば良いという話しもないではないが、当時はその考えがまったく頭に浮かばず、数千円で散髪することよりも、月々数万円ほど出費が増えてでも風呂付きの部屋に引っ越すという暴挙に及び、ますます貧乏学生に拍車がかかってしまったのであった。

今は家族で風呂に入るとすればスーパー銭湯というものがあるので家族風呂という業態も減ったに違いない。

今後も公衆浴場は減り続け、古き良き文化は失われるだろう。

しかし、これも時代の流れ。

個人が使えるものがあれば公衆のものが必要とされなくなるのは電話も同じで、今では電話ボックスを見つけるのも一苦労だ。

公衆電話は 1984年の 934,903台をピークに減少が続き、2012年には約 1/4の 210,448台、銭湯は 1965年の約 22,000軒をピークに 2005年には公衆電話と同じように約 1/4となる 5,267軒となっている。

数自体は銭湯の方が少ないが、携帯電話の普及、それを使わない年齢層の人口減を考えると公衆電話のほうが早いペースで数が減っていくのではないだろうか。

いや、銭湯の利用客も高齢化が進んでいるので人口減は客数の減少に直結する。

公衆電話と銭湯、果たしてどちらが先に絶滅するのだろう。

差別

※ お断り - 今回の雑感には表現の必要上、差別用語が含まれています。

ここのところ、テレビで差別をテーマにした議論を何度か見た。

自分自身は過去の雑感に書いたように差別意識はほとんどなく、もしかすると子供の頃に差別用語を口走ってしまったこともあるかもしれないが、物心がついて以降は人を差別したり差別するようなことを口にしたりしてこなかったつもりだ。

しかし、海外ドラマを見ていると今でもアメリカやヨーロッパには人種差別が根深く存在するのは厳然たる事実であろうし、ここ数日ニュースで伝えられているようにイスラム社会では歴然たる女性差別がある。

この世から差別をなくすことは不可能なのかもしれないと思うのは、差別をしないように神経質になりすぎると逆差別を生み、それをなくそうと別の言葉に置き換えても、その言葉を不快に思う人が現れてまた差別用語になってしまうということをくり返しているからだ。

以前は体のどこかに障害があることを 『カタワ』 と総称しており、知能に問題があることを 『キチガイ』 と総称していたが、それが問題視されて今ではそれぞれ身体障害者、知的障害者と表現されている。

しかし、最近になって障害者というワードに含まれる 『害』 という字が気に入らないと言い出した団体があるらしい。

世の中の害みたいにとらえられる危険性があるからだという。

だとすれば何と表現すればよいのか、どう言ってほしいのかという対案も提示せず、一方的に気に入らない、問題だと騒ぎ立てる人や団体まで気遣っていると差別はなくなるどころか逆差別という変質した状態で残り続けるのではないだろうか。

キチガイが差別用語となったため、それから派生した一切の言葉を使うことができなくなってしまったのは困りもので、例えば趣味などに没頭する人のことを「○○キチ」と表現することすら望ましくないと言われている。

マージャン好きの雀キチ、音楽好きの音キチ、車好きのカーキチ、阪神タイガースの応援に没頭するトラキチも使用することは望ましくないため、テレビやラジオの電波に乗ったり新聞紙面に載ることはない。

以前、少年誌に連載されていた漫画 『釣りキチ三平』 も 『釣りマニア三平』 に改めるべきかどうかと議論されたこともあったと聞く。

確かに神経質に考えるとそれらの表現は好ましくないのかもしれず、言われて不快に思うのなら改めるべきかとも思うが、自身を指して自嘲気味に
「わたし実は囲碁に目がない碁キチでして・・・」
と言うくらいは差し支えないのではないだろうか。

・・・と、書いてみたが、実はこの 『目がない』 も使用するのは望ましくない表現の一つだったりするので、気にしはじめるとテレビやラジオで何も話せず、何の文章も書けなくなってしまうような気がする。

種が混じると昔は 『アイノコ』 などと言ったりしたものだが、それが差別用語となったので人種の違う親から生まれた子を 『ハーフ』 と呼んでいたところ、それすらも好ましくないと言われるようになってしまった。

犬種が混じった犬もアイノコ、ハーフなどと言っていたのを改めて今ではミックスと呼ぶようになったが、それを人間に使用して血が混じった人を指してミックスなどと言おうものなら非難轟々となってしまうという実に面倒な状況下にある。

すでに意識も運動機能も失われ、生命維持装置によって生きている人を 『植物人間』 と表現せず植物状態になってしまった人と言わねばならず、書類に目を通さず捺印することを 『めくら判』 と言ってはならず、中途半端で完成度の低いことを 『片手落ち』 と言ってはならない。

屠殺場ではなく食肉解体業が好ましく、給仕ではなく接客係で、百姓ではなく農業従事者、女工は女子工員、日雇いは自由労働者、坊主は僧侶、親方はチーフ、町医者は開業医、床屋は理容室、板前は調理師、共稼ぎは共働き・・・・・などなど、まだまだあるが、それらは本当に差別的な表現であって言われると不快に思う人が多いのだろうか。

あまりにも締め付けが強くなると、芸能人のお馬鹿キャラをイジるような、昔のクイズヘキサゴンみたいな番組は成立しなくなるかもしれない。

このままエスカレートすれば、トンチンカンなことを言う人、常識のない人、小学生程度の問題を解けない人をイジって笑うような番組を放送すれば、それは差別だとか何だとか言い出す団体が出そうな気がする。

身体であれ、知的であれ、障害を持つ人を差別する気は昔も今もないが、このまま気を使いすぎると、いや、今の時点ですら、もうすでに逆差別の領域に入っているのではないだろうかという気がしてしまう。

体の一部が不自由な人は、障害があるのではなく、それは個性だと五体不満足の著者でもある乙武洋匡氏が言っていた。

それが核心なのでないかと自分も思うし、それが正しく、障害を持つ人も障害者に接する人も本心からそう思える時が差別が消える時なのではないかと思う。

本当に身体的個性や特徴をイジるのが良くないのであれば、ハゲとかデブ、ブスに出っ歯とかだってテレビやラジオの電波に乗せるべきではないし、印刷物に掲載すべきではない。

言われて不快に思う人、傷つく人がいる以上、それは放送禁止用語、差別用語と何ら変わりないではないか。

それらの言葉を使用禁止にするか、それらと同様、同等程度の言葉まで差別用語とする現在の風潮を変えるべきではないかと思う。

あまりにも神経質になりすぎて逆差別状態が拡大すると、互いが同一社会で暮らすこと自体が困難になってしまうような気がする。

誤報

以前に住んでいた街札幌、大阪に引っ越す直前まで 24階建て高層マンションの 14階で暮らしていた。

購入したのではなく、分譲マンションであるその部屋を購入した人が賃貸物件としていたので月々の家賃を支払って住んでいたのである。

以前の雑感にも書いたように、そこでは上階の住人に悩まされたので分譲マンションを購入したり、一軒家を建てる場合は一か八かの覚悟が必要だと思ったりしたが、住人が多いだけにマンション住まいのほうがリスクが大きいかも知れない。

マンション内の住人との付き合いもさることながら、それだけ人がいると様々なトラブルも発生するものだ。

仕事から帰って食事をし、のんびりテレビなど見ながらくつろいでいたある夜、火災報知機の非常ベルがマンション中に響き渡る。

窓から上下階を見てみても炎はおろか煙さえも出ていないが、燃えているのが上階ならまだしも下階だった場合は避難が難しくなるので早めに行動すべきか迷っていると、マンションの外に避難する人の姿が見え始め、数台の消防車も到着した。

これはいよいよ脱出すべきか、その前に貴重品をまとめるべきかと 『お買い物日記』 担当者と話しながら、それでも窓から下を見ていたのだが消防車は一向に放水を開始する気配がない。

消防署員の動きも機敏ではなく、なんとなく手持ち無沙汰なようであり、歩く速度ものんびりしている。

これは何かがおかしいと感じ始めた頃、外に出ていた人たちがマンション内に戻り始めているらしく、少しずつ人数が減ってきたかと思うと駆けつけた消防車もサイレンを鳴らさずに帰って行く。

誰かがイタズラで火災警報器を鳴らしたのか、何かの勘違いで実は火事ではなかったのか、いずれにしても大事には至らず騒動は収まった。

後日、『お買い物日記』 担当者が聞いてきた話しによると、空き部屋に虫が出たので管理人さんがバルサンを焚き、それに火災報知機が反応したのが騒動の原因だったらしい。

まったく人騒がせなことではあったが、多くの人が一箇所に暮らすとこういうことも少なからず起こるのだろう。

大阪で約 14年間ほど暮らしていた 4世帯が暮らせるアパートでも夜中に何度か火災報知器が鳴った。

眠りの浅い自分はすぐに飛び起きて、どこが燃えているか外に出て確認したりするのだが、残り三軒の住人は外に出ることもなく、部屋の明かりが灯ることもない。

あれだけの音がしても人は起きずに寝ていられるのかと変に感心したり、これで火災警報の意味があるのだろうかと疑問に思ったりしたものだ。

警報は数分で消え、結局はどこも火事になっていないし、誰かが起きていてバルサンを焚いた訳でもなさそうなので装置が誤動作したのだろう。

かなり若い頃、札幌のススキノで酒を飲んでいると、ビルの火災警報機が鳴り響いた。

若い客が集まるパブの若い従業員ではあったが、それなりに訓練されているのか冷静に行動するよう客を落ち着かせ、いざとなったら脱出用シュートがあると説明を繰り返す。

それは滑り台のようなもので、そのビルより低い隣のビルの屋上に防火繊維でできた筒状の布を下ろし、その中を滑り降りるものなのだが、非常出口となっている窓の横に設置された容器の中を見た従業員が 「ああっ!」 と焦ったような声を出した。

なんとその繊維は防火性に優れているのかもしれないが防虫性はなかったらしく、虫食いでボロボロになってしまって使いものにならない。

ならば早めに避難すべきと客を店の外に誘導し、すでにエレベーターが使用停止になっていたので非常階段を降りるよう指示を出す。

ところが先に降り始めた人が逆走してきて 「煙が下から登ってくるので階下が燃えているらしい」 と言い、それでは下は危険だろうから屋上に行って救出を待つしかないということになった。

自分はどうにかなるだろうという変な自信があったので割りと落ち着いて行動していたが、中にはパニック状態になって大声を上げながら階段を駆け上がる人もいる。

その階段を上がっている途中、妙に間延びした声で館内放送が始まった。

「え~、今、火災警報器が作動しておりますが、これは私が七輪でサンマを焼いたからでありまして、火事ではありませんので避難の必要はございません」

・・・。

なんとその警備員、夜食用にサンマを持参し、サンマは炭火で焼くのが一番と七輪に火をおこし、こともあろうか狭い警備員室では煙たいからと、非常階段の踊り場で焼いていたのだという。

事情を知って怒り出す客もいたが自分は可笑しくて仕方がなく、酒で楽しい気分になっていたのも手伝って、しばらく笑いが止まらなかった。

ゾロゾロと店に戻って飲み直す者、これが潮時と会計を済ませて帰る人など様々だったが、客の何人かは店に戻ってこなかったので、騒ぎに乗じて金を払わず逃げたものと思われる。

色々なことがあるものだが、経験したのは誤報だけで実際の火事に遭遇したことは一度もない。

火事になど遭わないに越したことはないし、火事の現場を野次馬的に見たことすらないので火災には縁がないものと思われ、それならそれで少ない財産ではるが、それを失うこともないということなので喜ぶべきことなのだろうと思っている。

自分解体新書 - 18 -

自分解体新書 ~目次~

■ 指

指がカッサカサだ。

それが原因でスマホの操作も反応が鈍い。

そもそも脳の動きも鈍化し、神経伝達物質の絶対量も減少しているものと思われ、思ったように指が動かないのも事実であるが、それ以上に指の保湿性が損なわれて現在のタッチパネルの性能では感知できないのが現状だ。

スマホの操作はもとより、コンビニやファストフード店のレジで電子マネーの種類を選択するタッチパネルも反応してくれないのも常で、何度も指に息を吹きかけたり、人差し指がダメならと親指や中指を試したり、右手がダメなら左手はどうだとか試行錯誤しても反応しないのに、それを見かねた若い店員さんが代わって触れると一瞬にして認識するのだから情けないことこのうえない。

回転寿司で注文するタッチパネルも反応は鈍く、ついついタッチパネルをグリグリと力を入れて押してみたり、おしぼりで指を湿らせてから触れてみるなどの工夫が必要で、そんな面倒なことをするくらいならカウンターに座って店員さんに口頭で注文したほうが遥かに確実で早かったりする。

少し前の独り言にも書いたように、最近は 『hulu』 というネットのサービスを利用して海外ドラマを見ているのだが、見るドラマを選択したり早送りや巻き戻し、一時停止などはすべてタブレットで操作し、それをテレビに接続して大画面で見るようにしている。

食事の後片付けをしたり、トイレに行く際には一時停止するが、それも一発では反応してくれず、なかなか止められずにいる間にどんどんドラマは進んでしまう。

やっと一時停止できて少し巻き戻そうとしても、これがまたなかなか反応してくれず、数十秒で良いところを 5分も 10分も巻き戻ってしまって仕方なくまた同じシーンを見たりしている。

■ 手 その2

指と同じように手も保湿性を失い、油分も不足していることからハンドクリームが必需品になってしまった。

とくに手を洗った後はカサつきがひどく、食事の際に食器を持つ手がすべる。

味噌汁を飲もうとお椀を持つと、すべって落としそうになるので恐くて仕方なく、熱い味噌汁が体にかかったらどうしようと妙な緊迫感を覚えながら食事をしなければならない。

そこで今となっては食卓の前に座り、食べ始める前に 『お買い物日記』 担当者と二人でハンドクリームを塗るのが習慣となっているが、結果的にそれが良かったようで 『お買い物日記』 担当者は冬の手荒れから開放されることになった。

■ 大腸

2月17日に受けた大腸がん検査の結果に問題はなく、複数個の小さな良性ポリープが見つかった程度だったのは喜ばしい限りだが、生命保険の見直しを迫られる事になってしまった。

というのも、加入していた生命保険はガンになったら以降は保険料を支払わなくて良いという内容で、同種の保険に加入していた 『お買い物日記』 担当者は数年前の子宮体がんの発症で適用となって現在は支払う必要がなくなっている。

大腸がん検査で命に関わらない程度の小さな超初期段階のがん細胞でも見つかってくれたなら、自分も以降は支払わなくて良いので昨年末から保険屋さんと検討していた契約内容の見直しを放置していたのである。

しかし幸か不幸かがん細胞が見つからなかったので、次の誕生日を過ぎると月々の保険料がドンと高くなってしまう契約を見直し、年齢によって掛け金が変動しないタイプの契約に切り替えることになった。

死ぬまで一定額というメリットはあるものの、例えガンになっても払い続けなければならない内容なので、末期がんで寝たきりになっても毎月の支払はしなければならないという血も涙もない契約になってしまったのは仕方がない。

■ 肛門

その大腸がん検査で悪性腫瘍は見つからなかったものの、肛門近くに複数のポリープが見つかり、それは痔であるとのことだった。

まだ発症はしていないものの、痔主であることが分かった今、次回の通院で以前に処方してもらったことがある便を柔らかくする薬を出してもらおうと考えている。

独り言やこの雑感で過去に何度も書いているように、子供の頃から男のくせに便秘体質である自分はその通例に反することなく便が硬い。

そのため何度かに一度は肛門が切れて血がにじむということをくり返しているので、このままでは本格的な痔になってしまうのではないかと素人ながらに心配したりしているのである。

内科の先生は大腸がん検査をしてくれた先生と同じであり、どうせ肛門から腹の中まで見られたのだから、腹を割って話してみようかと思っているところだ。

それぞれの春

新年度になって職場や学校の人間関係が変わり、アパートなどの入所者も入れ替わる。

以前の雑感に書いたように、お客さんである会社に勤めていた人は3月いっぱいで退職した。

個人的には嫌いでもなく、悪く思ったこともないのだが、社員同士はギスギスしていたので彼の退職によって職場環境が改善されるのであれば悪いことではない。

近所のアパートは空室になったり新しい人が入居したりと忙しい。

いつも駐車場に止まっていた車には 『お買い物日記』 担当者がお気に入りのヌイグルミが乗せられていたのだが、この春、忽然と姿を消してしまったのでアパートに住んでいた住人が引越してしまったのだろう。

その車の持ち主は女性で、休日は必ず車がなかったのでそれほど遠くない実家に帰っているか彼氏の家にでも行っているのだろうと勝手に話していたのだが、その彼女がアパートを出たということは親と同居を始めたか、彼氏と結婚したのではないかと、これまた勝手に想像したりしているところだ。

この春も新一年生が誕生した。

体が小さくランドセルがやけに大きく見える小学一年生は、まだ話す内容も幼く友達同士の会話を耳にしても何を言っているのかさっぱり分からない。

それでも互いに笑ったりうなずいたりしているので会話は成り立っているものと思われるが、あの不思議な言語を理解できるのだから親や教師は偉大だ。

この町では交通安全のため蛍光の黄色をしたランドセルのカバーが企業の善意によって小学一年生に配布されるのだが、まだ真新しいので蛍光色が目に眩しい。

子どもたちに乱暴に扱われ、少し色あせて痛みが進んだ去年のカバーをはずし、二年生になった子どもたちはすっかり上級生気分で、グループ登校の際には新一年生の手を引いたりしている。

その小学校を卒業し、中学に進んだ子どもたちは制服姿となって少し大人びて見える。

すぐに身長が伸びるので大きめのサイズなものだから、まだ制服に着られている感がないでもないが、すぐに大人っぽい骨格になることだろう。

中学生、高校生の通学風景を見て気づいたのだが、最近は学生帽というものがなくなったらしく、誰一人として校章つきの黒い帽子をかぶっていない。

いったいいつ頃から学生帽がなくなったのか気になって調べてみたところ、1990年代初めごろから髪型の自由化が始まったことと、制服が詰め襟からブレザーに変わる学校が増えたため、徐々に着帽を義務付ける学校が減少し、今となっては全国的にもごく少数になったとのことだ。

昔は髪の長さからズボンの裾幅、詰め襟のカラーの高さや丈の長さまで細かく規定されていたものだが、今は子どもたちの自由、人権が優先されるようになったのだろう。

以前、ワンプが住んでいた隣の家はずっと空き家になっていた。

もと住人であるワンプのお母さんの話しによると、別の町に暮らす家主さんがリタイヤして帰って来るらしいとのことだった。

春になって急に業者が内装工事を始めたので、いよいよ帰ってくるのだと思っていたら工事の終了と同時に 『貸家』 の看板が設置され、あっという間に入居者が決まった。

今月の初めに引越し作業が始まって久々に窓に明かり灯り、少しずつ荷物が増えていった。

どうやら近くから引っ越してきているらしく、業者ではなく自分たちで少しずつ荷物を運び、掃除をしながら徐々に居住空間を整えているようだ。

そして約 20日間が過ぎ、もう引越し作業も終わったものと思われるが、隣に越してきた人はまだ挨拶に来ない。

今の時代、都会であれば引越しの挨拶をしない人の方が多いだろうが、この田舎町、さらアパートではなく一軒家に住むとなれば昔から言われる 『向こう三軒両隣』 くらいには挨拶する人が大多数なのだが、まだ一切の会話がないため名前はおろか、家族構成も正確には分からないままである。

家を出て一年になったとなりの店マユちゃんだが、美容師になる道を諦めて今はネイルアートの勉強中だ。

専門学校か講座に通っているのか、この 4月に試験があるとのことで、数日前に帰省して親である妹ちゃんや、伯父であるお兄ちゃんを相手に爪を磨いたりアートしたりと練習して行ったものと思われる。

美容師とは違ってネイルは座り仕事なので、マユちゃんのガラスのようなもろい腰への負担も軽いだろうから技術を身につけて天職となることを願う。

そして、いつの日かとなりの店の一部をネイルコーナーにしてマユちゃんが帰って来てくれたら嬉しいではないか。

今年は去年と比較して新一年生の数が少ないように思う。

そして、四つ角のうち黒柴リュウくんが立つ角を通る新一年生は一人しかいないようだとお母さんが言っていた。

さらに不幸なことに、いつもおやつをくれる女の子は親の転勤でいなくなってしまったらしいので、リュウくんにとっては死活問題と言っても過言ではない。

この頃はさらに太り気味になってきたのでダイエットには良い機会かもしれないが。

真性雑感 第九版

真性雑感 ~目次~

先週に続いて本当の意味での雑感になるが、内容も先週からの続きが多いのは、どうにも納得できないことが多いからだ。

■ STAP細胞

まだ騒動が収まらないどころか泥沼の様相を呈してきた感が否めない本件だが、先週の雑感に書いたように、有りもしない STAP細胞を生み出したなどと大嘘をついても何も得するものがない以上、やはり小保方氏は作製できた、作製できるのだと信じたい。

記者会見が開かれた当日の独り言にも書いたが、論文の正確性がどうのこうのというより、STAP細胞が存在するか否かが鍵だと思われるので、小保方氏が提出していない実験ノート、彼女の頭の中にあるレシピを頼りにどこかの施設で作製してもらえば良いのではないだろうか。

そこで成功すれば論文を取り下げず、追加の完璧な論文を発表すれば良いことだと思われるので、マスコミが小保方氏のプライバシーや過去まで掘り下げて人格を否定するような報道など全くの不必要だし内容に価値などない。

どんなに変わり者であろうと、たとえいい加減な性格であろうと、本当に STAP細胞を作製できるのかだけが重要であって彼女がどんな人物であろうと何ら関係がないだろう。

今、一番注視すべきは彼女の粗探しではなく、技術の流出、国益だ。

このままマスコミの総攻撃に遭い、理研からも否定され、居場所を失った彼女を韓国や中国の企業が救い、そこで STAP細胞の作製技術が確立され、それにまつわるすべての関連技術、関連特許を抑えられでもしたら一大事になる。

ここは慎重に、論点を論文が正確かどうかということや、彼女がどんな人物かなどいう低次元なことから STAP細胞の存在の有無に絞り込むべきだろう。

くだらない争いや低俗な興味より国益を優先せよ。

■ 消費増税後

3月 31日と比較して 4月 1日の客足が鈍いという実に当たり前なことを伝えるバカなマスコミのことを書いた先週からの続きになるが、同じような報道は今でも続いており、百貨店の売り上げ上が前年同月比で 20%も落ち込んだとか、テレビの売り上げ台数が前年比で 30%も落ち込んだとか大騒ぎしている。

年度末、新年度と言えば異動の時期であり、新しく社会人になったり大学生になったりした人、人事異動で転勤する人が新生活を始める。

だいたいは 3月中に引越してしまうだろうが、新生活を開始して初めて必要になったり気づいたりすることもあって 4月になってからも一定の消費があるのが例年だろうが、今年は消費税が引き上げになる前にすべて買い揃えた人が多いだろうから 4月の消費が落ち込むのは当然だ。

また、3月中にあれだけ長期保存可能な食料品や日用品を買い漁ったのだから 4月の消費が落ち込むのも当然だし、家電だってあれほど買ったのだから翌月も買うアホはいなくて当然だろう。

3月のビールの出荷数は 30%以上の伸びで、今世紀最大とも言われてるのは増税前に買いだめをしてほしいという夫の切なる願いを妻が許可したためであろうから、4月になれば驚異的な下落を示すものと思われる。

買いだめというのは、当分の間は購入する必要をなくす行為である訳だから在庫が切れるまでの数カ月は消費が落ち込み、販売店の売り上げが落ちるのは自然の流れであるにも関わらず、どうしてマスコミはヒステリックにギャーギャーと大騒ぎするのだろう。

ほら消費が伸び悩んだ、ほら売り上げが落ちた、それ見たことか消費増税は失策だったと騒ぎ立てたいのか、消費者意識を誘導して本当に不景気にしたいのか、再度デフレ・スパイラルに戻したいのか。

■ TTP

農家、畜産農家を守るのは分かる。

国の自給率が下がることを良いとは思わない。

しかし・・・、が、しかしである。

コスト意識のない生産者が作る高いものをなぜ国民は買わなければならないのか。

そもそも米や小麦、豆類などを主食としている国や地域は、それが最も安価に入手できるから主食となった訳であり、その主食たる米をなぜ、何ゆえに高価格帯のまま維持することを国の政策としなければならないのだろう。

農家も保護されるのにすっかり慣れてしまい、経営の効率化、コスト削減などはまったく意識せず、一般の企業が目指す 『より安く、より高品質な商品をお届けする』 などというスローガンとはまったく無縁だ。

そもそも販売価格のみで我々消費者が米を入手できている訳ではない。

需給調整での米価格の高止まり、778%の関税による輸入米価格の高止まりなどによって消費者は 60キロ 9000円で買える米を 1万 5000円で購入させられている。

さらに減反政策に参加する全農家への戸別所得補償で税金を投入したりしていることから、価格と税で二重の負担を負わされているのが現状だ。

それで膨らんだ金額に対して 8%の消費税がかかる訳だから三重の負担と言っても過言ではないだろう。

一気に市場開放せよとまでは言わないが、近隣農家が集まって共同経営して大規模化するなり、異業種企業の農業参入規制をもっと緩和して稲作も可能なようにするなりして、まずは国内の米を安価に生産できるようにしてはどうか。

今でさえ美味しくて安心・安全な日本米は高価でもシンガポール、北京では飛ぶように売れているのだから、安価に作れるようになれば消費者層が拡大し、裕福層だけではなく一般消費者にまで需要は拡大するだろう。

とにかく、現状維持のまま 50年、100年と続けられるはずがないのだから、子の代、孫の代になっても農業が続けられるようにするかどうかは現役農家の人の意識にかかっている。

市場開放された時、国民が国産米に見向きもしなくなるようでは互いに不幸だ。

真性雑感 第八版

真性雑感 ~目次~

■ STAP細胞

先々週に書いた雑感の続きのようになってしまうが、今週初めの 1日、理化学研究所の調査委員会は小保方氏単独による研究不正があったと発表したが、それが事実だとするならば自分の常識の範囲から完全にずれた次元に小保方氏が存在することになる。

研究者であれば不正がバレバレの論文を発表すれば自分の地位を脅かすどころか失墜してしまうことは簡単に想像できるだろうし、世界の物笑いになることも、理化学研究所に迷惑をかけることも、日本の科学技術レベルが疑われることも、不正が簡単に見破られることも、STAP細胞が論文どおりには作り出せないことも容易に想像できるだろう。

それなのに、あえて不正をし、嘘をつき、世間をだますことを人は簡単にするだろうか。

決してそんなはずはないと自分は考えてしまうので、きっと STAP細胞は作り出せたのだろうし、論文も本人が主張しているように不鮮明な画像より綺麗な画像を使いたかったのかもしれないし、勘違いや手違いがあって論文に不備があるものの、その内容に間違いはないと信じたい。

人は意味のないことなどするはずがないので、この世に存在するはずもない STAP細胞を作り出せたなどと荒唐無稽な話しを主張するはずもないと願っている。

過去に何度も同様のことを考え、幾度と無く裏切られ、人は自分の思う常識とはかけ離れたことをすると思い知らされてはいるのだが・・・。

■ 消費増税前夜

同じく週の初めのニュースは消費税率が引き上げられる直前に消費者が奔走する姿を映し出していた。

そして翌日、マスコミは客足もまばらな店、ヒマそうなガソリンスタンドを取材し、客数が激減していて駆け込み需要の反動減が懸念されるなどとぬかす。

前日にしこたま買い物をしたのだから次の日にも買い物に行く人は少ないだろうし、前日に満タンにした車に給油する人もいないのは当然のことなのに、それをもって反動減などと大げさに騒ぐマスコミはどうかしている。

そもそも増税前の駆け込み需要もマスコミが 「いよいよ増税」、「来週から増税」、「明日から増税」 と煽動し、人々の焦燥感を増幅させた結果によるところが大きいのではないかと思う。

大騒ぎして事を大きくし、あたかも消費者心理による行動であるかのように報道するなど正にマッチポンプの典型ではないだろうか。

■ 調査捕鯨

日本の調査捕鯨は国際法に違反するとして、オランダの国際司法裁判は中止を命じた。

そのニュースが駆け巡った時のマスコミの反応はお粗末極まるもので、鯨料理を出す店に行って 「商売が成り立たなくなる」 と言う経営者の窮状を伝えたり、店の客が 「もう食べられなくなる」 などと言うインタビューを流す始末だ。

あくまでも調査捕鯨だと世界に向かって主張しているのに、国内では売ることができない、買うことができない、食べることができないなどと騒いでいる姿ばかり追うとは何ごとぞ。

今の時代、メディアの流す映像や文章はあっという間に世界にネット経由で伝播することくらい誰にでも分かることだ。

建前上は調査捕鯨と銘打って世界に理解を求めているのだから、それが禁止されたら学術的にどのような影響があるのかを問題視すべきであって、子供の頃から食べてきたものがなくなってしまうと嘆くオッサンの姿を映しだしてどうする。

こんなことをしているのだから、世界からの批難を浴び、建前でしかない調査捕鯨を禁じられても仕方ないだろう。

■ 津波注意報

以前までは津波注意報がでると、危険だと警告されているのにも関わらず海岸近くまで行って定点カメラに手を振る不届き者がいた。

先日発生したチリ沖地震によって日本でも津波注意報が発令されたが、今回は各地の定点カメラに映し出される景色に不届き者の姿はない。

津波がどれほど恐ろしいものか、どれほど速く駆け上がり、どれほどの勢いで地上の物を飲み込んでいくかを 3年前の東日本大震災で目の当たりにし、多くのことを学んだ影響か。

さすがにあれだけの経験をした後では海に行って津波が来るのを見ようなどというアホはいなくなったようだが、いずれまた大災害のことは人々の記憶から消えるだろう。

この恐ろしさ、この悲惨さを語り継がなければいけないとは思うが、それを風化させずに教訓とするのは難しいのかも知れない。

消費増税前に

この週末、子供たちは何が何でも買ってもらおうと必死なり、まるで人生のすべてを賭けるがごとく親に最後の説得を試みているに違いない。

買ってほしいものは、もちろんスマホだ。

来週から高校生になるのを機に、そしてあと数日で消費税率が引き上げられるのを口実に、さらには 「みんな持っている」「持っていないのは自分だけだ」 という殺し文句を武器に、最終的には勉強に役立つアプリが多数存在するという強引な口説き文句などを駆使していることだろう。

家族で乗り換えれば何万円ものキャッシュバックが得られるので本体価格は実質的に無料であることなど、パンフレットを熟読して学校の授業よりもはるかに猛勉強して説得し、そのキャッシュバックが問題視されているので近いうちに規制される可能性があるので今が最後のチャンスだと、普段は興味を持たない社会情勢にまで踏み込んだ話題も取り込む巧妙な説得工作を繰り広げているのではないだろうか。

思いのほか売れ行きが好調な家庭用ゲーム機のプレイステーション 4も、4万円という価格帯なので増税で 1,000円以上の差がでてしまうこともあり、この週末に慌てて購入したり必死に親を説得する子どもがいるかもしれない。

我家でも増税前に何か買っておくべきではないかと検討してみたところ、その第一候補はブルーレイ(BD)レコーダーだった。

海外ドラマを見まくっている我が家にとって BDレコーダーは必需品であるが、ここのところ動作が怪しく不安を抱えながらの使用を余儀なくされている。

再生中に映像も音声も止まり、そのまま勝手に再生を中止してみたり、CMをカットする編集作業中にフリーズして本体をリセットしなければならなかったり、予約した録画が実行されなかったりと不具合が多い。

いつ動かなくなるかという不安にかられながらの生活は精神衛生上もよろしくないので、ここは思い切って購入すべきだろうという結論には達してはいたのだが、どうも踏ん切りがつかないまま今日に至ってしまった。

家電製品は値崩れが激しく、増税による 3%など吹き飛んでしまうほど価格が下がることが多いので慌てる必要性はまったくと言っていいほどない。

さらに家電量販店も増税後は客足が遠のくので一段と値下げをしたセールを展開する可能性が高く、むしろ慌てて買わないほうが得策であると判断した訳だ。

次の候補は電動歯ブラシで、こちらの場合はいわゆる電池持ちの問題が生じている。

使われている充電池がメモリー効果と経年劣化によって蓄電量が少なくなり、二人続けて歯磨きするとパワーが落ちてブラシの動きが悪くなってしまうようになった。

これはそろそろ買い替えどきだと判断し、家電量販店で色々と見るところまではしたのだが、まだ購入に至ってはいない。

電動歯ブラシを使い続けて長くなるので、今さら手磨きには戻ることはできないのだが、ただ一つの難点は交換用のブラシがびっくりするほど高いことだ。

本体を低価格で販売し、付属品、消耗品で収益をあげようとするのはパソコン用プリンターやゲーム機の構図と変わらず、3,800円くらいで売られている本体の交換用ブラシが 2,000円近かったりするのが当たり前のこととなっている。

そこで、まずは交換用ブラシを売っているコーナーに行って価格を比較すると、何と一番人気のブランドであるパナソニックのドルツという製品のブラシが数百円で売られていた。

本体価格は 7,000円以上と他社より少し高いのだが、圧倒的に安いブラシの買い替えを思えば 2-3回の交換で元がとれてしまう。

これは間違いなくパナソニックのドルツで決まりだというところまで意見がまとまり、あとは購入するだけという段階にまでなっているし、AV機器と違って値崩れの少ない製品であるため買うなら今だという絶好のタイミングでもある。

が、しかし、それが分かっていてもグズグズしたまま今日になってしまった。

本体と交換用ブラシ 2組くらいをまとめ買いしたとしても価格は 1万円程度であり、増税後との値差は 300円程度のことなので、そこまで必死になる必要性が感じられない。

そして、いくら値崩れがないとは言え、家電量販店が 10%OFFや 20%OFFのセールを実施すれば 300円をはるかに超える値下がりが期待できる。

次の候補は電子レンジなのだが、実はこのレンジ、2008年にガラスでできたターンテーブルを割ってしまい、それ以来ずっとガラスが乗っていた鉄製の部品に温めるものを置いて使っていた。

いくら何でも買い替えどきかと思わないでもないが、我家の場合は温めなおしでの使用が主であり、調理器具としての使用頻度は決して高くない。

高度な活用をするでもなく、単に温まれば良いのであればターンテーブルのガラスがあろうがなかろうが大きな問題ではなく、どうしても新しいものがほしいかと聞かれれば答えは否である。

その他、コンベクションオーブンも購入検討対象となったことがある。

コンベクションオーブンとはオーブン機能はもとより、トースターの役目も果たせば最近流行のノンフライヤー的な使い方もできるという優れもので、価格も 8,000円前後と魅力的だ。

しかし、それも増税後との値差は 240円でしかなく、他のものと同じく量販店のセールがあれば簡単に吸収されてしまう金額なので、今の段階で駆け込み購入するほどのものではない。

そんなこんなで色々と考えないでもなかったが、増税前だからといって実際に購入したものはないし、トイレットペーパーや洗剤などの日用品、缶詰などの長期保存食も買いだめすることはしなかった。

ただし、酒だけは 20リットルほど在庫しているが・・・。

性善説

どうも自分はお人好しなのか、単細胞なのか、人が何かをしでかした場合、その人が結果的に悪人であっても最初はその悪行を信じることができず、誤報であるか、本人の思い違いではないかと思ってしまう。

それは時として世の中の、いや、自分にとっての常識から逸脱し、そんなことがあるはずない、そんな非常識なことがあるはずがないという、完全に理解不能なことが起こるからだ。

かなり以前のことになるが、故横山ノック氏が平成 11(1999)年 4月、大阪府知事選の期間中、運動員の女子大生に対してわいせつな行為をしたとして告訴されて知事を辞任し、翌年に有罪判決を受けた。

この事件、失礼ながら当初は女子大生の狂言か反対陣営の策略的な中傷だと思い、単なるスポーツ新聞、週刊誌ネタ的な騒動であろうと思っていたのである。

なぜならば、世の中の、いや、自分にとっての常識からすれば、まさか選挙期間中に、スキャンダルが致命傷となって落選の危険性がある選挙期間中に、それも自陣営で自分のために一緒に戦ってくれている女子大生に、しかも全国区の知名度があって府知事を務め再選を目指している人が、さらには選挙運動中の選挙カーの中でそんな暴挙に及ぶなど、にわかには信じられないし、そんなことがあるはずがないという思考パターンでしか脳が働かなかったからだ。

そのような状況でわいせつ行為をする理由も意味も動機も分からない。

しかし、自分の常識など通用せず、見事に裏切られ、横山ノック氏は裁判で大筋を認めて懲役 1年 6カ月、執行猶予 3年の有罪判決を受けた。

その時、世の中には自分の理解を超えたことが起こりえるのだと自覚したはずなのだが、それから 7年後に発覚した小室哲哉氏の 5億円詐欺事件も最初は耳を疑い、やはり誤報かスポーツ新聞、週刊誌ネタ程度のものであろうと思ったのである。

なぜならば、飛ぶ鳥を落とす勢いだった小室氏にはピークを超えたとは言え莫大な資産があるだろうし、著作権による印税収入だけで一生遊んで暮らせるはずなので詐欺などという犯罪に手を染める必要などあろうはずがないという思考パターンで脳が働いたからだ。

きっと間違いだろうし、それが事実だったとしても小室氏本人ではなく、周りにいる良からぬ考えの持ち主が小室氏の名を語って金をだまし取ったに違いない。

詐欺といえば言葉巧みに人をだまし、その嘘を信じこませなければならない犯罪だが、小室氏には口が達者とか雄弁とかいうイメージがなく、むしろボソボソと話す印象だったので口八丁で人から金をだまし取ることなどできないだろう。

つまり、小室氏は加害者ではなく名を語られた被害者ではないかと思えて仕方がなかった。

しかし、この件に関しても見事に裏切られ、自分の常識を超えたところで事件は起こっており、常識を超えた金遣いで小室氏の資産は枯渇していたどころか、だまし取った金は借金返済に充てていたということだ。

これは人間の本性は基本的に善であるとする性善説を捨て、人間の本性は基本的に悪であるという性悪説で物事を見なければならないのかも知れないと思い知らされた一件だった。

それでもやはり自分はお人好しなのか単細胞なのか、大きな事故、事件にまで発展した JR北海道の問題も、最初は不運な事故が重なっただけであり、次から次へと発覚する問題も監視の目が厳しくなったゆえの出来事であろうととらえていたのである。

飛行機事故があると、どういう訳だか事故が続き、整備不良などが次から次へと発覚する負のスパイラルに陥ることがあるので、JR北海道の件も同様であろうと最初は思っていたし、事故が続いたり部品の脱落や出火があったり運転士が薬物依存だったりドアが開いたまま走行したりという単純ミスも JR北海道に向けられた厳しい目が粗探し的に問題を見つけ出しているからだろうと思っていた。

むしろ、あまりにもトラブルが続く JR北海道を気の毒に思い、もしかしたら呪われているか JR北海道という企業そのものが大殺界期間中なのではないかと同情すらしていたほどだ。

そして、乗客の安全を最優先しているはずの JRが、貨物を安全確実に届けるはずの JRが、そんなずさんな管理をするはずがないし、それが常識だと心の中では思っていたのだろう。

ところが、またしても期待は裏切られ、自分の常識が世の中には通用しないと思い知らされることになる。

調べが進むうちに問題が出るわ出るわの大騒ぎで、もうこの文書では列挙が不可能なほどの数の不備やトラブル、隠ぺいが目白押しの大安売りの大放出状態であり、すでに JR北海道は貨物事業会社の体をなしていない。

ここまでずさんな管理体制で、よく今まで事故が起きなかったと不思議なくらいだ。

こうも期待を裏切られ続けたのだから、次からは世の中に起こる理解に苦しむ事件も甘んじて受け入れたほうが良いのかもしれない。

そんなはずがないとか、普通はあり得ないだろうとか、常識的に考えると信じられないなどと思っても、どうせ人間の本性は基本的に悪なのだろうから。