北国の夏

千里丘に住んでいるみんなには申し訳ない気分だが、こちらは実に過ごしやすい。

『独り言』 に何度も書いているが、あまりの気持ち良さに体も脳もグンニャリとしてしまい、思考能力は限りなくゼロに近づく。

ましてやそれが食事の後、コーヒーの一杯でも飲んでゴロリと横になると、体が溶けて床の絨毯に染み込んでいくのではないかと心配になってしまうほどだ。

北海道に帰ってきてから二度目の夏なので、そんなに感激することもなかろうと自分でも思うのだが、去年は 2月の引越し直後に義兄に先立たれ、お寺さんが七日ごとのお参りに来てくれるし四十九日がどうしたとか初盆がどうだとか言っているうちに 『お買い物日記』 担当者の病気が発覚して入院、そして手術。

物理的にも精神的にも落ち着かず、ドタバタ、セカセカ、ハラハラ、アクセクしていたので事実上は北海道に帰ってきて、そしてこの町でシーズンを通して夏を過ごすのは初めてなのである。

確か去年は大阪から “無事生還” したばかりで皮膚感覚が寒冷地仕様に戻っておらず、みんなが暑いと言う中、平然と、そして悠々と過ごし、一滴の汗も流すことなく秋になった。

北海道の夏だって 30度になることはあるが、それはひと夏で 5日間もあるかないかであり、たとえ 30度を超えたとしても湿気はとても少なくて湿度が 40数パーセントなどという日が多い。

日が当たればジリジリと肌が焦げそうな暑さを感じるが、日陰に入れば実に心地よく、そのままポワワ~ンとしていたくなる。

昼間は暑くても日が傾けば涼しくなり、快適な夜がやって来る。

『夕涼み』 とは、そういう状態において現される言葉であって、大阪のように夜になっても気温が 30度近くあり、湿度も軽く 60%を超えているような状態では外に出てウロウロしたところでちっとも涼めず、むしろ歩いた分だけ運動になって暑さが増してしまう結果を招く。

夜も寝苦しいどころか暑くて眠れず、冷凍庫でキンキンに凍らせたアイスノンを枕にエアコンを点けっぱなしで布団に入ったものだが、それでも汗が止まることはなく、5分おきくらいに体勢を変えなければ自分の体温で布団が熱くなり、睡眠をとるどころか体力を一方的に消耗する結果となってしまったものだが、北海道で過ごした去年の夏、一度もアイスノンを使うことはなく、扇風機も 10日間ほど使ったかどうかという程度である。

いくらシャワーで汗を流しても、浴室から出て体を拭いている最中からすでに汗が吹き出て、何のためにシャワーを浴びたのか分からないことになってしまう大阪と異なり、こちらの湯上りは実に気持ちが良い。

大阪に暮らしていた頃は汗が滝のように流れて額から首筋、胸や背中をつたったもので、汗もがプチプチできて体が痒く、そがまた睡眠を妨げるという悪循環になっていた。

ところがこちらで過ごした夏は、暑い日になればジンワリと汗は出てくるものの、それが流れることなく乾いた空気で蒸発してしまう。

額とか首、背中や胸をツツーッと汗が伝う、あの感覚をすっかり忘れそうになっているくらいだ。

去年の夏のことはあまりにもドタバタしすぎて正確な記憶が残っていないが、『お買い物日記』 担当者もすっかり元気になったことだし、今年は二人で短い北海道の夏を満喫しようと思う。

となりのお店

管理人の独り言』 に何度か書いているように我が家のとなりは理美容室である。

北海道の場合は土地が広いのと雪との関係から家と家は最低でも 2-3m は離れており、大阪のように壁のペンキはどうやって塗ったのか不思議に思えるほど密接はしておらず、さらにとなりの店は駐車場を確保しているため 10歩ほど歩かなくてはならないが、家に向かって左隣、本当の意味でのお隣さんが店舗兼住居の建物になっている。

入り口はひとつだが、そのドアを開けて右にあるもうひとつの扉が理容、左の扉が美容室になっており、まるで男湯と女湯に別れている銭湯のような雰囲気だ。

理容室を担当するのはお父さんと息子さん、美容室を担当するのはお母さんと娘さんで、親子二代で商売をされており、最初は息子さんと娘さんを夫婦だと思っていたが、それはお兄ちゃんと妹ちゃんが正解で、それぞれが理容と美容を継いだことになる。

お父さんとお母さんは、そろそろリタイアする準備に入ったようで、普段はお兄ちゃんと妹ちゃんに店を任せて買い物に行ったり天気の良い日は庭の手入れをしたりしているようだ。

こんな田舎町の繁華街からはずれた立地だが店は繁盛しているようで、駐車場にはいつも車が停まっており、お客さんが多くなってくると親子そろって店に立つ。

それ以外にもお客さんによって担当が決まっている場合もあるらしく、古くからのお馴染みさんでお年を召された人はお母さん、お父さんが髪を切り、ある程度年齢が若い人はお兄ちゃんと妹ちゃんの担当になる。

自分の担当はお兄ちゃんなので、ギリギリながら若者組みに入れてもらえたようだ。

以前にも独り言に書いたが、となりの店の仕事はとても丁寧でサービスも素晴らしい。

大阪での散髪は顔剃り、シャンプーを含めて 30分強くらいで終わったが、となりの店はすべて終わるまで 90分以上もかかる。

髪を切るのは丁寧であるもののそれほど時間がかかるわけではないが、シャンプーをすれば頭皮マッサージまでしてくれるし、それが終われば長い時間をかけて肩や首のマッサージもしてくれてそれが実に気持ち良い。

顔剃りが終わればオイルを使ってのクレンジング、その後にパックまでしてくれて男のくせにお肌しっとりの仕上がり状態であり、あまりにも気持ちよくて眠ってしまうこともしばしばだ。

美容室の妹ちゃんは天性の商売人で、パッと明るくて会話にもよどみがなく、そのうえ気遣いもそつがない誰からも好かれるような人柄で、お客さんを惹きつける何かを持っている。

お買い物日記』 担当者は病気の治療の副作用で頭髪が抜けてしまったため美容室に行く必要はなかったが、店がすいている時間に遊びに行って話し込んでくるほど仲良くしてもらっている。

髪が生え始めて今は 『えなりかずき』 くらいの長さになったので、もう少ししたら毛先を揃えてもらいに行けるかも知れない。

妹ちゃんには現在中学生の娘さんがいるのだが、その娘さんが数年後に美容師なることがあるならば、三代そろって店に立つ姿をみることができる。

そうなればコギャルから老婆まで幅広い客層に対応できるハイパー美容室になることだろう。

想い出の居酒屋 其の捌

想い出の居酒屋 おしながき

以前の店から数えると、ママと知り合って 7年くらいは経過しただろうか。

貪欲な胃袋を満たし、金のないときは安い料金でたらふく食べさせてもらい(其の参照)、会社を辞めるために辞表を書いたのもその店だった(其の参照)。

仕事の話は一切せず、いつも楽しく酒を飲んだ(其の参照)。

店が変わってからも毎週のように通い続け(其の参照)、注文していないものやメニューにないものまで食べさせてもらった(其の参照)。

訳の分からない話で盛り上がり(其の参照)、時には謎の歌を歌ったり店主の自室で飲んだりもした(其の参照)。

まだ若かったこともあるが、その時はこれから先も何も変わらず、いつまでも似たような時間が流れるように思っており、それが終わりを告げることになろうとは夢にも思っていなかった。

そう、会社から大阪本社への転勤を命ぜられるまでは。

前の会社から通して 10年も付き合っている仕事仲間たちと別れるのは辛く、長年に渡って通い慣れたその店で、食べ慣れたものを味わえなくなるのも辛かった。

しかし、そこは悲しきサラリーマン。

会社の命令には逆らえず、途中まで進んでいた歯の治療も突貫工事で終わらせて、転勤の準備を開始した。

そして、気の合う仲間と最後の食事をしたのはもちろんこの店だ。

他部署の人間も集まって開いてくれた送別会は別の店だったが、やっぱり最後に本当に心から楽しめるのは、いつもの仲間といつもの店だ。

自分も店の大将もママも、しんみりするのは好きじゃないので相変わらずの大笑い、大騒ぎしながらその店で最後の夜を過ごした。

そしてそれから数日後、楽しかった店、愉快な仲間、住みなれた町に別れを告げて乗り込んだ飛行機の機首は西へ。

翌年、出張で元の職場を訪れて二泊目の夜に店に顔を出したが、仲間のみんなとではなかったのでイマイチ盛り上がりに欠けた。

その翌年、さらに次の年と、帰省の途中で寄っては見たものの、いつもタイミングが悪くて定休日の曜日ばかり。

店の前まで行ってはみたが、店の戸は固く閉ざされ中には灯りもない。

とりあえずは寄ったという証にメモを入れておいた。

そのうちに帰省に利用する空港を変えたため、その店のある昔住み慣れた町を通過することさえなくなってしまった。

そして、店は記憶の中で当時のまま時が止まり、想い出の居酒屋となってしまったのである。

香りの記憶

食べ物の匂いには敏感なので嗅覚がにぶい訳ではないのだろうが、記憶に残っている匂いというものがない。

母親は子供のころから同じメーカーの化粧品を使っていたが、その匂いがどんなものか思い出せないし、匂いを感じたとしても、それがそうだと気付かず、母親を思い出すこともないだろう。

以前に交際していた女性、いわゆる元カノがどんな匂いだったかもまったく記憶がない。

したがって、同じ化粧品を使っている人がいても何も思い出すこともないのは家庭円満、家内安全のためには誠に好ましいことであろう。

ただし、『お買い物日記』 担当者と同じ化粧品を使っている人がいても、それにすら気付かない可能性が濃厚なので本当に好ましいことなのか疑問をぬぐいきれない面もあるが。

畳の匂や木の香りにはどこか懐かしさを感じ、緑の匂いや潮の香りに癒されることはあるので、まったく無関心でもないのだろうが、香りと思い出が直結することがないのである。

出張で何日も家を留守にして久々に帰ってきた時。

そして、久々に自分の布団に入ったときは何となく自分の匂いがして
「あ~帰ってきたんだな~」
とか思うこともあるが、それも一瞬のことである。

さすがに加齢臭を漂わせる歳になったとは思うのだが、今でも体臭がするとか足が臭いとか言われないところをみると自分はもともと微香性なのかもしれない。

冒頭にも書いたが、食べ物の匂いにだけは敏感で、毎朝の散歩の途中、朝食の準備をしているらしい香りに理性を失いかけることも多い。

緑が多いこの町は、朝の空気も澄んでいて、ほのかに樹や緑の匂いがする。

そんな中、どこからともなく魚を焼く良い匂いが漂って来たりして
「ああ、あの家の朝食は焼き魚に御飯なんだなぁ」
などと思ったり、卵やベーコンの焼ける匂いがすれば
「この家の朝食はパンにコーヒーか」
などと想像できる。

朝から揚げ物の匂いを漂わせている家もあり、
「高校生くらいの子供がいて弁当を作っているんだな」
と思いをめぐらせたりしている。

そうこうしているうちに腹の虫が
「ガルルル・・・」
と野獣化し、空腹を我慢できなくなって家路を急ぐ。

他の匂いには鈍感なくせに、食べ物の匂いに敏感なのは食い意地がはっているからだろうか。

ただし、食べ物の匂いであっても、それを元に昔を思い出すことはない。

しかし、食べ物の場合は香りではなく味が記憶に刻まれているので当然といえば当然か。

そんなこんなで香りの記憶に乏しく、匂いによって何かを思い出したり懐かしんだりすることなど皆無なのだが、ひとつだけ懐かしく思うことがある。

それは約 10カ月前にやめたタバコの香りだ。

あまり多くは触れていないが、今のところ禁煙は見事に成功しており、あれから一度もタバコに火をつけずに暮らせている。

もうすぐ一年が経過しようとしているが、タバコを吸っている夢を見たり、何かの拍子にふとタバコが吸いたくなってしまうので完全なるタバコ断ち、いわゆる 『断煙』 には至っていないのだろう。

人によっては禁煙したとたんに極端な嫌煙家になってタバコから逃げ回る場合もあるが、自分の場合は決して嫌いになった訳ではない。

たまに荷物の配達をしてくれる人が車の中でタバコを吸っていたらしく、応対に出ると体からプンプンと香りを漂わせたりしている場合があるが、その匂いに嫌悪感はなく、むしろ懐かしさを感じるほどだ。

そのタバコが自分にある唯一の香りの記憶かもしれない。