マサルノコト scene 23

そして自分とマサル、そしてノブアキは高校生になった。

マサルと自分は同じ高校だったが、学科が異なるため当然ながら教室も違えば授業も異なってたまに廊下ですれ違う程度となってしまい、ノブアキとは学校も違うのでまったく会う機会がなくなってしまった。

scene 15 に書いた転校していってしまったセイジ宛の 『声の便り』 も作ることがなくなり、三人で会う機会はまったくなくなってしまったに等しく、それぞれが違う道を歩き始めた。

自分は生まれ育った町を出て絵の勉強をするためにアルバイトをしながら学校に通い、新たに知り合った仲間と夜な夜な車に乗って遊びまわったりしており、違う町の大学に通う友達から急にセイジの消息を知らされて家を襲撃してみたりしていた。

学校を卒業後もすぐには定職につかず、厨房でバイトをしながらマージャンやパチンコで生活しているような暮らしぶりだ。

マサルは卒業と同時に就職し、超有名なその会社の研修中に教官と衝突して日本最北の町に跳ばされて半分ふてくされながら、それでもその土地に溶け込んで生活していた。

ノブアキは何浪かして大学に入り、何度も留年して卒業したため社会に出るのが遅く、かなり長いこと学生生活を謳歌していた。

それぞれが生まれ育った町を離れ、それぞれの生活をしていたので三人が顔を合わせるのは盆や正月に帰省したときくらいなものであるし、年賀状のやり取りくらいなものである。

この 『マサルノコト』 を書き始めることになったのはマサルからの年賀状が届かなかったのがきっかけだが、ノブアキも似たり寄ったりだ。

ある年、正月に帰省した際に三人で会い、酒を飲んでいるとノブアキがハガキを二枚出してマサルと自分に渡し、宛名を書けという。

意味が分からずにキョトンとしていると、ハガキの宛名を書く面に自分の郵便番号と住所、名前を書けとペンを取り出しながら偉そうに命令する。

訳が分からず、渋々ながら書き終えてノブアキにハガキを渡しておいたのだが、それから何日も経ってそのハガキの裏面に新年の挨拶を書いた年賀状が家に届いた。

ノブアキは宛名を書くのが面倒なものだから、会う機会があればそれぞれ自分自身に対する宛名書きをさせていやがったという、とんでもない奴なのである。

マサルと二人、「なんてふざけた奴だ」、「あいつだけは許せん」 などとノブアキへ罵詈雑言を浴びせてやったりしていたが、帰省するたびに三人そろって酒を酌み交わすことは、それから何年も何年も続いたのであった。

我が町の交通事情

車の運転手がもの凄く親切で照れる。

信号で横断歩道を渡ろうとしたとき、左折車だったらまだしも、右折の場合は対向車の進路をふさぐことになってしまうことがあるので車を先に通してあげようと立ち止まっているのだが、それでも車は停止して歩行者を優先させようとするため、さっさと通り過ぎてしまわないと逆に迷惑をかけてしまう事態になることがあり、大阪とはあまりにも異なる交通事情に戸惑いすら覚えてしまうことがある。

信号のない路地の交差点でもそれは変わらない。

道路を渡ろうとして車が来ている場合、車が通り過ぎるのを待つのが大阪では当然だったし、それが正しいとか間違っているとか、常識だとか非常識だと考える前にごくごく当たり前のこととして何も考えずに立ち止まっていたのだが、こちらでは 100%近い確率で車が停止し、歩行者を優先させてくれる。

道には優先順位というものがあり、交差点にも必ず一旦停止しなければならない道はある。

そちらの車が停まってくれるのならある程度は理解もできるし、堂々と道を渡ることができるのだが、優先順位の高いほうの車までが停まってくれるものだから何となく申し訳ない気分になってペコペコしながら道を渡ることになってしまう。

極めつけは道路の横断だ。

信号などなく、ましてや交差点でもなく、横断歩道があるわけでもない道の途中、反対側に渡ろうと来ている車が通り過ぎるのを待っていると、車のほうが停まって道路を横断させてくれる。

いやいやいや。

ここは田舎町。

交通量が多いわけではない。

左右確認しても視界にある車は一台だけだ。

したがって、その車さえ通り過ぎれば何も気にせずゆっくりと道を渡ることができる。

だからわざわざ停まってくれる必要などなく、ビュンと通り過ぎてくれれば良い。

ところが車は目の前に近づくとピタリと停まり、じーっとこちらが横切るのを待っている。

こちらとしては、慌てるやら恐縮してしまうやらで、ものすごい勢いでペコペコしながら道路を横断する羽目になるのだ。

こちらに引っ越してから、常にペコペコと恐縮しながら道を歩いているような気がしないでもない。

それというのも運転手が親切すぎて、大阪のように歩行者に対してスパルタな環境で 16年も鍛えたれた我が身にとっては馴染めなかったり慣れなかったり戸惑ったりで、もの凄く照れくさかったり恐縮してしまったりする。

最近では車の通行の邪魔をしないように、ちょっとコソコソしながら交差点を通過したり、道を渡ったりしている自分たちなのである。

基準値

何の番組か忘れてしまったが、テレビを見ていると料理の話をしており、料理が苦手な女の子が調味料の配分について
「そもそも 1対1 って何?」
とか言っていた。

確かに、その 1というのがどういう基準なのか。

それは 10cc なのか 100cc なのか分からなければ
「砂糖と酢を 1対1 で」
とか、
「同量を混ぜ合わせます」
なんて言っても意味がない。

1カップは何cc なのか、そもそも大さじとか小さじが何であり、それがそれぞれ何cc なのか。

計量カップというものや計量スプーンというものが売られているのだという根本的なことから教えてやらなければならないのは、何でもかんでもマニュアル化されている現代教育のひずみなのかも知れない。

切り方も同じだ。

『いちょう切り』
銀杏の樹も葉も見たことがなければ形すら想像できないだろう。

『拍子切り』
正確には “拍子木切り” であり、文字通り拍子木のような形状にするのだが、その拍子木すら見たことがなければ理解不能だろう。

『マッチ棒くらいの太さに千切り』
現代っ子はマッチすら見たことがないものと思われる。

昔はガスコンロの着火にもマッチが必要だったし、タバコを吸うのだってマッチで火をつけていた。

しかし、現在では電気の力でガスコンロは着火するし、IHクッキングヒーターが世の主流になればガスコンロすら骨董品になるかもしれない。

タバコは百円ライターがその役を取って代わり、マッチの姿を見かけることがなくなってしまった。

マッチ棒を見たことがなければ、
「その太さにせよ」
と言われてもできるはずがない。

『だし汁 2カップ』
上述したようにカップとは何ぞや、そして、だし汁と一口に言っても、かつお、こぶ、にぼしなど様々あるうちのどれなのか。

『ニンニク 1片』
だいたいどうやって読むのか。

文語的な表記法「にんにくいっぺん」、口語なら「にんにくひとかけ」 といったところか。

そして、ニンニクを見たことがない人には想像もつかないだろうが、簡単に言えば食べられる部分がミカンのように分かれており、その一房分が 1片となる。

ただし、日本産のニンニクは 1球(1個)が 6片に分かれているが、中国産のものは 9~12片に分かれているので量が異なる。

国産だと 1片が約 12g だが中国産は 6g と、倍も違うので注意が必要だ。
(参考:グラムのわかる写真館

『調味料のさしすせそ』
最近は常識クイズみたいなテレビ番組が多いので、それが
砂糖(とう)、塩(お)、酢()、醤油(許容仮名遣の「うゆ」に由来)、味噌(み
だと知っている人は多いだろうが、さらに調味料を加える順番にもなっていることを知っている人はどれくらいいるだろう。

 1. 甘味は浸透しにくいので砂糖を入れるのは早い方が良い。
  (塩や醤油を先に入れてしまうと食材に甘味が付きにくくなる。)
 2. 塩は浸透圧が高く食材から水分を呼び出すため、煮汁の味を決める初期に入れる。
 3. 酢を入れるのが早すぎると酸味がとんでしまうので調理進行を見計らって入れる。
 4. 醤油、味噌は風味を楽しむものなので仕上がり直前に入れるのが望ましい。

それを知らなくても本やホームページを見れば手順が載っているので完成させることができるが、やっぱり誰かがどこかで基本を教えておいたほうが良いだろう。

自分の場合は何度か書いているように、若かりし頃に厨房でのバイト経験があるので料理用語で困ったことはないが、現代のように情報が溢れている割には基準や基本を教えることが少なくなり、さらには基礎を知らない世代が親となって伝承することすら困難になっていると思われる。

これから先、頼れるのは料理本かネットしかないのか。

引っ越しの条件

以前の雑感に 『転勤の条件』 というのを書いたが、それは同時に引っ越しの条件でもあった。

約1年半前、突然の知らせで義兄の病気を知り、引越しを決断

そこには条件も何もなく、ただ 『お買い物日記』 担当者を含むきょうだい三人が生まれ育った町で暮らせれば良かった。

願いもむなしく、間もなく義兄が他界してしまい、本来であればこの町に住む意味を失ってしまったのだが、色々と考えた結果と、家の持ち主である長兄の許可を得ることができたことから、そのままこの地に根を張っている。

何の条件もなく暮らし始めた町だが、大阪への転勤の際に提示した条件の多くが満たされていることに今さらながらあらためて気づく。

【 建物の最上階であること 】

ここは一軒家で上階も下階もなく、建物に住んでいるのは自分たちだけなので何の問題もない。

【 南向きの窓 】

当然、南側に大きな窓がある。

【 通勤時間 30分以内 】

通勤なんかしていないので、すでに条件にすらならない。

【 買物に便利 】

この件に関しては、折に触れて 『管理人の独り言』 に書いているが、買い物をするにはもの凄く便利な場所だ。

徒歩 3分で農協系スーパー、5分でダイエー系スーパー、徒歩 10分でイオン系スーパー。

自転車を使えば 10分圏内に生協系スーパーと地元資本のスーパーが 3店舗もある。

同じく自転車 10分圏内にドラッグストアが 4店も 5店もあるし、徒歩 2分、5分、6分の場所それぞれにコンビニもある。

大阪で暮らしていた頃の 『お買い物日記』 担当者は自転車に飛び乗って近所をビュンビュン走り回っており、片道 20分以上もある吹田くらいまでは平気で行っていたので、こちらに来てからはむしろ運動不足ぎみなくらいだ。

【 ファストフード店がそろっていること 】

持ち帰り弁当の店、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキン、ミスタードーナツ、そして大好物のモスバーガー。

徒歩 2分から 10分以内の範囲にすべてそろっているので何の問題もない。

『お買い物日記』 担当者が患ったような大きな病気の場合は北海道の中央である札幌まで出向かなければいけないが、徒歩 3分の場所に高速バスの乗り場があるし、自転車で 10分も走れば JRの駅に着く。

どこをとっても不満のない条件で暮らしているので、ますます張った根が太く深くなりそうだ。

真実

最近は特に実感する。

あ~歳をとってしまったな~と。

若いころ、いや、もっと前の子供のころ、近所のおじさんやらおばさん、母親や父親が言っていたことが身にしみてよく分かるようになってきた。

「いやぁ~ちょっと見ない間に大きくなってぇ~」

・・・そんなはずなかろう。

そんなにちょっとの間にびっくりするくらい大きくなるはずがない。

まして、ちょっと見ない間などと言っているが、前回会ったのは一年も前で 「ちょっと」 などという単位ではない。

一年も経てば背が伸びていて当然であり、何をいい加減なことを言っているのかと思っていた。

ところがである。

歳をとると一年などあっという間で、子供はその一年でびっくりするくらい背が伸びている。

大人の言うことに嘘はなかった訳である。

「大人になると一年なんてあっという間なんだからね」

・・・そんなはずなかろう。

子供にとっても大人にとっても一年は一年であり、多くの場合は 365日と決まっている。

大人の一年が 200日などということがあるはずがない。

ところがである。

上述したように一年などあっという間で、それは年齢とともに恐ろしいスピードで流れていく。

「そんな暗いところで本読んでて字が見えるの?」

・・・なに言ってんだか。

十分な明るさがあって字を読むのなんか困らない。

ところが最近は夕方になって薄暗くなってくるともうだめだ。

照明を点けなければ文字なんか読めたものではない。

「今年で何年生になった?」

あほか!去年会った時 5年生だったんだから今年は 6年生に決まってるだろ。

・・・歳をとると去年の会話なんて覚えていない。

それどころか昨日の夜に何を食べたのかすら思い出すのに時間がかかる。

「え~と、ほら、あのドラマに出てた人」

・・・有名人の名前を忘れるか!?

ああ、忘れるとも。

誰かを思い出そうと、その人が歌っていた曲を伝えようとすると、それが思い出せないし、出演していた映画やドラマのタイトルすら忘れており、結果的に
「ほら、あの映画にも出てて、あれを歌っていた、メガネのあいつ」
などとなり、唯一の情報がメガネということになってしまう。

「大人になると美味しく感じるの」

人間の味覚や好き嫌いなんぞ簡単に変わってたまるか。

いや、確かに変わる。

もともと好き嫌いはなかったが、好んでは食べなかった山菜類やキノコ類、セロリに春菊などの香味野菜が死ぬほどうまい。

キノコやセロリを一週間以上も食べない日はない。

「あ~やっと春が来たね」

そう、春が待ち遠しい。

そして草花も木々も色づき、虫や動物、鳥たち姿を見ると生命を感じることができる。

大人が言っていることは、すべて真実だったのだ。

自分がある程度の年齢に達し、今になってやっと実感することができる。