味の違い

義姉に言われて思い出したのだが、こちらの牛乳は味が濃い。

同じ脂肪分のものでも大阪で飲んでいたものとは不思議に味が異なり、こちらの方がコクがあって美味しいような気がする。

もう何年も前のことになるが、父方の親戚が北海道を訪れ、ホテルの朝食で出された牛乳があまりにも美味しく、それまで嫌いで飲まなかった小学生の息子までもが何杯もおかわりをし、親としてはそれが恥ずかしいやら好き嫌いが直ったのが嬉しいやらで、とても複雑な思いがすると話していたのを思い出す。

東京に帰ってからも市販の牛乳を飲むようにはなったが、どうしても北海道の味が忘れられないと、普通にスーパーで売っている市販の牛乳をわざわざ宅配のクール便で送ったことも何度かあったという。

同じメーカーで同じブランド、同じ脂肪分であれば何も変わりようがないと思うのだが、北海道の工場から出荷されて店に並んでいる牛乳はなぜか美味しいのは間違いないと思われる。

味が違うのはビールも同じだ。

ビール党ではないので偉そうには語れないし、微妙な味の差など理解できない自分だが、居酒屋で飲む生ジョッキの味は明らかに異なることを以前、大阪から北海道に出張し、夜の街に繰り出したときに如実に感じたものだ。

たぶん缶ビールとかであれば味に大きな差はないのだろうが、ジョッキで出されるそれはビールに詳しくない自分が飲んでも濃さ、香り、コクの違いがハッキリと分かるくらいに味が違う。

加工品だけではなく食材の味も確実に違う。

魚介類でいえばホタテ貝やイカ、サーモンにタラ、サンマもサケも味も濃い。

野菜の味でいえばアスパラにジャガイモ、ニンジンにナスにキュウリ、カボチャやホウレン草まで何でもしっかり味がする。

これだけ食材の味がしっかりとしていれば、さほど調味料を使わなくても美味しく食べられるというものだが、なぜだか北国の味付けは濃い。

北海道に限らず味が濃いのは田舎料理の特徴ではあるが、これだけ素材が美味しいのだから、その素材の味を十分に生かす調理をすれば良いのに地元の人は何も考えずに調理しているのだから贅沢なことである。

自分たちも一度北海道を離れて戻ってきたから余計に実感しているだけで、ずっと住み続けていたら食材の美味しさを実感することもなかっただろうし、何も考えずに調理もしていたに違いない。

食べ物が美味しいことを実感できるので一度この地を離れ、遠くで暮らすことができたことにも感謝しなければいけないだろう。

最大の難点、それは何でも美味しくてバクバク食べてしまい、体重が増加してもなかなか抑制が効かないことくらいか。

カモの親子がいた風景

それは 7月 2日の朝のこと。

散歩の途中、公園内を流れる小川の淵をあるいていると、遠くにカモの泳ぐ姿があった。

その公園の中央にある池、散歩の第二コースにしている桜並木の横を流れる小川、水車のある散策路と平行する小川、そして家から徒歩 2分くらいのところにある小川と、あちらこちらにカモの姿があるので実はそれほど珍しいことではなく、単に
「ああ、カモがいるな」
くらいにしか思っていなかったのだが、何やら小さくてホワホワしたものが周りをチョロチョロしているような気がする。

数年前まで視力 2.0を誇った我が眼球も、老化の影響からか、はたまた若いころより酷使したツケがまわってきてしまったのか、最近になって悪化の一途をたどっており、今では乱視混じりの 0.5くらいになってしまっているため、何か動いているような気はするものの、それが何であるかハッキリ見てとることができない。

そこでメガネをかけたら自分よりも良く見える 『お買い物日記』 担当者に
「カモの周りに何かいるのは子ガモかな?」
と聞いてみると、しばし川面をじっと見つめ、
「本当だ!子ガモだ!」
と嬉しそうに指差している。

慌てて近づき驚かせてはいけないと、はやる気持ちを抑えて普段どおりの歩幅で先に進む。

いよいよ近づいて子ガモたちの姿がハッキリ見えるようになると、その可愛らしさに思わず頬が緩んでしまい、二人そろってニタ~っとしたまま立ち止まり、しばしその姿を眺めていた。

その姿は実に愛くるしく、絵やぬいぐるみでは表現できないであろう温かみと情緒にあふれ、ただ泳いでいる姿を見るだけで自然に笑顔が込み上げて来る。

それが 10羽も集まって親ガモの後ろに連なり、時には親を追い越してみたり、時には川べりの草をつついてみたりして集団から遅れてしまい、慌てて追いかけたりする姿が実に微笑ましい。

まだ朝食をとる前の散歩であり、仕事を始めなければいけないこともあって、後ろ髪を引かれるような思いはあったが、それを断ち切るようにして帰宅したものの、頭の中は子ガモのことで一杯になり、ときどき手を休めては朝の光景を思い出してニンマリしたりしていたが、とうとう我慢できず夕方になってから買い物ついでに公園へ

朝見たときは下流に向かって進んでいたので、公園の川の最下流から上流に向かって探してみたが、朝の場所まで行っても見当たらない。

いくら小さな川とはいえ、途中には落差 4-50センチの滝もあり、あの小さな子ガモが登っていけるはずがない。

どこに行ってしまったのだろうと思いつつも上流に向かって進むと、ずいぶん上のほうにカモの一家を発見した。

あの小さな体でよくもこんな所まで来れたものだと感心し、爺さんが孫にでも接するように子ガモたちを褒め称えてやりたくなったりしながら元気に動き回る姿をじーっと眺め、できれば何も考えずいつまでもそのまま見ていたかったのだが、夕方からのタイムサービス目当てで買い物に出たことを思い出し、またまた引かれる後ろ髪をバッサリと断ち切って公園を後にした。

翌日、カモの親子と再会できるかもしれないと、期待に胸を膨らませて散歩に出かけたが残念ながら姿を確認することはできなかった。

そして、その日の夕方、『お買い物日記』 担当者に誘われて再び公園へ。

例によって下流から見てみようと近づくと、ビデオカメラを持ったオッサンが大声で
「カモだ!ほら!カモの親子がいるよー!」
と子供を呼び寄せ、
「早く!ほらカモだ!」
と自分の母親らしき人も呼ぶのだが、彼女は足が悪そうで、杖をつきながらゆっくり歩いて近づこうとしているのに
「早く!早く!」
と手招きまでして実にうるさい。

野生のカモなのだから遠くからそっと見守ってやればいいのに川のすぐわきまで行くものだから、カモの親子は迷惑そうに上流にむかったり下流に向かったりと右往左往している。

ひとしきりギャーギャー騒いだ人間の一家はカモを見るのにも飽きたようで、その場を立ち去ったことでやっと平穏なときが訪れた。

カモたちも安心したようで、川から草むらに上がって親ガモは毛づくろいをし、子ガモたちはおのおのが勝手に、それでも親ガモからあまり遠く離れないところで元気に動き回っていたのだが、その動きがだんだん鈍くなり、一羽、また一羽と動かなくなっていく。

どうやら遊び疲れたのと暖かい初夏の日差しが気持ち良いのとで眠気を我慢できないらしい。

すべての子ガモが眠ったのを確認すると、親ガモまで丸くなって眠ってしまった。

動き回っているカモであれば何時間でも見ていられるが、さすがに眠って動かないカモを見ていても仕方ないので、起こさないようにそーっとその場を後にした。

しかし、残念ながらその姿を見たのはそれが最後になってしまった。

あれからずっと悪天候が続き、散歩に出かけられる日も少なかったが、公園を通るたびにカモの姿を探しているのに一度も会えていない。

「変な二人がじーっと見てて気持ち悪い」
と、引っ越したのでなければ良いが・・・。

野生の生き物の成長は早い。

もう子ガモは成鳥と見分けがつかないくらいになっているだろうが、決して変な二人じゃないので来年もこの地に来て、孫ガモを見せてほしいとできれば会ってお願いしておきたいと思っている。

不遇の時代

小学校の何年生だったか忘れてしまったが、ある動きをすると胸に激痛が走る日が続いた。

普段の生活に大きな支障はないとはいえ、飛び跳ねたりしたときの着地、手の上げ下ろし動作の下ろすとき、あとはどんなときだったか思い出せないが、何かの拍子に右胸あたりがズキン!とくるので運動量が激しく暴れまくっていた子供時代においては、なかなか不自由な思いをしたものである。

今から思えば、簡単に折れて知らぬまに治ることで有名な肋骨、いわゆるアバラ骨にヒビでも入っていたのではないかと推測されるが、子供にそんなことが分かるはずもなく、少しくらい怪我をしたり、どこかが痛かったりしても、ちょっとやそっとのことじゃ親に言わなかったこともあって、その状態は半年以上も続いたように記憶している。

それがずっと痛い訳ではなく、ちょっとしたタイミングや体勢によるものなのが面倒であり、余計なトラブルを生む元凶ともなる。

その年の体育の授業で走り高跳びがあったのだが、胸に激痛が走るためなかなか上手に飛ぶことができない。

決して運動神経は悪くなく、むしろクラスでは能力に優れている方なのを知っている教師からは
「真面目にやれ!」
と叱られるのだが、踏みきって体を伸ばした瞬間に痛みが走るので、それが怖くて思い切って飛べなかったり、ヤケクソになって飛んだとしても痛みが走って空中で体が丸まってしまい、そのままボテッと落下してしまう。

とうとうシビレを切らした教師は耳を引っ張って
「どうして真面目にやらないんだ!」
と鬼のような顔をして怒る。

そこでやっと胸が痛いことを
「実は・・・」
と切り出すのだが、休み時間とかには元気に走り回っている姿を見ている教師は、引っ張った耳をグリグリひねって
「嘘をつくな嘘を」
と憎々しげに言う。

高跳びであれば、まだ飛び上がった瞬間だけ痛みに耐えれば良かったが、体育の授業にはさらなる地獄が待ち構えており、その思い出すのもおぞましい、生き地獄とも言えるほど苦しんだ内容とは縄跳びであったりする訳だが、一度のジャンプですら激痛を感じる身をもってして何度も何度も飛べるはずなどないのである。

いつもであれば縄跳びなど何の苦もなくすることができ、二重跳び、三重跳びまで友達に披露していた自分なのに、どんなに耐えたとしてもゆっくり三回ほど跳ぶのが限度で、それ以上は続けることができない。

そんな姿を見てツカツカと近寄ってくるのは例の教師で、怖い顔をしながら耳を引っ張って
「お前はどうして真剣にできないんだ!」
と叱られ、胸が痛いことを言っても
「ふざけるな!」
と一喝されるだけだった。

もともと運動が得意なことも、縄跳びができることも知っているのだから、それができないのは異常なことであると気づいてくれても良さそうなものだと大人になった今からであれば思ったりもするのだが、子供の頭ではそんなことに考えも及ばず、ただくやしい思いをしていた。

水泳の授業でもクロールは何とかなるのだが、平泳ぎの手の動作がダメだったようで、痛くて 2-3回しか水をかくことができない。

そこでも教師は容赦なく叱りつけ、胸が痛いという主張を最後まで信じてもらうことはできず、それまで何があっても図工と体育の成績だけは良かったのに、その学期では初めて通知表に 1をつけられた。

おまけに備考欄には 『体育の授業を真面目に受けない』 的なコメントがなされており、親からもこっぴどく叱られる羽目になってしまったが、大人には胸が痛いことを信じてもらえないと思い込んでしまった自分は、言い訳することもなくただ黙って説教を聞いていたのである。

まさにあの時は教師や親からは叱られ、友達に馬鹿にされるという不遇の時代だった。

鳥たちのいる風景

去年の今ごろは隣家の換気口に住みついたスズメの夫婦に夢中だったが、子供たちが巣立ってからもしばらく暮らしていた夫婦は冬を前に姿を消してしまい、それ以来は姿を見せることがなくなってしまったので少し寂しい思いをしているものの、自然が豊かなこの町に暮らしているとあちらこちらでペアのスズメを見ることができるし、散歩コースにある公園にはいくつもの巣があるので随分と楽しませてもらったりもしている。

数羽の群れをなしているのは子供たちだと思うが、まだオスもメスもなく団体行動で空を飛んだり木に止まったり、芝生の上をチョコマカと動き回ってエサを食べている。

やがてその群れは数を減らし、一羽のメスを数羽のオスが取り合ったりするようになり、最終的に一組のペアができあがる。

かなり以前の独り言でスズメは一夫一妻制であるとネットで調べた結果を書いているが、二羽のスズメが寄り添い、本当にピッタリとくっついているのを見ると思わず頬がゆるんでしまい、とっても幸せな気分になれる。

スズメのほっぺたに黒くて丸い模様があるのも可愛いし、首には白いラインがあってマフラーを巻いているように見えるのもまた可愛らしく、その小さくて丸々した体つきと相まって可愛さ倍増であり、色は地味だがインコやカナリヤより可愛いかもしれない。

田舎のスズメは基本的に警戒心がないのか人が近づいてもあまり逃げず、2メートルや 1メートルの距離など当たり前で、中には数十センチの至近距離まで近づいても逃げない場合があり、とくに枯れ草や土の上だと保護色っぽくなっているのでいることに気付かず、踏み潰してしまうのではないかとドキドキすることも多い。

公園には毎年ツバメもやってくるが、これがまた人を警戒していないのか、何羽ものツバメが目の前やすぐ横をヒュンヒュンと飛び回り、びっくりする人間をからかっているかのようだ。

一カ月くらい前のことになるが、散歩していて公園の中央にある池のそばに行くと、黒い物体がいく筋もの弧を描いて池の上を旋回しているのが見えたので、さらに近づいて見てみたら、それは何羽ものツバメがエサを獲る練習をしているところだった。

上空から池に向かって急降下し、水面スレスレで旋回して再び上昇するのだが、その際に口ばしか足で虫を捕獲しようとしているらしく、水面には綺麗な波紋が広がる。

みんな上手に練習にはげむ中、そのうちの一羽がどうにもこうにもヘタクソで、水面ギリギリで旋回することができずに 「ジャブブ」 と水没しそうになっている。

何度も何度も練習するが、そのたびに 「ドブン」 とか 「ズブブ」 などと鈍い音を出し、危なく池に沈みそうになっては慌てて羽ばたき、やっとの思いで上空にいる仲間と合流したりしていた。

最初は 『お買い物日記』 担当者と笑って見ていたのだが、だんだん心配になり、あのツバメはちゃんとエサを獲れるようになっただろうかと今でも思い出して話したりしているところだ。

管理人の独り言で最近は話題を独占しているカモの親子に関しては、そのうちにまとめて雑感のネタにしようと思うので多くは語らないが、とくにかく、ただひたすらに、とっても、もの凄く可愛いらしく、なんとも表現が難しいくらいだ。

野生の生き物はすぐに育ってしまうので、子ガモと親ガモと見分けがつかなくなるも数日のことだと思われるが、それまでは暖かく見守っていこうと思っている。

公園にはその他にもヒバリやウグイス、クマゲラにアオジ、海鳥のカモメ、いまだに名前の分からない鳥など相当な種類と数がおり、いつも綺麗な声で歌のように鳴いてくれるのだが、不思議なことにそこにハトの姿がない。

ハトは平和のシンボルなれど、いっぱいいると鬱陶しいし、糞害もあるので良かったり悪かったりするものではあるが、木立の中でごくまれに野鳩特有の 「ほ~ほ、っほっほ~」 という声がする程度であり、群れをなして空を飛んだりオポオポと首を振って歩いている姿を見たことがない。

公園は鳥の楽園と化しており、たまにカラスが乱入して気が滅入ることもあるにせよ、いつでも鳥たちの可愛らしい姿を見て綺麗な鳴き声を聞くことができるので、ハトなど放つ必要がないだけなのかも知れない。