故郷の風景

また今週も使いにくいタブレットで書いている。

そう、ショウコのことがあるので今月二度目となる帰省中だ。

ショウコが独り暮らしを続ける自信を失ったので、次の冬が来る前に転居先を探し、様々な処理を終わらせようと行動していることもあって、まだ何度も来ることになるだろうが、それが終われば故郷を失うことになってしまうのは少し寂しいように思う。

しかし、この街にはすでに友人もおらず、知り合いも叔母のレイコが暮らすのみであり、そのレイコも数年後には街を離れる腹積もりらしいので、それほどの未練がある訳でもない。

さらに、故郷の風景も大きく変わったので懐かしさも半減している。

通った小学校は何年も前に建て替わり、当時の面影などないモダンな校舎になっているし、中学校は建て替えどころか場所まで移転してしまってるので何の思い入れもなく、男子校だった高校も今は共学となり、校名まで変わってしまった。

子供の頃によく遊んだ廃車置き場も今はなく、うず高く積まれていた材木置き場も街のあちらこちらから消え、水遊びをしたり魚釣りをした川はコンクリートで固められ、広々とした原っぱには家が密集しており、アスファルトの道ができている。

こっそりタバコを買った商店も、不良仲間とたむろした喫茶店も、躍りにいった店も初めて酒を飲んだスナックも初めて殴りあいの喧嘩をした路地も今はない。

街の中心部も変わり果てている。

それは決して発展的な意味ではなく、過疎化が進行するゆえの縮小的な変わりようで、未来を感じられない悲しい様だ。

古くからの店は数えるほどしかなく、それ以外はシャッターが降りているか、福祉関連ビジネスの店舗になっており、加速度的に高齢化が進んでいることを実感させられる。

子供の頃に家族で行ったレストランも中華料理店もラーメン屋さんもなくなったので、思い出の味すら残っていないと思っていたが、前回の帰省の際に試しに行ってみた場所がある。

それは市役所の食堂で、職員だけではなく一般の人も利用できるのだが、そこは育ち盛りで常に腹を空かせていた中学校時代に何度となく行って腹を満たしていた場所だ。

和食、洋食から中華まで何でもある大衆食堂が作るからなのか、そこで出されるカレーライスはカレーうどんの出汁のような、とっても和風な変わった味がした。

しかし、その独特な味がクセになり、行けば必ずカレーを食べていたし、その味が脳裏の奥深くに刻み込まれていたので、自分でカレーを作る際にも鰹だしを入れてみたり、めんつゆを足してみたりして何とか再現してみようと試みたが、結局たどり着けなかったものである。

あの日以来、長い時を経て久しぶりに口に入れたカレーは、昔懐かしい、あの頃のままの味だった。

長い長い時間が経過し、あらゆるものが様変わりしてしまったが、市役所の食堂のカレーの味だけは変わっていなかった。

ただし、その味だけを求めてこの街に帰ってくることなどないと思われるが・・・。