表現法

スズキまでもが燃費計測で不正をしていたとの報道があったが、果たして『不正』という表現は適切なのだろうか。

確かに国が定めた基準ではない方法で測定をするのは正しくない。

正しくないことを日本語では不正と言うので、不正という表現は間違いではないのかもしれないが、フォルクスワーゲンも三菱自動車もスズキも十把一絡げにして良いものだろうか。

そもそも国交省が定める走行抵抗測定方法は古く、環境問題に関心が高まっている現在では時代にそぐわないものになっているらしい。

そこで、スズキは環境規制の厳しい欧州の燃費計測方法を採用し、その測定結果を基準としてしまったわけだ。

より厳しく、より正しい解を得られる方法であっても、国が定めた方法とは異なるため、それは正しくない、つまりは不正ということになってしまう。

しかしながら、結果が良くなるように不正に動くプログラムを組み込んだフォルクスワーゲンや、データを改ざんしたり勝手な計算方法でごまかしていた三菱自動車と同等に『不正』の二文字で片付けてしまうのはいかがなものか。

日本のみならず、世界各国が行方を心配していた田野岡 大和くんが無事に保護され全世界が安堵のため息をついた。

この件で幾度となく『置き去り』という言葉を耳にしたが、それは本当に正しい表現なのだろうか。

確かに子供をその場に置き、たとえ5分でも、たとえ500メートルでもその場を去ったのだから、日本語としては置き去りと表現しても間違いではないし、それ以上にしっくり来る日本語は存在しないのかもしれない。

しかし、聞き分けのない子供に反省させるための行為として、それほど常識から逸脱したものだろうか。

昔の親は、言うことを聞かない子供を押し入れに閉じ込めたり、家から外に出したりしたものである。

今回の件も、
「玄関の外に立ってろ!」
と子供を出し、5分後に見に行ったらいなくなっていたという状況と大差ないように思う。

子供が可哀想、親が悪いという構図がすっかりできあがってしまっているが、果たして本当にそうなのだろうか。

大和くんには申し訳ないが、どうも彼は普通の子ではないように思えてならない。

普通の子であれば、置いていかれそうになれば泣きながら後を追うものと思われるし、置いていかれたからといって直後にその場を離れるようなことはしないのではないだろうか。

反省の色なく、その場に残され、
「ちぇっ」
とふて腐れてどこかに行ってしまうなど、たいしたタマだ、見上げた根性だと、元不良の自分なんかは思ってしまう。

つまりは子供のゴネ勝ちであって、世間やマスコミから一斉に非難されるようになってしまった親の負けだろう。

これは単なる推測にしか過ぎないが、仮にそうだとするならば、やはり『我が子を置き去りにした親』というレッテルはそぐわないと思わざるを得ない。

今、この雑感は故郷で書いている。

パソコンではなく、使いづらいタブレットで書いている。

それというのも叔母のレイコが
「ハハキトクスグカエレ」
と大騒ぎしたからである。

命に関わる問題でもないのに危篤と表現するのはいかがなものか。

以前にショウコが骨折した際も
「これで寝たきりになることだってあるんだからね」
と脅し、ショウコが大腸炎で入院したときも
「体が衰弱してこのままダメになるかもね」
などと縁起でもないことを言うレイコである。

今後はレイコの誇大表現に最大限の注意を払わなければならないだろう。