泡沫の夢

お買い物日記』 担当者は今でも定期的に入院しているが、それは抗がん剤治療を受けるための入院であって決して体の具合が悪くて入退院を繰り返している状況ではなく、副作用には苦しめられるものの、退院する頃には普段と変わらぬ元気な状態になっている。

それでも前日までは食欲もなく、あまりたくさんの量を食べていないので、退院当日の昼食は胃の慣らし運転の意味も含めてうどんを食べるのが定番化しており、そのうどんも天ぷらや油揚げ、肉などがトッピングされていない 『すうどん』、いわゆる 『かけうどん』 が望ましいことから、本格的なうどん屋さんに入る必要もないので駅地下にある 『なか卯』 を利用している。

吉野家に松屋、そしてなか卯といえば少し前まで男のオアシスであり、小遣いを減らされたサラリーマン、あまり金を持たない学生の心のよりどころ、スタミナの供給源であって店内に女性の姿を見ることなど皆無と言っても過言ではなかったのだが、退院のたびに立ち寄るなか卯では若いカップル、女性だけのグループ、中には若い女性が一人で牛丼をかき込んだりする姿が見受けられ、そこに大きな時代の変化を感じてしまう。

1980年代の後半、日本全土がバブル経済に酔いしれ、その余波は金など持っているはずのない学生や若者の懐までを潤し、高級ブランドの洋服で身を固め、高級ブランドのバッグを持ち、高級車を乗り回して高級レストランで食事をするのが当たり前にすらなり、安さが売り物の外食チェーン店など女性から見向きもされていなかった。

女王様のように着飾った女性たちはアッシー君(死語)に高級レストランまで送らせ、メッシー君(死語)と食事を共にし、タクシーで夜の街に繰り出して狂喜乱舞し、鼻の下を伸ばした不動産屋のオッサンに高級アクセサリーや金を貰い、再びアッシー君に迎えに来させて分不相応な高家賃マンションに帰るという生活を当時は続けていたはずである。

最近の若者は堅実で贅沢をせず、それ相応の楽しみ方を知っているので無駄な出費もせず、自分専用の自家用車など望みもせず、むしろ必要性すら感じず、高級な場所で食事をする必要性も必然性も感じないから、味さえ良ければ低価格な外食チェーンであろうと人目を気にすることなく入店するのだろう。

そもそも人の目とは、その時代や経済状況によって容易に変質し、移ろいやすいものであるから、バブル期における見栄やプライド最優先の価値観とは明らかに異なっており、そういう店で食事をしている人を見て 「フフン」 と鼻で笑う人も今となってはいないのであろう。

そう、20年前のあの時、日本は狂っていたのであり、その後に大きな代償を払い、10年間以上も苦しむなどとは誰も気づかず、バブル(泡)が壊れやすいことも忘れて泡沫(うたかた)の夢に酔いしれていただけで、今が正常な世の中なのだろう。