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政治不信

政治が腐敗して実行力も政策立案能力も衰え、改革の意志も見えなくなった自民党が下野したのは当然のことであり、民主党への政権交代は起こるべくして起こったものであろうが、国民の期待とは裏腹に公約として掲げたものの中で、その原型を崩さず確実に実行、実現されたものはひとつもない。

沖縄米軍基地問題もしかり、高速道路無料化、子ども手当も中途半端に進みつつあって、何だかよく方向性が見えなくなってしまっている。

高速道路の無料化などは財源をどうするのか、民営化された道路公団は何を収入源とすべきなのかなどの問題も多く、実現できるはずがないというのが自民党を始め、マスコミや多くの国民がいだく感情だったが、
「い~や、できる」
と大見得を切って分厚い資料まで作成し、
「ほ~ら、こうすれば可能だ」
と言い切ったのは民主党だが今はすっかりトーンダウンしている。

子ども手当も財源が問題視され、実現困難との見方が大勢を占めたが、
「い~や、できる」
と言い張っていたのは民主党だ。

当初から給食費の不払いなどが社会問題化しつつあるのだから、高校の授業料無償化をするくらいなら金を国民にばらまくのではなく、小学校、中学校も給食費、授業料を無償化し、保育園、幼稚園の無料化も進めた方がマシだろうという見方もあった。

家庭に金を支給したところで給食費を払わない馬鹿は間違いなくいるだろうし、子供の生活や学習環境が豊かにならずギャンブルや飲食費に消える家庭も多いだろう。

それだったら間接的な支援に国費を回し、保育制度を充実させて待機児童の数を減らすとか学童保育まで充実、さらに低価格化や無料化を実現すべきだろうと思う。

そいう意見に耳を貸さず、何が何でも金を支給する方向で進んでいたはずなのに、ここに来て
「ちょっと全額支給は無理かも」
などと言い出し、先行き不透明になりつつある。

とにかく、大きな花火を打ち上げてみては上空でそれが花開かず、ショボショボのまま落下するという状態が何発も続き、一応は派手に見せている事業仕分けだけは国民の支持を得ているものの、実のところ中身を細かく精査すれば官僚にとって痛くも痒くもない部分だけが切り落とされて核となる部分は温存状態にあるというごまかし、イリュージョンショーを見せられているだけだ。

こんなことで支持率など上がるはずもなく、下降線の一途を辿るのは当たり前のことだが、これからも挽回のチャンスは何度もあると思われるのでこんなことでは政治不信になったりしない。

鳩山由紀夫、小沢一郎の両氏とも政治資金にまつわる巨額の不明瞭会計が問題視されているが、そんなことは今に始まったことではなく、自民党時代から何度も見せられてきたドタバタ劇であるし、今さらどうでもいいことだと思うので不信の原因にはならない。

マスコミや野党は小沢氏に対して説明責任を果たせと詰め寄るが、記者会見や国会の証人喚問をしたところで警察に話したこと以上のことを言うはずもなく、聞くだけ無駄だし時間と経費の無駄でもある。

政治家なんぞまともな神経や金銭感覚で務まるものではないだろうから、たとえ個人が何をしても国民のための仕事をして結果を出せば文句はない。

ここにきて政治への興味も関心も急速に薄れつつあるのは、この夏の参院選に向けた候補者の擁立に大きな原因がある。

何を考えているのか、いわゆる著名人、タレントとか元スポーツ選手の名が多数あがっている。

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■ 民主党
長塚智広 (競輪選手)
岡部まり (タレント)
池谷幸雄 (体操選手)
岡崎友紀 (女優)
桂きん枝 (落語家)
庄野真代 (歌手)
谷 亮子 (柔道)
原田大二郎 (俳優)

■ 自民党
石井浩郎 (元プロ野球選手)
田島みわ (元女優(麻生真宮子))
堀内恒夫 (元プロ野球選手)
三原じゅん子 (女優)

■ 国民新党
西村 修 (プロレスラー)
敏いとう (歌手)

■ たちあがれ日本
中畑 清 (元プロ野球選手)
<< 「国民を愚弄するのもいい加減にしろ!」
と声を最大ボリュームにして言ってやりたい。

今まではせっかくの休日なのだから遊びたいとか、ダラダラしていたいという気持ちを抑えて投票してきたが、こんな不真面目な選挙の投票などしたくはない。

こんな奴らへの報酬やら国会運営費、政党交付金に充てられる税金など払いたくもない。

こんな日本に住んでいたくもない。

今日現在までは頭の悪いことをしていない渡辺喜美氏のみんなの党か、地方自治体の首長らが結成した日本創新党にでも頑張ってもらい、国会を乗っとっていただきたいものである。

世も末

ギリシャ問題に端を発する金融不安が大きな広がりを見せて世界同時株安、同時不況の様相を呈してきた昨今、比較的順調な経済指標を誇るオーストラリアや中国でさえどうなることか先が見えなくなってきているが、この事態がただでさえ景気の悪い日本に重大な影響を及ぼす事になるのは火を見るより明らかであり、もしかすると多くの経済学者が指摘している通り日本は一気に破滅への道をたどるのではないかという最悪のシナリオさえ頭をよぎってしまう。

一言でいってしまえば財政破綻であり、今のギリシャと同じだ。

ギリシャと異なり、さらに悪いのはEU加盟国でもユーロ圏でもないので破綻したところで誰も助けてなどくれない。

以前の韓国のようにIMFの管理下に置かれ、行政サービスから何まで徹底して削られて不便な生活を強いられることになるだろう。

どの経済学者、経済評論家の話しを聞いても一致しているのは、このままの状態が続けば 5年以内に日本は財政破綻するということであり、それを回避する唯一の策は増税しかないという点で、それは消費税 15%前後であろうという線においても意見が揃っている。

このままの状態、それは行政に無駄が多く支出ばかり増えて、少子化に歯止めがかからず人口が減る一方であるため税収も減り、企業はデフレを克服できず国際競争力も衰えて収益が悪化する結果、国が徴収する法人税も減り続けるという現状。

政治家が無能なのでアメリカやヨーロッパのように新エネルギーの創出とか環境産業の育成に向けた国策として方向性を示し、国民が一丸となって目標に向かい、将来の一大産業となることを見据えて投資を呼び込みヒト、モノ、カネを吸い寄せると言うビジョンもなく、中国のように南米やアフリカに資金援助や技術供与をして現エネルギーや資源を確保するという戦略もない。

日本の経済が破綻して円の価値が暴落してしまった場合、原油も天然ガスも高くて買えないので輸入は不可能、60%を依存している食料も買えず、家畜を飼育するための餌すら買えない。

つまり、乱暴な単純計算をすれば現人口の 40%しか日本国内で生活できないことになる。

金の価値が下がるということは悪性のハイパーインフレに陥るということであり、今は 100円で買えるものが 500円になったり 1000円になったりする訳で、生活物資や食料さえも手に入れるのが困難になるだろう。

金の価値が 1/10 になった場合、今日現在で 1バレル(約159リットル)当たり 75ドル(約7000円(1ドル=93円))の原油を約7万円で買わなければならないということだ。

財政が破綻して良いはずがないことは官僚も政治家も分かっている。

そして、日本が危機的状況にあることも分かっている。

それなのになぜ、どうして 「少なくとも4年間は消費税を上げない」 などと言っていられるのか不思議でならない。

これほど危機的な状況にありながら、なぜ日本がギリシャのようにならないのかは、1500兆円にも及ぶ金融資産があるからだと言われるが、それはあくまでも個人資産であって国の借金を肩代わりする担保ではないだろう。

五百三十六歩譲って 1500兆円のおかげだと認めたとしても、何を考えているのか預貯金が流動化しないから個人消費が上向かないと言い出し、どうやって金を使わせるかの議論をする始末。

国民が開き直り、あるいはヤケクソになって金を使い、資産が 1000兆円を割り込んだ途端に海外から信用不安の目で見られて国債が暴落し、前述した破綻の道へまっしぐらとなるだろう。

もう誰もが分かっているように、頭のおかしな官僚とのしがらみを断って無駄遣いを徹底的になくすと同時に公務員の数を減らして減給し、その上で消費税を 7%、10%、15%と 2年おきくらいに段階的に引き上げるしか日本を救う道はないのである。

それができる政治家は鳩山でもなければ谷垣でもなく、それができる政党は民主でも自民でもないように思う。

せっかくの政界再編、新党ブームなのだから、強烈なリーダーシップを発揮して一定期間であればたとえ独裁者的に主導しても構わないので日本を明るい未来に導いてくれる政治家、主導者が現れないだろうか。

味覚の変化

子供の頃は美味しいと思わなかったのに大人になると美味しく感じるというのはよく聞く話し。

小学生の頃からニンジン、ピーマン、玉ねぎ、長ねぎと、何でも食べて親からべた褒めされていた自分も決して好きではなかったのが山菜類だ。

まだフキなどは苦もなく食べられたが、ワラビとかゼンマイともなると自ら好んで手を出すこともなく、あってもなくても一向に構わない食材であり、出されれば心の中でブツブツと文句を言いながら仕方なしに口に入れるという程度のものだった。

それは大人になってからも変わらず、料理屋さんのメニューにあったとしても山菜系のものを注文することはなかったし、店の棚に並んでいても、あえて購入することもなかった。

時は巡って単なる大人から少しは円熟味を増したオッサンへと変貌を遂げ、スーパーで見かけた山菜ミックスのパック詰めを手にしたとき、もしかすると蕎麦にトッピングして山菜蕎麦として食べると美味しいのではなかろうかと思うに至り、意を決して購入してみて試したところ、これが予想を遥かに上回る美味しさで、いたく感激してしまったものである。

まだ試してはいないが、きっとタラの芽やフキのトウの天ぷらなんぞも、そのちょっとした苦味が美味しく感じたりするのだろう。

以前の雑感でも触れたように、今は頻繁にセロリを食べるようになった。

元々セロリは好きとか嫌いとかいう次元のものではなく、口に入れたことすらなかったので実際にはどんな味がするのか、それが自分が好む味なのかどうなのかすら分からなかったのである。

自分が子供の頃はセロリなどというハイカラな名前の野菜は近所の八百屋で売られていなかったし、焼き物や煮物がメインの食卓にセロリを必要とするようなオシャレな料理が乗ることすらなかったので、食する機会など皆無だったと言っていい。

大人になってから洋食やイタリアンを食べた際に食材としてセロリが含まれていたことはあっただろうが、相変わらず店で売られていても横目で見る程度であり、わざわざ購入してまで食べる必要性を感じていなかった。

ところがある日、何を思ったのか急にセロリがどんな味がする野菜なのか気になり、最悪の場合は捨てることも覚悟して見切り品となって極端にダンピングされているものを買ってみた。

そしてそれを恐る恐る口に入れてみるとこれが実に美味であり、それからというもの冷蔵庫の中には常にセロリが入っていることになった。

最近になって何かのテレビ番組で知ったのだが、子供のうちは、苦いもの、酸っぱいものに対して拒否反応を示すのが自然なのだそうだ。

それは、多くの場合において腐った物や毒素をもったものに酸味と苦味があり、間違ってそれを口に入れてしまったとしても吐き出して食べてしまわないようにという人間の本能であるらしい。

苦くても毒性のないものには、魚の内臓だったり香味野菜だったり山菜、ビールなどがある。

酸っぱくても腐っていないものには梅干や酢の物、柑橘類などがある。

これは繰り返し口にしたり教えられることで学習し、警戒心が薄れて食べられるようになる。

そして、酸味や苦味、甘味や旨味などの様々なパターンの組み合わせで子供の頃は食べられなかったものが美味しく感じたりするようになるらしい。

つまり、子供の頃は苦手でも大人になると美味しく感じるというのは当然のことであり、むしろいつまで経っても好き嫌いが激しいのは親の躾(しつけ)が悪かったか、教育がなっていなかったか、あるいは本人の学習能力が劣っているかのいずれかではないかという結論に達する。

そう思われないためにも好き嫌いはなくした方が賢明だと思われる。

してはいけないこと

『してはいけないことは、できてはいけない』

これは、コンピュータ業界でよく言われることである。

ソフトウェアには不具合がつきものであり、それを完全に払拭することなど不可能に近いことで、どんなに動作検証をしたとしても世に流通して広く使われるようになると、思いもよらぬ手順で操作をする人が現れて検証では発見できなかった不具合が表面化することは多い。

そこで利用者から怒りのクレームがサポートセンターに寄せられたりするのであるが、その際に
「そういう操作はしないでください」
などと言えないのは当たり前だ。

一定の手順で問題が発生するのであれば、そいう操作ができない仕組みを施さなければならないのである。

ソフトウェアをインストールする際に使用許諾に同意するか否かの質問があり、[ 同意する ] というボタンをクリックしなければ先に進めないという手法は広く採用されているが、それと同じことで Bという作業をしてから Aを実行して不具合が発生するのであれば、Aが終わらない限り Bの作業ができてはいけない。

一社に限らず日本製品全体の品質まで問われる事態になりかねないトヨタ車の世界的なリコール問題にしてもそうで、自動車の床に敷くフロアマットが原因でアクセルが戻らなくなるとしても、トヨタは利用者に対して
「フロアマットは敷かないでください」
などと言えるはずもないだろう。

『してはいけないことは、できてはいけない』 という仕組みは、メカニックやソフトウェアであれば組み入れることが可能だが、現実社会ではなかなか難しい。

これから季節が進んで暑い時期になると水の事故なども増えてくると思われるが、毎年のように子供が 『立ち入り禁止』 区域に入って幼い命を失う事故があり、そのたびに管理者責任を問われたりもするが、『入ってはいけない所へは、入れてはいけない』 と要求するのは無理ではなかろうか。

立ち入ってはいけないのではなくて、立ち入れないようにすれば良いのは分かっていても、それが屋内であればドアに厳重な施錠をするなどの対策が可能だが、野外で広い土地ともなれば現実的には困難である。

危険区域を塀で囲もうが、有刺鉄線で取り囲もうが、子供などと言うのは好奇心の塊であるがゆえに、どんな手を使ってでも中に入ろうとするものだ。

塀は乗り越えるわ、有刺鉄線のすき間を狙うわと、大人が想像できないことをしでかす。

普通、大人であれば塀があれば入ってほしくないから塀があるのだと理解するし、その塀を乗り越えるなどというのはちょっとした犯罪者気分にならなければ実行できないものであるが、子供に対してそういう大人の常識は通用しない。

ちょっとした突起物でもあれば足をかけて塀をよじ登るだろうし、大人には小さく見える穴でもくぐり抜けてしまうので、莫大な予算を投じて危険区域を立派な塀で囲いでもしない限りは子供の侵入を防ぐのは無理だろう。

自殺の名所で自殺するなというのは難しく、『自殺してはいけないのなら、自殺できてはいけない』 と当てはめるのは無理がある。

包丁で人を切ってはいけないのだから、切れてはならない。

麻薬を使用してはいけないのだから、使用できてはならない。

人を殺してはいけないのだから、殺せてはならない。

授業中に騒いではいけないのだから、騒げてはならない。

電子レンジに猫を入れてはいけないのだから、入ってはならない。

・・・。

どれこもれも不可能なことばかりであり、しつけや教育の問題である。

最近では何でもかんでも管理者責任、製造責任などが問われるが、余程の欠陥を除き、使い方でなんとかなるものなら工夫して使えば良いし、自分のしつけや教育が悪いくせに、その責任を学校や管理者に押し付けるのはやめてもらえないだろうか。

このままだと世の中は、工夫することも考えることもできないバカばっかりになってしまう。

デジタル化の波 Signal-2

デジタル化の波 ~目次~

デジタル化の波は想像以上の大きさで、想像以上の速度で全世界を飲み込もうとしており、もはや人類はその勢力から逃れることなど不可能になってしまった。

電話の音声信号は携帯にとどまらず、固定電話もすでにデジタル化されており、気づかぬうちに必要のない周波数が削れられた状態の声を聞いたり送ったりしている。

来年の 7月にはテレビもアナログ放送が終了してデジタル化される。

今は地方によって放送内容が異なるテレビ番組もデジタル化によってネットの回線に乗せられる訳だから、大阪ローカルの番組を北海道で観たり、その逆だって理論上は可能な訳である。

それを実現するには高性能なサーバーと太い回線が必要になるなど、それなりの投資が必要になってしまうので予算の少ない地方局には難しいかも知れないが、基地局、中継局を建設するよりは遥かに低コストであるため、いずれはそういう時代となって北海道でもサンテレビが見られる日が来るかも知れない。

ラジオも少しずつデジタル化が進んでおり、ネットラジオの中継も少しずつ進んでいるので北海道でも地方局の放送が聞ける日が来るかも知れない。

以前の独り言に書いたように FM802が聴きたいのだが、現在試験運用されているネットラジオは地域限定でしかないし、実用化に至ったとしても北海道では聴けない可能性が高い。

全国配信するのに何の障害があるのか分からないが、技術的に難しいことではないので是非とも全国から聴けるようにしていただきたいと切に願っている。

テレビにしてもラジオにしても、地方価格で CMを流せば全国で視聴されるのでスポンサーは喜ぶだろうし、公共の電波に乗ることに変わりはないのだからタレントの出演料、音楽や映像の著作権料だって変わらないと思われるので、全国配信に大きな障害あるとは思えないのだが。

そうなれば実質上の縄張りがなくなり、北海道のテレビ局やラジオ局は東京や大阪の番組を相手に視聴率で戦わなければならないのだから辛くなりはするだろう。

しかし、そこで特色を出して生き残りを図ればこそ、今の漫然とした体質から脱却できるのではないだろうか。

今はどのチャンネルを見ても同じようなタレントを起用した同じような番組ばかりなので、見ていてつまらないどころか腹立たしさすら覚えてしまうので、すっかりテレビ離れが進んでしまった。

厳しい戦いを生き残るには強烈な個性だったり専門性を引き出す必要に迫られるため、CS放送のように朝から晩までニュースを放送しているチャンネルとか、映画ばっかり流しているチャンネル、スポーツ、料理、経済に特化したチャンネル、朝から晩まで通販しているチャンネルなど現れるかもしれない。

そうなればますます地方局が不利になりそうだが、北海道であれば日本ハムファイターズの試合や選手の情報しか放送しない番組を全国に向けて放送するとか、北海道の食材を使った料理番組を流すとかの方法もあるだろうし、北海道の品を通販する番組を朝から晩まで放送したって良いだろう。

豊北は東北で関東は関東なりの、関西は関西、九州は九州なりの料理番組だって通販番組だって可能だろう。

第一、日本は縦長の国なので、東京を中心に春が旬の料理を紹介されても北海道じゃまだ鍋をつついている場合だってあるのである。

夏バテ防止の食材とか、暑いときに涼し気な料理とか言われても北海道は必要ないくらい涼しいのである。

また、地元で話題になっている楽曲だとかタレントなどもあることだろうから、それを全国に配信すれば良いだろう。

大阪に暮らしているとき、やはり北海道のことが気になって話題に飢えていたし、北海道に帰ってくれば大阪の今が気になる。

そんな時、その地方に特化したテレビやラジオが簡単に視聴できたらどんなに良いことだろうと思うのだが、そんな需要はないのだろうか。

真の意味での雑感 2

■ 毒入り餃子事件

日本は中国に遠慮して、中国は日本を小馬鹿にして、なんとなく幕引きかと思われていた事件が一気に進展したが、結果的には茶番でしかなく、中国当局のでっち上げでしかないのではないかとの疑いが濃厚な内容が発表され、中国製品に対する信頼を回復するどころか、やっぱり加工品は口にしたくないという負のイメージだけが残る結果となってしまったように思う。

むしろ中国産の生鮮食品であれば日本側で農薬の濃度とか安全性に関しての検査が行われているので少しは安心だが、加工されてパッケージングされたものに対しては警戒心を抱いてしまい、購入すらしたくないという人も多いだろう。

中国サイドで何があり、何を考えているのか分からないが、すべてのことを包み隠さず公表した方が今後のビジネスの発展に大きく寄与するものであろうと思われる。

■ 経済評論家

そもそも中国製品が大量になだれ込んで来るのも価格競争が激しく、安くなければ買ってもらえないという強迫観念が売り手側にあるからだろう。

現在の日本はデフレであり、冷え込んだ消費者心理がどうたらこうたらと経済評論家やテレビに出演しているコメンテーターは偉そうに語り、何とかして理論に当てはめようとするが、そもそも偉い学者さんが真剣に考えるほど消費者は複雑な思考パターンで行動しておらず、景気などと言うものは “気” という字がつくくらいで、何となくの雰囲気だったり気分的な問題なのである。

節約疲れから少しだけリッチな気分を味わいたくなるとか付加価値の高い物に対しては財布のひもも緩むとか言っているが、そんな面倒な話しでもなかろう。

スーパーで売っているウインナーソーセージやフランクフルトであれば、たとえ 10円でも 5円でも安いものを選んで買うだろうが、祭りの出店とかでは単にそれを焼いてマスタードやケチャップをつけただけなのに一本 300円でも買ってしまう。

スーパーで売っているイカは特売の日に目の色を変えて購入するのに、海の家とかでそれに醤油をつけて香ばしく焼き上げれば 500円でも買ってしまう。

消費者などと言うのはそんなものであり、小難しいことなど考えていないものである。

■ 民主党

割と寛容な目で政権交代を実現した民主党を見守っていたが、それもそろそろ限界近しだ。

ただし、目立ったマイナス点は郵政問題で国民新党の亀井静香氏の持論に押し切られた点と、沖縄米軍基地移転問題でフラフラしている点くらいなもので、それ以外の政策に関しては財源の不安こそあれど、それほどネガティブなイメージはない。

政治とカネの問題も取りざたされてるが、そんなものは自民党でも国民新党でも、つい最近になって発足したジジイ集団、たちあがれ日本だって同じことであり、それが決定的な負のイメージにはなっていない。

様々な改革や何やらと立派にやっていることも多いのに、マイナスに評価されるものに限って目立つ話題だったりするのは民主党の不運か。

それにしても、軸足が定まらずウロウロしている感が否めないは最大の問題であって、そんな危なっかしい船長の指差す先に日本丸という船に乗って進みたくないというのが今の心境だ。

この夏の参院選、このままだと民主党が単独過半数を確保するのは極めて困難だろう。

今のような状態が続けば、渡辺の喜美ちゃん率いる、みんなの党が大躍進して無視できない勢力となり、いずれも過半数を確保できない民主党と自民党から熱烈な、そして切羽詰った連立へのラブコールを送られることになるに違いない。

さて、頭を使うのも疲れたことだし、腰を落ち着けて酒を呑むことにするか。

低レベルな自慢話

過去の雑感にも自慢話が好きではないことは書いたが、それでもまだ自身のことや実績を誇る程度であれば、部分的に感心したり尊敬できたりもするので多少はマシというものであったりすれど、最近は子供じみていてアホみたいな自慢が多いので開いた口がふさがらない・・・いや、逆に閉口してしまうことが多くて困る。

「知り合いに IT企業の社長がいる」 という奴。

「・・・はぁ!?・・・で!?・・・だから!?」 と色んなセリフは頭に浮かぶものの、それはすべて疑問符でしかなく、会話の続けようがない。

知り合いに IT企業の社長がいるのは分かったが、その社長がどうしたという話しでもなく、その会社がどうだという話しでもなく、
「知り合いに IT企業の社長がいるんですよ」
の続きを話さずに、そこで言葉を切って 「フフン」 とせせら笑う感じでこちらを見ている。

何と答えて良いものやら、頭の中には様々な大きさで色とりどりの ?マークがボヨンボヨンしているのだけなので口から出るのは
「はぁ・・・」
というため息にも似た声。

「知り合いが起業してIPOを実現した」 という奴。

その会社に出資していたとか、未公開株でも貰っていて上場益を得られたというなら
「先見の明がありますね~」
とか
「大金を手にされたんでしょうね~」
などとお世辞のひとつも言いようがあるが、話しはそこに及ばず、
「知り合いが作った会社が株式公開したんですよ」
の続きがある訳ではなく、そこで 「ムフフン」 とふんぞり返っている。

その本人の功績でもなければ何でもない話を聞かされて、どうリアクションしたら良いのか分からず、口から出るのは
「ほぉ・・・」
という差し障りのない無機質な返事。

その他にも
「どこそこの市議会議員は知り合い」
とか、
「なんかいう国会議員と食事をしたことがある」
など、そいつの耳を引っ張って引きずり回し、メガホンを持って
「だからどぉーしたぁああああ!」
と今まで出したことがないくらいの大声で叫んでやりたくなる内容ばかりだ。

小学生が
「ウルトラマンは強いんだぞ」
とか
「うちの母ちゃんは美人なんだぞ」
とか
「お姉ちゃんは東大生だぞ」
などと自分以外の自慢にもならない話しをしているのと大差ない。

精神年齢が低いまま外見だけ無残に老けこみ、自慢の “自” に何の意味があるのかも理解できず、なぜか他人の功績を披露して優越感にひたるという変わった人種が存在するのである。

人に妙な話しを聞かせるヒマがあれば、その素晴らしい友達と仲良くなるか利用するかして自分も何かすれば良いだろうし、コネクションを伝って政治家にでも華麗に転身すれば良いだろう。

とにかく、リアクションに困るような会話はやめていただきますよう、お願い申し上げますと心から言っておきたい。

かぶれのわけ

03/23の独り言に書いたように、まぶたが赤く少し腫れていたので皮膚科に行って診てもらって来た訳だが、その原因はハッキリせず、未だに謎のままとなっている。

2月の初旬に別件で皮膚科に行ったときに症状は現れていたのだが、その時の医師には
「今回処方する薬を塗ってみてください。」
と言われたので指示に従って一週間ほど塗ってみたところ、腫れも赤みも痒みもひいて治ったように思われたため、塗るのを止めると翌日の朝には再発していた。

慌てて薬を塗って再び一週間、症状が治まったので止めると翌日には痒みが出始めて赤くなり、腫れも伴う状態になって皮膚がカサカサしてくる。

これは一度、完全に治さなければいけないのだろうと再び薬を塗り始め、症状が治まったかに思えた一週間後も塗るのを止めず、さらに一週間経過後も念のためにと継続し、計三週間に渡って塗り続け、ここまでやったのだからもう大丈夫だろうと塗るのをやめた。

ところが翌日、まぶたは赤くなり、腫れも痒みもカサカサも復活していた・・・。

これはいよいよ病院に行くしかないだろうと思われたが、それは土曜日だったので少し様子を見て連休が明ける火曜日になっても治まっていなかったら医者に診てもらうことにしたのである。

連休中、痒みに耐えながら何故こうなってしまったのか原因についてあれこれ考えてみた。

まずはメガネをしている時間が長くなってきたこと。

昨年末に購入したものの、一日に 1-2時間しか使うことのなかったメガネだが、どんどん視力が落ちてきているため使用頻度が高くなり、休日ともなるとビデオの消化をするための必需品となっていて、朝から晩まで一日に 10時間もかけていることが多くなった。

メガネが直接どうということはないのだが、過去に若干の金属アレルギー反応が出たことがあるのでフレームなどに使われているメタル素材に何らかの原因があるのではないかと疑えなくもないだろう。

次に目薬。

時を同じくして使い始めたのがドラッグストア独自ブランドである安物の目薬であり、こっちが主犯格なのではないかと嫌疑をかけてみたりしている。

思い当たるふしは多く、薬を塗るのを止めた夜には必ずと言って良いほど目薬を入れて就寝していることからも疑惑は濃厚なのではないだろうか。

そして火曜日、状況は改善することなく結局は病院に行くことになってしまった訳であるが、念のために使用しているメガネと目薬を持って出かけた。

もし原因がどちらでもなくアトピー性皮膚炎でも患ってしまったのであれば、これから一生の付き合いとなり辛い毎日を送らなければならないなどと余計なことまで頭に浮かぶ。

恐る恐る診察室に入り、いろいろと話した結果、予想される原因としてはやはり目薬である可能性が高いとのことだ。

点眼薬による皮膚の炎症は、それほど珍しいことではないらしい。

ただし、それは女性に多いらしく男のくせに目の周りを赤くして病院に来るのは稀なのだそうだ。

他にも女性の場合は化粧品が合わなかったり洗顔フォームが合わなかったりと、お肌に関するトラブルは多いと言う。

そして、目の周りの炎症のやっかいな点は、治ったと思ったら再び悪化するということを繰り返し、なかなか完治しないことらしく、どうりで何度も症状が現れるはずだと変に納得させられる。

とりあえず痒みを止める薬と炎症を抑える薬を混ぜたものを処方してもらうことになり、一週間して治らなかったら再び診察してもらうことになった。

それから 5日が経過したが、今のところは症状も治まり、腫れも赤みも痒みもなくなっている。

しかし、なかなか完治せずに症状が繰り返し現れるというから油断は禁物である。

とにかく 30日までは薬を塗るのを怠らず、せっせと目の周りをギトギト状態にしておこうと思う。

そして、薬を止めてからも目薬を使わずに様子を見てみようと思う。

それでメガネを長時間していても再発しなければ原因は目薬にあったと断定し、全速力で海まで走っていって
「バカヤロー!」
などと叫びながら目薬を捨ててやろうかと思っているが、まだ寒いのでそれは暖かくなってからの実行になるかもしれない。

真の意味での雑感

今週は疲れ果てて思考能力が限りなく 0に近い状態であるため、いつもであればネタがなくても何とか必死に絞り出せたりするものであるが、今日は必死になる気にすらならないとういう抜け殻状態であり、とりあえず頭に浮かんだことを断片的にでも書いていくことにしようと思う。

まずはトヨタ。

アメリカの自動車大手の年間売上台数を抜いて世界一になるかならないか、いよいよ頂点に立ったかという絶妙のタイミングで GMが破綻してしまい、勝手に坂道を転げ落ちていってしまったので労せず世界一の座についたかと思った矢先に大規模なリコール問題が勃発し、一転して窮地に立たされるという皮肉な結果になっている。

兵站線が伸び切っていたというのはトヨタ側の弁明でもあり、確かに販路や生産工場、生産台数が急速に拡大したことで人材の育成や品質管理、危機管理が追いつかずネガティブな情報が上に聞こえて来なくなった面はあるだろうが、そんなことは何年も前の奥田社長の時代から指摘されていたことで、今になって気づくようなことではなかろう。

それとも現社長である創業者一族、豊田家の章男ちゃんには悪い情報が伝わりにくくなっていたのかという疑問すら湧きあがり、そう言えばちょっと我(が)が強そうな顔つきなんじゃないかとか、アメリカ議会の公聴会の後で販売店向けの挨拶で流した涙の色や風貌が 2000年11月に勃発してショボショボ状態になった加藤の乱で目に涙をためた加藤紘一氏と類似する点が多いのではないかと悪いイメージばかりが浮かんでは消える。

奥田氏、張氏、渡辺氏と順調に業績を拡大し、リーマン・ショックによる販売車数激減の危機を創業家からの社長人事によって求心力を発揮してもらい、全社一丸となって乗り越えようと言うのが社長交代に対する表向きの説明だが、実は販売台数世界一が目前に迫っていたので創業家一族をトップに据え、花を持たせようとしたのではないかと疑っている。

いろいろなことはあるにせよ、トヨタは世界に名だたる日本企業であり、技術立国、環境立国日本の象徴的存在でもあった訳であるから、勝手に石につまずいて転んでもらっては困るのであり、まだまだ世界に通用している日本製品の品質神話が崩壊するようなまねをしてもらっては困るのである。

次にマグロ。

とりあえずはワシントン条約に加えられて禁漁、輸出入の禁止という最悪のシナリオは回避されたが、日本人が世界の水揚げ量の 80%に達するほどアホみたいにマグロを食べまくって絶滅が危惧されるまでになったのは問題であり、これから先もちょっとは考えなければいけないことだけは事実だ。

代理店が企画する旅行や日帰りバスツアーなどで、『マグロ食べ放題』 とか 『マグロ食い尽くし』 などという頭のおかしなネーミングはやめた方がよろしかろうと思われる。

限りある資源が 『食べ放題』 にできるはずもなく、ましてや 『食い尽くし』 て良いはずがないだろうから、今後は 『ありがたくマグロを頂く』 とか 『大間の皆さんにマグロを食べさせて頂く』 などとすべきだろう。

昔は高級品だったマグロが安く提供されるのは嬉しいことかも知れないし、輸入ルート、輸送ルートを確保して世界中から仕入れ、それを店先にならべてサービスするという努力をした企業は賞賛に値するのかも知れないが、日本近海で獲れる魚や養殖できる貝より安く売られているのはどう考えてもおかしい。

これから先、禁漁にはならなかったが漁獲量の割り当てが激減するだろうし、マグロの美味しさを知ってしまった中国やヨーロッパとの争奪戦が始まることを考慮すれば高騰することは避けられないことだろうが、それは決して理不尽なことではなく、単に適正な水準、昔のままの高級魚に戻るだけのことである。

・・・。

ネタがないため思いつくまま適当に書いてみたが、実はこういう方が雑感と呼ぶにふさわしい気がしないでもない。

記憶 Memory-03

Memory 01&nbsp;02

前回書いたように、病院ですらニコニコしている赤ちゃんだったのだが、とにかく風呂が嫌いだったようで、親はとても苦労したらしい。

頭や体を洗っている間はニコニコして遊んだりしているくせに、いざ湯船に入れようとすると火が着いたように泣き叫び、必死に足を縮めて湯につかることを拒否するのだという。

時は昭和、両親とも公務員をしていたのだが、その住まいである官舎には風呂がなく、当時はどこにでもあった銭湯に通っていた。

来るたびに耳をつんざくような大声で泣き叫ぶものだから、すっかり銭湯では有名人となっており、番台のおじさんに
「おっ、また来たな」
などと言われていたらしい。

つまり、生まれてすぐは病弱だったので病院の有名人、ギャーギャー泣き叫ぶので銭湯でも有名人、小学生になると粗暴なガキ大将となって有名人、中学時代は不良となって有名人と、自覚はないのだがずっと目立つ存在であったらしいのである。

それはさておき、なぜ、何ゆえに入浴を極度に嫌ったかという件についてであるが、それはまったくと言って良いほど記憶がない。

親に言わせると生まれた直後に入れられる産湯が看護師さんの手違いか何かによって異常に熱く、それがトラウマとなってしまったのではないかとのことだが、さすがにこの世に生を受けた直後の記憶は残っておらず、真相は闇の中だったりするのであるが、何事もなくトラウマになったりするはずもないので、案外その説は正しいのかも知れない。

また、へその緒が首だか体だかに巻き付いていたのが原因で、なかなか呼吸を開始せず鳴き声を上げることもできず、左半身が紫色になった状態で生まれたらしく、母親は可哀想な子を産んでしまったと思ったらしいのだが、そういう状態だったからこそ人よりも産湯が熱く感じたか、刺すように肌に沁みたりしてトラウマになった可能性もある。

その記憶を今でも引きずっているのかどうか定かではないが、実を言えば今でもそんなに風呂が好きではない。

先日行った湯治のように、実際に温泉に浸かれば気持ち良く過ごせるのは分かってはいるのだが、なかなか自分から進んで温泉に行こうとか、ゆっくり風呂に入ろうという気にならない。

さらに白状すれば、その温泉で 10年以上ぶりに湯船に入ったのである。

大阪で過ごした 13年間、そこで住んでいた借家にあるバスタブに一度も入ったことはない。

北海道に帰ってきて 2年、この家のバスタブにも一度も入っていない。

普段の生活で使うのはシャワーのみで、湯船にお湯をためたことがないのである。

そして、不潔にしている訳にもいかないのでシャワーは浴びるが、それですら渋々といった感じであり、相当な覚悟と気合をもって浴室に向かうのである。

これはきっと、生まれた直後に起こった 『何か』 が起因しているに違いない。