味覚の変化

子供の頃は美味しいと思わなかったのに大人になると美味しく感じるというのはよく聞く話し。

小学生の頃からニンジン、ピーマン、玉ねぎ、長ねぎと、何でも食べて親からべた褒めされていた自分も決して好きではなかったのが山菜類だ。

まだフキなどは苦もなく食べられたが、ワラビとかゼンマイともなると自ら好んで手を出すこともなく、あってもなくても一向に構わない食材であり、出されれば心の中でブツブツと文句を言いながら仕方なしに口に入れるという程度のものだった。

それは大人になってからも変わらず、料理屋さんのメニューにあったとしても山菜系のものを注文することはなかったし、店の棚に並んでいても、あえて購入することもなかった。

時は巡って単なる大人から少しは円熟味を増したオッサンへと変貌を遂げ、スーパーで見かけた山菜ミックスのパック詰めを手にしたとき、もしかすると蕎麦にトッピングして山菜蕎麦として食べると美味しいのではなかろうかと思うに至り、意を決して購入してみて試したところ、これが予想を遥かに上回る美味しさで、いたく感激してしまったものである。

まだ試してはいないが、きっとタラの芽やフキのトウの天ぷらなんぞも、そのちょっとした苦味が美味しく感じたりするのだろう。

以前の雑感でも触れたように、今は頻繁にセロリを食べるようになった。

元々セロリは好きとか嫌いとかいう次元のものではなく、口に入れたことすらなかったので実際にはどんな味がするのか、それが自分が好む味なのかどうなのかすら分からなかったのである。

自分が子供の頃はセロリなどというハイカラな名前の野菜は近所の八百屋で売られていなかったし、焼き物や煮物がメインの食卓にセロリを必要とするようなオシャレな料理が乗ることすらなかったので、食する機会など皆無だったと言っていい。

大人になってから洋食やイタリアンを食べた際に食材としてセロリが含まれていたことはあっただろうが、相変わらず店で売られていても横目で見る程度であり、わざわざ購入してまで食べる必要性を感じていなかった。

ところがある日、何を思ったのか急にセロリがどんな味がする野菜なのか気になり、最悪の場合は捨てることも覚悟して見切り品となって極端にダンピングされているものを買ってみた。

そしてそれを恐る恐る口に入れてみるとこれが実に美味であり、それからというもの冷蔵庫の中には常にセロリが入っていることになった。

最近になって何かのテレビ番組で知ったのだが、子供のうちは、苦いもの、酸っぱいものに対して拒否反応を示すのが自然なのだそうだ。

それは、多くの場合において腐った物や毒素をもったものに酸味と苦味があり、間違ってそれを口に入れてしまったとしても吐き出して食べてしまわないようにという人間の本能であるらしい。

苦くても毒性のないものには、魚の内臓だったり香味野菜だったり山菜、ビールなどがある。

酸っぱくても腐っていないものには梅干や酢の物、柑橘類などがある。

これは繰り返し口にしたり教えられることで学習し、警戒心が薄れて食べられるようになる。

そして、酸味や苦味、甘味や旨味などの様々なパターンの組み合わせで子供の頃は食べられなかったものが美味しく感じたりするようになるらしい。

つまり、子供の頃は苦手でも大人になると美味しく感じるというのは当然のことであり、むしろいつまで経っても好き嫌いが激しいのは親の躾(しつけ)が悪かったか、教育がなっていなかったか、あるいは本人の学習能力が劣っているかのいずれかではないかという結論に達する。

そう思われないためにも好き嫌いはなくした方が賢明だと思われる。