大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

対象年齢

最近のCMは誰に向けたものなのか分からない。

法人向け会計ソフトであるJDLの出納帳など、どう考えても、誰がどう見てもビジネス向けソフトウェアなのに
「あんなこともできるんだ!」
「こんなこともできるんだ!」
「すごいねぇ~!」
などというアニメキャラがアニメ声で会話する。

そんな軽いノリで会計ソフトを宣伝した場合、ともすると信頼性を損なうのではないかという危惧を抱かないのか実に疑問であり、そんなCMにGOサインを出した上層部も何を考えているのだろうと思ってしまう。

そんなCMを見て大の大人が興味をもつのだろうか。

大阪で聴いていたラジオで流れていたCMも似たようなもので、
「みんなぁ、おいでよ~っ!」
と、アニメ声の声優が呼びかけるが、それは結婚式場のCM。

ピカチュウが百貨店の屋上に来るとかキティちゃんがやってくるとか、ヒーロー戦隊が大型スーパーの駐車場で大暴れして悪者をやっつるイベントが開催される訳ではないだろう。

晩婚化が進んでいるというのに新郎新婦となる人の精神年齢が低いのか、そんな呼びかけにつられて式場を決めるような男女には結婚などしていただきたくない。

そんな夫婦に子供が生まれたら近い将来、ほぼ間違いなくモンスターペアレントになり、そのくせ給食費は払わないとか年金未納とかは平気な周りから理解不能な夫婦となるのではないかと余計な心配すらしたくなってしまう。

CMを製作する企業も、それを請け負う広告代理店も、もう少し真剣に話し合い、製品、サービスを提供する相手の対象年齢、性別、利用シーンを熟慮した上でどのようなコンセプトの内容、映像にするのかを決定すべきだ。

こんなことを思っているのは自分くらいなもので、耳がキンキンしそうにかん高いアニメ声で宣伝されても違和感を覚えない人が圧倒的に多いのかも知れないが、そうなったらそうなったで世の中どうなってしまったのかと一抹の不安を覚えたりしてしまう。

キリンが先陣を切って発売し、その後に類似商品がこぞって世に溢れ出すほど人気を博したノンアルコールビールだが、これの対象年齢はどうなっているのだろう。

アルコールが一滴も、0.01%も含まれていないのだから理論的、かつ常識的には高校生が飲もうが小学生が飲もうが誰のとがめも受けるものではない。

子供用のシャンパン風飲料であるシャンメリーでさえ製造メーカーによって 0.4%ほどのアルコールを含んでいるし、甘酒には物によって 8%程度残存しているが、子供が飲んでも法に触れないし親から叱られることもない。

そう考えるとノンアルコールビールだって堂々と飲んでも構わないはずなのに、どういう訳か子供に馴染まないのは大人向けの製品であるのが原因か。

かなりビールに近い味がするらしいので子供が好んで口にするものではないのも一因だと思われるが、ノンアルコールビールの爆破的ヒットに気を良くしたメーカーが相次いで投入したノンアルコールカクテルに至っては単なるジュースでしかないのだから子供も喜んで飲むのではないかと思われるのにCMはあくまでも大人向けだ。

350mlで 120円前後と、価格帯だって普通の炭酸飲料とかジュース類と大きな差はないのだから、これからのクリスマス、年末年始の家族パーティーに向けて子供から大人まで飲める乾杯飲料として大々的に宣伝しても良さそうなものだと思うのだが、どうやらそんな動きはなさそうだ。

それはつまり、各社とも法的には何の問題もないにせよ、ノンアルコールビール、カクテルは大人向けの商品であるという明確なコンセプトを持っているのだろう。

最初に書いた会計ソフトメーカー、結婚式場もそれに見習い、対象年齢を明確にすべきだと思うのは、やっぱり余計なお世話でしかないのだろうか。

日本プロ野球

球団を維持し切れなくなった TBSが横浜ベイスターズの売却を決定し、ネット企業である DeNAの参入に同じくネット企業である楽天の三木谷氏が異を唱えている。

氏曰く、
「単刀直入に、不適格だと思う」
「課金システムがある携帯ゲームのプロモーションをしていいのか」
「これではプロ野球のブランドが下がってしまう」
とのことだが、その DeNAが運営している携帯ゲームサイト 『モバゲー』 と熾烈な闘いを繰り広げている、同じようなゲームサイトの 『GREE』 は楽天が設立時に出資していたはずだ。

もちろん三木谷氏の意向、決済なくして出資などできない訳だから携帯ゲームサイト、そしてそのビジネスモデルを認め、評価した結果なのであろう。

その彼が辛辣なコメントを発すると、球団を所有した宣伝効果で DeNAと GREEの差が大きくなってしまうことを警戒しているのではないかと疑われても仕方がない。

楽天がプロ野球に参入する際、ネット企業というだけで継続性を問題視されるなど忸怩たる思いをしたはずなのだから、同じネット企業を暖かい目で見守ってはいかがだろうか。

ジャイアンツはジャイアンツで、お家騒動から醜態をさらす結果となってしまったが、今回の件に関しては渡辺会長派、清武元GM派、どうでもいい派それぞれに様々な評価があるだろう。

自分は、かなり 『どうでもいい派』 寄りの 『清武元GM派』 と言ったところだが、清武元GMを擁護すると言うより 『ナベツネ大嫌い派』 というのが正確なところか。

渡辺会長には厳然とした力があったのは事実だろうが、それは過去のことであって現在におけるプロ野球ファンのジャイアンツ離れもまた厳然としたものであり、過去の栄光にしがみつくのは老害としか言いようがない。

東北大震災直後のプロ野球で大多数のチームが開幕を延期する方針だったにもかかわらず、ナベツネの一声で通常通りの日程にしようとしたのは彼が非常識なのではなく、現状を把握できていないのが原因だと思われる。

渡辺会長は戦後復興の時と同様、野球で巨人が大活躍すれば大衆は熱狂し、震災からの復興への活力になると信じていたに違いない。

その思考はあまりにも古く、現状のジャイアンツ人気がどれほど低迷しているのかすら知らないことと相まって憐れみすら感じてしまう。

その独裁ぶりから彼の周辺にはイエスマンしかおらず、良い情報は即刻伝わるが悪い情報は耳に入らないという典型的な官僚機構的組織が形成されてしまっているものと思われる。

さらに不思議なのはマスコミ各社の対応だ。

日本最大メディアの頂点に君臨する渡辺会長の影響がどれほどのものか知らないが、彼を論ずる際に必ずと言っていいほど
「政財界にも大きな影響力を持つ」
というフレーズが付与される。

確かにそうかもしれないが、なぜ政界に大きな影響力を持つのか、なぜそれほどの力が彼に集中しているのか、そして、たかが民間企業の一個人が政治に大きな影響を及ぼすことが正しいことなのかに関しては誰も触れない。

そして、その影響力から政治の舞台裏で暗躍したり、球団を支配することが周りから忌み嫌われていることをまったく自覚できていない裸の王様状態であることは、良い情報しか伝えないイエスマンに囲まれている限り続くのであろう。

自覚しないまま人生を終える方が老人にとって幸せかもしれないが。

なんだかんだとゴタゴタ続きのプロ野球ではあるが、個人的にはまた来季の開幕を楽しみにしたいと思うし、少し前の雑感で触れたように阪神タイガースと日本ハムファイターズが日本シリーズで顔を合わせる日が来ることを楽しみに待っていようと思う。

今季は大嫌いな中日が日本一にならないことを祈りつつ。

TPP

環太平洋戦略的経済連携協定、いわゆる TPPの交渉参加がようやく表明された。

農政、医政、その他の団体からの圧力も相当なものだっただろうが、すでに日本は世界的潮流に乗り遅れ、もうすぐ周回遅れになりそうなほどの差がついてしまっているので待ったなしだったのも事実だ。

農業関係者は、それが殺し文句、必殺の呪文でもあるかのように 『農業の壊滅』 を口にするが、このままでは TPPに参加しようがしまいが先細って壊滅してしまうのは時間の問題であり、国からの手厚い保護、補助金目当てのゴネ得を狙っていると疑われても仕方ないだろう。

農業従事者の高齢化、後継者不足から耕作放棄地面積は年を追うごとに広がっているし、日本の人口はピークアウトして今後は減っていく一方なので国内需要が拡大することはない。

以前から雑感で何度も書いているように、日本の国力は低下の一途をたどっているので、世界は日本のことなど眼中になくなるだろう。

中国、インド、ブラジル、そして最近になって注目され始めたバングラデシュ、アンゴラ、ナイジェリアなどが爆発的に経済発展し、同じく爆発的に人口が増加した場合、このままでは日本など二等国、三等国に成り下がり、貧国ゆえに購買力もなく、食料やエネルギーを輸入することすら難しくなる可能性が極めて高い。

その時になって
「関税撤廃するから食べ物ちょうだい」
などと言っても世界から無視されるだけである。

コメ農家が特に声高に農業壊滅を叫んでいるが、関税を撤廃したところで溢れんばかりの米が日本に入ってくることなどあり得ない。

日本の米の総生産量は年間約 900万トンだが、世界中で作られているジャポニカ米はわずか 30万トンにしかすぎず、それをすべて輸入したとしても全体の 3%にしかならないし、欲しくてもそれ以上は手に入らないではないか。

今は日本食ブームで世界各国に寿司バーがあり、その外食産業でもジャポニカ米を必要とすることから、日本には全量は入ってこないだろう。

残りのたかが1-2%を輸入したとして、なぜコメ農家が壊滅するのか疑問だ。

農水省でも農協でも米を作っている時次郎さんでも、その嫁の歌江さんでも誰でもいいから合理的な説明をしていただきたいものである。

医政にしても、新薬の認可が円滑で早くなれば、命を救われたり苦しみから解放される人がそれだけ多くなるのだから患者さんにとって朗報だ。

医療機器が安価に導入できれば中規模、小規模な病院でも最新技術の導入が可能になるかも知れず、それは田舎に暮らす人たちも高度医療を享受できるということでもある。

混合診療が認められたら今まで全額負担をしていた人たちは一部でも保険が適用されるので経済的負担が軽くなるし、高度で高額な医療を受けることを躊躇していた人の命も助かるだろう。

ただし、医者が損得勘定だけで今まで保険適用だった医療行為を適用外にする可能性も否定できないらしいので、それは監督官庁が厳しく規制する必要があるかもしれない。

TPP反対の声を上げ、医療崩壊、医療格差を問題視する人たちの論点はこの一点に尽きる。

つまり、デタラメに保険適用外にすることを禁じさえすれば問題はクリアになるのであり、声を枯らしてまでTPP反対を大声で叫ぶ必要性などないだろう。

医療にしても日本の人口減が続けば患者数も減り、今の病院数、医師の人数は必要なくなることは眼に見えているので、ここはTPPに参加して日本の高度医療をアジアに展開するくらいの気構えを見せるべきだと思う。

TPPに参加せず、このまま工業や生産設備が海外移転を加速させた場合、収入の 70-80%をしめる出稼ぎ、副業ができなくなる農家が続出するものと思われ、そうなれば農地を捨てざるを得なくなるであろうから、どのみち農業は壊滅するのではないだろうか。

変化を恐れず、関税撤廃はビジネスチャンスと捉え、今こそ日本の産業構造を一気に転換させるべきなのではないかと思う。

真性雑感 第三版

真性雑感 ~目次~

● クライマックス・シリーズ

セ・リーグでは阪神が、パ・リーグでは日ハムが早々に負けてしまったので、すっかり興味を失ってしまった。

大阪で暮らしていた名残から、今でもセ・リーグでは阪神タイガースを応援しており、シーズン中はいつも試合結果を気にしたりしているものの、こちらでは試合を中継するテレビが極端に少ないのに加え、チームや選手個人の情報をテレビから得ることができない。

CS放送を受信しているが、タイガース全試合を見られるチャンネルは契約していないし、今は海外ドラマを見まくっているので時間もないのが現実だ。

それに変わって関西地方でのタイガースの扱い並みに情報が氾濫しているのは北海道日本ハムファイターズで、各選手の紹介からインタビュー、練習風景からオフシーズンの過ごし方まで様々な番組で紹介される。

極端なのは 9時前の NHKのローカルニュースで、あの大阪ですら試合結果として阪神の情報から始まりはすれど、その他の試合結果くらいは画面に表示されていたが、北海道のローカルニュースは日ハムの途中経過、結果しか伝えず、他の試合結果には触れもしない。

そこまで大量な情報を流し込まれると必然的に洗脳に近い状態となり、否が応でも日ハムのことは気になり始めるし、試合結果も気になって勝敗に一喜一憂するようになってしまうではないか。

結果、今となってはセ・リーグの阪神、パ・リーグの日ハムを応援するようになっているので、理想としてはクライマックス・シリーズで両チームに勝ち進んでいただきたかった。

しかし、それが現実となってファイナルステージを迎えた場合、どちらのチームを応援したら良いものやら非常に困ったことになるので、あくまでも理想、希望、夢にとどめておいたほうが良いのかも知れない。

● ギリシャ問題

ギリシャのゴタゴタが続いているが、あの国民、政治家も含めて何を考えているのか理解しがたく、とても日本人の感覚では付き合っていられない。

日本も財政危機であり、このままだといつかは破綻してしまうと言われているが、ギリシャの場合は 『いつか』 ではなく、今月中に確定してしまう話しだ。

それでは国も国民も困るだろうから、ユーロ圏の国々が仕方なしに 「助けたるっ」 という結論に至ったのに、「助けてもらうか考えたるっ」 とはどういう神経か。

そもそも、もう国がダメだから行政サービスの質を少し落とさなければならないとか、公務員給与を削減しなければならないのは自明の理であり、確かに国家財政をそこまで悪くした無能な政治家に腹も立つだろうが、これが日本であればブツブツ文句を言いながらも全国民が同じ痛みを分かち合うのであれば仕方がないとあきらめ、財政再建案を呑むことだろう。

ところが徹底した個人主義であるヨーロッパ、そのギリシャ国民は身を削ってまで協力する気はさらさらないようで、「給与を減らされてたまるか」 「年金カットなんぞふざけるな」 「人員削減などもってのほか」 と大暴れする始末。

しかし、これを対岸の火事、他人事と見る訳にはいかない。

国の借金をアホほど増やした政治家を選んだのはギリシャ国民だと、冷笑できる立場に日本は置かれていない。

同じように無能な政治家を選んでいる以上、このままであれば、5年後、10年後には日本も同じ道をたどるかもしれない。

● 大阪ダブル選挙

橋下知事が辞任して大阪市長選に出馬するという件に関しては、失礼ながら野次馬的に、そして壮大な実験として興味を持ちつつ遠く北の大地から見つめている。

橋下氏が知事になったのは我が家が大阪を離れてからのことであり、実際に大阪府民の生活がどう変わったのか、意識がどう変わったのか実感できていないし詳しいことは分からない。

知事と市長の喧嘩というか、やり合いに関しては、ことあるごとに報道されていたので知っているし、それに対しては野次馬的に 「やれやれぇ~!もっとやれぇ~!」 などと面白がりつつ傍観していた。

橋下氏の掲げる大阪都構想が正しいのかどうなのかは分からないが、何らかの革命を起こそうとしたとき、官僚はどう動き、有権者はどう行動するのか。

そしてその革命、大変革は成功するのか否かという壮大な実験には大きな関心があり、その行く末をしっかりと見ておきたいとの願いから、橋下氏が市長になってほしいと思っている。

もし、大阪を舞台に革命が成功するのなら、日本自体が変わることも不可能ではない。

変革者が現れ、政治を根本から変えて官僚システムを破壊してくれることを期待することができるのではないかという希望が持てるだろう。

大阪でのそれが成し得なかった場合、やはり日本は変われないとあきらめ、財政破綻する前に国外への脱出を真剣に検討したいと思う。

食欲の秋

北海道はすでに冬の一歩手前といったところだが、全国的にはまだまだ良い季節であり、食欲の、そして味覚の秋が真っ盛りだ。

夏の暑さはそれほど辛くなく、夏バテなどありえない土地柄であるため、食欲が落ちることもないし、そもそも大阪で暮らしていた頃も暑さで食べられなくなったのは最初の二年だけで、それ以降の 11年間はどんなに気温が上がろうと、どんなに猛暑日、熱帯夜が続こうと食欲の衰えは見られず、元気にモリモリ食べて夏やせとは無縁の生活を送っていたくらいなので、北海道程度の暑さで食事がノドを通らなくなるようなダメージを受けるはずない。

それなのに食欲の秋は確実にやって来る。

北海道に帰ってくると、やはり水が合うのか食べるものが何でも美味しく感じられ、いつも腹一杯になるまで食べ続けたことと、2008年7月28日から始めた禁煙によって見事なまでに体重は増加の一途をたどり、この 3年8カ月の間に 10キロも肥えてしまったので、食欲が増進されては困ってしまう。

それでもやっぱり食欲の秋はやって来る。

定期的に診断を受けている病院でメタボ予備軍の烙印を押され、これ以上の体重増加を阻止せよとの厳命を受けてしまい、少しは体への気遣いしなければいけない自分とともに、『お買い物日記』 担当者も大きな病気をした後の経過観察で担当医から、あまり体重を増やしてはいけないと警告されているのだ。

それなのに食欲の秋はヒタヒタと迫り来るのである。

全国的に有名な秋の食材といえば松茸だが、もともと北海道で自生する数が多くないのか、子供の頃に食した記憶など皆無であるし、大人になってからも友人、知人、職場でも話題にすらならないほど馴染みが薄かった。

したがって、松茸に秋を感じることもないし、高級食材であって簡単に入手できる代物でもないので永谷園の松茸の味お吸い物があれば十分なのではあるが、それでも大阪で数回、そして去年の秋と、何度か購入して食卓を豪華な雰囲気にしてみたが、やはりそれほどのありがたみも感動的な美味しさも感じることはできず、たまの外食で一切れ、二切れ程度を口に入れる程度で良いのではないかと実感する。

そして、子供の頃は秋だからといって栗を食べることもなく、この季節に栗ご飯を楽しむようになったのは大阪で知り合いの方から立派な栗をいただき、それを食べるようになってからのことだ。

北海道では秋鮭にサンマ、ジャガイモ、玉ねぎ、カボチャなど、数えきれないくらい豊かな食材に囲まれ、地物なので味が濃く、輸入物や他府県で採れるものより価格も安いという実に恵まれた環境に身を置くとになるので、体調による食欲の増進ではなく味と値段による味覚の秋となる。

それでも最近は食事の量を控えるようになった。

『お買い物日記』 担当者と相談した結果、いい歳をして、いつまでもバクバクと腹一杯になるまで食べている場合ではないという結論に至り、まずは米の量から減らすことにしている。

その量 170グラムだったものを 120グラムと、実に 50グラムの減量となった訳で、その初日に盛られた量を見てあまりの少なさに愕然としてしまったものだ。

食後も何だか食べた気がせず、物足りなさを感じずにはいられなかったが、人間というのはすぐに順応するもので、慣れるのに三日を要しなかった。

今ではそのグラム数で満足であり、一定の満腹感を得られている。

そして休日に多く食べる麺の量、こちらも少し減らすようにはしたが、二人で 250グラムを一度に食べていたものを 50グラム減らしてはみたものの、普通は一人前が 80グラムくらいなので、まだ減らし足りないだろう。

しかし、急激に減らすのも精神衛生上よろしくないので徐々に少なくしていけば良いと思ったりしているところだ。

そんなこんで米や麺の量は減らすようにはしているものの、今の季節はジャガイモやカボチャなどが美味しく、それらには炭水化物が多く含まれるので相殺されてしまっているに違いない。

いや、減らさなければその分だけ多く摂取することになるので意味はあるのか。

とにかく、今の季節は食欲を抑えるのが困難であり、誘惑があまりにも多くて困ってしまうのは確かなことなのである。

今を生きる幸運

約42年間に渡って独裁していたカダフィ大佐が死亡するというかたちでリビアの社会主義が崩壊し、人民はみずからの手によって自由主義、民主主義を手に入れることになった。

思えば今を生きている我々は、多くの、そして決して小さくない様々な歴史的事実を目撃したことになる。

この世に生を受けても残念なことに短命で終わり、世の中の事象の多くを知らずに他界する人もいる中、歴史教科書に記されるであろう事実に立ち会えたことを、それが例え不幸なことであったにせよ大きな意味があるように思う。

例えば昭和天皇が崩御され、年号が平成に変わったこと一つをとっても、1926年(元年)12月25日から 1989年(64年)1月7日まで約63年間続いた昭和という時代に生まれ、年号が昭和のうちに亡くなった人も大勢いるだろう。

そう考えると天皇陛下が亡くなったときに国はどう動くのか、どのような行事があるのか、新天皇はどのようにして即位されるのか、また、その時に執り行なわれる儀式はどのようなものか、そして、年号はどのようなプロセスで決定され、それがどのように伝えられるのかなど、様々なことを体験し、生き証人として後世に伝えることができる。

天皇が亡くなるというのは悲しい出来事ではあるが、それを機に貨幣に記される年号が変わったり、事務書類の年号が新しいものに変わるため印刷業界が特需に湧いたり、新年号にちなんだ様々な商品が開発されたりして世の中に活気が出るのも紛れもない事実だ。

西暦が 1千年代から 2千年代にへと変わるミレニアムにも立ち会えた。

コンピュータは西暦の下二桁でしか年をカウントしていなかったので、00年になれば 1900年と解釈してしまうことによって様々な障害が発生することが予想され、その影響は人工衛星や軍事関連の機器にまで及び、誤作動によって核ミサイルが発射されるのではないかとか、飛行機の自動操縦が不能になるとか、衛星が地球に落下するのではないかという、ありもしない噂が飛び交い、世の中を大混乱させた 2000年問題も今は昔。

西暦で100年が経過し、20世紀から 21世紀になる瞬間にも立ち会えた。

21世紀には科学技術が飛躍的に発達し、人類は空飛ぶ車に乗って移動したり気軽に宇宙旅行したりしていると昔の人は予想していたようだが、四輪の自動車が排気ガスを撒き散らし、大気を汚しながら移動しているのが現実であり、最近になってやっと電気自動車が量産化されるようになった程度だし、その車が使う電気エネルギーは化石燃料に依存しているのが現状だ。

コストの安い夢のエネルギーのように言われていた原子力は、結局は人類の手におえるものではなく、人間が制御することなど不可能ではないかと思い知らされることとなっている。

その原因となった大地震も何百年に一度しか経験できないことだ。

できれば経験したくはなかったが、今の時代にそれが起きてしまったことも客観的事実として受け止めなければならないだろう。

そして、それにともなう大津波も数百年から千年に一度の規模だった。

これら不幸な出来事も回避できるものならそれに越したことはないが、大昔に起こったことが文献でしか残っていないのと異なり、正確な観測、測定データとして後世に残せるし、それを基に研究が進んで予測精度が向上して将来は的確な情報伝達、避難指示ができるようになることだろう。

話を最初に戻してカダフィ政権の崩壊、それに限らず中東で起こっている様々な民主主義運動が実を結べば、それは歴史的に見て大きすぎるほど重大な出来事だ。

鉄の掟に守られていたかに見えたソビエト連邦の社会主義の崩壊、ベルリンの壁崩壊による東西ドイツの統一も、それを待ち望んで活動していたにも関わらず、残念ながら命がついえてしまった人たちに見せてあげたい歴史の 1ページだった。

約76年周期で地球に接近するハレー彗星も見ることができたし、2003年には 6万年に一度という火星の最接近を経験できた。

昨今のような激変の時代を生きるのは容易なことではないし、辛いこと、苦しいことも数多くあるが、ここで挙げたことだけではなく、まだまだ何百年、何千年、何万年に一度の事象を体現することができている。

それは、他の時代を生きた人たちより多くの経験をできた分だけ幸せだったのかも知れないと思うようにしている。

ラジオ体操

先日の独り言にも書いたが、運動不足解消を目的として10月11日からラジオ体操を始めた。

いや、正確には再開したと言うべきだろう。

確か 2007年の終わりごろから 2008年の初めにかけて平日の毎日ラジオ体操第一を実施していたが、急な引越しの準備で忙しくなったことと、体操などしなくても十分に体力を消耗しているという理由で止めてしまったはずだ。

北海道に帰ってきてからも義兄が亡くなったり、『お買い物日記』 担当者が大きな病気を患うなどバタバタしており、あっという間に三年半が過ぎてしまったので、すっかりラジオ体操のことなど忘れていたのである。

平日のみではあるが、朝の散歩は悪天候でない限り続け、たまにサボったりもするが我流の柔軟体操も週に2度のペースで続けている。

さらには昼食後に 5分程度の運動も行なっているが、一般的なビジネスパーソンと比較して通勤のために歩くこともなければ外回りの仕事をする訳でもなく、運動不足を避けることができない。

実際にはマイカー通勤で歩くこともなく、内勤で朝から晩まで机の前に座りっぱなしという人も少なくないだろうが、だからと言ってこのままで良いわけがないだろう。

おまけに2008年7月28日から禁煙を開始し、それが今でも続いているのは良いのだが、デトックスも進んで体内の毒素が減少したため、解毒のためのカロリー消費が必要なくなって、その消費されなくなったカロリーが一方的に脂肪として蓄積されたことと、北海道に帰ってきてから食べるものすべてが美味しく、無限の食欲を抑制するのが困難であったことが相まって体重は増加の一途をたどり、大阪で生活していた頃より 10キロも肥えてしまった。

当然のことながら胴回りも大きくなり、年末に受けている健康診断で見事にメタボ予備軍という不名誉な称号を与えられてしまったし、2004年11月15日に在宅ワークを始めるまで着用していたスーツのパンツがパッツンパッツンになってしまい、「ふんっ」 と力を入れればボタンがすっ飛びそうな状態なのである。

力を入れて上着が裂けるのであれば北斗の拳のケンシロウみたいで自慢にもなるが、腹の圧力でパンツのボタンが飛んだりケツが裂けたりするのは無様としか言いようがない。

そこで体の引き締めと運動不足を解消するためにラジオ体操を再開したのである。

本気のダイエット目的であれば、少し前に流行ったものの今となっては大量の中古DVDが出回り、価格が暴落していると予想される 『ビリーズブートキャンプ』 とか、今流行りの 『カーヴィーダンス』 を実践するところであるが、主目的は運動不足の解消であるし、一度に過激な運動をしたら痩せるどころが大怪我をするか心臓麻痺を起こす危険性があるので、ここは子供からお年寄りまで誰でもすることができるラジオ体操から始めるべきであろうと判断した訳だ。

しかし、その判断はやはり正しかったようである。

たかがラジオ体操、されどラジオ体操。

子供の頃みたいに適当に体を動かすのではなく、テレビの中の体操のお姉さんのように手や足を伸ばすところは伸ばし、曲げるところは曲げ、かかとを上げて背伸びするところまで忠実に体を動かすと、それはかなりの運動量であることが分かる。

さらには頭の中にある自身の体力、筋力と実際のそれが大幅に乖離しており、忠実に体を動かしているとピアノ演奏について行くのがやっとで、時には必死に動かさなければリズムに乗り遅れそうになってしまう。

ピョンピョン跳ねるシーンでは、体重増加と筋力の衰えが見事に露呈し、自分が想像する 1/3程度の高さまでしか飛ぶことができない。

約4分間の体操が終わる頃には息も絶え絶えとなり、終わり近くの手足の運動で 「呼吸を整えましょう」 と言われるが、まだ体を動かしている途中で息が整うはずもなく、思わず 「整うかいっ!」 と文句を言いたくなる。

そして最後の深呼吸が終わると、その場に倒れ込みたくなるほどの疲労感に襲われ、深呼吸しても 「ハアハア」 している息を整えるのに必死だ。

たかが 4分間の、たかがラジオ体操を実施しただけなのに翌日からは見事な筋肉痛に襲われ、散歩をしていても食後に立ち上がるのもトイレで立ち上がるのにも太ももの裏がピシピシと音を立て、「イデデデェ~」 と声が出てしまう。

自分がいかに運動不足であったか、そして、いかに老化が進んでいるかを思い知らされ、間違っても 『ビリーズブートキャンプ』 には手を出すまい、いや、そんなことをしたら死んでしまうと実感することができた。

これから当分はラジオ体操の第一と第二を交互に続け、体が慣れてきたら第一、第二を通しで行えるようにするのが短期目標だ。

一年後には少なくとも胴回りが 2センチくらい減っていることを期待しつつ。

デジタル化の波 Signal-10

デジタル化の波 ~目次~

Appleのスティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。

まばゆいばかりの光を放ち、Appleという組織、そしてコンピュータ業界、人々の暮らしさえも未来に導いてくれた巨星だ。

その、あまりに強い輝きを道しるべとしていた Appleは、今後どこに向かうのか。

進むべき方向を自力で見つけられるのか。

経営理念のひとつである 『顧客に最高の体験をさせよう、驚かせてやろう』 の精神に基づいて数々のヒット商品を生み出し、確実に世の中を変えてきた影響力を、今後も維持していくことは可能なのだろうか。

携帯音楽プレーヤー 『iPod』 では音楽マーケット、流通を一変させ、消費者の購買ルートから音楽の楽しみ方、生活パターンまで変えてしまったし、高機能携帯電話 『iPhone』 の登場によって業界の勢力図にも変革が起きた。

そしてタブレット型端末の 『iPad』 の登場で出版業界まで変革の波にもまれ、時代の変革に取り残された出版社は淘汰の荒波に襲われている。

Appleは以前から他社と一線を画していた。

1984年1月に発売されたパーソナルコンピュータ Macintosh(マッキントッシュ)は、当時からすでにアイコンとウィンドウ(窓)からなるGUI(グラフィカルユーザインターフェース)を採用した OSで稼働していたのは驚くべきことだ。

現在主流となっている、いわゆる Windowsパソコンは、その当時は文字(コマンド)入力によってパソコンに命令して実行させる、とても分かり難い操作を強いられるものだった。

Microsoftがアイコン、ウィンドウによる操作を可能にし、速度的にも何とか使い物になる OSを発売したのは 1991年の Windows 3.0、世の中に認められたのは 1993年の Windwos 3.1、そして、広く世に知れ渡るようになったのは 1995年の Windows 95になってからである。

つまり、Appleは Microsoftより 10年は先を行っていた訳だ。

そして今、文章から写真、音楽、動画までデジタル化され、それを利用するための端末機器のありようが問われている。

より便利に、より簡単に誰でもが自由に使えるものが必要だ。

技術力を誇示するあまり、顧客の利便性をないがしろにしてきた日本企業は大きく方向転換しなければ世界を相手に生き残るのは難しいだろう。

Appleを見習い、顧客である我々に最高の体験をさせてほしい、驚かせてほしい。

そして、Appleも独創性を失うことなく、スティーブ・ジョブズ氏が見据えていた未来に向かって、これからも躍進していただきたいと思っている。

記憶 Memory-08

過去の記憶

3歳になるまで、両親とも勤めていた電電公社(現NTT)の官舎暮らしをしていた。

木造二階建てで1棟3-4世帯が住める社宅が10棟以上は並んでいたと思われるので、その一角には100人前後の住人がいたのだろう。

当時は今のように少子化が進んではいなかったし、幼児教育などという概念もなく塾通いしている子供など皆無であり、過保護な親も少なく子供は外で遊ぶのが当然だったので、中央に位置する公園に行けば必ず誰かと遊ぶことができたものだ。

そして、そこには幼児から小学生、中学生までおり、年上の子供は小さな子供の面倒をよくみていたので、親たちも安心して放っておくことができたのだろう。

自分は当時中学生だった女の子にいつも面倒をみてもらっていたらしく、彼女の顔は今でも薄っすらと記憶に残っている。

正確な名前も苗字も知らないが、『りっちゃん』 と呼んでいたはずなので、リエコさんとか、リツコさんという名だったのだろう。

そして、年下の女の子の記憶もあり、今でも鮮明に思い出すのは夏の陽射しの暑い日にベランダ座って二人でスイカを食べているところだ。

今から思えば親が自分の子供より他人の子を褒めるのは社交辞令的にも当然のことであるが、幼児にそんな大人の事情が理解できるはずもなく、とても悔しい思いをした記憶がよみがえる。

自分はスイカを頬張って口の周りから胸元まで果汁でベトベトにしていたのだが、その子はスイカに口をつけてチュウチュウと果汁を吸いながら食べるので顔も体も汚れることがない。

それを見た母親が
「本当にジュンちゃんはスイカを食べるのが上手だね」
と褒め称え、
「それにひきかえ、お前はどうしてベトベトにして食べるのっ」
と文句を言う。

自分は褒められて伸びるタイプで叱られたり小言を言われると反発するかふてくされたりするが、一応は彼女の真似をして果汁をチュウチュウ吸ってみたりしてみても、どうもまどろっこしく、シャウシャウと一気に食べたいという欲求が勝り、結局は顔も体も果汁だらけにしたりしていた。

ある日、その女の子の父親が事故で亡くなった。

子供の耳にまで届いてきた噂では、酔って線路で寝込んでしまい、電車にはねられたのが死因らしいということで、遺体の損傷が激しくまだ頭部が見つかっていないということだった。

当然、それは尾ひれを付けて子供同士が伝えあった話しなのだろうが、友達何人かと集まって悲しそうにしていた女の子を連れ、彼女のお父さんの頭を探してあげようということになり、ゾロゾロと線路の上を歩いているのが大人に見つかってしまい、こっぴどく叱られたのも深く記憶として刻まれている思い出だ。

その後、彼女は引っ越して行き、今どこで暮らしているのか分からない。

そして、我が家もその社宅から引っ越すことになり、いつも遊んでいた友達とも疎遠になったのだが、同じ学区内だったので小学校で再会したものと思われる。

しかし、その記憶がまったくないので、3歳で越してから小学校に入学するまでの3年間ですっかり忘れてしまったのであろう。

お互い、実に薄情な奴らだと、今になって思ったりしているところである。

自分解体新書 - 7 -

自分解体新書 ~目次~

■ 歯

以前はろくにメンテナンスにも行かなかったのでボロボロであったことは過去の歯医者に関する雑感で述べたとおりだ。

大阪では半年に一度の割合で検査してもらい、ついでに歯石を取り除いて汚れの除去もしてもらっていたが、『お買い物日記』 担当者の病気以降は歯医者に通うタイミングにズレが生じてしまい、今年の 6月は検査を受けずじまいになっている。

また、加齢と共に歯そのものと歯茎が弱り始め、定期的どころか頻繁に歯医者に通う必要があって余計に検査目的だけで行く機会を失ってしまった。

もう9月も終わりに近づいていることであるし、年末に検査を受けに行くことにしようと思う。

■ 鼻毛2

『お買い物日記』 担当者に言われて初めて気がついたのだが、どうやらヒゲだけではなく鼻毛も人より薄いらしい。

ある日のこと、あまり鼻毛を切りすぎてはいけないと注意された。

『お買い物日記』 担当者が大病をして化学療法を受けていた時、薬の副作用で全身のありとあらゆる毛が抜け落ちた。

鼻毛も抜けてツルツル状態になった時、障害がなくなった鼻水は迷うことなく一気に移動し、すする間もなく次から次へと流れでてきて困ったのだそうだ。

が、しかし、言われるほど鼻毛の処理はしていない。

人に不快感を与えない程度、鼻の穴からチョロリとでも見えそうになったものは切るようにしているが、必要以上には手を入れていないはずだ。

そう言われて鏡の前に立ち、思いっ切り鼻の穴をおっぴろげて中を見てみると、太くて立派な鼻毛は数本しかなく、地肌と鼻の奥が丸見え状態になっている。

どうやら圧倒的に本数が不足しているらしいことが、この歳になって判明した。

■ 頬(ほほ)

すでのオッサンであるから仕方のないことであるが、頬には見事なほうれい線が刻まれている。

しかし、これがいつ出現したのか定かではない。

もう何年も前からあるのは自覚しているが、いつごろから出始めて、いつごろから深い谷を形成し始めたのかということに関してはまったく無自覚だ。

仕事で疲れたある日、ふと鏡を見て自覚したときには顔面にカタカナの 『ハ』 の字がくっきりと浮かび上がり、二度と消えることなく居座り続けていたりするのである。