記憶 Memory-08

過去の記憶

3歳になるまで、両親とも勤めていた電電公社(現NTT)の官舎暮らしをしていた。

木造二階建てで1棟3-4世帯が住める社宅が10棟以上は並んでいたと思われるので、その一角には100人前後の住人がいたのだろう。

当時は今のように少子化が進んではいなかったし、幼児教育などという概念もなく塾通いしている子供など皆無であり、過保護な親も少なく子供は外で遊ぶのが当然だったので、中央に位置する公園に行けば必ず誰かと遊ぶことができたものだ。

そして、そこには幼児から小学生、中学生までおり、年上の子供は小さな子供の面倒をよくみていたので、親たちも安心して放っておくことができたのだろう。

自分は当時中学生だった女の子にいつも面倒をみてもらっていたらしく、彼女の顔は今でも薄っすらと記憶に残っている。

正確な名前も苗字も知らないが、『りっちゃん』 と呼んでいたはずなので、リエコさんとか、リツコさんという名だったのだろう。

そして、年下の女の子の記憶もあり、今でも鮮明に思い出すのは夏の陽射しの暑い日にベランダ座って二人でスイカを食べているところだ。

今から思えば親が自分の子供より他人の子を褒めるのは社交辞令的にも当然のことであるが、幼児にそんな大人の事情が理解できるはずもなく、とても悔しい思いをした記憶がよみがえる。

自分はスイカを頬張って口の周りから胸元まで果汁でベトベトにしていたのだが、その子はスイカに口をつけてチュウチュウと果汁を吸いながら食べるので顔も体も汚れることがない。

それを見た母親が
「本当にジュンちゃんはスイカを食べるのが上手だね」
と褒め称え、
「それにひきかえ、お前はどうしてベトベトにして食べるのっ」
と文句を言う。

自分は褒められて伸びるタイプで叱られたり小言を言われると反発するかふてくされたりするが、一応は彼女の真似をして果汁をチュウチュウ吸ってみたりしてみても、どうもまどろっこしく、シャウシャウと一気に食べたいという欲求が勝り、結局は顔も体も果汁だらけにしたりしていた。

ある日、その女の子の父親が事故で亡くなった。

子供の耳にまで届いてきた噂では、酔って線路で寝込んでしまい、電車にはねられたのが死因らしいということで、遺体の損傷が激しくまだ頭部が見つかっていないということだった。

当然、それは尾ひれを付けて子供同士が伝えあった話しなのだろうが、友達何人かと集まって悲しそうにしていた女の子を連れ、彼女のお父さんの頭を探してあげようということになり、ゾロゾロと線路の上を歩いているのが大人に見つかってしまい、こっぴどく叱られたのも深く記憶として刻まれている思い出だ。

その後、彼女は引っ越して行き、今どこで暮らしているのか分からない。

そして、我が家もその社宅から引っ越すことになり、いつも遊んでいた友達とも疎遠になったのだが、同じ学区内だったので小学校で再会したものと思われる。

しかし、その記憶がまったくないので、3歳で越してから小学校に入学するまでの3年間ですっかり忘れてしまったのであろう。

お互い、実に薄情な奴らだと、今になって思ったりしているところである。