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カワイイの定義

日本語のカワイイ(可愛い)が世界共通語になりそうな勢いで広まっている。

しかし、日本語の持つ機微、情緒的な意味合い、あいまいなニュアンス、極めて感情的であり非論理的であって実に包括的な表現法を世界の人は理解できるのだろうか。

現在はフリフリのスカートとかを着こなすファッション、日本発のゆるキャラ、アニメキャラなどを 『KAWAII』 と表現しているが、日本語の 『カワイイ』 はもっと広範囲に及ぶ。

赤ちゃんや子犬、子猫のみならず、普段は好かれないオッサンであっても何かに照れたりする姿を見てカワイイと言うし、自分より何倍もの年月を生き抜いているお婆ちゃんでさえ、その仕草や笑顔などを見てカワイイと言う。

それが爬虫類であっても野菜であっても見かけや形状によってはカワイイと言われる。

それは車のデザイン、コロッと小さなものから妙にズングリした軽トラも対象になるし、携帯電話やパソコンにも範囲は広がるだろう。

また、顔立ちが整っているのがカワイイの絶対条件ではなく、多少は造作に難があってもカワイイの対象になることがあり、具体例としては天童よしみ、森三中の村上知子などが挙げられる。

つまり、cute(キュート)とか pretty(プリティー)ではカバーしきれない範囲のものを含め、すべてがカワイイの対象となり得るのだ。

それを使うのは主に女性、それも若い女性であり、感受性が豊であるからこその受け止め方かも知れないが、それはすでに一般化しているようで、自分のようなオッサンでさえ何かを曖昧にカワイイと思うことがある。

それは例えばジャガイモでも良く、何の変哲もない単なるイモではあるのだが、何個かに一個、プクッと丸くて妙に可愛らしい形状をしたものが存在するのは事実だ。

独り言にいつも書いているように朝の散歩で出会う小学生などは文句なくカワイイし、公園に住むスズメも散歩する犬も池で泳ぐカモもみんなカワイイのは当然だが、人間も含めた動植物に限らず、無機物にすら可愛らしさを感じてしまう。

日本には擬音語、擬態語というものがあり、曖昧な表現が可能だった。

心の動き一つをとっても、いらいら、むかむか、どきどき、わくわく、はらはら、ぞくぞく、うきうき、いそいそ、そわそわ、おどおど、びくびく、おろおろ、まごまご、あたふた、くよくよなど多言語では表現が難しい。

そういう微妙な感覚と同様にカワイイは日本人の頭や心の中を漂い、実にゆるやかな状態で流れているように思う。

そのどこまでを海外の人が理解できるのだろうか。

AKB48を代表とする秋元康プロジェクトの面々が身に着けているような制服チックなファッション、メイド服、アニメキャラのコスプレだけを対象にカワイイという言葉が流通した場合、日本人がどいういう目で見られるのか心配だ。

1億総ヲタク文化、ロリコン社会だと受け止められてはたまらない。

しかし、日本人の持つ独特な感覚の表現法を世界に伝えるのは、どんなに努力しても困難極まりなく、カワイイは世界でひとり歩きしてしまうのだろう。

若気のいたり

水曜日の独り言にも書いたが、今週の北海道は日本ハムファイターズからメジャーに移籍するダルビッシュの話題で持ちきりになっており、新聞の一面を飾るわ、テレビのトップニュースになるわ、北海道ローカル番組の時間を独占するわの大騒ぎだ。

全国放送のワイドショー系番組でも多くの時間を割いて扱われていたのでダルビッシュが並大抵の投手ではないということなのだろう。

そして、その番組でも新聞紙面でも記者会見の内容を好意的に扱っているし、コメンテーターの中には会見を見てファンになったという人までいた。

しかし、彼の発言内容を冷静に分析すると、ともすれば周りに多くの敵を作ってしまうような危険性をはらんでいるように思う。

「他のチームがダルビッシュ相手だと最初からあきらめムードで真剣勝負にならず、野球をやる上でモチベーションを保つのが難しかった。」 という内容の発言を乱暴に短く直訳すれば、「俺って凄すぎるからもう日本に敵はいないし相手はカスばっかりだもんね」 と言っているに等しいのではないだろうか。

「日本人選手の評価が低くなったことについて日本の野球が下に見られているのも嫌だった」 との発言も 「最近はろくな奴がメジャーに行ってないし、ぜんぜん活躍できてないから日本人がナメられるんだよね」 と訳せる。

この二つの発言を踏まえ、「だから日本のチームを相手にしててもしゃーないし、ちょっくらメジャー行って俺が実力見せつけてやるからさっ」 というのが移籍の理由というように解釈できるなどと考えてしまう自分はひねくれ者なのだろか。

血気盛んな若者が一応は考えて発した言葉なのだろうし、それが移籍を決めた本当の理由なのかもしれないが、日本で活躍している選手、すでにメジャーに移籍し、なかなか結果は残せなくてマイナー落ちしても歯を食いしばって頑張っている選手への配慮が足りないように思う。

こんなことを思うのは自分がすっかり歳をとってしまったからだろうが。

自分も 25-6歳の頃は生意気盛りであり、仕事の先輩、上司に平気で噛み付いていたし、言いたいことを一枚のオブラートにも包まずダイレクトにぶつけていた。

当時の諸先輩方は自分を扱いにくかっただろうし、上司にも迷惑をかけていたことだろうと今になって深く反省する次第である。

トラウマ

様々なことがトラウマ、すなわち心的外傷として残ってしまうことがある。

耐え難き体験が引き金となって何かと関連付けられ、当分の間は克服できていない苦い思い出として残ってしまったり、似たような状況に遭遇した際に極端な拒否反応を示してしまう。

おぼれた経験から川や海に近づけなくなったり、水に顔をつけられなくなったりするのが一般的な事例だろう。

お買い物日記』 担当者は歩道橋の手すり近くや川にかかる橋の欄干のそばのように下が見える場所を歩くのを嫌がるし、高さに関係なく、深さ 5センチ程度の小川の対面に渡るように設置された敷石ですら渡るのを躊躇する。

以前まで住んでいた実家の裏に小川が流れていたのだが、子供の頃その川に何度か落ちたことがあるらしいので、それがトラウマとなって今でも克服できずにいるのだろう。

何かをきっかけに、それまで好物だったものが食べられなくなったりすることもある。

近年ずっと健康食ブームは続いており、米に雑穀などを混ぜて食べる家庭も多くなってきているだろうし、我が家でも米に様々なものが配合され、いったい何穀米なのか分からない状態になっているが、祖母はその雑穀などを口にすることはなかった。

雑穀ではなくても、蕎麦屋のメニューにある麦とろですら麦飯が嫌だといって食べないし、その麦を混ぜたご飯も嫌がった。

戦時中、終戦直後の日本は食糧難で一般市民は米を調達することが困難となり、ヒエやアワ、麦などを混ぜて食べていた記憶がトラウマとなって匂いをかぐだけで吐き気がするのだそうである。

同じ理由から、いも団子、かぼちゃ団子も食べなかったし、鍋のあとの雑炊も口にしなかった。

それぞれ戦争当時によく食べさせられたもので、雑炊などは雑穀ばかりで米が 10粒くらいしか入っていなかったという思い出ばなしを耳にタコが 26個ほどできるくらい聞かされ、こっちまでトラウマになってしまいそうな気分になったものだ。

『お買い物日記』 担当者は数年間ほどバター醤油味の和風パスタが食べられなかった。

大阪に暮らしていたある日の午後、持病とも言える偏頭痛の症状が現れたのだが、まだ悪化していなからと普通に食べた晩御飯が和風パスタだった。

今は少し症状が軽減しているが当時の偏頭痛はひどいもので、発症すると起きてはいられないほどの激痛と嘔吐感で三日間はまともな生活ができずに寝込んでしまうほどであり、完全に回復するまでに 4-5日の期間を要したのである。

そして、その日は和風パスタを食べ終わった直後に嘔吐感に襲われ、トイレに駆け込んで戻してしまい、その時の経験がトラウマとなって口にすることができなくなってしまっていた。

それを克服して美味しく食べられるようになったは北海道に戻ってきてからのことで、時に 2009/04/25のことである。

そして自分はソース焼きそばがダメだった。

若いころに入りびたっていた喫茶店は国道沿いにあり、変則的な信号機が設置されている交差点のすぐそばであったこともあって店の前の道路では頻繁に交通事故が発生していた。

それは年に 3-4回は発生するというほどの危険地帯であり、車の接触事故など日常茶飯事、死亡事故も毎年のように起きるような劣悪な環境だったのである。

ある日の夜、店のカウンターで焼きそばを食べていると外から激しいブレーキ音とドスンという鈍い音が聞こえてきたので、また例によって交通事故だと店を飛び出してみると、すぐ目の前に作業着姿の男性が倒れていた。

大丈夫かと駆け寄って顔を見ると、頭がパックリ割れて脳が飛びてているという悲惨極まりない状況で、それを見た瞬間に胃の中にあった焼きそばをすべて吐きだし、それがトラウマとなって焼きそばの匂いをかぐだけで嘔吐感に襲われるなってしまったのは言うまでもない。

そのトラウマは長く続き、再び食べられるまで 10年以上の期間を要したと記憶している。

色々な事情はあれど、何らかのトラウマで特定のものが食べられないという人もいるだろうし、それを無理して口にする必要などないとも思うが、以前は好きだったものが食べられないのは不幸なことだ。

しかし、そんなことでも時は解決してくれる。

いつか必ず美味しく食べられる日が訪れるに違いない。

自分解体新書 - 8 -

自分解体新書 ~目次~

■ 舌 -その 2-

以前にも触れたことがあったと思うが、バリバリの猫舌である。

今は少しだけ慣れ、ある程度の熱さのものは口に入れられるようになったが、以前は本当に苦手で酒の燗のように何でも人肌が一番旨いと思っていた。

冷たい食べ物は別だが、熱いものを口に入れても噛むことと呑み込むことに必死で味わってなんかいられない。

その食材、料理を存分に味わうためには無抵抗で食べることができる人肌の温度くらいが良いのである。

今はあえてゆっくり食べるようにしているが若い頃は早食いで、食事など10分程度で終わっていたが、これが熱々の料理だとそうはいかない。

ラーメンなど食べるときは必死にふーふーしすぎてクラクラすることもある。

一人で食べたり友人、家族との食事であれば時間がかかろうがふーふーしすぎで酸欠になろうが大きな問題はないが、仕事関係の人との食事であればそうはいかない。

熱さを必死に我慢し、相手のペースに合わせて食べることになるので口の中はボロボロになる。

猫舌の場合は普通の人が何ともない温度の食べ物であっても舌や口の中を火傷し、ベロベロと皮がむけてきたりするのが不思議だ。

■ のど

年齢のせいなのか酒焼けしたのか、声が出ずに音域が狭まった。

もう10年以上もカラオケをしていないが、以前は歌えていた曲も声が出ないと容易に想像がつく。

やはり声帯も鍛錬が必要なのか、声を出さずにいるとどんどん弱くなるようで、独り言にも何度か書いたように仕事の打ち合わせで 1-2時間ほど話し合うと声がガッサガサに枯れてしまう。

逆にまったく声を出さずに過ごすと声が出なくなることも経験済みだ。

お買い物日記』 担当者の病気治療中、家に一人でいることが多かったが、その間は誰と話すこともない。

『お買い物日記』 担当者との連絡はメールのやり取りだったので声を出す必要がない。

朝起きてから就寝まで一言の声も発しないことなどザラだったが、荷物の配達だったり隣家の人が回覧板を持ってきたりしたときに返事をしようとすると、声がかすれまくって 30メール先で森進一がささやいているような状態になってしまう。

やはり人というのは適度に話しをしなければいけないのである。

■ 肩

ここ一カ月間ほどずっと右肩が痛い。

ただし、四十肩とか五十肩のたぐいではないようだ。

なぜなら鎖骨の延長上にある骨の一部が痛いだけで、関節というのでも筋肉というのでもないピンポイント的な一箇所だけなのである。

湿布してみても改善しないので神経系のものかも知れない。

普段の生活に支障はなく、ずっと動かさずにいた起床時とか、その部分を押したときに痛みが走る程度だ。

それゆえに病院にも行っていないが、あまりにも長引くようであれば一度は医者に診てもらうことにしようと思っている。

今年最初の・・・

今年最初の雑感である。

昨年末に 『今年最後の・・・』 というタイトルの雑感を書いたが、新年が明ければ当然のことながら新しく始まることばかりであり、そう考えれば極めて日常的なことであっても新鮮に思えたりするものである。

1月 1日の朝に目を覚まして起床するのは 2012年初のことであるし、歯磨き、洗顔、入浴、朝食、昼食、夕食に至るまですべて 『初』 という文字が付く。

独り言に書いたように、初外出で初散歩しながら初詣、家族以外の他人を見るのも初めてならば、外の空気を吸うのも初めて、もっと言えば外出着に袖を通すのも靴をはくのも初めてだ。

三箇日が終わって普通の食事に戻り、味噌汁を飲むのも白米を食べるのも初、これから毎日食べる料理は今年初めてのものばかり。

今年初のコンビニにも行ったし昨日はスーパーで初めての買い物もした。

今年初めてのジャンクフードも食べたし昨日の昼は初のケンタッキー・フライドチキンをテイクアウトしたし、今日の昼は焼きそば、今夜は初のパスタを食べた。

ずっとダラダラしていたが昨日は今年初めての仕事。

テレビを見ながら初笑いもしたし、『お買い物日記』 担当者はテレビにつられて初泣きもしていたし、増税関連の報道を見て初怒りもした。

酒は昨年末から呑み続け、きっと 9日の夜まで呑むので 10日が今年初の休肝日となるだろう。

2008年7月28日から始めた禁煙はまだ続いているので、今年最初の喫煙となってしまうことだけは避けなければならない。

いや、それだけではなく、今年初めての病気とか怪我とか事故なども避けたいものであり、願わくば何事も無く一年を過ごしたいものである。

2011年の終わりに

先週の雑感では今年最後となるであろう事柄を並べ立てたが、泣いても笑っても今日が最後、あと 1時間で 2011年が終わってしまう。

29日には今年最後となる例の体操をしたし、23日に聞いた今年最後の破滅の音も今は完治しているし、27日に始まった今年最後の 『お買い物日記』 担当者の頭痛も治った。

30日は今年最後の買い物をし、昼は今年最後のモスバーガーを食べた。

しかし、もうやり残したことはないかと言えば決してそんなことはなく、色々と話していたり予定していたことができていなかったりする。

まずは歯医者さん。

半年に一度は歯医者さんに行き、虫歯がないか検査してもらうように心がけていたのだが、今年は 5月の下旬に行ったきりで年末に行くのを忘れてしまった。

いや、正確には 11月を過ぎた頃から数日に一度は思い出し、そのたびに予約をしなければと思ったのだが、健康診断だの定期通院だので気が焦っていたのに加え、最後のチャンスだった今週は 『お買い物日記』 担当者が頭痛になってしまったので機会を逃してしまったのである。

そう言えば 11/17に健康診断を受けたが、12月中旬になっても結果が届かず、その後も音沙汰がないので忘れられているか何かで今年はもう届かないだろうと諦めていたら 29日の午後になってやっと郵送されてきた。

胃カメラで炎症が見られたので胃壁を少し切除し、病理検査に回されていたのでドキドキしたが、結果には何も触れられることのない結果が出てきたので問題がなかったということなのだろう。

もし一刻を争う病状だったらどうするつもりなのか。

この結果の遅れによって手遅れになったら裁判沙汰になったかもしれないではないか。

もしそうなら慌てて連絡が来たかも知れないが。

その他にやり残したことといえば、散歩の途中で少し先に見えるマクドナルドに行って朝マックをしようと 『お買い物日記』 担当者と話していたのだが、いつでも行けると思うとなかなか足が向かないもので、6月に行ったのが最後となってしまい、それっきりとなっている。

近くにあるホテルでは、昼食がバイキング形式になっているので、以前から、そう、かれこれ 3年ほど前から一度は行って食べようと相談しているのだが、ついに今年も行かなかった。

『お買い物日記』 担当者はたまに Webページを閲覧し、週替わりとなるメニューを確認しているらしいのだが、なかなか 「これはっ!」 と思える内容がなかったり、昼に出かけるタイミングを逃したりしたままズルズルと 3年・・・来年こそはランチバイキングに行こうと心に誓う。

この町に移り住んでもうすぐ 4年、その間に行った焼肉屋さんはたった一軒。

数年前から体調管理のために肉も卵もひかえてはいるが、その他に何軒も店はあるので、せめて一年に一度くらいは焼肉を食べようと話しているのだが、この 4年で一度しか食べていない。

オリンピックじゃないのだから今年は焼肉を食べようと店をピックアップし、二軒にまで絞り込んでいたにも関わらず結果的に行かずじまいだ。

北海道は魚介類も美味しいので回転寿司には 3-4カ月に一度くらいのペースで行っており、最後に行ったのは 7月下旬だったので、今年が終わる前にもう一度食べに行こうと先月まで言っていたのにすっかり忘れて大晦日。

なんだかやり残したことが多い一年だったような気がするが、歯医者さんを除けば列挙したのは食べ物関連ばかり・・・。

将来、もしボケるとしたら食ボケになるのは間違いないだろう。

今年最後の・・・

いよいよ今年も終わりに近づき、『今年最後の◯◯』 ということが多くなってきた。

いつも土曜の夜はパスタを食べるのことが我が家のしきたりのようになっているが、今夜はクリスマス・イヴなので違う料理を食べることは数日前から決まっており、来週の土曜日はすでに大晦日であるため年越し蕎麦を食べることが確定している。

しかし、このまま来年になるまで食べられないのもいかがなものかと思い、昨日の夜に今年最後のパスタを食べて締めくくった。

休日の昼食に麺類、夜にパスタという固定パターンで過ごすと脳はすっかり土曜日モードになってしまい、今日が日曜日のような気がしてならず、雑感を書くのすら忘れそうになってしまう。

数日前、久々の外食でびっくりドンキーに行ってきたが、ハンバーグを食べるのも今年最後となることだろう。

いや、もしかすると外食自体が今年最後になるかも知れない。

昨年末、どうせ最後の週はバタバタするのだから晩御飯は買って食べたり外食したりしようと話していたのに結果的には家で食べることになったので、今年も同様だと思われる。

例年であれば 29日までに今年最後の買い物を終わらせ、30日から御節料理の仕込みに入るのだが、今年は 30日が最後の買い物になりそうだ。

イオン系スーパーは 20日、30日が 5%OFFの日であり、手元には 5000円以上の買い物で 500円引きとなる券もあるので、それが 10%に相当するということは、乱暴な単純計算をすれば約 15%引きの買い物ができるということになる。

さすがに無視できる値ではないので、今年は 30日に買い出しをしようという算段だ。

今年最後の仕事、いわゆる御用納めは、行政機関の休日に関する法律に則れば 12/29~1/3まで休まなければならないので必然的に 12/28が対象となるが、フリーランスでやっているこの稼業の場合、この手の法律を杓子定規に守ってなどいられないのでクライアントから連絡があれば作業しなければならない。

しかし、Webページのトップを新年バージョンに変えるとかの依頼があったとしても、多くのページはプログラムで自動制御できるので、以前のように日付が新年の 1日になるのを待って作業を開始するようなことはない。

従ってクライアントが御用納めをする 28日が実質的に今年最後の仕事をする日になるだろう。

そんな訳で残りの日数も少なくなって様々なことが今年最後となる。

20日には今年最後の散髪をしてきたし、29日にする例の体操が今年最後となるし、たぶんその日の朝にするのが今年最後の散歩になるものと思われる。

昨日の朝に今年最後の破滅の音を聞いてしまったし、今日の昼に食べたのが今年最後のホンコンやきそばで、今夜食べたピザもケーキも今年最後で、明日の夜に食べるのが今年最後の鍋料理になるだろう。

そして、この雑感だが・・・。

これに関しては今日が今年最後という訳にいかない。

何せ大晦日の 31日が土曜日なのだから・・・・・。

嗚呼スマホライフ

先週はスマートフォンを我が家に導入するまでを書いたが、それから一週間、まだまだ機能を使いこなしてはいないものの、すでに利便性と楽しさは十分に実感できている。

まず最初に触れておくべきはバッテリーに関することで、事前の情報では長くて一日、ちょっと使うと半日しかバッテリーがもたないとのことだったが、実際にはそこそこ使っても 24時間はバッテリー切れにならないし、何も操作せず待ち受け状態にしていると2-3日は充電の必要がない。

したがって、それほどビクビクすることもなく外出できるし、二カ月に一度の受診で半日かけて札幌を往復してくる 『お買い物日記』 担当者が持っていても問題はなさそうなので、世間で言われるほど気にする必要はなさそうだ。

バッテリーの持続時間を気にすることがないとなれば、あとは基本アプリを使い倒すまでであり、Wi-Fi接続経由で光回線を利用し、携帯電話の回線を使用しないという方法でインターネットを楽しむことから始める。

まずは自分が運営しているサイトを一通り閲覧し、すべて問題なく表示できていることを確認したが、さすが光回線を利用しているだけあってストレスを感じることなく Webページを閲覧することができるし、一昔前のパソコン並の実力も備えているため一応は満足できる程度の処理能力もあるようだ。

スマホでストレスなく Webページの閲覧ができると実に便利で、調べ物をしたいときもわざわざパソコンに向かう必要がなく、とくに今のような寒い時期は暖かい場所から移動しなくて済むのが実に嬉しい。

手元で天気予報から最新のニュースまでリアルタイムに知ることができるし、何か思いついたときにメモっておくことも、メモるのが面倒だったら言葉に出して録音しておくことだってできる。

『お買い物日記』 担当者はレシピを Webで表示し、キッチンでそれを見ながら料理をすることだってできるし、できあがった料理を写真に収めたりするのも簡単だ。

どうしようもなく寒い日は、ブログの更新だって暖かい場所でできるし、これだけの能力があれば旅行の際にパソコンを持ち歩く必要もないだろう。

ワンセグ機能があるのでテレビだって見られるし、ラジオだって保存した音楽だって聞くことができるので暇つぶしにだって困らない。

そして、そこそこのレベルのゲームも無料で配布されているので気に入ったものをダウンロードしておけば遊び放題だ。

通信網に関してはまだ実験中のこともあるので確定ではないが、我が家のように携帯電話会社のネット回線を使わない設定にしておけばパケット料は実質 0円なので通話料金しか必要ない。

その通話ですら家族間は無料なので実質 0円。

それ以外の人への連絡も可能な限り e-mailで済ませれば、家にいる限り基本料金以外にお金はかからないのである。

旅行するときもモバイル Wi-Fiルーターを持って行けばルーターの通信費用で 2台のスマホが使い放題で、いくら使っても 4780円が上限という実にお得なシステムであり、それぞれが 6000円近くもする使い放題プランにして 1万円以上も支払う必要がない。

そんなこんなで、我家の場合はスマホにして正解だったと思う。

これからもスマホライフを堪能するつもりである。

スマホ移行記

コンピュータ業界に身を置きながら今さら感は否めないが、今日の午後になって携帯端末をスマートフォンに機種変更した。

Webページ制作を手がけている以上、いつかは導入しなければいけないとは思っていたが、出始めのものは動作が不安定であるとか、広く普及しなければスマホによる閲覧者も少ないとか様々な理由をつけて先延ばしにしていたのは、実のところ今の携帯電話は使い慣れているので新しいことを覚えるのが面倒だというオッサン特有の思考が優先されている面も強かったりする。

スマホと同じ OS(エンジンのようなもの)を搭載しているタブレット式の iPadや Android端末を購入すれば目的は果たせるので、そちらにすべきかなども検討したが、たかが動作検証のためだけに決して安くはない機器を購入するのもいかがなものかと思われ、それであれば少なからず利用している携帯電話の機種変更をしたほうが良いであろうという結論に達した。

その考えに至ってからも思考は紆余曲折し、Appleの iPhone 4Sが発売になってもバッテリーの減りが異常に早いなどという評価を目にしては購入をためらい、Googleの Android端末も OS自体が進化の途上にあるので安定するまで待つべきではないかと悩んだりしつつ月日はめぐる。

それでも爆発的な普及によって、当サイトですらスマホからアクセス数が無視できないほどの量になってきた現状を勘案すれば、それを商売としている以上は仕事で製作したWebページが正常に動作しているか検証する必要もあろうし、これから制作するものはあらかじめ動作を確認しておく必要があるだろう。

もう購入することは確実という段階になってはいたが、移行のメリット、デメリットを明確に認識しておくことは重要なので、さらに検討期間を要することとなった。

まずはスマホへの機種変更、その後の使用によって月々の支払いが高額になりすぎるのは避けたいところだ。

携帯電話より高機能でパソコンと同じWebページを閲覧できたり動画なども見られるということは、それだけ大量のパケットが発生するということであり、滅多にネット利用しないことを前提とした今までのプランのままだとビックリするような金額になってしまうだろう。

しかし、我が家では 2年前にネットブックを購入しており、その際に無線で利用できるサービスに加入しているので、インターネット接続は携帯キャリアの 3G回線を使用せず、Wi-Fiという通信規格を使ってそのサービスを利用すれば良いだろうし、そうすれば最低額のプランで契約すれば良いことになる。

それであれば携帯キャリアとの契約は月々数百円のプランで良く、現在利用しているデータ通信の契約は未使用月は 0円、たとえ使っても上限 4680円で済むことになるし、その通信は複数の端末で利用できることから、自分と 『お買い物日記』 担当者が使い放題にしても 4680円以上になることはない。

おまけにそれは外出先で利用した場合のことであって、家の中で使う分には自動的に NTTの光回線通を経由する仕組みなので通信料金がかからない。

滅多に外出も外泊もしない我が家にとっては実質 0円で使い放題ということになり、これほど嬉しいことはないし、結果的に現在の利用料金より低額になる可能性が極めて高いと思われ、これはメリットとするに十分な要素ではなかろうか。

デメリットは現在の携帯電話よりはるかにバッテリーの減りが早くなってしまうことで、何もしなくてもバッテリーは 1日しかもたず、ちょっと使うと半日でバッテリー切れになるらしいことだ。

しかし、それは我が家にとって大きな問題ではない。

何せ外出といっても近所の買い物くらいなものであるし、『お買い物日記』 担当者が 2カ月に一度の通院で札幌を往復するのだって半日程度のものであり、外泊に至っては年に一度の帰省くらいなので、そもそも電話を携帯する必要性すら疑わしいような状態であるため、バッテリーの減りなど気にする必要がないのである。

色々と思いを馳せた結果、スマホ導入は時間の問題となっていたのだが、仕事の用事で外出した一昨日、打ち合わせが予想以上に早く終わったので帰り道にある携帯電話ショップに立ち寄って話しを聞いてみたところ、思惑通りに最低限のプランでネット利用が可能なことが判明したので、昨日の午後には 『お買い物日記』 担当者と二人で最終確認の話しを聞きに行き、ついには購入を決断することとなった。

そして今日、自分は Appleの iPhone、『お買い物日記』 担当者は Googleの Android端末を契約して長い長い検討期間を終えたのである。

ただし、様々な初期設定が必要であることと、あまりにも多機能であるため、手にしたは良いが何も使いこなせないどころか、初期設定すらできていない間抜けな二人なのであった。

呼び捨て

正確な理由は自分でも分かっていないが、いつの頃からか芸能人、芸人、文化人を問わずテレビに出演している人を呼び捨てにできなくなった。

たぶんここ10年くらいのことだと思うが、直接会って話す訳ではないのに相手に対して失礼なような気がして何となく敬称をつけてしまう。

それは 『お買い物日記』 担当者も同様なので、二人の会話ではテレビの演者を 『さん』 付けすることが多い。

それはなぜかと考えをめぐらせれば、多分に加齢が影響しているのではないかという仮説が自分の中で成り立つ。

最近人気の天才子役、芦田愛菜ちゃんを例に取れば、彼女のことを芦田愛菜と呼び捨てる人は少ないだろう。

それは例え高校生の会話であっても中学生の会話であっても彼女のことを話題にする場合は 『ちゃん』 付けで呼ぶのではないだろうか。

なぜなら彼女は小さな女の子であり、高校生から見ても中学生から見ても子供としての扱いとなるため 『ちゃん』 を付けるのに抵抗がないどころか、むしろ呼び捨てにしにくいのではないかと思われる。

これが AKBのメンバーだったりすると、女の子の場合は多少なりとも嫉妬を含みつつの会話となることと、同世代の芸能人に 『ちゃん』 を付けるのも変であるし 『さん』 などとは呼びたくないので必然的に呼び捨てることになるのではないだろうか。

それと似たようなことが自分にも当てはまり、同世代の芸能人を話題にするときに呼び捨てていたのが当然のこととなって芸能人全般、スポーツ選手、文化人までテレビに出る人すべてが呼び捨てになっていたように思う。

ところが今になって敬称を付与するようになったのは、この歳になると芸能界デビューする多くの人は年下で、今の高校生、中学生から見た芦田愛菜ちゃん、またはそれ以上の年齢差があるため、AKBであってもモー娘。であってもスマイレージであっても所詮は子供でしかなく、呼び捨てするには相手が幼すぎるからではないか。

それがすべてに影響したため、年下であろうと同世代であろうと年長者であろうと敬称をつけて呼ぶようになったのではないかと想像する。

もしかして、そんなことは自分たちだけなのかと思っていたら、つい最近テレビの街頭インタビューを受けていた 10代後半の女の子たちが、テレビ出演している人たちを 『さん』 付けで呼んでいるのを見た。

それは、たまたまインタビューを受けた女の子が呼び捨てにしない主義なのか、今の若い世代は 「人を呼び捨てにしてはいけません」 と厳しく教育されているからなのかは不明だ。

もしかするとジャニーズ系は同じ事務所であろうと先輩であろうと後輩であろうと 『くん』 付けで呼ぶのが慣習なので、それを真似ているうちに敬称を付けるのが当然のこととなったのか。

自分たちの場合、呼び捨てにできなくなったのは最近になって芸能界やスポーツ界で活躍するようになった人たちだけが対象であり、古くからいる人は呼び捨てのままだったりする。

いくら偉くなろうと阪神の監督は和田であって和田さんではないし、元監督は真弓であって真弓さんではない。

原辰徳は原辰徳だし、堀内は堀内、芸能界で言えば、たけし、タモリ、さんまであって松田聖子、小泉今日子、中森明菜である。

どんな大御所だろうと名優、大師匠だろうと昔からの呼び方を改めることは難しい。

それともう一つ、嫌いな奴は年齢を問わず呼び捨てだ。

ガッツ石松に中尾彬に所ジョージ、その他にも色々といるが、奴らを 『さん』 付けで呼ぶことは死ぬまでないだろう。