性善説

どうも自分はお人好しなのか、単細胞なのか、人が何かをしでかした場合、その人が結果的に悪人であっても最初はその悪行を信じることができず、誤報であるか、本人の思い違いではないかと思ってしまう。

それは時として世の中の、いや、自分にとっての常識から逸脱し、そんなことがあるはずない、そんな非常識なことがあるはずがないという、完全に理解不能なことが起こるからだ。

かなり以前のことになるが、故横山ノック氏が平成 11(1999)年 4月、大阪府知事選の期間中、運動員の女子大生に対してわいせつな行為をしたとして告訴されて知事を辞任し、翌年に有罪判決を受けた。

この事件、失礼ながら当初は女子大生の狂言か反対陣営の策略的な中傷だと思い、単なるスポーツ新聞、週刊誌ネタ的な騒動であろうと思っていたのである。

なぜならば、世の中の、いや、自分にとっての常識からすれば、まさか選挙期間中に、スキャンダルが致命傷となって落選の危険性がある選挙期間中に、それも自陣営で自分のために一緒に戦ってくれている女子大生に、しかも全国区の知名度があって府知事を務め再選を目指している人が、さらには選挙運動中の選挙カーの中でそんな暴挙に及ぶなど、にわかには信じられないし、そんなことがあるはずがないという思考パターンでしか脳が働かなかったからだ。

そのような状況でわいせつ行為をする理由も意味も動機も分からない。

しかし、自分の常識など通用せず、見事に裏切られ、横山ノック氏は裁判で大筋を認めて懲役 1年 6カ月、執行猶予 3年の有罪判決を受けた。

その時、世の中には自分の理解を超えたことが起こりえるのだと自覚したはずなのだが、それから 7年後に発覚した小室哲哉氏の 5億円詐欺事件も最初は耳を疑い、やはり誤報かスポーツ新聞、週刊誌ネタ程度のものであろうと思ったのである。

なぜならば、飛ぶ鳥を落とす勢いだった小室氏にはピークを超えたとは言え莫大な資産があるだろうし、著作権による印税収入だけで一生遊んで暮らせるはずなので詐欺などという犯罪に手を染める必要などあろうはずがないという思考パターンで脳が働いたからだ。

きっと間違いだろうし、それが事実だったとしても小室氏本人ではなく、周りにいる良からぬ考えの持ち主が小室氏の名を語って金をだまし取ったに違いない。

詐欺といえば言葉巧みに人をだまし、その嘘を信じこませなければならない犯罪だが、小室氏には口が達者とか雄弁とかいうイメージがなく、むしろボソボソと話す印象だったので口八丁で人から金をだまし取ることなどできないだろう。

つまり、小室氏は加害者ではなく名を語られた被害者ではないかと思えて仕方がなかった。

しかし、この件に関しても見事に裏切られ、自分の常識を超えたところで事件は起こっており、常識を超えた金遣いで小室氏の資産は枯渇していたどころか、だまし取った金は借金返済に充てていたということだ。

これは人間の本性は基本的に善であるとする性善説を捨て、人間の本性は基本的に悪であるという性悪説で物事を見なければならないのかも知れないと思い知らされた一件だった。

それでもやはり自分はお人好しなのか単細胞なのか、大きな事故、事件にまで発展した JR北海道の問題も、最初は不運な事故が重なっただけであり、次から次へと発覚する問題も監視の目が厳しくなったゆえの出来事であろうととらえていたのである。

飛行機事故があると、どういう訳だか事故が続き、整備不良などが次から次へと発覚する負のスパイラルに陥ることがあるので、JR北海道の件も同様であろうと最初は思っていたし、事故が続いたり部品の脱落や出火があったり運転士が薬物依存だったりドアが開いたまま走行したりという単純ミスも JR北海道に向けられた厳しい目が粗探し的に問題を見つけ出しているからだろうと思っていた。

むしろ、あまりにもトラブルが続く JR北海道を気の毒に思い、もしかしたら呪われているか JR北海道という企業そのものが大殺界期間中なのではないかと同情すらしていたほどだ。

そして、乗客の安全を最優先しているはずの JRが、貨物を安全確実に届けるはずの JRが、そんなずさんな管理をするはずがないし、それが常識だと心の中では思っていたのだろう。

ところが、またしても期待は裏切られ、自分の常識が世の中には通用しないと思い知らされることになる。

調べが進むうちに問題が出るわ出るわの大騒ぎで、もうこの文書では列挙が不可能なほどの数の不備やトラブル、隠ぺいが目白押しの大安売りの大放出状態であり、すでに JR北海道は貨物事業会社の体をなしていない。

ここまでずさんな管理体制で、よく今まで事故が起きなかったと不思議なくらいだ。

こうも期待を裏切られ続けたのだから、次からは世の中に起こる理解に苦しむ事件も甘んじて受け入れたほうが良いのかもしれない。

そんなはずがないとか、普通はあり得ないだろうとか、常識的に考えると信じられないなどと思っても、どうせ人間の本性は基本的に悪なのだろうから。