2008年の終わりに

いよいよ今年になって 51回目の雑感であり、今年最後の雑感である訳だが、あまりにも色々なことがあり過ぎであり、若者風に書けば有り杉であり、とてつもなく長い一年だったような、あまりにも早い一年だったようにも感じる、誠に特殊な出来事が積み重なった年だった。

世の中的にも激動の一年で、春先までは大手各社とも過去最高益を更新する決算発表でまさに我が世の春を謳歌し、世界経済も膨張を続けているゆえにエネルギーや資源が不足するだろうという憶測からウランや原油はもちろん、希少金属(レアメタル)から鉄やパルプ、果ては小麦から海産物、乳製品に至るまで、ありとあらゆる資源が高騰してハイパーインフレ時代への突入が危惧されていた。

ところがアメリカ発のサブプライムローンに端を発する金融危機から世界経済は真っ逆さまな下降線をたどり、今となっては大幅な減収減益、赤字決算も視野に入ったことから非正規雇用者をかわきりにリストラが加速し始め、新卒者の内定取り消し、正社員のリストラまで事態は悪化するに至り、やっと退治したと思われていたデフレという悪魔の影が再び日本や世界に忍び寄ろうとしている。

独り言』 に何度となく書いたが、数カ月前から世界のあちらこちらで予兆はあり、危ういバランスの上で経済が成り立っていることくらいは十分に分かりきっていたものと思われるのに、株で生計を立てている、セミプロであるはずのデイトレーダーや本当にプロでなければいけない金融機関はどうして投資を中止し、資金を引き上げることができなかったのか不思議でならない。

こんな時くらいはしっかりしてほしい政治も混迷の度を深めているが、福田氏の後で誰が総理になろうと自民党に関心が向いて支持率が上がるはずもなく、簡単に総選挙に打って出れないことくらいは容易に想像できたことであり、何を今さら KY 空気読めないとか KY 漢字読めないとかで騒いでいるのかと実にアホらしくなってしまうが、とりあえず一人造反した渡辺喜美氏はちょっと面白いなと。

世の中のことはさておき自分の身の周りにも重大な出来事が山積した一年で、まずは年初の義兄重病の知らせから始まり、東京での診察、余命の宣告を受けて引越しの決断、怒涛の作業を終えての引越し、努力も虚しく訪れた義兄の死、それにも関わらずこの町への定住の決断、絶対に止めない宣言をしていたにも関わらず禁煙を始め、『お買い物日記』 担当者の重病発覚、今も続く治療。

通常は何年もかけて身に降りかかることが一度に襲ってきた感じであり、体力、精神のバランスを保つのがやっとな一年だったと心の底から思えるのと同時に、北海道に帰ってきたことが結果的に幸いしているものと思われ、以前の雑感にも書いたように、すべては義兄が導いてくれたのではないかとさえ思えたりする。

『お買い物日記』 担当者が大病を患ったのは不幸なことだが、あのまま大阪で暮らしていたら病院など行かず、結果的に手遅れになったであろう事は容易に想像することができ、また、全国的に産科医が不足する昨今において、この町の日本赤十字病院は医師を確保して 7月から産婦人科を再開したばかりというタイミングの良さも味方してくれた。

また、良い病院で治療を受けられるのも北海道に住む叔母の紹介があったからであり、入院患者との交流や看護師さんとのふれあいも、生まれ育った北海道の人柄、言葉に触れていられることは心穏やかに、安心して入院したり治療を続けられる大きな要因になっているものと思われ、長期間の闘病生活にとって言葉で表せないようなプラス作用があるだろう。

世の中もプライベートも本当に色々あったし、世の中は来年も大変なことになるのは間違いないだろうが、ちょっと利己主義であるのは自覚しつつも今は他人のことまで思いやる心の余裕がなく、自分たちと、その周りの身内、ごく一部の人たちが幸せであることだけが望みだ。

そんな小さな幸せを願いつつ、今年の雑感を終わろうと思う。

しっぺ返し

まだまだ 『派遣切り』 は終わりそうもなく、年の瀬だというのに職を失い、住む場所まで奪われる人がいるのは誠に気の毒だとは思うが、やっぱり今の報道は偏向し過ぎており、必ず弱者に皺寄せという話になる。

3月末までの契約だった人が年末に契約解除されて路頭に迷ってしまうのは分からないでもないが、だからと言ってあと三カ月、正規に契約が切れるまで雇用を継続したからといって何か幸せな、バラ色の未来でも待っているのかといえば決してそんなことがあるはずもなく、三カ月後に景気が回復しているはずがない以上は、2009年の春に起こることが前倒しで 2008年の末に起こっているだけのことだ。

内定取り消しも問題視されているが、心情はどうあれ雇用契約を結んでいない以上は決して違法ではなく、また、ここでもめて内定の取り消しを撤回させたとしても、特に不動産関連は来年の三月まで会社が存在する保証はないだろうし、内定を取り消さざるを得ないということは相当にヤバくなっている証拠なのだから、ここは素直に別の就職先を探すか、大学を留年して来期に賭けた方が良いのではないか。

そうは言っても会社側に問題がないのかと問われれば決してそんなことはなく、半年ほど前まで、労働人口の減少による人手不足から、日本も移民を受け入れるべきだと大騒ぎしていたのは何だったのかという話であり、ここにきて外国人労働者を真っ先に雇用契約解除の対象にしているのはどういうことかと小一時間くらい問い詰めたくなってしまう。

街に職のない外国人が溢れ出し、治安が乱れるかもしれないという事態を想定した上で移民のことを考えたり、選挙権の問題や老後、社会保障の問題まで、移民者に対してどう対処すべきか考えた上で発言していたとは思えず、単に安い賃金で 3K と言われる 『きつい』『汚い』『危険』 な職業や、新3K と言われる 『きつい』『帰れない』『給料安い』 仕事をさせるのが狙いだったのではないか。

外国人労働者を狙い撃ちして切り捨てるようなことを続けていたら、彼らが本国に帰った際に悪評をばら撒かれ、自社のブランドが傷つき自社製品が売れなくなるというしっぺ返しを喰らう可能性も少なからずあることを肝に銘じておくべきであり、派遣切りや雇用調整をしている大企業は、庶民が生活の不安、将来の不安を覚えて消費が縮み、自社の製品が売れなくなるというしっぺ返しを覚悟しておくことだ。

そしてますます業績が悪化し、正社員のリストラにまで手を付け、それは社会不安にまで発展し、さらに消費が冷え込んで物が売れなくなるという負のスパイラルに陥り、価格を下げなければ売れず、価格を下げることによって利益が細り、賃金カットを進めて消費者の財布の紐がさらに固くなるというデフレスパイラルにまで発展していくかもしれない。

企業は社会の公器と言われ、事実それはパナソニックの経営理念でもあり、オムロンの企業理念でもあり、その他多くの会社も理念として掲げているが、今はその公(おおやけ)の器(うつわ)が壊れてしまい、不安や不満があふれ出してしまっている状態で、そんな不安を世の中に与えていることは、将来、大きなしっぺ返しとなって企業に降りかかってくるものと思われる。

資本主義の末路

『派遣切り』 と言われる非正規雇用者の契約解除が続いている。 ある評論家が息巻いていた。 必要なときに人材を確保し、経済が悪化したとたんに切り捨てて良いのであれば、会社経営なんぞ誰でもできると。 しかし、そういう経営を評価していたのが株式市場である。

まだ赤字に転落しておらず、内部保留も相当な額が積みあがっており、株主配当も続ける余裕さえある企業がどうして人員整理をするのかと、さも庶民の味方のふりをして語る司会者。 それじゃあ、おまえの儲かっている個人事務所で 100人ほど雇ったらどうだ? と言ってやりたくなる。

派遣切りを止めさせたいのであれば株主至上主義を是正すべきだ。 そうしたら、どこかのオッサンがしたり顔で言うだろう。 アメリカ型資本主義を持ち込んだ小泉政治の負の遺産だと。 しかし、そんなアホの言うことを聞く必要などない。 ある程度は資本の理論を持ち込まなければ日本企業は世界で戦えないのは事実だったのだから。

確かに古き良き時代はあった。 年功序列、終身雇用が原則で、余程のことがない限りは会社をクビになることもなく、年齢と共に所得が上がり、会社は擬似家族として存在する。 社内旅行や社内運動会があり、小さな部署単位、課の単位、個人単位で飲み会が開催されてコミュニケーションが図られる。

多くの株は持ち合いで流動性がなく、株価は一定水準で乱高下もせず、もの言わぬ安定株主ばかりなので経営の自由度が高くて多くの株主配当を出す必要もない。 その分だけ社員に分配する余裕があるし、数年間の赤字が続こうが固定費に占める人件費の割合が高かろうが誰からも文句を言われず、全社一丸となって不況が去るまで耐え忍ぶ。

それら全てのことに対して NO を突きつけたのは株主であり、社員そのものである。 会社への忠誠心などなく、「スキルアップのため」 などと綺麗ごとを言いつつも報酬の高い仕事へ転職を繰り返し、上司、同僚からの酒の誘いもうとましく思ってコミュニケーションを図ろうともせず、旅行、会社行事などの団体行動はダサいから参加しない。

アメリカ型の経営に傾注し、会社が実力主義を重んじた成果報酬型の給与体系を進んで導入した経緯はあるにせよ、それを是とした個人がおり、むしろそれを好んだ社員がいる。 その際にそんな個人や社員をいましめることもなく、むしろ人材の流動化という謳い文句で容認し、『年収数億円を稼ぐスーパー社員』 などと持ち上げた伝え方をしていたのはマスコミだ。

そして、日経平均株価が上がっただの下がっただのと一喜一憂し、大騒ぎするのもマスコミであり、外国人投資家が日本株を買い越しただの売り越しただのと気にするのもマスコミだ。 現在は人員削減を問題視しているが、今なんの対策もせず、日本の市場から投資家が離れ、トヨタやソニーの株が暴落して外資に買い叩かれたら日本に税金が落ちなくなるのが分かっているのか。

過去に何度か書いているように、会社は株主のものなんかであるはずがないと思っているので、株主至上主義が良いことだと思わないし、むしろ間違っていると考えている。 しかし、世界を相手にビジネスをするのであれば、資本主義は受け入れなければならず、日本に持ち込むことは必要だっただろう。 問題は、ただ持ち込んだだけで日本流に消化しきれていないことである。

なんでもかんでもアメリカが正しい訳ではないことが今の世界金融危機で証明されたのだから、日本式企業経営のあり方や日本流の資本主義を加味して新しい資本主義を構築するチャンスなのではないかと思うのだが。

マサルノコト scene 21

マサルは図体も大きく、ホンジャマカ石塚みたいな体型と、彼と同じような小さい目をしており、手だってグローブのように大きくてゴツイのだが、どういう訳かもの凄く手先が器用で、大きな体を丸めてチマチマとした細かい作業をするのがとても得意なのである。

ある日、我が家に遊びに来ていたマサルが粘土を見つけ、チマチマと何かを作り始めた。 自分は絵を描いたり造形物を作ったりするのが好きだったので絵の道具やら粘土やらは部屋のあちらこちらに置いてある。 それを見つけて何やら作り出したらしいのだが、そんなことは気にせずにノブアキと馬鹿な話をして笑っていた。 しばらくするとマサルは 「ほれ」 とできあがったものを机の上に置いた。

そこには体長 5cm くらいの躍動感あふれるゴモラの姿があった。 ご存知、ウルトラマンシリーズに登場する怪獣なのだが、それが精巧にできているのなんの、たった 5cm しかないのに今にも歩き出しそうな感じすらするリアルさであり、説明などされなくても、どこからどうみたって立派なゴモラでしかなく、それはそれは素晴らしい出来栄えだ。

ノブアキと二人で 「すげぇ~」 と褒め称えると、ただでさえ大きなマサルの体はますます膨らみ、胸が反り返って後ろに倒れそうな勢いで大威張りしていた。

そしてマサルは絵も上手く、美術の時間に描いたものの多くは貼り出されたりもしていた。 自分も絵を描くことは好きだったし、ある程度の自信もあったので同じように貼り出されることも多かったが、なにせまともに授業を受けなかったのでマサルのほうが成績も良かったに違いない。

マサルも自分も何も考えていなかったのに、美術の教師が市が主催する何かのコンクールみたいなやつに勝手に二人の絵を出品したことがあった。 そんなことは何も聞かされていなかったのに、ある日の全校集会で賞状の授与式が始まった。 何が何だか分からないまま話を聞いているとマサルが金賞を受賞したとかで体育館の壇上に呼ばれ、賑々しく賞状なんか受け取っている。

「すげ~」 と思う半面、絵には少なからず自信があったので悔しい思いもしていたのだが、実は授与式はまだ続き、金賞より上の 『何とか教育長賞』 という訳の分からない立派な賞が自分に与えられた。 それはとても嬉しいことだったが、人前で褒められたり賞状を受け取るのが照れくさい不良は不貞腐れた風を装い、笑いを必死にこらえながら壇上に立ったりしたものだった。

そんな自分やマサルとは異なり、ノブアキには絵のセンスや造形美術のセンスは 1ミリのカケラもなく、作り上げたもので大きな笑いを振りまいていた。 ある日の美術の授業は厚紙で型をつくり、そこに石膏を流し込んで固め、置物というか飾り物を作る内容だった。

そこでノブアキが作ったものは、何だか得体の知れないものだったのでマサルと二人、「それは何ぞ」 と尋ねると、ノブアキは胸を張って 「天馬だ!」 と答えた。 どこからどう見ても小学生が描く恐竜のような生き物で、長い首に太くて短い四本足、短い尻尾で背中に小さな羽まで生えている。 それが天馬だとぬかすのだから、マサルと呼吸困難になるほど笑い転げた。

時は流れて全員が大人になり、帰省した際に集まっては、毎度のように 『天馬』 を肴にノブアキをいじめながら酒を酌み交わしたものである。