2003年 8月
犬や猫のいる風景 2003 秋 犬や猫のいる風景 2003 秋
今日で 8月も終わりである。暦の上ではすっかり秋になっているはずだが、まだまだ暑い日が続いている。今年の場合はむしろ立秋を過ぎてからの方が気温が高い。このまま夏が来ないのではないかと心配したが、お盆が過ぎてから連日のように 30℃を越え、真夏日、熱帯夜ばかりだ。ただでさえ寝つきが悪いのに暑くて夜中や朝方に目が覚めるものだからすっかり寝不足が慢性化してしまった。
暑さのせいなのか、
先月の雑感にも書いた新入りの小型犬が原因なのか分からないが、お気に入りの黒い犬はここのところ元気がない。いつ見ても不機嫌そうにアゴの下で前足を組んでいる。家族が小型犬ばかりを可愛がるので、すっかりいじけてしまったようだ。以前までは話し掛けたり手をパタパタしてやると尻尾をふらないまでもジーっとこちらを見ていたのに最近はすぐに目をそらしてしまう。
たまに散歩しているところを見かけるが、飼い主は黒い犬が行きたがる方よりも小型犬が行きたがる方を優先するため、今では小型犬の進む後をつまらなそうにトボトボと歩いている。家族の先輩である黒い犬の意思を尊重してやらねばいけないだろうし、このままでは益々いじけてしまうのではないかと心配しているが、他人様の家庭のことなので口出しするわけにはいかないのが辛いところである。
居酒屋の裏で飼われている白い犬はいつもボ〜っとしている。人に向かって吠える姿を見たことがないし、元気良く走ったりする姿も見たことがない。春先の良く晴れた日には鎖で繋がれている場所ではなく、日当たりの良い場所に毛布を敷いてもらい、そこでボ〜っとしている姿を目にするが、日差しの強いこの時期は裏の日陰で涼んでいるらしく明るい時間に姿を見ることが少ない。
日も落ちた仕事帰りには建物の裏から出てきているのだが、いつ見てもやはりボ〜っとしている。いつも首を少し左に傾け、遠い目をして一点を見つめているのである。いつもいつも同じ姿勢、同じ遠い目で同じ場所を見つめているので、何があるのかと視線の先を目で追ったところ、そこには衝突事故を防止するための丸いミラーが設置されている。
「自分の姿を見ているのだろうか?」 と不思議に思って犬から何が見えるのか確認してみると、飼われている居酒屋の出入口が映っている。どうやらその鏡を使って中から飼い主が出てくるのを見ているらしい。たまたま通りかかった時に店の中から人が出てきたことがあった。いつもはボ〜っとしている犬がスクッと立ち上がり、嬉しそうにピョンピョン跳ねている。
おやつを口に入れてもらい、そのまま散歩に連れて行ってもらっていたが、歩く後姿がとても機敏で 「嬉しいです」 オーラを充満させていた。それからは、その犬に対する見方が 「遠い目をしたボ〜っとした犬」 から 「主人が出てくるのを心待ちにしている健気な犬」 というように変わってしまった。夏の暑い日も冬の寒い日も、その白い犬は主人が出てくるのを今か今かと鏡越しに見ながら待っているのである。
少し前の話になるが、仕事帰りに路地裏を歩いていると遠くから尋常ではない猫の鳴き声が聞こえてきた。盛りがついた時の鳴き方とも違う悲痛な叫びとも言える切羽詰った鳴き声である。その声が近づいてきたのでそちらを見ると、男性がダンボール箱を抱えて歩いている。そして猫の叫びに近い鳴き声はその箱の中から発せられていた。
驚いたことに、その声を聞きつけた近所の猫が 「どうしたのだ」 「何があったのだ」 とでも言いたげに、目をキョトキョトさせながらあちらこちらから集まって来る。そして猫達は何やら 「ニャゴニャゴ」 と話し始めた。「可愛そうに、きっと捨てられるに違いない」 とか 「助けてやれないだろうか」 などと話し合っていたのかもしれない。しかし、怖くて男性には近づけないようだ。
箱を抱えた男性は自分の前を歩いていく。その後ろを帰り道なので自分が歩き、さらにその後ろを 7-8匹の猫が心配そうに付いてくるという妙な行進は 2-30m 続いたが、T 字路で男性が自分の帰り道と違う方向に進んでいった。後ろ髪を引かれる思いがして立ち止まり、男性の後姿を見ていると、近所の猫達もそれ以上後を追うのが怖いのか、横一列になって座り込んでしまった。
7-8 匹の猫と 1人のおっさんは、遠ざかっていく猫の声を聞きながら小さくなっていく男性の後姿を只々呆然と見守るしかなかったのであった。
2003 / 08 / 31 (日) ¦ 固定リンク
花火にまつわるエトセトラ 花火にまつわるエトセトラ
先週までは、あちらこちらで花火大会が催され、夏の夜空を焦がし大輪の花を咲かせていた・・・ものと思われる。花火は大好きなのだが、元来の出不精と人ごみが苦手なゆえ、わざわざ会場まで足を運ぶことはしない。それでも自宅にいて花火の音が聞こえると、少しでも雰囲気を味わおうと窓にへばり付いて外を眺め、遠くの空に豆粒のような光を見つけてパチパチと拍手なんぞしたりしているのである。
ここ 10年以上も自分で花火を買って楽しんだことはないが、子供の頃は夏になれば花火を買っていろいろと楽しんでいたものである。小学校低学年の頃は親と一緒に家族で花火をしていた。買って来た花火を見ると妙に興奮してしまい、外が暗くなるまで待てずに何度も外の様子を確認しては、まだかまだかと花火の周りをウロウロしていた。
「暗くならなきゃ綺麗に見えない!」 と言われても早く花火がやりたくて、外を見ながら暗くなるように念じたりしていた。当時の花火は今のように様々な種類があるわけでもなく、ヒョロヒョロっと打ち上げられて、ポンと破裂する程度のものや、地面に固定したものからシュワワ〜と火花が噴出するものを数種類たのしんで、手持ちのものをシュシュっと終らせ、チリチリと線香花火で終わりというのが定番だった。
小学校も高学年になると親に内緒で爆竹を買って、悪友と遊んだりしていた。悪ガキのやることと言えば、ご多分にもれずカエルの口に爆竹を突っ込んで爆破してみたり、蟻の巣を破壊したりする ”定番” の遊びである。その他にも発泡スチロールを拾ってきて爆竹で粉々に破壊して遊んだり、導火線に火をつけて友達の足元に投げつけたりと、悪の限りをつくしていた。
手に持った爆竹の導火線に火をつけて、どこまで我慢して持っていられるかを競ったりしていると、持ったまま爆発して指がジンジンしてしまったり、投げようとした瞬間に耳元で爆発して耳の中がキーンとなったりと、大変な思いをしたこともある。何人もそういった ”被害者” が出るのにも関わらず、『男の根性試し』 は毎年夏になると続けられていたのである。
中学生くらいになると、親と一緒にする花火よりも友達とする花火の方が楽しく、何人も集まって遊んでいた。最初は純粋に花火を楽しんでいるのだが、だんだん過激になってくる。噴射式の花火を手に持って友達を追い掛け回したり、こっそり後ろから爆竹を投げつけて人が驚くのを見て喜んだりする奴が現れるものだから、常に周りを警戒しなければならないという緊張感の高い遊びだった。
友達数人と川岸で花火をしていると対岸では違うグループが花火をしていた。最初はそれぞれに花火を楽しんでいたのだが、対岸の奴らがロケット花火をこちらに向かって発射してきた。そうなったら戦争の勃発である。こちらもロケット花火を対岸に向けてセットし、一気に火をつけて一斉発射してやった。向こうも負けじと大量に発射してくる。足元や耳元で爆発する危険な状況になってきたが後には引けない。
友達がどこからか中が空洞になっている鉄パイプを拾ってきたので、ロケット花火の束を突っ込み、火をつけて鉄パイプを構えたところ、マシンガンのように連続発射される。逃げ惑う対岸の ”敵” に狙いを定めて次から次へと発射してやった。双方とも全弾撃ち尽くして戦争が終結したとき、遠くからパトカーが近づいてきた。近くの住人が通報したらしい。
ある者は自転車で、ある者は走って必死になって逃げた。逃げている間は対岸にいた敵も味方もなく、一緒になって走っていたのだが、よく見ると同じ学校の奴だったのである。「なんだお前だったのか」 ということになり、逃げ切ったあとで 「わっはっは」 と肩を組んで歩いていた。まさしく昨日の敵は今日の友である。その後はお互いに戦果を称え、友好条約が締結されたのであった。
花火でいろいろなことを思い出してしまった。久しぶりに花火をしてみるのも悪くないかもしれないと思ったりしている今日この頃である。
2003 / 08 / 24 (日) ¦ 固定リンク
必需品 三つ目 必需品 三つ目
以前の雑感で
首のタオルや
市販薬が必需品と書いたが、それは今でも続いている。この暑い時期にも首からタオルを下げているが、冬の防寒と違って汗拭きとして活躍しているのである。ヴィックス・ヴェポラッブも風邪をひいているわけでもないのに毎晩塗って寝ている。今となっては塗り忘れると落ち着いて眠れなくなってしまった。この 2つは今後も必需品であり続けることだろう。
必需品があるのかないのか、そしてそれが何であるのかは人それぞれである。知り合いに、どんな晴れた日でも折りたたみ式の傘を必ず持ち歩いている奴がいた。彼のカバンの中には 100%の確立で傘が入っている。見事に晴れ渡っていたある日、仕事帰りに突然の通り雨に襲われた。みんなが慌てふためき、走り出す人、軒先に避難する人がいる中、彼は傘をさして悠々と歩いていくのである。
彼がそこまで雨を嫌う理由は髪にあった。毛の一本一本が細く全体的にボリューム感に欠けるため濡れてペタっとなってしまうのを極端に嫌がる。雨だけではなく湿気も嫌がっていた。湿度が高く雨の多い時期は彼の 「生息に適さない環境」 と言われ、「生物学的にもホモサピエンスとは少し違った分類に属する」とまで人から言われていた。そんな彼にとって傘は必需品だったのであろう。
以前は視力が良いことを誇っていたが、最近は目が疲れやすくなってしまった。ここしばらく視力検査を受けたことがないので現在はどの程度の視力があるのか分からないが、仕事で朝からパソコンの画面を見続けていると夕方には目の周りがモワ〜ンとした感じになってくる。以前であれば疲れてくると涙が分泌されて、疲れそのものを軽減しようと体が反応してくれていたが、最近は涙が出なくなってしまった。
遅ればせながらドライアイという症状が出てしまったのかと心配になり、ドライアイに関する webページにある自己診断ゲームで試してみると結果はレベル 6で 「ドライアイの可能性があります!」 と診断されてしまった。以前は買っても使用期限内に使い切ったことのない目薬にも今は毎日のようにお世話になっているため、目薬が必需品の仲間に加わりつつある。
一年を通して必需品であり続ける物の他に季節限定の物もある。今年は汗疹(あせも)が特にひどく、痒み止めの薬がかかせない。朝起きたとき、風呂上り、夜寝る前にはペタペタと塗っている。『
管理人の独り言』 にも書いたが、去年まではこれほど広範囲にならなかったし、長引くこともなかったのだが、今年の汗疹には手を焼いている。痒み止めは今年から夏の必需品に加えられることだろう。
夏の必需品として以前から君臨しているものに 『アイスノン』 がある。言わずと知れた白元から発売されている現代版の水枕である。頭部を冷して寝ると全体が涼しく感じてとても気持ち良い。ガンガンに冷房しなくても寝られるため省エネにも役立つ。夏になると毎年使い続けて 10年以上にもなるが、毎日使っていると外装部分が裂けて中身がデロリンと出てきてしまい買い換えることになる。
今使っているものは三代目になるだろうか。それでも決して高価なものではないので、エアコンの電気代と比較しても安上がりな必需品である。以前のものは冷凍庫に入れておくとカチカチに固まって少し頭がゴリゴリしたが、最近のものは製品に改良が加えられ、冷しても固まらずに柔らかい状態のままなので余計に具合がよろしい。保冷効果が若干悪くなったような気もするが、寝心地は格段に良くなった。
夏の必需品の王様であるアイスノンは、来年も再来年も王様として君臨し続けるに違いない。
2003 / 08 / 17 (日) ¦ 固定リンク
コンプレックス コンプレックス
基本的に人は人、自分は自分という考え方であるため、人より劣っている部分があろうと深く気にすることはない。人に自慢できる学歴ではないが、良い大学を出た人を羨むこともコンプレックスを感じることもない。腹が出ているし白髪も多いが 「おっさんなのだから仕方あるまい」 と開き直っている。中途半端で見苦しいと予想されるため、もっと白髪が増えて真っ白になった方が嬉しいは事実だが。
そんな自分にもコンプレックスと言うか、ちょっと恥ずかしい身体的欠点がある。それらはすべて ”毛” に関することなのだが、人からは逆に羨ましがられることの方が多い。それでも自分にとっては情けない部分であるため、人に指摘されたりすると 「トホホ」 な気分になってしまうのである。「いいですね〜」 などと誉められようものなら 「ほっといてくれ!」 と毒づきたくなってしまう。
以前の雑感にも書いたが、まず第一にヒゲが情けない。アゴの下にはヒゲと呼べるヒゲが生えるが、鼻の下はチョロチョロと濃い産毛(うぶげ)程度のものしか生えない。ほっぺたにはヒゲがなく、モミアゲの下にもない。ヒゲの濃い人であれば朝剃っても夜までにある程度は伸びるものだが、伸びる速度も遅いようだ。したがって、二日に一度しかヒゲ剃りをしない。
人からは 「楽でいいですね」 と言われるが、自分では情けなく思っている。ヒゲが濃すぎて永久脱毛まで真剣に考えていた人から 「贅沢言うな!」 と叱られたこともある。確かに濃すぎるのも考えものだが、せめて鼻の下くらいは ”まともな” ヒゲが生えてほしい。鼻の下にはなく、口の横に近づくとだんだん濃くなっているため、伸ばすとあやしげなマジシャンみなくなってしまうのである。
第二に体毛も濃くない。今はあまり流行らないのかもしれないが、胸毛など一本もないし、腕にも薄い毛しか生えていない。前に勤めていた会社では女性社員に 「羨ましい」 と言われたが、そんなものは男にとって自慢にもならない。「毛ぐらい生えてるわ!」 とワイシャツの袖をまくって見せたら 「うす〜い」 と笑われてしまった。隣にいた同僚が勝ち誇った顔で 「ふふん」 と袖をめくると自分より三倍は濃かった。
第三には髪の毛である。あまり目立たないが、くせ毛で軽くウェーブがかかっている。この目立たないというのがクセ者で、人からは 「毎朝のブローが大変でしょう」 と言われるが、洗いっぱなしで何もしなくても自然に髪が後ろに流れる。長髪にしていた頃など、若い頃の松田聖子みたいな髪型になってしまうのである。「何もしてない」 と言っても 「このオシャレさん」 とか言ってバカにされてしまう。
「くっそ〜」 と腹が立ったので社員旅行に行った際、髪を洗った後に何もしなくても勝手に髪がウェーブすることを証明して見せたら女性社員からはやっぱり 「羨ましい」 と言われる始末である。女性に羨ましがられても誉められても男としては嬉しくなく、むしろ 「トホホ」 な感じになってしまう。「ふん!」 と無視してやったが、遠くに何人か集まってヒソヒソ話しながらこちらを見て笑っている。
第四にはまつ毛である。これがまた困ったことに、まつ毛もくせ毛で上に向かってクリンとカールしている。そしてそれは女性社員から格好のターゲットとなってしまい、「毎朝ビューラーしてるんですか?」 とか聞かれてしまう。「ビューラーってあのアイスクリームすくう器具みたいなやつか?」 と聞いてこれまた大笑いされてしまった。「そんなもん使うか!」 と言っても信じてもらえない。
どこの世界に毎朝まつ毛をクリンクリンにする男がいるのだろうか。この件も髪の毛と同様に顔を洗った後でも放っておけば自然にカールすることを証明してやったが、予想通りの 「羨ましい」 という言葉ですまされてしまった。何度も何度も言うようだが、男である以上はそんな所を女性に羨ましがられても嬉しくないのである。どうせならもっと男らしいところで誉められたい。
性格は荒っぽく、口も悪いので仕事中は恐れられていたが、休憩時間や酒の席では 「まつ毛クリンクリンのくせに」 などと人からバカにされてきたので、”毛” に関しては少なからずコンプレックスを感じつつ、これからも生きていかねばならないのである。
2003 / 08 / 10 (日) ¦ 固定リンク
知的財産 知的財産
ここ数試合はモタモタしている阪神タイガースだが、優勝するのは間違いないだろう。結果的に球団側に譲渡されることが決まったが、千葉県に住む男性が 『阪神優勝』 のロゴを商標登録していたことが世間の注目を集めた。「ずるい」 だの 「金が目的」 だのと、この件に関しては悪く言う人が多かったが、肝心の商標権を所有していなかった阪神球団の方がマヌケである。
自身が優勝することなど夢にも思わなかったのか、優勝したとしても 『阪神優勝』 のロゴ入りグッズを製作するつもりがなかったのか。いずれにせよ球団側のブランドを防衛する意識が低かったと言わざるを得ない。一般企業は知的財産を守るために大変な努力をしている。これだけの人気球団であれば当然のことながら、あらゆる可能性を考慮して知的所有権を確保しておくべきだった。
ベトナムや中国などのバイク大国では HONDA や YAMAHA 、KAWASAKI など日本メーカのロゴが平気でコピーされている。最近まで著作物などの国際的な保護機関に加盟していなかったこともあり、東アジアではバイクに限らず電子機器から映画、音楽に至るまで野放し状態のコピー天国だった。そんな中で日本メーカ各社が受けた被害額は計り知れないことだろう。
今は何でもデジタルな時代になったため、音楽や映像も劣化することなく容易にコピーが可能になった。個人のホームページでも他のサイトから安易に画像をコピーして使用したり、他人の著作物である音楽を無断で鳴らしたりしているのを見ることがある。サンリオのキャラクターやポケモン、ドラえもんなどを代表とする著作物を無断で使用すると高額な賠償や訴訟のリスクがあることを心得ておかなくてはならない。
個人相手に FBI が乗り込んでくることはないと思われるが、洋楽、邦楽を問わず音楽の無断使用も著作権を侵害することになるので気をつけるべきである。次々と新しいハードが生み出された時代は終焉し、これからはハードで利用するソフトが重要な時代になってくる。そうなると知的財産保護の重要性も高まり、それらを所有する企業の監視や取締り、罰則も厳しさを増してくるに違いない。
しかし、日本人はそういう意識に欠けるためか、国の対応自体が他国と比較して遅い。何年か後にはガソリン車がなくなり、燃料電池車の時代になることは誰の目から見ても明らかである。アメリカは国家予算まで投入し、国を挙げて研究に取り組んでいるにも関わらず、日本はメーカまかせになっている。燃料電池車に関わる基本特許を他国に抑えられてしまったらライセンス料を支払わなければならない。
さらに怖いのが麹菌(こうじきん)特許問題である。誰もが知っているとおり、日本酒や味噌、醤油などを作るのに不可欠なのが麹菌だ。今までは製法の秘密を職人たちが守ってきたが、麹菌が酒や味噌、醤油などを生み出す過程を科学的に解析して、それを特許として権利化しようとアメリカや中国の企業が動き出している。特許が成立してしまえば製造し、販売する際にライセンス料を支払わなければならない。
海外で日本食がブームとなり、日本酒や味噌、醤油などが輸出量を増やしているが、製造・販売するのにライセンス料を支払うことになれば利益は海外に流出してしまう。第一、日本古来の食品を製造するのに 「勝手に作ってはいけない」 とか 「お金を払え」 と言われるのは腹立たしいではないか。何が何でも他国に特許を抑えられるのを避けなければならないと思う。
もうひとつ現代社会で問題になっているのは 『デジタル万引』 である。カメラ付き携帯電話が普及し、被害が大きくなってきているのが書籍などの知的所有物だ。技術系の本や料理本のレシピなど、必要な部分だけ撮影して帰る人が増えているらしい。書籍なども音楽と同様の著作物であるから無断で複製や撮影などしてはいけないのである。それをすることは立派な犯罪であることを広く告知すべきだ。
かつては 『電子立国日本』 と言われたが、今ではその座をアメリカや韓国に奪われてしまった。『物造り日本』 と言われたが、その座は中国に移りつつある。これからは 『知的立国日本』 にならなければいけないと言われているが、それに真剣に取り組んでいる政治家や政党は見当たらない。それどころか今の政治家は党首選挙、衆議院、参議院選挙で頭がいっぱで、国益など考えている暇はないだろう。
このままだと 10年後、20年後の日本は知的財産権もお金もない貧しい国になってしまうに違いない。
2003 / 08 / 03 (日) ¦ 固定リンク