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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

花火にまつわるエトセトラ 花火にまつわるエトセトラ

  先週までは、あちらこちらで花火大会が催され、夏の夜空を焦がし大輪の花を咲かせていた・・・ものと思われる。花火は大好きなのだが、元来の出不精と人ごみが苦手なゆえ、わざわざ会場まで足を運ぶことはしない。それでも自宅にいて花火の音が聞こえると、少しでも雰囲気を味わおうと窓にへばり付いて外を眺め、遠くの空に豆粒のような光を見つけてパチパチと拍手なんぞしたりしているのである。

  ここ 10年以上も自分で花火を買って楽しんだことはないが、子供の頃は夏になれば花火を買っていろいろと楽しんでいたものである。小学校低学年の頃は親と一緒に家族で花火をしていた。買って来た花火を見ると妙に興奮してしまい、外が暗くなるまで待てずに何度も外の様子を確認しては、まだかまだかと花火の周りをウロウロしていた。

  「暗くならなきゃ綺麗に見えない!」 と言われても早く花火がやりたくて、外を見ながら暗くなるように念じたりしていた。当時の花火は今のように様々な種類があるわけでもなく、ヒョロヒョロっと打ち上げられて、ポンと破裂する程度のものや、地面に固定したものからシュワワ〜と火花が噴出するものを数種類たのしんで、手持ちのものをシュシュっと終らせ、チリチリと線香花火で終わりというのが定番だった。

  小学校も高学年になると親に内緒で爆竹を買って、悪友と遊んだりしていた。悪ガキのやることと言えば、ご多分にもれずカエルの口に爆竹を突っ込んで爆破してみたり、蟻の巣を破壊したりする ”定番” の遊びである。その他にも発泡スチロールを拾ってきて爆竹で粉々に破壊して遊んだり、導火線に火をつけて友達の足元に投げつけたりと、悪の限りをつくしていた。

  手に持った爆竹の導火線に火をつけて、どこまで我慢して持っていられるかを競ったりしていると、持ったまま爆発して指がジンジンしてしまったり、投げようとした瞬間に耳元で爆発して耳の中がキーンとなったりと、大変な思いをしたこともある。何人もそういった ”被害者” が出るのにも関わらず、『男の根性試し』 は毎年夏になると続けられていたのである。

  中学生くらいになると、親と一緒にする花火よりも友達とする花火の方が楽しく、何人も集まって遊んでいた。最初は純粋に花火を楽しんでいるのだが、だんだん過激になってくる。噴射式の花火を手に持って友達を追い掛け回したり、こっそり後ろから爆竹を投げつけて人が驚くのを見て喜んだりする奴が現れるものだから、常に周りを警戒しなければならないという緊張感の高い遊びだった。

  友達数人と川岸で花火をしていると対岸では違うグループが花火をしていた。最初はそれぞれに花火を楽しんでいたのだが、対岸の奴らがロケット花火をこちらに向かって発射してきた。そうなったら戦争の勃発である。こちらもロケット花火を対岸に向けてセットし、一気に火をつけて一斉発射してやった。向こうも負けじと大量に発射してくる。足元や耳元で爆発する危険な状況になってきたが後には引けない。

  友達がどこからか中が空洞になっている鉄パイプを拾ってきたので、ロケット花火の束を突っ込み、火をつけて鉄パイプを構えたところ、マシンガンのように連続発射される。逃げ惑う対岸の ”敵” に狙いを定めて次から次へと発射してやった。双方とも全弾撃ち尽くして戦争が終結したとき、遠くからパトカーが近づいてきた。近くの住人が通報したらしい。

  ある者は自転車で、ある者は走って必死になって逃げた。逃げている間は対岸にいた敵も味方もなく、一緒になって走っていたのだが、よく見ると同じ学校の奴だったのである。「なんだお前だったのか」 ということになり、逃げ切ったあとで 「わっはっは」 と肩を組んで歩いていた。まさしく昨日の敵は今日の友である。その後はお互いに戦果を称え、友好条約が締結されたのであった。

  花火でいろいろなことを思い出してしまった。久しぶりに花火をしてみるのも悪くないかもしれないと思ったりしている今日この頃である。

2003 / 08 / 24 (日) ¦ 固定リンク


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