過去の記憶をたどると様々なことを覚えており、むしろ数日前の食事内容とか数年前の旅の思い出よりも鮮明だったりするのはオッサン化が進んだ証しなのかも知れない。
小さい頃の記憶は確かにあるが、小中高と通学に関する明確な記憶が無いのはなぜなのか。
通学の道のり、景色も記憶に刻まれてはいるのだが、とくに登校時の記憶がほとんどと言っていいくらい残っていない。
三歳の時に住み始めた家は農業を営まれていた方から譲って頂いた土地に建てたので、周りは一面の畑と田んぼで他に家などなく、当然のことながら隣近所などというものもないので誰かと一緒に登校することもなく、行きはいつも一人だったはずだ。
毎朝どうやって学校までたどりついたのか、小学校から高校まで覚えていないというか、何も心に残っていないのである。
下校になれば、もちろん道草をして叱られた記憶もあれば、友達と笑い転げながら歩いた記憶、無意味に石を蹴り続け、先にやめるのが悔しくてムキになった記憶もある。
小学校の時はずっと仲良くしていたキミヒコと一緒に帰ることが多かったし、男子も女子もなく数人が入り乱れてワイワイ言いながら帰ることも多かった。
歩道の縁石の上をずっと歩いたり、冬は除雪で積まれた雪の上を歩いて帰ったりしたものだ。
中学生になれば真っ直ぐ家になど帰らず街なかをうろついたり喫茶店に寄ったりもしたし、友達の家に寄ったり、不良仲間と遊んだりしてから帰宅した。
途中までマサルと帰ることも多く、今となっては何を話していたのかも覚えていないが何だかんだと喋ったり大笑いしながら下校した記憶が残っている。
しかしながら登校時の記憶はどの学年を通じても明確ではない。
そして、その中でも特に不思議に思うのは雨の日の通学だ。
毎日の通学では雨の日もあるのが当然で、小学校の低学年であればカッパを着せられて通学したかもしれないが、高学年以上になれば傘をさしていはずなのに、その記憶が皆無なのである。
いったい何色の傘を持っていたのか、帰りにその傘を持って帰宅したのか。
そもそも学校のどこに傘を置く場所があったのか。
玄関に傘立てがあった記憶はないし、下駄箱はあってもロッカーなどはなく、教室にも傘を置いておくような設備があった覚えはない。
そして、自宅でも傘はどこに置かれていたのだろう。
もしかすると折りたたみ式の傘を使い、家でも学校でもカバンの中に入れっぱなしにしていたのだろうか。
そうでなければ突然の雨でびしょ濡れになって帰ることも多かったはずだが、全身が雨に濡れて帰宅した記憶など 1、2度しかない。
つまり、天候が急変しても対応できていたということであり、それが可能なのは常に傘を携帯していたからなのではないか。
推測から導き出される結論は折りたたみ式の傘が常にカバンに入っていたということになるが、例えそうだったとしても、いったいそれは何色でどんな柄の傘だったのだろう。
それに関して一切の記憶がないのが不思議でならない。