2007年の終わりに

もう早や一年の終わりだ。 早い。 早すぎる。 いや、早いなんていうものじゃない。 うかうかしていると、あっという間に 100歳くらいになってしまいそうな勢いだ。 以前の独り言に書いた 『ジャネーの法則』 なのだろうが、本当に歳を重ねるごとに一年が早く過ぎ去る。 記憶では先月くらいに桜が咲いており、先週くらいまで暑かったような感じだ。

しかし、この雑感や 『管理人の独り言』、『お買い物日記』 で使っているブログのシステムを新しくしたのは今年の初めで、それを書き始めてから一年と考えると、ずいぶんと長く感じるもので、やっぱり時間の感覚というのは適当でいい加減なものだとしみじみ思う。

『管理人の独り言』 を読み返してみると、なんと濃淡のない生活をしているのかと我ながら呆れかえってしまうが、それに反して世の中では本当に色々なことがあった。 新聞やテレビで今年の重大ニュースを取り上げているが、自分が最も印象に残っているのは今年の漢字にも 『偽』 が選ばれているように、原材料の偽装や賞味期限の改ざんで食の安全が脅かされ、崩壊したことに尽きる。

正月気分も抜けない年初に 『不二家』 の件が発覚し、それ以降は雪崩をうったように次から次へと様々な食品に関わる不祥事が続き、主に中国からの輸入食品からは規定以上の薬品が検出されたりするケースが多く、スーパーなど小売業でも賞味期限の改ざんが行なわれる事態にまで至っては、いったい何が安全で何を食べたら良いのか分からなくなってしまった。

それでも我々消費者は、少し賞味期限などに神経質になりすぎているかも知れない。 前にも書いたかも知れないが、以前の生活に賞味期限などという言葉はなく、1976年から一部の食品で表示が義務化され、1997年から対象の食品が広まった歴史の浅いもので、それまでは視覚、味覚、嗅覚によって自ら賞味期限を判断していたものである。

食べてみて少し酸味を感じたり、妙な臭いがすれば 「危険だ」 と判断して食べるのを止める。 結果、そのギリギリまで食べていたことになるが、それによって腹をこわすとか食中毒になるということも少なかったように思う。 今は賞味期限が一日でも過ぎると捨ててしまう人も多いだろうが、それを口にしたからといって死ぬ訳でもなく、捨てる必要などないのである。

昔は食パンにカビが生えた程度であれば、その部分をちぎり捨てて食べたものであり、お年寄りからは 「青カビはペニシリンの原料だ」 などと訳の分からない理論で言いくるめられ、文句を言いながらも食べていたものである。 だからと言って腹が痛くなった記憶もないので、必要以上に気にする必要などないのだろう。

それでも慣れというのは恐ろしいもので、そんな自分でも賞味期限を過ぎたものを食べるのはテンションが下がる。 いっそのこと賞味期限や消費期限の表示を止めてしまったらどうだろう。 昔のように野菜や魚の鮮度を見分ける知恵をつけ、五感をフル活用して食べられる常態か判断すれば良いのではないだろうかとすら思う。

日本は食料品の 60%も輸入に頼り、その 28%も廃棄している頭の悪い国民だ。 買い物のテクニックとかを磨く前に、いかに無駄をなくすかを考慮すべきだろう。 来年から様々なものが値上がりするが、それでもまだ廃棄物を減らすことなく無駄な消費を続けていくのだろうか。

何だか来年の抱負もなく、ぼやいて今年の雑感を終えることになってしまったが、物価の高騰に耐え、来年も何とか生き抜いていこうと小さく決意したりしている年末である。

威厳

何が端緒となったのか忘れてしまったが、今日の午前中に 『お買物日記』 担当者と学校や教師について話し込み、「昔は良かった」 というオッサン、オバハンの常套句を連発する事態に至り、崩壊しつつある現代教育の矛盾と危険性について深く認識してしまった。

そろそろ冬休みだと思うが、夏休みにしても冬休みにしても共稼ぎの両親を持つ子供は休みの期間、どうやって生活をしているのだろう。 共稼ぎの両親を持つ自分が子供の頃は、知り合いの家で昼御飯を食べさせてもらい、それ以外は朝から晩まで遊び呆けていたものだ。 家に親がいようがいまいが、そんなことは一向に関係がなく、それなりに充実した休みを過ごしていたものである。

また、遠く離れた土地に住む祖父母の家に行き、そのまま夏休みや冬休みが終わるまで帰らなかったことも一度や二度ではない。 最初は両親に連れられて祖父母の家に行き、そのまま滞在するというのがパターンだったが、小学校の 3-4年になると一人で電車に乗って行って休みが終わったら一人で帰ってくるという、今で言えば 『お子様一人旅』 の走りのようなことをしていた。

現代の子供は塾通いもあるだろうから、祖父母の家に長期滞在することは難しいだろう。 ましてや超過保護に育てられている子供が一人で旅することなどできないだろうし、第一に親がそれをさせたがらないのではないか。 だとすればなおさら、共稼ぎの親を持つ子供はどうやって休日を過ごしているのか。

昔は学校のグラウンドや校庭に行けば必ず誰かがいて、暗くなるまで砂ぼこりを立てながら遊んでいたものである。 そして、休みであるにも関わらず、必ず学校には一人や二人の教師がおり、大喧嘩が始まるとどこからともなく現れて子供たちを叱りつける。 子供の側も、誰かが怪我でもした場合、職員室に行けば必ず先生がいてくれるという安心感があった。

しかし今は安全上の問題からか、休日の校門は固く閉ざされている。 宿直制度もなくなった学校には教師もいないことだろう。 仮に今でも休日の学校が開放されており、教師がいたとしても子供を叱ることなどできないかもしれない。 下手に子供を叱ったり、ましてや平手であっても頭を殴ろうものなら鬼のような形相をした親が怒鳴り込んでくるに違いない。

かなり以前の雑感に、「母親が父親を馬鹿にしておいて子供の教育などできるか」 と書いたが、それは教師に対しても同じことが言える。 昔の親は教師を尊敬し、子供に対しても 「先生は偉い」 と説いたものである。 たとえ自分より年下の新任教師であろうと教師は絶対であり、叱られたり殴られたりした場合は 「おまえが悪い」 と言われたものである。

現在のように教師を教育産業の従業員としか見なさない態度で、子供の教育まで押し付けようというのが間違っており、そのような態度や力関係を子供も敏感に感じ取っているから教師の言うことなんぞ聞かないのだと思う。 よほど酷い体罰でも受けない限りは、教師に殴られようと 「おまえが悪い」 と子供に教えれば良いし、先生は偉いものであると諭さなくてはならないだろう。

そういう根本部分から考え直さなければ、学校教育の崩壊を食い止めることはできないし、真っ当な子供も育たないだろう。 すぐに手を出す子供にとって怖い先生だって必要だ。 親が何を思おうと、そんな先生の周りに集まる生徒だって多かった。 悪いことをすれば叱られたり殴られたりするのは当り前のことで、普段は頼りになる優しい先生だと子供自身が知っている。

自分は教師から叱られたことも殴られたことも数知れず、親はそんな教師に文句を言うどころか御礼まで言っていた時代に育った。 それでも今から考えると、「昔は良かった」 と思えるのだから、それは何も間違っていなかった証拠ではないだろうか。 現在の子供たちが大人になったとき、今の教育者が本当に自分にとって良い先生だったと記憶に残っているだろうか。

そして、そんな子供が大人となって親となり、子供が学校に通い始めると、今よりもっと酷い馬鹿親になって教師達を怯えさせるに違いない。

CMの明日

過去の独り言で 『小林製薬』 や 『マクドナルド』、『ナショナル』 に 『アート引越しセンター』 のテレビCMに文句を書き、 『エステー』 や 『セコム』 のCMが嫌いだと書きなぐったりしてきたが、まだ他にも嫌いなCMはある。 以前の雑感にも書いたが、DonDoko 山口 (智充) 氏が登場するCMのすべてが好きになれないし、エプソン社のCMはどれを見てもパッとしないように思う。

エプソンは過去から現在におけるまで、その時々の一線級のアイドルや大物芸能人を起用している割にはイマイチ感がほのかに漂い、どうしてこうもダサダサのCMしか作れないのかという哀れみすら湧いてくる。 クライアントであるエプソンにセンスがないのか、広告代理店にセンスがないのか、同じ家庭用プリンタのCMなのにキヤノンとは大違いである。

池田模範堂の手荒れによるパックリ®割れ治療薬 『ヒビケア軟膏』 のCMも大袈裟で嫌いだ。 特殊メイクとも呼べない幼稚なひび割れを手の何箇所にも作り、大袈裟に宣伝する内容に嫌悪感すら覚えてしまう。 とにかく過剰演出がどうしても好きになれないのである。

CMで気になっているのは森永製菓で、エンゼルマークの表示とともに流れる 「ピポピ」 のシグナル音は、「ピポピポ」 の 4音が復活した。 1967年から 1985年まで 4音だったのに 1986年のマーク変更とともに 3音に変わり、それまで馴染んできた者としては何だか拍子抜けするような、しっくりこないような違和感を覚えたものだが、4音に戻したのには何か訳があるのだろうか。

その他に気になっているのはビール業界のCMである。 タレントを起用するようになったのはいつの頃からか。 昔はどこかの劇団員のような見たこともない人が登場するのが常であり、どのビールメーカーもそれは同様だった。 それが今では名のあるタレントや、矢沢永吉氏のような大物まで起用している。 消費が落ち込み、他社との差別化を図るためには止むを得ないのかもしれないが。

ブレンディの CM といえば原田知世氏だ。 あのCMは一度流れ始めると、それが新しくなるまで長期間放映される。 それは決して予算がない訳ではなく、あえて長期間の放映をしているのだという。 その刷り込み効果は著しく、原田知世 = ブレンディ、インスタントコーヒー = ブレンディと潜在意識に深く刷り込まれているようで、アンケート調査では回答者の多くがインスタントコーヒーと言えばブレンディと答えたそうだ。

さらに驚くべきことに、そのCMは 2001年にまとめ撮りされ、つい最近まで、放送されていたという。 どうりで歳をとらないはずだし、これほど徹底したキャラクター管理は執念とさえ言える。 現在放映されているものは今年になって収録されたものらしいが、いった何年分までまとめ撮りしたのだろう。 これから 10年間くらいは歳をとらない原田知世氏が見られるかもしれない。

最近はネット広告の伸びが著しく、テレビCMの数や予算は減少していると言われている。 しかし、それでもネット広告への予算は数%にすぎず、テレビCM予算の 70%とは比較すべくもない。 そして、ラジオや雑誌、屋外(看板)広告など様々な宣伝方法はあれど、日本コカ・コーラ社の壮大な実験結果によると、駅構内や電車内における交通機関広告が最も費用対効果が高かったらしい。

今後、CMがどこに向うのか分からないが、視聴率の低迷が続くテレビ業界から離れ、ますますネットへの流出や費用対効果の高い他の媒体に移行していく可能性は否定できない。 その時、我々消費者の目には、どんな映像が飛び込んでくるのだろう。

行動心理

YAHOOGoogle を代表とする検索エンジンで何らかの解を求めて検索する行動と、人に相談をする行動は似ているように思われ、それは取りも直さず己が求めていること、求めている方向への導きを望んでいるのであり、本当に迷い、悩んだ挙句に自分では解を得られず、困り果ててネットや人に頼るということは少ないのではないかと想像する。

まず仮説ないし自分の中で決めている方向性があり、それを後押ししてくれる結果を望んでいるだけであるから、その際は否定的意見は排除し、肯定的意見を見つけては 「やっぱりね」 とか 「ほらね」 などと納得して自分の判断に間違いがないような錯覚におちいり、結果、それが間違っていた場合には他人のせいにして自己への負担を軽減させる絶大なる効果をもたらす。

もちろん、自分の知らないことを調べるためにネットで検索したり人に訊いたりすることもあり、その場合は全面的に得た情報を信頼することもあるが、もっと心理的な部分においては己に近い意見を尊重するもので、例えば UFO とは何ぞやと調べた場合、それは未確認飛行物体 (Unidentified Flying Object) であると正確な解を得られるが、UFO が存在するや否やという案件になると、少しでも存在を信じたい場合は肯定派の意見を尊重し、否定派の意見は無視となる。

例えを低次元にまで落とし込んで展開すると、彼氏との仲がうまくいっていないが、自分の中では 「別れたくない」 という漠然とした思いがある女性が友人に恋愛相談を持ちかける場合、「辛いこともあるけど頑張りなさいよ」 という後押しがほしいのであって、「そんな男となんか別れちゃえば?」 などと言われようものなら、泣くは叫ぶはの大騒ぎとなって友人を閉口させるのは確実であり、「だったら最初から相談すんな」 的雰囲気が辺りを漂うことうけあいである。

それよりも重大な人生相談であった場合も、程度の差こそあれ己である程度の方向性に傾いている場合が多く、人からはそれを後押ししてもらうことを望み、一歩踏み出すきっかけを欲していることがほとんどであり、悩んでいるふりをして、自分が進もうとしている道と異なる意見を言われると気分を害し、肯定的意見を聞くと 「やっぱりね」 と気分良く納得して 「いやぁ~相談して良かったわ」 などと、会った時のゲッソリ感など微塵もなく、相談相手の疲労感など無視して晴れやかな顔を見せる。

ネットの閉鎖性により思想が偏ることを危惧する人がいるが、ヒューマンコミュニケーションだって大差はなく、結果的に人は自身の判断に基づいて進むべき道を模索し、方向性を決定しているものと思われるので、思春期以前ならともかく成人は自己責任を前提に前に進めば良いのである。

そうする自信もなく、自身で決断することすらできない人は、カルト宗教の餌食になりそうな気がするので少し心配であり、むしろそちらの方を心配すべきではないかと考える今日この頃である。

マサルノコト scene 17

夜の学校は不思議な雰囲気だ。 普段であれば、絶対にいるはずのない時間、クラブ活動をしていた生徒も帰宅し、教師すら数人が残っているだけの校内。 演劇の通し稽古をするために体育館のステージに集まる仲間たち。 体育館はただでさえ声が響くが、それをかき消す他の生徒の声もなく、一切の雑音がない静寂の中に一人ひとりの声だけがこだまする。

熱心に台詞を覚える仲間を横目で見ながら、自分は美術担当として舞台をどうやって作るか頭を悩ませていた。 物語の中心は学校の教室。 誰も見たことのない場所が舞台であれば、想像の世界なので抽象的な背景で済むが、場所が教室だとそうはいかない。 おまけに物語りの 99%は教室のシーンなので長く人の目に触れることになる。

机や椅子は実際の教室から運び入れれば良いのだが、問題は教室の壁だ。 そこで、角材とベニヤ板でステージ一杯のセットを作り、教室の壁をすべて再現することにした。 黒板やそこに書かれている日直などの文字、壁の色から板張り部分の木の一枚から木目まで、ペンキや絵の具を使ってすべて忠実に描きこむ。 一部に出入り口のスペースを確保し、実際に教室の戸を外してはめ込んだ。

劇の方は冒頭に喧嘩のシーンをもってきて派手なアクションから始め、観る側の関心を一気に惹きつけようという作戦だ。 動きを指示するマサルの声にも力が入る。 顧問である女教師からは 「早口すぎるから、もっとゆっくり台詞を言うように」 という指示があった程度で、それ以外のすべては自分たちの手で一から作り上げた。 いや、たった一点をのぞいては・・・。

冒頭の喧嘩のシーンで一人が大怪我をしてしまい、救急車が駆けつけるというストーリーなのだが、そのサイレンの音を入手しなければならない。 そこで学校側が消防署に掛け合い、録音させてもらうことになった。 マサルと自分は、それぞれに忙しかったので女教師に録音してきてもらったのだが、その件で担任から 「教師を使うとは何ごとぞ」 とこっぴどく叱られてしまった。

しかし、こっちはこっちで本当に忙しかったのである。 学校祭の日は刻々と近づき、美術担当の自分も脚本兼、演出担当のマサルも頭が一杯で、授業なんかうけていられないくらいだ。 出演者も授業どころではなく、机の下に台本を隠して何度も何度も読み返している奴もいるくらいだ。 そんな時にわざわざ消防署になんて行っているヒマなどないのである。 ヒマそうなのは女教師だけだったのである。

毎日夜遅くまで学校に残り、時には真っ暗になった校内で肝試しをして遊びながらも、勉強の数百倍もの努力と練習を重ね、いよいよ学校祭の当日となった。 学校内の話なので特別な衣装など用意する必要がなく、いつもの制服で芝居をするのだが、ただ一つだけ問題が持ち上がった。 不良役にしている一年生の女の子が真面目な生徒なので当時の不良の定番であった長いスカートなど持っていない。

そこで、不良をしていた同級生と一年生のスカートと交換させることにした。 同級生は死ぬほど嫌がっていたが、そこは不良仲間の自分が説得したり脅したりして無理矢理にでも着替えさせる。 ここで女教師が自分に白羽の矢を立てた理由がいかんなく発揮されたのである。一年生にスカートを履かせると、思った通りバリバリの不良に見える床を引きずるくらいの長さになった。

そして、いよいよ本番の幕が静かに上がった。 舞台に再現された教室のセットを観て会場からはどよめきが起こる。 そして冒頭の喧嘩のシーン。 殴られ役の生徒が並べてある机や椅子が壊れるほどの勢いで転がり、場内に驚きと歓声が上がる。 そして照明が暗転すると、近づいてくる救急車のサイレンの音。 場内が騒然となり、一気に物語へと引き込むことに成功。

物語の主人公はマサルとともに、いつも一緒にいたノブアキだ。 途中、台詞を忘れて必要以上に沈黙が流れるなどのアクシデントはあったものの、順調に芝居は進んでラストシーンへ。 最後は友達や友情がどれほど大切なものかを切々と語って幕が下りる。 そこで大きな拍手は貰ったが、それで終わらせる自分たちではない。

再び少しだけ幕の中央を開け、エンディングの音楽が流れる中、模造紙を何枚も繋ぎ合わせて作った出演者や裏方の名前を左から右にゆっくりとスクロールさせる。 そう、映画やテレビドラマのエンドロールのように、演劇に関わった人たちの名前が一人ひとりスポットライトに照らされる。 そして最後に -THE END- の文字。 場内は割れんばかりの拍手と喝采に包まれた。

自分とマサルを誘った女教師から全員に感謝とお褒めの言葉をいただいたが、木枯し紋次郎のように 「あっしには関係のねえことでござんす」 といった雰囲気で、成功の余韻に浸ることもなく翌日から何事もなかったように普通の生活に戻っていった仲間たちがカッコイイ。 大人になった今とは違い、人からの評価など気にすることもなく、ただ一つのことに向って何かをやり遂げる。

代償や評価を求める現在とは異なり、子供の頃は全員がそういうものだったのかも知れない。