YAHOO や Google を代表とする検索エンジンで何らかの解を求めて検索する行動と、人に相談をする行動は似ているように思われ、それは取りも直さず己が求めていること、求めている方向への導きを望んでいるのであり、本当に迷い、悩んだ挙句に自分では解を得られず、困り果ててネットや人に頼るということは少ないのではないかと想像する。
まず仮説ないし自分の中で決めている方向性があり、それを後押ししてくれる結果を望んでいるだけであるから、その際は否定的意見は排除し、肯定的意見を見つけては 「やっぱりね」 とか 「ほらね」 などと納得して自分の判断に間違いがないような錯覚におちいり、結果、それが間違っていた場合には他人のせいにして自己への負担を軽減させる絶大なる効果をもたらす。
もちろん、自分の知らないことを調べるためにネットで検索したり人に訊いたりすることもあり、その場合は全面的に得た情報を信頼することもあるが、もっと心理的な部分においては己に近い意見を尊重するもので、例えば UFO とは何ぞやと調べた場合、それは未確認飛行物体 (Unidentified Flying Object) であると正確な解を得られるが、UFO が存在するや否やという案件になると、少しでも存在を信じたい場合は肯定派の意見を尊重し、否定派の意見は無視となる。
例えを低次元にまで落とし込んで展開すると、彼氏との仲がうまくいっていないが、自分の中では 「別れたくない」 という漠然とした思いがある女性が友人に恋愛相談を持ちかける場合、「辛いこともあるけど頑張りなさいよ」 という後押しがほしいのであって、「そんな男となんか別れちゃえば?」 などと言われようものなら、泣くは叫ぶはの大騒ぎとなって友人を閉口させるのは確実であり、「だったら最初から相談すんな」 的雰囲気が辺りを漂うことうけあいである。
それよりも重大な人生相談であった場合も、程度の差こそあれ己である程度の方向性に傾いている場合が多く、人からはそれを後押ししてもらうことを望み、一歩踏み出すきっかけを欲していることがほとんどであり、悩んでいるふりをして、自分が進もうとしている道と異なる意見を言われると気分を害し、肯定的意見を聞くと 「やっぱりね」 と気分良く納得して 「いやぁ~相談して良かったわ」 などと、会った時のゲッソリ感など微塵もなく、相談相手の疲労感など無視して晴れやかな顔を見せる。
ネットの閉鎖性により思想が偏ることを危惧する人がいるが、ヒューマンコミュニケーションだって大差はなく、結果的に人は自身の判断に基づいて進むべき道を模索し、方向性を決定しているものと思われるので、思春期以前ならともかく成人は自己責任を前提に前に進めば良いのである。
そうする自信もなく、自身で決断することすらできない人は、カルト宗教の餌食になりそうな気がするので少し心配であり、むしろそちらの方を心配すべきではないかと考える今日この頃である。