マサルノコト scene 18

学校祭の余韻を味わうこともなく、ただダラダラとした学校生活が続く。 今にして思えば当時は何を考え、何を楽しみに生活していたのかさっぱり分からない。 授業もまじめに受けず、寝てばかりいたような気もするし、クラブ活動に専念する訳でもなく、虚無な時間を過ごしていたような気がする。

基本的に友達と遊べるので学校は嫌いではなかったが、勉強をする気などさらさらなく、毎日のように遅刻して到着し、授業中は死んだように眠ったり、ボ~っとしながら無益な時間を過ごし、休み時間や放課後に全てのエネルギーを注ぎ込んでいた。 マサルやノブアキと持て余す体力を発散させ、毎日ヘトヘトになるまで遊んでいたような気がする。

当時、ノブアキの家は学校のすぐ近くにあり、学校帰りに寄って遊ぶことも多かった。 ノブアキの父君がゴルフをされており、そのクラブや練習用の遠くまで飛ばないボールなどがあったので、誰が遠くまで飛ばせるかを競い、順番にではあったが何時間もボールを打ち続けたりしたこともある。 よくもまあ、飽きなかったものだと感心するのと同時に、その当時の体力を少し分けてほしいとすら思う。

ある日、ノブアキの家の外に置いてあったポリバケツのフタが、投げるとフリスビーのように飛ぶことに気付き、三人でキャッチボールならぬキャッチフリスビーをして遊んでいた。 だんだんとコツをつかむようになり、カーブやらシュートやらを折りまぜたりしてエスカレートしてきた。

そして、マサルの手から離れたバケツのフタは、空に見事な弧を描きながらノブアキから逸れて行き、側にあったブロック塀に向って進む。 それを何とかキャッチしようと塀に気付かず身を躍らせるノブアキ。 手を一杯に伸ばし、フタに触れたのと右手が塀に激突するのは同時だった。

どういうタイミングでそれが起こるのか分からないが、ノブアキの右手の小指は熟れた果実が弾けたように裂傷してしまった。 切り傷とは明らかに異なる傷口からは、今までに見たこともないような量の血が流れ出し、事の重大さを物語っている。 慌てふためいたマサルと自分は、家の人に知らせて医者に連れて行かなければと玄関に転げ込む。

在宅していたのはノブアキの御祖母様一人だったので 「大変なことになった」 と伝えると、「ありゃ~」 とのんびり構えていらっしゃる。 今の世の中であれば、「大切な孫に何と言うことを」 などと言って大問題になるところだろうが、当時は子供が怪我をすることなど当り前で、多くの子育てを経験された御祖母様にとって慌てるような事態ではなかったのかも知れない。

救急車を呼んだのか、タクシーで病院に向わせたのか、はっきりとした記憶は残っていないのだが、とにかくノブアキが運ばれて行った後に残ったマサルと自分に御祖母様が 「よかったら食べなさい」 と切り分けたたくさんのスイカを運んでこられた。 たった今、大量に流れ出る血を見たばかりなので、赤々としたスイカは食べる気になれなかったが、一切れだけ御馳走になった。

そして、自分にも責任があると感じているマサルと二人、トボトボと家路についた。 いったいどれほどの大怪我なのか心配でならなかったが、ノブアキは翌日から元気に登校してきており、何針も縫うことになってしまったが指は大丈夫だと聞かされてほっと胸をなでおろす。

当時ノブアキと交際していた女の子を 「ノブアキの指は一生うごかないかもしれない」 などと言ってビビらせたり、怪我をした状況を身振り手振りを交えて面白おかしく友達に説明したりと、自分達の責任などコロッと忘れて普段の生活に戻っていく。

暴れられないノブアキをよそに、マサルと自分は落ちていた空き缶を蹴りながら、何の目的がある訳でもなく、ただ蹴りながら、何となく自分が先に止めるのがくやしくて、ただひたすら蹴りながら、お互いに口も利かずに缶をパスしながら交互に蹴り続けながら下校したりもした。

本当に虚無で無益な毎日を過ごしていたものである。

精神鑑定

世も末なのか、訳の分からない犯罪が多発するようになった。 最近になって特に多いのが家族間殺人で、なぜ家族同士が殺し合わなければならないのか不思議でならない。 顔も見たくないほど憎かったり恨みがあるのであれば、殺す前に家を出れば良い話ではないのか。

自立できない子供が精神に異常をきたして殺人を犯すのであれば、ある程度は致し方ないような気もするが、30歳にも 40歳にもなったニートが親に 「働け」 と言われて逆上するのはなぜなのか。 全面的に依存している親を殺してしまっては、その後の生活が成り立たなくなることすら分からないのか。

殺人などという大罪を犯す時点でまともな神経だと思えないが、最近の裁判では弁護側が精神鑑定を依頼するのが常套手段となっているのもどうかと思う。 責任能力の有無を問うて何になるのか。 もっと以前からあったのかもしれないが、自分が記憶している限りで一番有名なのは 88~89年に埼玉と東京で幼女 4人が殺害され、世間を震撼させた連続幼女誘拐殺人事件だ。

殺人罪などに問われた宮崎勤被告に対し、弁護側が精神鑑定を求めて刑事責任能力が問えるか否かが争点となった。 結果、2006年の 2月に責任を問えるとして死刑判決が下ったが、逮捕後 16年もの歳月が費やされてしまった。 たとえ加害者であっても人権、人命を尊重すべきであるとは思うが、4人もの幼い命を奪っておきながら責任能力が無いなどということは許されまい。

先に書いたように、どんな状況下にあっても人の命を奪うことはまともな精神状態で行なえるはずがなく、多かれ少なかれ異常を来たしているものと思われる。 極度の興奮状態になっており、前後の見境なく行動しているか、頭の中が真っ白になって自分が何をしているのかすら分からない状態になっているかであると想像する。 むしろ沈着冷静に人を殺している方が怖いではないか。

精神鑑定によって刑事責任能力が問えないとすると、事件が大きければ大きいほど無罪になる確率が高くなるということになりはしないだろうか。 例えば 1971年に発生した大久保清事件。 わずか 41日の間に 8人もの女性を殺害し、死体を遺棄した事件だが、この時の犯人の精神状態はどうだったのか。 まともな神経の持ち主が人を殺せるとは思えないし、ましてや 8人もの被害者がでるはずがない。

この文章を書きながら大久保清事件について調べてみると、精神鑑定が行なわれていたことが分かった。 それにも関わらず死刑が宣告されたということは責任能力があると判断されたのだろう。

精神鑑定によって刑事責任を問えないと判断された場合、加害者は刑罰を受けることなく病院送りになるだけなのだろう。 仇討ちが認められていない以上、被害者の家族は事実を受け止めねばならず、怒りや悲しみをどこに向けたらよいのか。

やがては退院し、殺人を犯した人が一般社会に出てくる。 宮崎、大久保の両名もそうだが、事件が発覚するまでは一般社会で生活していた訳だ。 そんな人であっても国家資格の運転免許を保有し、ホームセンターに行けば簡単に包丁も買える。

それを思うとき、背筋が寒くなるのは自分だけだろうか。

尺度

物事には様々な判断基準、尺度というものがあり、それは時として人を喜ばせたり悲しませたりする場合もある。01/08 の独り言にも書いたが、福岡県で起きた飲酒運転 3児死亡事故に対する判決は、遺族にとって受け入れ難いものだろうし、遺族の心情を察すれば納得できない部分も多いが、「危険運転致死傷罪とは何ぞや?」 という観点から司法が下した判断も尊重しなければならないのだろう。

昨年の 『ビリーズブートキャンプ』 ブームに象徴されるように、エクササイズとかダイエットに励む女性は多い。 それは当然 「痩せたい」 という願望があるのだろうが、はたして本当にやせる必要があるのか疑問に思える人まで熱心になっている。 それは女性の尺度だったり、自分の尺度で太っているとか痩せているかを判断した結果だろう。

実際には女性が思っているほど痩せている人が好まれる訳ではなく、世の男性の多くはガリガリの人よりも中肉を好み、「お願いだから、それ以上は痩せないでくれ~」 と心の中で叫んでいる。 ところが男性を意識したものではなく、女性の一方的な尺度や自分だけの基準で判断し、理想とする体型を追求するから必要のないダイエットをしてしまう。

野放しに脂肪を蓄えている人もどうかと思うが、大半の人は無理にダイエットなどする必要はなく、健康的に食べたいものを食べたら良いのであって、体に変調をきたすような食事制限や運動などする必要はないのである。 特に若いうちはパッツンパッツンに張っていようと、多少コロコロしていようと、若さがそれを十二分に補ってくれる。

極端な食事制限などしていると歳をとってから体に異常がでる危険性が高いので、直ちに中止すべきであると声を大にして言いたいが、痩せていることが良いことであると盲信している人の耳には届かないのだろう。 「将来、辛い思いをするよ~」 などと言っても聞く耳を持たず、食事制限を続けて肌がカサカサになり、骨粗しょう症への道をまっしぐらに進むのだろう。

本人の価値観などに左右されるものと違い、基準となる尺度が必要なものは世の中に多い。 時間や貨幣価値、距離や速度、大きさなどがそれに当たるが、写真に写ったものの大きさを示すために以前はタバコが並べられていることが多かったのに最近はそれを見ない。 やはり喫煙者の人口が減り、タバコはだれでもが知っていて比較対照となっていた時代は終わったのか。

昔は対象物の横には必ずタバコが置かれており、それを見てアバウトな大きさを把握できたものだが、現在は健康被害がどうしたとかこうしたと、うるさいのでタバコを置くわけにはいかないのだろうか。 しかし、何かと不便なのでタバコに変わるものを見つけてほしいものだ。 誰もが大きさを掌握できるものって何だろう。

世帯普及率が 85%を突破した携帯電話も有力だが、機種によって大きさが違う。 リンゴや卵などは似たような大きさなものが多いので候補となりうるが、食べ物を並べて写すのに抵抗がある場合もある。 何かタバコにとって代われる良いものはないのか。

結局、良い案は浮かばないが、何となくそんなことを考えて書き始めた雑感が、毎度の長文になってしまった事実の方が重大だ。 今年からはなるべく短く終わらせようと思っているので、この辺でやめておくことにする。

2008年初の

2008年初の雑感である。 言わば雑感の書き初めであり、今年一年の方向性を占う上で重要な文章となりえるのではないかと考えると身が引き締まる。 ・・・などと大袈裟なものであるはずもなく、今まで通りに無理せず気張ることなく、今年もダラダラと続けていこうと考えている。

今年は北京オリンピックなどのビッグイベントがあるため、昨年から 2008年の話題が多く取り上げられていたのが原因なのか、2008年という西暦には違和感がないが、平成 20年には少し驚く。 あまり和暦を使うことがないため、いつの間に平成も 20年まで来てしまったのかという感じだ。

この調子で時間が経過すると、千里丘駅横の高架下や道路の拡張工事が終わる 22年などあっという間に到来するのかも知れない。 最初は完成予定が遥か先の未来のような気がしていたが、もう目の前に迫ってきたと言うのが実感だ。

今年は一日に初詣に行き、二日には初買い物にも行って来た。 もちろん日常の初洗顔、初歯磨き、初風呂、初トイレなども経験済みであり、明日の午前中には今年初となる例の体操、夜には初バックアップをすることになる。 そして翌日には初仕事となって、新年になってすべてのことが出揃う。

例年であれば、どれが初夢なのか記憶が定かではなくなるのだが、今年は一日の夜にしっかりと初夢を見た。 初夢で見ると縁起が良いものとして、一富士二鷹三茄子 (いちふじにたかさんなすび) と言われるが、それは富士はその形から末広がりで子孫や商 (あきな) いの繁栄を、鷹は高く舞い上がるから機運上昇を、ナスは毛がないので「怪我(けが)無い」と洒落て家内安全を表すらしい。

他にも 「富士」 は日本一の山、「鷹」 は威厳のある百鳥の王、「茄子」 は“生す”“成す”で物事の生成発展するさまを言い表わしているという説もあるが、いずれにせよ縁起が良いということにおいて変わりはない。 一般的に知られているのはそこまでだが、実は続きがあって四扇五煙草六座頭 (しせんごたばころくざとう) なのだそうだ。 扇は末広がり、煙草は煙が立ち昇る、座頭は毛が無いことから、一富士二鷹三茄子と同義であると思われる。

生まれてこのかた、その六種類が夢に登場したことなどないし、それを初夢で見たという人にもお目にかかったこともない。 世の中でその初夢を見られる人はよほど運が良いものと思われるし、宝くじ的確率でしか見られないとすれば、それはそれでとってもありがたい夢であるのは間違いなさそうだ。

で、自分が見た初夢の内容はと言うと、何をしているの分からないが、とっても国家にとって重要であろう組織の一員となって、ある建物のある部署に配属となり、初めて出勤するところから夢は始まる。 その部屋には大勢の人がおり、多くのコンピュータが稼動している。 今後、自分が仕事をする席に案内され、30インチほどの大画面に映し出されている内容の説明を受ける。

どこの地方か分からないが、画面いっぱいに地図が表示されており、細かく区切られた地区それぞれに 『QUIET』(平穏、静か) という白い文字が並んでいる。 どうやら様々な地区を監視しているらしい。 席についてコンピュータのキーボードに触れた途端、表示されている文字が次々と 『CONFUSION』(混乱状態) という赤い文字に変わっていく。

何かいけない操作でもしてしまったのかと思い、慌てて周りを見ると、すべての画面が 『CONFUSION』 という文字で赤く染まり、職員たちも大騒ぎになっている。「何か日本国内で大変なことが起こっているらしい」 と皆が慌てふためく中、自分だけはなぜか冷静で、「これはコンピュータが暴走しているに違いない」 と確信し、「冷静になれ!」 と叫ぶ。

すると奥の自動ドアが音もなく開き、福田総理大臣と町村官房長官が姿を現す。 二人は足早に目の前を通り過ぎ、別の部屋に向っていく。 そこで、町村官房長官が立ち止まって振り返り、自分に向ってニッコリと微笑みなら、話しかけてきた言葉は 「さっそく君の出番だな」

「はぁぁぁ~!?」

・・・・・ 絶叫して目が覚めたが、いったい何を啓示する夢だったのだろう。 今年、自分の身に何が起こるのだろう。 期待と不安に胸をドキドキさせながら目覚めた 2008年最初の朝。