2004年 8月
オリンピック 2004-2 オリンピック 2004-2
メダルラッシュに湧いたオリンピックも終わりを告げようとしている。 現時点(08/21 14:00現在)でメダルの数は 35個と過去最高になっているが、金メダルの数は東京オリンピックの 16にとどいていない。 なんとか頑張って金メダルを 1つ追加していただきたいものだが、メダルを期待できる競技は何が残っているだろう。 テコンドー、男子マラソンなどは期待できるのだろうか?
期待を集めていた野球は残念ながら銅メダルに終ってしまった。 解説者の誰かが言っていたが、金メダルをもらうのは当然のことながら嬉しい。 ポイント制ではなく対戦型の競技では最後に勝って手にするものである。 しかし銀メダルだけは最後に負けて与えられるものなので、三位決定戦で勝って手にする銅メダルと、与えられた喜びはどちらが大きいのだろう。
1996年アトランタ・オリンピックで銀メダルに終った田村(当時)亮子選手も 「銀は負けてもらうメダルだから・・・」 と言っていた。 第三者から見れば銅よりも銀の方がランクは上なのだが、実際に競技した本人は複雑な心境なのかもしれない。
昨夜は何気なく新体操を見ていたのだが、「よくもまぁ、あれだけ体がグニャグニャになるものだ」 と感心してしまうくらいに軟らかい。 あれだけグニャグニャしながら高々と放り投げたボールを後ろ手でキャッチしたりするのが凄い。 常人には信じられないことをしているのに、「少し体勢が乱れましたね」 などと言われるのだから厳しいものである。
今回のオリンピック中継を見ていて思ったのだが、中継を担当しているカメラマンや映像を切り替えるスイッチャ−があまり優秀ではないような気がする。 野球の中継でも観客席で応援している人を映している間に点に絡むヒットがでたり、スロー再生している間に点が入ったりしていることがあった。 カメラが打球を追えずにウロウロしていることもしばしばである。
昨夜見ていた新体操もカメラが近すぎて投げられたフープ(輪)やボールが、どの程度まで高く上がっているのか分からないし、何日か前の女子マラソンでも 2位グループや 3位グループの情報が的確に伝わってこなかった。 スタッフがスポーツの中継に慣れていなかったのか、日本やアメリカなどの技術が優秀すぎるくらい優秀なのか。
高校、大学、プロを含めた野球中継でカメラが打球を見失って画面に捉えきれないことなど滅多にないし、重要なシーンで観客を映していたりスロー再生していることもない。 長年の積み重ねによって培われた経験によるものなのか、映像に合わせて実況するアナウンサーも流れるように喋るが、オリンピックの実況は少し話しづらそうにしているように思えた。
マラソンではバイクに乗ったカメラマンが 「邪魔にならないか?」 と思えるくらい選手の近くに寄っていたりして見ている方がドキドキしてしまう。 その割には日本の中継のように 2-3位グループの視点から中継することも少なく、先頭集団まで中継車を加速して追いつき、どの程度の距離があるかを体感させる ”演出” も見られない。 なんだか単調な画面が続くので、やはり実況し難かったと思う。
若干の技術的な問題点はあるにせよ、テロ攻撃の対象になることもなく平和の象徴でもあるオリンピックが無事に閉幕しようとしている。 選手達は今後もマスコミの取材などに追われて忙しいのかもしれないが、可能なことであるならば、少しゆっくりと休んでいただきたい。
などと書きつつも、「・・・あと一つ金メダルがほしい」 などと欲どうしいことを考えたりしている休日の午後なのであった。
2004 / 08 / 28 (土) ¦ 固定リンク
オリンピック 2004 オリンピック 2004
テロに対する厳重な警戒の中で開幕したオリンピックも開催期間の半分が過ぎようとしている。 テロの懸念から思ったほど観光客が集まらず、ギリシャの相場からすると入場券の価格も高いなどの理由から観客席には空席が多く見られる。 今大会も収支は赤字になるのが決定的なのだそうだ。
開催国に多額の金が集まる時代は当の昔に過ぎ去っている。 それが分かっていながら 2008年のオリンピック開催を北京と競っていた大阪は何を考えているのだろうと思うし、目覚しい発展を遂げている中国に決定したことは結果的に良かったのだろうとも思っている。 純粋なスポーツの祭典であったはずのオリンピックも、今となっては国際オリンピック委員会(IOC)を肥やすだけの祭りになったようだ。
五輪マークの使用権、競技の放映権料が高騰し、とてもテレビ局一社で払える金額ではなくなってしまった。 そのため、日本では NHK と民放各局が共同で放映権を獲得して中継している。 そんな理由から 『
管理人の独り言』 に書いたように NHK で民放のアナウンサーの声を聞くことができるという不思議な現象が起こっていたりもするのである。
そんな商業的な話はやめて、純粋なスポーツの祭典としてオリンピックを見ると、今回は 21世紀最初の夏季大会である。 前回のシドニーが 20世紀最後の大会で、この雑感を書き始めたのも
その頃だった。 思えば 4年間も書き続けていることになる。 子供の頃は 「何をやっても長続きしない」 と親から叱られたものだが、4年も続けることになろうとは。 我ながら少々驚いていたりするのである。
そんな個人的な話はやめて、純粋なスポーツの祭典としてオリンピックを見ると、今大会での日本人選手の活躍はすばらしい。 前回のシドニーの時から見るのが好きになった柔道では金メダルを 8個も獲得した。 男子、野村選手の 3連覇もすごいが、女子、谷選手も怪我をおしての金メダルである。 誰かが言っていたが、「田村で金、谷でも金、母になっても金」 を目指してほしいものである。
水泳の北島選手、体操の日本チームなどもすばらしいが、メダルには手が届かなかったものの、『卓球の愛ちゃん』 こと福原選手が残した功績は大きいと思う。 数年前まで卓球は ”暗い” スポーツの代名詞だった。 試合も 『その他の競技の結果』 として小さく扱われる程度だったのに彼女の影響で試合が中継され、多くの人がその結果に一喜一憂した。
人気のなかったスポーツが脚光を浴び、小学生を対象にした 『尊敬できるスポーツ選手』 というアンケートにも福原選手は上位に名を連ねる。(財)日本卓球協会も福原選手には感謝しなければいけないだろう。 今回の結果がどうであれ、彼女には特別な処遇をするべきではないかと思うし、それだけの功績は十分に残していると思う。まだ 15-6歳で、これから何度もオリンピックに出場する機会があると思うが、いつか必ずメダルを手にしていただきたいものである。
オリンピックは残り半分であるが、これからもメダルの期待がかかる選手が続々と登場する。 現時点(08/21 14:00現在)でシドニーで獲得したメダル数を超えているが、東京オリンピックの時と同じくらい。 いや、それ以上のメダルを獲得できるように残りの競技も応援したいと思っている。来週もテレビの前に座り、日本人選手が活躍するたびにパチパチと手を叩く日が続きそうである。
2004 / 08 / 21 (土) ¦ 固定リンク
〜 伝説 II 〜 〜 伝説 II 〜
先月の雑感に身近な伝説のことを書いたが、あれはすべて二十歳前後のことである。 それ以前の学生の頃にも学校で伝説として語り継がれていることがあったし、新たな伝説を生んだ奴もいた。
高校で語り継がれていた伝説に 『山菜事件』 というのがある。 それは何年前の先輩なのか不明だが、素行のよろしくない、つまりは不良と呼ばれる先輩二人が原チャリ (50cc のバイク) の無免許運転、二人乗りで捕まり、その原チャリが盗品であったことから警察のお世話になってしまった。
警察署に呼び出された親は激怒し、こっぴどく叱られたのは当然だが、学校も一週間の停学処分になってしまった。 停学期間が終わり、二人揃って登校してきた彼らは昼に弁当を食べようと中を見たところ、一人の弁当には 『ふき』 がびっしり詰められており、米が一粒も入っていない。 それを見て、もう一人が大笑いしていたのだが、自分の弁当を開けてみると 『わらび』 がびっしり詰められていた。
どうやら双方の親が結託して子供に罰を与えたらしい、その話は高校の伝説となっていた。 その伝説を家族に披露して大笑いしながら楽しい夕食をしていた先輩の家に警察官がやってきた。 その数日前に他校との乱闘騒ぎがあり、彼もそれに参加していたのである。 楽しかった夕食の席は一瞬にして凍りつき、母親が泣き崩れる中を息子は連行されていった。
結局は彼も警察署でも親にもこっぴどく叱られ、学校からは一週間の停学処分を言い渡されてしまった。 停学期間が終わり、久々に登校した昼、弁当を食べようと中を見ると 『うど』 がびっしりと詰められていて一粒の米も入れられていなかったらしい。 その後、これら一連の出来事は 『山菜三連発事件』 として、より多くの人に語り継がれることになったのである。
この雑感に何度も書いているように、大人からは自分も不良と分類されていた人間である。 「本校始まって以来の悪(ワル)」 とまで言われたが、そう言われるきっかけとなってしまったのが 『中二、中三乱闘事件』 である。 ただし、今さら弁解する気もないが、この件に関しては決して中心人物ではなかったのに、「本校始まって以来の・・・」 と言われるようになってしまったのである。
中二の時、同級生の女の子が三年生の先輩とつきあっていた。 ところが彼女はひどいふられ方をしてしまったのである。 その話を聞いた我々同級生は 「許せんなぁ」 ということになり、その先輩を呼び出して文句を言ってやろうということになった。 放課後、体育館に呼び出された先輩は、恐れをなして同級生数人を引き連れて姿を現した。
数には数で勝負ということになったらしく、自分も後から呼ばれたのである。 そのころの連れだったカズトシと一緒に体育館に行ってみると、二年生と三年生が左右に分かれて一触即発の状態で睨みあっている。 「これはマズイ」 ということになり、自分とカズトシは他校の不良仲間も召集しようと、その場を離れて電話をかけに行った。 残念ながら連絡がつかず、「こうなったらやるしかないな〜」 と体育館に戻ったら、すでに乱闘が始まり、職員室から教師が飛び出してきて事態の収拾に努めていた。
結果的には何もしていないのに教師に連行され、普段から目立っていた自分が主犯格だと思われて 「本校始まって以来の・・・」 と言われてしまったのである。 その後、その事件の話に尾ヒレや背ビレ、胸ビレまでついて 『伝説の乱闘事件』 として中学校で語り継がれることになってしまった。 とくに自分に関しては、主犯格だと思われていたのに無傷だったため、一人で何人も相手にして闘って相手に大怪我をさせたような勢いの話になってしまったらしい。
実は電話をしていたので怪我などするはずがないのである。 すぐ年下の知り合いから 『伝説』 が残っている話を聞かされたときに、「これはいかん」 と思って真相を話したが、それから数カ月たってもそれが正確に伝わって 『伝説』 が訂正されることはなかった。
あれから長い年月が経過したので、今はその 『伝説』 が残っていないと信じたいが、さらに尾ヒレなどが成長し、(とんでもない化け物みたいなことになっていたら恐いなぁ) などと余計な気を揉んだりしているのである。
2004 / 08 / 14 (土) ¦ 固定リンク
通勤時間の最も長い日 通勤時間の最も長い日
現代のビジネスマンはストレス性の胃腸炎に悩む人が多いらしい。 慢性的な下痢に苦しめられている人も多く、『各駅停車症候群』 という現代病まであるらしい。 いつトイレに行きたくなるのか分からないため、停車間隔の長い快速や新快速電車には恐くて乗れないのだそうだ。
自分も胃腸は丈夫なほうではないので、仕事のある日はトイレに立ち寄っても業務開始時間に間に合うように時間に余裕を持って家を出ている。 幸か不幸か千里丘駅には各駅停車の電車しか止まらないので症候群と呼べる症状にまで至っていないが、京都や高槻から大阪まで通勤している人にとっては重大な問題であろう。
携帯用のケースに入れられた正露丸や、水なしで飲めて即効性のある下痢止め薬の販売も好調らしい。 水なしで飲める薬を発売したのは洗剤や歯磨きで有名なライオンなのだが、他の製薬メーカーは 「やられた〜」 と思っていることだろう。 花王が体脂肪やコレステロールを改善する食用油やペットボトル入りの緑茶で成功したり、ライオンが薬で成功したりするのだから先の読めない時代である。
かなり以前の話になるが、下痢でひどい思いをしたことがある。 お腹の調子が悪い日は吹田駅で途中下車してトイレに寄り、新大阪駅でもトイレに寄って大阪駅までたどり着くようにしているのだが、その日は千里丘駅を電車が出発した時点ではそれ程ひどく調子が悪いわけではなかった。
岸辺を過ぎて吹田までの間に下っ腹が 「コポコポ」 と音を立て始めたが、それでもまだ大丈夫だと思い、吹田駅を通過した。 そのうちお腹は 「キュルルン」 と鳴り出し、「ギュルギュル」 とだんだん騒がしくなってくる。 (これは新大阪で降りなければ・・・) と考えていたのだが、「ギュッギュルル〜ン」 とひときわ大きな音が鳴った後は便意がどこかに行ってしまった。
(楽勝、楽勝) と思い、新大阪駅で降りなかったのが運の尽きである。 電車が動き出した途端にお腹の虫が騒ぎ出した。 「ブギュルルル」 とか 「ゴボブギャ」 などと訳の分からない音まで発し、それが出口に向かって行進しているようである。 (落ち着け、落ち着け) と自分を叱咤激励するものの、新大阪駅から大阪駅までは走行距離が異常に長い。
お腹の虫は 「ブギュルモンビガバー」 などと文章では表現できないような騒ぎを始め、便意は絶頂に達しようとしている。 目の前は暗くなり、額や脇の下には脂汗がにじみ出てくる。 やっとの思いで大阪駅に電車が滑り込み、急いでトイレに向かおうとしたが、あまりの腹痛と便意でスタスタ歩くことができない。 乗客に突き飛ばされるようにしてホームに立ち、ソロリソロリと這うようにしてトイレに向かった。
必死の思いで到着したトイレにはオッサンが溢れ返っている。 ここで、「もー限界です!先にいれて下さい!」 と言えたら良いのだが、羞恥心が先に立って口にすることができない。 我慢は限界に達しようとしていたが、こんなところで中年のオッサンが 『おもらし』 などできるはずがない。 目の前の暗さが漆黒の闇に変わり、もう少しで天使のレクイエムが聞こえそうになった。
何もかも諦めそうになったその時、前に並んでいた人の良さそうなオッチャンが 「具合悪いんか?」 と聞いてきたので声も出さずに何度も何度もうなずいた。 するとオッチャンは 「この人具合悪いみたいやから先にさしたって〜!」 と大きな声で叫んでくれた。 沢山の人の好意に助けられ、トイレの個室に入りドアを閉めたとたんに 「ギュブモモ〜ン!」 というお腹の虫の断末魔の悲鳴が鳴り響いた。
あわててズボンをおろし、便座に腰をおろすことができた瞬間、目の前には 623万本ほどのバラが咲き乱れ、遠くから小鳥のさえずりや、小川のせせらぎが聞こえたような気がした。 こうして、人の良さそうなオッチャンのおかげで最も長い通勤が終わりを告げ、至福の時が訪れたのであった。
2004 / 08 / 07 (土) ¦ 固定リンク